眠れぬ夜は君のせい【スピンオフ⑤】 ~ キタジマ シュン エンド ~
■第1話 少年のような
『シュンちゃん、絵うまいね~!』
田舎の風景にもうすっかり馴染んだ、そのアトリエ。
祖母キヨの家の隣、大きな桜の木の下にポツリと簡素な掘っ建て小屋がある。
伸びた大振りの枝についた新緑の若葉が幾重にも重なり合い、適度な日差し
と心地良い木陰をつくり出す。
アトリエの飾らない少しくたびれた感じに、キタジマらしさが滲み出ている。
(馴れ馴れしいファンだな・・・。)
キタジマは相変わらずヨレヨレの絵具だらけのシャツで、タバコを咥え筆を
握っていた。
アトリエ内には絵を描く以外に必要な物は殆どなく、唯一あるトランジスタ
ラジオは祖母の自宅にあったものを借りて来ていた。それはまるで骨董品店
から出て来たようなアンティークな品だったが、なんとも良い具合に擦れた
耳にやさしい音楽を流してくれる。室内には流行歌が小さく響いていたが、
キタジマの耳には殆ど入ってなどいない。心地良い雑音を無意識に愉しんで
いるようだった。
ここにアトリエを構えてからというもの、わざわざこんなド田舎に世に言う
”ファン ”という種類の人間が勝手に訪ねてくる事が多くなり、キタジマは
正直辟易していた。そんな表立ってアトリエ住所を公表した訳でもなければ
至極当然だがSNSなどするはずもない。どこでどうやって調べ上げたのか
皆目見当つかないけれど、キタジマのアトリエはやけに賑わっていた。
それでなくとも騒がしいのが嫌いで、ましてや見ず知らずの人間など関わり
たくもないというのに。
その変なファンに向け素っ気なく『どうも。』 一瞬だけ、一瞥する。
ショートボブの痩せた姿は派手なTシャツにショートパンツ姿で、髪の毛が
もっと短ければ女性だという事すら危ういくらい女らしさの欠片もない。
防御壁もなにも無い大口開けて笑う日焼けしたその顔は、まるで夏休みの小
学生のようだった。
その夜のこと。
キヨと囲む、ふたりきりにすっかり慣れた夕飯の食卓。
テレビから流れる大袈裟なほどの笑い声と、開け放した夏の庭から虫の音。
互いの咀嚼する音と箸が皿に当たる音が響く、穏やかないつも通りの夕げ。
キヨが突然、思い出したように口から箸を離して呟いた。
『そう言えば・・・
ミチさんトコのマコトちゃんに会ったか~?』
(マコトちゃん・・・?)
『・・・んぁ? 誰だっけ?』 焼き魚の骨が思うようにはずれず、それに
集中しながらキタジマが片手間に返す。
キヨが丁寧に事前に乾煎りをして塩を振った鯵は、生臭みがなくうまみ成分
がギュっと詰まっていて美味しかったが、中骨をはがした後の残った小骨が
厄介でそれと格闘していて殆ど話半分にしか聞いていない。
『ほら~・・・
子供の頃、夏休みによく遊んでたろぉ~。』
キヨの言葉に、骨をはずす箸の手を一旦止め少し考え込んだキタジマ。
幼少の頃から、夏休みなど長期の休みの度にここへ遊びに来ていた。その
当時は祖父もまだ生きていて、釣りを教えてもらったり山歩きに連れて行
ってもらったり、祖父母宅にやって来るのが楽しみで仕方がなかったのを
懐かしそうに思い出す。
『ああ・・・ マコト!
はいはい、マコトねぇ・・・
・・・懐っかしいなぁ~・・・
ぇ? 今、こっちに来てんの?
俺んトコには来てないけど。
今日は・・・ 変な女がひとり来ただけだし。』
『・・・それじゃないんかぁ?』 キヨが再び口の中に白米を押し込み、
味噌汁で流し込みながらモゴモゴと不鮮明に呟く。
キタジマも再び鯵に目を落とし、ポツリ。 『・・・だから女だって。』
『・・・あ?』
『・・・え?』
両者、話しが噛み合っていない空気に箸の手を止めて顔を見合う。
『それが、マコトちゃんだろうが。』
『・・・・・・・・・・・・・は?』
『ぉ、お前・・・・・ 女だったの?!』
口が半開きで唖然とするキタジマの前に立つ、ショートボブで痩せていて、
Tシャツにショートパンツで大口開けて笑う日焼けしたその女は、あからさ
まに不機嫌そうに顔をしかめ、小さく舌打ちを打った。
『・・・・・・。
なにサラっと失礼なことゆってんの?
・・・アナーキーな新進気鋭アーティスト気取りか? オイ。』
その男勝りな語り口調を耳に、キタジマの記憶の扉がパッカーンと観音開き
し一気に溢れだす。
小学生の当時。夏休みにだけやってくる、近所のミチばあちゃんのところの
孫とよく遊んでいたキタジマ。
キタジマより2才年下のマコトとは、一緒に虫取りをしたり、釣りをしたり
墓地で肝試ししたり、日が暮れるまでふたり、駆け回っていた。
真夏の太陽みたいに、笑う奴だった。
キタジマのことを ”シュンちゃん ”と呼ぶマコトは、短い髪でTシャツで
短パンで、真っ黒に日焼けして・・・弟みたいに思っていた。
当たり前の幼児体型に、男児だと今の今まで疑いもしなかった。
遠慮もなくキヨ宅に上がり、縁側に腰掛けるマコトの痩せた背中をキタジ
マはただぼんやり見ていた。
■第2話 マコト
『マコトってなんでコッチ来てんの?
会社の夏休みにしては・・・ 時期、早くねぇか?』
マコトが帰って、また祖母キヨとふたり。
まるで当たり前のような顔をしてキヨ宅の縁側でうちわ片手に涼み、スイカ
を食べ麦茶を飲んだその少年のような小柄な背中は、『じゃ。』と突然一言
だけ残しパタパタと田舎の藍色の夜闇に消えていった。
ライターでタバコに火をつけ、ついでに蚊取線香にも炎を向けて柱に背をも
たれたキタジマがキヨにポツリ訊く。
座った位置から縁側の隙間に見える琥珀色の月を眺めながら。
室内に微かに流れ込む風に、蚊取線香の白い煙が優しくくゆって香る。
『さぁな~?
・・・早目に休み取れたんじゃないんかぁ?』
『ん~・・・。』 なにか腑に落ちない様子のキタジマに、キヨが笑う。
『気になるなら、本人に訊いてみればよかろに。』
(でも・・・
なんかワケ有りだったら、アレだし・・・。)
『いや。 別にいーんだけど。』 そう言って、タバコの煙をそっと吐いた。
モヤモヤした白い煙が顔の前に立ち込めて、せっかくの目映い琥珀月が少し
だけぼやけた。
翌日も、マコトはアトリエにやって来た。
画材やら作品についてやらイチイチせわしなく質問を浴びせ、そのくせ訊い
た割りには然程興味なさそうなその子供っぽい横顔。
キタジマの筆は一向に進まない。最初は矢継ぎ早な質問にも気怠そうに一応
答えてはいたものの、流石に限界に達し思わず大きな声を上げてしまう。
『お前がいると進まねーよ! 外いって遊んで来いっ!!』
言い放って、その瞬間。
自分の発したそれを自分の耳で改めて聞いて、自分で驚く。
マコトと顔を見合わせ、互いに微動だにせず沈黙・・・
『コドモじゃねーか・・・。』
『コドモじゃないからっ!!』
次の瞬間、ふたりして呆れ顔で笑った。
言い訳するわけではないけれど、マコトの外見は何処をどう、どの角度から
見たって30過ぎた女性になど見えなくて、若くて。 否、若いというより
やはりそれは ”少年のよう ”で、どうしても落ち着きの無い子供と一緒に
いるような気になってしまうのだ。
一度吹き出してしまったらなんだか一向に笑いがおさまらなくて、キタジマ
は半ば諦めて筆を机に放った。
壁に立て掛けてある簡易イスを掴むと、マコトに無言で押し付ける。
『ん。』と受け取り、イスのアルミ製の脚を開きちょこんと座るマコト。
その座った姿ですら、退屈そうに脚をブラブラと揺らしやはり子供の様で。
それを横目に、キタジマもいつもの擦り切れたイスに深く背をもたれた。
『・・・いつまでコッチにいんの?』
キタジマの問いに、そっと俯き少し考え込んだマコト。
それは訊かれるのを恐れているような、やはり訊かれてしまったかと諦め
ているような横顔で。
『いつまで居ようかねぇ~・・・。』と机の上の絵具を手に取り、指先で
弄びながら答える。その声色は、ほんの少し嘲笑うようにこぼれた。
なんとなく感じた微妙な空気感に、キタジマはそれ以上訊く事はしなかっ
た。静かなアトリエにラジオからリスナーのリクエスト曲が小さく流れる。
確か、90年代に流行った4人組グループの曲だ。
ふたりの間に、言葉に出来ない居心地の悪い沈黙が流れつづける。
無言の時間に少し気まずくなり、壁に掛かる時計に目を向けるともう昼だ
った。
『昼だな・・・ マコト、メシは?』
『食べる。』 そう一言いうと、ガバっと立ち上がりアトリエを小走りで
パタパタと駆けて行くマコト。
その背中は、迷うことなく真っ直ぐキヨ宅に向かいながら叫んでいる。
『キヨばぁああ!!
・・・あたしの分もお昼あるぅぅううううう???』
『自分ん家で食えよ・・・。』 キタジマが笑いを堪え、頬を緩ませた。
■第3話 缶ビール
キタジマとマコトとキヨ3人で昼食をとった後も、マコトは再び午後もキタ
ジマのアトリエに居座り、日が暮れて夕飯時になってもまたまるで当り前か
のようにキヨ宅の食卓についていた。
『お前んトコの祖母ちゃん、寂しがんねぇ~の?』
あまりにキヨ宅に入り浸るマコトに、キタジマがマコトの祖母ミチを思って
チラリ横目で流し見ながら訊く。
すると、
『うるさい、って。 あたしがいると。』
マコトが何処吹く風といった涼しい顔で、さらりと言った。
大き目の煮物のかぼちゃを箸でカットもせず思い切り口に頬張り、もぐもぐ
と息苦しそうに咀嚼中だというのに、もう箸は次の里芋を掴んでいる。
元々、物静かなミチ。”穏やか ”というのはこういう人を言うのだと思う様
なタイプだ。孫マコトの四六時中落ち着きのない言動に、24時間ずっと一緒
にいるのは無理だと、初日でもうギブアップ宣言が出たようだった。
『ウチのばあちゃんにも言われた。
”外で遊んで来い ”、って・・・。』
そのデジャブの一言に、飲んでいた食後の麦茶を吹き出すキタジマ。
背中を丸め、慌てて口元に垂れたお茶の雫を手の甲で拭う。
肩を震わせて笑いながらマコトの様子を眺めるも、本人はなにも気にしてい
ない風で、居間のレトロな扇風機の真ん前にドシンと胡坐をかき目を瞑って、
短い髪の毛を緩い風になびかせている。
そして、
『アラサーですよ、ワタクシ。
アーーー ラーーー サアアアアアアアアアア・・・。』
その声色は、扇風機の風の揺らぎに共鳴して機械音のように響く。
首を振る扇風機に付けたビニール紐が、マコトのそれに併せてピラピラと
なびいて揺れる。
マコトが継いだ二の句に、更にキタジマが大きく麦茶を吹き出した。
『ぉ、おまぇ・・・ もう喋んなって。』
電話台に置いてあるティッシュを取りに立ったキタジマが、苦い顔をして
鼻をかんだ。麦茶が思い切り入った鼻の奥がツンと尖った痛みを発する。
これ以上マコトの話を聞いていたら、茶色い鼻水が流れること必至だ。
まだ扇風機前で胡坐をかき、ぬるい風に目をつぶる少年のようなアラサー
女の首後ろに、キタジマは冷蔵庫から持ってきた冷えてキンキンのビール
缶を半笑いでくっ付けた。
『冷たっ!!!』
目を見開いて肩をすくめ振り返るマコトへ、『飲む?』と缶を小さく放る。
すると、マコトは缶ビールを手にまじまじと目を落とす。
両手で包んだそれを、俯いて瞬きもせず。なんだかそれは感情の読めない
虚ろな目で。
そして、ポツリ。聞き取れるかどうかの声で、小さく呟いた。
『もう、解禁だったんだ・・・。』
■第4話 後悔
縁側でキタジマとマコト、ふたり並んで座りビールを飲んだ。
目の前に広がる、夏の夜の庭。
薄暗い闇を小さく照らす月明かりに、向日葵の陰影がやさしく浮かぶ。
ツルを巻いて天へと延びる朝顔は、暗がりに蕾の頭を垂れている。
両手に握るビール缶をぼんやり眺め黙ったままだったマコトが、静かに口
を開いた。
『ねぇ、シュンちゃん・・・
・・・死にたいくらい、後悔してること・・・ ある?』
キタジマは驚き目を見張ってマコトの方へ顔を向ける。
驚いたのは、その声音。先程までの子供のような騒がしいそれと同一とは思
えない、ひどく心細く哀しい響きだった。
『ん~・・・
・・・お前は? あんの・・・?』
再び真っ直ぐ夜の庭に目をやり、キタジマが小さく呟く。
そして片手に掴んだビール缶を口につけ傾けるも、それはとっくに飲み切っ
て空だ。二人で座る縁側にそっと空缶を置くと、カコンと小さな音がした。
すると、マコトは肩をすくめてうな垂れた。
縁側で揺らしていた裸足の脚を上げて体育座りをすると、腕で抱え込むよう
に小さくコンパクトに体を縮こめ、すっかり顔を隠してしまった。
キタジマの質問返しへの返事は無かった。
小さく息を吸って吐く音だけが満天の星空にくぐもって消える。
しかし、缶をグシャっと握った小さく震えた手がその答えを伝えていた。
相変わらずアトリエに来ては、簡易イスの背もたれに抱き付くように後ろ向
きに座り、退屈そうに絵具を指先で弄んでいるマコト。
キタジマの絵には全く興味がないようだった。
先日のような無意味な質問攻めが無いので、キタジマもマコトのことは気に
留めず黙々とキャンバスに向かっている。
しかし、キタジマはたまに気になってマコトを横目で盗み見ていた。
後頭部に寝癖が飛び跳ねている。ヒョロヒョロに細い日焼けした二の腕。
イスの背もたれに突っ伏すように顔をうずめ、ぼんやりとなにか考え事でも
しているような横顔で。
ふと、あの夜のマコトの言葉を思い出す。
(・・・死にたいくらい、後悔してること・・・ ある?)
マコトに ”何か ”があるのは確かだった。
誰かに聞いてほしい話があるはずなのだ。聞いてほしいけれど、言いたく
ない、言いづらい話を内に秘めているように見えて仕方がないのだ。
でも、その痩せた背中は何も言わない。
あれ以来、哀しげな顔さえ見せない。
(ちゃんと、どっかで吐けてんのかな・・・
誰かの前で、泣けてんのかな・・・。)
思わず筆を握る手を止め、じっと見つめてしまった。
その瞬間、顔を上げたマコトと目が合った。
すると、バツが悪そうに咄嗟に逸したキタジマ。
『・・・なに?』 マコトが少し目をすがめる。
そして、不満気に口を尖らせ眉根をひそめて語彙を強めた。
『今日はなんにも喋ってないじゃん!
別にうるさくしてないでしょっ?!』
実は、煩がられる事を内心結構気にしていたマコト。
『 ”外行け ”、とか言わないでよね・・・。』 まるでいじける子供の様
にイスから投げ出した細い脚をブラブラと不機嫌そうに乱暴に揺らす。
その幼すぎる反応に、キタジマは声を上げて笑った。
なんだかもう描く気分ではなくなってしまって、散らかった机の上に筆を放
ると一度大きく伸びをして、『散歩でも行っか?』
新しいタバコを1本咥えたキタジマが、マコトに目をやり声を掛ける。
『ん~・・・?
ぁー・・・ ぅん・・・。』
マコトは全くノリ気ではない感じを隠しもせず、ノソノソと気怠げに立ち上
がり先にアトリエを出たキタジマの猫背の背中に続いた。
■第5話 忘れる方法
ふたりでアトリエを後にし、何処へ行くでもなくフラフラと真昼の田舎道を
進むと、子供の頃よく肝試しをした墓地が見えてきた。
今日も天気がいい。絵に描いたような真っ青な空とカリフラワーのような雲。
初夏の太陽は容赦なく辺りを照り付け、脇を流れる小川の水面がキラキラと
反射する。あまりの眩しさに、そっと目を細めたふたり。
『肝試ししたよねぇ~・・・。』 マコトが懐かしそうに呟いた。
『あたしよりシュンちゃんの方が怖がってたよね?』
片頬を上げ厭らしくニヤつきながら、キタジマを覗き込む。
傾げた頭に合わせて、顎の辺りで切り揃えられた髪の毛がサラリと揺れた。
カラーも何もしていないナチュラルなマコトの黒髪も、陽に反射して輝く。
すると、『・・・んな事ないだろ。』
バツが悪そうに照れくさそうに、キタジマは横を向いてタバコの煙を吐いた。
正直、本当にそれほど怖がった記憶はないのだが、しっかり互いの手を繋い
でいたのだけは覚えている。あの時はマコトの事は ”弟 ”だと思っていた
のだけれど。
マコトはそんなキタジマを横目に、愉しそうにケラケラと笑っている。
そして笑い声が段々デクレッシェンドするのと同時に、ポツリと呟いた。
『 ”死 ”なんてさぁ・・・
遠~ぉい未来の話すぎて、
あの頃は、な~ぁんにも気にしてなかったなぁ・・・。』
どこか虚ろな目で遠くを見つめるマコト。
その横顔はなんだか夢の中のそれのようで、目の前にいるのに儚く感じる。
『・・・ごめん
聞いちゃったんだ。
・・・奥さんのこと。』
偶然ではあったがゴシップのように耳に入ってしまったそれに、マコトが申
し訳なさそうに声を落とす。
キタジマは背を丸めるマコトをチラリと見て、『別に、隠してないし。』と
小さく笑った。
数年前に、突然の事故で最愛の妻を失ったキタジマ。
ひたすら妻の元へ逝くことだけ考えて過ごした日々を久しぶりに想い返し、
少しだけ胸が切なく痛む。
すると、
『・・・ねぇ、訊いてもいい?』
マコトがキタジマを真っ直ぐ見つめた。
『どうやって忘れたの?
乗り越えたの・・・?』
涙を堪えるようなたまにノドにつかえるような、痛みを伴ったその言葉に
キタジマの ”あの頃の想い ”がまざまざと顔を出した。
■第6話 涙
『嫁さんの事は・・・ 忘れては、いない・・・
前に進めるように・・・
忘れる努力なんて、締め出す努力なんて
そんなの必要ない、って
背中、押してくれた奴がいたんだ・・・。』
隣で眩しく微笑んでくれていたその顔が、キタジマの胸に懐かしく浮かぶ。
突然の通り雨に困った顔、妻を亡くしていることを知った時の涙顔、ふたり
で田舎道を並んで歩いた照れくさそうな顔、傷つけ泣かせてしまった絶望す
る顔・・・ あの頃のリコの様々な顔がフラッシュバックのように甦った。
『その人は・・・?
今は・・・ どうしてるの?』
遠慮がちに声のトーンを落とすマコト。
この数日間でキタジマが初めて見せるようなやわらかく、しかしほんの少し
の淋しさがはらんだ表情を目に、 ”その人 ”のことを訊いてしまって良か
ったのか否か、マコトは瞬時に哀しげに目を伏せた。
『今は・・・
今、アイツはすっげぇイイ奴と、一緒にいる。
笑ってる。 きっと、毎日・・・
そうゆうもんだ。
大切な人間が、今、ちゃんと笑っててくれさえすれば
それでいいんだ。
だから・・・
お前も、前に進んでいいんだと思うぞ・・・。』
目を細めて穏やかに微笑むキタジマの胸には、コースケの隣で愉しそうに
笑うリコが思い浮かんでいた。嬉しそうに幸せそうに、ケラケラ笑ってい
るあの愛おしい横顔。
そんなキタジマをマコトが泣きそうな顔で見つめる。
その瞳には涙がゆらゆらと溢れているが、ギリギリのところで必死に零れる
のを堪えている。
『・・・泣けば?』 その苦しそうな瞳を目に、キタジマは優しく呟いた。
『泣かねーよ! 泣いたら負けじゃん・・・。』
斜め上方を睨み、マコトは目を見開いたまま。
威勢の良い言葉とは裏腹に、どんどん頬は赤く染まり崩れそうに歪んでゆく。
『勝ち負けじゃねーだろ。』
『止まんなくなるもん。 だから、ヤだ。』
『別にいいだろ・・・。』 そのキタジマの言葉のやわらかい色に、咄嗟に
顔を背け唇を噛み締めるマコト。
俯いたら涙が毀れてしまうから決して下は向かない。一点を見つめ瞬きすら
止めて、照り付ける陽の光を憎らしそうに睨んでいる。
すると、
『うわっ!!!』
キタジマが突然大声で叫び、足元を指差してツッカケの足で飛び退けた。
それに驚きつられてマコトも足を避け、キタジマが差す足元を何事かと凝
視する。
その瞬間、雑草が生い茂る足元を見つめたマコトの後頭部を軽く押さえた
キタジマ。するとマコトの瞳にギリギリ溜まっていた雫が、ひと粒ポロリ。
『・・・あとは、
3粒も、10粒も一緒だ。』
そう言って、後頭部を軽く押さえていた絵具で汚れた大きい手で、マコト
の頭を乱暴にガシガシと撫でた。
『・・・・・・・。』
キタジマの大きくて不器用な手の温度が、マコトの心のやわらかい部分に
ダイレクトに響く。やさしくて、あたたかくて、胸が一気に苦しくなる。
すると、マコトが泣いた。
堰を切ったように、マコトが泣いた。
その日焼けした小さな手は拳をつくり、握りしめて。肩を震わせて。
奥歯を痛いほどに噛み締め、必死に泣き声が漏れないよう殺して。
それを黙って隣で見守るキタジマ。
首にかけた手ぬぐいをそっとはずすと、マコトのキツく握りしめた拳へぶっ
きら棒に押し付ける。
すると、
『ホントは、泣く権利ない・・・
泣いていいのは、あたしじゃない・・・
あたしのせいだから・・・
・・・あたし、の・・・。』
しゃくり上げながらこぼすその言葉が、キタジマの亡き妻への後悔と重なる。
マコトの気持ちを想うと、どうしようもなく胸が痛んで息が出来なくなった。
『ワケは知らないけど・・・
・・・充分、苦しんだんだろ・・・?』
キタジマの切ないほどやさしい響きに、マコトは大きく首を横に振る。
『ダメだよ、全然。 まだ全然、ダメだよ・・・。』
何をどう言おうとも頑なに自分を責め続けるマコトを、抱き締めてあげたい
気持ちが溢れそうになる。事情は何も分からないけれど、それでも償えない
罪など許されない罪など無いと安心させてあげたい。
キタジマの不器用な手は、細いその背中を包みたいと歯がゆく空を彷徨う。
しかし、マコトはキタジマに甘えなかった。
小さく小さく消えてなくなりそうに身体を縮め目をギュッとつぶって、ひと
りで泣いていた。
たったひとりで、泣いていた。
■第7話 ひとりで
その日、マコトはアトリエに現れなかった。
次の日も、その次の日も。
マコトはアトリエにその姿を見せなくなった。
『バアサン・・・ マコト、来た?』
アトリエから隣の自宅に戻ろうとしたキタジマと丁度玄関先で鉢合わせした
キヨに気になって仕方なくて訊ねるも、『そう言えば、最近見てないねぇ。』
首を横に振る小柄な麦藁帽子。
そんなキヨの腕には、裏の畑から収穫したばかりの野菜が山のように盛られ
ている籐のカゴがあった。ツヤツヤに輝く、お日様の愛情をたくさん受けた
少し形の悪いカラフルなそれ。
すると、キタジマはそれを無造作に数個引っ掴むと、慌ててビニール袋に突
っ込んで玄関の戸も開け放したままに飛び出して行った。
少し離れたのミチの家へ、走りにくいツッカケで全速力で駆ける。夕方の
橙色の空の下、流れくる夕げのにおいにホっとする反面、穏やか過ぎるそ
れになんだか平和ボケしてしまいそうで。
顔に向かって来る羽虫を苦い顔で避けながら、キタジマは必死に駆けた。
『ミチばぁぁぁああああ!!!』
突然のキタジマの騒がしい来訪に、ミチが何事かと驚いて玄関を開ける。
ゼェゼェと苦しそうに息を切らす、滅多に訪ねてくる事など無いその姿。
『どうしたぁ~? シュンちゃん・・・。』
せわしなく瞬きをするミチ。
元々小柄で、なおかつ高齢で曲がった腰をげんこつでコツコツと叩きながら
長身のキタジマの顔を下から覗き込んで。
すると、手に持ったビニール袋をミチへ真っ直ぐ差し出すキタジマ。
中をチラっと見たミチが、不思議そうに小首を傾げ再び顔を覗き込む。
全速力で駆け苦しそうに顔を歪めるキタジマがふと目をやると、目の前には
ミチの畑があった。それも丁寧に手入れされていて、自分が差し出すビニー
ル袋に入っている野菜が全て、たわわに実っている。
暫し、キタジマとミチは無言で立ちすくんでいた。
『ぃや、あの・・・
・・・マ、マコト・・・ いる?』
マコトを訪ねるもっとマシな口実は無かったものかと、我ながら情けなくて
死にそうに恥ずかしい。
手持無沙汰にタバコを咥えようとポケットに手を突っ込み、慌てて出て来た
ものだからそれは家に置いてきてしまった事に気付く。
すると、『マコトーーーー!!』 ミチが振り返り、家の中へと叫んだ。
『シュンちゃんが、お前に野菜持ってきてくれたぞぉ。』
その声に、マコトが出てきた。
そしてビニール袋に入った野菜をまじまじと見る。 『・・・え?』
暫し、キタジマとマコトもまた無言で立ちすくんでいた。
再び、死にそうに恥ずかしい。
手持無沙汰にタバコを咥えようと再びポケットに手を突っ込み、何度確認
してもタバコは無いことを痛感する。
二人の間に無言の時間が流れる。
キタジマは困ったような怒っているような顔で口を閉ざし、マコトは野菜を
貰う理由が思い付かずに、ただただ不思議そうにキタジマを見ていた。
すると、
『いや、あの・・・
・・・なんか、あったかと・・・ 思って・・・。』
やっと声になったキタジマの言葉は、小さくて聞き取れるかどうかのそれ。
『・・・え?』 ちょっと小首を傾げ、暫し視線を泳がせその意味を考え
そして、一拍遅れてマコトがぷっと吹き出した。
『なに? そーんなに会いたかったの~ぉ?』
『正直にいえよぉ~!』と、キタジマの脇腹にふざけてグリグリと肘をくら
わす。思い切りからかってやろうと子供のようなイタズラな笑顔で。
しかし、キタジマは不機嫌そうに俯いたまま反応がない。
マコトは真顔に戻ると、覗き込むようにキタジマを見つめた。
すると、
『ひとりで、隠れて・・・
どっかで泣いてんじゃないかと、思って・・・。』
そう呟いたキタジマの顔の方が、なんだか泣き出してしまいそうだった。
やさしすぎるそのトーンがダイレクトに胸に沁みてゆく。マコトは泣きそう
になるのを必死に堪え、キタジマの握るビニール袋をそっと受け取る。
そして、再びキタジマへ手を伸ばし、体の横で弱々しく垂れた絵具だらけの
ゴツイ手をむんずと掴んだ。
掴んだまま、歩き出すマコト。
泣きそうな顔のキタジマはマコトに促されるまま、夕暮れ道を進んだ。
■第8話 墓地で
ふたりが再びやって来た場所は、肝試しをした墓地だった。
気付けば、橙色のグラデーションが豊かだった夕焼け空には、もう琥珀色
の月が藍空に顔を出しかけている。
マコトがひとり歩みを進め、家の墓の前で膝を抱えてしゃがみ込んだ。
夏草は強い日差しにみるみる成長を早め、先日刈ったばかりなのにもう高
く聳える。それは小さく心細いマコトの体を簡単にすっぽり隠してしまう。
暫く黙ったまま墓石をぼんやり見つめていたマコトが呟いた。
『シュンちゃんにさ~・・・
・・・甘えちゃいそうだからさっ。』
その声色はなんだか自分自身を嘲るように哀しく響く。
弱々しい月明かりが、どこか遠く感じるマコトの横顔を細く照らす。
『ヒトに甘えるのとかって、苦手。
・・・ってゆーか。
どうしたらいいのか、分かんないってゆうか・・・。』
キタジマは何も言わずマコトを見ていた。
夏草の中で小さく縮まる痩せた背中が、増々小さくなってゆく様に見える。
『人の前で泣くのとかって・・・ 苦手。』
そう呟くと、ギュッと目をつぶり再び泣きそうなのを必死に堪えるマコト。
大きく何度も何度も胸を上下して深呼吸をして、胸にこみ上げるものを鎮
めようと必死で。ヒョロヒョロの腕で抱えた擦り傷だらけの膝を、更に抱
きすくめ、その手は子供のようにグーにして握り締めている。
キタジマの胸が息苦しくてジワジワと痛みを発する。
なんて言葉を掛けたらマコトの苦痛を和らげることが出来るのか、どんな
温度で抱き締めたらならマコトに刺さった棘を溶かすことが出来るのか、
いくら考えてみても答えは出ない。その前に、マコトは助けを求めていな
い。ハナからキタジマへ期待などしていのは分かっている。
それでも、抱きすくめようとして思わずマコトに一歩近付いた。
夏の虫の大合唱だけが響くそこに、キタジマのツッカケが雑草を踏みしめ
る擦る音を立てた、その瞬間。
『ダメ。』
マコトが尻餅をつくように一歩後ずさりして、キタジマから離れた。
一歩近付いた分、一歩退かれ、ふたりの距離は変わらぬまま。
『弱く、なっちゃうから・・・
・・・だから・・・ やめて・・・。』
そう呟いてガバっと立ち上がると、逃げるように慌てて走ってその場を去っ
て行ってしまった。
一瞬見えたその顔は下まつ毛に大粒の雫を湛えて、また必死に瞬きを堪える
それで。見ているこっちの方がツラくなる、いつものマコトのそれで。
その哀しい背中を、キタジマはひとり見つめていた。
キタジマの背中もまた、月夜に照らされ哀しくしおれて見えた。
■第9話 ふたりで
それ以来、マコトは全く姿を現さなくなった。
それは、キタジマの前にだけのようだった。
たまに祖母キヨの口からマコトの話題が出る。
その内容から、マコトは普段通りの元気そうな感じを見せているようで。
それが逆に無理をしているのではと心配にはなったが、キタジマを必要とし
ていないマコトに無理強いも出来ず、何も出来ないまま数日が過ぎた。
それは、とある早朝のこと。
なんとなくいつもより早く目が覚めてしまって、何度もモゾモゾと寝返りを
打ち夢の中に戻ろうとするも、なんだかもう寝られそうになくて布団から抜
け出すと、タバコを咥えてキタジマはひとり辺りを散歩に出た。
霞がかって幻想的な静かな田舎道を、くたびれたツッカケで進む。
ゴムの靴底が砂利に擦れる音が小鳥の囀りにまざり響いている。空から降り
る陽の梯子がそこかしこの名もない緑をキラキラ照らす。
ぼんやりとマコトのことを考えながら当てもなく歩いていた。
まるで溜息を付くようにゆっくり息をすると、右手の人差し指と中指の間で
挟んだ咥えタバコの先がチリチリと赤く燃ゆる。視界に入るその赤と道端に
元気に咲くクロコスミアの花の赤が重なる。
気が付くとキタジマの足はあの墓地に向かっていた。
ひと気のない薄明るい空の下、ゆっくりゆっくり歩みを進める。
すると、小さく鼻を啜るような音が聴こえた。
足を止めふと覗き見ると、背の高い夏草に隠れてマコトがしゃがみ込んでい
る背中が見える。
『マコト・・・?』
遠慮がちに声を掛けたキタジマのそれに、上げたその顔は涙の跡が幾筋も幾
筋も光っていた。
『シュン・・・ちゃ、ん・・・。』 マコトは弾かれるように立ち上がると
思い切りキタジマの胸に飛び込みしがみ付く。そして子供のようにわんわん
と声を上げ泣きじゃくった。
あれほど頑なまでに涙を堪え泣き声を殺してしたマコトが、まるで壊れてし
まったかのように。
それから暫く、切ない悲痛な泣き声だけが辺り一面に木霊する時間が流れた。
マコトはただただ泣き続け、キタジマはそんなマコトを黙って見守った。
しかしそのしゃくり上げる細い身体には決して触れず、マコトに胸だけを貸
して。抱き締めていいのか、抱きすくめてもいいのか分からず哀しげに。
すると、マコトが涙で痞えながら話し始めた。
『夢・・・ 見たの。今朝・・・
綿帽子、みたいな・・・
光の珠みたいなのが、
空にとんでくの・・・
・・・空に、吸い込まれるみたいに・・・。』
マコトの瞳から更に大粒の涙がぽろぽろ毀れる。
『なんか、
なんか、ね・・・
それ見てたら、泣けてきた・・・
心からホッとした・・・
・・・許された気が、したの・・・
天国に・・・
行けたのかも、って・・・。』
そこまで言うと、再び子供のように声をあげて泣きじゃくる。
その泣きはらした真っ赤な目も頬も耳も首筋も、キタジマのTシャツを握り
締める小さな手も、震える身体も全部。マコトの全部を守りたいと、その時
思った。
キタジマが思わず強く強く抱きすくめる。
マコトの痛みを吸収するかのように、強く強く。その心許無く震える身体を
抱きしめた。
そして、抱きしめたままキタジマが小さくマコトに言う。
『これからは・・・
ふたりで、一緒って・・・ どう・・・?』
耳元で熱く響いたその言葉に、マコトは瞬時に身体を強張らせる。
そして、何度も何度も小さく首を横に振った。
それは更に哀しい色を帯びた瞳でキタジマを見上げて。
『あたし・・・
・・・もう、赤ちゃん・・・産めな』
キタジマはマコトの途切れ途切れの言葉を遮って、更に抱きしめる腕に力を
込める。
『 ”ふたりで ”、って言ったろ?
”俺 ”と、 ”お前 ”で、ふたり・・・ だろ?』
その呟きに対する返事はマコトの口からは出て来なかった。
キタジマのタバコのにおいが染み付いたTシャツが、マコトの堪えきれず溢
れだした気持ちで、あたたかく浸み渡った。
■第10話 シュン
マコトが帰るその日、古びた田舎の無人駅には見送るキタジマの姿があった。
ふたり、どこか照れくさそうに見事な大振りの葉桜がつくる駅ホームの木漏
れ日にばかり目を向け、中々お互いを見ようとはしない。
『また、来る。』 マコトはサンダルの爪先に目を落としていた視線を上げ、
どこか凛とした表情でキタジマへと呟いた。
『ん。』 その芯が通った清らかで美しい顔を見つめ返し、キタジマは胸の
中でマコトを心から誇らしく思っていた。
『ずっと、こっちにいるの?』
『ずっと、いる。
だから・・・ いつでも来い。』
元々祖母の田舎でもある此処だが、キタジマがいつでも待っていてくれると
いう安心感からか増々この場所への情愛が深まってゆく。
『ん。
ありがと・・・。』
そう微笑みながら呟くと、マコトが今一度真剣な表情をキタジマに向けた。
『あのさ・・・
すごい今更だけど・・・
あたしの名前、
”言 ”に ”旬 ”で、”マコト ”って読むの。』
『ん?』 キタジマは唐突にはじまったマコトの名前説明に、小首を傾げる。
”だから何? ”という思いが表情に表れているのだろう。マコトが呆れた
ようなじれったそうな顔で口を尖らせ、小さく地団駄を踏みだした。
『・・・だーかーらー・・・
”マコト ”って読めるから、そう呼ばれてるけどさ~・・・
”シュン ”だよ、あたし・・・
ホントは、”詢 ”で、”シュン ”!!』
『・・・は??』 その瞬間、鳩が豆鉄砲を喰らうとはこうゆう顔を表すの
だと思えるような、見事なハテナ顔を向けるキタジマ。
『詢!! あたしも、シュンなんだけど。』
その一言に、キタジマが目を白黒させて耳に聴こえたそれを猛スピードで
理解しようと脳内フルスロットル。
そして、遠く幼い記憶を頭の奥の奥の引出しから引っ張り出す。
そう言えば、子供の時に祖母に連れられこの田舎ではじめてマコトと顔を
合わせた時、やたらと『シュン』という名前が連呼されていた気がする。
キタジマの祖母キヨとマコトの祖母ミチが『ややこしい』とか『片方は訓
読みで』とか、あの頃は意味が分からなかったそれが今となって ”それ ”
だったのだと知る。
『はあああ??』 思い切り顔を歪めて、キタジマが声を張り上げた。
誰もいない無人駅のホームから真っ青な空へと突き抜けるように木霊する。
それに、『ほんとに知らなかったの?』 マコトは思わず吹き出しそうに
半笑いで首を傾げ覗き込む。
『おま・・・ 早く言えよっ!!』
『いや、だって・・・
ココでの呼び名、昔からマコトだし・・・
・・・ってゆうか、知ってると思ってたし・・・。』
その愉しそうに眩しそうに笑うマコトを横目に、キタジマは呆れたように
ひとつ息をつく。そして、つられてケラケラ笑い出してしまった。
25年以上経ってはじめて知った真実に、なんだか笑いが止まらない。
『つーか・・・
ふたりしてシュンかよ・・・ 紛らわしいじゃねえか!!』
心の底から愉しそうに笑うキタジマの弾む声が、夏の終わりの蒼空に吸い込
まれて消えた。
■最終話 キタジマ シュン エンド
数年後。
キヨとミチが紅白に飾り付けられた村の小さな集会所で、背中を丸めお茶を
すすっている。
『いつ始めるのかね~?』
『ほんとに始まるのかね~?』
そんなふたりは黒留袖姿だった。
高齢で曲がった背中に重そうで厳かな袋帯があるも、それは嬉しそうに幸せ
そうに存在感を醸し出す。
『まさか、親戚になるとはねぇ~。』
『これだけ長く生きてても、
まだ驚かされる事があるんだねぇ~。』
その時、紋付袴姿のキタジマがマコトの腕を引っ張り叫んでいた。
祝儀を執り行う部屋の隣の部屋から、その張り上げる声は響いて丸聞こえの
状態で。着付け担当の叔母が困り果ててキタジマへと苦笑いを浮かべている。
『コレ着なきゃはじまんねーだろ!!』
『あたしは、このままでいいってばー!!』
白無垢を着せる為に躍起になっているキタジマと、ジタバタと暴れるマコト。
もう開始の時間は過ぎているというのに、マコトは突如白無垢に着替える事
を拒みだし、叔母が着せようと羽織らせたそれをスルリと脱ぐと再びTシャ
ツを頭から被って着なおした。
『俺だけこんな格好で・・・
どんな羞恥プレイだ!
お前だけTシャツっておかしいだろっ!!』
『あたしは気にしないってばー!!』
中々、始まらない挙式。
着替え室から思い切り響いているすったもんだのそれに、参列者が待ちくた
びれて欠伸をしはじめた。
『まだまだ掛かりそうだから、キヨさんトコで飲み始めますか?』
参列者のその言葉に、ぞろぞろと集会所から徒歩で数分のキヨ宅へ移動する
一同。家紋が入った黒紋付きで片手に閉じた扇子をパチパチと打ち付けなが
ら会場を後にする。
みな呆れ顔だったが、そこにはあたたかい笑みが溢れていた。
やっとの事で式がはじまり、その後は一同での写真撮影があった。
すでに挙式前に飲んで赤ら顔の、黒紋付きの参列者の面々。女性陣も心なし
か正装の着物がくたびれ、それに負けじと疲れたような顔をしている。
そして当の新婦はなにが気に入らなかったのかふくれっ面で、なんとか無理
やり着せた白無垢はよれて着崩れている。
そんな新婦の隣で、疲れ呆れ果てて大笑いをするキタジマ。
昔あんなに嫌忌していた写真撮影だったはずが、なんだかもう可笑しくて可
笑しくて気付けば大掛かりなカメラに向かって思い切り笑っているその横顔。
もう、めちゃくちゃな記念写真だった。
皆が皆、一様に好きな方向を向き好きな表情をし、全くじっとしていないも
のだから撮影する写真屋が仕舞には怒りはじめる。
一同の最前列の真ん中で、新郎新婦は揃って左手をグウにして前に突きつけ
ている。
そんなふたりの薬指には、まばゆい光の環が在った。
数日後、ハガキの束がポストに投函された。
”私たち、このたび結婚しました。
これから、二人で力を合わせ
明るくて楽しい家庭を築いていきたいと
思っています。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
キタジマ シュン
シュン ”
連名のシュンの結婚報告ハガキに、幸せそうに大口あけて大笑いするふたり
が写っていた・・・
【おわり】
眠れぬ夜は君のせい【スピンオフ⑤】 ~ キタジマ シュン エンド ~
引き続き、【眠れぬ夜は君のせい】番外編(コースケ&リコ)をUPしていきます。暇つぶしにでもどうぞ。併せて【本編 眠れぬ夜は君のせい】も宜しくお願いします。