即興小説④
すべて制限時間15分の代物です。多少は修正してあります。
15、タイトル:展望の見方
お題「記憶の消しゴム」 必須要素「サッカーボール」 同じ状態でも書き方で変わる話
14、タイトル:観察される少年
お題「めっちゃ蟻」 必須要素「繊細な心理描写」 とある少年の話
13、タイトル:夢うつつの魔女
お題「私の嫌いな魔物」 現実が受け入れられない魔女の話
12、実用性と両立しない部分
お題「白いブランド品」 母と娘が素直に会話する話
11、タイトル:道標なき道へ
お題「純白の会話」 必須要素「鬼コーチ」 未来に悩む少年の話
10、タイトル:こだわりの食材
お題「あいつの平和」 必須要素「ケチャップ」 姉が弟を語る話
9、タイトル:一粒の星
お題「闇のわずらい」 危なかった女の話
8、タイトル:信じてるわけじゃないけど信じたい
お題「宗教上の理由で食器」 藁をも掴んで前に進む話
7、タイトル:緊急事態の本能
お題「暗い孤島」 遭難した話
6、タイトル:重すぎる愛は病
お題「そ、それは・・・暗殺者」 病気のような愛に迫られる話
5、タイトル:青天の霹靂
お題「激しい血痕」 観光に行った男の話
4、タイトル:今はもうできない日々
お題「僕の夏」 回想する男の話
3、タイトル:見破られていた心
お題「私の悪意」 相手をなめていた男の話
2、タイトル:憎めない男の失態
お題「冷静と情熱の間にあるのは自動車」 必須要素「スケベ人間」だらしない男の話
1、タイトル:いずれ来る未来の前
お題「煙草と汁」 父親と娘の話
展望の見方
「全治二か月です」
そう僕に伝えてきたお医者さんの声は、やや固かった。
診察に同席してくれた父さんと母さんの表情がこわばる。自分じゃわからないけど、僕の顔も引きつっていたと思う。
サッカー部に入っているのに、利き足を骨折しちゃあおしまいだ。小学五年生の僕にだってそのぐらいはわかる。おまけに夏の大会も秋の大会も、レギュラーだったのに出場不可能。もうチームメイトの顔をまっすぐ見れそうもない。
「もっと早く治らないの……ですか?」
ため口をききそうになって、あわてて言葉の最後に無理やり敬語を付けた。僕の焦りを察してくれたのか、お医者さんはこう問いかけてくる。
「本当なら入院するほどの重症だよ。入院すれば早く治る。でもそれは、嫌なんだろう?」
言葉に詰まった僕は、うなずいただけだった。学校のみんなに会えないのは、さみしい。
自宅に帰ってきてから、僕は絵日記にありのままを描いた。
色えんぴつを使い分けてサッカーボールを思いっきり、大きく余白いっぱいにした。絵の下に文を書こうとして、普通のえんぴつをにぎる。
車にはねられて夏と秋の大会に出られない、二か月は松葉づえで過ごすことになった。これから先がゆううつだ、痛くて悲しい。ボールをけりたい。ここまで書きかけたところで、思い立って、文のすべてをサッカーボール型の消しゴムで無かったことにした。
少しの間、考えてから僕はこう書いた。
勉強がんばる。
観察される少年
とかく注意散漫、好奇心旺盛、トンボが飛べば追いかけてしまう子。
そう言われ育った。ただ問題は、彼が高校生になってもそれが治らないままだったことだ。蝉が鳴けば種類が一度聞いただけで判別できるし、芋虫が這えば蝶の何が羽化するか見抜ける。
そこまで虫に没頭していた。周囲の友人が街へ繰り出し、携帯電話でインターネット社会を謳歌し、授業中を適度に傍聴して宿題に追われ、惚れた腫れたと湧いては沈む間。彼は群を抜いて幼く、またある意味では成熟していた。確固たる将来の夢が確立していたからだ。
それなりの学校生活を無難に過ごしながらも、漫画やカラオケに夢中な同級生を置いて、よく近所の公園に出向いては、ウォッチングと研究を楽しんだ。
特に気に入っていたのは蟻の行列を眺めることだった。同級生たちが自撮りや夕焼けを愛でるスマートホンのカメラは、とかく蟻の撮影に使われた。
品のいいブレザーの制服に身を包み、遠慮なくしゃがんでは、飽くことなく眺め続ける。一種異様な光景だった。蟻に恋していると言っても良かった。
彼自身も自分は蟻に生涯をささげてもいいと思っている。何か運んできたのを見つければ、カメラをズームにして観察して、笑顔でため息をつく。巣穴からどこかへ出かけていく一行を見つければ、すぐさま行先を目で追って、彼らの目的地を発見すれば目を輝かせる。
夢中で写真を撮る姿はアイドルの追っかけと大差ない。
群れの中の模様違いを見つけた日には、飛び上がらんばかりに息を切らせて連写する。
彼を見る通行人は、もはや彼自身を観察している。
夢うつつの魔女
眠りにつくとやってくる、夢の時間。
一日でもっとも心穏やかになるひと時だ。昼間は薬草などの採取に出ている間も長く、そうそう私は魔物などと戦闘は行わない。何しろ、母から受け継いだ店を維持するためには、商品の材料を調達する必要がある。
遭遇すればそのまま移転魔法で自宅にとんぼ返りだ。
私は世間では絶滅危惧種とも称される「魔女」という職業に就いている。薬剤師とカウンセラーと雑貨屋と用心棒を兼任しているといえば分かりやすいか。
ここに来てから数年の月日が経つが、地球の日本が恋しい。何しろ言語の壁やなにやらで相当な労力を使ったので、日本語を忘れないよう日々、日記を書いては一人朗読するほど言葉がかけ離れている。
ある日、突然ここに生まれついた魔女という身分を与えられて生活している。日本の自宅で眠っていたら、いつのまにかここにいた。母にこのことを打ち明けたが「寝ぼけてるんじゃないの?」と言われるばかりで、まるで相手にされなかった。
私は日本人としての人格を持ちながらも、こちらの世界でいままで、十五年も生きているれっきとした現地の人間として生活している。周囲の人々も、私を幼いころから知っている人たちばかりだ。
さびしくはないが、日本に残してきた本当の家族のことだけが気がかりだった。
私が今をもって、この悩みを人に打ち明けたとしてもだ。お前は気がくるっているのかとか、さすが魔女の後継者は冗談がうまい、などと言われ馬鹿にされるだけだ。
なので最近はそのことも言わなくなった。ただ毎日、森や山や川へ出かけては、生活に必要なものを採取して帰り、あれこれ生成しては店で売る。私の作る傷薬はよく効くと、近所でも評判だ。
ただ困るのは、本当に人から私が間違っているといわれると、確かに正しいかどうか迷うことだ。
私は私が怖い。森の魔物よりも。
実用性と両立しない気分
「汚れが目立つからそういう色はやめたら?」
百貨店でとあるショルダーバッグに吸い寄せられたとき、私は母に止められた。
さほど高くなく、牛革で二・三万円程度の代物なので法外な値段ではない。一応はブランド品だが、デザインやカラーリングが気に入って、ここのバッグを愛用している。
自腹で買うつもりでいたので母から文句を言われるいわれもない。ひとえに止められたのは、それが真っ白なバッグだったからだ。
発想が実用性から来ているので母が文句を言ってくる理由もわかるものの、あまりにも面白みがないので私は言い返した。
「でも白ってきれいだから……」
私の言ったことを聞いて母は、やや言いよどんだ。
「うん……そうなのよね。わかるんだけど、長い時間ずっと使うことを考えたらね。そう安いものでもないんだから」
それは私自身もよくわかっているつもりだ。ただ、実用性ばかり考えていたら茶色や漆黒ばかりになって面白くないし、コーディネートを考えるときに幅が狭まる。
率直に言うと、色が同じようなものばかりだと、多少はデザインが変わってもはた目からはあまり変わらないのだ。真っ青、真っ赤といったビビットカラーも大好きなのだが、真っ白も悪くない。何より明るい白は上品に見える。
あまり母も深く考えて発言するタイプではないので、私は正直な気持ちを答えた。
「明るい気持ちになりたいから、これにする。母さんもたまには、おしゃれしたら? そんな土みたいな色ばっかり使ってないで」
今現在、母が肩から下げているショルダーバッグを見ながら私が言うと、彼女は目を丸くした。
「昔はこういう色しかなかったのよ」
「今はあるじゃないの」
私は得意げに言ったら、母は「確かに」とつぶやいた。きっと自分もほしかったんだろうな、と私は思った。
道標なき道へ
ボクの母さんはいわゆる教育ママと呼ばれる人種だ。
幼稚園入学前から問題集とにらめっこし、こと面接練習ともなると目の色を変えて、聞こえのいい言葉を並べては、ボクに言い聞かせてきた。ここに入ってしまえば大学までは安泰だ、だからいま頑張れば後が楽だからと。
この調子で、何とか大学までエスカレーター式の私立の名門の幼稚園に入園した。だが結局、母さんの教育熱心ぶりは納まらないままだ。今現在ボクが、小学校五年生でありながら中学校三年生相当の知識を身に着けているのも、母さんの教育のたまものだ。
それだけでなく、ピアノと習字と剣道教室に通ってもいる。ボクを芸能人にでもさせたいのか学者にでもさせたいのか、判断がつかないまでも、それなりに一生懸命こなした。
友だちとゲームでもしたいのに、こうも予定を詰め込まれていてはいいように動けないので困っているところだ。一人っ子で、こういう相談ができる年が近い相手もそういなかったので、ボクは一番信頼している、習字の先生に悩みを打ち明けた。
「何になりたいかわからないんです」
還暦を過ぎているらしい習字の先生は、白髪交じりの髭を掻きながら、こう問い返してきた。
「それを探すために生きてるんだろう」
何と言い返したらいいかわからなかったのでそのまま黙っていると、彼は丸眼鏡の奥できらきらした眼を細めて言ってきた。
「何になっても母さんは怒ったりしないと思うぞ。何にでもなれるように、こうしてるんじゃあないのか」
ボクは心の中で抱いていたもやもやが晴れた気持ちでいるが、先生はうなずいただけだった。
※藤崎竜先生の封神演義からタイトルのみ拝借
こだわりの食材
特定のものがなければ落ち着かなくなる、という状況には誰でもなることがある。
それは不自然なことではないが、彼の場合はケチャップが精神安定剤になるらしい。常に冷蔵庫になければ気がすまず、それが尽きれば深夜だろうがなんだろうが、近所のコンビニやスーパーに飛んで行って、つぶつぶ野菜果肉入りケチャップを購入してくる。それほどの入れ込みようである。
「彼」とは私の彼氏ではなく弟であるが、彼は高校生だ。
余談だが私は大学生の、酒をたしなんでも怒られない年齢の女だ。それはさておき、私は弟とともに実家通いで学校に通っている。黙っていたって、調味料や食材がなくなれば家族が買い足してくれるのだから、わざわざ高校生の貴重なお小遣いやバイト代を生贄に、つぶつぶ果肉入りケチャップを召喚しなくてもいいのではないかと誰もが思うことだろう。それでも弟は買ってくる。
さらに余談であるが我が家には両親がいない。亡くなったとか見捨てたとか勘当されたという類の深刻な話ではなく、単純に仕事の関係で両親は世界を飛び回っている。食事の支度は主に私が担当しているし、食材の買い足しも私が担当している。
それでも弟はケチャップを自分で買ってくる。特に私もそのことに対して言及したことはない。食材を買ってきたのならレシートをくれれば同額の資金を渡すとは言ったが、渡してきたこともない。両親から十分な仕送りはあるのだ、遠慮などいらないというのに。
余談ばかりで申し訳ないが、私はどちらかというと勉強ができるほうだが弟はそうでもない。どちらかというと劣等生だ。
ただ、ケチャップを使った料理がうまい。両親に褒められてよく喜んでいた。その時のことがきっと、よほど嬉しかったのだろう。
一粒の星
暗い闇の中をさまよっていたとき、照らしてくる光の点が視線の先にあった。
今が何時かもわからないまま私は暗い道を、ただまっすぐ進んだ。歩くことができているのは、横幅五メートルほどの道そのものが、ぼんやりと淡い金色に灯っていたからだ。あとは一面の暗闇で、道の先にある一点の光が、北極星のように私の進むべき方向を示して銀色に輝いている。
周囲には他に、人間どころか鼠一匹歩いていない。それでも道の明かりが優しく身を包んでくれているので、寂しさや怖さを感じないまま私は進んでいった。
道は金色の砂で敷き詰められキラキラと輝き、目に光を散りばめてくる。どうやら光の元は、この砂そのものらしい。
歩くたびに私は砂の感触を楽しみ、不安どころかいっそ、この先に何があるのかという期待感に胸を躍らせながら進んでいった。
なぜか過去のことも現在のことも、自分が誰であるかということも思い出せない。金色の砂の道を光を散らしながら進んでいくと、ようやく星にたどり着いた。
そこで私は、星に手を伸ばして今にもつかもうとしたところで、光に包まれて意識が飛んだ。
気が付けばベッドを覗き込んだ、両親がいる。
病院の一室で私は目を覚ました。 星はつかみ損ねたらしく、今頃になって震えが来た。
信じてるわけじゃないけど信じたい
信心深い人間ではないはずだった、私は。
悩みといえば人に相談するか、自分で消化して決めることが多く、自信のない人がすがるのが宗教だと思っていた。
それがいつのまにか、のっぴきならないもう死んでしまいたいと思うようなショッキングな出来事に遭遇してから、私の人生は一変した。新興宗教にはまってしまう人の心理というのも、今の私には理解できなくもない。
ひどい失恋をした。それが私が神にもすがりたいと思うようになったきっかけである。
自殺未遂もしたことはある。だが、あくまで未遂であるので今も私は生きている。それも今では、死ぬに死ねない現状を考えると、また再チャレンジというわけにもいかなくなり、現在はどうしたらこの頭にこびりついたショックとうまく付き合っていかれるか、ということが私の人生のテーマになってしまっている。
家族にもたくさんの心配をかけた。これからも生きていこうと思えた、というか思わざるを得なくなったのはひとえに、家族がいたためである。
夕食の席で、とある神社で購入した真っ白な陶磁器の高級な皿に、カレーライスを盛り付けて食べていたところで、向かいに座っていた母が声をかけてきた。
「梨絵。そんな高い皿を買ってきて使うのはいいけど、カレーなんか盛ったら汚れの原因になるんじゃないの? もっとさっぱりした料理の時に使ったら?」
私はしばし天井の蛍光灯を見上げてから、首を横に振ってこたえた。
「好きな皿に好きな料理を盛って、思いっきり食べるのがいいの。お気に入りのもので身の周りを固められれば、少しは元気が出るかなって」
現在、話題のもとになっている食器は、最近気に入って通っている神社で購入したものだ。およそ五万円はしたと記憶しているが、高級だからとしまっておくよりは使ったほうが意味もあると思えるので、遠慮なく使っていたというわけだ。
私の返答に、向かいの食卓に腰かけている母は安堵の表情を浮かべていた。
「そう? まああんたがそれで満足しているなら私はいいけどね。変な意味で宗教にはまっちゃったのとはまた違うみたいね」
予想もしなかった答えに私は度胆を抜かれて答えた。
「うちはもともと神道だし、これだって神社でゴリ押しされたわけじゃなくて私が自主的にほしくなって買っただけだし。そんな変な信じ方してないから」
母はうなずいて言ってきた。
「まあ、それで気が済むなら安いものじゃないの」
私は変な誤解をされていたらしい。解けてよかった。
緊急事態の本能
海で遭難してから丸二日が経った。未だ、救助の気配は感じられない。
親のクルーザーを勝手に持ち出したのがいけなかったのか、私は友人一人を誘って海でクルージングとしゃれ込むつもりだったのだが、沖に出て潮に流されたのが運の尽きである。
大学で知り合った彼とは友人関係にあったが、クルージング中のこと。上下の分かれた水着の上に白いパーカーを羽織っただけのラフな格好でいる私の体を、舐めるように見つめる視線が感じられる。
気づかないふりをしてやり過ごしているところだが、そろそろ今日も島の探索は終わりのころあいだろう。また色気のないスウェットに着替えるつもりだが、用意しておいて助かった。
ここはどうやら無人島らしかったが、クルーザーに着替えや食料や道具を積んでいて正解だったと思う。昼間は海岸に出ることもあるので水着姿でいるのだが、それも夜ともなれば着替えが必要である。クルーザーごと遭難したのが不幸中の幸いだ。
彼にも着替えを用意しておくように言っていたので、服のストックがわずかでもあったのは助かった。でなければ、私はともかく彼の理性がどうなってしまったかわからないというものだ。
もっとも、遭難させてしまったのは私の責任でもあるので、もしもの時には抵抗することなく彼の暇つぶしに付き合うつもりではある。決して私から誘うことはないだろうが。
日も暮れてきたので、島を探索していた私たち二人はクルーザーに戻った。
小屋などの寝床を用意しなくて済んだのはこの船のおかげだ。簡単な小型のベッドもあるし、食料も二人なら十日分ぐらいはあるだろう。無線機やクルージングのマニュアル、サバイバルの教本まであるのだから、両親に感謝しておくべきだ。こんな道楽娘で親には非常に申し訳ないが、親孝行は帰ってからゆっくりやるとして、今は人命救助と自分の身を守ることが第一だ。
簡単に食事を終えてサバイバル教本と無線機のマニュアルを眺めながら、ベッドの上でうなりながら勉強していたところで、寝室のドアをたたく音がした。
「はい」
やってきたのは彼しかいなかった。
「眠れないんだ」
そう訴えてきたので、私はため息をついて、彼を笑顔で迎えた。
重すぎる愛は病
私は現在、ストーカー被害に悩まされている。
被害としては、夜道で明らかにつけられている気配があることと、マンションのドアスコープ越しに中を覗き込まれていること。部屋に侵入された形跡があるのも一度や二度ではなく、物の位置が動いたり、何かが紛失していることもある。干していた下着や服を盗まれたことも何度かあった。
相手に心当たりはある。それは別れた元恋人か、前々恋人か、前々々恋人か、前々々々恋人か、もしくはもっと前の恋人かもしれない。私は現在ピチピチの二十歳だが十人と付き合ってきて、私の浮気が原因で別れた相手も半分はいるので、恨まれたり未練を持たれたりしている自覚もある。
今日も大学の友人相手に、電話で相談をしていたところである。
私のぐだに律儀に付き合ってくれている友人は、こちらのだべりに小声で相槌をはさみながら聞いてくれている。
「だからね。文句があるなら直接言って来いっちゅーの。そりゃあね、アタシも悪いことしたと思うけどさ、魅力的な人が来てね、心変わりしちゃうんだからしょーがないじゃん! 人を好きになるのって、理由いらないってアタシは思ってるの。だからってね、こんなドロボーみたいなマネされちゃ、ケーサツ行こうかって思っちゃうじゃんね」
《そりゃそーだ! 確かにアンタはどうしようもない尻軽で浮気性でバカでアホで移り気で、かわいさしか取り柄がないしょーもない女だけど。犯罪は良くない!》
「結構ぼろくそ言ってくれるじゃないの! まあいいわ。とにかくストーカー被害でケーサツ届けるし! もうこの前なんか、ケータイに『雇ったやつがもうじき行くから』とか聞いたことないアドレスから来たしね! 意味わかんないし!」
《えっ》
「『もう我慢してたけど耐えられない』とか言われたしね。プンプン!」
《え。やばくない? それってもう相手、相当思いつめて……》
私の最後の言葉は、背後からの一撃でかき消され、音にならなかった気がする。痛くてもう、視界が見えない。
青天の霹靂
俺がそこへ行ったのはほんの気まぐれで、ただの観光気分だった。それがいけなかったのかもしれない。
きらびやかな寺院や霊験あらたかな神社を渡り歩き、旅をしていた途中。血天井というものを知った俺は物珍しさから、それがあるという寺院を訪ねた。
そこで俺は、故郷から遊びにやってきた母と連れ立って、その血天井を見に行った。
初めはただの寺院の天井に血がついているだけの場所だろうと思っていた。
行って驚いたのはその薄暗さだ。
昼間だというのに夕暮れのように薄暗く、内装や外観の雰囲気に負けて、俺はすっかり縮こまった。
管理をしている老婆に案内されて中を確認していったが、そこには他の寺としての平穏さとは打って変わった、不気味に物静かな雰囲気に満ち満ちている。
老婆の説明によると、戦の本舞台となった建物の床に、血だるまで倒れこんだ武士の跡形やら、頭から血まみれになって伏した時の顔型やら、床に手をついたときに移った手形やら、ありとあらゆる因縁の残った血痕ばかりだ。いくら拭いても消えない血痕の持ち主たちを供養するために、寺の天井として張って、供養しているのだという。
俺はこのとき、両肩から血の気が引いて、何かずしりと重いものが乗ったような心地を感じながら畳の上を進んでいった。
それからも名のある将軍家一族の位牌が祭られている場所などを見学したが、肩から震えが止まらない。寺院を出ても止まらなかった。
やっと自由の身になったのはバスに乗ってレストランに入り、食事をしてからだった。
なにかが俺に訴えていたのだろうか。
今はもうできない日々
僕はもう二十歳になる。
子どものころ、おじいちゃんの家に遊びに行ったときにだけ遊べるお兄ちゃんがいた。
おじいちゃんの家の近所に住んでいるので僕の家の近所のお兄ちゃんではないが、近所のお兄ちゃんと呼んでいた。
お盆や正月などの、夏休みや冬休みに何日か泊まった時にだけ、お兄ちゃんは他の近所の子どもたちと同じようにやってきて、僕と一緒に遊んでくれた。
僕は一人っ子だったので、兄弟ができたようでいつも楽しく彼らと遊んですごした。小学生の頃だったので虫取りをしたり、花火をしたり、スイカ割りをしたり、魚のつかみ取りをしたり、山奥に山菜を摘みに行ったり、雪合戦をしたり、互いの家にかるたをしに行ったり、およそ田舎の山でできるだけの様々な遊びを楽しんだ。
少し年が上がってくると遊びも少しずつ高度になり、ポーカーをしたりチェスをしたり、囲碁や将棋を教わったりした。
いろいろ遊びまわったが、あちこち出歩けるので僕は、夏休みのほうが好きだった。
おじいちゃんの家の近所の子どもは四人兄弟だったが、僕は二歳年上のお兄ちゃんと一番気が合ったので、彼と連れ合うことが多かった。
四人兄弟の中央二人は女子だったし、末っ子はまだ小さい幼児だったので、彼と一番遊びやすかったというのもあるが、活発で楽しい少年だった。
ほとんどの田舎の山での遊びも彼から教わった。
僕たちの一番のお気に入りは、山を少し下って行った先にある渓谷の、岩ばかりある浅い川での川遊びだった。どこまでも透き通っていて、きれいな水だったのをよく覚えている。
そこで僕と彼は、半ズボンと半袖Tシャツで日が暮れるまで水を掛け合った。
少し深いところでは、服を脱いで泳いで入った。水底にあったきれいな丸い石を拾ってはコレクションし、お互いにプレゼントしあったりもした。
今となってはおじいちゃんも亡くなって行くこともなくなってしまったが、懐かしくも美しい思い出だ。
見破られていた心
俺は自分のことを第一に考えて行動している。
だって、自分が誰だって一番かわいいのは明白で、どの人に迷惑を言われる筋合いはない。それも、誰の許可を得る必要もない。
会社での仕事も、後輩や部下をうまく利用し、上司の様子も常に伺っては、それなりに家族のため自分のために過ごしているところだ。
人に言わせれば誰にでも食って掛かる男だといわれることが多いが、相手は選んでいる。自分より弱い相手は、強気で出れば言うことを聞かせられるから、そうやってやっていけばいい。甘い顔をしていれば自分がなめられるのだから、少し強引なぐらいがちょうどいい。文句を言われようものなら、叩きのめして追い詰めなければ気が済まない。
それで今までやってきたが、仕事は何とかこなしてきた。それなのに、会社ではなぜかなかなか評価されない。
なぜかはわからない。納得のいく上司相手にはそれなりの態度で過ごしてきたし、困っている後輩相手の時もできるだけ手助けをしたつもりだ。なのになぜか、同期の中で一番、俺は出世が遅かった。
きっと、損な役になることが多いのだろうと思って会社の中で生活している。
今日も後輩が「電話が多い」という意見を聞いたので、雷を落としたところだ。注意としてやったものだが、会社で泣いた彼女はずいぶんと甘ったれていて根性がない。
その数日後、その注意をした後輩が辞めるという話を聞いた。
噂では体調が悪くなって辞めるということだったが、ついに自分に、彼女から話をしてくることはなかった。六年以上もともに仕事をしてきた同僚だというのに、薄情なものである。
その後も仕事を手伝ってほしいという話を振ったりもしたが、黙って機嫌悪そうに仕事を手伝っては来たものの、会社を辞めることに関しての言葉はついになかった。
彼女が何を気に入らなかったのかはわからない。結局彼女は、きっちりと引き継ぎをした後にも歓送迎会を欠席し、俺たちの目の前から去って行った。
俺と一緒に彼女によく集中的に嫌味や注意をしていた、他の同僚と俺は、歓送迎会を欠席した。
彼女が会社を辞めたことをすっかり忘れていた数か月後。俺の会社でのビジネス用のメールアドレスに、辞めた後輩から大量の文句が書かれたメールが届いた。
こちらの心を見透かしたように、悪意に満ちたメールだ。
ああ、彼女は最初から気づいていたのだと、ようやく俺は知った。
憎めない男の失態
男はまさにどこから見ても、自分に怖いものなどないと思っていただろうことは、だれの目からも明らかだった。
父は大富豪、母は女優、兄は医者、姉はアイドルとあっては注目されることも無理もないだろうが、それを本人の実力と思ってしまったことが運のつき。
彼自身は勉強はできたものの人格者とは言い難く、財力のない者や実力のない者を身の周りに置きたがらず、したがって類は友を呼んだ。財力もしくは実力はあれど、性格に難ありの者たちが彼の周りを取り囲んだ。
大学生のうちまではそれでも、勉学に励んでいたので彼を表立って非難するような者はいなかったのだが、それも卒業してしまえば終わった。
家督を継ぐべく父親の会社の重役として放り込まれたが、会社に真面目に通っていたのは学校に通っていた勤勉さの延長からくるものであり、親のレールの上を歩くということに、やがて窮屈さを感じるようになっていた。
それでも親の財力は魅力的で、完全には親離れできていなかった。
休日には高級車を乗り回し、年下の女子大生を相手に大人ぶっては遊びに連れまわした。
それでも男は一途であったので、親離れできないながらも親に反発する愚かさに反して、彼女を自分なりにいつくしんで愛した。自分が誇れるものは財力と知力だけであったので、彼女の望む場所へ連れて行き、彼女の望むものはできるだけ与えた。
それこそ自分の利用できる能力と環境はすべて、彼女のために与えた。
あの男のことだ、女遊びは激しかろうと誰もがうぞぶいて悪評を立てたがなんのその。一度に一人の女性以上の相手と関係を持ったことはなかったので、女性遍歴は多いものの、人から恨まれたこともありはしない。
男の数少ない美点である。
その男の美点を、現在付き合っている女が正しく理解していたかは知れない。ただ、男は非常に色好みであったので、容赦なく女を女として、男らしく求めていたところはある。
あるとき、道路を走っていたとき女に卑猥な格好をさせてオープンカーで走っていた。
猥褻物陳列で警察に捕まった時、男は舌を出して女にやりすごした。女は男のことが何となく嫌いではなかったので、同じように舌を出して許した。
いずれ来る未来の前
自分は吸いもしないのに、たばこの銘柄には少し明るかった。
身の回りに吸っている人が多かったからというのもある。知っていれば話題の一つにもなるし、人とのつながりも増えると思ってのことだ。大学生のころにありがちな浅く広い知識の一つである。私にとっては「煙草」とはそれだけのものだった。
初めて付き合った人は喫煙者だったが、何かと浅く広い知識をひけらかすのが鼻につく男だった。今となっては若気の至りだが、当時は好きで付き合っていたのだ、文句も言えまい。
しかし本当に賢いのならある程度、喫煙の害悪は分かっているはずだろう。なのに、何かと理由をつけては人に喫煙を禁じて、自身だけは吸い続けていたのが理解に苦しむところではある。
父も喫煙者だった。しかし新築にして以来、父は外で吸うようになっていたので喫煙に対してあまり嫌悪感を抱いた記憶はない。自分で一から建てた真っ白い壁を、やにやニコチンで汚すのはさすがに嫌だったのだろう。おかげで喫煙者に対して、あまり悪い印象は持っていない。
ただ、よく言っていたこの言葉だけが心の琴線に触れる。
「女は吸わないほうがいいよ」
男だって吸わないほうがいいに決まってるだろうに、女はと限定するあたりが男のずるいところだ。自分は吸っていながら女には吸っていないでほしいと思うのは勝手だと思った。
もっとも、人に誘われても一回吸っただけで、のどの痛みが激しくなるばかりだったので拒否していた。なので、結局喫煙者にはならず今に至る。結果、彼らの望み通り私は非喫煙者のままだ。
まだ結婚はしていないが、花嫁修業の一環として家事を担っている私はそのまま、夕食の豚汁を作っていたところだ。
父は私を見ながら、まじめに調理に取り組んでいる様子を見ては満足げに玄関を出ていき、また外で一服している蛍族である。たばこを吸った後の一・二杯のウィスキーと味噌汁がたまらないらしいのだが、私にはその良さは分からない。
ただ、家族が満足げにしているのを見て「これでいいのか」と満足しているだけだ。
明日からも私も父も、きっとこのままなのだろう。
即興小説④