初夏
夕刻、裏山へ続く畦道を散歩していると、子どもがふたり、用水路をじっと覗きこんでいる。
なにがいるの。
ザリガニ。
つれるの?
ううん、つらない。
そうか、まだ小さいものな。
梅雨があけるとね、大きいのが見つかるよ。
ううん、でもつらない。
観察してるの?
違う。
考えてるの。
なにを?
死を。
大きいほうの子ども(小学校中学年くらい)が言った。
小さいほうの子ども(小学校低学年くらい)も真剣な様子で緩やかに流れる用水路を覗き込んでいる。
僕は驚いて、一緒に用水路を覗き込んだ。
小指くらいの大きさの半透明な(恐らく)ザリガニが横たわっていた。
それは、腐乱死体だった。
泥にまみれ、草や小枝などの漂流物がへばりつき、グロテスクな塊をなしていた。
にいちゃん、水に浸けても生き返らなかったね。
うん。
ザリガニさん、死んだらイヤだね。
うん。
なんだか汚ないね。
ううん。汚くはない。
どうして。
だって、ザリガニさん、みんな一緒になってるよ。みぃんなと一緒に。もっともっと小さく溶けて綺麗な緑色になるよ。
僕はこの言葉にはっとした。
真理である。
命がなくなること。それは逆説的に捉えると、他の物質と同化することでもある。
物質を細かく分けて分けて、最後まで分けると行き着く先は決まっていて、草も水もザリガニも、人間だってすべて仲間なんだよ、同化することができるんだよ。
と兄弟に教えたかったが、やめた。
夕焼けが兄弟の濃い影を縁取り、山間の緑を深紅に染めた。対照的に東の空からは、白々しく輝く初夏の星空がひょっこり顔を覗かせている。
「君たちはどこからきたの」
「三丁目のほう」
「じゃあ途中まで送ろう。もうお母さんが夕食の支度をして待っているよ」
「うん」
「夕焼けってすごく綺麗だね」
お兄ちゃんが呟いた。
「夏は日が長いからね。そのぶん夜が短いから、夕焼けがきたら一日は終わり」
僕は答えた。
「夕焼けは空が燃えているみたい」
弟がからからと笑いながら明るい声をだした。
「本当に燃えているようだね」
「真っ赤に明るくて勇気が出る感じがする」
'勇気'といった弟の表現がなんとも言えず可愛らしくて、僕は少しだけ、幸せな気持ちになった。
移ろいゆく自然を眺めて、美しい、と思える日本人は素晴らしい。
大人になると、夕焼けを眺めて、少し切ない気持ちになることがあるのだけどね。
そう、交差点の別れ際に兄弟に言おうかと思ったが、やっぱりやめた。
初夏