Fate/defective c.08

幕間 Ⅲ

気が付くと、迷い込んでいた。
地平の彼方まで続く有象無象の山。積み上げられた瓦礫ともガラクタともつかない何かが、四方八方を埋め尽くしている。膝の高さまであるその海のせいで、歩くこともままならない。
ひとつ、拾い上げて眺めてみる。元の形を留めてすらいない、どろどろに溶けた「何か」は、つまみあげた衝撃でパキンと割れて粉になった。
ここは夢か。サーヴァントがマスターの深層意識に潜り込んでしまうことはたまにあると知っていたので驚きはしなかったが、それでも彼――那須与一は、あたりを見回して呆然とした。
ここがあのマスターの夢の中だというのか?
何もない。
いや、全てがあるのだ。壊れたぬいぐるみ、積み上げられた歴史書、金属の破片、数多の手紙、魚の骨、割れたフラスコ。そして原形をとどめていない数多くの物質。全てがあるのに、ここにはまるで何も無いかのような虚無を感じる。
途方に暮れながら、足元のごみの海をガラガラと蹴飛ばしながら進む。しばらくして、向こうにぼんやりとした人影を見つけた。
「……カガリ?」
呼びかけても返事はない。足をとられながら四苦八苦して近づいてよく見ると、それは確かにカガリだった。彼女はただぼんやりとした虚ろな目つきで地平線を見つめている。
「カガリ、カガリ。しっかりしてください。ここはあなたの夢の中でしょう……って、どこ行くんですか」
与一が話しかけているのを無視して、カガリはふらふらと歩き出した。その目は一点しか見つめていない。普段の彼女とはあまりにも違う、狂気的な気配を察して、与一は思わず体を強張らせた。彼女はカガリ本人ではないのではないか、そんな気さえした。

「あの子はね、いつもああなの。ごめんなさいね」
ふと背後で声がして、後ろを振り向くと1人の女性が立っていた。歳はカガリと同じくらいだろうか、顔つきもどことなくカガリに似ていたが、カガリ本人ではない。穏やかな笑みを浮かべ、なんとなく懐かしさすら覚えさせる彼女は、与一に向かって会釈のように首を傾げてみせた。
「貴女は?」
「わたくし?ええと、わたくしは……もうこんなたくさんのものに囲まれているから、自分が誰なのかわからないの。だけど、ええ、わたくしは確かに、きっと、あの子のおばあちゃん、だわ」
カガリの祖母と名乗る女性はのんきにうふふと笑ってみせた。言われてみれば、このどこか悠長な構え方はカガリと似ていなくもない。
「どうしてこんなところに?」
「それは、あなたと同じ理由だわ、素敵なアーチャー。ここは彼女の頭と心の、ずうっと深いところなの。わたくしは、忘れられないように、大切に閉じ込められました」
カガリの祖母は皺一つない、張りのある顔で微笑んだ。その表情に、憂や鬱々しさ、虚ろさは無い。全てが齧りかけで積み上げられたこの場所で、ただ一輪だけ咲いた花のように彼女は笑い、独りごちた。
「でも、良かった。あの子は、ちゃんとあなたを喚ぶことができたのね」

与一はカガリのいる方向を振り向いた。ガシャガシャ、ガラガラ、とがらくたをかき分けて歩く音が遠のいていく。その姿は、黄砂のような霧の向こうに霞んでまるでぼやぼやしている。どこに行くのだろう。あれは本当にカガリ本人なのだろうか。与一にはどうしても、そう思えなかった。
「あれは…本当にカガリなのでしょうか?」
「カガリ?……あぁ、あの子のことね。ええ、ええ、もちろんあれは彼女本人ですよ。そうですとも」
「けれどいつもの彼女と、大分違うように見えます」
「それはそうだわ。ここはあの子の深層意識。深く根付いて切り離せないものだけが眠る場所。わたくしをここに閉じ込めたように、あの子はまた、自分でさえここにしまい込んだのです。カガリ…カガリと言いましたね、あの子があの子であるために、最も重要な欲がここにある」
与一は彷徨う彼女を目で追ったまま言った。
「つまり、あの姿こそカガリの本質だと?」
返事はなかった。
遠くの方で、彼女はがらくたをかき回して何かを探している。長い金髪が流れるように肩に垂れ下がり、なお美しく揺れている。激しくごみをかき分ける彼女の手は擦り切れて血が滲んでいる。遠すぎて見えなくとも、与一には手に取るように分かった。
「あの子はいつもああなの。ごめんなさいね。あなたには迷惑をかけると思うわ」
手を握られて、はっとして祖母の方を振り向く。彼女はいつしか1人の老婆になっていた。皺だらけの骨ばった固い手で、与一の手をしっかりと握る。
「あの子は孤独だった。自由である代わりに、孤独だった。わたくしが、あの子を孤独にしてしまいました。でも今はあなたがいるから、もう安心ね。あの子を、お願いね。決して、決して――1人で死なせないで」

与一は弾かれたように走り出した。老婆の手を振りほどき、後ろを振り返らずに。一歩ごとに潰れ、砕けていく、カガリが積み上げてきた「何か」を物ともせず、ただ彼女1人に向かって走り続けた。
カガリが進む先には、巨きな空洞がある。真っ暗で、何もない、それこそ虚無の穴。けれどそれはひどく魅力的に見えた。あの先には何があるのだろう、という魅惑。カガリの小さな背中が、少しずつ穴に向かって前進していく。
カガリの夢に迷い込んだのではない。
これは僕の夢の中でもあるのだ。
「カガリ!」
手を伸ばす。1人で死なせないで。ああ、もちろん。僕は――

僕は最初からそのつもりだった。


カガリの背中に飛びつく。けれど彼女は前進をやめない。僕とほとんど背丈は同じなのに、食い止められない。なお進もうとする。
「しっかりしてください、カガリ!このままでは――」
無我夢中で彼女の耳元に叫ぶ。
駄目だ。間に合わない。彼女のつま先が穴の淵に引っかかり、体がぐらりと傾く。
「……アーチャー?」
僕の手が落下していくカガリの細い手首を掴んだ瞬間、彼女の目に光が戻った。
彼女は微笑む。
その表情は「彼女」にそっくりだった。
「来てくれたの、アーチャー。ごめんなさいね。わたし、迷惑をかけているわ」
「いいえ。……いいえ、あなたの事です、今更ですよ」
彼女はふふふと可笑しそうに笑った。僕は彼女の手を握ったまま、穴の淵から足を離す。
暗い。何もない。全てがある。そこに向かって、カガリと2人で飛び込んだ。
もし彼女が欲のままに彷徨しているとしても。
1人で行かせはしない。



そうして、落下する途中で、闇の中に絵巻のように浮かぶ様々なものを見た。馬と船の並んだ浜辺、分厚い本の並んだ書斎、甲冑がガシャガシャと擦り合う音、ページを何枚もめくり続ける音、風にたなびく旗、空に飛んでいく風船、海のさざめき、人々のひそひそ話、対岸で踊る老人、締められるドアの音、きりきりと弓を絞る自分の手、そしてその合間にはっきりとした声たち。
「――クラウディア。いい加減にしてちょうだい――」「あの扇の真ん中を射て、平家に見物させよ――」「ロイスナー家の魔術を受け継がないというの?――」「――義経の命に背いてはならぬ――」「あなたは――」「あの若者は――」
全ての声が、濁流のような船端を叩く音と歓声に呑まれて流されていく。と思えば、ごく小さな声のやりとりが上からやって来る。

「あの子は、魔術より歴史に興味があるとか」
「世も末ね。あの子の親がどんな気持ちであの子を育てたのか、まるでわかっていないなんて」
「ロイスナー家も短い栄華だったな」
「全くあの異端は、何を考えているんだか」
「あの子と仲良くしちゃダメよ。気が狂っちゃう」
「親の後継にもならない一人娘なんて、なんの意味があるのかしら」
「ああ、いやだ。奥さまと旦那様が哀れで仕方ない」



「おばあちゃま、今日は何のおはなし?」
「ええ、ええ。わたくしの可愛いクラウディア。今日は、そうね、東の国で、船の上の扇を射抜いた立派な若者の話をしましょう」
「東ってどっち?オウギってなに?」
「いそがないで、クラウディア。順番に、何でも教えてあげますからね」
「わたし、きっとイングランドの女王様の話の方がすきよ」
「そうね、あなたは本当にあの御令嬢の話が好きだものね。でも、おばあちゃんには分かります。あなたは全ての物語を好きになれる。さあ、膝の上にお座りなさい。そう、それはその人が二十歳のとき。濃紺に赤地の錦を着て、萌黄威の鎧を纏った彼は――――」




『でも、良かった。あの子は、ちゃんとあなたを喚ぶことができたのね』




はっとして目を覚ます。ソファーから勢いよく身体を起こし辺りを見回すと、そこはいつも通りのマスターの家のリビングで、彼女はもうひとつのソファーの上で眠っている。閉じたカーテンから朝日が差し込んでいた。今日は何日目だ? アーチャーは壁に掛けられたカレンダーを見て、今日が聖杯戦争の4日目の朝だと確認した。
「……」
何か、夢を見ていた気がする。サーヴァントは眠る必要がないのに、かなり深く眠り込んでいた自覚がある。だが何を見ていたのか思い出すことができない。
ただ、悪い夢ではなかったような気がした。
胸の中に、温かい湯のように心地よい感情がじんわりと広がる。こんな気持ちになったのはいつぶりだろうか。僕はどんな夢を見ていたんだったか……思い出そうと頭をひねっても、霧を握ろうとするかのように記憶はするすると逃げ回る。そうしているうちに、何だったのかさっぱり忘れてしまった。
けれど、不思議な心地よさは相変わらず胸のうちにある。
「……さて」
夢の余韻に耽っている暇はない。
彼は、マスターを起こすため、ソファーから降りた。彼女は昨晩アーチャー本人が掛けたブランケットにくるまって子猫のように眠っている。彼はそれを剥がしながら、精一杯の皮肉交じりに声をかけた。
「クラウディア、朝ですよ。いつまでふて寝している気ですか? さっさと起きて顔を洗ってきてください」

Fate/defective c.08

to be continued.

Fate/defective c.08

幕間Ⅲ

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-06-20

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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