書斎のかおり、金蝙蝠。長い夢の後味は?

お久しぶりです。一久一茶です。

梅雨ですね。蚊が多いですね。こんなに湿気の多い日は絶好のタバコ日和ですね。あ、題名の金蝙蝠はタバコの銘柄の和訳です。

あなたの事は忘れません

そんな結びで終わる最後の手紙は、もう涙でインクが滲んでいた。お前がいなくなってからひと月が経ち、書斎もすっかり散らかっていた。散らかっているのは今に始まったことではない気もするが、最近特にそう思う。
そんな感じだからか、お前の最後の手紙を読むんだのは今になってからだった。本棚と本棚の間に挟まっていた薄桃色の便箋がふと目に留まり、開いて見て良かった。お前がまだいた頃なら中身もろくに確かめず捨てていたかもしれない。

手紙を読んでいると、お前と出会った日のことを思い出だした。

あれは忘れもしない、土砂降りの雨の日だったな。何とか中町のアーケードまで走ってきた俺は、そこの商店で傘を買ったんだ。それも財布の中身がちょうどそれだけしかなくて、運が良かったと一息ついてたところにお前が俺と同じように走ってきたんだったよな。白のワンピースが泥はねで汚れてて、どうしようって顔してたのを鮮明に覚えているよ。今思えば二人とも傘を持ってなかったなんて馬鹿だなと思うけど、あの頃の天気予報なんてしょっちゅう外れるもんだから仕方なかったのかもしれない。だがお互いそんな感じだから、あそこで俺がお前に傘を渡せたんだなと思う。
そして数日が経ち、晴れたあの日にアーケードの入り口でまたお前を見かけたときは、びっくりしたよ。あの時の女の人だというのもあるけど、こんなに美人だったっけつで感じで。お前もあの時の傘を貸した俺だと気づいて話しかけてきたんだったよな。まさかそれがこんな長い付き合いになるなんてその時の俺は思いもしなかったよ。
苦しい時も、嬉しい時も、常に隣にお前がいた。元々言葉足らずの俺だから、色々喧嘩もしたな。でも決まって次の朝になると俺から謝って仲直りしてた気がする。だっていくつになっても出会った頃のお前と変わらないから、顔を合わせた瞬間にその頃のこと思い出して毒気を抜かれた感じでつい謝ってしまうんだよ。それくらい、俺はお前に惚れてたってことでもある。それなのに・・・・・・

「何で居なくなるかねぇ・・・・・・」
外は雨だ。蒸し暑い部屋の中は蚊取り線香の匂いがする。この匂いはとても落ち着くもんだ。本が好きだった俺は昔から書斎では火の気を嫌い、好きだった金蝙蝠(ゴールデンバット)も外で吸うようにしていた。でも田舎の方に一軒家を建ててからは蚊が特に多かった。で、煙の出る渦巻きの線香の方が効くからってお前が聞かなくて、仕方なく使っていると今じゃこの匂いが落ち着くようになってしまった。
書斎を出て、俺は縁側に出た。相変わらず大きな雨粒が庭の砂利を叩く音がする。きっと跳ねて家の中まで入ってくるかもしれないが、構わず窓を開けた。いつも決まってここは気分転換をする場所になっていた。灰皿を隣に、金蝙蝠の封を切って一本取り出し火をつける。幸い、飛沫が飛んでくるほうが葉に湿り気がついて金蝙蝠には良いかもしれない。いつも安臭いのじゃなくても良いのよってお前は言ってたけど、むしろこの気ままな味の方が俺好みだ。手間をかけて丁寧に吸えば、芳醇なラム酒の甘い香りが鼻に抜ける。でもちょっとでも雑に扱えば、苦味や雑味と辛味が出てくる。でもそれも含めて金蝙蝠。いつでも優しく扱えばいいだけのこと。それが分かっていれば、他のものなんていらない。
でも、金蝙蝠では分かっていても、お前が相手となるとそう上手くいかなかった。仕事で忙しいとき、疲れているとき、もっとお前に優しく出来ていれば、喧嘩も少なかったろうに。そう言えばさっきの手紙に、「あなたが疲れてる時に、私は分かっていたんだけれどつい寂しくてきつく当たってすみませんでした」って書いてあったけど、むしろ俺からも謝りたい。仕事よりお前の方が大事なのに、優しく出来なくて申し訳ない。月並みな言葉だけど、お前がいればそれで良い。でも、それは知ってはいたが、このひと月で更に痛感している。だからこそ、何故居なくなったんだと、どうしようもない文句がつい出てしまう。何故、俺より先に居なくなったんだよと・・・・・・

広い家にひとり、台所に立ってひとり分の飯を作るのにも少しずつ慣れてきた。酒を片手に寂しくテレビと向かい合わせで飯を食う。お前が居たときはずっとお前が今日あったことなんかを喋るから、テレビなんてつけたことなかったけど、今じゃこれがないとどうも落ち着かない。
悪い夢なら醒めてほしい。この家には、お前の痕跡が多すぎる。俺の頭には、お前の記憶が多すぎる。何をするにも、どこにいようとも、お前のことを思い出してしまう。それはどれも甘い記憶で、でも後味は最悪だ。調子に乗って浸っていると、後でガツンと胸を突き、目に染みる。折角お前が書いてくれた最後の手紙も、汚してしまったほどだ。長い夢だ。今でもお前が玄関の戸を開き、「ただいま」って微笑みながら帰ってくるのではないかと思ってしまう。「あれは嘘だったの」と無邪気に笑い帰ってくるのではないかと。

書斎に戻った。灰になった渦巻きを捨て、新しいものに火をつける。上手くつかないなと思うと、そういえば今まではお前がつけて持ってきてくれていたなと思い出す。湿り気を帯びた渦巻きはまだ火がつかない。俺は諦めて受け皿に渦巻きを置いた。
それにしても、悪い癖が抜けない。お前のことを思い出すと、途端に物事が前に進まなくなる。仕事の原稿も、家事も何もかも。考えないようにと思えば思うほど、お前の顔が脳裏に浮かび、酷く涙が出てしまう。それほどまでにお前の存在は大きいことに気づかされる毎日だ。だが、お前の思い出はどれも甘い記憶だ。それが何故こうも切なく、そして苦しく辛いのか。久々に書斎で金蝙蝠に火をつけたその時、ちょっと分かった気がした。
これは夢じゃないのだと。俺の前からお前が居なくなったその日、長い夢から醒めたのではないのかと。夢から醒めれば、当然現実が待っている。俺がお前と過ごした日々は、夢のようだった。でもあれは当たり前の日々のように見えて、かけがえのない日々だったのだ。そしてそれは、現実に戻ったと考えるか、当たり前の日々を失ったと考えるかで、味わいは大きく違う夢なのだ。そう、この金蝙蝠のように。当たり前のように後味が甘いとは限らない。でも、優しく扱えばとても幸せで・・・・・・このひと月、俺はそうしてこなかっただけなのかもしれない。

外は雨。大粒の雨が物置の屋根にリズムを刻んでいる。

ふと視線を下ろすと、手紙には

「あなたも身体に気をつけて下さいね。煙草も程々にね」

それを見て、最後の一口をゆっくり味わって、フィルターを灰皿に投げた。
その後味は、甘く、胸に残る悲壮感を丸ごと消し去ってくれた気がした。

涙が出た。でもそれは煙が染みただけ。

ということにしておこう。この後味は、絶対に忘れまい。

書斎のかおり、金蝙蝠。長い夢の後味は?

お読みいただきありがとうございます。

一久一茶は最近あいこすにしました。それまでは長らく金蝙蝠を常用していたのですが、流石は流石金蝙蝠のコスパの良さに日々驚きつつもあいこすを買う毎日でございます。でも最近金蝙蝠の値段が260円から290円に上がったそうな。残念ですね。まぁ、それでも他の銘柄より150円〜170円ほど安いんですけどね

書斎のかおり、金蝙蝠。長い夢の後味は?

最愛の人が姿を消した。 その後遺された人はどんなに辛いか。そしてそれをどのように消化して日々を送るのか。

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更新日
登録日
2017-06-23

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