もったいない

遠藤健人

件名:じーじの三回忌について

お父さん、お久しぶりです。
お元気ですか。お仕事お忙しいとは思いますが、たまにはこちらに帰って来てくださいね。

さて、来週はじーじの三回忌、亡くなってからもう2年が経つのですね。山形のタケルおじさんとも1年ぶりということになりますが、元気にしていると良いのですが。

ところで、短い小説を書いてみたんです。ご笑覧ください。

 祖父の三回忌法要の日、快斗は玄関先でうずくまった。突然のことに戸惑う母親に彼は言った。
 これ以上先に進めないので、お母さんだけで行ってください。
 それから快斗は、どうしても行きたくない、ごめんなさい、といった言葉を繰り返すだけになった。母親は快斗の父に電話をかけたが、その電話に対しても彼はひたすら謝り続けた。
 母は、えー本当にー? 本当なの? でも一緒にいてあげなくてもいいの? でも私も行かないわけにもいかないし…、新幹線のこともあるし…、でも大丈夫なの本当なのね? などと言いつつ、何か抗い難い力に吸い寄せられるように徐々に徐々に家から引き離され駅の方へ向かっていった。快斗は後ろ髪を引かれるとはこのことだなぁとなぜか他人事のように思いながらそれを見送った。
 家に入り、快斗は喪服代わりのスーツを脱ぎながらわけもなく家中をうろうろ歩き回った。頭がぼうっとしていたが、明るくて暖かいところに行かなくてはとふと思い、居間の窓際の床に、へなり、と座り込んだ。今日会うはずだった山形の親類縁者たちの顔が、うまく回らない頭に一人ずつ浮かんできた。と、彼の意思に関わりなく体が唐突に跳ね上がり、猛烈な勢いでトイレに駆け込んだ。彼の胃は何かを吐き出したがって痙攣していたが、何も出てこなかった。こんなにまじまじと便器の中を覗き込むのは初めてだと、またも他人事のように彼は思った。
 快斗にはこの2年間、毎日欠かさず反復し続けた言葉があった。それは2年前の葬儀の日、祖父の兄の嫁の妹とかなんとかそういう関係の親類がお(とき)の席で放った言葉だった。快斗が26歳でまだアルバイト経験しかなく実家に引きこもってばかりいるということを知った彼女はこう言った。
 あらそうなのー。もったいないわねぇ。
 もったいないって、何が?
 この人生が? 自分がいま占拠しているこの空間が? 喜んだり悲しんだりしてきた時間が? 自分のために費やされてきた教育費や食費や医療費が? 自分が利用してきた学校やら病院やら道路やら何やらに投入されていた税金が? これまで自分のために向けられてきた優しい励ましや厳しい叱責の言葉が? 自分に関わってくれた人々の愛情すべてが?
 なにもかも、俺ごときにはもったいなかったか?
 何も生産していないこの命はもったいないか?
 もちろんそんなことは誰も言っていない。まだ若くてなんでもできるんだから家にこもってばかりではもったいないぞ、という意味での発言だったのだろう。そんなことくらいわかっている。
 しかし、だったら「もったいないぜ!」と明るく言ってほしいのだ、と快斗は思う。その親戚は祖父の死に対するのと同じくらい悲しげな顔をして「もったいない」と言った。他の親戚もそうだった。一体自分とどういう関係にあたるのかわからない様々な人々が「快斗君はまだ学生?」とか「お仕事は何を?」などと、快斗自身よりもむしろ彼の母親に対して訊いてきた。そして、訊いてきた人間も、「まだ働きに出ていないんです」と申し訳なさそうに答える母も両方「お悔やみ申し上げます」みたいな表情をするのだった。申すな申すな、俺に無断で、と快斗は思った。また、一人ずつ別々に訊いてくるのも鬱陶しくて仕方なかった。いっそ『ニート』と書いた札を胸につけておけばいいかもしれないと彼は思った。腫れ物ですよとこっちから宣言しておけば、誰も触ってくる者もいなかったであろう。
 快斗は彼らに対して悪い感情は一切持っていなかった。総じて彼らは思いやりと節度にあふれた善い人たちであったし、くどくど説教をしてくる人間は一人もいなかった。しかしそれでも、何一つ知りもしないくせに自分の人生を「もったいない」ものだと勝手に憐れんでくる人々に彼は会いたいと思えなかった。数年に一度会うかどうかの人間に、自分がこの命をもったいなく浪費しているとどうしてわかるというのだろう。
 ここは安全だ。やはり行かなくてよかったなと彼は思った。昨年の一周忌の時は、トイレに長時間こもったり携帯に着信があったふりをするなどして極力やり過ごしたが、そんな努力をするくらいならはじめからこうして自宅の便器を抱いてじっとしている方が話が早い。快斗の胃はまだびくんびくんと踊り続けていた。それはお好み焼きの上のかつお節を思い起こさせた。誰の何の意思によるのでもなく、やつらは踊り続ける。しかし、どれだけえずいてもやはり快斗の中から出てくるものは何もなかった。よかったよかったと彼は思った。せっかく与えてもらったエサを吐き出してしまうのは実にもったいないことだ。
 便器の中には自分の影だけが黒々と映し出されていた。それを見つめながら、快斗は自分にはもったいないくらい爽やかすぎるこの名前も祖父がつけてくれたんだっけと思い出した。そしてついつい「死者の呪い」などという言葉を脳裏に浮かべてしまい、小さな水面に向かってごめんなさいごめんなさいとつぶやき続けた。

もったいない

そういうわけで、来週の三回忌法要は欠席いたします。申し訳ございません。

快斗

もったいない

動きたくても動き出せないこともある。2,212字。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
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