拡散する、ノイジィヴォックス

2012年、夏。東京に「メメツ神」が降臨なされた。
メメツ神はあっという間に東京全土に影響を及ぼし、Togetterも大体メメツ神の話になっているありさまだった。

同じく2012年の山口県周南市。
本州最西端のこの県にはまだまだメメツ神の影響は強く見られない。
とはいえ、テレビを元にメメツ神の「マにアヌ線」が発せられる以上、メメツ神の力がいずれ山口まで及ぶ事は必至であった。

そんな夏。2012年。
吉田ケンヂは高校2年、実質最後の夏休みを満喫していた。3年ともなればさすがに受験の準備をしなければならない。
吉田はTokyoでの生活に憧れていた。そのためにはいい大学に行く事は必須条件であった。わざわざ山口から東京まで行くのに3流大学に行くのでは親を説得するには弱すぎる。
よって来る地獄の夏を前に、思い切り楽しんでやろう、という算段である。
海にも行ったし、祭りにも行った。スイカ割りもしたし、かき氷も食った。8月の半ばにしてはそれなりに消化できたと言ってもいいだろう。
完璧に近いペースで夏休みを遂行している彼は今日もTwitterを楽しんでいた。

なつみ♪@natsuminmin          34秒
メメツ神さまに会いにいったょ└(゚∀゚└))((┘゚∀゚)┘

りか☆@rica_candy                   1分
メメツ神様は絶対☆メメツ神様が世の中の悪を一層してくれるのです♡ 




六郎万 八重子@rock'nrollman 35分
今日も暑い ナメクジころす

六郎万八重子。吉田はこの顔も見た事の無い同年代にして同郷である女性のファンだった。
一度だけ彼女がTwitpicにアップした画像に彼女らしきシルエットがガラスに映り込んだことがある。
しかし彼女は割と古めのガラケーユーザーであることもあり、不鮮明な画像に妄想を膨らませることしかできなかったのだ。
吉田のこの夏最大のミッション。それがこの六郎万八重子に会う事であった。
幸いにして彼女と吉田はリプライを飛ばしあう仲であり、彼女のtweet履歴を見る限り、吉田は最も仲の良いフォロワーと言って過言ではない。
下地は盤石である。地盤沈下でも起きない限り、彼女は会ってくれるに違いない。
のだが、吉田は踏み切れないでいた。なにしろ相当勇気がいる。下手すれば元々それが目的であったかのように思われてブロックされてしまうかもしれない。
しかし吉田はそんな不埒な考えで彼女と交流しているワケではない。
同じ山口県民とは思えないほどに、彼女のツイートは洗練されていた。メメツ神が現れる前の、都会の人間のツイートに近い香りがするのだ。
今や吉田にとっての東京とは彼女のことであり、彼女こそがふるきよき、2012年の春までの東京なのだ。
ほんの少しの毒の唇にひそませ、踊る。そんな東京ガール。実際のほどは知らんけど。
まだ見ぬTwitterアイドルに思いを馳せ、今日も夏っぽい行事をこなすべく、吉田は外に出る。今日は地元の盆踊りの日だ。

「ケンヂ君はこのあとどうするん?」
吉田の友人、片岡あすみが盆踊りながら問う。
「どうするって?」
吉田も盆踊る。
「盆踊ったあといーね。そのまま帰るん?」
「あー…考えちょらんかったわ」
盆踊る。
「じゃあさ、うちと一緒にカラオケ行かん?」
「え?」
突然の申し出に吉田はたじろぐ。無理も無い。片岡は目鼻立ちもよく、あわよくば付き合いたいとすら思っていた女性だ。
惜しむらくは彼女の趣味がいささかミーハーにすぎるという点である。
「メメツ神の新曲が先週出たんじゃけどね、ぶちかっこいいんよ!一緒に歌おーやー」
「ん、うん、ええよ」
一応メメツ神のシングル曲は一通り押さえてある。もちろん先週出た新曲も聞いている。
ニコニコ動画に速攻アップされていたし、ランキングでも一位だったし、高校生活をサバイヴする上でトークテーマの一つとして必要な作業なのだ。
とはいえ、正直新曲も、今までの曲も何がいいのかさっぱり分からない。ただ曲を聞いた、というだけだ。
そんな時にこのお誘いである。さすがにメメツ神に感謝せざるをえない。
「あんまりちゃんと聞いちょらんのよね。Aメロどんなんじゃったっけ」
踊りながら吉田が問うたところで盆踊りが止まった。
「はい、お疲れさまでしたー。受付のところにジュースを置いてますんで、ご自由にお飲みくださーい。それじゃ一旦休憩です」
スピーカーから幕間のテーマとしてメメツ神の新曲が流れる。好都合だ。
「そうそう、こんな曲…」
ガピー!
突如、スピーカーが異音を発する。
「ちょっと待ったー!」
ひときわ大きな声が会場に響き渡る。その声はやぐらの上に拡声器を片手に毅然と立っている。
逆光で顔は認識できないが、シルエットから長髪の女性であることが分かる。
「こら、なにしちょんか!」
町内会長が声の主に怒鳴る。
「うっさいおっさん!」
声の主も怒鳴り返す。
「今すぐ、メメツ神の曲を流すのをやめなさい!今回の新曲の音源には多量のマにアヌ線が仕込まれているわ!
見なさい、このガイガーカウンターを!」
ビシっと突き出されたガイガーカウンター。逆光でよく見えない。
「ガイガーカウンターは放射線の測定じゃろうが、不謹慎なこといいさんな!」
町内会長はやぐらをゆすり始める。いくらなんでも危ない。
「ほら、こんな野蛮なことをいち女子高生に普通しますか?汚染されてるのです、メメツ神の陰謀です!
見なさい、このガイガーカウンターを!!」
逆光で見えない。
町内会長の妨害は激しさを増し、いよいよ自称女子高生も立っていられなくなる。
「おっ…と…」
落下。
「危ない!」
とっさに吉田が駆け寄る。
しかし女子高生はヒーローよろしく華麗な着地を決めてみせ、すっくと立ち上がる。
「…」
女子高生は端正な顔立ちとは言いがたいが、どこか異質な、地上にもたらされた甘美な毒、とも言うべき雰囲気を漂わせていた。
女子高生はそのまま吉田を一瞥すると、走り去る。
皆が彼女の背中を見つめる。調子を取り戻したスピーカーが少しずつ、音量をあげながらメメツ神の新曲を流し始めた。

それにしても女子と二人でカラオケ。この響きの素晴らしさたるや。
片岡はすっかり先刻の騒動を忘れ、路上でメメツ神の新曲を口ずさんだりしていた。
「音程あってるかなあ?」
振り返り、片岡は振り返る。数少ない夜の明かりに照らされた片岡の姿は、吉田の脳内に居座る謎の女子高生の幻影を吹き飛ばすには十分だった。
「大丈夫。うまいんじゃね」
「えへへ」
片岡は照れ笑いを浮かべ、再び前を向いて口ずさむ。
吉田は決心した。帰り道で告白しよう。あと、夏のうちにセックスしよう。
「ちょっと待ったー!」
聞き覚えのある声が徳山の街に響き渡る。(周南市は大別して新南陽と徳山の二つからなる市である)
「今すぐ、メメツ神の曲を歌うのをやめなさい!
メメツ神の曲にはくちずさむことで脳内エンドルフィンが分泌される効果があるわ!いずれ平時から口ずさまないと生活できない体になるわ!
見なさい、このニューロファックスμを!」
盆踊りの女子高生がビッグエコーの屋上からよくわからない機器を突き出す。
全然見えない。
「ケンヂ君、あの人…」
「うん、盆踊りの時のあの人じゃね」
もはや片岡は驚きもせず、彼女を見上げていた。吉田もさすがに今度ばかりは邪魔者としか認識できない。
「吉田ケンヂくん!」
「え?」
「吉田ケンヂくん!」
「え?あれ?」
女子高生はしきり吉田の名を呼ぶ。
「ケンヂ君…知り合い?」
「いやいや」
と、いいつつケンヂは一人の人間の名を思い出していた。
「I'm Rock'n Roll man!!!」
@rock'nrollman、六郎万八重子。
盆踊りのときに感じた違和感。毒の香り。それは常日頃ディスプレイ越しに吉田が抱いていた感覚であった。
ディスプレイから飛び出した、むせ返るような空気の塊が、吉田の肺を満たしていく。
「六郎万さん…?」
「吉田ケンヂくん!」
さっそうとビッグエコーから飛び降りる六郎万。これまたスマートに着地を決める。
そのままスタスタと吉田の元へと歩みを進め、
「吉田くん、見なさい、このニューロファックスμを!」
吉田の眼前によくわからない機器を突きつける。よくわからない機器なのだから間近で見ても分からない。
「えっと…」
吉田の返答も待たず、六郎万は片岡に視線を移す。
「……なんですか?」
怪訝な表情の片岡に六郎万は顔を近づける。
「あなた、なまえは?あたしは六郎万八重子」
「片岡あすみです。ていうかなんなん?さっきから」
ポッキーゲームのような距離感で言葉を交わす二人。
「片岡さん。あなたはまだ間に合う。今すぐメメツ神を聴くのをやめなさい。あとメメツ神特集の番組の視聴も控えた方がいいわ」
「は?なんで?」
「いいからほら、このお水を飲みなさい。きっと、よく効くから」
六郎万は腰に下げていた水筒を片岡に差し出す。
「はあ?」
「いいから、グイッと。そうすればあたしはあなたの元から消える。約束する」
片岡は六郎万をひと睨みすると、そのまま言われた通り、グイッと水を飲む。
「はい、飲んだ。はよう…消え…」
「片岡さん!」
片岡はそのまま眠るように倒れ込む。吉田は慌てて片岡を支え、六郎万に訪ねる。
「六郎万さん、何を飲ませたんですか」
「水だよ。睡眠薬入りのね」
「なんでそんなことを……」
「君と二人になるためさ、吉田くん」
六郎万の言葉にあっけにとられる吉田。
「えっと、なんでそんなこと」
「さっきと同じ事を訪ねられても困るよ吉田くん」
「さっきとは質問の意図が違います」
吉田は割と本気で怒っていた。普段、感情を表に出す事の少ない吉田だが、さすがに今回ばかりは言葉に怒気が乗る。
「怒ってる?」
「はい、割と」
「ごめんね、なんか、よくわからなくて」
急にしおらしくなる六郎万。
「いや、僕に謝られても。ていうかよくわかってないのはこっちなんですけど」
「ごめん、あたしもよくわかってない」
なにがなにやら。吉田は、今まで憧れていた女性がただの電波なのではないかと疑い始めた。
「盆踊りのアレは?」
「わからない」
「ガイガーとかニューなんとかとかは?」
「使い方わかんない。でもマにアヌ線とエンドルフィンの話は本当」
どうでもいい。心から吉田はそう思った。自分が思っていた以上にこの女性は普通の人だった。
電波だけど普通だった。
「もういいです。どいてください」
「やだあ!」
六郎万は吉田の服の裾を掴み涙ぐむ。
「六郎万さん…」
「だって、本当にわかんないんだもん!どうやったら驚いてもらえるか、すごい考えて色々やったけど、でもこんなんで、ごめんなさいだけど、でも」
「六郎万さん」
吉田は六郎万をしっかと見つめ、優しく語りかける。
「ちょっと片岡さんを送ってくるので、どこかで待っててもらえますか?」
「!!」
六郎万はパァッと顔を明るくして、笑顔でうなずく。
「ここで待ってる、ます!」
「夜だし危ないから気をつけて、場所変えたら連絡くださいね」
片岡を家に送る道中、吉田は一つの結論にたどり着いた。

普通だろうが、電波だろうが、変人だろうが常識人だろうが、可愛くてセックスできそうならそれでいいじゃん。

拡散する、ノイジィヴォックス

拡散する、ノイジィヴォックス

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-08-12

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