who as to die

寒空の下、知った世界は競争と欲に溺れていた。
白い息が訴える世界は妙に賢かった。それは素直な賢さではなく、少し歪んだ形をしていた。

妙じゃないかと考えるより、それが普通であり、在るべき姿なのだとそう思わざるを得なかった。

人は劣等感を抱く。上か下かに拘る。とは知っていた。
実際に私だって抱いたことはある。その想いを流すかのように目から液体が流れ落ちた事も。それを生理現象とのみ表現するには難しいような心にへばり付いたこの想いに時間を奪われた事も。
けれど、いつからだろう。この、へばり付いた感覚、擬態語で例えるならドロドロした感覚が私には何よりも汚く思えていた。
私は、その感情を捨て去ることなどできない事も知っていた。
生きていくと言う事は、つまりそう言う事であるのだと少なからず日々の中で学ぶ。
誰も教えてはくれない大人になっていく道は、一年に一回のペースで来る誕生日よりもスピードを求めらる。
それが成長だと言わんばかりの拍手が、ドロドロした感覚を祝福する。
大人は同類が好きだ。同じものを嫌う人に心許す。そのくせ、好きなものの共感は薄い。
大人の絆の大半は悪口という誰かの影を踏んで成り立っている。
それが大人の世界で、妙に、そう妙に成り立っている。
私はそんな世界が嫌いだ。
成り立たないそんな世界が好きだ。

生物の教科書には書いてある。生まれることの奇跡が。
具体的な数字が示すそれは紛れもなく無表情。
奇跡はそんなものであると知っている筈であるのに、奇跡の側の光に注目する。それは人間の自分勝手さであり、本質であると私は思う。
奇跡を無視して、横柄に生きているのに困れば奇跡を願う。
第一、奇跡が何であるかなど、判断出来はしないのに。
人間などそんなものである。

人間を諦めいた方がいい。
そして、何より自分を諦めていた方がいい。



何がいけなかったのか、狂った人には考える余地はない。
否定されて仕舞えばそれで終わり。
居場所も権利も義務もありとあらゆるモノが失くなる。
何が間違いで何が正しいかなど権力に委ねられている。
間違っていると主張したところで権力によって、つくられた正しさは一ミリも変わらないのだ。



「大変申し訳ありません。」
「大変ご迷惑をおかけしました。」
この言葉の意味を考えた事などなかった。なぜこの言葉を言っているのか自分自身分からない。染み付いたこの言葉に頼るほかない。
この言葉を言いたい訳ではなく、言わなければならないに近い。
サービス業はそんなものである。
第一次産業、第二次産業の数を越し、第三次産業であるサービス業は年々に需要が増す。
学歴の差などないかのように、サービス業には様々な人が集まる。
お客に気を使うのは勿論、職場の人間関係を維持するのも大変である。
その関係性を維持するのに謝るという事は必要不可欠である。
そこに理由などあるのかは、未だに分からないけれど、
身に染み付いた上手に生きる癖はここにあるのだとふとした瞬間に思う。
間違っているのか、正しいのかよりも重要視しなければならないものが職場にはゴロゴロと落ちていた。

片付けるフリをした私のような中途半端な奴には、、、
変えられない。なにも。


店内を明るい照明が差す。眩しいなと思う。目を細めるほどの明るさではないが、無駄な明るさだなと。
ピッという何かを打つ音は、静かな店内によく響く。
愛想笑いの苦手な私が、その音を響かせ少しばかり店の一部と化す。
言われた接客用語を使い、店員としての私が成り立つ。
大人は区別しているらしい。自分を。
その感覚が私には分からない。けれど、それが求めらているものであるらしい事は確かな事で、私が必要なのではなく店員としての私が必要なのだ。
無線で飛ばす様々な指示。それを片耳で聴きながら私はそれを無視するかのようにピッという音を響かせる。
それは、あくまでも店員としての私で。
制服を着たら私は店員。
売り場に出れば私は店員。
私と店員としての私は別物でなければならない。
つまり、それは私が私であってはならないという事になる。



クレームがどんなに理不尽であろうとも、店員としての私は、正しさなど主張してはならない。
「大変申し訳ありません。」
この言葉に勝る正しさなど、そこには無いのだ。
私は誰としてそこにいたのか、私は誰なのかそれさえも不明なのだ。
逆に言えば、そうでなくてはならないのだ。
それが大人の世界で、必要とされるという事である。



妙に成り立っている世界は、こうして今日も回る。
生きるということを辞めない限り、私は私では要られない。
人は生きているからその人として生きれるのでない。
死を終えて初めて人は代名詞のない素で見てもらえるのだ。

私は私として生きて、私として死にたいというこの我儘を主張できるほど確かな私はどこにもいない。

世界の中の世界に、紛れ込む事でのみ私は人という代名詞を与えられる。

私という代名詞よりも、確かな代名詞を取捨選択し、そして、私は私を取捨選択する。

それが唯一世界と、世間と共存していく方法なのだ。
綺麗事ではなく、変えられないものに目を向けず、
私は私を誰よりも巧みにコントロールしなければならない。

生きていく為の道を行くなら、それは必要十分条件なのである。


寒空の下、私は取捨選択をした。
高層ビルの屋上、空は真っ黒だ。
なにも映さないそれは、私が私である為の一歩。
風が揺らすそれは、急かしているかのように揺れる。

ズルイ、ズルイ、ズルイ、ズルイ、ズルイ、
大人のそれは、真っ黒な夜空の下消えていく。

形だけ残ったそれも、また、消えていく。


私が私である為に、それは正しさではなく、祝福されない為に。
拍手の音に負けない為に。

流れ星の落ちる音を聴きながら、消えていく。

後何秒後かに私は私になる。




私は、代名詞のない私になる。
風に乗った私の最後の代名詞はきっと風である。
清い響のそれが潔さを連れて、消えていく。

影のない始めのそれは、今日始まりを告げる。

終わりから始まるそれは、それなのだ。

who as to die

who as to die

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-06-25

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