アオイアオサ

夏が過ぎた。秋という季節の中間地点を勝手に作って秋の中にいる気になっていた。
冬が来ることを自ずと知り、それ以外の季節には入り込めないのだ。
単純に三ヶ月で変わる季節に、名前を付けてその季節に趣きを持たせるべくしてその季節に合わせているような不可解な現象をまた窓越しに見ていた。

自分が人間であることを教わった覚えもなく、そうだという確信めいたものもなくただ、それ以外の何者でもないが故に私は人間と固有名詞に頼るほかなかった。
けれど、少しだけズレたその部分に個性という言葉だけで隠せないものもあるのだと思う。
窓越しだけれど、音などないけれど、そう思う。
この部屋から出なくなって三年が経った。
要するに、この部屋の中で一つの季節を9ヶ月見てきたのだ。
そう思うと無駄なものを背負っているようにも感じるが、なぜかこの部屋から出ることはそれ以上に無駄をかき集めたものになるだろうと思う。
生きるために生きているその当たり前が虚しく、哀しく見えて仕方なかった。
生きることが何かに変換できないことが面白いから程遠く、楽しいから離れていくように思えて仕方なかった。
見ている方がまだ、ましに思えた。傍観している自分さえも客観的に見てしまうこの時さえ虚しさと哀しみの中にあることを頭の片隅に置きながら、季節をなぞっている今がまた、変換されない何ものでもないものになっていた。

春が来た。桜がまた散って春が春でないかのように感じる。
歩く人の足が少しだけ軽くなっていた。リズムが少しだけ早い。
たったったっ。いつまでも続くような音が少しだけ方向を変えた。
その方向の先には桜はもうない。先週までその音の先は桜だったのに今は四方八方に散らばっている。
そのことがまた、何かを逆なでしているように感じる。
その当たり前が少しだけ何かに感情をもたせた時キズをつくっていることに気づいた時カーテンを無意識にしめていた。
薄暗い部屋で頭を埋めるのは、あのリズムとそれに乗れない己のリズム。
片時も音がないこの部屋に音があるようなそれは、無駄に無駄を付けた耐えようのない無駄なのだ。
頭を埋めた無駄が己の存在さえ無駄であると主張する。

昼ごはんが部屋の前に置かれるとき、ノックが三回される。このルールはいつの間にか出来ていた。
家族は諦めと私を同化させ、生きると言う概念さえ私に当てはめようとしない。
別に、と言う言葉が張り付いているこの部屋で私は着実に栄養を摂取しているのだ。それは、何かに反しているように思える。
以前は、涙ながらにこの部屋から出そうとしていた家族に私は、応えることが出来なかった。
家族は私の行動の意味が分からないのだと思う。
それが言えるのは自分でもなぜという疑問を超える答えを見つけられていないからだ。
生きること、について考えているような顔をして、生きることから離れた自分をどこに戻せば良いのか分からなくなっていた。
唯一、その薄暗い部屋の中で行う規則正しい呼吸の意味を求めていると略したその無駄に償う術さえ持たず、ただ時間を浪費している。


鳥が鳴く。朝が来た。
ノックが4回なった。
「お願い、もう出てきて。世間体も考えて。
近所の人にあなたの事を悪く言われるの耐えられないの。」
母が言う言葉が歪んで聞こえる。
「あなたのせいで私が悪く言われるのは耐えられないの。」
そう思う私の心が歪んでいるのだろうか?
いつもより、一回多いノックが告げたこの合図で私はまた、布団に潜った。
聞きたくない言葉を投げつけられた耳が悲鳴をあげているのを隠すように私はまた逃げた。
生きることから逃げてまた、生きている。
生きる事を否定して生きている。
痛む心を持って、生きている。
「お母さん、ごめんね。」
こんな、私で。こんな、姿で。
こんな、娘で。こんな、人で。
その後に続く言葉を私はまた私に向ける。
窓の外に向けた視線はきっと私に向けたものだった。
何かを探すふりをして、自分を探していた。
生きている自分を。

また、窓の外を見ている。
いつか、キズさて恐れず自分を探せるように、窓の外へと視線を向ける。
そこに私はいない、何故なら私は私として歩いているのだから。
私から私は見えない。

そこにはきっと、私の中に変換された私だけの街があるのだろう。

アオイアオサ

アオイアオサ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-06-25

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