砂漠の旅 11~15

砂漠の旅 11

彼女は淡々と罠の縄を回収していた。
ふと、彼女が笑った。
「お前本当に終わってるよな。生きながらに死んでいる。生きる気力もなく、心を生かそうともせず、魚や動物を殺し、食べ、『無意味に』命をつないでいることに罪悪感を感じないのか」
「別に」押し殺すように、すぐさま彼が呟いた。嘘だった。
心底馬鹿にしたように彼女は彼をみた。
「君こそ無為に獣を殺すことに何の罪悪感もないのかよ。毎日最低限生存するのにいるだけの殺しをすれば十分じゃないか。心を生かすという理由だけのためにどれだけの獣を殺してきたんだ。」彼は言った。

「君との会話には意味がない。君はずっと『本当』を隠している。誰だって自分を発露させながら生きることを望んでいるはずだ」彼女はいった。
その通りだった。彼のあらゆる振る舞いは本当を隠すための嘘で満たされていた。彼はそうやって生きることに優越感さえ感じていた。

(でも一瞬だけ見せた彼の切実は、本当だった)彼女は思い、彼女の中の獣がきりきり鳴いた。

(ああ感情に収拾がつかない)彼女は思った。
(今日は歩く気分じゃねえや)彼は思った。

「まあ、いいや!私はまだ旅をつづける。君も旅を続けるようだ。その事実は確かだ。」

「…。これ、先にあっちに戻ってさばいとくよ。」彼は有袋類の子供を摑みながら言った。
尻尾を持ちずるずる引きずりながらぺたぺたサンダルをぺたぺたさせて彼は昨日泊まった場所に戻った。

彼はいつもより少し足早に歩いた。



砂漠の旅 12

彼は帰ってからもずっと自分を保てずにいた。
じくじくと彼の脂質は崩壊と再生を続けて、全身の皮膚が波打っていた。
絶えず崩れ溶けてゆく脂質を茶碗が再生させ続けていた。

彼はぼんやりした様子で不慣れにその有袋類の子供をさばいている。(一人でさばくのは初めてだ)彼は思った。何回も見た覚えはあったので手順は何となくわかっていたようだった。

彼のズボン腰下あたりが大きく膨らんでいる。先ほどの美しい獣の残像が鮮明に克明に彼の脳に刻まれていた。
(美しかった)と彼はおもった。

彼女についてもっと知りたいと思った。彼女の病について、ではなく、彼女について、彼女の過去についても知りたい、と思った。

彼の心のあのみすぼらしい獣は反対に、背中を丸めてこれ以上の格好はできないんじゃないか、というくらいに小さく丸まり、おびえていた。

彼は自分の獣を見て、笑うしかなかった。

(彼女は朝のうちに出発する、と言っていた)彼は思った。

彼は肉をさばいた。昔見た記憶のまま、皮をはぎ部位ごとに肉を切り落とし、自分の今日の昼と夜の分を切り取り、あとは干し肉用に削いだ。見た記憶のまま、削いだ肉に大量の塩をなすり、肉の上の方に紐を一つ一つ通し、木と木の間に紐をピンと張り結んだ。

(疲れる)彼は思った。再生と崩壊が続くのは非常に疲れた。彼自身はきっと彼女にもっと近づきたい思いでいた。しかし獣さんはたいそうおびえているご様子で、この不均衡もまた彼を疲れさせた。
(しばらくの間ここにいてみようかな)彼は思った。立派なオアシスだし、ほかにも旅人は来るのかもしれない。彼女も、ここには多分多くの旅人が来るだろう、と言っていた。もっと旅人に会ってみたいと思った。この自分の状態で彼女に、「共に旅したい」とはとてもいえなかった。旅できるとも思えなかった。疲れるだろうし、不安もあった。(共に旅をするには沢山の問題がある)彼は一人でその自分の意見にうなずいた。そして思考ゲームのように「一緒に旅できない理由」をひたすらに積み上げていった。後々の後悔の感情に負けないほどのその理由が欲しかった。

彼の脂質が滑らかに体をめぐり、彼は安心した。

さばいた有袋類の、食べ方を知らない内臓部分はとりあえずそのままにして、折り畳みのぺこぺこバケツで水を汲み、東屋から少しはずれた所で血の付いた道具を洗い、手を洗った。手を拭き、道具をしまった。まだ昨日の片づけが終わり切っていないし、これから滞在する上で快適に過ごすためのこまごまとした準備もしなければならない。やることがたくさんあるなあ、と少しうれしそうに彼は思った。


彼は自分の彼女と共に旅をしたい、という望みを簡単に諦めた。
簡単に諦めることができた。諦めたということすら忘れ、そう決断した後悔も忘れ、平穏な自分を取り戻した気でいた。

しかし自身の問題は何一つ解決していなかった。彼と正反対の彼女に彼の病を治すヒントの様なものがあるかもしれないのに。彼は無意識にそのことを見ないようにしていた。平穏であるために。溶け崩れてしまわないために。

彼は不安から逃れるために同じところでとどまっていて、完璧にそれをできてしまっていた。しかし、多くの無理があった。ごまかし、嘘が必要だった。それが脂質を呼んでいた。脂質がまた、同じところに完璧にとどまることを可能にしていた。彼もまた、ドツボにはまっていた。



砂漠の旅 13

今日は雲一つない、いい天気だった。なぜこんなに悲しい気分なのか彼女には分からなかった。
いつもなら心地よい気分のはずの血だるまの自分が、なぜか醜く見えて、そしてそう思えてしまう自分に無性に腹が立った。「これが」私の誇りであり、自分を証明してくれるものなのに。彼の「彼の中の生物的な部分」への諦めのようなものを目の当たりにして、今までの自分が否定されたようで、何かが抜け落ちてしまった。
彼にあるのは全否定だ。完全な毒、で底のないどこまでも続く暗闇だ、と思った。
そんな人間3秒で忘れればいい。生きることはとどまることだ。とどまるためには多くを殺し続けなければならない。誰かを殺している以上自分が生きている以上、私は私を貫き続ける必要がある。それが殺してきている者たちへの最低限の礼儀だ。彼女は言い聞かせた。
生物らしく生きる事について、理性で考えてしまっている時点でもう、彼の毒は彼女に染みていた。
彼女がそのまま彼女らしく殺しを行うことに途方もない美しさはあった。あまりの美しさはいつも死をはらんだ。その崩壊性にあまりの美しさはあった。暗闇にまたたく一粒の光のように。


しかし彼女は正しく、彼は間違っているのだ、と爬虫類は虚しく彼女を見つめた。


彼女はなかなか帰る気分にならなかった。疼いた。もっと、もっと、もっと殺したくなった。彼のせいだった。
静かにぞわぞわと彼女の全身の真っ白の体毛が疼いた。全身に力を入れ、ぎぎぎ、と爬虫類の方を向いた。笑いながら「ああ」と呻く。「やばいかも」彼女は笑った。我慢は禁物だった。止まらなくなるのだ。最後には自分を殺してしまう。ここにはあまりに何もなさ過ぎた。

(やばいな)爬虫類はおもった。彼女を保っていた彼女の何かが綻んでいた。彼女は彼に会うべきでなかったのかもしれない。爬虫類は状況が自然に彼女を導いてくれるのを待ちながら旅をしていた。それには長い月日が必要だが、確実な方法だと思っていた。年月をかけて静かに成り代わり、馴染んでいくはずの「何か」が見つからないまま、彼が彼女の「今を何とか保っていた支え」を崩したようにも思えた。

彼女は恐ろしい眼差しで、まだ手に付着していた彼の脂質を見つめていた。空気に触れて、それは汚い紫色に変色していた。



砂漠の旅 14

強がって、これもこれでいい、なんて言ったが、ぼろぼろはやっぱりぼろぼろだなあ、とその穴あきの長袖をつくづく見ながら思った。布は貴重だった。洗濯をし、干した。

代り映えしない長袖に着替えた。雲一つない、いい天気だ、と思った。少し散歩しよう、と思った。彼女が帰って来るのを待つには何となく手持ち無沙汰だった。

心は穏やかだった。脂質が静かに体をめぐっていた。
いつもと景色は違うはずないのに、なぜか彼の目には鮮やかに思えた。

(動物、僕も欲しいな)彼女の爬虫類を思い出しながら彼は思った。

気温がじわじわ上がっていた。

微風が気の抜けた虚しさを温めて、彼は能天気にだらだらと歩いた。
「今まで通りの」密度で脂質が彼の体をめぐっている。



砂漠の旅 15

「おいお前、どうにかしろ」彼女がうめいた。

爬虫類は(どうにかしなければならない)と思った。
右足のひとさし指を自分の手でとった。もろり、と簡単にとれた。

「食え」爬虫類の声ではない、野太い、低い声が爬虫類からもれ、ぽーんと爬虫類が指を彼女の方に放る。獣になりかけていた彼女の顔がぐにゅんっと伸びて、それを食い、すぐさま飲み込んだ。
どん、と衝撃を受けたように少し後ずさり、彼女は元に戻った。一気に楽になった。

(喉が渇いた)と思った。

血のりがかわいて肌にはりついてきた。午前中の内にここを出なければならない。

彼を思った。あんな奴に会ったことがなかった。彼の裸体を思った。
彼女は体や服を洗いたい、と思った。
彼は先に出て行ったかもしれない、と思った。そう思うといつかまた会いたいと切実に思ってしまう自分がいるようだった。
もう、出て行っただろうか。まだいるかもしれない、と思った。そう思うとなんか気まずく、気ぐるしく、会いたくないと思った。

彼女は小さくため息をした。砂漠を見た。
くだらないほど毎日続いている晴れの天気と砂漠の景色は、飽きを通り越して、もう慣れっこだったはずなのに、何かが足りてないような、つまらない景色に思えた。

(次の町までまだ遠いな)彼女は思った。

気温がじわじわ上がって、彼をどうやって痛めつければ殺せたのかを何となく考えた。

彼女は有袋類の親を引きずりながら荷物を置いた場所に向かった。

爬虫類は不服そうに右足を見ていた。
右足はすでに親指と小指がなく、人差し指までなくなって、もう、まったくもって爬虫類は不服そうだった。
しかし、彼女の方をみて、少し楽し気に笑ったようにも見えた

砂漠の旅 11~15

砂漠の旅 11~15

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 冒険
  • 青年向け
更新日
登録日
2017-06-19

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