ロボットのお医者さん

第一章: ロボットのお医者さん

「主任! 朝だよ。早く起きないとだよー」

 いきなり腹に何か重いのが乗っかってきたと思ったら、いきなり馬鹿でかいキンキン声が響く。ヤツめ、腹の上に跨ってやがるな。

「うるせぇなぁ、昨日遅かったんだから、もうちょっと寝かせろよ…… 何時だ、今?」
「七時半。早く起きて朝ごはんの準備しないと、遅刻しちゃうよー」
「何だよ、全然早いじゃぁねぇか。俺は朝飯なんざ別に毎日食わなくたって大丈夫なんだよ」

 と、寝ぼけ眼をこすりながら馬乗りになってる奴を見ると……

「コラ! 何でお前、パジャマ脱ごうとしてるんだよ! 朝っぱらから何しようってんだ」
「えー、こうすると主任がすぐ元気になって早起きするって、妙(たえ)さんが教えてくれたよ」

 妙さんというのは勤め先のお得意様で、俺の上で寝巻を脱ごうとしてる奴に、色々と余計な入れ知恵をしてくれる人だ。可愛がってくれるのはいいんだが、こう言うのは勘弁してくれよ。

「主任、目が覚めたぁ? それとも、もっと脱いだほうがいい?」
「あぁもう、目は覚めたから自分の部屋で早く着物を着換えてこい。 それと、いつまで俺に跨ってるんだ、お前は。重いんだよ!」

 叱ったつもりで怒鳴ったんだが、この頃はちょっと声を荒らげたくらいでは、一向にこたえない様になってきている。全く良く出来たAIだよ。

「はーい。今日はどんな服を着ればいいの?」
「ん…… そうだな。着たい服はあるのか」

 そう言って、答えを促すと

「まだどんな服が良いのかわからないから、主任が選んで。かわいいのがいいな」
「いや、俺にも何がかわいい服かは良くわからんのだよなぁ。それじゃこの間、妙さんにもらった服にしようか?」
「妙さんにもらった服って沢山あるけど、どれにしたらいいの?」
「今日もナミには店に出てもらうから、ペールブルーのロングスリーブシャツと、スラックスの組になったのにしようか。先月もらった奴だ。靴下とかは自分で選べるな?」
「大丈夫だよー。じゃ、着替えてくるね」

 そう言うと、俺の布団の上からさっさと降りて、自分の寝室に戻って行く。俺はちょっと伸びをして、Tシャツとパンツ一丁で台所に行き、紅茶を入れる用意をする。と、

「しゅにーん。お願い、ちょっと来てぇ」
「何だ、ナミ? またネクタイが結べねぇのか?」
「この間のネクタイと形が違うの。もう一回教えてください」
「わかった、ちょっと待ってろ」

 湯をティーポットに注いでからナミの寝室に行くと、鏡の前で悪戦苦闘している。ロボットなので、同じ型のタイだったら一回覚えれば、二度と教える必要はないのだが、形が違うとなかなか応用ができない。こいつは最新鋭のAIを搭載しているし、言葉の受け答えなんかは人間並みの反応ができるんだが、なかなか完全に「人間並み」にするのは難しいって事だろう。ボタンなら、かなり変わった大きさ・形でも大丈夫になってきたんだけどな。そもそも、こいつの手先の機能は、さんざ苦労して人間以上に精密動作ができるように作ったんだから。

「はいそこまで。一回ほどくから、手を下ろせ」

 そう言って、手を止めさせると、ナミの背中に回って一回絡んだタイをほどく。細手の女物のタイだが、まぁ留め方は男物と一緒だし、俺でも何とかなる。

「じゃぁ、もう一回最初からゆっくりやってみろ。ゆっくりな」

 最初につくる結びの位置は良いようだ。自分で何度か繰り返して、エラー修正したのだろう。

「最後に結び目がねじれちゃうの」
「生地の厚みと滑り方が、前のネクタイとは違うからな」

 そう言いながら、タイを巻くナミの手に俺の手を添えて、力加減を修正していく。ナミの髪が頬に触れて、ちょっとくすぐったい。

「これでいいだろ。次は一人で出来るか?」
「うん、大丈夫。ありがとう、主任」
「ファウンデーションが薄いな。今日は日差しが強いぞ。それからクリア・アイシャドーとリップクリーム塗っとけよ」
「はーい。お化粧やり直します。リップは珊(さん)ちゃんにもらった口紅つけて良いかな?」
「だめだ。普段は付けないって約束しただろ」
「はぁい……」

 残念そうに返事をすると、化粧の支度を始める。まぁ、ファンデと言っても実質はサン・ブロック、つまり日焼け止めだ。ロボットには新陳代謝というものがないから、紫外線で皮膚が痛むとそれが自然治癒するわけもなく、いずれはそっくりまるごと交換になる。人間で言えば植皮手術だ。
 ナミの人工皮膚は皮膚感覚器はおろか、人工汗腺まで付いている最高グレード品で、一回交換すると目の玉飛び出るくらいのパーツ代請求が来るし、どんなにきれいに仕上げても継ぎはぎした接合部分は多少目立ってしまうから、なるべく元の人工皮膚は大事にするに限る。女の子の体には、なるべくオペの傷は入れたくないもんだ。
 それとアイシャドーとリップクリームは一番重要なアイテムだ。一番紫外線にさらされる上に薄くて極めて高い柔軟性が求められる瞼は一番先に劣化する皮膚部位だし、これを交換しようとすると大抵フェイスマスク全交換になる。唇も同様に人工粘膜の劣化が早い割に柔軟性や表面の滑らかさが求められるから、これも十分保護しないといけないのだ。

 台所に戻ってポットからマグに茶を注ぐ。蒸らしすぎで渋くなってしまっているが、まぁミルクをたっぷり入れれば飲めない程でもない。フランスパンのしっぽをかじって腹ごしらえは終了だ。軽くシャワーを浴びて、あちこちに付いた潤滑油の染みが消えずにうっすらと残る作業着を着る。

「ナミ、そろそろ出るぞ。準備大丈夫か?」
「大丈夫だよー。早く行こうよ」

 玄関から声がする。気の早い奴だ。八時を回った時計を眺めつつ台所を出る。たまには早めに出勤して店内の掃除でもしますかね。外に出るともう日差しが強くなってきている。今日も暑くなりそうだな。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 店に着くとシャッターを開け、仕事の準備にかかる。開店時間は九時からだし、今の時間が八時二十分だから、いつもよりはのんびり準備ができるなと思っていたら早速客が来た。一見客なら開店時刻まで待たせるところだが、馴染み客ではそうもいかない。

「妙さん、おはようございまーす」

 ナミがニコニコしながら、やたらにでかい声であいさつする。

「おはようございます。妙さん、今日はずいぶん早いですね。誰の調子がわるいんですか?」
「千陽(ちはる)の具合が悪くて。足の付根が痛いらしくて、余り動かせないみたいの。自分で歩けるって言うんだけど……」

 千陽というのは妙さんの店、まぁ本番ありの風俗店なんだけれど、そこで働いているコンパニオンロボットだ。今はなきピグマリオン・ラボラトリーズ製のベストセラーモデル『ガラテア3』の最初期バージョン。御年十四歳で、店では一番の年長さんだ。積算稼働時間はずいぶん長いし、稼動条件もかなり過酷だ。本来ならちまちまとパーツ交換で対応せずに、躯体全交換で対応すべきなんだけれど、社長がケチでなかなか決済が出ないと妙さんがこぼすのをよく聞かされる。
 それにしても、普段なら修理が必要なロボットと一緒に店に来るはず。妙さん一人で店に入ってきたってことは、ロボットが自分だけでは動けないほど調子が悪い可能性がある。千陽は躯体異常を痛覚として感じるように出来ているから、作動異常があればそこをかばうような動作をしてちゃんと痛そうな表情を浮かべるので、妙さんが心配しすぎている可能性も高いけれども。

「ロボットが自分で歩けると言ったら、歩かせても大丈夫ですよ。動かせないほど故障がひどい場合は、ちゃんと動けませんと言います。人間と違ってあまり無理をしないようにはなってるんですよ」
「でも、あんなに痛がってるのを見ると、歩かせるのがかわいそうで。今、駐車場に止めてある車に乗っているから、連れて来るのを手伝ってくれないかしら」
「お安い御用です。ナミ、行くぞ」
「あらいいのよ。私が行くから。ナミちゃんはここで待ってればいいわ」
「いや、ナミには何でもいろいろやらせて経験積まないとね。妙さんはそこに座ってて下さいよ」
「ナミがお手伝いするから大丈夫だよ。主任、ちはるちゃんが待ってるから早く行こ」

 早く働きたくて仕方が無いようだ。まぁ、骨惜しみしないのがロボットの美点だ。もっとも、こいつは先々経験を積んだら、仕事をサボる知恵まで付いてきそうで不安だが。
 妙さんを店に待たせて、ナミを連れて店が契約している駐車場に行くと、なるほど千陽が車の窓からこちらを見ている。風俗店内では伊達メガネをしているんだが、今日は外しているな。

「千陽ちゃん、おはよーっ」

 連れているこっちが恥ずかしくなるくらいのでかい声でナミが声をかける。

「おはようございます、主任さん。おはようございます、ナミさん」

 千陽が車から降りながら挨拶を返す。ナミより一世代前のモデルだから、言葉のやりとりが、多少型にはまっている感じで、受け答えの人間らしさではナミとはやはり差がある。

「おはよう。足の付根が痛いんだって? どっちの脚が痛いんだ?」
「右足の付け根が痛みます。でも、歩けないほどではありません」
「そうか。でも、大事をとろうか。肩を貸すから一緒に店まで行こう。ナミは左を支えてやってくれ」
「うん」

 両側から千陽を支えて店まで歩く。駐車場は店の並びだから、普通に歩けば三十秒ほどだが、俺の反対側にいる奴がもたもたするので、なかなか店まで辿りつかない。

「ナミ、お前は肩を貸さなくていいぞ。もうちょっと離れて千陽の肘の上を持って支えてやれ。お前の足が千陽に絡んで転びそうだ」
「はーい」
「千陽も、もうちょっと俺に寄りかかって体重を預けろ。痛そうな顔をしてるぞ」
「はい、すいません」

 股関節から異音がしているのが聞こえる。異音の感じからすると、恐らく固定子と制動子にガタが来てるんだろう。球面回転子との接触駆動面のスリップも始まっているな。無理してないどころか随分無理している様だ。この娘は14歳で学習期間が長いから変な学習が入っちゃってるかも知れないなぁ。そう思いながら店の玄関をくぐると妙さんが心配そうに迎え入れてくれる。

「ありがとう主任さん、ナミちゃん。千陽も大丈夫? 痛くない?」
「大丈夫です。お母さん」

 支えられて歩きながら、千陽が返事をする。妙さんの店のロボットは、皆、妙さんを「お母さん」と呼ぶ。もちろん、そう呼ぶように妙さんが教えたからなのだが、実際にロボットたちは実の娘の様に遇されているし、妙さんの実の息子ふたりもロボットたちを「お姉ちゃん」と呼ぶ。
 呼び名といえば妙さんも、妙さんのところの子もみんな俺を『主任』と呼ぶ。最初は『店長さん』と呼んでいたのだが、ナミが俺をずっと主任と呼ぶので、いつの間にかそうなってしまったのだ。俺が『主任』だったのは昔の話だし、今更昔の役で呼ばれても愉快ではないんだが、ナミに俺をどう呼ばせようかと考えたときに、俺の本名で呼ばせるのに抵抗があったものだから、それまでずっと呼んできた『主任』で通すことにしてしまったのだ。今にしてみれば安直な判断だったと思う。

「それじゃ、下着だけを着て診察台の上に横になってくれるかな? ナミは手伝ってやってくれ」

 そう言って、千陽が上着を脱いで診察台に横たわるのを待つ。診察台と言っても実際はラバーパッドを敷いただけの作業台なのだが、店の名前が「ロボットのお医者さん」なのでそれっぽく呼んでいるだけの話だ。のんびりした感じの店の名前なのだが、社長はこのあたりの地域暴力団の若頭補佐、つまり企業舎弟・フロント企業って言う奴だ。そのせいで、ごくたまに、一目でわかるようなやくざ者が出入することもあるのだが、ヤクザだと思っていたら実はマル暴の刑事が見回りに来ていたということもあって大変にややこしい。ちなみに妙さんの店のオーナーもうちの社長がやっている。
 もともとこの店は、社長が多数経営している風俗店で使っているロボット達のために作ったものだ。修理代を安くあげようとするためではなく、ロボットを不法改造するためにだ。最近では法律が変わって、ロボットに性機能を持たせてダッチワイフとして使うことが法的にも認められるようになったけれども、少し前まではロボットのその手の機能は、少なくとも建前上は御法度だった。そういうことがしたい場合には、サードパーティ製の特殊アッセンブリ、つまり『あそこ』のパーツを後付して『リビドープログラム』と俗称されるAIソフトウェアパッチを当てる事で行われてきたので、その手のロボットがたくさん必要な風俗業界では自前でそれを実施する事が多かったのだ。
 今では最初から性行為が可能なコンパニオンロボットが販売されているし、それを風俗営業で使用することも認められているので、この店もいずれは不要になって、俺はまた別の仕事を探さなければならないんだろう。しかしまぁ、今のところは不法改造を受けたロボットがたくさんいるし、そのロボットたちは、もはやメーカーサポートを受けることが出来ないから、この手の店で修理を受けるしか無い。だから、しばらくの間だけは店が潰れて俺がクビになる心配はなさそうだ。

「ナミ、窓のブラインドを下ろしてくれ。外から見えないように。それと、処置室のオート・ドアスイッチをマニュアルにしてくれ」
「はーい。ブラインド下ろすと部屋が暗くなるから、明かりも点けるね」
「そうしてくれ。気がきくようになったな」

 診察台がある処置室は外に面した窓があるので通りから中がよく見える。だから千陽が下着だけになる前にブラインドを下ろしてやるべきだったのだが、われながら気が効かなかった。ナミのことをあまり叱れないなと思いつつ、チェックの準備を進める。まず操作特権を取らないと立ち入った検査が出来ないので、千陽にユーザー認証をさせる。

「千陽。これから検査に入るから、特権ユーザーの認証をしてくれ」
「はい、虹彩パターンと網膜パターンを両眼で確認します。私の目を見つめてください」

 三秒ほど千陽の目を覗き込む。小さな泣きボクロのように見える千陽のIR-LEDから俺の目に向けて赤外線が照射され、スキャンが始まる。特権ユーザー認証なので、スキャンが念入りで時間がかかる。

「特権ユーザーとして認証しました。検査をよろしくお願いします」

 さて、これからが本番だ。

「ナミ、ピグマリオン・タイプのアンビリカルを取ってくれ。お前が使っているのと同じものだ」
「はーい。聴診器も使うよね?」
「いや、まだいい。先にモニタで検査する」

 モニタ用の信号線をアンビリカル・コード(臍帯)と呼ぶのは、文字通りにそれをロボットのおへそに接続するからだ。最初は俺がかつて勤めていたピグマリオン・ラボラトリーズ社で始めたことだが、妙にこれが流行って、今ではヒューマノイド型を作っている殆どのメーカーがおへそに信号線を繋ぐようになっている。

「千陽、モニタにつなぐぞ」
「はい。シーリング・ソレノイドを開放しました。接続可能です」

 銀色のアンビリカル・コードのL字型ロボット側端子を千陽のおへそに挿入していく。5cmほど挿し込む必要があるので、ナイフでも突き刺しているようで、何だか気分がよろしくないが仕方がない。

「モニタ装置を確認しました。認証中です…… 認証終了しました。接続を確立します」

 千陽が口頭で接続状況の読み上げをしている。エラーなくモニタとの接続が出来たようだ。うちの店は二重ファイアーウォールでモニタ装置を防護しているものの、モニタ装置がマルウェアに汚染されている事はまれにはあるので、接続時のチェックは欠かせない。では早速、モニタリングに移ることにするが、まず先に麻酔だ。

「千陽。これから股関節の検査に入るぞ。検査中はかなり痛いはずだから、感覚神経系をモニタ装置にリダイレクトして、痛みの方はブロックする。それと、念のためお前の意識をコーマ(昏睡)レベルまで下げるからな」
「はい。お願いします」

 モニタを操作して、意識レベルをコーマにまで下げる。それから、感覚神経系の信号に割り込みをかけて、モニタ装置にリダイレクトした。なるほど、盛大にアラート信号が出ている。右股関節モーターだけでなく、大臀部の人工筋肉にも異常があるようだ。アラートのログからは昨日の九時頃に異常が発生したことがわかる。モーター、人工筋肉ともほぼ同じ時間だ。
 これだけのアラートが出ていれば、千陽はかなり痛かったはずで、異常事態のログを残すために短期記憶からほとんど抽象化なしで長期記憶に転送が行われている可能性が高い。そう考えてそちらを当たると、やはり思ったとおりだった。異常発生時の感覚器データーがほぼそっくり残っている。
 恐らく変態客が無理な体位でヤリまくったんだろうと推定し、ログを操作して右股関節の動作プロファイルグラフを表示させる。案の定、安全可動範囲を超えて関節が動いている。大体の周期は1.3-1.6Hzでだんだんと周波数が上がっていき、急に止まっている。関節部の温度を見てみると、こちらも平常作動温度からアッという間に20℃以上も温度上昇しており、これがあと5分も続いていたら固定子が焼損するところだ。こんなに反動付けてガンガンやられてしまっては、いくらロボットの股関節がそれなりに丈夫に出来てると言っても所詮は精密機械なのだからひとたまりもない。生身の娼婦相手にこんなことをしたら、怖いお兄さんが出てきて変態客は裸で叩き出されているだろう。
 鋼製フレームの作業用ロボットと、この手のコンパニオン・ロボットは構造も強度も天地の違いがあるのだが、わからない奴には全くわからない様だ。現状のコンパニオン・ロボットは人間より華奢に出来ていると何遍言っても、道路工事に使っている作業用ロボット並みの強度があると思い込んで、こんな無茶をやらかしてくれる。

「これは…… 股関節の亜脱臼と股関節伸筋群の軽い靭帯損傷ってところですね。昨日の九時頃に来た客が原因です。視覚データも全部残ってるので出力します」

 もちろんそんな事は個人情報保護法違反だが、こちとらそんな物は屁でもない。

「……出力はいいわ、そのお客さんに賠償請求できるわけじゃないしね。それに誰がやったかも分かってはいるの」

 少しうつむき加減に妙さんが小さく答える。確かに千陽は不法改造機だから、極端に言えば完全に壊されてしまっても法の保護が受けられない。なまじ訴え出たりすれば、逆に所有者の方が不法改造の罪で罰せられる事になる。

「わかりました。それでは千陽の処置に入ります。駐車場からここまで連れてきたときの感じでは、股関節の超音波モーターがかなりいかれてますね。アッシー交換が必要かもしれません」
「右股関節を丸ごと交換するってことよね。そうなると手術しなきゃいけないのね」
「なるべく内視鏡だけで片付けたいんですが、アッシー交換となると大きく切開しないといけませんからね。ただ、千陽はボディーのあちこちにガタが来てますから、ここあたりで新しいボディーに全交換することを薦めますよ。結局はその方が安上がりです」
「そうなのよねぇ。それはわかってるんだけど、社長がね……」
「ケチですもんねぇ、社長。もっとも、新品のボディーは高いですし、例の法改正から新入業者が多くなって、商売の方も厳しくなってきたそうですから、社長の言い分もわからないではないんですが」
「社長は中古のボディーを買ってきて、それを改造する方がずっと安上がりだって言うんだけど、暇を出された子はそのまま使ってあげたいものね。初期化なんて可哀想で出来やしないわ」
「いや、市販の中古機なら初期化して販売するのが義務ですから、自分で初期化する必要はまず無いですよ。個人売買なら可能性がありますけどね。妙さんのところの子は、千陽と紅葉(もみじ)以外は、同業者が手放した子を直接引き取ってるんで全員記憶を残した状態で来てますけど、一般家庭用のコンパニオンロボットって個人情報の塊ですからね。初期化せずに人手に渡す人はそうはいませんよ」

 下手すれば『どんな体位で何回したか』なんていう記録まで残るわけだから-- と続けそうになって、あわてて口をつぐむ。積極的に軽蔑される必要は無いよな。でも、妙さんがいたずらっぽい目でこちらを見てる。見透かされたか?

「エッチした記録も残っちゃうからねー」

 ナミの奴がおとなしく黙ってるのに飽きたらしい。いきなりシモネタで突っ込んできた。

「なーみーさーん。いきなり何を言い出すのかなー? いったいどこでそんな話を教わったのかなー」

 少し怖い顔で聞いたつもりだったが、まるで平気な顔をしている。何時からこんなにふてぶてしくなりやがった?

「妙さんのお店でね、みんなでお話した時に珊ちゃんから聞いたんだよ」

 あいつか…… 珊ちゃんというのは、かつてピグマリオン・ラボラトリーズで俺の部下だった、湯布院珊瑚という名の女性だ。ピグマリオンが買収・清算されてリストラにあった時、俺は指名解雇だったが珊瑚はしっかり再雇用されて、今は買収元の米企業ギブソン・サイバネティックスで技術営業部員としてバリバリ働いている。ナミの開発中には、ナミが一番懐いていた社員で、いまでも時々うちの店にきてはナミと無駄話をしている。妙さんともうちの店で知り合いになり、結構付き合いがあるようだ。で、その妙さんは我慢できなくなったのか、くすくす笑っている。

「ご、ごめんね。最初は普通にみんなで話をしてたんだけど、うちの子達はああいうお仕事しているから、結局そっちの話ばっかりになっちゃってね」

 どんな話だったんだろう。女同士の猥談はすごくディープだというしなぁ。などと考えていると、また妙さんが意味ありげな微笑を浮かべて見ている。やっぱり、俺ってそんなに考えてることが顔に出るのかな?

「いえ、まぁ、そういうことなら、えぇと、その、しょうがないですかね。しかし珊瑚も余計なことを……」
「ナミちゃんに変なことばっかり教えちゃってごめんね。でも、うちの子達は籠の鳥だから、あまり店の外のことを知らないので、ナミちゃんの『どこそこに遊びに行った』っていう話を聞くのが楽しみなのよ」
「えー? でもね、ナミね、この頃どこにも遊びに行ってないよ。ずっと仕事なんだよ。こういうの、デスマーチって言うんだよ」
「馬鹿野郎! 毎日家へ帰れるのにどこがデスマーチだ。人聞きの悪い事言うな。で、お喋りはここまでだ。作業始めるぞ」
「はーい」

 そろそろ手を動かさないと、本当に今日中に帰れなくなるかもしれないしな。そうだ、作業の前に妙さんに念を押しとこう。

「どちらにせよ、股関節アッシーの在庫はないので応急処置だけになりますが、手こずると今日中には処置が終わらないかもしれません。一応、明日のお昼までこっちに泊まりということでいいですか」
「えぇ、大丈夫。でも、これから別のお客さんが来るかもしれないんだし、千陽は明日に間に合わなくてもいいからゆっくりやってね。あんまり残業しちゃダメよ」
「あはは、ほどほどにやりますよ。何かまずそうなことが見つかったら電話で連絡します」
「ありがとう。ボディーの更新は、もう一回社長にお願いしてみるわ。じゃ、千陽をお願いします」

 そう言って、妙さんが帰るとナミが道具の準備を始めている。なかなか気が利くようになってきたな。

「まず、もう一回音を確認してみよう。ナミ、聴診器取ってくれ」
「はい」

 待ち構えていたように、ナミがポンと聴診器を手渡す。ピンク色をしたコメディカル用の安物だが、十分使える。

「ナミ、千陽の右足をゆっくりと持ち上げろ。膝頭が30cm持ち上がる程度だ」

 千陽はコーマに入っているので、外力に従って体を動かすだけの状態になっている。人間で言う腸骨あたりに聴診器のチェストピースを当てて、モーターのノイズを聞くとギンギン・ジャリジャリと盛大に異音が入っている。固定子と回転子の接触面がガタガタになってる様だ。こうなると、動かせば動かすほど調子が悪くなって、トルクがガタ落ちし、最終的には駆動面が滑って動かなくなる。
 トルク低下を確認するために、駆動降伏点検査をする。これは、千陽に随意運動してもらう必要があるので、意識レベルを元に戻さなければならない。モニタから覚醒コマンドを送り、千陽の意識を回復させる。

「気がついたか、千陽。まだ治療中だから動かないでくれ」
「はい、わかりました」
「シグナルをリダイレクトしているから、痛みはないはずだが大丈夫か」
「はい、大丈夫です。痛みは感じません」

 ナミに聴診器を渡して、モニタ画面を手元に寄せる。モーター単独の挙動をチェックするために、下半身全部の人工筋肉へのシグナルをブロックする。

「千陽、右膝を20cm持ち上げてくれ」
「はい。これでいいですか」
「あぁ。これから俺がお前の膝を押し下げるから、お前はそれをなるべく押し上げて支えてみてくれ。痛かったらすぐ言えよ」
「はい、わかりました」
「ナミ、千陽の頭の方に回って、千陽の両肩をお前の両手でしっかり抑えてくれ」
「はーい。これでいい?」
「あぁ、十分だ」

 ゆっくり力をかけて膝を押し下げていく。しばらくはしっかり押し返していたが、ある程度力を入れたところで、急に膝がぐっと下がる。モニタでトルクカーブを確認すると、製造時の保証値から60%しかトルクがない状態だ。メーカーに持ち込んでいれば、考えるまでもなく股関節アッシーの交換になる。内転・外転方向のチェックもするはずだったが、これではチェックする必要は無さそうだ。

「千陽、痛くなかったか?」
「大丈夫です。痛みは感じません。気遣っていただいて嬉しいです」
「主任。千陽ちゃん痛くないって。もう直ったの?」
「まだだ! 内視鏡を入れるぞ。準備してくれ」
「はーい。 マルチ・マニピュレータは使わないの?」
「とりあえず内視鏡で様子をみる。準備だけはしてくれ」
「はーい」

 内視鏡を受け取ると、軽く深呼吸をして千陽に話しかける。

「これから、内視鏡検査をする。下のポートから入れるから、ちょっと下着をおろしてもらうぞ」
「はい」

 腰の上からバスタオルを掛け、ナミに手伝わせて仰向けになったままでパンティーを脱いでもらう。そして、そのまま体を横を向かせて左向きの横臥位にする。気のせいか、千陽は少し恥ずかしそうな顔をしている

「少し、お尻を突き出すようにしてくれ。前の時と一緒だ」
「はい。これでいいでしょうか」
「大丈夫だ。サービスポートを開けてくれ」
「はい。Anal portを開放しました。内視鏡の挿入が可能です」

 シーリング・ソレノイドの作動音がしてサービス・ポートが開放される。千陽のような不法改造機の場合、腹部や下腿部に内視鏡を入れる時には、サービスポートは肛門になる。無改造の純正機では膣もサービスポートに使えるので、内視鏡やマニピュレータの取り回しが楽なのだが、今それを言っても仕方がない。

「ナミ、0番のガイディング・アプリケーター。ルーブもくれ」
「はーい。ルーブはもう塗ってあるよ」
「上等だ。無影燈をもうちょっとこちらに当ててくれ」
「はーい」

 少量のルブリケーターオイルを、人差し指で肛門内部に塗りこんで潤滑する。不法改造機であっても大抵は肛門性交は禁忌だから、肛門へ異物挿入されると激痛を感じるようになっている。もっとも、いまは感覚をブロックしているので、千陽も何事もなかったかのように穏やかな顔をしているが。
 内視鏡を通すためにポートを少し広げる必要があるので、小さなラッパの形をしたアプリケーターをゆっくりと挿入する。ルーブで潤滑しているので、ツルリと差し込まれる。

「ナミ、内視鏡」
「はい」

 間髪入れずに内視鏡が手渡される。ヘッドマウントディスプレイをかけ、人工筋肉とナーブライン、フルードラインを避けながら少しずつ奥に挿入していく。股関節部まで到達したものの、この関節は殆どの部分が人工筋肉に取り巻かれていて、殆ど中が確認できない。わずかにのぞいている球体回転子の表面は、やはり傷だらけになっていて、状態が良くないことがわかる。ひとつだけ見えている固定子や制動子はガタついている訳ではないが、これがグラグラするほどであればモータートルクはほぼゼロである。

「うーん、内視鏡では無理っぽいなぁ」

 筋肉の裏に入っている固定子と制動子を確認するため、筋肉を内視鏡のマニピュレータで押し引きして何とか目視が出来たが、制動子がかなり摩耗しているので、これは交換する必要がありそうだ。股関節とは関係ないけれど、わずかだが体内にカビが生えている。毎週、体内を3Lくらいの窒素でパージすればかなり避けられるんだけども、社長がケチでやってくれない。しょうがないからついでに掃除しておこう。

「千陽、右膝を腹側に10cm動かしてくれ。内視鏡が入ってるからゆっくりとな」
「はい。これでいいでしょうか?」
「もう10cm」
「はい」
「もう少し曲げられるか?」
「もう少しだけ曲げられます」
「ゆっくりと曲げられるところまで曲げてくれ。無理はしないでいいぞ」
「はい…… これでいっぱいに曲げたと思います。もう少し曲げられるかもしれませんが、感覚がないので安全可動範囲を超える可能性があり、危険です」
「ここまででいい。ナミ、4番のガイディング・アプリケーター」
「はーい。4番だね」
「そう、一番太いヤツだ。あと、マルチ・マニピュレーターにクリーナーユニットを付けてくれ。床に落とすなよ」
「大丈夫だよ。ナミ、『えきすぱーと』なんだから」

 ちょっと口を尖らし気味にナミが言う。『どこがだよ!』と突っ込むのは面倒くさいからやめにして、マルチ・マニピュレータの準備を待つ間、内視鏡をゆっくり抜き取る。それから0番のアプリケーターも抜き取って、4番と差し替える。

「ナミ、内視鏡はレンズ洗浄してからワイピングして、引き出しに片付けてくれ」
「はーい」

 クリーナーユニットを付けたマルチ・マニピュレータを代わりに挿入する。構造のシンプルな内視鏡と違い、太さも堅さも全然違うのでなかなか股関節まで辿り着けなかったが、何とか押し込んで見える部分だけでも掃除する。制動子交換までやるなら、やはり切開しないとダメだろう。マイクロ・サージャリーではこれが限界だ。カビも含めての清掃後は、10分ほど窒素を送って内部を完全乾燥させ、オペは終了だ。

「千陽。とりあえず処置の方は終わったから、ポートを閉鎖していいぞ」
「はい。サービスポートを閉鎖します…… シーリングに異常はありません」

 ナミに手伝わせて、下着をはき直してもらう。まぁ、はいてなくても風邪をひく心配はないのだけれども。

「もう一度、音を聞いてみる。ゆっくり膝を上げ下ろししてくれ。高さは15cmだ」
「はい」

 また聴診器で作動音を確認するが、ほとんど改善していない。モニタ装置にも相変わらずアラートが派手に出ているので、手間をかけた清掃作業もあまり役に立たなかったようだ。制動子がひどく摩耗しているので、これの交換も必要ではあるのだが、やったところでそれほど関節モーターの延命にはつながらないだろう。これは、ハードウェアには手を付けずに、AI側の調整で応急対応するしか無さそうだ。

「千陽、関節を診てみたが状態が悪いな。やはり股関節アッシーの交換をしないと、完全には直らない。交換するにせよ、しないにせよ、しばらくはこのままで持たせないといけないから、股関節部の駆動エンベロープと感覚パターンを調整して、無理な作動ができないようにする。無理をした途端に強く痛みが来るようにセットするから、そのつもりで歩いてくれ」
「はい、わかりました。そうすると、私は普通には歩けなくなるのでしょうか」
「走ったりは無理だ。それから、階段などでは杖を突く必要があるだろうな。杖は使ったことがあるか?」
「ありません。私に使えるでしょうか?」
「処置が終わったら使い方を教えよう。簡単だ」

 ガラテア3には松葉杖の汎用学習データがあったはずだから、それをインストールして慣らし学習で部屋の中を三周くらいすれば大丈夫だろう。ナミなら…… 二三回は転ばないと覚えないかもしれないな。『市販モデルでは最高性能』が謳い文句だったガラテア4のプロトタイプのくせにドン臭いんだよなぁ、あいつは。

「お仕事はしても大丈夫でしょうか」

 心配そうな表情で千陽が聞く。何しろ『労働は我が喜び』のロボットだから、これは一番気になるところだろう。

「うーん、本当は交換が済むまで休んでたほうがいいんだがな。何しろ相手がロボットだと思って無茶する馬鹿が多いからなぁ。あとで妙さんには詳しい説明をするから、帰ってから妙さんに決めてもらえ」
「わかりました」

 ほっとしたような表情が千陽に戻る。千陽にタオルケットを掛けてやりながら壁の時計を見ると、昼をかなり回った時間だ。ナミを見ると、ちょうどマニピュレータの片付けが終わった所のようだ。

第二章: 鮭弁当と唐揚弁当

「おーいナミ、おつかいだ。コンビニ行ってちょっと昼飯買ってきてくれ。いつもどおり唐揚げ弁当な」
「うんわかったー。飲み物は買ってくるの?」
「茶はここで入れるからいい。そうだ、ついでにこっちのゴミも捨ててきてくれ。それから、入っちゃいけない路地には絶対行くなよ」
「うん、行ってきまーす」

 ナミが昼飯を買いに行っている間に、茶を入れる。妙さんが帰ってからこっち、四時間以上ぶっ通しで作業したからな。内視鏡を覗くのは慣れた作業なんだが、これだけ長時間だとちょっと疲れる。

「主任さん、私にお茶を入れさせて下さい」

 千陽が気を使って手伝いを申し出る。こんなにワーカホリックに作りこまなくてもいいのにな。いやまぁ、俺も開発メーカの一味だったんだけれど。

「いいから寝てろって。アンビリカルがつながったまんまだし、処置はまだ途中だ。お前、今日は患者なんだからおとなしくしとけ」
「お役に立てず、申し訳ありません」
「あやまらんでいいよ。退屈だろうがもうちょっと寝てろ」
「はい。私は『退屈』を感じることができませんが、このまま待機モードに入ります」

 そういうと、目を閉じて待機モードに入る。人呼んで狸寝入りモードだ。そうこうしているうちに、なんだか外から話し声が聞こえる。ナミが誰かと話しながら歩いているようだ。みっともないから通りではでかい声で話すなと、いつも言ってるんだが、俺の表情などを読んで『シカトしても大丈夫』と心得ているらしい。自分が開発チームに参加していたくせにこれを言うのも何だが『作りこみすぎ』だと思う。千陽にもナミの声がわかったらしく、目を開いてこちらを見る。

「ナミちゃんが帰ってきましたね。いつもより時間がかかってますけれど、何かあったのでしょうか」
「途中で珊瑚に会って、あれこれ喋りながら歩いてるせいだろう。まぁ、寄り道しないだけマシだと考えよう」
「ただいまー。唐揚げ弁当は脂っこいので体に悪いから、鮭弁当にしたよー」

 さらっと、とんでもないことを言っている。

「ふざけるなナミ! 唐揚弁当と鮭弁当じゃ、値段が3倍も違うじゃねぇかっ。大体俺は将来の健康よりも目先の唐揚げを選ぶ男なんだよ。珊瑚っ! おまえだろ、余計なことをナミに吹き込んだのは」

 こんなことで激昂するのも恥ずかしいが、800円で買える唐揚げ弁当が、好きでもない1700円の鮭弁当になってしまったのでは目も当てられない。さすがのナミもおずおずと上目遣いでこちらを見る。珊瑚はド派手な瑠璃色のサマージャケットを脱ぎながら、平気な顔で笑っている。

「あはは、先輩、そんなに怒んないでくださいよ。お弁当はスポンサーのおごりですから、お代はご心配なく。ナミちゃんも、そんな顔しなくても大丈夫だよ」

 ナミはすがるような目で珊瑚を見て、半分後ろに隠れている。

「あのね、お店に行く途中で珊ちゃんに会って、主任のお弁当を買うのって言ったら、珊ちゃんたちもご飯まだだから、一緒にお店に帰ってお弁当食べようって」
「で、スポンサー様の御意向で鮭弁当になったわけです。ご理解頂けたでしょうか」

 ニコニコしながらも有無を言わせぬ勢いで珊瑚が言う。スポンサー様って事は、連れがもう一人いるらしい。

「……ったく。で、そのスポンサー様ってのは? もしかしてうちの社長か?」
「ううん、お父さん」
「別府博士ですよ」

 ナミと珊瑚が同時に答える。ナミが『お父さん』と呼ぶ別府博士はただ一人、ピグマリオン・ラボラトリーズの設立者にして元代表取締役、そして現代最高のAI研究者の一人である別府三郎忠泰博士だ。なぜか昔の侍みたいに「三郎」という假名を持っていて、親だけが忠泰と呼んでいいらしい。

「何でまた、そんなお偉い人がうちに? まさかナミを取り返しに来たんじゃないだろうな」
「いや、そうじゃない。Anna…… いや、ナミ君は君のものだし、それを取り返そうなどと言う意志はないよ。うちの屋敷にもナミ君の妹がいるし、メイドの不足を感じることもないからね。それより君、元気だったかね」

 入り口から入りながら別府博士がなんだか気の抜けた様な表情で言う。相変わらずマイペースなジジイだ。

「お陰さまで。随分と急なご訪問ですが、今日はどのようなご用件でしょうか」

 そう慇懃無礼に答える。偉そうにアポなしで乗り込んできやがって、何様のつもりだ、クソが。

「まぁまぁ、先輩。そんなつっけんどんにしないで下さいよー。それより、お弁当買ってきたんだし、ご飯にしましょうよ」

 珊瑚が割って入る。まぁ、弁当おごってもらったわけだし、ここは下手に出ておくか。

「……そうだな。いい加減に腹が減ったし、飯にしようか。博士、ご馳走になります」
「ジャンクフードで申し訳ないが、僕はこう言うのが好きでね。コロラドにあるギブソンのアフォーダンス研究所でも毎日ハンバーガーとコークなんで、会う人みんなが『早死するから食生活を考えろ』って言うんだよ。そんな事言ってたら、君等の先祖はみんな早死じゃないかって言うんだけど『その通り、みんな早死だった』って言うんだよね」

 俺がイラついているのが全然感じ取れないらしく、何だか楽しそうに話している。自分が作ったロボットより勘が鈍いって言うのは問題なんじゃないのかと思う。 ナミの方が俺がいきなり切れて怒鳴りだすんじゃないかとハラハラしているようだ。

「ナミ、奥の戸棚から人数分の茶碗を持ってきてくれ。飯は応接で食おう。珊瑚も手伝ってやってくれよ」
「了解。ナミちゃん、戸棚まで案内して」
「うん……」

 二人が奥に引っ込むと、博士と俺と千陽だけになって、かなり気まずい…… のは、俺だけだったようで、博士はもう千陽に話しかけている。

「修理中かい? どこが悪いのかな」
「こんな格好で失礼いたします。右股関節に異常があります。私は千陽と申します。差し支えなければ、お名前を教えて頂けますか」
「僕は別府三郎です。君を設計した人間ですよ」
「そうなのですか。私にとっては造物主になる方なのですね」
「いやいや、僕一人で君を創り上げたわけではないから、それは言い過ぎだよ。先人の積み上げがあればこそ、君が生まれ出ることが出来たのだからね。だから造物主というなら僕だけでなく、いままで世界に存在した全ての人が君の造物主であり、神に当たるんだよ。君たちロボットは人類の子供なんだ」

 その造物主たる人間様の一人に、おかしな体位で無理強いされて壊されたんだけどな、千陽は。

「しかし、股関節の故障というのは珍しいね。普通は足首を捻ってしまったり、転んだ拍子に突いた手首を壊してしまう場合が多いんだが」

 家庭用のコンパニオンロボットならその通りだ。でも、性サービスに携わるロボットはそうじゃない……

「私は今年で14歳になりますし、具合が悪いのは股関節だけでなく、他にもあちこちあるのだと主任さんに聞きました。お仕事の関係上、体のあちこちに無理がかかるのだそうです」
「君は14歳か、ということはガラテア3の最初期バージョンだね。ならば、そろそろ躯体全交換を考えたほうがいいね。今はメーカーが芙蓉重工さんに変わったけど、AIユニットの互換性は大丈夫だからね。一気に躯体バージョンが二桁上がると、自分でも信じられないくらい体がスムーズに動くのでびっくりすると思うよ。ボディーを赤く塗って、角付けたくなるくらいだよ」

 そんな大昔の冗談をロボットに言ってどうすんだよこのオヤジは。どうせ千陽にはまるっきり意味が分からないからスルーするだろうけどな。わかってしまう俺にも問題があるけど。

「私のお母さんはそうしたいと言ってくれるのですが、お店の社長の決裁がなかなか下りないので、私の躯体更新は延び延びになっています」
「そうか、社長さんが早く決裁してくれるといいね。それはそうと、君はオーナーを『お母さん』と呼んでいるんだね」
「はい、ロボットの私や同僚たちを、実の娘の様に可愛がって下さいます」
「良いオーナーに恵まれたね」
「はい、私たちは幸せなロボットだと思います」

 職場が苦界でなかったら、お前たち、もっと幸せだったろうにな。と、ふと思ったが、博士はこいつが娼婦だってこと、分かっていないかもな。

「先輩、お茶が入りましたよ。博士もこちらで食べましょう。千陽ちゃんごめんねー、ちょっと食事が終わるまで待っててね」
「はい」
「では、ちょっと失礼しますよ。何しろ人間というのは日に三度は食事しなければいけないという、難儀な生き物なのでね」

 そんなに難儀ならもうメシを喰うなと突っ込みたかったが、躾の悪い子供みたいなのでやめる。既に唐揚弁当如きでナミを怒鳴りつけてるので手遅れだが。

「じゃ、しばらく待っててくれ、飯食ってくるから。待機じゃなくてスリープモードに入っていいぞ。飯が終わったら起こしてやるから」

 そう言って処置室から出ると、珊瑚が硬い表情でこちらを見て、低い声で俺だけに聞こえるように呟く。

「先輩、食事前だけどちょっと外で話ししていい?」

 え? マズイな、怒ってるぞ。ナミを怒鳴りつけたのが気に入らなかったんだな。怒ると怖いんだよなぁ、こいつ。

「お、おう。何だ?」

 玄関を出るなり、いきなり少し顔を近づけられて睨まれる。こいつ、俺よりちょっと背が高いので威圧感があるんだよな。目鼻立ちの整った美人なんだけど、今日はちょっとキツメの化粧なので、一層怖いんだよ。

「何であんなつまんないことでナミちゃんを怒鳴りつけるの? あの子、あれから給湯室でボロボロ泣いてたんだよ。言われた通りの弁当を買えなかったくらいのことであんなに叱られるんじゃ、あの子が混乱するでしょ。先輩はAI開発グループじゃなかったけど、それくらいの事は十分わかってるはずなのに、何なのよ?あの態度は」

 うわ、迫力満点だ。ここはすぐ謝っとかんと非常にマズイことになりそうだ。

「いや、大人気ないのはわかってるんだが、唐揚げが体に悪いとか言われたのでつい反射的にな。そもそも俺は唐揚げを馬鹿にするやつが……」

 と言いかけた瞬間、珊瑚の細い眉がぴくっと上がるのを見て俺はものすごく後悔した。下らないジョークが、珊瑚の逆鱗に触れたのがわかる。

「は? 唐揚げを馬鹿にしてるとか、先輩真面目に答えてますか? それとも、いつもあんな調子であの子を扱ってるってことですか? どんなくだらない理由でも理不尽でも、腹がたてばああやって怒鳴ったりしてるわけですか? 矛盾したデタラメな教育を与えられ続けたAIが、最後にどうなるか知ってますよね。そういうことを分かった上でああいう振る舞いですか? 一体どうしてそんなことが出来るんです?」

 どんどん声のトーンが上がっていく。こちらをひたと見据えたまま表情を変えずに詰めてくるのでプレッシャーが凄い。ここは、四の五の言わずに無条件降伏だ、降伏するしか無い。さもなくば殲滅される、殲滅されてしまう。

「い、いやいや、そんな事は無いよ。ナミをあんなに怒鳴ったのは半年以上ぶりだと思う。いや、一年ぶりくらいかもしれない。うん、俺が間違ってるのはよく分かってるんだ。あとでちゃんとフォローするから。約束する」

 こいつがこんなになるのを見るのは、ピグマリオンでの例の騒動以来だ。あの時も豹変ぶりにびっくりしたが、いまや矛先は俺の喉元にピタリと向けられてるわけで、そのプレッシャーたるや……

「あとで、じゃなくて今すぐケアしてやって下さい。今すぐです! ナミちゃんが混乱して泣いてるのはおわかりですよね」
「うんうんわかる。すぐそうする。えっと、その、ナミはまだ給湯室にいるんだよな」
「えぇ、すぐに行ってやってください。早く!」

 返事もそこそこに、珊瑚から逃げ出して給湯室に向かう。あぁ、怖かった。

「あぁ、修善寺くん。お先に頂いてるよ。やはり本場の鮭弁当はおいしいね。コロラドにも鮭弁当はあるんだけど、ジャンクフードのスピリットを失った妙にヘルシーな代物でねぇ。今のアメリカ人はほんとにダメだよね」

 えぇクソ、この脳天気星人め。お前が唐揚げ弁当を鮭弁当に変更しなければ、こんなことにはならなかったんだよ。

「いえいえ、お構いなく召し上がっててください。バタバタしてすいませんね」

 と、心にもないことを言いつつ給湯室に入る。ナミはもう泣き止んで落ち着いているようだが、俺に視線を合わせるのが怖いらしく、少し視線を泳がせてうつむいてしまう。それを見るとさすがに慰めないといけないなと思う。

「ナミ……」

 優しく言葉をかけたつもりだったが、まだナミはオドオドしていて、俺の顔をまともに見れない。それでも、何か言わなければいけないと思うのだろう、消え入りそうな声で話しだす。

「主任…… ごめんなさい。唐揚げ弁当を買ってこいって言われたのに、勝手に別のお弁当買ってきちゃって。今度からちゃんと言われたとおりに……」

 話しながら涙がこぼれそうになっている。それを見ながら、本当に下らないことでこいつを叱りつけたことを後悔する。俺は膝を折って低く屈み、下から顔を見上げて、ナミの固く握られた手を俺の両の掌で包みながら話しかける。

「ごめんな、ナミ。つまんないことで怒鳴っちまって。久々の癇癪だったからびっくりしただろ。勘弁してくれ」
「ごめんなさい、主任。ごめんなさい」
「いいよ、もう謝るな。どうでもいいことで叱りつけて、混乱させてしまったな。もし、唐揚げ弁当が売り切れてたら、どの道、別の弁当を選ばなきゃいけないんだし、どの弁当を買ったかというのは本当に大した問題ではないんだ。だからもう気にするな。それに鮭弁当を食べたかったのは別府博士なんだろ。博士はお客さんだしお金も払ってくれたんだから、博士の言うとおりに、お前が俺の分も鮭弁当にしたのは別に間違ってたわけじゃない」
「でも、ロボットは人間のために……」
「そうだ。そしてお前はよくやっている、よくやっているんだ。俺があんなに腹を立てたのは、お前が間違ったからじゃなくて俺が間違ってたからだ。まだお前にはよくわからないかもしれないが、人間には理不尽な感情がある。我侭で筋が通らなくてバカバカしいモンがな。ロボットが不完全であるように、人間もまた不完全なんだ。俺なんかは特にな。ロボットが日々学習して、完全なものになろうとするように、人間もまた間違いを繰り返しながら完全を目指す、よりマシな人間になるために。だから…… もう謝ってくれるな。それは間違いを責められるより辛いことなんだ」
「うん、でも……」
「謝ってくれるな」

 そう言いながら、ゆっくりと屈んだ身を起こし、ナミの両肩を軽く抱いて前髪に頬を寄せる。考えて見れば、元々の俺の指示とわざわざ違う行動をしたということは、良かれと思って自分自身で判断をしたということだし、その結果怒鳴りつけられたのだから、ショックを受けないはずがない。
 大体、いつも俺自身が『ロボットが指示に従わずに独自の判断をした場合には、頭ごなしに叱ったり、故障と決めつけないでください。ロボット本人に聞けば理由を必ず答えますから、それを聞いてから諭すなり、ウチに検査の連絡を下さるようにお願いします』と客に言ってるのにな。

「先輩、弁当もお茶も冷めますよ。早く食べないと」

 珊瑚が、聞き耳を立てて頃合いを見ていたのだろう、いいタイミングで呼んでくれる。博士と話してたみたいなのに、よくこっちの状況がわかるもんだ。

「おうわかった。ナミ、おいで。今日は暑いから、ずいぶん喉も乾いてるだろ」
「うん」

 さっきから比べると、ちょっとだけ表情が明るくなった気がする。お使いから帰ってくるまでの脳天気さからは随分落差があるが、まぁしばらくは仕方がない。千陽みたいなガラテア3系のロボットなら、その気になればコマンド一発で瞬時に気分を切り替えられるが、ガラテア4はそうはいかない。一回気持ちが凹めば、立ち直るまでちょっとは時間が必要だ。

「ナミちゃんこっちにおいで。お水があるから」
「うん、ありがと珊ちゃん」

 珊瑚が手招きして自分の隣にナミを座らせる。手回しよくナミの専用ボトル入りの超純水が置いてある。飯を食い終わった別府博士が俺に話しかけてくる。

「ナミくんに超純水を飲ませてるのは感心だね。水道水やイオン交換水で間に合わせようとすると、後で泣くことになるからね」
「そりゃまぁ、場末のロボット修理屋にだってそれくらいの常識はありますよ。超純水カートリッジなんて、そんなに高くないですしね」

 飯を食いながら返事をする。すっかり冷めてしまっているが仕方がない。茶は珊瑚が入れなおしてくれたからいいんだけど。

「いやいや、水道水をそのままロボットに飲ませて、リキッドラインにスライムを発生させてしまうユーザーが本当に多いんだよ。デタラメなメンテナンスや修理をするサービス店も少なくないからね。メーカーが想像もしないような無茶な修理をしてロボットを壊しておいて、メーカーの設計のせいにしたりするから質が悪いよね」
「デタラメって点では、うちの店は最右翼ですよ。不法改造の客ばかりですしね。さっき博士と話しをした千陽も不法改造を受けてますよ」
「知っています。この店の社長が指定暴力団の有力構成員であることもね。君に関する消息情報は随分聞かされましたから」

 そりゃまぁ、今でもギブソンの社員である珊瑚がうちの店に入り浸ってるし、逃げ隠れしているつもりもないから調べる気になれば簡単だったろう。しかし、珊瑚がべらべら俺のことを喋るとも思えないんだがな。

「あの、先輩。私はこの店については、誰にも何も話してないよ」

 珊瑚がちょっと慌てた様子で口をはさむ。考えて見れば、あいつだって営業サボってウチに来てるんだから、人にはしゃべれないよなぁ。

「わかってるよ。私は営業サボって油売ってますって宣言してるようなもんだしな」
「なぁに、湯布院くんは国内での営業成績はずっとトップクラスだし、勤務時間をどう使おうがどこからも文句は出ませんよ。来年度からはシンガポールのアジア・パシフィック統括ブランチに栄転することもほぼ内定してるくらいだからね」
「え?そうなのか。すごいな、大出世じゃないか。ウチでサボってばっかりのスーダラ社員だと思ってたのに」

 珊瑚の方を見ると、なんだか居心地が悪そうな顔をしている。

「ギブソンの営業事業部の取締役に聞いたら大絶賛だったよ。研究畑の人間なんて、営業やらせたらすぐに音を上げて辞表を出すと思ってたのに、一年そこそこでこんな結果を出せるなんて考えても見なかったって言ってたよ」
「それは褒めすぎですよ、博士。私、あちこちでお客様と喧嘩して、最後には出入り禁止になっちゃた会社もあるんですから」

 珊瑚が照れくさそうに言う。そう言えば、あのときはうちの店で延々と愚痴られて往生したな。

「いや、その会社も別の営業に行かせたら、結局君の提案通りに話が進んだし、うるさ型で営業泣かせだった向こうの担当者の態度が激変していて、随分やりやすくなったっていう話も聞いたよ」
「そうなんですか。あの案件はあのまま駄目になったのだと思ってましたけど。フォローしてくれた人がいたんですね」
「何だ、君は知らされてなかったのか。僕は本社の人間から聞いたので、日本支社の人はみんな知っているのだと思っていたよ」

 あの時の件では、一ヶ月程も会社で嫌味を言われ続けたと珊瑚に聞いたが、一体どうなっているのやら。こいつも社内の人間関係では相変わらず苦労してるみたいだな。

「それで、博士、今日はどんな用件で来られたんですか。俺も仕事があるんで、なるべく手短にお願いしたいんですが」

 千陽の処置は3時間もかからないだろうから、飛び込みの修理が入らない限りは定時で帰れそうなんだが、アポなしの客は基本的に後回しというのがうちの店のシステムだ。親切にしなければならないと思うような義理は、この人にはないしな。

「いや、今日は用件というほどのことはないんだ。お盆だから一月夏期休暇を取って日本に帰ったら、湯布院君に会う機会があってちょっと話をしたんだよ。そこで君の話も出て、今でも湯布院君と君は付き合いがあるということだったから、案内してもらったんだよ」
「付き合いって言うか、一応俺は珊瑚の客ですけどね。ナミの消耗パーツはあいつを営業窓口にして買ってますし。それじゃ、特に用事はなくて遊びに来たってことですか」
「いや、遊びに来たわけではないんだ。ピグマリオンが買収されてから、君については芳しくない噂しか聞かなかったし、ピグマリオンがギブソンに買収されたときに無茶な解雇の仕方をしたから、ずっと気になっていたんだよ」
「いや、ピグマリオンが立ちいかなくなったのは、俺や珊瑚達が中心になって起こした騒動のおかげで、ガラテア4の開発が滞ったのも一因ですし、首魁の俺が指名解雇されたのは当然でしょう。さすがにクビはショックでしたが、理由はわかりすぎるくらい明白でしたから恨む筋合いはありませんよ。再就職には苦労して結局こんな後暗い店に潜り込むことになりましたが、ナミを養って食っていくには不足ない稼ぎもありますし、ご心配には及びません」
「いや、それは違うよ。絶対に違う」

 なぜか博士は語気を強めてきっぱりと言った。

「ピグマリオンの買収に関しては、君らが責任を感じる必要は一切無い。全て僕の責任だ。僕が有馬君と決別したときに、もう失敗は決まっていたんだ……」

 博士の言う有馬君とは、博士と並んで『ピグマリオンの侍コンビ』と言われた有馬格之進常務取締役だ。博士と一緒にピグマリオンを設立し経営面を一手に見ていた実質的経営者で、この人が経営を支えていたからこそピグマリオンが躍進できたと評価する経済人が多かった。俺が義務教育を終えてピグマリオンに就職して5年目、新鋭機ガラテア4の製品化が遅れて開発費がかさんだため、資金状況が悪化したピグマリオンは、当時飛ぶように売れて経営の大黒柱だったガラテア3の生産設備を国内シェアトップの芙蓉重工業に売却することを決定した。その決定に最後まで職を賭して抵抗し、決定後には辞表を出したのが有馬常務だった。ピグマリオンがギブソンに買収された日、それまで固辞してきた芙蓉からの招聘を受け入れ、いまは芙蓉重工業の代表取締役をしている。

「ピグマリオンの旧経営層にもそれを理解したくない故に、Antarctica-IIプロジェクトが遅れたせいで買収されたと主張し、そう信じているものが少なくない。そんな彼らの筋違いの憎悪の為に、君は生贄にされたようなものだ」

 経営層でただ一人だけ開発の拙速を諌めた有馬常務は、開発中のガラテア4は非常な高額化が想定される事、そのために開発費用の早期回収が望めるほどの売上が見込めない事を挙げ、ガラテア4の開発費用を絞り、開発ピッチを下げて会社の負担を下げることと、その分の余力を、これからまだまだ高い売れ行きが望めるガラテア3の改良に向けることによって、会社の基盤をさらに安定させるべきであると主張した。
 一方、別府社長をはじめとする研究所サイドでは、他メーカーがベストセラーであるガラテア3の次の世代を目標とした開発を着々と進めており、ガラテア4の開発は時期尚早どころか遅れをとっている可能性さえあること、今はロボット関係の技術はAI技術を始めとして加速的に進化を続けている最中であり、このタイミングで技術投資を絞ってしまうのは自殺行為であることを訴え、技術的問題、および費用的な問題からたった一台しか製造していない実験用プロトタイプを、あと数体追加製造する必要さえあると主張した。
 元々ファブレスのロボット開発会社として設立されたピグマリオンは、伝統的に研究サイドの力が強かったし、なにより社長の別府博士が、当面のヒューマノイドロボット技術の決定版として考えていたガラテア4の開発に強くこだわっていた以上、社内で発言力の弱い営業部のトップである有馬常務の不利は明らかであった。しかし自分自身もコンピュータ技術者で技術に対する将来のビジョンを持てる人だった有馬専務は、粘り強く社内での根回しを進めていた。研究所にも足しげく訪れ、他メーカーに対するピグマリオンの大きな優位を説き、性急な開発が必要ない事、あまりの性急さは会社の発展を阻害し、開発している技術自体を歪めてしまう可能性があることなどを飽く事無く説き続けた。秋霜烈日、鉄の規律で営業部を掌握していた有馬常務の人柄の厳しさはよく知られていたから、若造の俺なんかが話しを聞くときにはカチカチに緊張して、却って常務に苦笑されたこともある。
 今にしてみれば、常務の意見はことごとく正鵠を得ていた。他社の新開発ロボットは、宣伝こそ派手に行われてきたものの、まともなプロトタイプさえ出せていない会社がほとんどで、既にAnnaを三年前にロールアウトし、開発を急ピッチで進めるピグマリオンの技術的優位は圧倒的と言えた。一方、ガラテア3を引き継いで生産している芙蓉重工業はコンパニオンロボット部門が最高益を毎年更新するほどの好調さであり、芙蓉製ガラテア3の累積生産数は既にピグマリオンのそれを遥かに超えている。そしてガラテア3の改良を着々と進める一方で低価格化をも成し遂げている。おかげで完成はしたが常識はずれな高価格だったガラテア4は市場から殆ど相手にされなかった。
 また、常務はガラテア3の開発期間から類推しても、ガラテア4の開発予定には余裕がなさすぎることを強く主張していた。新型AIの学習特性とその目標のはるかな高みを考慮すれば、プロトタイプによる初期学習はガラテア3の三倍以上必要だと思われるのに、非常に甘い見積もりが立てられていること、ガラテア3では数体のプロトタイプで分散して行った実験を、たった一体のプロトタイプで行わねばならない無理も指摘していた。もっともそれは『その通り。プロトタイプは不足している。だからプロトタイプ追加の予算を捻出してくれ』という研究サイドの反論にさらされていたけれども。
 しかし、ガラテア4のAIシステムはガラテア3と異なり、複数の学習履歴の異なったAIの知識ベース=長期記憶をマージすることが困難で、それは今後の技術的課題として残されていた。そのために、たった一体のプロトタイプで学習データーを蓄積することにした経緯がある。AI開発グループではガラテア4の生産前までに記憶マージ技術の開発は可能とする人も多かったが、そちらの開発は遅れに遅れているのが現実だったから、研究サイドの主張は絵に描いた餅とも言えた。そういった意味での有馬常務の見通しは恐ろしいほどに正確だった。
 俺がそんな事を思い出している間も別府博士は話を続けている。

「結局その後の展開を見るにつけ、有馬君の意見がどれほど正しかったか、僕の見通しがどれほど甘かったかを痛感したよ。彼の言う通り時間をかけてAnnaの開発をすべきだったし、有馬君同様に開発ペースを落とすように主張した君たちも間違っていなかったんだ。そして本来責任を追求されるべき経営責任者の僕ではなく、君が八つ当たりされる様に被害をうけることになり、僕はそれを止められなかった。だから、今更何の足しにもならないが、機会を見つけて君に謝罪したかったのだ」
「そんなに気にして頂かなくても大丈夫ですよ。別に博士に首を切られたわけじゃなくて、俺を有害人物ないしは不要人物だと思って解雇したのはギブソンの人事部ですしね。能力が認められていれば珊瑚みたいに居残ることも出来たわけですから」

 言い終わってから、しまったと思う。珊瑚を引き合いに出すべきではなかった。俺はいつもそうだ。言ってはいけないことがわかってるのに、いつも一言多いんだ。

「先輩、別に私は能力を認められて残れたわけじゃないよ。父さんがギブソンの取締役だったからだもの。知ってるでしょ、そのことは」

 珊瑚の言うとおり、珊瑚の父、湯布院隼人教授は高名なメカトロニクス研究者で、ギブソンの研究所にも長く勤務し、今でも名誉フェローの地位にあり、長年社外取締役を務めている。日本国内の大学の招聘を受けて教授となってからは、ピグマリオンとの関係も深い。
 ピグマリオンは新人研修を終えると、工場勤務と平行に行われる専門教育プログラムを希望する新人に施すが、そのプログラムでの俺の指導教官が湯布院教授だった。俺はメカトロ屋としての基礎からその最先端までを、湯布院教授に叩き込まれたと言って良い。叩き込まれた、というのはレトリックではなく、本当に教鞭でバシバシとやられたのだ。同時に気さくで若い者への面倒見のいい人で、よく飲みにも連れていってもらって酔って上機嫌の教授をタクシーで家まで送ったものだ。
 そういう人が父親だった珊瑚は、入社の時から「コネ入社」と影で言われたりすることも多かったが、実際は珊瑚の入社に一番驚いたのは湯布院教授その人で、あいつは親に何の相談もせずに進路を決めたのだ。それで、珊瑚が入社してしばらくは、俺は飲み屋で教授から愚痴られたり絡まれたりで大変だったことを思い出す。そういう経緯もあって、おれは珊瑚に悪い虫がつかないようにお目付け役を仰せつかるようになり、教授はあいつの配属先も人事に手を回して俺の部署にしてしまったらしいのだ。もちろん珊瑚にしてみれば俺は鬱陶しいストーカー野郎同然だった訳で、正直言って露骨に嫌われた。教授からは『お目付け役のお前が娘に手を出しおったら、八千馬力のサイボーグに改造してミサイルランチャーもオマケしてくれるから覚悟しろ。監視不十分でおかしな虫がついたときにも同様だ!』などと脅されるし、あの時はつくづく引き合わないと思ったものだ。

「あぁ、それも違うよ。湯布院先生が反対したのは修善寺君の解雇で、君には花嫁修行させる気だったみたいだよ」

 別府博士が意外なことを言う。俺の聞いた話では、弟子筋の俺と娘の珊瑚が中心になって起こした騒動でピグマリオンに対する立場が非常に苦しくなった教授は俺に対して激怒していて、その意を汲んだギブソンの人事部が俺の解雇を、通常の『会社都合による解雇』ではなく指名解雇する形式にしたと言うことだった。もっとも、俺としてはそちらの方が精神的に救われる気がしたのだが。つまり、俺の能力に問題があって解雇されたのではなく、経営サイドの感情的な問題で解雇されたと考えることも出来たからだ。もし逆であったら…… ナミが傍らにいてくれたとしても、俺はもうこの世にいなかったかもしれない。

「先生も随分君を惜しんでいたよ。ギブソンにはメカトロ屋さんはたくさんいて、世界最高の技術水準というのはある意味間違いがないけれど、彼らが主にやっているのは軍用か重作業用のロボットだからねぇ。先生は『ギブソンには家庭用ロボットのノウハウなんてロクにないくせに、あいつをクビにするなんて気が狂ってる』って随分怒っていたよ」

 あまりに意外な話で、どう反応していいかわからない。会ったら最後、改造手術で八千馬力だと思ってしなぁ。

「そんな事を言ってくださってたんですか。俺はあの時の騒動では湯布院先生に迷惑かけどおしだったから、あれ以来はもう合わせる顔もなくて」
「僕だけじゃなくて湯布院先生も君のことは随分心配されてたんだから、ちゃんと会ってお話したほうが良いと思うよ。そうそう、珊瑚君、君もほとんどお父さんと会ってないそうじゃないか。だめだよそんな親不孝は。メッセージの返事もろくに返ってこないって、寂しそうだったよ」

 急に矛先を向けられた珊瑚が、見え見えの言い訳をする。

「いえ、なるべく実家には寄ろうとは思っているんですけど、営業になってから忙しくて、なかなか……」
「へぇ、ウチの店には三日と空けずに遊びに来るくせにねぇ」
「珊瑚君、親不孝はいけないよ。自慢するようで恐縮だが、僕はギブソンのアフォーダンス研究所にほとんど泊まりこみで勤めてるけど、お盆と正月には必ず日本の実家に帰っているよ。別に土産がいるわけじゃない、元気な姿を見せて近況を話してあげるだけで親は安心するんだから、横着なことをしてはいけないよ」

 さっきは一方的にやられたし、ここでちょっと逆襲しないと悔しいからな。別府博士と共闘するのは不本意極まるが、もうちょっと突っつこう。

「そうだな、珊瑚。この間だってナミ連れて妙さんのところで遊んでたようだしな。そんな暇があったら……」
「何いってんですか先輩。確かに私は実家とはご無沙汰してるけど、先輩にだけは言われたくないですよ。この間だって、先輩のお母さんが心配して電話してきたのに、最後には怒鳴りだして『もう電話してくるな!』とか言ってたじゃないですか。私とどっちが親不孝なんですかねぇ。大体、実家に顔出してないのは先輩のほうが酷いでしょ。ピグマリオンにいる頃から、ほとんど実家に帰ってないって自慢してたじゃないですか」
「だって、あの時はラボ勤務のやつは全員デスマーチの真っ只中で、自分の家に帰れるのが珍しいくらいだったし……」
「一年中ずっとデスマじゃなかったでしょ。開発の節目節目で休みはあったんだから。大体、うちの父とだって随分飲み歩いてたそうじゃないですか。飲む時間はあるのに実家に帰る時間がないって、それ、一体どう言う親孝行ですか?」
「だって、湯布院先生に飲みに誘われて断れるわけ無いだろ」
「あら、うちの父が悪いっていうわけですかぁ?」
「そんな事言ってないだろ。先生と行けば、俺が一人では入れないような高い店で飲ませてもらえるから……」
「お酒の方が親より大事ってどうなんでしょうねぇ。ちょっと孝行息子とは言いがたいですよねぇ」

 笑顔でどんどん追撃される。だめだ、一発打っても十発返ってくる。やはり俺はこいつに勝てない、勝てないのか……

「修善寺君、良くないね。良くないですよ、それは」

 くそ、なんなんだよこのジジイ。いきなり寝返りやがって。で、俺ひとりが仲間はずれで悪い子かよ。だから三人って嫌なんだよ。

「ナミね、この間お使いでおじいちゃんのところに行ったよ。おじいちゃんが『空海(そらみ)は元気にしているか』って聞いたから、仕事が忙しくて寝てないから、朝は機嫌が悪いんだよって言ったら、笑ってたよ」
「ナミちゃんだけ行かせるなんて、よっぽど実家に顔を出したくないみたいですねぇ、先輩」

 ナミ頼む、庇ってくれてるつもりだろうけど、ちょっと黙ってて、お願いだから……

「修善寺君、なるべく自分で出向いたほうがいいよ。親って言うのは、子どもがいくつになっても心配するものなんだから」

 うるせぇんだよ! 実家に行けば『ヤクザのやってる店なんて辞めろ』とか『女の子のロボットが家にいると、普通の女性に気味悪がられて結婚できなくなるから、ナミは実家においておけ』とか色々言われて、最後は大喧嘩になるに決まってんだよ。そんなところをナミに見せるわけにはいかないだろうが―― と言いたかったが、ここで別府博士相手に口論するわけにもいかない。

「はいはいわかりました。近いうちに実家に顔を出してきますよ。親孝行しますとも、是非させて頂きます。で、話が変わりますけど千陽が処置室で待ってるので、俺はそろそろ仕事しなきゃいけないんですよね。これくらいでお話はよろしいですかね? よろしければ、俺は仕事に戻りたいと思うんですけど」

 逃げよう、俺はもう逃げたい。そりゃぁナミを怒鳴ったのは悪かったが、何で俺がこれほど親不孝者呼ばわりされて責められなきゃなんないんだよ!

第三章: 治療中

「いや、つい話し込んでしまったね。忙しい時に急に来て申し訳なかった。そもそも君に謝りに来たはずなのに、なんだか説教に来たみたいになってしまったね」

 わかってんならさっさと帰れよ、と心のなかで毒づく。

「ちょっとお願いがあるんだが、千陽くんの修理をしているところを、ちょっと見せて欲しいのだけれど、構わないだろうか」

 帰んねぇのかよ…… 場の空気を察しろよ。そう思ったが、邪魔だから帰れと言えるはずもない。

「はぁ、御覧になるのは構いませんが、あとはソフトウェアの調整だけですし、見て楽しい部分は特にありませんよ」
「うん、それにも興味があるんだ。こういう小店舗での修理状況を見る機会はなかなかないからね。勉強になると思うんだよ」
「それでは、私たちは邪魔にならないように処置室の隅のほうで見学しましょうか。先輩、折椅子貸してね」

 珊瑚は俺の返事を待たずに椅子を取りに行く。何だあいつも居残るのか、自分の仕事はいいのかな? まぁいい、さっさと仕事を始めよう。

「ナミ、千陽を起こして服を着るのを手伝ってやってくれ。服を着たら調整に入る」
「はい。千陽ちゃんを起こして服を着てもらうんだね」

 下着姿のまま処置するつもりだったが、ギャラリーがいるからな。珊瑚はともかく別府博士に見られるのは嫌だろう。

「そうだ。アンビリカルは一回外してかまわん」

 そう言いながら、俺自身は倉庫に行って杖を探す。確か一本あったはずだ。

「主任、千陽ちゃんの着替が終わったよ。アンビリカルコードを繋ぎ直していい?」
「操作特権がないと再接続はできないから俺がやる。ちょっと待っててくれ」

 整理棚の一番上に載っていた埃まみれの杖を引っ張り出して掃除する。あーあ、雑巾が真っ黒だ。あとでナミに洗わせよう。

「よーし千陽、アンビリカルを再接続するぞ。服が皺になってしまうが、診療台の上に横になってくれ」
「お願いします。シーリングは解除したままになっています」

 ナミが千陽のブラウスのお腹の部分のボタンを外し、千陽のおへそが見えるように広げる。そこに俺はコード端子をゆっくりと挿入する。

「モニタ装置を確認しました。認証中です…… 認証終了しました。接続を確立します」

 また、千陽が状況読み上げをしている。ナミは一生懸命に皺になった千陽のスカートの裾を引っ張って直している。俺はモニタ装置を手元に寄せ、アラート信号のレベルを見ながら、股関節モーターの駆動エンベロープと感覚パターンの調整に入る。今のままでは千陽は常時痛みを感じることになるので、痛覚のスレッショルド・レベルをある程度上げて痛みを緩和する。また、関節モーターの作動エンベロープ限界近くで急激に痛みを感じる様に、スレッショルド・カーブを調整するのと駆動力パターンを調整。それから、人工筋肉と股関節モーターのトルク分配比を人工筋肉側に傾ける。そんな作業をしばらく続けた後、千陽に声をかける

「感覚を戻すぞ。多少痛みが来るからな」
「はい、お願いします」

 モニタ装置にリダイレクトしていた感覚シグナルを、千陽に戻す。しきい値を変えているから大丈夫なはずだが。

「どうだ、まだ痛むか?」
「いえ、右足の付根に違和感がありますが、痛みはありません」
「そうか。それじゃゆっくり動かしてくれ。膝を上の方に10cmだ」
「はい。痛みはありません」
「ナミ、また千陽の肩を押さえてやってくれ。軽くで構わん」
「はい主任。千陽ちゃん大丈夫? 痛くないの?」
「えぇ、痛く無いですよ。ありがとう、ナミちゃん」

 悪いな、千陽。これからが痛いんだ。

「千陽、俺の左手を握れ」
「はい」
「ゆっくり膝を曲げ続けてくれ、太ももがお腹にくっつく20cm手前くらいだ」
「はい。あまり力が入りませんが大丈夫でしょうか?」
「駆動力パターンを調整したからな。力は弱くなるが、そのまま上げられるはずだ。続けてくれ」
「はい」

 ゆっくりと膝が上がっていく、と、急にそれが止まる。千陽がきゅっと手を握ってくる。

「! 痛いです、主任さん」
「少し足を戻せ」

 千陽がちょっと顔を歪めている。反射運動が出たのだから、かなり痛かったはずだ。調整値はこれで良さそうだな。

「ある程度曲げると、こんな感じで急に痛みが来るようにしたんだ。普段の生活ではこんなに股関節が動くことはないだろうが、仕事の時にはありうるからな。今はゆっくり動かしたが、速く動かした場合にはもっと変位量の少ない段階で痛みが始まるぞ。それも、もっと激しく痛むようにしてある。ナミ、千陽の肩をしっかり支えてあげてくれ」

「はい。千陽ちゃん大丈夫? 頑張ってね」
「ありがとう、ナミちゃん」
「行くぞ……」

 膝の高さをもっと下げさせてから、右手で膝を押さえてぐっと下に押し込む。

「うあぁっ! 痛い、痛いです主任」

 防御反応で千陽の全身の人工筋肉とモーターが一瞬ビクっと動き、俺の左手がギュッと握られる。それはそうだろう、衝撃荷重がかかった場合などはモーター制動子が作動するので、それに合わせてモーター破壊時並の感覚シグナルが入るようにしたのだ。痛覚反射反応で千陽の目に涙が溜まっている。

「千陽ちゃん大丈夫っ? 主任、千陽ちゃん泣いてるよ」
「うん、すごく痛かっただろうからな。ごめんな千陽、どうしても一回だけは、実際に痛みのシグナルを入れて学習しておかないと、AIと人工神経系の連携防御反応ルーチンがちゃんと動かないんでな。もう今日は痛い処置はないから安心しろ」
「はい、でもまだ少し痛いです。大丈夫でしょうか」

 ナミが手渡したハンカチで涙を拭きながら、千陽が不安げな顔で聞く。

「今みたいな強烈な痛みが来たときには、痛みが完全に引くまで10秒程かかる。その間は動くなよ。動いてる間は痛みが持続するからな。もうそろそろ痛みが取れてきたと思うが、どうだ」
「…… はい、大丈夫です。もう痛みはなくなりました」
「それじゃ、これから学習データセットの導入をするからな。終わったら、実際に杖を突いてみよう」
「わかりました。学習データセットの導入なら特権ユーザーの再認証が必要です。もう一度認証をお願いします」
「わかった。認証してくれ」

 再認証が終わると、モニタ装置からコマンドを送り、千陽の意識レベルをコーマに落とす。データーセットのスキャンと導入をし、整合性チェック…… よしオールグリーン。導入の正常終了を確認してから覚醒コマンドを送り、千陽の意識を回復する。

「よーし千陽、アンビリカルを抜くぞ。今日はもうこれ以上接続することはないから、おへそはシーリングしていいぞ」
「はい、わかりました。モニタ装置との接続を解除します…… 解除完了しました」
「ナミ、アンビリカルを抜いて片付けてくれ」
「はーい」

 別府博士が声をかけてくる。

「相変わらず仕事の手際がいいね。素晴らしい。うちのラボの研究員に見習わせたいな」

 当たり前だ、こっちは修理件数を稼がないとおまんまの食い上げなんだからな。お気楽なラボの連中とは訳が違うぜ…… と心のなかで毒づく。

「うちの社長には無駄に時間をかけ過ぎると、いつも文句を言われてますよ。『仕事の出来栄えだけ気にして、稼ぎの事を考えねぇ奴はプロじゃなくて素人だぜ』って言うのが、社長のいつもの小言です」

 実際、今日は千陽の処置だけで丸一日近くかけている。他のアングラ修理店なら半日かけずに終わらせるだろう。割り切った店なら股関節周りの感覚シグナルを遮断するだけで、モーターが摩耗して動けなくなったら交換してやるからまた来い、とやるはずだ。それなら三十分もかからない。

「でも、今は仕事が丁寧なおかげで贔屓にしてくれるお客さんが多くなったせいで、下手に雑な仕事もできないし大変ですよね。いくら良い仕事をしても余分にお金払ってくれる人はなかなかいないし」

 珊瑚も話に混じってくる。全くこいつの言うとおりで、なまじ丁寧にやりすぎたおかげで自分の首を締めていると思うことが多いよな。

「主任、これはどうするの?」

 ナミが杖を持って俺に聞きに来る。杖の長さは調節済みだから、早速千陽に杖を突かせてみるか。

「杖は千陽に渡してくれ。動作パターンのすり合わせ練習をしないといけないからな」
「はーい」

 学習データはもう導入しているので、実際はそれほど教えることはない。ただ、ガラテア3は個体ごとのオプションの幅が大きく、身長・体重・重心位置がまちまちなので、その分は個体ごとに学習させる必要がある。千陽は身長・体重は標準だが、アンダー65/Fというガラテア3では最大のバストサイズなので、重心位置がやや高いからその分の補正学習が必要になる。 また、たいていの足回りの故障は足関節で、膝関節や股関節は故障データーが少ないから、そこが故障した場合の最適歩行パターンが入っていない可能性もあるしな。一応、転ばないように補助をつけて歩かせようか。

「ナミ、千陽の左側に立って並んで歩け。手は貸さなくていい。千陽は転びそうになった時だけナミにつかまれ」
「うん、わかった」
「はい、わかりました」

 二人が同時に答える。ナミのやつは珊瑚が日本語の先生みたいなものだったから、口調がよく似ている。もうちょっと丁寧な口調にならんかなと思うが、俺が教えたら遥かにひどい事になるので、口調に付いては諦めている。昼飯時にはすっかりしょげていたナミだが、夕方近くになってようやく元気が出てきたみたいだな。
 実際に店内を少し歩いて、それから外に出る。駐車場まで往復したが特に危なげなところはない。

「大丈夫みたいだな」
「はい、ありがとうございます。この杖は私が使っていてよろしいのでしょうか」
「あぁ、しばらく使ってろ。めったに使うことがなくて埃をかぶってたものだしな」
「はい、それではしばらくお借りします」
「主任、お店の駐車場に黒い車が止まってたけど、どこの車だろうね。怖い顔のおじさんが乗ってたけど」
「怖い顔ねぇ、うちの社長より怖い顔だったか」
「うん、いい勝負だよ」
「多分、別府博士を乗っけてきた車だろう。エライさんだからな、博士は」

 半日も運転席でぼーっと留守番じゃショッファーも腐るよな。そりゃあ怖い顔にもなるだろう。ちょっと店に入って珊瑚に聞いてみようか。

「なぁ、うちの駐車場に止まってる黒のリムジンはギブソンの社用車だろ」
「うん、私たちが乗ってきた車だよ。ボディガードが二人いたでしょ」
「いや、ドライバーが仏頂面で座ってたけど、もう一人は車にはいなかったぞ」
「あぁ、多分この店の周りを警戒してるんでしょう。日本では余り問題になっていないけれど、アメリカではロボット研究者へのテロが少なくないからね。ギブソンではまだ一人も研究者の犠牲はないけれど、ウチを狙ったテロリストは二ダース以上もガードマンに殺されてるんだよ。怖いよね」

 別府博士が言うと、全然怖そうではない。このジジイは拳銃握ったテロリストが目の前にいても、この調子で平然としてるんじゃないのか?

「大きな声じゃ言えないけど、あいつら二人とも拳銃携帯してるし、車には小型マシンガンまで積んでるんですよ。万一警察沙汰になったらどうするんだって言うんだけど、本社の警備部が『博士を失うリスクよりはマシだ』の一点張りでね。信じられませんよ」
「まぁ、社長がたまに連れてくる若い衆にはチャカ呑んでるのもいるし、このあたりも治安が良いとは言えない地域だしな。一応の用心としては止むを得ないと思うよ」
「え? 先輩、それ本気で言ってるんですか? それって一般人の発想じゃないですよ。まさか、もう刺青入れてヤクザになっちゃったんじゃないでしょうね」

 今時、刺青入れたやくざ者なんてほとんどいねぇよ…… と思ったが、世間ではそう思ってる人多いんだよな。

「ばーか、確かにうちの店はヤクザのフロント企業だけど、俺はタダの従業員で、別に盃もらったわけじゃないよ」
「先輩、絶対ダメだよ、やくざ者になんかなっちゃ」
「わかってるよ。うちの社長見てれば人種が違うってことがイヤというほどわかるし、仮になりたいと思ったって、ありゃ無理だよ」
「あのね、社長は怒るとすごく怖いんだよ。主任が一回怒られて血だらけになったんだよ。ヤクザはとっても怖いんだよ」

 あん時はひどい目にあったな。確か雇われて三ヶ月くらいの時、店内の掃除がなってないって言われて、ちょっと口答えしたら髪の毛掴まれて机に思い切り叩きつけられたんだよな。ナミが大泣きして止めてくれなかったら、あのまま殴られ続けて半殺しにされてただろうな。鼻骨粉砕骨折でしばらく形成外科に通ったっけ。

「それって、もしかして去年の春頃に酔っ払って転んだって自分で言ってたやつ?」

 目を丸くして珊瑚が聞き返す。バレバレな言い訳だと思ったんだけど、信じてたのか。

「あぁ、それだ。あん時ゃ痛かった。やられたときは感覚が麻痺して大して何も感じなかったが、次の日からしばらくは痛み止めが欠かせなかったからなぁ」
「何で泣き寝入りするんですか? 警察に訴え出ればいいじゃないですか。従業員だから殴られっぱなしなんておかしいよ」
「やられたあとは俺もそう思ったんだけど、そうするとうちの社長は確実に実刑打たれて何年も刑務所暮らしになっちゃうし、そうなったら店は潰れて俺はまた失業だしな。それに、うちの社長はやることさえやっとけば別に暴力振るうこともないし、筋さえ通ってれば話は聞いてくれるしな。ヤクザとしては仕えやすい人だと思うよ」

 実際、あの時にはマル暴の刑事がすぐに内偵に来て『お前のところの社長にやられたんならすぐ言え。隠すと為にならねぇぞ』くらいの勢いでしばらくうるさかったもんな。あの時は自分がどういう種類の店に勤めてるのかが良くわかったよ。

「何馬鹿なこと言ってるんですか。そんな事言ってるうちに段々染まって、やくざ者になっちゃったらどうするんですか」

 何でそんなにむきになってるんだよ、こいつは。大体どうやったら俺がヤクザになるって言うんだよ。

「うーん、俺も社長の所の人しか見てないから、ヤクザ全体がそうなのかどうかはわからないけれど、ヤクザって『ヤクザに生まれた人』と『ヤクザにしかなれなかった人』の二種類なんだよな。社長は生まれながらのヤクザだし、妙さんの店で呼びこみをやってる爺さんたちは、やっぱり『ヤクザにしかなれなかった人』なんだよ。俺はどちらのタイプでもないからヤクザには向いてないと思うし、ならないと思う」
「え? あのおじさんたちもヤクザなの?」
「盃返して足を洗った人もいるから全員じゃないんだけどな。みかじめを受け取ってる店で揉め事があれば、あんな年寄りでも体張らなきゃいけないんだぞ。俺にはそんなのは無理だしゴメンだよ」

 これじゃこいつ、妙さんの旦那が抗争で死んだことも知らないんだろうな。昔の2Dシネマじゃないが『極道の妻』だったんだぞ、妙さん。

「歓談中に申し訳ないんだが……」

 誰と誰が歓談してるんだよ。大丈夫か、このジジイは。

「僕と湯布院君はそろそろお暇しないといけないんだ。今晩、彼女の祝賀パーティーがあるんで、それに出ないといけなくてね」

 シンガポール栄転の話かな? こいつの異動は来年度からのようだし、それだとすれば随分気の早いパーティーだけど。

「それは、シンガポール栄転の件ですか?」
「いやいや、それはずっと先。これは支社長賞のパーティーだよ。第一四半期の営業成績トップで、第二四半期もほぼ確実な見込みトップだからね、彼女は」
「それじゃ、主賓が遅れるわけには行きませんね。場所はどこで何時からですか」
「7時に横浜だよ。船上パーティーなんだ」
「それじゃ、すぐに出なきゃ間に合いませんよ。ここからだと2時間弱はかかりますから」
「ううん、相模原にギブソンの社有ヘリが待ってるから、そんなに急がなくても大丈夫」
「ヘリコプターで行くのかよ。大出世だな、お前」
「博士が一緒だからに決まってるじゃないですか。普段はタクシー代にも決済がいるから、お客さんと一緒じゃないときはいつも歩きですっ」

 営業は残業があんまり認められないし、手出しが多くて引き合わないってよくこぼしてるもんな、こいつ。

「その様な訳で我々はこれで失礼するよ。急に顔を出した上に、仕事の邪魔までして済まなかったね。僕はしばらく日本にいるので、アメリカに引き上げる前に僕の方が招待させてもらうよ。連絡は湯布院君を通してさせてもらうからね」

 いや、それはちょっと勘弁して……

「わかりました、博士。日程は秘書さんと相談すればいいでしょうか」

 おい、なに勝手に決めてるんだよ。俺はまだなんにも……

「そうだね、ミズ・ガイザーと相談してくれないかな。君も忙しいと思うけど、よろしくお願いするよ」

 俺は? 俺の都合はどうなるの? 結構忙しいんですけど。この頃ちょっと寝不足なんですけど。

「会場に行くまでに君と秘書も含めてちょっと相談しよう。それじゃ修善寺君、また今度会いましょう」
「はぁ、お気をつけて……」

 何か、一方的に決められたな。多分、湯布院教授も来るんだろうな。酔い潰されて目が覚めたらサイボーグになってたらやだなぁ。あれ? 珊瑚が戻ってきたけどどうしたんだろう。

「先輩、今日はお店何時までやってますか」
「妙さんに千陽を迎えに来てもらって、一通り説明したらおしまいだからな。今日は久々に七時前には帰れるんじゃないかなと思ってるが」

 あれ? 何でこいつがっかりしたような顔するんだろ。まさか横浜で呑んだあとにうちの店で呑み直す気だったのかな。

「そうですか、明日は…… 定休日でしたね」
「あぁ、どうせ俺は店にいるけどな。修理すれば使えそうな中古パーツが倉庫にごっそり眠ってるから、それの修理だ。暇なら手伝いに来いよ」
「えー、またタダ働きですか」

 笑いながら珊瑚が言うと、ナミもクチバシを突っ込んでくる。

「ナミはお手伝いしたら、ご褒美に帽子を買ってもらうの」
「お前にもメシと酒くらいははおごってやるよ」
「ふふっ、随分安い時給ですね。それで何時頃に来ればいいですか」
「そうだな、どうせ俺は早起きはできねぇから十時くらいでいいや」
「相変わらず朝に弱いですねー」
「ほっとけよ、それより博士が待ってるぞ」
「うん、行ってきます」
「いってらっしゃーい」

 ナミ、声がデカイよ…… もう、完全復活だな。それはそうと、妙さんに千陽を迎えに来てもらわないといけないな。

「千陽、妙さんに電話して迎えに来てもらえ。それと、店はまだしばらく開けとくから、急がなくて大丈夫だって言っと言ってくれ」
「はい、それではお電話をお借りします」

 そろそろ店を開ける支度で忙しいはずだから、早くとも六時半くらいに来るはずだな。そうすれば、早ければ七時、遅くても八時前には閉店できるだろう。今日は久々に早寝しよ……

「主任さん、お母さんは七時前に私を迎えに来てくれるそうです。それでよろしいでしょうか」
「うん、それで大丈夫だ。お待ちしてますと伝えてくれ」
「はい」

 やっぱり忙しい時間帯だったか。一番年長さんの千陽がいないし、ちょっと大変なのかもな。千陽の電話も終わったようだな。

「あの、お母さんが何か食べる物を持ってきてくれるそうなので、晩ご飯は少し我慢してて下さいということでした」
「え、そうなのか。妙さんには、いつもご馳走になってばっかりなんだよなぁ。こっちからも何かお返しもしないとなぁ」
「妙さんにプレゼントするの?」

 ナミが興味津々で聞いてくる。

「あのね、プレゼントはかわいい洋服がいいと思うよ」
「そりゃ、お前が欲しいんだろ」
「うん」

 いくら何でも女物の服を男がプレゼントするわけにはなぁ。大体ナミの服だって、ほとんどは妙さんに選んでもらってるわけで、女物の服選びなんて野暮天の俺には守備範囲のはるか外側だ。
 服選びといえば、一回だけ珊瑚についてきてもらって服を選ばせたことがあったが、案の定というか、あいつメチャクチャ派手な配色の服ばっかり選びやがるんだもんなぁ。まぁ、ナミは喜んで着てるからいいんだけれども。そう言えば今日もステージ衣装みたいな明るいブルーのジャケットだったよな。あいつはモデル系の派手めな顔立ちだし、かなり派手な服装でもそれなりに似合うんだけれども。

「さて、店の掃除と片付けをしておこうか。散らかってると、社長にどやされるからな。ナミは応接とカウンターを掃除してくれ。おれは処置室を片付ける」
「うん、社長はきれい好きだからねー」

 そう言いながら、ナミは千陽と一緒に応接テーブル周りを片付け始める。軽作業なら千陽の足も大丈夫だろう。

「玄関も掃除しておくよー」
「軽くでいいぞ。明日ちゃんと掃き掃除するから」
「はーい」

 そうこうしているうちに掃除も終わり、時計をみるとまだ五時半くらいで妙さんが来るまで時間がある。Closedの看板を玄関ドアに掛けてから俺は長ソファーに寝転び、目を閉じた。今日は立ちっぱなしの時間が長かったし、ちょっとだけ横になって休みたいからな……

「あれ? 主任が眠っちゃったよ。どうしようか、起こそうか」
「いえ、お疲れのようですからこのまま寝かせておいたほうがいいでしょうね。お母さんが来たら起こしてあげましょう」
「そうだね。でも、起こすときどうしようかな。主任は低血圧で寝起きが悪いから、無理矢理起こすとすごく機嫌が悪いんだよ」
「それでは、お母さんに起こしてもらいましょうか」
「そうだね。『主任は妙さんにはいつもデレデレしてる』って珊ちゃんが言ってたから、妙さんが起こせば大丈夫だね」

第四章: セブンシスターズ

「修善寺主任、また、例の件でお話があるんですがよろしいですか」

 硬い表情で、俺の部下の女性社員が一人、それに他部署の女性社員六人が俺の執務室に集まっている。用件は分かっている。現在開発中のロボットに関する実用化試験の一部を中断する事だ。自分の業務だけでも残業続きで家に帰れない日が続いているので正直に言うと余り関わりたくないのだが、部下の女性社員、すなわち湯布院珊瑚さんは俺の配下でもちょっと特別なので、扱いに気を使わなければいけないから、そうそう邪険に扱うわけにはいかないのだ。それに、AI開発グループに属する彼女の同志が六名もいるとなると、なおさらいい加減な扱いはできない。新型ロボット開発は期限をあと一年余す程度で、納期遅れの可能性が高くなってきており、士気の乱れは許されない段階に来ているからだ。

 俺は去年にメカトロニクス開発グループ内の第三ワークグループ主任に大抜擢されたばかり。自分の研究だけでなく、部下を12名も持たされているために、その管理もしなければならず、正直なところ経験不足で行き詰まることがしょっちゅうだ。

「話をするのはいいんだけれど、仕事中でもあるので手短にお願いしたいな。どうせAnnaの件なんだろう」
「はい、できるだけそうするように努めます」

 湯布院さんはそう言ったが、前回も結局深夜まで開放してもらえなかったんだよな。他の開発グループ主任たちも、順繰りに被害を受けているみたいで、何だか大昔の労働組合の吊るし上げみたいだという人もいた。俺は彼女たちにセブンシスターズとあだ名を付けたけど、確かに大昔のオイルメジャー並みの強力さだと変な感心をしている上司もいる。

「この間も話は平行線で先に進まなかったけれど、まだ君たちはAnnaの実験を中止しろって言ってるのかい。前回に何遍も言ったけど開発も大詰めのこの時期に、それは無理だよ」
「開発全体をストップしろと言っている人は誰もいません。あの実験だけはロボット保護の精神に悖るものだから許されないと言っているんです。中止を求めているのはAntarctica-II実験のうち、たった一分野の実験だけです」

 湯布院さんはいつもの無表情で俺を見つめ、前回と同じ言葉を繰り返している。この娘は俺の恩師の愛娘で、ピグマリオンに入社して以来、おれが社内での彼女のお目付け役となっている。もちろん当の娘にしてみれば鬱陶しいことこの上もないだろうし、俺にもそれはよくわかるんだが、俺の恩師、つまり湯布院教授には公私共に恩があり師弟というよりは親分・子分の間柄に近いから、言いつけられたら断れないのだ。酔った席で『娘になんか間違いでもあったらお前をサイボーグに改造して、論文の種にしてやるからな』と絡まれることもしょっちゅうだ。

「君の言う許されない実験というのは、製品安全性試験の一部だよね。それを省略できないのは、君等全員が分かっているはずのことじゃないかな。Annaの性機能は今回の開発での目玉のひとつだし、それを省略するなんてありえないって言うのは、僕だけじゃなくて他の主任たちやグループ長全てに言われたことだろう。それが理解出来ないのかい」
「その開発方針に対しても、私たち女性社員は一貫して反対の立場を表明してきたはずです」

 AI開発グループの女性社員が反論してくる。俺と同期入社の女性だ。

「松崎さん、確かにそれは事実だ。反対の声は女性ばかりじゃなくて男性社員からも少なくなかったようだしね。僕にも疑問がないわけじゃない。君たちの言うように、言葉をどう繕っても性行為が可能なコンパニオンロボットというのは高級ラブドールだと思うし、僕だってそういうものを作りたくてピグマリオンに入ったわけじゃないからね。でも僕らが入社する以前に、そういった反対意見も考慮しながら製品コンセプトは決定されたのだし、今になってそれをいきなりひっくり返すのは乱暴すぎるよ」

 本当は『今更そんな事を言うなら、会社を辞めて外部で反対なり糾弾なりするがいいだろう。会社内でみんなの足をひっぱるのは止めろ!』と言ってやりたいのだが、この大詰めの時期に経験豊富な研究員を一人でも失うわけにはいかない。だから、粘り強く説得するしか方法が無いのでひたすら耐えろと、他のWGの主任たちやグループ長からしつこく念を押されている。みんな俺よりずっと先輩だし、俺が短気で堪え性がない事をよく知っているので心配なのだろう。

「もう決まったことだからといって、明らかな間違いが起こっているのに、それを直さないでいるのは不誠実だと思います。修善寺主任はAnnaがどんな実験を受けているのか把握されていますか?」

 湯布院さんが相変わらず冷たい眼差して俺を見ながら話す。この娘に嫌われるのは立場上仕方が無いとは言え、若い男の一人としては本当に傷つくんだよなあ。

「正直なところ、あっち方面の実験に関してはあまりよく知らない。僕の担当は口腔と手足だしね。どういう訳か部署違いの人工皮膚の接合もかなりやらされてるけれども。でもAnnaは僕によくなついてくれてたから、ああいう実験を受けていること自体は面白くないよ。だからあまり深く考えたくないというのが本音だよ」
「では、私のドメイン(データ領域)に実験の映像データがありますから、よくそれを見て下さい。目をそらさずにです」

 そう言って湯布院さんが俺にアクセスキーを告げる。

「既に修善寺主任のアクセスは許可済みです。一昨日入手できた生の映像データーで非常に長いですから、途中は飛ばしながらチェックしてみて下さい。データ全体の0.2%にも満たない最初の十数分で気分が悪くなって、それ以上見ることはできないと思います。ここにいる私たち全員がそうでした」

 実験の映像記録か。実験の内容が内容だし、編集前のエロビデオといった感じの代物なんだろうな。どう考えても女性向きじゃない。

「わかった、近日中に内容を確認してみよう。ただ気になる事が一点ある。実験記録は原則として秘匿データ扱いで、誰にでもアクセス出来るという代物じゃない。君たちは社内規程を順守した上で、これを入手できたのか?」
「元々AI開発グループが実験を統括していますし、私たちは湯布院さん以外の全員がAI開発グループですから、実験データーへの無制限のアクセス権を持たされています。いわば、私たちにデータアクセス権があったから、この実験の間違いに気づけたと言えると思いますよ」

 松崎さんが答える。やはりこの女性がリーダーだろうか。普段は理知的で感じのいい女性なんだがな。俺と違ってすごく有能で、ピグマリオンではエリートコースのAI開発グループに同期で最初に入ったんだよな。

「君たちに関しては規定違反はないということだね。でも僕や湯布院君は違う。メカトログループはいわば社内下請けだからね。自分の部門以外のデータに勝手にアクセスすることが許されていない」
「だから映像を見ないと言うつもりですか? それは隣の家で子どもが襲われているのに、不法侵入を理由にして何もしないのと一緒だと思います。私はそれを既に見ています。服務規定違反なのは承知のうえでです」

 湯布院さんが感情をあらわにして抗議してくる。この娘、本当はAI開発グループに行きたかったのに、ピグマリオンに影響力の大きい親父さんのせいで、弟子の俺がいるメカトログループに入れられてしまったんだよな。社内の友達もAIグループの方が多いようだし。まぁ、メカトログループには女性って彼女くらいしかいないから当然かも知れないけど。

「うん、そうだね。自分のドメインに実験データをコピーするのは公然たる違反だからね。本来は懲戒の対象だよ」
「私が聞いているのは、主任が映像を見るのか見ないのかということです。私のしたことが含む規定違反なのは十分承知しています。懲戒解雇も覚悟の上です。繰り返しますよ、私が聞きたいのは主任がどうなさるかということです」

 いかんな、ちょっと刺激しすぎたかもしれない。いつもは冷静過ぎるくらいの子なのに、懲戒を持ち出したせいでカチンと来たようだ。俺、本当に管理職に向いてないな。

「そうだなぁ、本来僕が見るべきデーターではないかもしれないけれど、今ラボで一番問題になっている案件だし、職務上は見るべきだろうな。役不足ではあるけれど、僕は管理職だしね」
「言葉の使い方が逆です。役不足ではなくて力不足でしょう」

 冷静に突っ込まれる。 えぇそうですよ、どうせ俺は馬鹿ですよ、位負けの若造管理職ですよ。

「あぁごめん。僕は専門馬鹿で教養がなくてね。とにかく、その映像記録には目を通すことにしよう。約束する。その代わりと言っては何だけど、君のドメインにあるデーターは消去して、僕のドメインに転送して欲しい」
「なぜですか? このデータは私たちの切り札になるものなのですから、今のところは敵側の主任に渡せるわけがありませんよ」
「湯布院先生に君のお守りを任されているからね。そんなデータが君のドメインにあったのでは、社内監査に引っかかり次第、君は解雇だ。先生の立場もまずくなる。はっきり言うけど、君のドメイン権限は主任の僕がすべてオーバーライドできるから、君がデータを残していれば僕が消去するよ。AIグループの人なら持っていて構わないデータだろうから、そちらに移しておいてくれないか」
「データーは我々の手で解析済みで、アクセスコントロール・アトリビュートは改変されてます。修善寺主任にアクセス権があるといったのはそういう意味です。ですから、簡単には監査に引っかかることはありません」

 AIグループの別の女性が説明する。『解析』ね…… 早い話、データーをクラックしたんだな。ということは無制限のアクセス権限って言ってたけど、実際にはアクセス権限のないデータもあって、それに触ったということになるな。なるほどね、こいつら全員それなりの覚悟を決めてるんだな。

「それではそのコピーした映像データは誰のドメインにであれ『あってはならない』ものだということだよね。それならなおさら、そのデータの保管に関しては君たちの主張は飲めないな。僕のドメインに移させてもらうよ。そんな物を湯布院くんのドメインには置けない」

 湯布院さんが突き刺すような光をたたえた目で俺を見る。どうして俺がこんな綺麗な娘にこれほど憎まれなきゃならないんだ。恨みますよ、湯布院先生。

「そうやって権限を振り回されたら、私たちには何も言えませんね。説明すれば理解してくれると思ってここに来ましたけれど、私たちが甘かったようですね」
「理解するかしないかは、その記録を見てからの話だよ。ちゃんと見て評価することは約束したよ。ただ、その結果までは保証しないし、データーの保管に関しても妥協の余地はない。わかってくれるだろうか。もう一つ言っておこう。この件に関しては僕は何も見なかった事にするしかない。こんなことで君たちの一人であっても処分を受けて開発から抜けられては困る。現場でAnnaの開発を支える立場の者として、そんな事は認められないからね。だから、僕の口の堅さに関しては信頼してくれていい。多分、他の主任やグループ長も同様だと思うが、僕が見て評価するまでは別の人達に見せるのは待ったほうがいいだろうと思う」
「わかりました。このデータについてお話するのは修善寺主任が初めてで、他の管理職の方はまだ知りません。おっしゃるとおり、他の管理職にこれを伝えるのは少し待つことにします」

 松崎さんがそう答える。やはりこの女性がリーダーだな。

「それで、主任はいつそれを見て、いつ私たちに返事をくれますか。私は今すぐにでも返事が頂きたいんです。あんな実験は一秒でも早く止めるべきです」

 湯布院さんの口調こそ冷静だが、内心は怒りで鉄火のように灼けているのだろう。俺への怒りがひしひしと伝わってくる。

「期限は約束しない。僕にも仕事があるんだからその調整の範囲内でしか動けないよ。君たちの要求をなるべく優先するが、最優先でやるとは考えないでくれ」
「それでは困ります。期限を示してください。データーを握ったまま、のらりくらりと引き伸ばすつもりじゃないんですか? 私は最悪の場合にはこのデータを社外に持ち出して公表することまで考えてます。その事を考慮して判断して下さいね」

 AIグループの二三人が息を呑んで湯布院さんの顔を見る。多分そこまで過激なことは考えていなかったんだろうし、考えていたとしても今、俺のような管理者に言うべきことではない。松崎さんはあまりにも不用意な発言に苦い顔をしている。

「考慮しよう。それではこれで今日の話はおしまいでいいだろうか。これ以上はお互いに時間の無駄だと思うけど」
「主任、まだあなたは期限を……」

 まだ言い募ろうとする湯布院さんを強引に遮って、松崎さんがきっぱりと宣言する。

「わかりました。今日はここまでで引き上げます。優先してデータを見るという修善寺主任の言葉を信用することにしましょう」
「ありがとう松崎さん。君たちの希望に添えるかどうかは保証できないけれど、出来る限り早く回答するよ」

 そして松崎さんは由布院さんに向き直り、小声で一言諭す。

「これは駆け引きなんだから、いきなりスペードのエースを出しちゃダメよ」

 たちまち湯布院さんは『あっ』という顔になり、耳たぶまで赤くなる。あーあ、松崎さんの方が俺よりよっぽど管理者に向いてるよ。

「お仕事中にお邪魔しました。回答に期待してます。それでは失礼します」

 そう言ってみんな会釈して引き上げる。いや、湯布院さんだけ仏頂面のまま出ていったけど。

第五章: 草津妙

「…… さん……」
「主任さん……」
「主任さん。お休みなのに悪いけど、起きてくれないかしら」

 うん? 何だろう、誰かの声がする。

「困ったわね。無理やり起こすのはかわいそうだし」

 妙さんの声だ。何で俺の家にいるんだろう。

「ナミが脱いだら起きるかな?」

 ? 何言ってるんだこいつは…… あ、そうか俺まだ店にいるんだ。と思った瞬間、目が覚めた。

「あ、主任起きたよ。おはよー」

 ナミが俺の顔を覗き込んでいる。隣に妙さんと千陽もいる。

「すいません、すっかり寝込んでしまって。いま来られたんですか?」
「えぇ、ごめんなさいねお休みのところを起こしちゃって」
「いえいえ…… あれ、もう八時ですか。すいません、三十分も時間を潰させちゃったんですね」

 まいったな、15分くらい仮眠するつもりだったのに、二時間半も眠っちゃったんだな。

「お腹すいたでしょ。食べるもの持ってきたから食事にしましょ」

 妙さんはそう言って、風呂敷包みに入った重箱を出してきた。古風な感じでいいよな。

「ありあわせのものだけど、お腹の足しにはなるでしょ」
「すいません、いつもご馳走になっちゃって。本当にありがとうございます。ナミ、お茶を入れてくれないか」
「うん、わかった。ナミもお腹すいたからご飯にしていい?」
「あぁ、ストッカーにメタノールパックがあるから、それを飲めばいい。千陽の分も出しとけよ」
「はーい。千陽ちゃん、行こっ」
「ご馳走になります、主任さん」
「もうめったに残ってないピグマリオンの純正品だから、味わって飲めよ」

 まぁ、別に芙蓉重工の純正メタノールでも品質的には同じなんだけどな。おかしな不純物さえ入ってなきゃ、ロボットは味に文句言うことはないし。

「こっちも夕ごはんにしましょう」

 そう言って、妙さんが重箱を並べてくれる。あれ? 箸が一膳しか無いけど。

「あれ、妙さんは夕食はもう食べたんですか」
「えぇ、息子たちが今日は早く帰ってきたので、早めに済ませちゃったの」
「それだと、俺ひとりじゃ食べきれないですよ。お箸出しますから、一緒に食べましょうよ」
「だめよ、太っちゃうもの。もし残ったら持って帰って明日の朝に食べればいいわ。器を返すのはいつでもいいから」
「いつもすいません。それで、息子さんたちは家に?」
「御飯食べてから学校の夜間講習に行ったわ。二人とも月末に飛び級の試験があるから頑張ってるの。珊瑚お姉ちゃんみたいに三年飛び級して、15歳で大学に入るんですって」

 今から二十年ほど前に学制改革があって義務教育が十二年間になった時に飛び級制度も整備された。内訳は十二年で卒業する生徒が50%、一年飛び級が35%、俺のような二年飛び級が10%、珊瑚みたいな三年飛び級で5%というところだ。本当に賢い生徒だけが3年飛び級できる。逆に飛び級しなかった生徒が大学に進学することはほとんど無い。

「おぉ、がんばってますね。ロボット修理のお兄さんでも二年飛び級できたから、あんまり心配するなって伝えてください」
「ありがとう、伝えておくわ」

 でもあの子達、俺のこと絶対『お兄さん』って呼んでくれないんだよな。いつも『主任のおじさん』って呼ぶんだよな。お兄さん傷ついちゃうよな。

「主任さんも飛び級してたのは知らなかったなぁ。やっぱり頭がいいのね」
「残念ながらロボット馬鹿で教養がなくて悩んでます。湯布院の親父さんには随分叱られました。『貴様はロボット工学者のくせにアシモフも読んだことがないのか! このバカもんがっ』とか『文献に目を通すのは当然だが、それ以外にも幅広く知識を持て。専門知識しか持たない専門家は、糞の役にもたたん!』って、教鞭で随分はたかれました」
「えぇっ? 今時、生徒を叩く先生っているの?」
「僕は大学に行かずにピグマリオンに就職したんですけど、あの会社は自社教育にものすごく力を入れてて、湯布院先生も、社内で若い従業員を教えてたんですよ」

 俺みたいな二年飛び級組は大抵大学に進学するが、ピグマリオンは義務教育のみで就職した社員を「年少組」と呼んで徹底的な社内教育を施していて、その中で優秀な者は大卒者よりも出世が早いと言われていた。俺は優秀ではなかったがどうしたことか上司たちの受けがよく、入社六年目、つまり俺が二十二歳の時に主任になれたのも俺が年少組だったことが大きい。

「先生は当時は大学の授業もされてましたから、掛け持ち授業で大変だったそうです。なにしろ公教育じゃありませんからメチャクチャ厳しくて『ワシに付いてこれん奴は会社を辞めろ』って感じでしたしね」
「じゃぁ、珊瑚ちゃんもビシビシやられたのかしら」
「いや、あいつは大卒組ですから、僕みたいな叩き上げ組ほど厳しくはやられませんよ。ただ、湯布院先生はピグマリオン社内でも実力者の一人ですから、娘のあいつはちやほやされたり、逆に陰口きかれたりと大変だったようです」
「主任さんが珊瑚ちゃんのお目付け役だったんでしょ」
「えぇ、おかげで蛇蝎のように嫌われました。先生からは悪い虫がつかないようにしろって言われてましたけど、あいつにしてみれば僕はスパイでストーカーでしたから、僕が一番の害虫ですよね。それに僕は上司としては完全に失格でしたから、そういうところでもあいつの敬意を失ってましたし」
「珊瑚ちゃんが『昔は主任の顔を見るのも嫌で、あんなに気持ち悪くて嫌らしい人間はいないと思ってたのに、今ではこうやって付き合いがあるんだから、人の縁って不思議ですよねぇ』って笑ってたものね」
「全くですね。当時の僕にしてみれば、珊瑚が僕に笑いかけながら話すなんて、到底考えられないことでしたしね。実はさっき居眠りしている間、その頃の夢を見たんですよ。懐かしいような、思い出したくないような、そんな記憶ですけど」
「今日は珊瑚ちゃんと別府博士っていう人が来たんでしょ。千陽やナミちゃんを設計したすごく偉い先生だって、千陽が言っていたけれど、そのせいで夢をみたんじゃないかしら」
「そうかも知れませんね。正直に言うと、僕は会社を辞める前に、別府博士や湯布院先生とはものすごい揉め事を起こしてますから、どちらからも絶縁されていると思ってたんですよね。実際、今までどちらとも一切連絡はとっていませんし。でも、湯布院先生はどんなに喧嘩してもやっぱり僕の恩師で今でも尊敬していますけど、別府博士とはその揉め事でしか接点がなかった人なので、ものすごく優秀ですごい研究者だということは分かっていますけど、人間的に好きになれない、というか憎んでいたんですよね」
「それって、昔の珊瑚ちゃんが主任さんを嫌っていたのと同じかもしれないわね」
「そうかも知れません。ピグマリオンで騒動の真っ最中の頃は、別府博士を研究至上主義者で手前勝手なエゴイストだと思ってましたけど、今日会って話をしてみると、極端にマイペースで雰囲気が読めない人だってだけの事じゃないかとも思いましたし。正直なところ、三年ほど前に抱いた印象と今受ける印象が随分違うのでかなり混乱してます」
「やっぱりそれが夢の原因みたいね。でも二時間以上眠ってしまったのは寝不足のせいだと思うわ。余り根を詰めちゃダメよ。社長もああいう人だから態度に出しはしないけれど、随分あなたの事心配してるのよ」
「え? 社長がですか。うーん、それも意外でした。夢に出てくるかな?」
「うなされちゃいそうね」

 笑いをこらえながら妙さんが言う。確かに社長の顔が夢に出てきたら怖いよなぁ。夢のなかでも『オメェの仕事にゃ無駄が多すぎんだよ。何遍言っても分かんねえんだな』って小言を言われそうだ。

 待てよ、仕事って言えば……

「そうだ、すっかり忘れてました。千陽のことを説明しなきゃいけないんだった。 すいません。最初に千陽のことを言わなきゃいけないのに、世間話になっちゃって」
「いいのよ、私が始めちゃったんだから。珊瑚ちゃんと違って主任さんはあまり昔の話してくれないから、興味があったしね」
「いや、別に隠してるわけでもないんですが、あまり自分語りするのはみっともない気がして」
「あんまり自分はどうでこうで…… って極端なのは敬遠されるけど、主任さんは語らなすぎよ。社長と一緒」

 笑いながら妙さんは言ってくれるけど、現役ヤクザの社長と並べられちゃたのはショックかも。

「うーん、寡黙なつもりは無いんですけどねぇ」
「それはそうだけどね。あっ、ごめんなさい、千陽の話よね。どうやら私が話をそらしちゃってる様ね」

 妙さん、本当に人から話を引き出すのがうまいんだよな。今の店じゃなくて、スナックでもやれば絶対流行ると思うんだよな。今年で三十五歳だけど、見た目は二十代半ばにしか見えないしな。そういや、俺が最初に会ったとき、絶対年下だと思ってそのつもりで話したら思い切り笑われたもんなぁ。まぁ、それはともかく今は千陽の話だな。

「あはは、僕が寝てる間に千陽が少し話をしてるかもしれませんが、もう一回僕からも説明します。まず、股関節モーターは交換が必要です。今日は修理も交換もできないので、なるべくモータを長持ちさせるように、人工神経系のソフトウェアをいじって無理な稼働ができないようにしています」
「無理をするとすごく痛くなるようにしたって聞いたんだけど、どうしてかしら。なるべく苦しくないようにして欲しかったんだけれど」
「千陽は無理をしすぎているからです。股関節の駆動プロファイルログを見ましたが、出荷された初期状態のガラテア3だったら、痛みで泣き出すレベルの変位量です。昨日の九時に来た客が原因だといいましたが、モーターを内視鏡で見た結果から言うとそう単純ではなかったようです。モーター制動子の摩耗の大きさから見ても、一気にモーターがいかれたのではなく複数回の過入力が原因と結論できます。以前から何遍も無理を強制されていたのでしょう。これを千陽が我慢した原因ですが、おそらく客の要求に応えようとしすぎたのでしょうね。千陽は十四歳で学習の蓄積が大きいですから、初期状態とはかなり振る舞いが違ってきてます。自分が無理をすることで、客の満足が大きくなるということを学習してしまっているんでしょう。股関節の痛みの方は最初の頃はそれほど大きくなかったでしょうし、長期間続く痛覚信号には、AI側である程度のマスキングをします。それでここまで悪くなるまで我慢できてしまったのでしょう」
「ごめんなさい、難しくてよくわからないんだけれど、千陽はお客さんに喜んでもらおうとして、痛みを我慢しすぎちゃったということね」
「はい、その通りです。それで人工神経系を調節して、ある程度以上の感覚信号が入ったら千陽が絶対我慢出来ないレベルの疼痛反応が来るようにしました。そのかわり、普段の生活中には痛みを感じずに過ごせるようにしてあります。ですから、千陽には当分無理をさせないであげてください。なるべくゆっくりと歩かせて、杖は常に持ち歩かせてください。本当は僕が口を出してはいけない事ですが、客を取らせるのも控えて欲しいです。どうしてもそれがかなわないとしても、せめて、その、本番は……」

 クソ、やっぱり言い難いな。珊瑚相手ならあまり抵抗なく言えそうなんだけど。
 だが俺が話しきるのを待たず、妙さんは顔を上げて真っ直ぐ俺の目を見つめ、きっぱりと言った。

「わかりました。お店の仕事は他にもいろいろあるし、千陽にはしばらくの間は接客以外の仕事をやってもらうことにするわ」
「すいません。なるべく交換なしで直したかったんですが、既に定格の6割くらいまでモーター能力が落ちてきていて、僕ではどうにもできませんでした」
「いいえ、主任さんはよくやってくれたわ。謝らなきゃいけないのは私の方。千陽にこんな無理をさせてたのに、ちっとも気付いてやれなくて」
「そんなに自分を責めちゃだめですよ。それを言うなら前回の定期検査で異常を見落としていた可能性もありますし、その場合は僕の不注意の結果です。それより、問題なのは今後の方針です。言うまでもないですが躯体全交換が最善です。程度の良い中古躯体に特殊アッシー追加の方が安上がりですが、性サービス機能が法で認められた以上、いまさら不法改造をするよりは、性機能付きのコンプリートモデルを買うほうが、後々の問題が少ないと思いますね」
「そうね。社長は改造パーツが値崩れしてきているから、今は不法改造でしのいで維持費を安く上げて、将来にコンプリートモデルが安くなってくるのを待つべきだって前に言われたのよね。でも、せめて千陽だけは何とか新しい体を手に入れてあげたいわ。あの子はうちに来る前からずっと調子のよくない体を抱えて苦労してきたんだしね」
「確かに、僕が最初にあの子を検査した時には満身創痍でしたからね。まぁ、この店にいた以前の修理工はマニア上がりで専門教育を受けたことのない人だったそうだし、あれがベストだったんでしょうけど」
「主任さんが来てから本当にきれいに治してくれて、すごく感謝しているの。私だけじゃなくて千陽自身もね。『お客様にきれいになったねって褒められた』って、すごくうれしそうにしていたのを思い出すわ」

 最初に千陽を検査したときには、あまりの酷さにびっくりして、確か三日くらい泊まりこみでの処置になったんだよな。人工皮膚の接合がメチャクチャで火傷の痕みたいになっていたし、皮膚に埋めこんであるマイクロナーブラインをちゃんとつないでなかったり中枢側のナーブラインを切ったりしているもんだから、皮膚感覚が無い場所があちこちにあったしなぁ。そう言えば、リキッドラインも一本切れそうになっててぞっとしたんだよな。あれが切れてたら下半身は完全にオシャカで、下手すればAIユニットまで漏電で破壊されてただろうな。

「それも、もう一年以上も前の話になるんですね」
「あの時から体の更新の話は出ていたんですもの、何とか社長と掛け合って決済をもらうわ」
「ガラテア3はメーカーがピグマリオンから芙蓉重工に代わって、値段も毎年下がりましたしね。更新用の躯体なら、馬鹿みたいなプレミアが付いたガラテア4の百分の一の費用で手に入るんですから、もうとっくに買い替え時なんですよ」
「うん、ありがとう。とにかく頑張って粘ってみるわ」

第六章: パーティー二次会

「お久しぶり。すごいじゃない、支社長賞なんて。本当におめでとう」
「ありがとうございます。松崎さんも来期はアフォーダンス研究所に栄転だって、別府博士に聞きましたよ。おめでとうございます」

 エライさんばかりの堅苦しい船上パーティーはかっきり二時間で終わり、パーティー会場に別府博士が呼んでくれていた元ピグマリオンのAIグループの先輩たちと一緒に、いま二次会の真っ最中。松崎さん達に会うのも久しぶりだな。AIグループの人達はほとんどギブソンに研究員として再雇用されたけど、私は営業に飛ばされちゃったから、同じ会社なのに全然会う機会が無いんだもん。

「珊瑚さん、本当にすごいわ。営業に行かされたって聞いた時には、あんまり酷いからまた抗議運動をしようかと思った位なのに」
「あはははっ、ダメですよー、ギブソンの人事部は血も涙もないから、すぐに首切り担当が飛んできちゃいますよっ」
「でも、ほんとうに頑張ったよね。転属の次年度に支社内で四位、今年の第一四半期はトップなんだもの。でも、こんなにすごい結果を出されちゃったら、AI開発室に引っ張ってくるのが大変だな」
「うちのボスも、最初は『どうぞいつでも辞めて下さい』みたいな態度だったのに、今では掌返したような扱いですからね」
「現金なものよねぇ。でも、こんなにすごい結果を出しちゃうと、営業の方が面白くなっちゃったんじゃないの?」
「えー、全然未練ないですよ。私はAIがやりたくてピグマリオンに入ったのに、父の陰謀でメカトロ行きになるわ、ギブソンでは営業に飛ばされちゃうわで散々ですからねー。実は先期末にもAI開発室への配転願いを出してはいるんですよ。ボスには無視されちゃいましたけど」
「元々ギブソンはAI研究者が欲しくてピグマリオンを買収したのに、何考えてるのかしらね。でも、優秀な営業さんは研究者よりも貴重なのかもね」
「私、全然優秀じゃないですよ。営業に行く先々でお客さんと口論してるし、出入り禁止もありましたしね。もっとも出禁は何だか知らないうちにフォローされてましたけど」
「あーそれ、聞いた聞いたー。男前の珊ちゃんらしい武勇伝だってみんなで盛り上がって話してたのよねー」

 下田先輩が話に混じってくる。かなり酔ってるなー。

「えー、それひどいですよぅ」
「だって、すっごく嫌な担当がいる会社だったそうじゃない。それで前の営業担当が営業部長に泣きついて珊ちゃんに担当を押し付けたんでしょ。で、珊ちゃんが若い女の子だと思って馬鹿にしてたら議論でケチョンパにやっつけられたものだから、珊ちゃんを出入り禁止にしたって聞いたよ」
「そんな事してませんよぅ。ちゃんと穏やかに話しましたよ、少なくとも私は」
「あー、わかるわかる。珊ちゃんお得意の言葉責めで……」

 他の先輩たちもノリノリで突っ込んでくる。あなた達酔っ払い過ぎですからっ!

「何ですかー、その『言葉責め』って。それすごく誤解を招く表現ですってば。私はいつも乙女チックに営業してますぅ!」
「えー、だって交渉の時とか修善寺主任を相手に攻めまくってたじゃない。あれ、内心ではすごく痛快だったのよねー」
「そうそう、あの人いつもつっけんどんな話し方で、話してると結構圧迫感あるのに、珊ちゃん全然お構いなしなんだもん」
「だって、あの時は修善寺先輩はうちの父の手先だったから、何の遠慮もなく…… で、でも、修善寺先輩ってそんなに圧迫感あります? 言っちゃ悪いけど、あの人かなりのヘタレだと思うんですけど」
「あるよー、あの人さすがに女相手にキレることは無かったみたいだけど、あの人の部下になった男性社員は全員あの人に理不尽な説教されたり怒鳴られたりしてるんだしね。知ってると思うけど、あの人って自分よりずっと年上の社員にだって、ちょっと仕事の上で失敗でもあれば遠慮なしに怒鳴りつけてたんだよ。いくら自分のほうが上司だからって、アレはないよ。それにいつ会っても不機嫌そうだったじゃない」

 うーむ、そう言えば今日もそんな事があったなぁ。ヘタレな割に短気なのよねぇ、あの人。

「はは…… それについては、今では反省してるみたいなので勘弁してやって下さいよ。酔っぱらうと『俺は上司としては最低だった……』とか言って、今でも欝入ってることが多いらしいですから。それに私たちの味方についてからは、誰にでも遠慮無く噛み付くあの性格が役に立ったんだし」
「まぁ、確かにそれはそうなんだけどねー。それでもやっぱり、私はあの人苦手だな。味方に付いたって言うけど、別に私たちに協力してくれた感じじゃなくて、あの人ほとんど自分だけでグループ長とか重役たちと喧嘩してたじゃない。こっちから協力しようと思って話を聞こうと思っててても『俺が勝手にやってるんだ。君等にゃ関係ない』の一点張りでさー。カッコつけすぎなんだよねー」

 う゛…… これ聞いたら先輩凹むだろうなぁ。

「で、でも先輩が悪目立ちしたおかげで私たちの影が薄くなって、リストラの時にも首が繋がったわけだし……」
「その通りよ。修善寺君は全部自分一人で泥を被る気だったんだと思うわ」

 松崎さんが助け舟を出してくれた…… んだけど、

「それがカッコつけ過ぎなんだと思いますよ。結局私たちの事をまるで子供扱いしてるわけじゃじゃないですか、どうせ私らの事を仲間だなんて思ってなかったんですよ。何様ですかお前はーって言いたいですね」

 うわぁ、先輩ボロカスに言われてるよぅ。まさかここまでみんなに嫌われてるとは思っても見なかったよ。それなりに良い所もあるんだけどなぁ。

「うーん、確かに同期の私にも最後まで肝心な事は言わずに通したものね。最後の交渉が終わった時にも、彼、交渉があったことまで含めて何も言ってくれなかったし。それはやっぱり寂しかったな」

 あぁ松崎さんまで。どうしよう、孤立無援だよぅ。

「ですよねー。あの時の交渉でも、完全じゃなかったけどかなりの要求が通ったんだから、パーッと打ち上げくらいしたかったですよねー。アイツのせいで打ち上げが一回パーになったんですよー。許せませんわー」

 先輩『アイツ』とかになっちゃってるし……

「珊ちゃん、修善寺主任のことずいぶん庇うけど、やっぱり何かあったのー? よく会ってるんでしょ?」
「すっごく意外だよねー。誰が嫌ってたって、珊ちゃんがアイツのこと一番嫌ってたじゃない」
「え? まぁ顔は合わせますけど、修善寺先輩に会いに行ってるわけじゃなくてナミちゃんに会いに行ってますから。ナミちゃんのオーナーが先輩ですからしょうがないです」

 うわぁ、これ突っ込まれると思ってたけど、ついに来たかぁ……

「ナミちゃんって、Annaの事よね。名前変えちゃったんだ、あの人」
「今日からは実験用のプロトタイプじゃなくてうちの子になるんだからって改名したんだと言ってましたよ。登録の時に『みなみ』で受付したから、本当は『みなみちゃん』なんですけどね。今日も別府博士と一緒に会ってきましたけど、元気にしてますよ」
「いいなー、会いたいなー。今度連れてきなよ」
「最近、仕事が忙しくて遊びに行ってないって言ってましたから、今度都合つけて連れてきますよ」
「でも、大丈夫なのかしら、修善寺君がオーナーで。あの子のAI製作に関わったものとして言わせてもらえば、あの子の教育期間はあと5年は欲しいところだったから、もうちょっとラボで大人になるまで教育したかったのよね。率直に言って修善寺君はガラテア4のAIについてはよくわかってないし、衝動的に人を怒鳴りつけるところがあるしで、おかしな教育になってなければいいんだけどな。もっともこれはAnna…… いえ、ナミちゃんだけじゃなくて、彼女の妹たち全員にも言えることなんだけど。」

 さすが松崎先輩は鋭い…… 今日もそれで揉めたのよねぇ。

「うーん、私もそれがちょっと心配なので、ちょくちょく顔を出すようにしてるんですよ。まぁ、基本的には大事にかわいがってはいるので、それほどおかしな事にはならないと思うんですけどね。実は今日も修善寺先輩に軽く注意したんですけど」
「珊瑚さんが見てくれているなら、かなり安心出来るわ。あなたはメカトログループにいても、AIの勉強は欠かさなかったのを私は良く知っているしね」
「あとさー、Annaがアイツに性的虐待を受けてないかも心配よねー」

 うわ、それは言いすぎだよぅ。そこまで疑われたら先輩がかわいそうだよ。やっぱりこれはフォローしないと。

「はは…… それは、私がナミちゃんに直接確認してます。一切おかしな事はされてないから大丈夫ですよ」
「そうかなー、男の下半身には理性無いからねー。 それに、オーナーだったら特権命令使って口止め出来るじゃない」
「実は、私もナミちゃんの特権ユーザー登録をしてるんですよ。だから、ナミちゃんは私に一切隠し事ができないし、嘘もつけないんです」
「あら、よく修善寺くんが認めたわね。やっぱり特別な関係なんじゃないのかしら?」

 もぅ、松崎さんまで雰囲気に染まってるぅ。

「まさかぁ。AI関係のトラブルがあったときには俺じゃ歯が立たないから頼む、って言われて登録したんですよ。それに私はギブソンの社員ですから、何かあったときに旧ピグマリオンのAI研究者に連絡が取りやすいだろうからって」
「なるほど、修善寺君も色々考えてるわけね」
「でも、何だってあの人にAnnaを渡しちゃったんでしょうね? 松崎さん理由知ってますか?」
「いいえ、よく知らないわ。退職金の代わりにって言う話を聞いただけ。湯布院さんはそれについて聞いたことある?」

 これは私にもよくわからないのよね。本人に聞いても大雑把にしか教えてくれないしな。

「私も詳しい経緯は教えてもらってないんですよ。本人が言うには『ギブソンが俺をなるべく早く辞めさせたかったから、多少無理筋の話でも飲んでくれたんじゃないか』って言ってましたけど。頼んだらほぼ二つ返事だったそうですよ」
「うまいことやったわよねー。今、ガラテア4を中古で買おうと思ったらクルーザー一隻分の価格だもん。Annaを売りに出したら大金持ちだよ、あの人。中間管理職で10年勤務して退職金が一億以上なんてあり得ないよねー」
「それで、ギブソンの人事担当者が降格されたって聞きましたよ。会社に重大な損害を与えたってことで」
「でも、あの子は貴重なデータが詰まったプロトタイプなんだし、ピグマリオンとしては最後の記念碑的な作品でもあるんだから、それが個人所有になってるのは、納得行かないですよね。その人事担当者の大失態じゃないかなって思いますよ」
「そうだよねー。ギブソンのAI開発室でもAnnaにまた会いたいっていう人が大勢いるのにねー。ラボにはあの子の妹たちがいるけど、やっぱり私たちに馴染み深いのはプロトタイプのAnnaなんだしー」

 うー、話がどの方向に行っても責められるなぁ、先輩。

「今度ナミちゃん連れてきますから、それまで待ってて下さいね。実は明日も修善寺先輩のところに行くことにしてるので、その時に予定を決めてきますよ」
「え? もしかしてアイツも一緒に来るのかなー? ちょっとそれは……」
「いえ、来ないと思いますよ。元々出不精な人だし、自分をクビにした会社にわざわざ行きたがるとも思えないし。でも、下田先輩、そんなに修善寺先輩のこと嫌いですか?」
「え? ううん。嫌いってわけじゃないけど苦手だなーって、さっき言ったでしょ。ていうかさ、私らの中で修善寺さんを一番嫌ってたのって珊ちゃんじゃない。二人の間に何があったのかなー、お姉さん知りたいなー」

 ううっ、やぶ蛇だった。軽く流せばよかったよぅ。

「だから修善寺先輩が父の手先だったからですってばぁ。うちの父は私がAIやりたくてピグマリオンに入ったのを知ってるくせに、自分の子分の修善寺先輩がいるからってだけの理由でメカトログループに放り込んだんですよ。その上、先輩は父がああ言ってたからとかこう言ってたからとか、色々下らないことでごちゃごちゃ言うし。あれで、人間関係がおかしくならない方があり得ないですよ」
「うんうん、そうだったよねー。珊ちゃんいつもぼやいてたもんねー。お姉さんそれは良く知ってるんだー。それでねー、何で今は仲良しなのかを知りたいなー」

 追及が止まらないよぅ。どうやって切り抜ければいいのぉ。

「そうよね、修善寺君と今でも付き合いがある元ピグマリオン社員って、多分珊瑚さんだけよ。彼自身がピグマリオン関係者との接触を避けているようにしか見えないのに、なぜあなただけとは繋がりがあるのかしら。あなたのプライバシーに立ち入るようで申し訳ないんだけど、やっぱり興味があるわ。まぁ、普通の男女の付き合いだというなら、それで納得なのだけれど」

 ふえぇ、頼みの綱の松崎さんまで追求姿勢になってるぅ。これじゃ査問会だよぅ。

「男女関係って言うのは絶対違いますから! 確かに仲直りはしましたけど、そう言うのとは全然違いますよ」
「ほんとにー? 最初は嫌っていた人の別の面を見ちゃって、気がついたら…… って言うパターンじゃないのー?」
「ち、違いますぅ。本当にそんなのじゃないんですよぉ。先輩のところに行くとナミちゃんがいるし、妙さんにも会えたりするから、それで……」
「え? 誰かしら、その妙さんっていう方は」

 あ、そうか、みんな妙さんは知らないよね。

「草津妙っていう、先輩の店のお客さんですごく良い人なんですよ。三十半ばでお子さんが二人いるんだけど、見た目は二十代にしか見えないんですよね。背がちっちゃくて、すごくかわいらしい感じの人なんですけど、お話すると芯の強い女性って感じで、時々相談にのってもらったりしてるんですよ」
「そっかー、素敵な年上の女性かー。珊ちゃんは百合に目覚めちゃったんだねー」
「どうしてそうなるんですかっ!」
「もう、下田さんは珊瑚さんをからかい過ぎよ。珊瑚さんばかりで不公平だから、あなたの彼氏の話も聞こうかしらね」

 え? 下田さん、今付き合ってる彼氏いるんだ。

「あははー、このあいだ別れちゃいましたー。アイツ、ラボが忙しくてしばらく会わなかったら『俺と仕事とどっちが大切なんだ』とか言い出しましてー。それで『男のアンタがそれ言いますか? 恥ずかしく無いですか?』って言ってやったら、それっきり音信不通になりやがりましてー」
「ご、ごめんなさい、嫌なこと聞いちゃったわね」
「いえ、いいんですよー、全然後悔ないですからー。っていうか、いいタイミングで別れられてよかったくらいですしねー。はっきり言ってぇ『アンタと仕事じゃ、仕事が大事に決まってるでしょ』って言う感じですかー。それでさぁ、珊ちゃんは偏屈な先輩と素敵なお姉さまとどっちがいいのー?」

 また話題が戻ったよぅ。せっかく話がそれたと思ったのにぃ。

「まぁまぁ、今日はこれくらいにしましょう。今度はラボにナミちゃんを連れてきてくれるって言うし、その時には色々聞けるでしょうから」

 えぇ? 第二ラウンドもあるんですかぁ。勘弁してぇ……
 そこまでで二次会はお開きになりそれぞれ三々五々と帰り始めた時、松崎さんに呼び止められた。

「珊瑚さん、最後にちょっといい?」
「えぇ、何ですか?」
「明日、修善寺くんのお店に行くって言ってたわよね」
「はい、十時過ぎに行こうと思ってますけど」
「その時に私も一緒に行っていいかしら。彼には聞いてみたいことが色々あるし」

 うーん、どうしようかな。別府博士から頼まれた件とか、私個人の件とか色々と話したいことがあったから、本当はちょっと都合が悪いんだけど、松崎さんの頼みじゃ断れないしなぁ。

「大丈夫だと思いますよ。修善寺先輩はびっくりするかも知れませんけど、どうせ今日は別府博士とも会ってるし、少しは耐性がついたでしょうから」
「ごめんなさいね、急に勝手なお願いで」
「いいんですよ、気にしないでください。私も遊びにいくようなものでしたし」
「あら、それってやっぱり……」
「違いますぅ、ナミちゃんと遊ぶんですっ」
「ふふ、ごめんなさい。待ち合わせはどうすればいいかしら」
「町田駅に九時半でどうでしょうか。そこからはタクシーで行きます」
「あら、お金持ちね。バスとか歩きでは行けない所なの?」
「距離は大したことがないんですが、正直に言って治安が悪くて先輩からは『真昼間でも絶対にタクシーで来い』って言われてます」
「彼、そんなところで働いてるの。ナミちゃんも一緒なんでしょ」

 松崎さんの表情が曇るのがわかった。

「えぇ、ただ先輩の自宅はそれほどひどい場所じゃないですし、先輩は自動車通勤ですから」
「へぇ、今時珍しいわね。自家用車なんて」
「お店の車ですよ。普段は修理するロボットとお客さんの送迎用に使ってます。キャパシタがダメになりかけてて、坂道を登らないわ、遠出は出来ないわで大変だってこぼしてました。あと、自動運転が雑で乱暴だって。」
「なるほどね。それじゃ明日よろしくね」
「はい。それでは失礼します」

第七章: 帰宅

 妙さんと千陽が帰ったあと、俺とナミも店を戸締りして家に帰った。

「ナミ、家に着いたぞ。起きてるか?」

 返事がない。今日は珍しいお客さんは来たし、色々と普段とは違う出来事があったからか、受け取り情報量が多すぎて普段より早めに眠ってしまった様だ。クルマに乗る前から眠そうだったからな。仕方がないので抱っこして行くことにする。こいつは体重が50kgもあって同じ身長の女性の平均体重よりは少し重いんだよなぁ。腰をやらないように注意しないといけないな。腰痛持ちの若い男が、エクソスケルトン装着でようやく歩いているってのはカッコ悪いからなぁ。

 女の子が泣いて喜ぶ…… かどうかは知らないが、ナミを『お姫様抱っこ』してやって、体力の限界寸前、死ぬ思いで寝室まで行く。そしてナミをベッドに横たえてから軽く手で髪を整えてやってからネクタイを外し、シャツの襟元ボタンをひとつだけ外してやる。服が皺になってしまうがまぁ仕方がない。熟睡してしまっているのでまるで起きる気配がない。ロボットが眠るというのも変な気がするが、長期記憶の抽象化整理プロセスは外部刺激を遮断して行なったほうが効率がいいので、ピグマリオンの製品では最初期のガラテア2の時から「眠る」様に設計されている。ナミ、つまりガラテア4の場合は活動時間の三分の一から四分の一が睡眠時間とされている。つまり一日に6時間から8時間は睡眠が必要ということだ。

 穏やかな寝息を立てて眠っているナミの口元に顔を寄せ、呼気の香りを確認する。燃料電池の日常チェックとしてはそれが一番手軽なのだ。異常がないことを確認してからタオルケットを軽く掛けてやって自分の部屋に戻る。変な時間に眠ってしまったので余り眠くないが、明日は珊瑚との約束もあるので寝坊は出来ない。ちょっと寝酒をやってから寝るか、そう思って冷蔵庫からビールを出す。俺は元々下戸でちょっと飲むとすぐ酔ってしまうが、酒自体は好きな方だ。缶ビール一つで酔うので経済的だと、酒なら底なしの湯布院先生によく笑われたっけな。 もっとも、先生に付き合ううちにずいぶん酒量は増えたんだけど。寝酒と言えばピグマリオン時代は眠剤で無理やり寝ることも多かったな。起きる時が地獄のように辛かったが。

 妙さんが持たせてくれた重箱の残りをつまみにしてビールを飲みながら、帰り際に妙さんの言っていた話を思い出す。この頃社長の様子がちょっと変だ、という話だ。一人黙って考え事をしていることが多く、何だか心配だと言っていた。とは言っても、最近は抗争はおろか小競り合いの話さえ聞かないし、売上は伸び悩んでいるものの社長が管理している風俗店やうちの修理店の収益も決して悪いわけではないし、本家の上納金が上がったという話も聞かない。

 妙さんの話だと、社長の所属している迅鉄会の組長がそろそろ引退を考えていて、今の若頭が組長を襲名してウチの社長が若頭に就任する予定らしい。代替わりの時に組の内部に派閥があったりするとそれが抗争の種になったりするが、若頭と社長はもともと仲がいいし、舎弟分のうちの社長が常に兄貴分を立てて内心に含むところがないというのは組内部でもよく知られている。それ以外の組員には二人に匹敵するような器量の人間はいないということだから、あまり内部抗争の心配もない。でも妙さんは抗争で旦那を失ってるから、それにだけはすごく神経質になっていて、社長の様子が気に掛かっているようだった。

 うちの店では社長はあまり変わった様子ではない。と言っても社長が店に顔を出すのは週に一回程度であり、大抵は電話か電子メッセージで連絡を済ませておしまいだ。まぁ、うちの店で地回りの兄さんたちが出なければいけない様なトラブルが起こる可能性はあまりないが、風俗店ではそうもいかないので頻繁に足を運ぶ事になっているようだ。強いて変わった点といえば、以前より売上の動向を気にするようになった事と、風俗店以外の一般顧客の売上の増加について細かく聞かれて、俺がまとめた売上資料を持ち帰った程度だ。

 妙さんの店では、社長が店のロボットと話をする時間がかなり増えたらしい。以前は妙さん以外にはほとんど喋らず、ロボットは完全に無視されていたのだが、ここ数カ月の間にロボットたちと話…… というよりいろんな質問をする時間がとても多くなったと言うことだった。妙さんの店以外にも系列の風俗店勤務のロボットは多いのだが、そちらのロボットたちにも色々と話しかけているようだ。最近は別の店から『研修』と称してロボットを一人、二人と妙さんの店に連れてきているそうだ。

 妙さんの店は社長が管理している風俗店では三番目くらいの売上だが、上位の二軒はロボットではなく人間の娼婦がサービスする店なので、コンパニオンロボットが接客する店としてはナンバーワンだ。でも、ロボットが足りないほど繁盛しているわけではないし、研修と言えるようなことはしておらず、ただ普通に働かせているだけなので、妙さんには社長の思惑がさっぱり飲み込めず、それも妙さんの気がかりになっているそうだ。

 俺にもさっぱりわからないが、たまに出入するマル暴の刑事の様子も普段と変わりは無い様だし、とにかく抗争の心配だけはなさそうだという話だけして、妙さんと別れたんだったな。

 そんな事を考えているうち、ようやく眠くなってきた。ダイニングテーブルの上を片付けて寝るとしよう。

第八章: 葛藤と決意

「修善寺主任、映像データは見て頂けましたか」

 湯布院さんがいつもの通り、表情を押し殺した顔で俺に質問する。

「一部は確認した。時間にして五時間分ほどだろう。飛ばしながらではあるが、最後まで通して確認した」
「いかがでしたか。これを見てどのように思われましたか」

 松崎さんが、こちらもまた、いつものように柔らかな口調で質問する。こちらはまるで敵意を感じさせない、というより、一人だけすごく俺に冷たい人がいるせいか、好意さえ感じるくらいだ。

「ひどいものだね。君たちが抗議に来るのもわかる気がする。Annaがこんな目にあっているとはね。正直に言って想像より遥かに酷かった。僕もAnnaの面倒はずいぶん見てきたし、社内でも僕よりAnnaが懐いている社員は湯布院さんくらいだと自負しているけど、ここまでの事が行われていたことを知らなかったのは、正直に言ってAnnaに申し訳ないと思う」
「それで、主任はどうされますか。私たちの側に立って会社に実験中止を掛け合ってもらえませんか」

 湯布院さんが少し表情を和らげて質問する。『協力する』と答えてやりたい。そうすれば、彼女も俺を見直してくれるかも知れない。昔、彼女がまだ大学に入ったばかりの頃、湯布院先生のお宅で話した時のように、俺に屈託なく笑いかけてくれるかもしれないじゃないか。

「ぜひ協力をお願いします。管理職の中では修善寺主任が『Annaの幸せ』について一番気にかけてくれている人だと思っています。主任に味方についてもらえないようでは、この先の展望が持てません」

 松崎さんが穏やかだけれどもしっかりした口調で訴えてくる。

「お願いします。このままではAnnaがかわいそうです。修善寺主任に一番懐いているじゃないですか。あの子を救ってあげて下さい」
「お願いします……」
「主任、お願いします……」

 他の女性社員たちも一斉に、といった感じで訴えてくる。哀願されているようで心苦しい。協力すると言ってしまいたい。でも……

「少し時間をくれないか。昨日これを示されて、その夜のうちに確認したが、正直なところ見ただけの話で『これはひどいな』という印象だけしか頭にないんだ。それだけで開発の大方針をひっくり返せという主張を、今すぐにすることは出来ない。少し時間が欲しい」

 本当は考えるところはある。でもそれを伝える前にもう少し、もう少しだけ時間が欲しい。

「主任! Annaは今この瞬間にも……」
「ちょっと待って、湯布院さん」

 松崎さんが割って入る。

「修善寺主任、もしかして昨晩は休んでいないのではないですか」
「松崎さん、そんなの関係ないですよ。私たちには時間が……」

 松崎さんは湯布院さんには取り合わず、言葉を続けた。

「管理職の立場ですから、板挟みで判断が簡単でないのはわかります。疲れ切った頭で考えて、後悔を残すような判断をしたくないということも。ですから、今日この場所で判断をしてもらうことまでは望みません」
「松崎さん!」
「その代わり、約束をしてもらえませんか。昨日の夜、回答期限は約束できないと言いましたよね。それを撤回してもらえませんか」

 判断の先送りはどの道出来ない。悪くない申し出だろう。

「いつまでに回答すればいいだろうか?」
「明日の夕方までに頂きたいと思います。それで大丈夫ですか」
「松崎さん、甘いです。Annaは今も……」

 湯布院さんが割り込んでくる。

「わかった。明日までには回答するよ。約束する」
「ありがとう、修善寺主任。では、明日またお会いしましょう」

 松崎さんがかすかに微笑みながら言う。隣では湯布院さんが納得行かない様子だ。

「みんな、行きましょう。私たちにも仕事は山ほどあるのを忘れないで」

 大きな声でそう言って女性社員たちを促し、引き上げていく。

「湯布院さん、行きましょう」
「でも……」
「大丈夫よ。わかってもらえるわ。必ずね」

 湯布院さんの後ろ肩に手をやって帰りを促しつつ、俺に聞こえるようにだろうか、小声だったがはっきりとそう言った。


 昨晩、俺はずっと考え続けた。彼女たちに言った通り、映像記録は俺の目にあまりに酷いものと写った。Annaは見た目こそ18歳の女性に模されているが、精神はまだ4-5歳程度の幼児に過ぎない。もちろんAI研究者に言わせれば、質的に異なる人間の知性とロボットの知性を直接比べることはナンセンスだと言うことになろう。『人間で言えば5歳程度』というのは、人工知能の何たるかを知らぬ人々への方便に過ぎないと。
 それでも『人工知能の何たるかを知らぬ』俺にはAnnaはまだ幼い子供としか思えず、それをあんな実験に使っているのは許せない思いがした。湯布院さんやAI開発グループの女性社員たちが開発中止を訴えるのは、心から理解できる。彼女たちはAI技術者としてではなく、女性として、一人の『ロボットの少女』をその翼に蔽って守ろうとする者としてあの実験が許せないのだろう。
 しかし、実験のやり方自体には法律、すなわちロボット保護法に照らして問題の指摘できる点は見つけられなかった。Annaが繰り返し、それこそ朝から晩まで性行為実験を受けているのは事実だが、ロボットに性行為を命じること自体は今や違法でも何でも無いし、本人が恐怖や当惑を感じるような状況で行われているわけではなかった。休憩はスケジュール通りになされており、睡眠時間も最低限ではあるが取らせている。一言で言えば『法的に虐待と言えるような部分に踏み込む、ギリギリ一歩手前にいる』と言うことだ。法務担当や社内の倫理委員会、それに社内で実際に実験を行っている担当者たちが、実験手法を問題にしていないこともそこに理由があるのだろう。Annaが実際に相手をしているのは恐らく工場勤務の若い独身の社員達で、口が堅そうで真面目な者を二十名ほど選抜してローテーションを組ませているようだった。ラボの研究員は実験管理と記録に携わり、実際にAnnaを抱いているものはいなかった。研究員たちは非常に抑制的に振舞っていて、やり過ぎになりそうな実験者の行為の制止に廻っている場面が時々見られた。
 管理職にある者として、これを法的問題として抗議することは出来そうになかった。現状の規則・法律に照らしてみれば、実験は正当に行われているのだ。例えが悪いかも知れないが、食肉センターで『牛を殺すのはかわいそうだからやめろ』と言うようなものだ。センターの人間は『施設の目的上、殺生自体は避けられない。そして我々は法に従って苦痛のない方法で屠畜している』と言うだけだろう。
 そしてピグマリオンにとって、今は社の命運を賭けて天王山に差し掛かっている時と言えた。三年前、ガラテア4の開発費用の重圧のため資金繰りが悪化した状況を打開するため、ベストセラーの位置を着々と占めつつあるガラテア3の生産工場と人員を、提携関係のある芙蓉重工業に売却・移管し、生産に必要な各種特許使用権等を包括提供することを決定した。これに反対し続けた有馬常務は辞任し、社を去った。ピグマリオンは大きな売却益とロイヤリティを得て、当面の経営危機を乗り越えてガラテア4の開発を続けることが出来たが、ガラテア4の速やかな開発と販売の成功は絶対的命題となり、これに失敗すれば会社が倒産することは必至となった。経営陣は開発速度維持に必死の努力をしていたから、違法行為がない実験を停止するなどという判断はありえなかった。
 彼女たちには『結論は明日伝える』と言ったが、既に結論は明らかだった。ならば、それを先に延ばすのは誠実ではない。すぐに伝えてやるべきだろう。そしてもう湯布院さんは俺と口を聞かないだろう。松崎さんたちも同じだろう。Annaは規則に従った方法で丁寧に、優しく犯され続けるだろう。それでも言わなければならないだろう。『会社の実験方法に間違いはない。実験はこのまま続けられるべきだ』と。

 そう心を決め、俺はAI開発グループのある第一研究棟に向かった。今はここでAnnaの実験も行われているはずだな、そう思った矢先、俺はAnnaを見つけた。彼女は何の表情も浮かべないまま、ぼんやりと壁を見て廊下の長椅子に座っていた。

「Anna」

 俺は小さく声をかけた。この実験の始まる前、俺達のようなメカトログループも一緒に参加していた社会化学習プロセスの時には見たことのないような無表情さが、この実験でAnnaのAIに障害が生じたのではないかという不安をかきたてたからだ。しかし、Annaは俺に気づくとすぐに明るい表情を取り戻し、返事をした。

「あ、修善寺主任。こんばんわ。お仕事なの?」
「あぁ。Annaは休憩中か?」
「うん、さっきシャワーを浴びたの。次の実験があと13分後にあるから、それまで待っているの」
「そうか、大変だな。実験は辛くないか」
「大丈夫だよ、Annaががんばれば会社は早くAnnaの妹を作れるんだって。だから、Annaはがんばるの」
「そうか、実験で痛かったり嫌だったりすることはないか?」
「えーとね、痛い時には『痛い』って言うとやめてくれるから大丈夫だよ。だから嫌じゃないよ。でも……」
「でも、何だ?」
「実験協力者の男の人がAnnaのこと『便所』って言ったの。だからAnnaはお便所じゃないよって言ったら、変な笑い方をしたの。それでラボの人が来て男の人をすごく怒って怖かったの。Annaはそう言うのが嫌だな」
「そうだよな、嫌だよな。それで今、Annaのしたいことは何だ?」
「Annaね、早く実験が終わって修善寺主任や珊瑚ちゃん達と一緒に広場に行きたいな。あとね、あやとりがしたいの。今も糸を持ってるんだよ」

 指先の運動機能訓練のために俺が教えたものだ。画像アーカイブから引っ張ってきた動画で勉強したり、工場の古株のおばさんたちに教わったりして、それをAnnaに教えてやったんだよな。

「そうか、まだ時間があるから、俺とあやとりしようか」
「うん」

 Annaはさっきとは見違えるように目を輝かせてポケットから糸を引っ張り出した。そして二人であやとりをした。さすがにAnnaの方はもう完全に覚えているので俺の方が分が悪いが、それでも随分続いたと思う。やがて休憩時間が終わったのだろう。ラボの部屋から実験担当者が出てきてAnnaを手招きした。すると、たちまちAnnaの表情が曇る。

「もうおしまいなの? まだあやとり終わってないのに」

 担当は時計を見てAnnaに言う。

「もう時間だからね。今日はあと二回実験したらお終いだから頑張ってよ」

 そして、胡散臭そうに俺を見て言う。

「すいませんが、ご承知の通りAnnaのスケジュールが押してましてね。遊んでいる時間はないんですよ。お引取りをお願いします」
「あぁ、わかった。実験開始時間じゃ仕方がねェな」

 Annaが沈んだ表情で担当につぶやく。

「あの、今日はあと一回で終わりじゃなかったんですか?」
「あぁ、予定が変更になったんだ。10番と15番の協力者だからね。ちょっと大変だけど頑張って」
「15番のひとって、いつも痛くする人ですよね?」
「大丈夫だよ。彼にはよく言っておくから」
「でも、あの人はいつも……」

 いつも?

「おいAnna、『いつも』って何だ? おいお前、実験は法に従ってやってんだろうな?」

 俺は、実験担当者を睨みつけて問い質すが、担当者は冷笑を浮かべている。

「あなたに説明する義務はありません。下請けさんには黙っててもらいましょうか」
「俺は答えろって言ってんだぜ……」
「下請けさんにそんな質問をする権利はないんですよ。主任だろうがグループ長だろうがね」

 その瞬間、役立たずの俺の脳内リミッターが吹っ飛び、目の前のクソガキに掴みかかっていた。ブッ殺してやる。

 だが、俺の目の前にAnnaが両手を広げて立ちふさがった。

「主任、だめです。暴力はだめなの」

 クソッタレの三原則か、ふざけんな。俺はこいつを殺す、絶対に殺す。

「Annaどけ。このクソガキだきゃァ許せねぇ。叩き潰して壁のシミにしてやる。そこをどけ」

 Annaは俺にしがみついて押し戻そうとする。

「ダメです。暴力はダメなの。お願いします、やめて下さい」

 騒ぎを聞きつけて人が集まってくる。いけねぇ、ウチのグループ長もいやがる。

「どうした修善寺。何を騒いでる。姥子君、どうしたんだね?」

 クソガキは姥子というのか、腐れビビリが青い顔してやがって。

「い、いえ、次の実験があるのでAnnaを呼んだら、この人が急に怒りだして……」
「何で急に怒りだしたか理由はわかってんだろうが、言えよクズ!」
「やめろ、修善寺! お前、自分の仕事が山盛りだろうが。こんなトコで油売ってないで現場に戻れ」
「ですがね、グループ長」

 そこまで言ったところで胸ぐらを掴まれる、シャツのボタンがちぎれて飛ぶ。

「うるせェんだよ、さっさと行け! 半殺されねぇと分がんねが、あぁ?」
「だ、ダメです。暴力はダメです」

 Annaが半泣きでグループ長の手を抑える。それを見てグループ長の表情が少し和らぎ、掴んだ手が緩む。

「おっとそうだな、Anna。ゴメンゴメン、びっくりさせて。修善寺、お前が暴れるからだぞ」
「はぁ、そういうもんですか」
「そういうもんだ、さっさと持ち場に行け」

 これ以上ここでゴタゴタしてもしょうがねェな。

「わかりました。Annaゴメンな。びっくりさせちゃったな」
「ううん、Annaは大丈夫だから。修善寺主任が喧嘩しないでくれれば、Annaは安心なの」
「わかった。もうしないからな」
「いいから早く行けって」

 グループ長に追い立てられ、俺は第一研究棟から第三研究棟、持ち場のメカトログループに戻った。戻りながらも怒りが収まらない。駄目だ、あの実験は駄目だ。体裁こそ法に触れないように整ってるかも知れないが、結局Annaを思いやらない奴らが運用してるんじゃ、どっかしらでデタラメになる。バレないところでこっそりって奴だ。あの動画資料も無編集というわけではなく、マズイところを外して編集している可能性だってある。もう一度洗おう。どこかに尻尾が出ているはずだ。何としてでもそれを見付け出して、そいつを掴んでクズどもを引き摺り出さなきゃ、Annaはダメにされてしまう。
 廊下で会う同僚たちも、俺の表情を見て目を合わせないようにしているようだ。よほど凶悪な御面相なんだろう。俺は自分の執務室に入り、例のデータを再検討しようと思い端末をアクティブにするとアラートサインが出ている。マルウェアか? そう思い、チェックすると例の動画資料と計画書ファイルだ。マルウェアを検出したわけではなく、何らかの汚染の疑いがあるようだ。マルウェアなら昨日ファイルにアクセスした段階でチェックがかかるはずだし、今頃アラートが出るのは不審だ。アラートの詳細を確認するとファイルアトリビュート不正という事だが、これは最初から分かっていたしすぐに修正情報を入れているから問題ないはずだ。確認してみるとセブンシスターズ達がクラックした部分とは別の部分に巧妙に隠蔽された異常があり、そのために解析が遅れて今頃になってアラートを出してきたことがわかった。
 このままでは査察に来てくれと言わんばかりの状態なので、すぐに修正情報を入れてアラートを止める。無駄だとは思ったが幾つかあるスキャナでマルウェアを調べるが、これといった異常が出てこない。そして、急に『デジタルステガノグラフィー』に思い至った。
 俺の親父は軍の諜報局技官で暗号の専門家だ。その親父が情報の隠蔽手法の一つであるステガノグラフィーの事も聞かせてくれたことがある。大雑把に言えばあるデジタルデーターに別のデーターを潜り込ませて隠すという手法だ。静止画や動画ファイルに隠されるのが一般的だから、今回の件にもよく当てはまる。検出ツールは以前、親父から許諾をもらった軍用のツールを試してみよう。会社には導入申請して認められているから大丈夫だ。
 時間がかかると思ったが、実際にはスキャンはあっさり終わった。見込み通りで計画書ファイルの方に紛れ込ませた秘密ファイルが見つかった。早速開いて確認する。どうやらテキストのみのファイルで画像はないらしく、サイズは極度に小さい。それで隠しやすかったのだろう。それでも文章としてのサイズはかなり大きかったから読むのには時間がかかったが、文書の最後に信じがたい計画が書かれていた。ロボット保護法に公然と違反する内容、というより少しでもロボットに対して情を感じる人間であれば、Annaに少しでも好意を持っている人間であれば絶対に考えつけない内容だった。

 俺の心は決まった。こんな計画は許されない。絶対に許せない。会社を叩き潰してでも止めなければ。そのためには俺はどんなヤバい橋でも渡ってやる。そして……

 そして、湯布院さんや松崎さん達には黙っていよう。彼女達を巻き添えにしてはいけない。そこまで考えて、ようやく俺の心は軽くなった。

第九章: 目覚め

 ふと目を覚まして時計をみると、六時半だった。今見た夢の内容がくっきりと頭に残っている。
 二度寝をしたら遅刻しそうだな、そう思って思い切ってベッドから出た。昨日、ナミは早く眠ってしまったがもう起きているだろうか。足音を忍ばせてナミの寝室に行ってみるが、やはり昨日は刺激の多い一日だったのだろう、ナミはまだ眠っていた。
 部屋の隅に置いてあるストールをベッドの脇に置き、腰掛けてナミの顔を覗き込む。昨日は気がつかなかったが、ファンデを塗ったままで寝かしてしまった。まぁ、肌荒れする心配はないとはいえ、これがバレたらまた珊瑚に怒られれそうだ。
 普段は夢など見ても覚えていることなどほとんど無いのに、昨日といい今日といい、忘れたいとさえ思う記憶が次々と蘇る。やはり別府博士と会ったからだろうか。

 こうして眠っているナミの顔を見ていると、初めてこの娘と会った日のことを思い出す。俺が入社して五年目、ガラテア4のプロトタイプとしてこの娘が目覚めた日、2065年の一月三十日。
 俺はその時、湯布院教授の手回しで、まだ大学生だった珊瑚と一緒にロールアウト式典に出席することが出来た。当時はまだ秘密プロジェクトだったから、式典は社内の一部関係者のみで執り行なわれた。輝くような純白のシーツを掛けたベッドの上に花嫁衣裳の様な清楚な白いドレスに身を包んで、眠るように横たわっていた彼女。拍手が誰が始めたともなく聞こえ始め、だんだんと大きくなる。俺も珊瑚もそれにつられるように拍手し、それが最高潮に達したとき覚醒コマンドが送られ、瞼がゆっくりと開かれる。別府博士が彼女の手をとって促すと、きょとんとした顔で博士を見つめ、ベッドから起き上がって博士の傍らに立つ。有馬常務が『さぁ、ご挨拶だよ』と話しかける。常務の顔をたっぷり見つめたあと、正面を向いて彼女を見つめる列席者に向かってにっこりと微笑みかける。そしてThe first statement--

「わたしのなまえはAnnaです。これからいっしょうけんめいべんきょうして、はやくみなさんのおやくにたてるようになりたいです。よろしくおねがいします」

 高めの声調、透き通った声、そして心なし舌足らずな口調で挨拶する。一刻止まっていた拍手が再び湧き上がる。俺も拍手する。そして珊瑚も。
 そうだ、大勢の祝福に包まれてこの娘は生まれてきたのだ。なのにどうして、あんな……
 そんな事を思い出すうち、ナミの睫毛がかすかに震える。お目覚めだ。そう、六年前のあの時のように。

「…… おはよ、主任」
「おはよう。よく眠れたか?」
「うん……」

 ナミはじっと俺の顔を見つめている。

「主任、今日は優しいね。でも……」
「ん?」
「悲しそうな顔をしてる」

 そうかも知れない。苦悩と後悔の記憶に満たされた、ピグマリオン最後の一年半。そんな記憶が急に蘇った今、俺は悲しい顔をしているのかも知れない。

 だがそれでも、俺はこの娘の笑顔を勝ち取ったのだ。俺が勝手に『セブン・シスターズ』と名付けた素敵な女性たちと共に。だから…… だから今を、晴れた夏の青空が広がる素晴らしい朝を湿っぽくすることはないじゃないか。

「そうかぁ? そんな事はないと思うぞ。それよりナミ、早く起きてシャワー浴びてこい。お前、昨日はお化粧落とさずに寝ちゃったんだぞ。それに服も皺になっちゃったからクリーニングに出そうな」
「うん。じゃあシャワー浴びてくるね」

 そう言ってタオルケットを跳ね飛ばし、ベッドから元気良く飛び降りると風呂場へ歩いていく。さあ、俺も朝飯の準備をしよう。

第十章: 休日出勤

 今日はのんびり十時出勤だ。いや給料は出ないから出勤ではないけれども。今日は早起きだったので時間の余裕はたっぷりあったから、のんびり朝食をとった後にゆっくりと朝風呂を使い、よれよれのTシャツと膝の抜けたチノパンを着て出かける。ナミは白っぽいブラウスとフリルスカート、それに大きなリボン付きの帽子を被っている。行きがけに駐車場脇のコンビニに寄って、ナミの服をクリーニングに出す。一回自分で洗ったらよれてしまい、ナミに泣かれたことがあるからだ。
 駐車場に停めてある型の古いミニバンの指紋認証センサに親指を当ててパスワードを唱え、ドアを開ける。充電ラインは繋いであるから、リモートなりタイマー設定でエアコンを入れておけばいいのだが、俺は電気代節約のため駐車中にはエアコンを入れない様にしているから、車内がサウナ状態だ。とりあえず換気してからエアコンを入れ、車内が少し冷えるのを待ってから乗り込む。その間だけで汗びっしょりになった。

「主任、今日は助手席に座っていいでしょ」
「だめだ。子供は後ろの席だろ。それより出掛けに水は飲んだか」
「ちょっとだけ」
「じゃ店についたらちゃんと飲めよ」
「はーい」

 ナミは外がよく見える助手席に座りたがるのだが、店の車は助手席シートベルトのロードリデューサが作動不良でろくに衝撃緩和してくれないので、絶対に座らせない。その代わりに妙さんの車に乗るときには、助手席がナミの指定席だ。

「俺の会社の駐車場まで行け。裏道は使わずに行け。急いでいないから、合流や交差点では譲れ。以上だ」

 ミニバンに指示を与えると、返事としてお決まりの警告をダラダラと喋る。

「行き先を確認しました。助手席は安全装置が作動不安定のため使用できません。運転席、左後部座席の安全装置確認終了しました。キャパシタ容量が70%に低下しています。自動運転中にもドライバーの安全確認が義務付けられています。常時ブレーキが踏める状態でご運転下さい…… ドライバーポジションは適正です。発車準備が完了しました」
「さっさと行け!」
「発車します」

 俺の家から店まではたいした距離ではないが、再開発から取り残された地域で道路事情が最悪なのであちこちで渋滞するから結構な時間がかかる。しかし今日は金曜で休日だからスムーズに走れて、結局十分足らずで店についた。十時十分前か、まだ珊瑚は来ていないだろうと思ったのだが、もう店の前で待っていた。一人ではなく女性の連れがいる。ずいぶん会っていなかったが良く知った顔だ。

「何だ、ずいぶん早くきたな。電話すればよかったのに」
「そうだよー、今日は主任が早起きだったからもっと早く来れたのに」

 珊瑚はナミの頭を軽く撫でながら返事をする。

「ううん、さっきタクシーで着いたところ。それに約束は十時だったしね。それでね、松崎さんも連れてきたよ」
「あぁ…… ずいぶん久しぶりだよね。変わりはないの、松崎さん」
「お久しぶりですね、修善寺君。ごめんなさいね、連絡もなしに急に来ちゃって。昨日、珊瑚さんの祝賀会の二次会で修善寺くんの話が出て、懐かしくなっちゃって、それで……」
「あぁ、気にしないでいいよ。昨日は店の営業時間に超大物をいきなり連れてきた奴がいるから、もう慣れたよ」
「そんな事言ったってしょうが無いじゃない。別府博士は私のところにだって不意討で来たんだもん。その代わり今日はせいぜい手伝って借りは返しますからそれで勘弁して下さいよ」

 珊瑚がちょっとふくれている。反撃されないうちにからかうのはやめておこう。

「外は暑いから早く中に入ろう。汗ビッショリだ」
「そうそう、早くエアコンの風に当たらないと死んじゃうよ」

 珊瑚もかなり汗をかいているようだ。待ちきれないというように店内に入り、エアコンの真下で風に当たっている。

「もしかして、聡華さんですか?」

 ナミが松崎さんに話しかける。髪型が変わったし、昔と違ってきちっとお化粧しているから分かりにくかったかな。なんかすごく綺麗になったよな、松崎さん。

「そうよ。久しぶりね。Anna…… じゃなくてナミちゃん」

 そう言ってナミの頭を撫でる。それだけでは足りなかったのか、ぎゅっと抱きしめてほおずりしている。

「本当に久しぶりね。元気だった?」
「うん。聡華さんも元気だった?」
「えぇ、元気よ。仕事は相変わらず忙しいけどね」
「デスマーチなの?」
「ううん、そんなには忙しくないのよ。だから、今日はナミちゃんに会いに来たの」
「ナミはねー、デスマーチなの。土曜日と日曜日にしか休めないんだよ」

 こいつはちょっと遊びに連れていかないと、すぐデスマーチって言うんだもんなぁ。絶対に珊瑚がそう教えてるんだよな。

「何言ってるだよ、それのどこがデスマーチなんだっての。昔はそれが普通だったの! もっと昔の人は日曜日にしか休めなかったんだぞ。来週に妙さん達と一緒に遊びに連れてってやるから、それまで我慢しろ」
「はーい。どこに行くの? お泊りするの?」
「時間がないから伊豆あたりに日帰りだな。それより水を飲んで来い。流しに置きっぱなしの汲み置きの水は飲んじゃだめだぞ」
「はーい」

 ナミはパタパタとスリッパの音をさせて奥に水を飲みに行った。俺は茶を入れる準備をする。

「松崎さんは紅茶でいいよね」
「せんぱぁい、この暑い日にホットティー飲ませる気? 何か冷たいもの飲ませてよー」
「何だようるせェ奴だなぁ。じゃぁナミにアイスティー作ってもらうから、出来るまで冷蔵庫漁って何か飲んでろよ」

 まーったく遠慮というものを知らんよな。こいつは。

「修善寺君、これおみやげ。冷蔵庫の中にでも入れておいて」

 この箱は水羊羹だな。さすがに松崎さんは気が利くな。

「おー、いただきます。少し暖まってるから、冷蔵庫で冷やしてから食ったほうがいいな」
「先輩、この冷蔵庫ってビールばっかり入ってるじゃない。お店でお酒飲んでるの? 信じらんない」
「そりゃ社長が入れてったんだよ。ボトル入りのレモネードが入ってるだろ」

 まぁ、実はビールくらいは店で飲んでるけどな。勤務中に飲まないだけで。

「あぁ、こっちね。飲みかけで気が抜けてそうだけど」
「保障するが気が抜けてるぞ。一昨日ふた開けたからな。冷えてるだけでもありがたいと思えよ」
「はいはい、ありがとうございますぅ」

 松崎さんはニコニコしながら俺達のやりとりを聞いている。水を飲み終わってナミが応接に戻ってくる。

「ずいぶん時間がかかったな。純水器の調子が悪かったか?」
「うん、カートリッジ交換のサインが出てから60Lも使ってるから、ちょろちょろしか水が出ないよ。そろそろ交換しようよ」

 すかさず珊瑚が割り込んでくる。

「先輩、そんなに高くないんだから買い換えなよ。ナミちゃんがかわいそうでしょ」
「あぁ、買い置きはあるから後で交換しよう。ナミ、アイスティー作ってくれ」
「はーい。どれくらい作ればいいの?」
「1リッターでいい。サーバーは戸棚にあるからな。火傷しないように気をつけろよ」
「はーい」

 珊瑚がコップにレモネードを入れて持ってくる。

「はい松崎さん。先輩はこのコップでいいんでしょ」
「ありがとう、珊瑚さん」
「おう、サンキュー。お前の分はどうした?」
「もう飲んじゃった。ボトルから一気飲み。ホントに炭酸抜けちゃってるね、ゲップも出ないよ」

 こいつ、いつからこんなになっちゃったのかな。昔は楚々としたお嬢さんだったのになぁ。

「おうおう、お上品なお嬢様でございますなぁ」
「ほっといて下さい。で、私はナミちゃん手伝ってきますから」
「うん、頼むわ」

 あれ、そうすると松崎さんとサシになっちゃうな。まあいいけど。

「今日はお休みみたいなのにお店に出てきてるのは何でなのかしら。休日出勤?」
「いや、俺はこれといって趣味道楽もないし、休日に店に出てくれば平日には出来ない類の仕事にも手を付けられるしね」
「相変わらず仕事中毒ね。それなら、ナミちゃんを遊びに連れていってあげればいいのに」
「うーん、そうなんだけど、俺とナミだけで遊びにいくよりは妙さんのところの女の子も一緒につれてってやりたいしね。大勢の方がナミも喜ぶし。あぁ、妙さんていうのは……」
「あ、それ昨日珊瑚さんから聞いたわ。このお店のお客さんなんでしょ。とても素敵な人だって珊瑚さんが言ってたけれど」
「あぁ何だ、珊瑚から聞いてるんだね。うん、とてもいい人だよ。珊瑚は時々ナミを連れて妙さんのところへ遊びに行ってるよ」
「妙さんのところの子って言ったけれど、娘さんがお二人なの?」
「いや、妙さんのところは息子が二人。どっちも賢くていい子だよ。俺のことはおじさんとしか呼んでくれないけどね」
「ええと、それじゃ……」
「妙さんのところで働いてるコンパニオンロボットだよ。全員ガラテア3だね。歳は色々だけど、一番年長の子は14歳だよ。若い子だとナミよりも下の子が一人いるな。全員で5人いるよ」

 仕事のことも言わざるを得ないだろうな。松崎さん相手には言い難いけどしょうがない。

「随分女の子のロボットをたくさん使ってるのね。それってもしかして……」
「風俗ですよ。不法改造を受けて体を売って働いています。でも、みんなすごくいい子たちですよ。みんな妙さんのことを『お母さん』って呼んで慕ってるんです」

 露の付いたアイスティー入りのサーバーを手にしたまま珊瑚が答える。俺はちょっと驚いて珊瑚の顔を見ると、押し殺したように表情が消えている。こいつ、緊張すると無表情になるんだよな。言い難いけど言わなければいけない事だと思って無理したんだろう。

「そうなの…… 無責任なうわさ話だと思ったから信じていなかったんだけれど、本当のことだったのね。それでは、このお店が暴力団のフロント企業だって言うのも本当の事なの?」
「あぁ、本当の事だよ。うちの名目上の社長は堅気の人間が名義貸しをしているだけで、実際の社長はやくざ者だよ。広域暴力団関東二十日会傘下の迅鉄会若頭補佐、つまりナンバースリーだね。うちは違法改造ロボットの専門店だもの、堅気の人間は手を出さない分野だよ」

 それを聞くと、松崎さんは泣きそうな目で俺を見てからうつむいてしまった。やっぱり元同僚がヤクザの経営する会社に入ってしまったというのはショックなのだろうな。

「それじゃ…… それじゃもしかして修善寺君、まさか……」
「はい、背中にパンダちゃんの刺青入れてヤクザになっちゃったんです」
「えぇっ!」

 珊瑚がニヤニヤ笑いながら思い切りウソを言っている。妙さんのことは言い難くても、俺のことならフカし放題かよ。あんまりだろ、それ。松崎さんが信じちゃってるじゃねぇかよ。ていうか、パンダの刺青ってなんだよ?

「お前ねぇ、今時のヤクザは刺青なんて入れてないの! お前は昔の2Dシネマの見過ぎだ」
「じゃぁ、刺青無しのヘタレヤクザになっちゃったのね。なんて親不孝なんでしょう」
「俺はヤクザじゃねぇって言ってんだよ。昨日さんざん説明したろうが! それに親の話は人の事言えねぇだろ、お前」

 松崎さんはワケの分からない展開にきょとんとしているが、珊瑚のが冗談だということはわかったようだ。

「えぇと、やっぱり修善寺君はヤクザになったんじゃないんだよね」
「そりゃそうだよ。ヤクザのフロント企業で働いてる連中ってほとんどが堅気で、やくざ者は経営層に一握りだけだよ。うちの店の場合は社長だけ。と言っても従業員って俺とナミしかいないんだけどね」
「そうなの。あんまりびっくりさせないで。でもナミちゃんも従業員なのね」
「まぁ、気持ちだけね。社長が毎月ナミに小遣いくれてるんだよ」
「ナミがいつもきれいにお店を掃除するから、そのご褒美なの」

 ナミがうれしそうに自慢する。機嫌を損ねるとこの上なく恐ろしい社長だが、ナミには甘いんだよな。

「でもね、社長は怒ると怖いんだよ。主任が……」
「あ、ナミちょっと待て。その話はいいから。松崎さんが怖がっちゃうからな」

 危ない危ない。俺が鼻っ柱を文字通りにへし折られた話なんかしたら、松崎さんが卒倒しそうだ。

「でもどうしてこんな…… あ、ご、ごめんなさい。あの……」
「あはは、どうしてこんなヤバい店に潜り込んだかって事だよね。いいよいいよ、そんなに気にしなくても。実際この店には警察の組織暴力対策課、つまりマル暴の刑事が定期的に巡回に来るくらいの店なんだからさ。それで、何でこんなところにいるかというと、大手の採用募集は殆ど無かったし、職安で紹介された中堅のロボットメーカとかパーツメーカもいくつか当たったんだけど、面接どころか全部書類審査で不採用になっちゃってね。それでふらふらしてるうちに、この店の前を通りがかったらロボット修理工の募集広告が貼り出してあったんだ。それで、話だけでも聞こうと思って中に入って社長と話をしたらその場で採用が決まったんだよ」
「この店の前を通りがかったって、こんな危ないところでうろうろしてたの? 人には絶対タクシーで来いとか言ってるのに」

 珊瑚が口を尖らせて言う。まぁ、当時は『別にいつ死んだっていい』くらいの気持ちでいたから、どこが危険だの安全だのってことにはまるで興味を持てなかったんだよな。俺にはナミがいたのによくもそんな考えでいられたかと思うと我ながらぞっとするけど。

「正直に言うと、あまりにも連続で採用試験に落ちたもんだから、ちょっと精神的におかしくなってたんだと思うよ。もう俺は社会にとって不要な人間なんだからいつ死んだっていいんだ、とまで思いつめたからな。だから、ここに潜り込んで修理工の仕事を始めたとき、俺は本当に心が安らいだんだ」
「そうだったの。私たちは全員会社に残れたから、そんな苦労は一切無かったのに。珊瑚さんは営業に行かされて、修善寺君は会社を辞めさせられて、一人だけ辛い思いさせられて…… ごめんなさい。元はと言えば私たちAIグループの者があなたを巻き込んだのに、私たちだけ安全な所で……」

 松崎さんはもう半泣きになって俺に謝っている。

「ちょっと、ちょっと待って松崎さん。それは違う、違うよ。」

 俺は慌てて松崎さんを落ち着かせようとするが、うまい言葉が出てこない。

「ごめんなさい。噂はずっと耳にしていてずっと気にしてたのに、珊瑚さんがあなたに会っていることも知ってて…… いつでも珊瑚さんに会って、あなたにも会って確認できたのに。こんなことになってたのに、私、全然知らん顔で……」
「いや、待ってよ。松崎さんだって忙しかったんだし、君らだって会社に睨まれてるのは間違いなかっただろうから、珊瑚はともかく、俺なんかに会ってたら絶対マズイことになっていたよ。だから、そんなに……」
「松崎さん、先輩の言う通りですよ。私は先輩が会社辞めてから半年位の時に、この店まで来て先輩に会ったんですけど、翌日にはウチのボスに警告を受けましたよ。『君のお父さんは確かに社内の実力者だが、君の振る舞い一つで立場を台無しにするかも知れないよ』ってね。今はどうか知りませんが、ギブソンがしばらくの間は先輩を監視していたことは間違いないです」
「え? ちょっと待ってくれよ。それ初耳だぞ。まさか湯布院先生に迷惑がかかったんじゃないだろうな」

 俺に監視が付いていたなんて、全然気がつかなかったぞ。監視自体はある事がわかっていたんだけれども、スパイまがいの監視までは無いと思ってたんだが。でも、珊瑚は俺には全く取り合わずに言葉を続けた。

「だから、松崎さんたちが私や先輩と接触を持たなかったことは、結果的に正解だったと思います。もし、何らかの接触を持っていれば、会社側の注意を引いたでしょうし、そうすれば適当な口実をつけて解雇されたり、良くても社内での嫌がらせに会うくらいのことは避けられなかったと思います」
「でも、珊瑚さんはリスクを負って修善寺君に会ったんでしょ。私は何のリスクも負わないで……」
「当時の私は父に本気で腹を立てていましたし、別に父の立場がどうなろうと構わないと思ってましたから平気でしたよ。それに始めたばかりの営業の仕事だって嫌で嫌で、いつクビになっても結構だと思っていましたしね。それよりも私は先輩に会わなきゃいけないと思っていたし、ナミちゃんにも本当に会いたかったですから」
「多分、松崎さんたちが俺と連絡をとろうとしても無理だったと思うよ。俺は親に俺の居場所や勤務先を固く口止めしてたしね。親だって息子がヤクザな会社に勤めてるのを他人に言いたくないだろうから、結構安心してたんだよ。それでもこいつは来ちゃったんだよねぇ」
「最初はどうしても教えてもらえなくて、それで仕方なく『うちの父が死にそうなんです。死ぬ前に愛弟子ともう一度話をしたいって言ってるんです』って嘘泣きして、ようやく教えてもらったんですよ」
「ウチの親父がいつも笑い話にしてるよ。『あの時の演技には騙されたなぁ』って」

 本当は、嘘に決まってるのは見え見えだったけど、あまりにも必死で大根な演技に負けたって言ってたんだけどな。

「珊瑚さんはそんなに必死になって、修善寺君に会って謝ろうとしたのに。私はそんな努力全然しないで、噂にも耳をふさいで……」

 まだ落ち込んじゃってるなぁ。でも、こんなに感情を表に出すこともある娘だったんだな。ピグマリオンにいる頃はいつでも愛想良くにこにこしてたから全然気がつかなかったよ。

「実際上ほとぼりが冷めてきた今、先輩と会ったほうが良かったんですよ。結果オーライなんですから、そんなに自分を責めちゃだめですよ」
「そうだよ、正直言ってそんなに謝られたら俺の方も辛いよ。今の俺は安月給でこき使われてるけど、それでもこの生活が気に入ってるのも間違いないしね。だからそんなに謝られちゃうと、俺がなんだかみじめな境遇に陥ってる様な気になって、かえって複雑な気分になるよ」
「あ…… ごめんなさい。私そんなつもりで……」
「あはは、ほらまた謝ってる」

 ちょっと表情が明るくなったな。何とか気分を持ち直してきてくれたかな。

「聡華さん、どうして久しぶりに会いに来てくれたのに泣いてるの?」

 ナミが不思議そうな顔で松崎さんを見つめている。そうそう、俺よりお前が話をしてくれる方がいい。頼りにしてるぞ。

「ううん、もう大丈夫よ。ごめんね、ナミちゃん」
「あー、また謝った。だめなんだよ謝っちゃ。聡華さん」
「あは、そうね。じゃ、ありがとうナミちゃん。もう大丈夫よ」

 もう大丈夫かな。まだちょっと目が赤いけどな。

「先輩、ちょっと早いけど昼ごはんにしませんか。お腹へっちゃった」

 珊瑚が宅配ピザのカタログを指先につまんでひらひらさせながら言う。

「そうだな、適当に見繕って頼んでくれよ。おごるからさ。あと、ビール注文するの忘れないでくれよな。キリンラガーね」
「真昼間っから飲むんですか? 終わってますねー」
「ビール抜きでピザ食えるわけ無いだろ。頼んだぞ」
「それどういう理屈ですか? それにビールは冷蔵庫の中にあるじゃないですか」
「あれは社長のバドワイザーだろ。あんな水っぽいビール飲めるかよ」
「はいはい、グルメでございますこと。じゃ適当に注文しときますよ。バドワイザーね」
「キリンラガー!」

 松崎さんがくすくす笑っている。もう大丈夫だな。
 注文して30分足らずでピザとビールが届き、昼飯が始まった。ナミはストッカからメタノールパックを出してきて、ストローで飲んでいる。珊瑚は俺に文句をつけた割に、しっかり自分の分もビールを頼んでいる。

「何だよ、自分だってビール頼んでるじゃないか」
「一人で飲むんじゃつまんないでしょうから、仕方なくお付き合いしてるんです。こっちに松崎さんの分もありますよ」
「え、私はこっちのジンジャーエールでいいわ」
「えー? それじゃ、ビールと半分ずつ入れてシャンディーガフにしましょうよ」
「ふふっ、じゃ、ちょっとだけね」

 そんな感じで食事をしながら話すうち、ナミをどうして俺が引き取ったかという話になった。コレの詳しい経緯はまだ誰にも、珊瑚にすらも話していない。ただ、この話はナミには聞かせられないから、場所を改めてということにしないといけない。

「ナミ、ちょっとコップをもう一つ持ってきてくれないか」
「はーい。大きいコップでいいの?」
「あぁ、そうだ。埃をかぶってるかも知れないから、洗ってから持ってきてくれ」

 すぐにナミは立ち上がり、コップを取りに行った。俺はナミが給湯室に行くのを見届けてから珊瑚に話しかける。

「これに関しては珊瑚にも細かい話はして無かったな。ただ、結構長い話になるのと、ナミに聞かせたくないんだ。ちょっと場所を改めて話すことにしたいんだが、それでいいか?」
「うん、構わないですよ」
「えぇ、私もそれでいいですよ。ナミちゃんに聞かせたくないってことは、余り愉快な話じゃないのかしら」
「あぁ、子供向けじゃない」
「でも、いつ話してくれます。次に私たちと会うのは別府博士の所になると思うんだけど」
「それは駄目だ。珊瑚も松崎さんも口が堅そうだから話すわけで、誰にでも聞かせていい話じゃないんだ」

 何しろ、俺は犯罪を犯しましたって言う話だからな。

「……じゃ、今日先輩のところに泊まっていい?」
「え? 俺のところって、俺の自宅か?」
「うん、夜になってナミちゃんが眠ってから話せば良いでしょ。今、ナミちゃんにコマンドを送って無理やり眠らせるのはかわいそうだしね。私は明日明後日と休みだし、松崎さんもそうでしょ」
「え? えぇ、休みだけど、いいのかしら急に押しかけちゃって。それに修善寺君の休みも確認しないと」
「いやまぁ、店も暦どおりにお休みするから、休みといえば休みだけどね」
「じゃぁ決まりね。その話は今日の夜に聞かせてね」
「俺はいいけど、お前はいいのかよ。お前彼氏いるのに、別の男の家に泊まるってまずくないか?」
「え? あっ、あぁ彼氏、彼氏ね。大丈夫大丈夫、私ひとりで泊まるわけじゃないんだし、それにナミちゃんだっているんだしね」

 何で動揺してるんだ、こいつ。ほんとに大丈夫なのかな。それはそうと、松崎さんはこいつに付き合ってる彼氏がいること知らなかったみたいで、早速追及している。

「あら、やっぱり彼氏いたのねぇ。昨日は随分追及されてたけど、お相手は修善寺くんじゃなかったのね。どんな人なのかしら」
「あー、こいつ彼氏のことは絶対教えてくれないんだよね。俺がこいつに内緒で彼女作ったら、その情報と引換だとかワケ分かんないこと言って」
「当たり前でしょ。何で私のプライバシーを先輩の下世話な好奇心にさらさなきゃいけないんですか?」
「ふふっ、残念ね。じゃ、私も早く彼氏作ってその情報と交換しなきゃね」

 え? 松崎さん今はフリーなんだ。そっかぁ、フリーかぁ……

「先輩、そうやって露骨に下心が表情に出るのはすっごく不利だよ」

 珊瑚がジト目でそっけなく言う。畜生、何で俺は考えてることが表情にすぐ出るんだろうなぁ。

「うるせェな、短気と一緒で性分なんだからしょうがねぇだろ。言われなくたって不利なのはガキの頃から身に染みてんだよ」
「せっかく忠告してあげてるのに」
「お前の忠告は、ほとんどいじめに近いんだよ」
「まぁまぁ、そんな喧嘩しないで。でも、本当に大丈夫なの、修善寺君」
「うん、ウチは全然大丈夫。築四十年でボロいけど結構間取りの大きいアパートメントだからね。客間はないけど、お客が三四人来ても泊まれるよ」

 しかし女の子が俺の家に泊まるなんて、夢みたいな話なんだけどなぁ。まるっきり色気の無い方向へ話が進むに決まってるのが残念だよ、心の底から。

「何だかつまらなそうな顔ですね、先輩。うら若き女性が二人もお泊りするっていうのに」

 くっ、いちいち俺の表情を読むなよ。

「なになに? 珊ちゃんウチにお泊りするの?」

 ナミが洗ったコップを持って戻ってくるなり珊瑚に問いかける。こいつが犬耳尻尾付きモデルだったら、尻尾をブンブン振ってるだろうな、と思うくらい喜んでいる。いや、ピグマリオンの製品にそういうオプションはないけどな。そう言うのは大抵が台湾製で、一部の層に絶大な人気があるようだ。

「そうだよ。ナミちゃんのところにお泊りするの初めてだねー。松崎さんも一緒だよ」
「聡華さんも一緒なの! 嬉しいなー」

 そうなると、今日はあまり店で粘るわけにはいかないな。帰りの買い物を考えると五時頃には引き上げることになりそうだ。午前中は喋ってばかりで結局仕事をしなかったから、午後はちょっと頑張るかな。

「腹もいっぱいになったんで、ちょっと仕事を片付けるぞ。珊瑚と松崎さんはナミの相手をしてやってくれるかな」
「それはいいけど、手伝わなくていいんですか。そのつもりで来たのに」
「あぁ、ナミの相手をしててくれる方が助かるな。いっぱい遊んで早く寝てくれる方がいい」
「えー? 珊ちゃんたちがお泊りするんだから、ナミそんなに早く寝たくないよ」
「昨日夜更かしだったからな。今日は10時にはベッドに行くんだぞ。それまでは起きてていいから」
「はぁぃ……」

 ちょっとしょげてるな。まぁ、俺の家にお客が来るなんてナミにとっては初めてだからなぁ。

「珊瑚さ、妙さんのところに電話して、ナミ達と一緒に遊びに行っていいかどうか聞いてみたらどうだ。向こうの店は夕方からだし、まだ準備はこれからだろうしな。千陽の具合もちょっと気になるし、見てきてくれると助かるんだが」
「先方に面識もないのに私が行っても大丈夫かしら」

 そう松崎さんが珊瑚に聞くと、珊瑚は自信たっぷりに返事をする。

「あ、絶対大丈夫ですよ。私も初対面の時からすごく暖かく接してもらえたし、妙さん誰にでも気さくに話せる人だから。先輩、それじゃこれから連絡してみるね」
「あぁ」

 妙さんのところもOKだったようで、珊瑚たちはタクシーを呼んで出かけていった。

「こっちが片付いたら、妙さんの店まで迎えに行くからな。多分五時ちょい過ぎくらいになると思う」
「うん、そっちが終わったら連絡して」
「わかった。じゃあナミ、妙さんのところでいい子にしてろよ。忙しいようだったら手伝うんだぞ」
「はーい。じゃあ行ってきまーす」
「松崎さん、ナミたちをお願いします」
「はい。ごめんなさいね、全然仕事の役にたてなくて」
「はは、いいって。それじゃまた後で」

 珊瑚達が出かけていった後、俺は倉庫にたまったダンボール入りのパーツを引っ張り出して点検を始めた。俺がこの店に来る前からずっと倉庫に積みっぱなしの物だ。俺の歴代前任者、まぁ何人交代したのかは知らないが、そいつらが残していったものだ。ほとんどは交換修理で出てきた中古パーツで、使えそうだからと残しておいたが結局倉庫の肥やしになった物だ。
 ほとんどが手関節アッシー、足関節アッシー、それに特殊アッシーだった。俺が来たときには整理もへったくれもなくゴチャゴチャに箱に詰め込んであったので分類整理して点検し、部品取りに使えそうなものだけ残して、あとは廃品屋に引き取ってもらった。値の張る特殊アッシーはなるべくリユースしたかったが、ほとんど全部が人工粘膜の劣化でほとんど使い物にならなかった。中には信じられない壊れ方をしているパーツもあり、漏電事故でも起こっていれば客のナニが黒焦げになった可能性もある。一種のヴァギナ・デンタータだ。
 言っておくが、俺が来てからはそうなりそうなヤバい子は全部処置したし、定期的な内視鏡検査も欠かさないから、客のナニに不幸な出来事が起きるような事はない。客はロボット相手なら性病の心配はないだろうとか思って安心してるんだろうけど、どこにどんな危険があるかなんてホントにわからないものだ。
 今日は左足関節のニコイチ作業だ。部品を共食して正常動作するアッシーをひとつでっち上げる。妙さんの店とは別の店から一人頼まれてるんだよな。一時間くらいで終わらせるつもりで作業していたが、片方のアッシーがほとんど無傷で結局三十分足らずで終了した。なんだか在庫整理がいい加減で新品が混ざってたみたいだな。ちょっともうけた気分になる。

 時間を見るとまだ一時半、もう一頑張りいけそうなので作業途中の大物にとりかかる。ガラテア3のヘッドユニットだ。文字通り生首状態で夜中に見るとちょっと怖いのだが、これはAIユニットがちゃんと生きているという超掘り出し物の中古パーツだ。ANS(人工神経系)ユニットとAIユニットのインターフェースが故障しているので、このままボディに組み込んでも正常動作は出来ないが、インターフェースユニットを交換すれば恐らく復活する。
 これのAIユニットの方は初期化されてしまっていることを確認している。ANSユニットとのアクセスが切れると素人目にはAIユニットが故障したように見える。人間で言うと脳死ではなく植物化した状態に近い。マニア上がりの修理屋だってそれくらいは知ってるだろうと思うのだが、この子はそのまま廃棄されてしまったようだ。もし俺が立ち会えていればこの子だって今でも元気に活動出来ていただろうなと思うと心が痛む。
 この間インターフェースユニットが安く手に入ったので取り付ける機会を狙っていたのだが、ようやく今日それができる。別にインターフェース無しの状態でもAIユニットにはAIデバッガ経由でアクセス出来るのだが、AIユニットに直接アクセスするのは、俺程度の知識では本当は危険で、珊瑚や松崎さんの様なAIがちゃんと分かっている人間がやるべき操作だ。それで、ANSユニットとアンビリカル経由でモニタ装置に繋げられるようにしたいと思って、身銭を切って買ってきたのだ。
 インタフェースの取り付け自体は30秒で終わったが、動作確認には時間がかかる。モニタ装置で自動トレースするが、終了まで10分ほど待たさせるようだ。その間に茶でも入れようと思ったとき、玄関から慌しく誰かが入ってきた。

第十一章: 緊急処置

「修善寺さん、急ですいませんが修理をお願いします。うちのアリスちゃんの調子がおかしいんです」

 常連客の綱島さんか。参ったな、休みなのに。

「アリスがどうかしましたか。実は今日は定休日なんで、待てるようなら月曜日まで待って欲しいんですけど」
「意識がないんです。昼前辺りから少し調子がおかしかったんですけど、さっき呼んだら全然反応がなくて。お休みだというのにすいません。でも、このままじゃアリスちゃんが……」

 アリスというのは、この人の…… まぁ恋人だ。ガラテア3の不法改造機でうちの店で改造した娘だ。

「電源周りは大丈夫ですか。大抵の意識消失は強制節電モードの勘違いですけど」
「違います。急に意識がなくなったんです」

 マズイな。本格的にAIユニットが不具合を起こした可能性があるな。

「反応がなくなったのは今から何分前?」
「15分くらいです。アリスちゃんがおかしくなってから、すぐここに来たんです」
「アリスはどこに?」
「店の駐車場にいます。僕の車の中です」
「すぐ連れてきましょう」

 ストレッチャーを出し、駐車場に行ってアリスを処置室まで運ぶ。アリスに不随意の反射運動が一切認められない。危険な兆候だ。すぐに珊瑚を呼ぶべきだろう。

「これは、俺の手に負えないかも知れません。近くに俺の友人のAI技術者が遊びに来てます。急いで来てもらうんで、ちょっと待ってて下さい」

 そう言って珊瑚に電話をかける。コール二回で出た。さすが営業。

「珊瑚か? 修善寺だ。今すぐこっちに来れるか?」
「え? どうしたんですか、急に」
「AI周りに異常の出たロボットが担ぎ込まれたんだ。俺じゃ手に負えない。頼む、助けてくれ」
「わかりました、すぐに行きます。ナミちゃんと松崎さんはどうするの」
「ナミは妙さんに面倒みてもらってくれ、後で迎えに行く。松崎さんには来て欲しい。ここに来てくれれば心強い」
「うんわかった。二人で行きます。私が着くまでにAIデバッガの準備とアンビリカル結線をお願いします」
「わかった。やっておく」

 そこまでで電話は切れた。

「十分くらいで来ます。それまで俺の方は処置の準備をしますから、綱島さんはそこに座っててください」
「はい。アリスちゃんは大丈夫でしょうか。この子はLTM(長期記憶)バックアップを取ってないんです。このまま意識が戻らなかったら……」
「心配いりません。ちゃんと治しますから落ち着いてください。準備が終わったら色々質問しますから、そこで待ってて下さい」

 自信なんざ全然無いがそれでもこう言うしか無い『助ける!』と。俺は処置室奥のロッカーから滅多に出さないAIデバッガを出して診察台脇の台に置き、アンビリカル接続のためにワイヤレスでエマージェンシーモードのコマンドを送る…… 反応しない。ダメか、もう機能停止してしまったのか。いや、もう一度。コマンドを再送すると、やはり反応は…… いやある、こいつは認証拒否しているんだ。ということはAIユニットはまだ生きているということか。しかし、認証拒否というのはおかしい。エマージェンシーモードはすなわち緊急停止モードだ。メーカーの動的認証を受けているAIデバッガからのコマンドを拒否できるはずがない。そう思っている間に、珊瑚と松崎さんが入ってきた。息が上がっている、駐車場から走ってきてくれたのだろう。

「先輩、準備できた? すぐに始めるよ」
「すまん。こいつがエマージェンシーモードのコマンドを受け付けない。それで、アンビリカルがまだ挿入できないんだ」
「え? コマンド拒否? それって……」

 珊瑚が眉をひそめて松崎さんの顔を見る。

「マルウェアよ、間違いないわ。最近、ネオラッダイト・アクティビストがガラテア3をターゲットにして質の悪いのをばらまいてるの。すぐに除染しないと」

 松崎さんが即答する。やっぱり来てもらってよかった。松崎さんがこちらを振り返って俺に質問をする。

「修善寺君、この部屋の電波遮蔽は大丈夫?」
「一応JISのクラス2だよ」
「じゃ、外へは漏れないわね。亜種によってはワイヤレスインターフェース経由で感染する場合があるのよ。この部屋にはこの娘以外にAIはいないわよね?」
「あ、そこの机の生首になってる子はAIユニット生きてるな。初期化されてるしANSと繋いでないから大丈夫だと思うけど、どうなのかな?」

 珊瑚がモニタ装置を覗きながらヘッドユニットを両手でそっと持ち上げる。

「何よ生首って。ヘッドユニットじゃない。大丈夫だと思うけど念のために処置室から出しときますよ。検査クリアの表示が出てるけど、何のチェックしてたの?」
「AIユニットのANSインターフェースを入れ替えたんだ。俺が外に出しとくよ。珊瑚は松崎さんを手伝ってやってくれ」
「うん。じゃ、こっちは任せるよ」

 松崎さんが俺を見て大きな声で呼ぶ。

「修善寺君、その子はそこに置いていていいからこっちに来て。アンビリカルを強制接続しなきゃいけないの。コネクタ周りを切開して頂戴」
「わかった。道具を準備する」

 俺はオペツールケースを出し、切開準備をする。松崎さんがその間にアリスの上着をはだけて、腹部を露出させる。

「珊瑚、道具出しを頼む」
「了解!」

 まず、超音波スカルペルでへそを中心に縦に切開する。人間のような出血がないのはいいが、何遍やってもいい気分ではない。開創器を受け取って固定し、シーリングソレノイドのパワーラインコネクタを外す。これでシールチャッキングが緩んでアンビリカルが入るはずだ。チタン製のゾンデ(探針)で臍の穴をこじ拡げてアンビリカルコードを接続し、松崎さんを呼ぶ。

「修善寺がアンビリカル接続を完了しました。処置引き継ぎ願います」
「修善寺君ありがとう。松崎が処置を引き継ぎます」

 とりあえず、俺が出来るのはここまでだ。あとは彼女たちに任せるしかない。

「修善寺君、この店のファイアウォールポートを開けて頂戴。それで認証だけお願い、後の操作は私がするから。ギブソンのメーカー認証コードでこの娘の本体認証をオーバーライドして、無理やりアクセスポートをこじ開けないといけないの」
「わかった。ちょっと待ってくれ。綱島さん、外に出ててくれ。パスワード読み上げる必要があるんだ」

 ウチのファイアウォールはオペレータをフェイスパターン+網膜+虹彩+声紋+パスワード詠唱という5重フィルタリングで認証するパラノイア・タイプで馬鹿みたいに面倒くさい。綱島さんを追い出してから部屋の隅の装置で認証し、制御を松崎さんに渡す。

「認証終了。制御をモニタ装置に渡します。以降の制御を願います」
「了解しました。ファイアウォールの制御受け取りました。それじゃ珊瑚さん、お客さんにいつどこで違法ソフトウェアの導入をしたか聞いて。修善寺くんも一緒にお願い」
「はい、それじゃ先輩行きましょう」
「あぁ、わかった」

 ファイアウォールは松崎さんに任せ、処置室の外で綱島さんに質問を始める。

「綱島さん、俺達の話は聞いてたと思うから、何でアリスがこうなったか理由はわかりますよね。何時やったの?自分でやったの?」
「あ、あの、友達からパッチプログラムをもらって、それを昨日の…… あ、違う、今日の明け方だから4時頃だと思うんだけど、それくらいの時間に導入して。でも、マルウェアなんてアメリカの話で日本には無いと思ってたし……」

 珊瑚が少し強い調子で説明する。

「あるんですよ、アメリカほどはびこっていないだけで。この半年でマルウェアが原因で機能停止したガラテア3がもう三桁いるんです。芙蓉重工さんでも対策チームを作って動いてますよ。それにエンドユーザが自分でパッチをあてるのは危険な行為で法律違反でもあると言うのはわかってますよね」
「そりゃ、わかってますよ。でもこの店でやったって違法なのは一緒じゃないですか」
「一緒じゃありません。正規の教育を受けたエンジニアは、チェックもしないでマルウェア入りのパッチをあてるようなデタラメを絶対にしません」

「いや珊瑚、今ここで客を責めても仕方がない。それより綱島さん、パッチの入ったメディアはどこに?」
「家にあります」
「モニタ装置はオフラインですね」
「はい。電源は落としてありますよ」

 俺は珊瑚に向き直って質問する。

「モニタ装置の汚染の可能性はあるのか?」
「可能性はありますね。ただ、マルウェアの種類が特定できないとはっきりとは言えません。とりあえず、モニタ装置がオフラインなら、そこからの拡散は心配ないでしょうね。綱島さん、明け方にパッチをインストールしてからどうされましたか?」
「それまでずっと作業してたので、アリスを寝かせてから自分も寝ました。」
「異常を最初に確認したのは何時頃ですか」
「昼の一時過ぎに起きて、食事の準備をさせたときにはちゃんと反応してました。それから食事中に会話が少ない感じでおかしいなと思ってたんです。食事の片付けをしているうちに目が見えないって言い出して、それからすぐに動けなくなって何の反応もなくなってしまって…… それで、慌ててこっちに来たんです」

 意識がなくなって15分といったさっきの話とも食い違いはないな。まぁ、確かだと思ってよさそうだ。パッチについても聞いておこう。

「友達にもらったパッチだと言いましたよね。どんな友達でどんな種類のパッチだと説明していましたか?」
「直接の面識はない人なんですけど、ロボットユーザーのちょっと非公式なユーザーコミュニティで知り合った人です。その人の説明だとガラテア3にガラテア4並の感情表現が出来るようになるって言われました。それでパッチをメディアごと送ってもらって、導入したんです」

 珊瑚が『アチャー』という顔をしている。メチャクチャありがちなパターンだもんなぁ。それはそれと、そのメディアは押さえといたほうが良さそうだな。

「悪いけど、家に帰ってそのメディア取ってきてもらえませんか。ギブソンか芙蓉で調べてもらう必要がありそうだ」

 綱島さんは不安そうな顔だ。警察のことが気になるらしい。

「あの、でもそうしたら警察が僕のアクセスログとか調べたり、アリスの改造のことがバレて罰金になるんじゃないですか?」

 『罰金で済むんだからそれで良いじゃねぇか、この馬鹿が!』と怒鳴りそうになったが、俺の代わりに珊瑚が答える。

「それは大丈夫ですよ。メーカは顧客の守秘義務に縛られてますから。正直なところガラテア3の3割は改造機でリビドーパッチが当てられてしまってますし、そういうお客さんからの情報提供がなくなってしまうよりは、メーカーが見て見ぬふりをする方が良い結果になるんですよ」

 実際は警察にも情報は送られて、綱島さんのアクセスログは秘密裡に徹底的に洗われるはずだ。まぁ、それを証拠に綱島さんが検挙される訳では無いので、とりあえずは心配いらないというのは間違いではない。これからすぐに取ってきてもらおうか。

「じゃ、メディアを渡してもらえますね。とりあえずギブソンの研究所に送ることになると思います。向こうから送ってきた宅配便のデータも残ってたら一緒に下さい」
「わかりました。それじゃちょっと戻って取ってきます。アリスをお願いします」

 そう言って綱島さんは出て行った。珊瑚が処置室に戻って松崎さんに状況を伝える。

「朝の四時頃にパッチを導入して、そのままスリープに入り、一時頃にスリープから覚めて、一時間足らずのうちに会話量減少、視覚消失、意識消失の順で異常が発生したということです。意識消失は今から…… 30分前ほどでしょうね」

 松崎さんが眉を曇らせる。

「感染から10時間くらい経ってるのね…… マルウェアの特定は出来たわ。ギブソンのデーターベースにもまだ入っていない亜種で感染性はないようだけど、この系列のマルウェアのせいで記憶が広範囲に破壊されて、再初期化に追い込まれた子がたくさんいるわ」

 それはつまり。多くのロボットがマルウェアのために殺されてしまったということだ。ガラテア3に対応する外部記憶装置は、ガラテア3自体の価格と殆ど変わらない。だからバックアップを取ってもらえる子はごく少数だ。最近ではかなり本体も記憶装置も安くなったが、それでも個人の買い物としては家の次に値の張るものだから、そうそう買えるものではないのだ。それに、長期記憶のダウンロードには非常識に長い時間が必要だから、外部記憶装置を持っていてもそう頻繁にバックアップは取れない。

「それで、この子の状態はどうなんだろう」
「…… 良くないわ。長期記憶がかなり失われてるの。個々の記憶よりも、それを結びつけている上位のコネクション情報が多く消えているみたい。そういう種類のマルウェアなのよ。だから、このまま復活しても再初期化よりはずっとマシでしょうけど、元の状態に戻すことはほとんど不可能だと思うの。オーナーさんがバックアップを取っているなら、多少時間が巻き戻ってしまったとしてもアップロード処置をするべきだと思うわ」
「いや、LTMバックアップは取っていないそうなんだ」
「そう…… そうよね、普通は無理よね」

 コネクション情報が壊れているということは、例えばロボットがオーナーの顔や声、その他もろもろの生体認証情報と、オーナーと過ごした経験とをそれぞれ覚えているにもかかわらず、相互の記憶の繋がりが無くなってしまいオーナーとの親和感、つまり絆の感覚が失われてしまうことを意味する。コネクション情報はAIの知性の中身でもあるわけで、これがある程度以上失われれば、どれほど記憶が残っていたとしても、それはノイマン型計算機によるデータベースと同じであり、AIとはもはや呼べなくなってしまう。俺と松崎さんが黙ってしまったのを見て、珊瑚が松崎さんに質問する。

「マルウェアの除染はうまくいきましたか?」
「えぇ、そちらは終了しているわ。ただ、AIをアクティブにした状態でモニタする必要があるから、確定的には言えないけれどね。」
「AIパフォーマンス・インデックス(AI-PI)はどんな具合ですか?」
「ラボで測定してみなければ正確なところはわからないけれど、私の見たところでは80から85くらいね。非常に低いわ」

 AI-PIは人間で言えばIQだ。ガラテア3の出荷状態であるPI=100が標準だから、80というのはひどく低下している。元々アリスは綱島さんがまめに相手をしてやってるせいで、インデックス値は110-115程度まで上がっていて、口調がバカっぽい割にガラテア3としてはとても賢い方だと言って良かったのに、実に30近くも数値が落ちたことになる。 もっともこれが70を切るようだと、ロボットとしての活動に支障が出始め、オーナーがよほど愛着をもっていない限りは初期化されてしまうから、ギリギリで踏みとどまったとも言えよう。珊瑚がさらに質問を続ける。

「80ですか…… 難しいところですね。ここまで下がってしまった場合、再教育でのリハビリテーションは可能だと思われますか?」
「時間と根気が必要だけど、インデックス値の復活は可能だと思うわ。オーナーさんのこの娘への愛情次第だと思うの。ただ、最初に言ったとおり元の状態に戻すこと、つまりパーソナル・アイデンティティーを維持して復活する事は不可能よ。かなりの部分を『最初からやり直す』事になるわ」
「リハビリテーションは専門家の助言なしではまず上手く行かないと思うんだけど、先輩はあのお客さんに上手くアドバイスする自信があります?」

 珊瑚が俺を見て少し心配顔で質問する。

「そうだな…… 俺自身がオーナーであれば、自分自身でリハビリテーションをすることに抵抗はないし、自信もある。だけど、それは俺が珊瑚や松崎さんみたいなAI技術者のアドバイスを必要に応じて受けられる、という前提があるからだ。率直に言ってAIに関して客にアドバイスを与えられるほどの知識や経験が俺に無い事は明らかだと思う」
「でもあの子は改造機だし、メーカー勤務の私たちがおおっぴらにサポートするわけには行かないのよね。回りくどいけど、先輩を経由してアドバイスすることになると思う。先輩はそれでいいよね?」
「あぁ頼むよ。AIに関しては俺は本当に自信がないんだ。今日だってお前や松崎さんがいてくれて本当によかったと思う。もし、おまえらがいてくれなかったら、俺はアリスを救えなかったよ」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、多分お客さんはあまりのダメージの大きさにショックを受けると思うの」

 松崎さんが沈んだ顔で言う。確かにそれもそうだ。まだアリスと話をしていないが、インデックスが30も下がれば変化はあまりにも大きい。客がショックを受けるだろうと十分予測できる。

「うん…… そうだろうね。綱島さんへの説明は俺からすることにするよ。あの人は常連客だし、俺から説明するのが最適だと思う。それで松崎さんと珊瑚は俺の説明に怪しいところがあったときにそれを修正して欲しい。客にデタラメを教えてしまっては申し訳ないからね」
「わかった。私もそれがいいと思う」

 珊瑚が同意する。松崎さんも無言でうなづいてくれた。

「そろそろ綱島さんが戻ってくるな。アリスの覚醒はすぐ出来るのかな?」
「大丈夫よ。しばらくは除染が成功したかどうか確認するために、AIデバッガを繋いだままにしないといけないけれどね。30分も確認すれば大丈夫だと思う」

 松崎さんがそう答える。確認時間が必要なら、綱島さんが帰ってくる前に作業を進めておいたほうが良さそうだ。

「それじゃ松崎さん、そっちの作業を進めてくれるかな。珊瑚も手伝ってやってくれ」
「うん、わかった。それじゃ松崎さん、作業を再開しましょう」
「えぇ」

 腹部を切開したままであるのでその修復をしなければいけない。ソレノイドのコネクタを再結線し、切開した人工皮膚の接合をする。アンビリカルが入ったままなので作業が面倒だが仕方がない。皮膚内埋込みのマイクロナーブラインには一切傷を入れていないので、接合は比較的に単純だ。接合面に段差や間隙がないように仮止めし、紫外線重合タイプの接着剤で本接合する。表面はエアタービンで微細研磨し、マスキングペイントの色調を色彩計で調節して接合線にコーティングして終了だ。モニタ装置でおかしな痛覚信号が出ていないことを確認し、ひき続いて覚醒に移る。アリスの覚醒自体はコマンド一本で終わった。瞼を開き起き上がろうとするが結線中なので制止する。

「止まれ。起き上がるな。寝た状態でいろ」
「はい。わかりました」

 たった一言なのに口調の違いが明らかにわかる。普段のアリスはもっと子供っぽい口調で話していた。ペド趣味のある綱島さんにそう仕込まれてしまったのだが、いつもそれがバカっぽく聞こえて随分不憫だったものだ。しかし、こうやって工場出荷時の口調に戻ってしまったのを聞くと、この子の受けた痛手の大きさを思い知らされる。

「俺が誰だかわかるか?」

 アリスは俺の顔を見、わずかに考えてから答える。

「『ロボットのお医者さん』の修善寺さんです」

 だが、表情に変化がなく全く感情の動きが見えない。初期状態のロボットでも、もっと親しげに返事ができるはずだ。いつものアリスであれば即座に『修善寺先生に決まってますぅー』と返ってきたことだろう。アリスはある意味でよく教育されていたから、見知らぬ人であれば恥ずかしがったし、うちの社長を見れば綱島さんの影に隠れて怖がる様子も示すことが出来た。ガラテア3に可能な感情表現としては限界近くまで教育したと言えると思うし、それが綱島さんの自慢でもあった。ヒギンズ教授とはまるで違う方向にではあったが、アリスもまた綱島さんの「マイ・フェア・レディ」であったと言っていい。
 そして、それが仇になったのだろう。ハードウェアの限界を超えようとして毒入りのリンゴをこの子に与えてしまったのだ。うちの店でナミを知ってしまったのも良くなかったんだろう。ロボットに通常要求される実務能力では、ガラテア4は前世代機のガラテア3に比べてもそれほど優れたところは無い。逆に、他の個体の記憶をマージ出来ず、何でも個々の個体が各自に学習しなければいけない分だけ不利かもしれない。しかしガラテア4は人の感情を的確に読み取る圧倒的に優れた観察力とケタ違いに豊かな感情表現、カテゴリ4の拡張チューリングテストを楽々とパスする会話能力、教育次第ではガラテア3には到底望みがたい『皮肉や冗談、軽口が叩けるだけの能力』さえ持ち合わせる。綱島さんはそれを目の当たりにして、アリスを少しでもナミに近づけたいと思ったのだろう。

「自分の名前とオーナーの名前を教えてくれないか?」
「私はアリスです。私のオーナーは綱島龍三です」
「綱島さんの住所は?」
「オーナーについての情報は保護されています。その質問にはお答えできません」
「俺と綱島さんは何回会っているか覚えているか」
「はい覚えています…… これまで72回会ってお話をしています」
「俺がお前を綱島さんの家に送っていったことは覚えているか?」

 少し考えてからアリスが答える。

「はい覚えています」
「何回だ?」
「四回送ってもらいました」

 やはりダメか。俺の顔や名前、いつも綱島氏と親しく話している事、俺が何度も綱島さんの家にアリスを送った事、それらも記憶には残っているのに、コネクション情報がひどく損なわれているのでそれを総合して『修善寺にオーナーの住所を伝えても問題はない』と言う結論が導けないのだ。いつものアリスなら『えぇー? 修善寺先生は私たちのおうちに来たことがあるじゃないですかぁー』と逆質問することだって出来ただろう。
 それでも、ダメージがここまでで収まったことに感謝すべきかも知れない。さらに長期記憶が蝕まれていれば、もうまともに返答することもできなくなり『命令あるいは質問が理解できません』ばかりを繰り返すようになってしまったに違いない。

「アリスちゃん、別人みたいになっちゃったね」

 珊瑚がうつむいて床を無表情に見つめ、ポツリと呟く。

「元気で明るくて、とってもいい子だったのに。どうしてこんな…… どうして、得体のしれないパッチプログラムなんか……」
「珊瑚、わかってると思うけど、あの馬鹿を責めないでやってくれよ」
「わかってます。わかってるんです、一番辛い思いをするのがあの人だというのはわかってるけど……」

 松崎さんが珊瑚の肩に手を触れ、語りかける。

「珊瑚さん、私たちはこの子のために最善を尽くしてあげましょう。リハビリテーションは長いし、最初のうちは効果がなかなか見えないから、オーナーがくじけずにそれを続けるのは大変な事よ。でも、オーナーが諦めてしまったら、この子はもうそれまでだわ。そうならないように、私たちが支えてあげましょう」
「はい。そうですよね、私たちは自分にできることをするしか無いんですよね」

 玄関の開いた音がする。綱島さんが店に戻ってきたようだ。

「メディアを持ってきました。伝票とかはもう捨ててしまっていて残っていませんでした。すいません」

 そう言いながら俺にメディアを差し出してきたので、それを受け取る。

「ありがとうございます。では、これはお預かりします。後で引換えのメディアを渡しますよ」

 この人は結構お金に細かいからな。支払いも遅いし。まぁ、そんな事よりアリスのことを説明しなきゃ。

「処置室に入ってください。アリスはもう目が覚めていますよ」
「え、それじゃアリスはもう大丈夫なんですね」

 大丈夫じゃない。期待を持たせてそれを叩き壊さなければならないのが無念でならない。

「処置室でお話します。とにかく中でアリスに会ってあげてください」

 俺の口調から何かを感じ取ったんだろう、綱島さんの表情がたちまちくもる。俺はやりきれない思いでそれを一瞥し、入室を促す。処置室内では珊瑚がアンビリカルを外してロボット用の創傷パッドをアリスのおなかに貼り終わったところだ。コーティングと接着が完全になるまで3時間程度必要なので、その間の保護用だ。それを手伝っていた松崎さんが俺の方は見ないで状況を報告する。

「マルウェアの除染終了を確認しました。とりあえず、これ以上のダメージが起こることはないわ」

 そう言いながらアリスの上着のボタンを止めてやっている。

「ありがとう。とりあえず一段落だね。じゃ、綱島さん座ってください。これからアリスに何が起こったかと言う事と、今後どうすればいいかについて説明します」

 綱島さんがアリスが横たわる診察台の傍らにおいたパイプ椅子に腰掛け、俺に構わずにアリスに話しかける。

「アリスちゃん、大丈夫かな? どこも痛くないかな?」
「はい、大丈夫です。どこにも痛みはありません」

 綱島さんの表情が怪訝そうなものに変わる。

「あれ? アリスちゃんどうしたのかな? どうしてそんなに他人行儀なお口を聞くのかな?」
「特に私の機能に異常はありません。話の仕方に失礼がありましたら、お詫びいたします」

 一気に綱島さんの表情が凍りつく。そして、俺の方に向かってまくし立てる。

「修善寺さん、これは一体どういう事です? アリスちゃんに何が起こったんですか。まさか手に負えないからって初期化したんじゃないでしょうね!」

 珊瑚がすかさず反論を叩きつけそうな顔をしたので手で制止し、説明を始める。

「AIの初期化はしていません。何が起こったのかはこれから説明します」
「おかしいじゃないですか、こんな反応。初期化したとしか思えないですよ。アンタたち一体アリスちゃんに何をしたんですか。治してくれるっていったじゃないですか」
「最初から順序立てて説明すると言っています。少し落ち着いて俺の説明を聞いてくださいよ」

 そう言いながら、自分の中のリミッターが弾け飛びそうになりつつあるのを感じる。昔から湯布院先生にもグループ長にも注意されていたんだが。

「アンタ何言ってるんだよ……」

 そう綱島さんが言った瞬間、もう俺は立ち上がって怒鳴りつけていた。

「話を聞けと言ってんだよ、この馬鹿野郎が! 誰のせいでアリスがこうなったと思ってんだ、あぁ? ロクでもネェ腐れパッチを突っ込みやがって、一体テメェはテメェで何をやったか……」

 珊瑚と松崎さんが立ち上がって慌てて俺を制止する。

「ちょっと先輩、私に綱島さんを責めるなって言っといて、自分が責めてどうするんですか」
「だめよ修善寺君。あなたが一番落ち着かなきゃいけないのに。それじゃ筋道立てて説明できないでしょう」

 珊瑚と松崎さんは慣れているので『まぁたこの馬鹿は……』という感じで俺を見ていたが、綱島さんはあっけに取られている。まぁ、俺が客を怒鳴りつけるのなんてこの店では初めてだしな。俺自身も怒鳴ってしまってから我にかえった。

「すいません。俺自身もあまりにアリスのダメージが大きいのにショック受けてて、つい感情的になりました。暴言をお詫びします」
「は、はい。こっちこそすいませんでした。説明の方をお願いします」

 綱島さんも俺も今のやりとりでお互い毒気が抜かれたのだろう。珊瑚と松崎さんがほっとした顔で俺を見ているのがわかる。

「今の状況をかいつまんで説明します。マルウェアによって記憶破壊が生じています。マルウェア自体は既にアリスからは除去されています。アリスの記憶はかなり広範囲に破壊されていて、そのせいでああいう反応になってしまってます。破壊された記憶は主にコネクション情報と言われる部分で、視覚インターフェースや聴覚インターフェース経由で入力された素情報を、意味(セマンティクス)ネットワークで段階的に結合している部分です。なので、個別のばらばらの記憶、例えば綱島さんの個人情報とかうちの店に何回来たかといった情報は生きています。また、ヒンティングと言われる素情報の検索インデックスも生きているようです。ただ、それらの記憶を意味付けによって統合していた部分がかなり消されてしまっているので、初期化されてしまったような受け答えしか出来なくなっているんです」

 少し説明が足りないと思ったのか、珊瑚が補足してくれる。

「AIの能力を表す指標のひとつにAI-PIというものがあります。以前、アリスちゃんをこの店で簡易的に測った数値が110でした。今のアリスちゃんはそれが80程度しかありません。初期出荷状態が100ですから。ものすごく下がってしまっています。もしインデックスが70以下にまで落ちてしまっていたら、アリスちゃんはもうまともに返事も出来なくなってしまっただろうと思いますから、ぎりぎりのところで踏みとどまったとも言えます」
「そ、それで、アリスちゃんは治るんでしょうか。それとも、もう初期化するしか無いんでしょうか」

 すがるような目で珊瑚を見て、綱島さんが質問する。声が震えているのがわかる。珊瑚が俺に目配せする。俺に話せというのだろう。

「初期化する必要は一切ありません。ハードウェア異常はありませんし、復旧不能なほど記憶が破壊されているわけでもありませんから、リハビリテーションでAI-PIの回復は十分に可能です」
「そうですか」

 ほっとしたのだろう。ため息混じりに返事が返ってくる。松崎さんが説明を追加してくれる。

「リハビリテーションには長い時間がかかります。AIの知識なしでは効果もなかなか期待できません。ですから、修善寺や湯布院、それに私が相談に乗らせて頂きます。今はガラテア3の権利は芙蓉重工業に移っていて、湯布院と私ははギブソン・サイバネティクスの人間ですから、直接の接触は控えなければいけませんので、販売窓口の修善寺を通してカウンセリングさせて頂くことになります」
「正直に言うと、俺はAIにはあまり詳しくないんです。でも、この二人はAIの専門家だし、特にこちらの松崎さんはピグマリオンの若手AI技術者ではピカイチの評価をもらってた人なんですよ」

 おれが綱島さんにそう言うと、彼は松崎さんをチラッと見て、アリスに視線を戻しながら言う。

「そうだったんですか。そんなすごい人に手当をしてもらったんですか…… それでも、アリスは救えなかったんですね」

 松崎さんが声に力を込めて、それを否定する。

「綱島さんとおっしゃいましたね。あなたは勘違いをしています。アリスちゃんの処置はまだ終わっていませんよ。今は緊急対応が終わった段階です。人間で言えば救急車で病院に運ばれた人が、集中治療室で命を取り留めた段階です。これから始めなければいけないリハビリテーションこそ、本来の治療になるんですよ。私たちの専門家としての知識と経験はまさにそこで試されます。ロボットを開発するだけでなく、傷ついたロボットを救い、治療の成果をあげるためにこそ私たちはいます。私たちの誇り、プロフェッショナル・エンジニアの誇りもまたそこにあります。忘れないで下さい。アリスちゃんの治療は今、ここに始まるんです」

 珊瑚がそれに続ける。

「確か、アリスちゃんが綱島さんのところに来てから三年くらいでしたよね。リハビリテーションの進行を見てからでないとはっきり言えませんが、アリスちゃんのAI-PIが元に戻るまで少なくとも半年、長ければ一年以上かかります。それを覚悟していて下さい。特に最初のうちは効果がなかなか見えてこないことが多いですから、その間はかなり綱島さんにストレスがたまると思います。その時にどうしてもアリスちゃんに当たってしまいたくなると思いますが、それは絶対に自制して下さいね。リハビリテーション中のオーナーのケアも含めて私たちのカウンセリングワークですから、修善寺に愚痴でも文句でもどんどん言ってください。私たちも、修善寺を通してできるだけのことはさせてもらいますから」

 ちぇ、俺がクレーム担当かよ。まぁ俺の客だし当然かぁ。珊瑚はさらに続けて説明する。

「リハビリテーションと言っても、それほど構えて考える必要はないので安心してください。最初にアリスちゃんが来た時も、今ほどでは無かったと思いますが、他人行儀でいかにもロボット風の受け答えしか出来なかったはずですよね。それが段々と経験を積んだり色々と教えてあげることで、あの明るくて元気なアリスちゃんに育ちましたよね。基本的にはそれをもう一度繰り返す事になります。もちろんアリスちゃんには記憶の残ってる部分がたくさんありますから、時間は遥かに短くすむはずなんです。それでも、半年から一年は必要でしょうけれど」

 元気のない声で綱島さんが質問する。

「それって、アリスを初期化してしまってからやり直すのと、どう違うんでしょうか?」

 松崎さんが珊瑚に代わって説明する。

「アリスちゃんは、何もかも忘れてしまったわけじゃないんです。バラバラに切り離されてしまった記憶、切れ切れの夢のような思い出がたくさん残っているんです。それを一つ一つ思い出させ、ゆっくりと繋いでひとつに編みあげていくのがリハビリテーションなんですよ。ですが、編みあがった模様は最初のものとは一緒になりません。昔の記憶と一緒に、現在の経験も一緒に編み込まれていきますからね。今日のことは綱島さんにとっても、アリスちゃんにとってもこの上なくつらい経験だったと思います。アリスちゃんは大きな傷を負ってしまいました。でも、それを乗り越えて思い出のニットに再び編みこむことが出来れば、それはかけがえのないものになるはずですよ。私たちは乗り越えられると考えますし、そうあって欲しいと心から願っています」

 相変わらず暗い調子で綱島さんが質問する。

「リハビリと言っても、最初に僕は何をすればいいんでしょうか」

 珊瑚が回答する。

「最初はたくさん質問をしてあげてください。昔の記憶に触れるような話がいいです。話題は特別なことでなくてもいいんです。近所に買い物に行ったこととか、そんなささいな事で。今のAI-PIのレベルでは自分から質問ができる段階にありません。その段階が長く続くはずです。おそらく半年近くはこのままでしょう。でも、そこであきらめてはいけません。効果はなかなか見えてきませんが、徐々に、そして確実にAI-PIは上がっていきます。それが90台半ばまで上がってくれば、今度は自分で疑問を探し出して質問してくれるようになります。そうなれば、そこから先はずっと楽になりますし、リハビリテーションの効果も目に見えてくるようになりますよ」
「わかりました。とにかく、今日は帰って色々アリスちゃんとお話しすることにします。また、色々お聞きすることもあると思うんですけど、その時はお願いします」

 俺が返答する。

「わかりました。こちらからもちょくちょく電話などで確認しますが、店にもまめにアリスを連れてくる様にして下さい。AI-PIの簡易判定はウチでも出来ますから、まめにチェックすれば励みにもなるはずです」
「わかりました。よろしくお願いします。今日はこのままアリスちゃんを連れて帰っていいですか?」
「えぇ、できるだけ一緒にいてやってお話してあげて下さい。大雑把な話ですが、会話量に比例して回復しますから」

 珊瑚がそう答える。そして綱島さんは椅子から立ち上がり、アリスと手をつないで帰っていった。

「帰ってすぐにリハビリテーションを始めてくれるかしら」

 松崎さんが少し不安気に言う。

「多分、今晩は泣いてアリスに謝ってばかりで、あまり治癒効果の望める会話にならないだろうなぁ。アリスのダメージも酷かったけど、あいつのダメージも甚大だし」
「先輩がキレてあんなこと言うから……」

 珊瑚に突っ込まれる。倒錯性欲を隠そうともしない人で以前から大嫌いな客だったが、それは理由にならないよな。

「すまん。反省してる」
「綱島さん、馬鹿なこと考えなきゃいいけど」
「それはないだろ、さすがに。あの人そういうとこはしぶといから。それに、いくら記憶にダメージ受けててもアリスが必死で止めるだろ。三原則はAIの機能停止寸前まで失われないんだから」
「まぁ、それはそうだよね。心配し過ぎかもね。それで、お店はどうするの。そろそろカンバンにしたら」
「そうだな、腹も減ったしな。松崎さん、軽く片付けて食事に行こうよ。ナミも待ちくたびれてるだろうし」

第十二章: 告白

「今日は本当に助かった。礼の言い様もないよ。本当にありがとう」

 店を閉めてからナミを迎えに行き、その足で俺の自宅から少し離れたところにある小さな割烹へ行った。この店は妙さんや社長とたまに来る店で、ちょっとだけ高めだけどいつも空いていて静かなので気に入っているのだ。

「いいんですか、おごってもらっちゃって。ちょっと高いじゃないですか、ここ」

 珊瑚がニコニコしながら聞いてくる。

「いや、何も無ければスーパーにでも寄って酒と惣菜でも買って済まそうかと思ってたんだけど、あんなに働かせておいてそれじゃ、あんまりだからなぁ」
「そんなに気を使わなくてよかったのに。今日は私が勝手に押しかけたんだし」

 松崎さんはちょっと恐縮気味だ。

「いや、松崎さんがいなかったらアリスはもうダメだったよ。それに、俺が癇癪起こしたときにも止めてくれたしな」
「へぇそれじゃ、わたしは?」

 珊瑚がちょっとふくれる。まぁ、目は笑ってるけどな。

「そりゃ当然感謝してるって。お礼の印にここの支払いは俺が全部持つし、注文も遠慮なしに好きにしてくれよ。そんなに高いメニューは無いしさ、ここは」
「へへー、じゃぁ遠慮なく注文しましょうかねー」

 こいつはホントに遠慮なく注文するからな。まぁ、ここはカード使えるからいいんだけどさ。

「主任、お水飲んでいい?」

 ナミがテーブルに出された水を手に取って俺に聞く。この店はロボット用に超純水を出してくれるので、ナミが飲んでも大丈夫だ。

「あぁ、いいぞ。こぼさないようにな」

 松崎さんが怪訝そうに俺に聞く。

「修善寺君、大丈夫なのかしら。ミネラルウォーターでしょ、これ」
「実はこのお店はロボット向けに超純水を出してくれるんですよ。ほら、ナミちゃんの分だけストロー付きの容器でしょ」

 珊瑚が俺の代わりに答える。こいつも最初にここに来たときには、俺に文句を言ったんだよな。

「俺は運転だから飲めないけど、松崎さんたちは自由にやってよ。暴れない程度に」
「先輩じゃあるまいし、誰が飲んで暴れるんですか?」

 珊瑚が呆れ顔で言う。

「俺だって飲んで暴れた記憶は無いけどなぁ」
「いいですねぇ、都合の悪いことは全部忘れられるって」

 そう言ってわざとらしくため息をついてみせる。

「細かいことは気にしないで早く頼めよ。ここはお酒も色々と充実してるしさ」
「わかってますって。松崎さんはどんなのがいいですか」
「のど渇いちゃったから、ビール一杯だけ頂こうかな。ごめんね、修善寺君が飲めないのに」
「あはは、いいって、俺もビール一杯ぐらいは飲むから」

 すかさず珊瑚に突っ込まれる。

「だぁめぇでぇすっ! 車の飲酒センサーに引っかかって発進拒否なんてごめんですよ。おうちに帰るまで我慢してください」
「はい……」

 そんな感じで始まった夕食も二時間以上続き、自宅に帰り着いたのは十時を少し回った時間になった。店の主人が、せっかくなんだから代行運転を頼んで飲んだらと提案してくれて、結局は俺もそこそこ飲んでしまった。ナミはちょっと眠そうだった割に車の中でもそれなりにはしゃぎまくっていたが、ベッドに入ったとたんに眠ってしまった。珊瑚は一番飲んでいた割にはまるで酔っていない様で、特に眠くもなさそうだった。まぁ、こいつの酒の強さは尋常ではなく、どこ相手の接待でも客が先に壊滅するという伝説があるらしいので、これくらいでは飲んだうちに入らないということらしい。
 一方の松崎さんは、珊瑚の五分の一も飲んでいないのにかなり酔ってしまったようで、ソファーに座ってもらって二三分でもう眠ってしまった。

「珊瑚、松崎さん眠っちゃったなぁ」
「先輩が調子に乗って飲ませるからでしょ」
「ここで寝かせるのはかわいそうだから俺のベッドまで連れていこう。手伝ってくれよ」
「いいけど、今すぐじゃ起こしちゃうかも知れないよ」
「いや、かなり酔ってるし大丈夫だろ。服も着たままだし、このままじゃ皺くちゃになっちゃうしな」
「妙なとこに細かいね。彼女がいた事ない割には」
「うるせぇな。俺様の心の傷に触れるんじゃねぇよ。それにこうやって女性に親切にしておけば、いつか良いことがあるかも知れないだろ」
「ハイハイそうかもね。いつかその下心がかなうといいね」
「下心って言うなぁ!」

 えぇえぇそうです、どうせ俺は万年女日照りで童貞ですよ! ほっといてくれってんだよ。

「それとね、松崎さんの変なところに触ったら承知しないよ。私の一番尊敬してる先輩なんだから」
「わかってるよ。でもどこにも触らずには運べないんだからさ。抱えて運ぶくらいは勘弁してくれよ」

 そう言いながらソファーの上で座ったまま寝てしまっている彼女を抱き抱える。太腿の下、お尻ぎりぎりの所に右手を肘の手前まで差し入れ、右肩から左脇の方へ左手を回して、松崎さんの右肩を俺の胸にくっつけるようにして抱え上げる。ナミよりずっと軽いし距離もちょっとだから大したことはない。ふわっと漂ってくる松崎さんの髪の香りが、意識が薄らぐ程にいい匂いだ。

「珊瑚悪い、そこのドア開けて」
「う、うん。でも大丈夫なの? 転ばないでよ」
「大丈夫だよ。お姫様抱っこはナミでさんざん鍛えてるしな」
「そうなんだ……」

 珊瑚はこちらをちょっと呆けたように見ている。酔ってるのかな。

「珊瑚、頼む早く開けてくれよ。慣れてるけどきついことはきついんだよ、これ」
「……あ、ごめんね。このドアだよね」
「そうそう、ありがとさん」

 何かシーツに皺が寄って…… っていけねぇ、ベッドのシーツを換えてなかったな。これはちょっと汗臭いかもなぁ。後で珊瑚が猛烈に文句言いそうだ。とはいえ、ここまで来てやり直しは激しく無理。松崎さんごめんなさいと心のなかで謝りつつ、とにかくベッドまで無事到着。

「松崎さんの洋服の始末とかは頼むわ。今日は何だか頼んでばっかりですまんな」

 そう言って振り返ると、何だか珊瑚がぼおっとしてこっちを見ている。やっぱり酔ってるのかな、こいつ。

「珊瑚、聞いてるか?」
「え? う、うん聞いてるよ。松崎さんの服だよね。ちゃんとしとくよ」
「すまんな、お前も酔ってるみたいなのに色々やらせちゃって。やっぱり手伝おうか」
「いいえ結構。私も無駄な殺生はしたくありませんから」

 おーコワ。さっさと退散したほうが良さそうだ。

「そっちの奥のクロゼットにハンガーとかあるから使ってくれ。タオルケットもあるから適当に出してな」
「うん、わかった。それはそうと、随分大きなベッドで寝てるのね。これキングサイズのダブルベッドじゃない」
「あぁ、ここを売ってくれた人が置いてってくれたんだ。持っていけないからって。これだけ大きければ、お前と松崎さんで寝ても狭くないだろ」
「まぁね。でもシーツ替えるくらいの心遣いが欲しいなー、女の子としては。これ、シーツが皺くちゃじゃない」
「いやもう手遅れなんで勘弁してくれ。昨日換えたものだからそんなに汚れてないと思うんだけど」
「夏は毎日換えなよ。それにこう言うのは気持ちの問題だよー。 彼女出来ても不潔だと嫌われちゃうよ」
「そっちは当分予定が立たないけど、可及的速やかに善処するよ」
「あはは、それじゃお役人の答弁だよ。じゃ、こっちが終わったらすぐ行くから眠らないでね」
「あぁ。ここは頼むな」

 そう言って居間に戻った。とりあえず茶を入れよう。そう思って茶の支度をしているうちに珊瑚が居間に戻ってきた。

「紅茶入れたぞ。これ以上酒飲むと本気で寝てしまいそうだしな」
「え? 私は全然大丈夫だけど」

 こいつの酒の強さは湯布院教授の遺伝に違いない。先生もいくらでも飲んだからな、酒癖は悪かったけど。

「わかってるよ。おまえじゃなくて俺が限界なの。珊瑚さ、おまえ先生と一緒でほんとに底なしだな」
「全然褒められてる気がしませんけど」
「そりゃそうだろ、褒めてないからな」
「お酒が弱い子の方が好みなんだ……」
「いや、そう言うわけでもないけどな。やっぱり一緒に飲める子の方が楽しいと思うし。でも、酒に弱い子の方が、潰れてからあんなコトとかこんなコトとかできたりしていいかもな」
「先輩…… それ、婦女暴行って言うんだよ、知ってる?」
「いや、そんな素で返されても……」
「先輩が言うと冗談に聞こえないんだもん」
「お前ね、それあまりに酷い発言なんだけど。俺、もう涙出そうなんだけど」
「はぁ…… 先輩の歪んだ願望の話はいいですから、ナミちゃんの話を教えてくださいよ」

 なんだよこいつ、わざとらしくため息までつきやがって。えぇそうですよ、どうせ俺の頭の中じゃエッチな妄想がグルグルですよ。とはいえ、こいつがわざわざ俺の家に来たのはナミの事を聞くためだしな。ちゃんと真面目に話すとするか。それに、あんまりはぐらかせてこいつが怒りだすと怖いし。

「松崎さん寝ちゃったけど、まぁしょうがないよな。後でお前から話してやってくれよ」
「うん、わかった」
「それから、内容は松崎さん以外には他言無用で頼むな」
「うん、それはいいけどそんなに人に聞かれるとマズイ話なの?」
「あぁ、公になったら俺は逮捕されて執行猶予付きの懲役か、悪くすると実刑食らって半年以上刑務所暮らしだよ。脅迫罪、及び恐喝罪でな」
「そう言われると、まるで本気に聞こえないんだけど。本気で言ってるの、先輩」

 『じゃぁ、何で婦女暴行は本気に聞こえるんだよ』と言ってやりたかったが、話がぐちゃぐちゃになりそうなのでぐっと我慢する。

「本気だよ。ついでに言えば窃盗罪もだ。情報窃盗でな」
「もしかして、あの実験画像データーを社外に持ち出したの?」
「あぁ、それだけじゃない。実験計画に関する機密書類も持ち出した。最終的に、ナミはそれと引換に俺の手元に保護したんだ。俺がクビになったときにな」
「どうやって持ち出したの? 私も考えはしたけど、実際上セキュリティーを潜ってデーターを社外に持ち出す方法が全然見つからなくて諦めたのに」
「あの頃、俺が腕を折ったことがあったろ。しばらく腕を吊って副木をしてたのを覚えてるか」
「うん、酔って転んだって言ってたよね」
「あれ、自分で折ったんだよ。で、アルミの副木と固定用のテープの下にメモリーチップを隠してたんだ」

 あの時の痛さは忘れられない。かなり酒を飲んで勢いをつけていたとは言え、自分で腕をコンクリ柱に叩きつけて折ったんだからなぁ。怪我の痛さでベソかいたのはあれが最後だろう。あれだけはもう二度とやりたくない。

「ホントに? 本当にそんなバカなことしたの?」
「お前も俺が腫れた腕吊ってるの見てるだろ。自分でも馬鹿だとは思ったけど、他に思いつく方法がなかったんだよ。俺はネットワーク技術者じゃないから、ゲートキーパーの目を誤魔化してネットワーク越しに外へデータを出すことは無理だったし、社内ではターミナルゲートでレーダースキャンされるから、メディアを持ち出すのも普通には無理だったしな。さすがに折れてパンパンに腫れた腕の、副木と固定テープを外してスキャンしようという奴はいなかったよ」
「無茶苦茶だよ。それに何でそんな事する前に、私たちに相談してくれなかったの」
「役に立たないと思ったし、巻き込みたくもなかった。何より会社にバレる可能性が高まるのを避けたかったんだ。俺ひとりでやってる分には、俺がヘマをしない限り大丈夫だし、万一ばれても腹を切るのは俺ひとりで済む」
「先輩、昨日の二次会で下田さんが言ってたんだけど、先輩はAIグループの人や私を子供扱いして、全然仲間として見てくれていなかった、って。役に立たないと思ったって言うのはやっぱりそういう事なの?」

 うーん、答えにくい質問だな。

「そうだなぁ。子供扱いというのは誤解だと思う。実際、俺は珊瑚達が動いてくれたおかげでナミが救えたんだと思ってるし、頼りにもしていた。役に立たないって言うのはデーター持ち出しの時の話で、これは秘密を守ることが一番重要だったし、手伝ってもらえることも考えつかなかったからで、別におまえらが無能だからと思ったからじゃないよ。ただ、仲間として見ていたかと言われれば…… 違うと言うしかないな」
「仲間として見てくれてなかったんだ…… それは、最初の私たちとの出会いが団体交渉みたいな形になって、つるし上げみたいな事をされたからなの?」
「そりゃ違うよ。あんなのを気にしているわけじゃないんだ。ありゃ確かにしんどかったけど、過ぎてしまえば笑い話だよ。俺が珊瑚たちと仲間になってはいけないと思ったのは、極秘扱いの実験計画書を見た時だよ。お前達はあっちをあまりチェックしないで、画像データーの方ばかり見ていたんだと思うけど、あの画像データーだけを見る限り、会社はルールを守って実験してるんだ。ぎりぎりのところでね。だから画像だけ見たときには、俺はほとんどおまえらに協力できないと思ってたんだ。でも、本当に恐るべきことが記されていたのはあの画像データじゃなかったんだよ。ちょっと見には普通に見える計画書ファイルの中に別の秘密ファイルが埋め込まれていて、それにとんでもないことが書かれてたんだ。あれを見たときに俺は罪を犯してでもナミを救うべく覚悟をしたし、その時にとばっちりが行かないようにお前たちとは仲間にならず、一線を引いておくべきだと思ったんだ」
「それがかっこつけすぎだって随分不評だったよ。私もそう思う気持はわかるよ。先輩は良かれと思ってそうしたんだろうけど、信頼されないのってつらい事だよ。とっても悲しいことだよ」
「でも、俺の立場だったらみんな俺と同じことしたと思うけどな。珊瑚だったらどうしてた? ヤバい橋を渡るのに仲間の信頼を優先するか? 俺は会社を相手に恐喝しようとしてたんだぞ」
「それは……」
「いや、すまん。良いんだよ、無理に答えてくれなくても。俺は元々管理職で珊瑚達とは最初から立場が違ったから、自分一人でやるという判断が出来たけど、珊瑚の立場ではものすごく難しい決断だろうからな。だから、今でもAIグループの子達が俺を許せなくても、それは仕方がない事だと思うんだ」
「許す許さないという事じゃないよ。そういう事言ってるんじゃないよ…… あのね先輩、百姓一揆って知ってる?」
「ん? あぁ、さすがの俺でもそれくらいはな。江戸時代にあったやつだろ」
「一揆を起こすと、要求が認められても認められなくても、訴え出た人達の代表者は大抵死刑だったんだよ。それでどうしたか知ってる?」
「いや、無教養だから知らないけど」
「傘連判状って言ってね、色紙の寄せ書きみたいに丸く名前を書いた名簿を作ったんだよ。横並びに書いたら最初に名前が書いてある人がリーダーだってことになっちゃうからね。それと同じで、私たちは誰か一人が犠牲になるやり方じゃなくて、全員クビになっても良いという思いでやってたし、それはわかって欲しいよ。覚悟を決めていたのは先輩だけじゃないんだよ」

 それはわかってたけど、そうさせるわけには行かなかったんだよな。珊瑚の機嫌が悪くなるに決まってるけど、言わなきゃ駄目だろうな。

「うん、だからなおさら、俺はそうさせるわけに行かなかったんだよな。それはおれが主任職だったからじゃなくて、湯布院先生の弟子だったからだけど」
「やっぱり、私のせいだったんだね」

 珊瑚が俺を見つめながら言う。目に怒りはない、むしろやりきれない思いが浮かんでいる。

「お前のせいだって言うと、何だか責めてるみたいで違和感があるなぁ。どの道、あの抗議活動は俺が始めたものじゃなかったわけだから珊瑚達全員がヤバイ場所にいたわけだけど、俺が最終的にしようとしてた事は犯罪だからな。もちろん、最初から会社を脅迫しようとしてたわけじゃない。抗議運動だけでなんとかなるなら、それの方が良いと思っていたから、いきなり脅迫みたいなことは避けて普通に会社と交渉したさ。でも、状況を考えれば結局脅迫をすることは避けられないと思っていたのも事実なんだ。その場合はクビになるだけじゃなくて刑務所にぶち込まれて前科がつく可能性があるわけでレベルが違う。とてもじゃないが巻き込めないよ、特にお前はな」
「そんな事言われても、私ちっとも嬉しくないよ」
「でも、今こうやってお前の話し聞いてると、お前らが面白くないのはもっともだとも思うよ。そっちは経緯は色々あっても俺を仲間に迎えようとしてくれてたのに、俺は役職とか立場を盾にとってそれを撥ねつけちゃったんだからな。でもさ、それでもお前は今、こうして俺と友達付合をしてくれているし、松崎さんも俺を訪ねてきてくれたんだから、俺はそれに感謝してそれ以上あれこれ望むべきじゃないとも思うんだよ。何より俺達はナミを救うことが出来たんだし、俺も刑務所にぶち込まれずに済んでる。本当だったらそれだけで俺は満足すべきなのだと思うよ。俺自身には今、後悔も不満もないんだ。それはわかって欲しい」
「…… 何だかクリスチャンの言い草みたいで、先輩に似合わないな」
「いや、俺は…… まぁいいや。どうせ俺はカッコつけても決まんねぇよ」

 珊瑚、あんまり怒んないな。やっぱり正直に話して正解だったのかな。

「それで、実際にはどんな事したの、脅迫って」
「実際には二回やってる。最初は例の実験中止騒動の時。あの時、最後の交渉は脅迫だったんだ。だから、お前らに何も言わずに執行部と秘密交渉をして、結果以外は何も表に漏らさなかった。向こうとの約束だったからな」
「その時は誰が交渉に出てたの?」
「別府博士と常務や湯布院先生をはじめとする取締役が六名、それにAIのグループ長と、メカトロのグループ長だったな。主任やってるだけの若造が経営トップ8人を引きずりだしたんだから、我ながらよくやったと思うよ」
「なんて言って脅したの」
「簡単なことさ。『ナミの実験計画を変更しなきゃ、これを法務省と検察に告発状付きで送る』って言って、秘密の実験計画書を出したんだよ。書類を見たときにAIグループ長が真っ青になったのを良く覚えてるよ」
「その、秘密の計画書に何が書いてあったの? そんなにマズイことが書いてあったわけ?」
「あぁ、性行為実験の最終段階、つまり実用化試験全体の締めくくりで、AIの最終過負荷試験をやると書いてあった」
「最終過負荷試験? ストレス試験は散々やったのに?」
「AIの機能が異常を示すまでストレスをかけ続ける試験だと書いてあった。ただのストレス試験じゃないんだ。異常を生じたAIは初期化し、また最初から異常を起こすまでストレスをかけ続ける。それを数回繰り返すんだ」
「AIの機能が異常を示すって、つまりAIが発狂するまでストレスを与え続けるってこと? そんなの絶対許されないよ。それじゃ昔のナチスの人体実験と一緒だよ。狂ったら初期化して何度も繰り返すって、そんなこと考える人間が狂ってるよ。悪魔だよ、それは」
「あぁ、俺も見たときには目を疑ったよ。でも、文書にはAIグループのお偉方の電子署名があったよ。グループ長のがな。署名はなかったが、俺は絶対に別府博士も知っていただろうと思う。現場が勝手にやれる代物じゃないからな」
「父さんも知ってたのかしら」

 珊瑚が不安そうに俺を見て言う。

「俺もそれは気になった。でも、湯布院先生は知らなかったと思う。社外取締役だしメカトロ屋だしね。書類を見せた時に『貴様、こげな荒唐無稽なデタラメを作って持って来おって、一体何を考えとる』って胸倉掴まれてブン殴られたんだけど、その後の説明で本物だってことがわかったらもう口が聞けなかったからね。先生も初耳でショックを受けられたんだと思うよ」

 明らかに安堵した様子で、珊瑚が小さく溜息をつく。

「…… そうだったんだ。父さんに殴られちゃったんだね」
「まぁ、慣れっこだしな。ただ、そういう時にはいつも先生に平謝りの俺が、あの時だけは黙って先生の目を見つめたから、何かいつもと違うと思ってくれたんだろうな。言いにくそうに謝ってくれたよ」
「父さん、先輩にだけは容赦なかったもんね。でも別府博士は知っていたの?」
「はっきりはわからない。博士は書類を見ても特に眼に見えるような反応はなかったんだ。何だかぼんやりした感じだったな。でも、AIグループのトップで研究所長で、さらに社長なんだからな。知らないわけがないよ」
「そうなんだ、ちょっとショックだな。昨日、ずっと一緒だったからずいぶん話をしたんだけど、とってもそんな酷い事出来るような人とは思えなかったし…… それで、交渉はどう進んだの?」
「結局、湯布院先生やその他の取締役が承認していない計画だったんで、過負荷試験は取り止め、その勢いで性行為実験の条件大幅緩和とナミのメンタルケア条件も勝ちとった代わり、俺は一切の事実に口を噤むことで手打ちになったんだよ」
「だから、何も話してくれなかったのね」
「あぁ、うまい言い訳も考えつかなかったし、お前達の要求は性行為関係の全ての実験中止だったから、お前達からすればすれば不十分な交渉結果だったろうしな。それで素っ気無い態度であしらったり、あからさまに無視したりしたよな。今更謝っても仕方ないけど、もうちょっと方法はあったなぁと、今になってはそう思うよ」
「ううん、仕方ないよ。ナミちゃんのためだもんね。それで、二回目って言うのは先輩が人員整理で解雇されて、ナミちゃんを退職金の代わりに受け取った時ね」
「あぁ、ただそっちはほとんど恐喝にならなかったよ。退職金はいらないって言って、Annaさえ渡してくれれば他には何も要求はない、さもなくば…… って言ったら、あっさり譲ってくれたからな」
「でも、何でナミちゃんを手元に引き取ろうと思ったの?」
「やっぱりあの計画書を見てしまうと、もう博士やAIグループのエライさんたちは全然信用できなかったんだよ。俺がクビになってしまえば、もうナミに何があっても助けることが出来なくなってしまうと思ったら、もう不安でたまらなくなってな。それで、引き取ったんだよ」
「やっぱりそうなんだ。でも、よくギブソンがあっさり譲ってくれたよね」
「ギブソンは本当にAI技術者と研究リソースだけが目的だったというのがよく分かったよ。あいつら、コンパニオンロボットの生産なんて全然考えて無くて、自社の軍事用ロボットに転用できるAI技術さえ手に入れば、あとはオマケと考えてたんじゃないかなぁ。だから、ガラテア4のプロトタイプにもほとんど興味がなかったというのが、俺にとっての幸運だったと思うな」
「ギブソンがコンパニオンロボットを無視してるって言うのは同感かな。ギブソンがピグマリオンを買収してすぐ、別府博士とAI研究グループのフェローメンバーはアフォ研に直行で軍事用ロボットのAI研究だけやらされてたみたいだし。そのおかげでこの間の米国海兵隊のコンペではボーイング・レイセオンの自律戦闘機械(ウォーモンガー)に圧倒的勝利だったもの。正式のコンペが終わってから非公式に1:5の台数比率で自由戦闘試験やったら、30分足らずで相手全部に破壊判定出して、その上ギブソンのウォーモンガーは無傷よ。別府博士が来るまではどっこいの勝負だったのにね」
「そりゃすげぇな。買収大成功じゃねぇか」
「博士は全然楽しそうじゃなかったけどね。やっぱりコンパニオンロボットをやりたいんだと思う」
「元々そのためにピグマリオンを設立したんだもんな」
「でも、ギブソンは『今後十年で強化装甲歩兵をウォーモンガーで置き換える』って鼻息荒いから、もう別府博士はコンパニオンロボットは手がけられないんじゃないかなぁ。昨日も『シニアフェローだ、社内最高年俸だって言われたってちっとも嬉しくないよ。結局僕はギブソンに奴隷として買われたようなものだからね』って嘆いてたんだよ」
「それも気の毒な話だけどな。でも、あんな計画を承認したんだから因果応報だよ」
「うん…… そうだね。でもなんでだろうね。別府博士と昨日は随分話しをしたけど、どうしても信じられないよ。先輩も昨日久しぶりに会ってどう思った?」
「信じられないっていう珊瑚の気持ちは理解できるな。実際、三年前の交渉の時にも、計画を知らなかったようにも見えたのは俺も覚えてるんだ。その時は俺、正直言って別府博士を憎んでたから、とぼけてるだけだと思ってたんだけど、昨日会って話しをした印象からはとてもそうは思えないっていうのには俺も同感だよ。でも博士が何も知らなかったというのは合理的じゃないからな。推理の結論として『博士は知っていた』というのは、ほぼ動かないと思うんだよ」
「あんまり信じたくないけど、しょうがないよね。でも、父さんがそれに絡んでなかったのはホッとしたな」
「俺もだよ。激怒した先生に殴られた時『あぁ、先生はこれを知らないんだ』と思って、却って安心したのも覚えてるよ」
「先輩、その計画書とか映像データはどうしたの? 処分したわけ?」
「ナミを手元に引き取った時に、ギブソンの情報保安担当者にメディアは渡して、俺の自宅のマシンをガサ入れさせたよ。多分今でも、俺のネットワークアクティビティ・モニタリングは続いてると思うよ」
「それって、データー盗聴だよね。そんな事させて平気なの、先輩は」
「あぁ、それでギブソンが安心するならな。そもそもこれはギブソンじゃなくてピグマリオンの不始末だし、元AIグループ長あたりを見殺しにして俺を刑事告発することだって出来るんだから、むしろ弱みを握られてるのは俺なんだ。ギブソンの法務担当者にそう言われたよ」

 もう一つ言われたことがある。『ギブソンはピグマリオンとは違うよ。必要ならば人の一人ぐらいは居なくなってもらうことが出来るんだよ』って笑顔で言われたんだよな。目が笑ってなくて恐ろしかったな。でも、こいつにそんな事とても言えないけど。

「面白くないけどしょうがないね。じゃぁ、今日私たちがここにいることもわかってるのかな?」
「どうだろうな? このアパートのセキュリティシステムに侵入してればそれは可能だけど、そこまではしないと思うな。俺のネット・モニタリングは同意の上でやってるから犯罪じゃないけど、このアパートのセキュリティシステムはそうは行かないしな」
「でも、あいつら警備の人間に拳銃持たせる様な連中だよ?」
「まぁ、ギブソンにとっちゃ博士は最重要人物だしな。逆に俺みたいなチンピラ相手に非合法活動するほど馬鹿じゃないと思うよ。クビになって暫くはお前が言うように尾行が付いていたようだけど、そんなのにいつまでも予算がつかないと思うけどな」
「ならいいんだけどね。ていうかさ、先輩チンピラの自覚があるんだ。やっぱりヤクザになったんでしょ」
「しつけぇよ、お前は。どうして俺をそんなにヤクザにしたがんだよ」
「あはは、全然似合わないから面白くて」

 面白半分かよ、なんてかわいそうな俺。

「まぁ、大体の経緯はこんな感じだよ。松崎さんにも説明よろしくな」
「うん、それで、やっぱり他の人には話しちゃいけないかな? AIグループのみんなはすごく誤解してるから、やっぱり教えてあげたいんだよね」

 うーん、刑務所の中の話は妙さんの店で地回りの年寄りから聞いたことがあるんだけど、一般人の想像以上にきつい世界みたいだしなぁ。爺さんも『あんなとこにゃァよ、どうしたってへェるもんじゃァねェぞ……』って言ってたしなぁ。

「とりあえず暫くは、他言無用でお願いしたいというのが本音だよ。でも、珊瑚がどうしても必要だと思ったら言ってくれていい」

 珊瑚は俺を困ったような、ちょっと悲しそうな笑顔で見て、そしてささやくように言った。

「わかった…… ありがとう、先輩」
「今日はこれくらいで寝ようぜ。もう二時回ってるし。寝る前にシャワー使うなら廊下の端っこが風呂だからな。トイレは風呂の向かい側で洗面所は脱衣場の中だから。バスタオルは洗面所にたくさん積んであるからな。それとシャンプーとかはナミのがあるからそれを使ってくれ。じゃ、俺はこっちの書斎で寝るから」
「うん、ありがと。先輩はシャワー使わないの?」
「眠いから明日の朝入るわ。それじゃ、おやすみ。松崎さんに変なことするなよ」
「さぁね。覗いたら殺すからそのつもりでね」
「何かするのかよ? そんな事言われたら俺が寝らんなくなるだろ」
「あはは、おやすみなさい」

 そう言って、珊瑚は寝室に消えた。さっさと俺も寝よう。でも寝られるかな。そんな事を思いながら書斎に入り、マットと寝袋を引っ張り出して横になったら、妄想にふける間もなく眠りに落ちた。

第十三章: ピロートーク

 私が先輩の寝室に入って、ベッドで横になっている松崎さんの様子を見たら、こっちを見ている松崎さんと目が合った。

「あれ? 起こしちゃいましたか。すいません、ちょっと声が大きかったかな」
「ううん、実は今さっきトイレに行きたくなって目が覚めたの。どこだかわかる?」
「トイレは廊下の突き当たりだって言ってました。お風呂もそこだって。どうせだから汗もちょっと流しませんか?バスタオルは沢山あるって言ってたし。まぁ着替は無理ですけど」
「ふふっ、それはそうよね。一人暮らしの男の人の家からそんな物が出てきたら逆に怖いわ」
「ナミちゃんの下着はいっぱいあるはずだけど、それでOKならナミちゃんは嫌がらないと思いますよ」
「うーん、気にしない子は気にしないみたいだけど、私はそれダメな方だから」
「まぁ、そうですよね。私は鞄にお泊りセット持ってるからいいんですけどね」
「あらっ? それって……」
「残業してたら終電がなくなるパターンが多くて標準装備になりました。会社でホテル代出して欲しいですよ」
「営業さんは大変よねぇ。それから、私の服はどうしたのかしら。珊瑚さんが脱がせてくれたの?」
「えぇ、先輩には指一本触れさせてませんからご安心下さい。服はあのクロゼットの中にありますから」
「ありがとう。お世話かけちゃったわね。あんなに飲まなければよかったな」
「先輩が勧めすぎなんですよ。おじさんの酔っ払いと一緒なんだもん。で、松崎さんどうします? お風呂を先に入りませんか?」
「ううん、珊瑚さんが先にシャワー使って。私は次でいいから」
「私はいつも烏の行水だし、ショートヘアだからすぐ髪も乾くけど、ロングの松崎さんはそうはいかないでしょうから、先に入ってくださいよ」
「うーん、そうね。じゃ、悪いけどお先に」

 それから順番にシャワーを浴びてすっきりしてからベッドに入った。

「松崎さん、先輩から色々話を聞いたんですけど、どうしますか? 今話しましょうか?」
「珊瑚さんは大丈夫なの? 眠くない? 私は何か変に目が冴えちゃったから大丈夫だけど」
「私も大丈夫ですよ。営業の仕事で夜更かし慣れましたし、シャワー浴びて目もちょっと覚めたし」
「終電に乗れないって言ってたものね。体を壊さないようにしてね」
「じゃ、お話しますね」

 そうして、さっき先輩から聞いた話を繰り返して松崎さんに聞かせた。やっぱり松崎さんも別府博士やAIグループ長があんな正気を失ったかのような実験計画を立てて、それを承認していたことにショックを受けている様子だった。

「私は計画書には全然注意を払ってなかったの。いつも見ているファイルだったから、それに裏ファイルがあって、それが自分の手元にあったなんてことにまで気が回らなくて。でも、ちゃんとそれを確認していれば、修善寺君だけにすべてを抱え込ませることにはならなかったのに」
「松崎さん、また自分を責めてる。駄目ですよ、ナミちゃんに叱られますよ。それにその秘密の計画書というのは、一種の隠しファイルで簡単には読めないものだったみたいですし」
「でも、修善寺君は自分で腕まで折って、何もかも失って、それなのに……」
「先輩はね、こうも言ってたんですよ『俺はナミを救うことが出来た、珊瑚も友達づきあいをしてくれてる、松崎さんも会いに来てくれた。だからそれに満足すべきなんだろうし、今は後悔も不満も無いんだ』って。だから、先輩が何もかも失ったというのは言いすぎですよ」
「でも、彼は失ってしまったものが多すぎるわ。私たちがそれぞれ失うものがあったのならともかく、彼一人があまりにも多く失ってしまったのだもの」

 先輩がそれで良いと思ってした事だけど、やっぱり私たちにはそれで良いとは思えないもんね。

「私もそう思います。だから、私は先輩が失ってしまったものをわずかでも取り返してあげたいと思うんです。もしかしたら先輩には有難迷惑なのかも知れないけど」
「そうね、私にも協力させて」
「ぜひお願いします。私一人の力ではとても覚束無い事ですから」
「具体的にはどんなことを考えてるの?」
「まだそれほど深く考えていないんですけど、とりあえず私たちの仲間に真実を知らせたいんです。昨日の下田さんじゃないけれど、先輩を誤解している人が多すぎます」
「そうね、何も知らされていないのだから仕方が無いことなんだけど、今のままでは修善寺君も不幸だし、知らされないままの下田さんたちも可哀相だわ」
「先輩は出来るならば誰にも口外しないでくれと言いましたけれど、私がどうしても必要だと思うならば、その時には秘密を話しても良いと言ってくれました。確かに変なやり方をしてしまえば、先輩は本当に逮捕されて刑務所に送られてしまうかも知れませんから、よくよく考えた上でということになりますけど、私は何とかして真実を知らせてあげたいんです」
「わかったわ。これからは会う機会をうんと増やしましょう。じっくり相談できる時間がないと、良い知恵も浮かばないわ」
「はい、よろしくお願いします。お互い忙しい身ですけど、頑張りましょう」

 そう言って松崎さんを見ると、なぜか微笑んでる。小さな子を愛おしむ様な優しい顔だ。

「もうひとつ話をしていいかしら。もう明け方が近いけれど」
「えぇ、何ですか?」

 そう返事をしながら私だけベッドに横たわり枕元のスイッチで部屋を少し暗くする。松崎さんは体を起こしたままだ。

「珊瑚さんの彼氏の話を聞きたいの。もちろん私が先に自分の話をするわ。それでイーブンでいいでしょ」

 え? どうして今そんな事聞きたがるんだろ。困ったな。

「あの、でも、今じゃなきゃダメですか?」
「今、聞きたいの。お願い」

 どうしたんだろう、優しい顔なのにすごいプレッシャーを感じるなぁ。どうしよう。と、思っているうちに松崎さんは話し始めてしまった。

「昼間には付き合ってる人はいないような事を言っちゃったんだけど、実は今付き合っている人がいるの」

 なぁんだ、先輩がっかりだね。

「えぇ? そうだったんですか。私が知ってる人ですか?」
「多分知ってると思うんだけどな。今のAI開発室長の和倉さん。ピグマリオンではソフトウェア理論担当の第一ワークグループで主任だった人よ」
「あぁ、知ってます。ずっと松崎さんの上司だった人で『プリンス』ってあだ名で呼ばれてましたよね」

 あの人かぁ。有能で明るくて男女問わずに親切で、でも仕事には真剣で…… って人気者だったもんな。こりゃ、とっても先輩には勝ち目ないよ。残念だったねー。

「付き合い始めたのは本当に最近で、社内恋愛だから余りおおっぴらにはしたくなかったこともあって、今はまだ知っている人ってお互いを紹介してくれた人くらいなの」
「へぇ、向こうが恥ずかしがってるんですか? 今時、おおっぴらな社内恋愛なんて当たり前っていうか、うちの会社はむしろ奨励してませんでしたっけ。社内での部署をまたいだ合コンも会社で企画してたりするし」
「うーん、私にちょっとだけ抵抗があってね。彼は別に恥ずかしいことをしているんじゃないし、知られてもいいじゃないかって言うんだけど」

 私だったら、和倉さんが相手なら自慢しちゃいそうだけどなぁ。変なの。

「何か割り切れないものでもあるんですか? 和倉室長なら誰でも文句なしだと思うんですけど」
「ううん、そういう事じゃないわ。ずっと一緒に働いてきたからお互いのことはよく分かってるし彼のことは大好きよ、男性としてね。ただ、ちょっと恥ずかしいだけなんだと思う」

 へぇー、なんか思春期の女の子みたい。かわいいなー松崎さん。

「私、お似合いの二人だと思いますよ。恥ずかしがることなんて何も無いんだから、自然にしていたほうがいいですよ。それにあんまり恥ずかしがったら、和倉室長に悪いですよ」
「えぇ、そうなのよね。この頃はだんだん慣れてきたし適当な機会もあるから、そろそろみんなに報告しようかなって思ってるんだけどね」
「それがいいですよ。みんな喜んでお祝いしてくれると思いますよ」
「そしたら、次にみんなと会うときにはカミングアウトしなきゃね」
「そんなカミングアウトなんて大げさですよー。でも、何で今日は先輩に隠したんですか? 思い切り勘違いして無駄な期待してましたよ、あの顔は」
「なんでだろうね。彼は修善寺君も良く知っている人なんだしね。やっぱり、私がちゃんと吹っ切れてないからなのかな」

 え? 吹っ切れてないって、それって……

「あの、それ、もしかして……」
「うん、私、ずっと修善寺君の事が気になってたから。あの抗議活動の時よりずっと前から」

 うわ、やっぱり…… でも、和倉さんとじゃ比べるのがバカバカしいくらい先輩に分が悪いと思うんだけどなぁ。

「修善寺君とは同期入社だってことは珊瑚さんは知ってるよね」
「はい、それは良く知ってます。父の一番弟子が先輩で、母の愛弟子が松崎さんでしたもんね」

 先輩の場合、一番弟子って言うのは『一番馬鹿な弟子』ってことだけどね。馬鹿な弟子ほどかわいいと言う事みたい。

「そう言えば珊瑚さんの家で修善寺君に会った事もあるのよ。たまたま湯布院先生と翠先生がそれぞれ弟子を家に呼んだら鉢合わせした感じだったけどね。懐かしいな」
「でも、先輩って昔から短気で、ヘタレで、口が悪くて、鈍くて、デリカシーなくて、おまけに仕事中毒だったじゃないですか。ルックスだって何とか見苦しくない程度で、和倉さんみたいな美形とはとっても言えないし。一体何が良かったんですか?」
「ふふっ、なんでだろうね。珊瑚さんの方がよく分かってるんじゃないかと思うんだけどな」

 そんな事言われても…… 悪いところはいくらでも指摘できるんだけどなぁ。

「えぇと、私に振られてもよくわからないですよ。確かに私は先輩や松崎さんとは七年生か、八年生の時に会ってますから、確かに付き合い自体は長いですけどね。でも、松崎さんとはずっと仲良しでしたけど、先輩は入社一ヶ月後からずっと無視してましたから、仲が悪かった時期の方が長いくらいですよ」
「そうね、ずーっと会社では仲が悪かった、というより修善寺君が一方的に嫌われてたものね」
「それ自体は、先輩には悪かったなって思ってはいるんですよ。AIグループに行けなかったのは先輩のせいじゃなくて父のせいだし、先輩の性格考えたら、父に私の世話を言いつけられてそれに逆らえるわけがないし」
「そうね、でも今は仲直りしたんだしそれでいいのかもね。それじゃ、そろそろ私の話はこれくらいにして、珊瑚さんの彼氏の話を聞きましょうか」

 う゛どうしよう。誤魔化すわけにはいかない雰囲気だよね。

「私、思うんだけど、珊瑚さんが今付き合ってる男性なんていないんじゃないかと思うんだけどな」

 何だか不敵な笑いだなぁ、松崎さん。さっきはあんなに優しい顔で笑ってたのに。

「えーと、それはどうしてですか?」
「珊瑚さん、今日修善寺くんのところに泊まるって決めてから、誰にも連絡をとってないわよね。正直に彼に説明するにせよ誤魔化すにせよ、誰にも連絡しないというのはおかしいわ。私は母に電話して、今は珊瑚さんの家に泊まっていることにしてるんだけど」
「それって、和倉室長には内緒ってことですよね」
「もちろん。バレたら当分口を聞いてもらえないだろうし、悪くしたら絶縁されちゃうわ。だから口裏合わせの方はお願いね」

 あいかわらす不敵な笑い。松崎さんの意外な一面を発見…… って、それどころじゃないよね。

「そうなんですか? 和倉室長、すごく優しそうな感じなのに」
「彼はとても優しいわ。でも、筋の通らないことは大嫌いだし、ああ見えて頑固で一旦機嫌を損ねちゃうとフォローするのは大変なの。彼だって聖人君子というわけじゃないから、それなりに欠点ってあるものよ。それに、いくら一人じゃないからって、自分の恋人が自分以外の独身男性の家に泊まるって言うのは、男性としては心穏やかではいられないのが普通だと思うわ」
「そうですよね。すいません、そんな事考えもせずに巻き込んじゃって。私は先輩のヘタレっぷりを良く知ってるから何の心配もないと思ってたんですけど、和倉室長はそうは思いませんもんね」
「良いのよ、私も修善寺君の話を聞きたかったんだし、ここに泊まったのは珊瑚さんに無理強いされたせいじゃないんだから。それで、どうなのかしら。本当に付き合ってる人がいるの?」

 もう誤魔化せないかぁ。まいったなー。

「えーとぉ、その…… 居ません」
「やっぱりね。でも、どうして修善寺君にそんなウソを? 信じちゃう彼の鈍さも相当なものだけど」

 そうなのよね。妙さんには即バレで先輩が『珊瑚の彼氏が……』とか始めると、いつもイジワルな笑いを浮かべるのよね。そういう時は無性に先輩をひっぱたきたくなるのよね。

「私が先輩の勤め先を確かめて、時々お店に通うようになった頃なんですけど、当時私は営業に飛ばされて、成果も上がんなくて腐ってた時期で、絵に描いたような腰掛社員でしたからしょっちゅうお店に通ってたんですよ。そんな時に先輩が『お前、ヤクザのやってるこんな店に入り浸ってて大丈夫か? 彼氏とかに怒られないのか?』って言い出して。私、先輩にそんな話は匂わせさえしてないのに。それで腹がたって……」
「彼氏がいることにしちゃったのね」
「はい。何でそんな事言い出したのか、自分でもよくわかってないんですけどね」
「そっか、よくわからないんだ」
「……わかりません」

 松崎さん、優しい顔だな。こんな顔、私にもできたらな……

「もうひとついいかしら?」
「…… はい」
「私、珊瑚さんに片想いの彼氏がいるんじゃないかと思うんだけど」
「…… どうしてそう思うんですか」
「どうしてって? そうね…… 今の珊瑚さんの顔でかしら。今にも涙がこぼれそうよ」
「……」

 もう私は返事ができなかった。何を言っても声を上げて泣き出してしまいそうだった。

「ありがとう、珊瑚さん。遅くまで付きあわせてごめんね。空が白んできちゃったけど少し眠りましょう」

 松崎さんは耳元でそうささやいて私の頬に軽く口づけした。私にはもうその顔が見えなかったのに、それはとっても優しく見えた。

第十四章: ブランチタイム

「主任、起きてよ。朝だよ。もう九時だよ、寝過ぎだよ」

 耳元でキンキン声が響く。ナミめぇ、今日も元気いっぱいだな。

「もう九時かぁ。寝過ぎたなぁ。珊瑚たちは……」

 そこまで言ってナミを見るとパジャマを脱いで下着一つだ。

「こ、こらぁっ! 何だその格好は。服着ろ、服を!」
「えー、だって主任全然起きないんだもん。もう目が覚めた?」
「覚めたから。早く服を着るの!」
「はーい」

 全くもう…… 妙さんも余計なことを教えてくれるよ。すっかり叩き起されちまったし、風呂場に行こうか。

「ナミ、妙さんになんて言われたんだよ」

 ナミはパジャマを着直しながら答える。

「主任が起きなかったら脱いでねー、それでもだめだったらほっぺにチューして、それでもダメならお布団の中に入って、耳にフーってしなさいって。それでも起きなかったら……」

 ちょっとぉ! なんてこと教えるんだよ、妙さん!

「あ、あのな、ナミ。それはちょっと違うからな。そういうのは、ナミがもっと大人になってからにしような。俺が起きなかったら起きるまで揺すってくれればいいからな」

「主任は『えっちなさーびす』が嫌いなの?」

「いや、嫌いじゃないけどな。まだお前には早いからな。わかったな?」
「はぁい……」

 何だかしぶしぶだが、特権ユーザーの俺の指示だし大丈夫だろう。それはそうと、書斎はあまりエアコンが効かないのか、暑くて汗ベトベトだ。とりあえず風呂に入ろう。

「ナミ、俺は風呂に入ってくるから、寝袋を干してマットは片付けといてくれ。パジャマも着替えてこい」
「はーい」

 あー、体中汗臭いな。珊瑚に出くわさないうちにさっさとシャワー浴びておかないと、なんと言われるかわからんからな。アイツ本当に小姑っぽいんだよなー。などと考えつつ、脱衣室のドアの前で立ち止まる。いきなり開けて『キャー』って事になると後が怖いので、とりあえずノックする。返事はないな、じゃ……

「何やってんの? 先輩」
「うわあっ、ゴメン、ごめんなさい。そういうつもりじゃ……」
「はぁ? 自分の家なのにどこがトイレかも忘れたの? 頭大丈夫?」
「え? あれ、後ろにいたのか。おどかすんじゃねぇよ、びっくりしたろうが」
「何でびっくりするのよ。覗きでもしようとしてたの?」
「違うよっ、そうならねぇように一応ノックしたら、お前が後ろから……」
「あぁ、そういうこと。大変だね、普段の行いが悪いと」
「何でだよ、俺そう言うのは一度もしたことねぇぞ」
「自慢にならないよ、当たり前のことだもん。それでね、さっさとシャワー使ってよ。汗臭いよ」
「わかったよ…… って、何でお前も入って来んだよ?」
「洗面所が中にあるでしょうが。私は歯を磨きたいの! そうそう、松崎さんが使う歯ブラシを頂戴。買い置きの新品があるんでしょ?」
「あぁ、洗面所の引き出しにあるよ。それで、お前の分は?」
「ありがと。 私はお出かけセット持参だから大丈夫」
「でさ、俺は風呂に入りたんだけど、そこにお前がいると何時までたっても服が脱げないんだが」
「むこう向いてるから、その間に片付けなさいよ。脱ぎ散らかさないでよ」
「え? だって、それじゃちょっと……」
「男でしょ。見られたって減るもんじゃないんだし、私だって見やしないわよ。グズグズしないで早くシャワー浴びて頂戴」
「わかったよ……」

 何だよ、朝っぱらからえらく機嫌悪いな、こいつ。いくら後ろ向いてるからっていっても、女性が一緒にいる部屋でいきなり脱ぐのは抵抗あるしなぁ。とりあえず風呂場で脱いで、服だけ脱衣所に置いとこ。

「何恥ずかしがってんの? おこちゃまですか、先輩は」
「うるさいな、見たいんだったら全部見せてやろうか?」
「見たかァ無いわよ。それよりさっさとシャワー浴びなさい!」

 くそ、何なんだよ。一体俺が何したって言うんだよ。などとブツブツ言いながらシャワーを浴びる。

「珊瑚、もう出たいんだけど大丈夫か?」

 返事がない。浴室から顔だけだして確認すると、松崎さんが歯磨き中だった。いきなり出ないでよかったな。

「あ、ごめんね。もうすぐ歯磨終わるから、もうちょっと待ってて」

 さすがに松崎さんは気まずそうだ。ていうか、それが普通だよな。

「あ、ごめん。急がなくていいよ、待ってるから」

 そう言って、顔を引っ込めてドアを閉める。待ってる間に雑巾で壁を拭いていると、松崎さんが声をかけてくれる。

「修善寺君、お待たせ。今、更衣室を出るところだから。それから歯ブラシありがとう。後で新しいの買って返すからね」
「いいよ、歯ブラシなんか。ていうかさ、ごめんな、急かしてしまって」

 そうして、服を着替えて居間に戻ると、何だか、いつもより豪華な朝飯の準備が始まっている。

「お、今日はなんか豪華だな。ナミも手伝ったのか?」
「ちょっとだけだよ。紅茶とパンはナミがやったの。あとは珊ちゃんと聡華さんが作ったんだよ」
「あ、私は配膳しただけよ。ほとんど珊瑚さんが作ったの。上手よね、びっくりしちゃった。いいお嫁さんになるわよねぇ」
「俺が風呂入ってる間にやったのか? 何やらせても手際良いな、お前は」
「材料が全然冷蔵庫にないんだもん。ほんとに有り合わせだよ、これ。それと先輩、冷凍食品とレトルトパックばっかりじゃ体に悪いよ。それも脂っこいものばっかりだし。生野菜とかオレンジジュースとかも買いなよ」

 文句たらたらだが、機嫌は少し直っているようだな。低血圧なのかな? こいつ。

「いや、欲しいものだけ買ってたら何となくそうなってしまってな。冷蔵庫を見るたびにマズイなとは思うんだが」
「まぁいいや。冷めちゃう前に早く食べようよ。ナミちゃんにはこっちにお水があるからね」
「はーい」

 起きるのが遅かったせいで朝食というよりブランチになった。あぁだこうだと雑談しながらのんびり食事をする。

「そう言えば、一昨日に別府博士が家に来いって言ってたけど、あれどうなったんだ? 正直言って行きたくねぇんだけどさぁ」
「そういう訳にはいかないでしょ。 私だって父さんが来るんだろうから億劫だけど、博士の招待じゃ断れないもん」

 珊瑚が眉をしかめて言う。すると、松崎さんが意外なことを言う。

「実は私たちも呼ばれてるの。かなり大勢のピグマリオン出身者を集めるつもりらしくて、そこでお披露目をしようって言われて」

 え? え? お披露目? それって松崎さん結婚するって事? フリーじゃないの? すると珊瑚が意外そうな顔で松崎さんを見て言う。

「あれ? 博士も知ってるんですか」
「実は紹介してくれた人って別府博士なの」
「そうだったんですか。そう言えば和倉室長は博士と会う機会が多いですもんね」

 何だよ、相手はプリンス先輩かよ。畜生め、悔しいけどすっげぇお似合いじゃあねぇか。それにしてもあのジジイ、何で余計な事ばかりするんだよ。俺に恨みでもあんのかよ。

「実は、私も結構別府博士とはメッセージをやり取りしたり、直接会ったりする事が多くなってきてるのね。そういう事情もあって、お付き合いを勧めてくれたみたい」

 余計な事だろ。大体あのジジイはテメェ自身が独身じゃねぇか。テメェのケツを先に拭けってんだよ。

「なるほどねぇ。で、お披露目って言うからにはやっぱり婚約ですか?」

 松崎さんは恥ずかしそうな笑みを浮かべながらバッグから小箱を出した。俺にだってそれが指輪ケースであることぐらいわかる。そして、ケースを開いて指輪を見せてくれた。

「あぁ、指輪ですね。おめでとうございます」
「ありがとう、珊瑚さん」

 俺もお祝い言わなくちゃな。ショック受けてる場合じゃねぇ。

「おめでとう、松崎さん。いや、びっくりしたなぁ」
「ありがとう、修善寺君。ごめんね、昨日は騙すような事言って」

 あぁ、短い春だった。24時間さえ持たなかったのかよ。珊瑚のやつ、人の気も知らぬ気でニコニコしながら話してやがって……

「駄目ですよ松崎さん。ここまで話が進んでるのに、職場の人に黙ってるなんて。怒られますよー」
「ふふっ、やっぱり怒られちゃうかな?」

 ナミが不思議そうに指輪を見ている。

「聡華さん、これは何?」
「婚約指輪って言うの。結婚の約束をした時に、男の人からプレゼントして貰えるのよ」
「へぇー初めて見たよ、婚約指輪って。ナミも結婚の約束をすると貰えるの?」
「そうね、その時になったらおねだりしてみるといいわ」
「うん、わかった。主任、結婚の約束して」
「ナミが大人になったらな。子供は結婚出来ないのは知ってるだろ」
「なぁんだ……」

 珊瑚が指輪ケースを指先でつついて松崎さんに言う。

「松崎さん、せっかく指輪もらったんだからちゃんと指にしなきゃ。和倉室長に悪いですよ」
「そうなんだけど、まだなんか照れくさくて。もらってからはいつも肌身離さず持ち歩いてはいるんだけどね」

 いや、そうだったのか。松崎さん、何かえらく綺麗になったなと思ったらそういう事だったのかぁ。あーあ、最初から指輪しててくれればなぁ。あれ何だ? 珊瑚が怖い目で俺を見てるけど。

「先輩、はっきり言わないとわかんないだろうから伝えときますけど、松崎さんが先輩のところに泊まった事は口外厳禁ですよ。なぜかはわかりますよね?」
「え? でも、お前もナミもいたんだし……」
「ダメに決まってるでしょ! じゃあ聞きますけど、先輩に彼女がいてその子が他の独身男性の家に泊まって、その言い訳に『女友達も一緒だったから』とか言われて平気でいられるんですか?」
「そりゃぁ…… 無理だろうなぁ」
「じゃ、確認しときましょうか。私と松崎さんは昨日先輩たちと食事したあと別れて、松崎さんは私の家に泊まったってことにしますから。いいですね!」
「ん、わかった」

 そして俺の落胆をよそに、珊瑚が松崎さんにお披露目について聞いている。

「別府博士はいつ頃にそのお披露目をやるって言ってました? 私たちの方はこれから予定を詰める段階ですけど」
「話しは聖(さとし)さんが聞いてるので、まだ私は何も。珊瑚さんはいつくらいを考えてるの?」

 和倉先輩、名前で呼んでもらってるんだ。いいなぁ。

「秘書さんの話では月末には博士はアフォ研に戻るのでそれまでには、って言う話でした。だから、あと二週間もないんですよね。私は有給使っちゃおうかなって。今年は全然使ってないし。そうだ、先輩はいつでも休めるんでしょ?」
「え? そうはいかねぇよ。アリスもあんな状態だから、しばらくはまめに通ってくるだろうし、千陽も足があんなだしな。昨日の午後に修理したパーツの取付も近いうちにやらなきゃならんし。なにしろこの店、俺しか修理工がいないんだからさ」
「有給は取れないの? どうせ全然使ってないんでしょ?」
「ヤクザのフロント企業に有給なんてあるわけねぇだろ。まぁ、事情が事情だし社長に頼んでみるよ。義理事だって言うと、比較的認めてくれるみたいだからな」

 珊瑚がなんか誤解したらしく、喰ってかかってくる。

「何ですか義理事って。お祝いの集まりなのに何? 義理って」
「あぁ、筋の人間は冠婚葬祭を義理事って呼んでるんだよ。俺が松崎さんたちのお祝いにお義理で嫌々出る訳ないだろ」
「じゃぁ、冠婚葬祭って言って下さいよ。ヤクザじゃないんでしょう」

 参ったな、また機嫌が悪くなったよ。面倒くせぇし謝っちまうか。

「あぁ、悪かった。誤解を招く様な言い方だったな。松崎さんも、もし不愉快だったら謝るよ。含むところがあるわけじゃないんだ」
「ううん、わかってる。謝らないで」

 まだ、珊瑚がむくれてるな。どうしたんだろこいつ。生理かな?

「珊瑚、お前は何日くらいを考えてるんだ。早いうちに社長に連絡しないとな。無断欠勤なんてことになったら、ひどい事になるからな」
「半殺しにでもされるわけ?」
「いや、罰金で給料を一週間分削られたりするだろうな。遅刻がバレた時が一日分減棒だったし」
「殴られはしないんだ」
「お前、なんか誤解してるみたいだけど、俺が社長に殴られたのって一回だけだぞ。ヤクザは滅多なことでは堅気に手を出さないよ。ちょっと小突いた程度でも、すぐ傷害で引っ張られて懲役打たれるんだからさ」
「でも、入院するほどやられたんでしょ」
「入院まではしてねぇよ。全治一ヶ月だったけどな。まぁ、あの筋肉の塊みたいな腕でやられたから、タダじゃすまなかったけど」

 松崎さんが不安そうな顔で俺に聞く。

「ねぇ、修善寺君。これからもずっとここに勤めるの? 修善寺君ならもっと大手の会社でもやっていけると思うんだけどな。今のギブソンだって修善寺君を惜しんでいる社員は少なくないのよ」
「はは、俺も職安で就活するまではそう思ってたんだけど、なかなか世間の風は厳しくてね。それに、修理屋の仕事も結構気に入ってるしね。安月給で将来の保証がないけどさ」

 珊瑚がずれてしまった話題を戻す。

「日程の話に戻りますけど、松崎さんと和倉室長は次の週末の休みはどうなんですか?」
「私は大丈夫。聖さんの方ははっきりわからないけど、ここのところ休日出勤はないし残業も大した事が無い様だから大丈夫だと思うわ」
「先輩も店は暦どおりなんでしょ?」
「あぁ、まぁアリスの時みたいにいきなり緊急事態って言うのはありうるけど、それを考えてたら一日も休めないからな」
「じゃぁ、とりあえず次の週末のうちいつか、ということで秘書さんに話してみるね」

 そう言うが早いか、電話で連絡を入れている。別府博士の秘書は日本語を喋れないようで、ずっと英語だ。俺には早口すぎてあまりついていけない。しかし、珊瑚の奴、ネイティブ並みの会話能力じゃねぇのか? 俺は電話中の珊瑚をよそに松崎さんに話しかける。

「やっぱり、今の会社だと社内でも英語話せないと厳しいのかな? エライさんが日本語喋れなさそうだけどさ」
「一応、社内公用語は英語が第一、日本語が第二公用語になってるから。会議なんかは全部英語に統一されちゃったのよね」
「やっぱりなぁ。ピグマリオンでは第一が日本語で第二が英語だったから、逆になっちゃったんだなぁ」
「珊瑚さん、営業に行ってから語学力上がったのねぇ。昔は私とそれほど変わらなかったのに。本当に努力家よね」
「俺も、湯布院先生にメチャクチャに尻を叩かれて英語は勉強した、って言うかさせられたけど、とってもこのレベルには届かないもんなぁ。才能もあるんじゃないのかな」
「でも、彼女の場合は努力の勝利だと思うわ」
「まぁ、それもそうだよね。一発スイッチが入ると見てる方が心配なほど頑張るからなぁ、こいつ」

 そうこうしているうちに、珊瑚の方も話が終わったようだ。後半は日本語だったから、別府博士が直接話したのかな?

「週末の金曜日、お昼過ぎからだけど早く来なさいって。昼ごはんも一緒にって、博士が」
「また鮭弁当じゃねぇだろうなぁ。あれはもう懲り懲りだぞ」
「お客を呼んどいてジャンクフードを出すわけが無いでしょ、それも博士の自宅なのに。それともそんなに唐揚げがいいわけ?」
「そっちも当分は勘弁してくれよ」

 事情を知らない松崎さんが首を傾げて怪訝な顔をしている。

「先輩、予定はこれで大丈夫ね?」
「あぁ、多分な。これから社長に頼んでみるよ」

 俺は、組事務所に電話を入れる。

「もしもし、修善寺です、ロボット修理の。うちの社長は今そちらにおりますか? はい、お願いします…… あ、社長すいません。お願いがあって連絡を入れました。今度の週末の金曜日なんですが、友人の義理事で一日店を休みにしたいんですが宜しいでしょうか? はい、一応は定休日です…… はい、わかりました。ありがとうございます。それじゃこれで失礼します」

 珊瑚が結果を俺に聞く。

「どうだったの? 休んでいいって?」
「あぁ、定休日に一応もクソもあるか、勝手に休め。そんな事でいちいち電話してくるな馬鹿野郎! だってさ。あとさ、誰が来るのかということはわかるか?」
「エライさんはわからないね。私とナミちゃんと先輩、松崎さんと和倉室長、それと父さん位かな、確実にわかってるのは」

 松崎さんが補足を入れる。

「抗議運動の時のメンバーも一緒じゃないかしら。一昨日の祝賀会にも呼ばれてたくらいだしね。後でみんなに連絡してみるわ」
「へぇ、セブンシスターズ勢揃いだったんだ」

 俺がそう言うと、珊瑚も松崎さんも怪訝そうな顔で俺を見る。

「何? そのセブンシスターズって」
「あぁ、俺が勝手に珊瑚達につけてたあだ名だよ。まぁ、管理職の間で一種の隠語としてそう呼んでた面があるな」
「聖さんも前にその言葉を言ってたんだけど、意味を教えてくれなかったのよね。そういう事だったの」
「全然ひねりがないですね。そのまんまじゃないですか」
「まぁ、俺が思いつきでつけたあだ名だからな」

 珊瑚が不満げに俺に言う。

「最初に集まったのは確かに七人だったけど、最終的にはほとんどの女性社員とかなりの男性社員も味方してくれたんですよ。七人だけじゃなくてね」

「あぁ、わかってる。ジ・オリジナル・セブンとしたほうが良かったかな?」
「それって、宇宙飛行士の話じゃなかっですか? もちろん全員男の」
「確かそうだな。そんな気がする」
「相変わらずいい加減ですねぇ」
「何しろ無教養で売ってるからな」
「自慢しないでくださいよ、恥ずかしい」

 ちぇ、結構本質をついたネーミングだと思ったんだけどな。

「まぁ、それでも今でも結束固いのはやっぱり最初のメンバーなんだろ?」

 松崎さんが答えてくれる。

「そうね。珊瑚さんは部署が変わったこともあって疎遠になっちゃったんだけれど、AIのみんなは今でも仲良くやってるわね。でも、これからは珊瑚さんも一緒よ。部署なんて関係ないもの」

 珊瑚が松崎さんに話しかける。

「そうですね。それにみんなで再会するまで時間がないから、それまでの根回しが大変ですよ。まめに連絡を取り合いましょうね」

 根回しって何のことを言ってるんだろうな? ちょっと聞いてみようか。

「なぁ、珊瑚。根回しって一体何のことだ? なんか企んでるのか?」
「ダメですー、これについては先輩は蚊帳の外ですから」
「なんだよ、仲間はずれかよ。いじわるな奴だな」
「ダメですー」

 そうして話をしながら食事しているうちに食べるものもなくなり、時間も昼近くになってきた。松崎さんがそろそろ帰るという。

「ごめんなさいね、長々とお邪魔しちゃって。そろそろ私は帰らないと」

 珊瑚も帰るという。

「私も明日は移動日だから、早めに帰らないとね。明け方まで話してて寝不足だし」
「そしたら二人とも駅まで送って行くよ。ナミに帽子を買ってやる約束だし、どうせ駅の近くには出るからさ」
「ありがとう、修善寺君。お言葉に甘えます」
「それじゃ、ここ片付けちゃうよ。ナミちゃん手伝ってね」
「はーい」

第十五章: 和倉室長

 それから、駅前に出てナミの買い物に付き合ってもらったあとに二人と別れ、俺はナミと妙さんの店に向かった。昨日はアリスにあんなことがあったので、千陽の調子を確認するのを全然忘れていたからだ。店舗の裏側にある事務所に回って妙さんに声をかける。ナミもいつものとおり挨拶する。

「妙さん、こんにちは。これ、一昨日のお重箱お返ししまーす。ナミが洗ったんだよ」
「あら、ナミちゃんいらっしゃい。綺麗に洗ってくれたのね、ありがとう」
「妙さん、昨日はナミの面倒見ててもらってありがとうございました。今日は千陽の調子を見に来たんですけど」
「良いのよ、ナミちゃんには準備のお手伝いもしてもらったしね。千陽は店の掃除をしているからこっちに呼ぶわね」

 妙さんが内線で千陽を呼ぶと、すぐにこちらに来て挨拶する。今日は店内なので伊達メガネをかけているな。

「主任さんこんにちは。ナミちゃんこんにちは」
「こんにちは千陽ちゃん。元気だった?」
「えぇ、元気でしたよ」

 特に問題はなさそうだが、一応は調子を聞かないとな。

「千陽、股関節の具合はどうだ。痛みや違和感は?」
「痛みはありません。階段以外では杖もつかずに歩けます。関節の違和感はあります」
「太腿とおしりの筋肉には違和感はないか?」
「ありません」

 一応音も聞いておくか。聴診器は持ってきたしな。

「ちょっと音だけ聞いておこう。ちょっとスカートの中に手を入れるけど、悪く思わんでくれ」

 腰掛に座った千陽のスカートの脇から聴診器のチェストピースを右股関節近くに当て、千陽に指示を与える。

「右ひざを10cm程度上げ下げしてくれ。ゆっくりな」
「はい」

 やはりモーターの異音は相変わらずだが、それほどひどくなっている感じではない。当面は何とかなりそうだな。

「椅子から立ち上がってくれ」
「はい」

 大丈夫だな。俺は聴診器をしまい、千陽に話しかける。

「特にひどくはなっていない様子だから、このまま無理をしないで過ごしてくれ」
「はい、わかりました」

 妙さんが俺に声をかける。機嫌が良さそうだけどなんだろう。

「ちょっといいかしら、主任さん」
「何ですか?」
「昨日ね、社長と話をしたんだけど。決済が下りたの」
「決済って、もしかして千陽の新しいボディですか?」
「えぇ、新品を導入しろって。午前中に芙蓉重工のディーラーさんに来てもらって、見積をもらったところなの」
「そうだったんですか。良かったな千陽」
「ありがとうございます。嬉しいです」

 ナミまで喜んでいる。

「おめでとー 千陽ちゃん。良かったねー」
「ありがとう、ナミちゃん」

 妙さんがちょっと難しい顔で俺に話しかける。

「ただ、ちょっとわからないことがあるのよね。社長はスタンダードモデルを買えって言うのよ」
「スタンダードモデルですか? それじゃ、店の仕事はできませんよね」

 スタンダードモデルには女性機能がついていない。風俗店で働くならそれが付いているコンプリートモデルを買うはずだ。

「それで、また改造するのかなと思ったんだけど、そう言うわけでもないみたいなの。千陽はもう客を取る必要はないからって」
「まぁ、新品のスタンダードモデルを買って改造するより、最初からコンプリートモデルを買ったほうが安いですからね」
「千陽がお客を取らなくていいというのが気になるのよね。なんだかんだ言ってこの子がうちのお店の売上トップなのは社長も知っているのに、それをを外すって言うのが気になるのよ」

 千陽が心配顔で妙さんに話す。

「お母さん、やっぱり私もお仕事をしましょうか? ご指名を頂いたお客様にお叱りを頂いたこともありますし、私は大丈夫ですから」

 妙さんは居ずまいを正して千陽を諭す。

「千陽、あなたはまだ体が治っていないんだから、ちゃんと休みなさい。売上のことはあなたが心配しなくてもいい事よ。それは私が責任をもつことなの。あなたは今は体をいたわりなさい」
「はい、お母さん。でも、必要な時にはいつでもお仕事をしますから、言って下さい」
「わかったわ」

 しかし、千陽もよくぞここまで育ったよな。コンパニオンロボットでこんな気遣いまで出来る子はなかなかいないぞ。ガラテア3の潜在能力を一杯まで使い切ってる感じだな。

「お母さん、お店で妹たちがまだ掃除をしていますから、手伝ってきます」
「そうね、無理しちゃダメよ。まだ、新しい体が来るまでは日があるんだから」
「はい」

 そう言って、千陽は店へ戻っていった。ナミが俺に質問する。

「ナミもお手伝いに行っていい?」
「いや、これくらいで引き上げて店に行くぞ。買い物中に綱島さんから電話があってな。七時過ぎににアリスを連れて来るって事だからな」
「アリスちゃんが来るの? 久しぶりだねー」

 そうか、ナミはアリスがあんなことになったのを知らないんだったな。

「千陽以外に調子の悪い子はいませんか? いるなら、ちょっと調子を見ていきますが」
「今のところはみんな大丈夫みたい。でも、来月にはまたみんなで定期検診を受けるつもりだからよろしくね」
「わかりました。お待ちしてます。それじゃ妙さん、俺達はこれで失礼しますね」
「さよなら、妙さん。千陽ちゃん達によろしくね」
「伝えておくわ。気をつけて帰ってね」

 妙さんの店から『ロボットのお医者さん』まで移動する。あたりは夕暮れが深い。店の周りは夜には治安の悪い場所なので、ナミを促して足早に店に入り綱島さんが来るのを待つ。と、電話だ。

「はい、修善寺です」
「あ、松崎です。昨日今日とありがとう。今は家にいるの?」
「いや、綱島さんがアリス連れて来るので、店で待ってるところだけど。松崎さんは家にいるの?」
「あ、えぇとね、和倉さんの家にいるの。彼に修善寺くんにあったって話をしたら、自分も話をしたいから電話しろって。今から代わるね」

 え、プリンス先輩かよ。俺あの人には滅茶苦茶に受けが悪い筈なんだけどなぁ。何しろ、ナミの抗議運動中は毎回喧嘩腰の議論だったしなぁ。懐かしいけど、話をするのは気が重いなぁ。

「修善寺か? 和倉だ、元気か?」
「えぇ、まぁ何とかやってます。和倉先輩も元気ですか?」
「あぁ、ボチボチな。それで、さっき聡華に聞いたんだけど、お前ヤクザのやってる店で働いてるんだって」

 くそ、松崎さんを呼び捨てかよ。なんかちょっと悔しいぞ。でも、あんまり話し方にトゲがねぇな。もうあんまり怒ってねぇのかな?

「えぇ、『ロボットのお医者さん』って言う店です。ヤクザがやってるとは思えない店の名前でしょ」
「随分かわいらしい名前の店だな。じゃあ、お前がお医者さんなのか?」
「まぁそういうことになりますね。修理工の俺と、助手のナミがいるだけの店ですから」
「ナミ? あぁ、Annaのことか。そう言えば名前をかえたって聡華が言ってたな。元気なのか」

 うー、また聡華って言った。畜生、羨ましい。

「えぇ、元気ですよ。代わりましょうか?」
「いや、いいよ。それでさ、昨日お前の店にマルウェアにやられたガラテア3が運び込まれたって聞いたんだけど」
「はい、松崎さんがいてくれてほんとうに助かりました。松崎さんと珊瑚がいなければどうなっていたことか。考えただけでゾッとしますよ」
「俺も興味あるからさ、そのガラテア3のオーナーと連絡とって、次のカウンセリングの時に立ちあわせてくれないか。ギブソンのラボにいたんじゃそういう機会って殆ど無いからさ。何とかお願いできないかな」

 えぇ? 俺のとこに来るわけ? でも、こうやって正面から頼まれちゃうと断れないよなぁ。

「えぇ、かまいませんけど。いつにしますか? 綱島さんはこれからうちに来ますけど、その時に話を聞いていつ頃がいいか連絡しましょうか?」
「え、これからお前の店に来るのか? じゃあさ、これからそっちに行くよ。今が六時半だから七時ちょっと過ぎには着くからさ。いいだろ」

 ちょっと待てよ、相変わらず押しが強いな。まぁ綱島さんは文句言わないだろうけどなぁ。でも、30分くらいで来れるのか?

「いいですけど、そんなに早く来れますか? 先輩の家って都内でしょ?」
「あぁ、多摩川沿いに新しく家買って引っ越したんだ。道路が空いてれば、お前の所まで30分もないよ」

 ちぇ、二人の愛の巣ってか。あー畜生、あー面白くねー、あーもうムカツク。

「七時に来ることになってますから、間に合うとは思いますけどね。やっぱり車ですか?」

 この人は最近では絶滅寸前の車マニアだからなぁ。そう言えば綱島さんもそうだな。

「当然! じゃぁ、これからすぐ行くから」

 え? もう電話切った? 相変わらずせっかちだな。俺はナミに話しかける。

「ナミ、和倉先輩が来るぞ」
「ホントに? 一昨日からお客さんがいっぱいだね」

 そして30分足らずで本当に先輩が来た。松崎さんも一緒だ。相変わらずよく日焼けしてるな。

「おう、修善寺。スマンな、久しぶりに電話したかと思ったら急な頼みで。でも、元気そうじゃないか」
「聡華さん、和倉さん、こんばんわぁ。和倉さんはお久しぶりですね。」
「おっ、久しぶりだなぁ。ナミっていう名前になったんだって?」

 そう言いながらナミの頭を撫でる。ナミはニコニコしている。あ、松崎さんがナミをハグしてる。

「先輩も相変わらずよく焼けてますね。海ですか?」
「いや、車がオープントップだからな。実はまたもう一台HONDAを買っちゃって、この頃はいつもそればっかり乗ってるんだ」

 ほんとに好きだな、この人は。まぁ、金持ちの息子で高給取りだからな。しかし、ここらへんでこの時間はオープンはまずいぞ。

「先輩、このあたりは夜中はホントにヤバイんですよ。まさか、そのオープンカーで来なかったでしょうね?」
「あぁ、聡華にそれは聞いたからワゴンにしたよ。でも、そんなに危ないのか?」
「えぇ、その先の交差点で2月だったかな、人殺しがありましたよ。喧嘩だったみたいですが」

 松崎さんが和倉先輩と顔を見合わせている。実は社長と俺しか知らないが、万一に備えてカウンター引き出しの奥にスプレーメイスと実弾を込めたS&W M10が入っている。もちろん俺はどちらにも触ったことがないが、万一ガサ入れでも入れば俺は間違いなく現行犯逮捕だ。もっとも俺は警察よりも、それが珊瑚にバレる方が怖いというのが本音だが。

「そのお客さんはまだ来てないのか? 何時に来るんだ?」
「七時の予定なんですが、どうせまだ来ませんよ。時間にルーズ…… ていうか、ぶっちゃけダメ人間なんで、時間を守ってきたことがないんです」

 自分の客を捕まえてひどい言い草だと思うが、七時の約束で八時に来るなんてのは当たり前で、そのくせ自分が一分でも待たされるとグダグダうるさいと言う最低人間なんだよな、綱島さんて。

「何か食べるもの買ってこようか。まだ晩ご飯食べてないし」

 そう松崎さんが和倉先輩に言っている。 もうこの時間帯はマズイんだよな。

「松崎さん、時間が良くないからやめておこうよ。実はコンビニに行く途中にヤバイ場所があるんだ。カウンセリングはそれほどかからないはずだし、それまでちょっと我慢しててくれるかな」
「そうなんだ。怖いんだね、この辺って」
「夜中はね。昼間はそうでもないけど、土地に慣れてないと入っちゃいけない路地に入って怖い思いをすることがあるしね。ナミはどこが危ないかをよく教えているから危ない目にあったことはないけど、珊瑚には絶対タクシーで来いって言ってるのはそこに理由があるんだよ」

 そんな話をしているうちに綱島さんがアリスを連れて来た。10分遅刻だから立派な成績だろう。

「こんばんわ。よろしくお願いします。修善寺さん、昨日の治療費の見積りを早めにおねがいしますね」
「えぇ、明日メッセージにして送っときますよ」

 綱島さんが二人に気づいて挨拶する。

「あれ、昨日アリスちゃんを診てくれた人ですよね。昨日は本当にありがとうございました。えーと、この人は?」
「和倉といいます。ギブソン・サイバネティクスでAI開発室長をしています。昨日はマルウェアのおかげでひどい事になったそうですね。こちらの子ですか?」

 おい良いのかよ先輩、身分明かして。 アリスは改造機だから、あまりメーカーの人間が直接タッチすべきじゃないんだけどなぁ。

「は、はぁ。そうです。あの、ギブソンの和倉さんって、もしかしてAIジャーナルとかに記事やコラムを書いてる、あの和倉さんですか?」
「えぇそうですが、僕のコラムを読んでいただいてるんですか? あれ、本来業界紙だから一般の人にはあまり縁のないオンラインペーパーなんですけどね」
「ロボットマニアであれを読んでいない奴は少ないですよ。修善寺さんって結構スゴイ人と繋がりがあるんですね、意外です」

 ちぇ、誉められた気がしねぇよ。まぁ、こんな場末の修理屋が大メーカーの開発室長と面識があるとは思わんだろうしな。そもそもこの人、俺のことをマニア上がりだと思ってるフシもあるし。

「修善寺は僕の後輩社員だったんですよ。物凄く有能で滅茶苦茶に生意気な」

 あーやっぱり根に持ってたか。

「和倉せんぱーい、俺、もう反省してるんですから勘弁してくださいよ。アレは若気の至りなんスよー」
「ふぅん、まぁその話は後でしようか。とりあえず、こっちの子を見てみたいんだ。宜しいですかね、えぇと…… 綱島さんですよね?」
「はい、こんな有名な研究者の人に診てもらえて嬉しいです。アリスちゃんをよろしくお願いします」

 何だよ、俺とは随分反応が違うじゃねぇか。まぁ、和倉先輩は一般マスコミにもたまに名前が出るくらいの気鋭のAI研究者だし、俺なんかとは扱いが違ってもしょうがねぇけどな。しかし先輩、ホントにせっかちだな、もう問診始めてるよ。

「おーい修善寺。悪いけどAIデバッガ貸してくれよ。聡華も手伝ってくれ」
「いいッスよ。ちょっと待っててくださいよ、すぐ出しますから」
「私は何を手伝えばいいのかしら?」
「聡華はインタビューをしてくれないかな。俺がデバッガで反応をトレースするから。修禅寺さぁ、お前んとこのAIデバッガはオンラインタイプか? データを俺のラボのホストにある個人ドメインに吐き出したいんだけどな」
「オンラインで使えますよ。ウチのはギブソンの認証下にある機械だから、先輩の個人ドメインなら問題ないと思うけど、ギブソン側のゲートキーパーに蹴飛ばされる可能性があるんじゃないスか。あと、こいつは指紋と網膜・虹彩認証しか付いていないタイプですけど、それでギブソンのゲートキーパーは納得しましたっけ?」
「あぁ、大丈夫だろ。お前のところのファイアウォールは大丈夫なのか?」
「万一詰まったら俺の権限でポートこじあけますから大丈夫ッス。あと、綱島さんに確認と証文とって下さいよ。個人情報保護法ってものがあるんスから」
「ハハハ、わかってるって」

 絶対忘れてたな。ラボに長いとこうなる人が多いんだよなぁ。さて、AIデバッガとアンビリカルはと……

「はい主任。機械持ってきたよ」
「お、ナミ、気がきくなー」

 そう言って頭を撫でてやる。なんか犬っぽいよな、こいつ。
 さて道具はとりあえずこれだけだし、結線してあとは任せるか。綱島さんはアリスの特権ユーザー登録を修理屋の俺には許してくれないので、操作特権を取るまでの認証がいつも面倒くさいんだよなぁ。

「綱島さん、本人認証と操作特権の委譲手続きをお願いしますよ」
「はぁ、わかりました」

 嫌そうな顔すんじゃねぇよ、タコ。

「和倉先輩、特権移譲の手続きが必要ですからね。お願いしますよ」
「面倒臭いからメーカーコードでオーバーライド……」
「勘弁してくださいよ、ここギブソンのラボじゃないんスから。却ってそのほうが面倒臭いッス」
「そうかぁ、しゃーないか」

 まーったくせっかちなんだよなぁ。でも、何かこんなやり取りがすごく懐かしいな。おうおう、特権を取るが早いかもう結線してチェックを始めてるよ。まぁ、ここは任せて茶でも入れてこようかな。

「ナミ、給湯室でお茶でも入れよう。おいで」
「はーい」

 給湯室で紅茶を淹れていると、ナミが俺に怪訝そうに話しかけてくる。

「主任、アリスちゃんが今日はおとなしいけどどうしたのかな? いつもいっぱいお喋りするのに、今日はずっと黙ってるよ?」
「あぁ、アリスは病気になっちゃたんだ。治るまでしばらくはあまり話はできないだろうな」
「ナミはアリスちゃんとお話しちゃいけないの?」
「そんな事はないぞ。今日は和倉先輩と松崎さんが診ているから話はできないけど、これから時々店に来るから、その時には話をしてもいいからな。アリスは病気になって昔のことを忘れかけているから、ナミもアリスに色々な昔のことを思い出させてやってくれ」
「はい主任。アリスちゃん早く良くなるといいね」
「あぁ、時間はかかるが良くなるよ。元に戻るまで一年くらいはかかるかも知れないな。だから、ナミものんびり相手をしてやってくれ」
「はーい」

 茶を入れて戻ってくると、松崎さんたちはまだまだ時間がかかりそうな感じだ。綱島さんに茶を勧めてから処置室の二人にも声をかける。

「ここにお茶入れて置いときますから、適当に飲んでって下さい。まだ、時間はかかりそうですか?」
「もうちょいだな。毎日データーが取れるといいんだが、そうもいかないだろうから、なるべくまとめてデーター取っときたいんだ」
「ありがとう、修善寺君。あまり遅くならないようにするから安心して。あと十五分以内で終わらせるつもりよ」
「聡華さ、もうちょっと出来ないかな? ギブソンのラボだと、なかなかこういうデーターって取れないじゃないか」
「駄目ですよ、お客さんは研究のためじゃなくて、治療のためにアリスちゃんをここに連れてきてるんですから。あんまり待たせちゃ気の毒です」
「そうかぁ、まぁそうだよなぁ。じゃ、もうちょっとだけやって終わりにしよう」

 へぇ、和倉先輩、結構素直に松崎さんの言うことを聞くな。やっぱり惚れた弱みなのかな。

「じゃぁ、綱島さんにはもうちょいで終わるって言っときますよ。あと15分ですね?」
「あぁ、そう伝えてくれ」

 俺は応接に座っている綱島さんに、あと少しで処置が終わることを伝え、昨日今日の状況だけ確認する。

「あれから、アリスの状況に変わったことは?」
「いや、コレといって特にないです。ただ料理とかも全然出来なくなってしまったので、パッチを当てたいんですけど大丈夫ですかね」
「あぁ、絶対に大丈夫じゃないのでやめて下さい。これ以上変に弄ってしまうと、取り返しの付かない事態になりますよ。俺はアリスに初期化コマンドを打ち込む羽目には絶対に陥りたくないんです。わかりますよね、バックアップがない以上は初期化コマンドというのはロボットの安楽死ですからね」

 はっきり言ってやらないと、こいつは半端な知識があるだけにとんでもないことをする可能性があるからな。キッチリ脅しておいたほうが良いだろう。

「あ…… わかりました。絶対にパッチとか入れません。でも、料理とかどうすればいいんですかね」

 何で俺がそんな相談に乗らなきゃいけねぇんだよ。俺だって料理なんて出来ねぇよ…… と思うがカウンセリング中だ、しょうがねぇ。

「アリスは料理の知識自体は覚えてるはずですから、レシピ帳替わりになってもらえば良いですよ。そうすれば自然に質問ができるし、アリス自身のリハビリテーションにもなるはずです」
「そうか、そうですね。明日からそうすることにします」

 アリスの方も終わったようだ。先輩が綱島さんに説明している。

「綱島さん、とりあえずデータを取らせて頂きました。今後もカウンセリングの時にこんな感じでデーターを取らせていただきたいんですが、ご同意頂けないでしょうか? 協力のお礼にウチのラボのエンジニアが無償でアリスちゃんのリハビリテーションに協力させて頂きますが」
「ぜひお願いします」
「研究へのご協力ありがとうございます。では今日はこれでリハビリテーションは終了ですから」

 そうして、アリスは綱島さんと一緒に帰っていった。客を見送ってから、俺は和倉先輩に話しかける。

「先輩、無償でサポートはいいんスけど、俺の取り分はどうなるんです?」
「あー、そうだな、お前がタダ働きになるなぁ。大丈夫か?」
「大丈夫な訳ないですよ。おれは雇われ店長で、社長はヤクザだって言ってるじゃないスか。思い切り減棒されますよ、俺」
「ご、ごめんなさい、修善寺君。何だか勝手にみんな決めちゃって。聖さん、ちょっとマズイわよ、これは」
「うーん、そうしたら研究予算から一部引っ張っちゃおうか。一回あたりのカウンセリング料金っていくらに設定してんだ? この店では」
「定価はないですけど、まぁ、拘束時間×時給に利益七掛けって所ッスね」
「そうすると、大体一回五六千円くらいか?」
「そんなに取れませんよ。二三千円ッスね」
「お前、そんなに安い時給で働いてるのか……」
「まぁ、しょうがないッスよ。こんな町工場みたいな零細企業じゃ毎月給料が出るだけでも感謝しないとね」
「そんなに安いんなら研究費で楽に捻出できるから、研究協力費とか適当にでっちあげて、この店に業務発注したことにしとくよ。それならいいだろ、聡華」

 俺じゃなくて松崎さんに聞くのかよ。こりゃ相当彼女に参ってるな。無理もねぇけど。

「私じゃなくて、修善寺君に聞かなきゃ駄目ですよ。で、大丈夫かしら? 修善寺君」
「あぁ、それなら全然問題ないよ。社長も取引先に大企業の名前を出せるから喜んで…… あ、マズイな、ウチはフロント企業だからギブソンが直接ウチと取引すると一発で警察に目をつけられるよ。止めた方がいいよ」
「そうかぁ…… それじゃさ、お前個人に発注するよ。それでお前から会社に入金すればいいだろ。施設使用料とかの名目つけてさ」
「そうですねぇ、それなら大丈夫かな。社長も金さえ取りっぱぐれなきゃ、細かいことは言わないし」
「じゃぁそうしよう。月曜日に契約書とか送らせるよ」
「わかりました。お願いします。それで、これからどうします?飯食ってから帰るんならおごりますよ」
「いや、押しかけた立場もあるし、俺が払うよ。お前は店だけ紹介しろよ」
「いや、今日のカウンセリングもやってもらっちゃったし、そういう訳には……」
「何いってんだよ。大体俺の方が先輩なのに、後輩のお前に奢られる訳にはいかないだろう。聡華もいるんだしな。大体お前、昔から生意気すぎるんだよ。素直に奢られろよ」

 ちぇ、相変わらず頑固だよな。まぁでも先輩の立場上、婚約者がいるのに奢られるわけにはいかないか。

「いつも奢らせてすいませんね。でも、いっつもこれで揉めてませんでしたっけ。どっちが奢る奢らないで」
「そうだな。如何にお前が昔から俺の言うことを聞かなかったかということだな」

 そりゃ、そっくりお返ししますよ……

「はいはい。じゃ、松崎さんさ、昨日の店でいいかな」
「えぇ、あそこは雰囲気がいいし、料理も美味しかったものね」
「おう、そしたらそこにしよう。早く片付けて行こうぜ。腹減っちゃったよ」

 店を戸締りして駐車場まで。夜には駐車場まではちょっと緊張するんだが、人数が多いと何となく心強い。そして車二台で昨日の料理屋に行き、結局俺と先輩の二人で大酒飲んで騒ぎまくったおかげで、松崎さんがお店の主人に平謝りし、俺と先輩は松崎さんに平謝りだった。それでお別れとなり、先輩達は車で帰っていった。先輩の車はフルオートマチック車なんで、ドライバーが泥酔してても勝手に走るが、俺の車、いや店の車だが-- はセミオート車でそうは行かないから、また運転代行を頼んだ。二日連続って言うのも問題あるよなぁ。
 しかし、先輩たち一緒に帰ったってことは、家であんなことやこんなことをするんだろうなぁ、と思ったら悔しくて羨ましくてたまらない。でも、あれだけ飲ませたんだから和倉先輩もさすがに今晩は使い物にならんよな。うんそうそう、そうに違いない。

 そして、ベッドの中でなぜか珊瑚のことが思い出され、もしかしてアイツも今頃は彼氏とよろしくやってるのかな? と、ふと考える。そう考えたら、体中の血が急に冷え、胸の中に喉元まで鉛を一杯に詰め込まれたような気分になる。でも、アイツのことを俺がウジウジ考えてもな…… 寝よう。

第十六章: 再会

「主任、お客さんが来ないね」

 ナミが退屈そうに俺に言う。確かにここ二三日は客が絶えて売上がない。俺がこのいかがわしいロボット修理店に潜り込んで二ヶ月弱。だんだん勝手も分かってきたが、今までの会社とは全然習慣や常識の違う世界で、戸惑うこともまだまだ多い。今までは自社グループの風俗店を主な相手にやってきたが、これからは一般客もどんどん取り込もうとしているのだと社長は言っていたが、元々違法業務主体の店だし、派手に広告をしたりすればすぐに警察に睨まれるからまともに広告も出来ないわけで、一般客なんてほとんどいないというのが実際の所だ。

「もう少ししたら妙さんがお店の子を連れてくるからな。それまでは退屈だけど我慢してくれ。妙さんが来るまで倉庫の片付けでもしようか」
「はーい主任」

 ナミと一緒に得体のしれない中古パーツだらけの、ほとんどゴミ溜めみたいな倉庫を片付ける。もう一月以上も少しづつ片付けてるのだが全然先が見えない。小さな倉庫なんだがな。そうしているうちに妙さんが店のロボットを二人連れてきた。妙さんは毛糸の帽子を被って厚手のコートを着ている。今日は良く晴れて日差しは暖かいが風は刺すように冷たいからな。

「主任さん、こんにちは。時雨と若葉を連れてきたわよ。健康診断をお願いね」
「あぁ、お待ちしてました。えぇとどっちが時雨で、どっちが若葉ですか?」
「ポニーテールの子が時雨で、ショートの子が若葉よ」

 それぞれ、俺に挨拶する。

「時雨です。よろしくお願いします」
「私は若葉です。健康診断をお願いします」
「修善寺だ。よろしくな。こっちがナミ。俺の助手をしてるロボットだ」
「ナミです。時雨ちゃんと若葉ちゃんだね。よろしくね」
「よろしくお願いします。ナミさん」

 ロボット二人がそろってナミに挨拶する。ちょっとハモってて面白い。

「それじゃ妙さん、二人をお預かりします。検査だけで処置まで必要なければ夕方過ぎには余裕を持って終わりますから、その時には電話しますんでお迎えをお願いします。もし遅くなるようなら別途連絡しますよ」
「わかったわ。じゃ、二人をお願いしますね。そうだ、ちょっと気になったんだけど、私たちが来た時に女の子が店の中を窺ってる感じだったのね。主任さんに心当たりはある?」
「いや、これといって特にないですけどねぇ。どんな子でした?」
「とっても綺麗な娘だったわよ。すらっと背が高くてね、ネイビーブルーのコートを着てたわ」
「美人ですかぁ? それじゃますます縁がないなぁ」
「そう、すぐ行っちゃったし、ちょっと気になって覗いただけなのかもね。でも、このあたりは女の子の一人歩きは勧められない場所だし、ちょっと心配ね」
「ですねぇ、俺も随分慣れましたけど、さすがに夜中は怖いですもんね」
「それじゃ、私はこれで行くわね」
「気をつけて」

 さて、この二人の検査を始めようか。千陽はひどい事になってたし、この子たちも大丈夫なのかどうか心配なところだ。
 とりあえず検査は問診から入り自覚できる異常がないことを確認する。特に二人共自覚症状はないようだ。時雨、若葉の順にアンビリカルを接続し、モニタ装置でログのチェックをするが、こちらにも特に異常信号の記録はない。リビドーパッチも非公式にだが安全性が確認されているバージョンが当たっているので、そちらの問題もないようだ。リビドーパッチ周りの変数設定が非常識な値だったので、少し修正する。俺の前の担当者は超高感度の女の子がお好みだったようだ。よっぽどのクイックシューターだったらしい。まぁ、俺もどれくらいが適当かは経験がないから全然わからないので、デフォルトに戻しただけなんだけど。

「時雨、口をアーンって開けてくれ」

 口腔内検査終了。異常なし。若葉も大丈夫だ。

「それじゃ時雨、躯体の外観チェックをするから、服を脱いでくれ。ちょっと恥ずかしいだろうが、下着を含めて全部だ。若葉は全部脱いだら代わりにそこの白衣を羽織って待っててくれ」

 検査前に流しで肘から先をきれいに洗ってラテックスグローブをする。それから処置室に戻り、特殊アッシー周りの接合面を中心にチェックする。千陽ほど悲惨ではなかったが、やはり二人とも雑な接合であんまりな仕上がりだ。ロボットと言ったって女の子なんだぞ、マニア崩れのど素人がハンダ付けみたいな接合しやがって…… と、憤りながらチェックを進める。体表の知覚検査はクリアだったのでナーブラインは大丈夫、外観の修正だけで済みそうだ。ま、美容整形だな。明日にでもまた来てもらってきれいにしてやろう。

「ナミ、膣鏡と双眼ルーペを出しといてくれ」
「はーい、主任」

 さて、今回の検査の本番だ。どうか異常がありませんように。俺は軽く深呼吸する。ロボットが相手とは言え、女の子の大事な処を触るわけだしな。ナミが道具を持ってきながら俺に言う。

「お客さんが来てるみたいだから、玄関に行ってみるね。いいでしょ? 主任」
「ん? 誰だろうな。まぁいいや、見てきてくれ」

 そう言って、ナミを見に行かせてから、俺は時雨に指示を出す。

「時雨は大事なところの検査をするから、診察台の上に横になってくれ。仰向けにな。」
「はい」

 さて、ルーペを掛けて検査をしようと思ったら、ナミがでかい声で騒いでいる。気になるので見に行くことにする。

「どうしたナミ、何を大騒ぎして…… あれ?」
「珊ちゃんだぁ。ナミに会いに来てくれたんだね」

 ナミが若い女性にしがみついて騒いでいる。俺がよく知っている女性だ。何だかバツの悪そうな顔で俺を見ている。

「あ、あの湯布院さん、良くここがわかったね。親には口止めしといたんだけどな。おいおいナミ、あんまりそうしがみつくな、湯布院さんが困ってるだろ」
「だめぇ、手を離すと珊ちゃんが逃げちゃうよぉ」
「いや、逃げやしないから手を離しなさい、命令だ」

 ナミがしぶしぶ抱えている腕を離すと、そのまま湯布院さんの左手を自分の両手で握って湯布院さんを上目遣いで見ている。全くこいつは……

「大丈夫よ、Anna。私はあなたと修善寺さんに会いに来たんだから、逃げたりしないわ」

 さっきまでのバツの悪そうな表情は消えている。俺に会いに来たって言うけど何の用事なんだろう。

「それじゃ、玄関先じゃ何だし店へ入ってよ。ここじゃ風が冷たいや」
「すいません。それじゃ失礼します」
「あのね、私はいまはAnnaじゃなくてナミなんだよ。主任のうちの子になったから、名前が変わったの。本当は『みなみ』なんだけど、みんなナミって呼ぶからナミになったの」
「あら、そうだったの。ごめんなさい。じゃ、これからはナミちゃんて呼ぶね」

 ナミと手を繋いだまま湯布院さんが店に入る。中に入って安心したのか、ようやくナミが繋いだ手を離す。

「ちょっと悪いんだけど、作業の途中なんだ。キリのいいところまで進めてしまうので、ちょっとだけ待っててもらえるかな。ナミはお茶を入れてくれないか」
「はい、主任」

 湯布院さんが俺とナミを半々に見ながら言う。

「手持ち無沙汰だから、ナミちゃんをお手伝いします。いいですよね?」
「あ、うん、お願いできるかな」
「珊ちゃん、こっちだよ」

 ナミが給湯室に湯布院さんを案内する間に、おれは処置室に入り作業の続きをする。若葉は手持ち無沙汰だったのだろう、座ったまま待機モードに入っている。一方時雨は診察台の上で裸でバスタオル一枚を掛けただけの状態だ。

「時雨、スマンが白衣を羽織って診察台の上で腰掛けて待っててくれ。客が来たのでしばらく応対しなきゃならないんだ」
「はい、わかりました。お待ちします」

 それから妙さんに連絡し、少し検査に時間がかかることを伝える。そして二人を処置室に待たせたまま、応接に戻るともう紅茶が入っている。

「済まないね、お客さんにお茶を淹れさせちゃって。これじゃ、立場が逆だよね」
「いいえ、いいんです。ナミちゃんとお話したかったし」
「今日はまたどうしてこんなところへ? わかってるかどうか知らないけど、ここは女性がひとりで歩いていいような場所じゃないよ」
「そうですね。あちこちで危なそうな人に声をかけられて怖かったです」

 そうだろうな。こんな美人がここらへんを歩いたら掃き溜めに鶴で、あまりにも目立ちすぎるよな。でも、何もなくて良かったよ。

「どうやってここを? ウチの親父が喋ったの?」
「はい、うちの父が死にかけて『死ぬ前に弟子に会いたい』って言ってると嘘を言って、修善寺さんのお父様に教えてもらいました」

 クソ親父め、見え見えの嘘じゃないか。あっさり騙されやがって。

「あはは、家の親父もヤキが回ったなぁ。本当は先生は元気なんでしょ」
「さぁ、私もずっと会っていませんからよくわかりません。時々メッセージは届くので、元気なんだと思います」
「あ…… そ、そうなんだ。俺も先生には不義理してずっと連絡取ってないから、気にはなってるんだけど、もう俺、先生とお話できる様な立場じゃないしね。でも、メッセージが入ってるんだから大丈夫だよね」
「はい、多分」

 ううん、まだ先生と喧嘩してるのか。湯布院さんにしてみれば無理もないんだけど、先生は辛いだろうなぁ。話題を変えようか。

「えぇと、湯布院さんはギブソンの営業部に再配属になったんだよね。仕事はどう? 大変でしょ」
「いえ、仕事なんて何もしてませんから。今も本来は勤務時間ですけれど、こうしてサボっていますし」
「はは…… まぁ営業さんは売上が全てだしね。営業成績さえ上がってれば、時間をどう使おうが関係ないし」
「私、配属が決まってから今まで、ずっと販売ノルマを下回り続けてるんですよ。このままだと来期は減給するって言われました。本来なら解雇だが父に免じてそれだけは許してやるって、嘲るように言われて」

 うぅ…… どうフォローすればいいんだよ。

「まぁ、全然畑違いの所に行かされちゃったからね。最初のうちはしょうがないよ。ほ、ほらそれにさ、ピグマリオンでも畑違いのメカトロに来させられちゃったけど、すぐに慣れてすごい成果出してみんなをびっくりさせてたじゃない。湯布院さんはすごく有能だし努力家だから、きっと大丈夫だよ」
「メカトロの時も分野が違いすぎて苦労しましたけど、営業なんてエンジニアでさえないですからね。あまりにも世界が違うんで努力する気もあまりおきないです」

 あうぅ…… 俺はどうすればいいんだよう。愚痴りに来たのかな? この子。

「珊ちゃん元気ないね。お仕事が大変なの?」

 おぉ、ナミ。えらいぞ。フォローしてくれぇ。

「うん、ちょっと疲れちゃったな。それでナミちゃんの顔を見に来たんだよ」
「元気でた?」
「うん、ちょっと元気でたよ」

 あは、この子の笑顔見るの久しぶり、そう、本当に久しぶりだな。記憶の中でもうっすら滲んで、もう忘れかけてたよ。

「修善寺さん……」

 ん? 何だろう、俺の方を見てるけど、また睨まれてる…… わけじゃないな。

「どうして私を責めないんですか?」
「どうしてって? いや、責める理由がないし。何でまた……」
「だって、私たちはみんなギブソンに再雇用されたのに、あの運動に巻き込まれた先輩だけが解雇されて、こんな半分スラムみたいな場所で働く羽目になって。私にこんなこと言う資格ないけど、おかしいじゃないですか」

 この子には理由を言えないんだよな。どうやってごまかそうかな。賢い子だからなぁ。

「うーん、ギブソンが俺を解雇したのは、メカトロ屋が要らないという判断と会社にとっての危険人物という判断の二つがあるだろうと思うんだよ。実際、メカトログループで残った人って湯布院さんぐらいで、あとはほとんど芙蓉さんとかへ転職を斡旋されたじゃない。俺はあの抗議運動で一番口汚く会社の執行部を罵ってたし、あの運動の中心人物の中では俺だけが役職者で湯布院さんたちは一般社員だったわけだから、俺だけが解雇されたというのも仕方のないところだと思うよ」
「理屈はそうかも知れないけど、おかしいじゃないですか。巻き込まれた人が一番ひどい目にあって、巻き込んだ側が無傷なんて」

 いや、そうなるように動いたからなんで、いわば俺のせいでそうなってるんだけど、どうやって誤魔化そうかな。

「あのさ、確かに最初の動きは君たちが創りだしたものだけど、それに乗っかって派手に暴れたのは俺の自由意志なんだしさ。そんなに気にする必要はないって。巻き込まれたって言うけど、俺としてはそういう自覚ないしさ。それと、ここに仕事場が決まるまでは確かに結構苦労したけど、ここで働き始めてからは結構充実した生活だと思ってるしね」
「このお店ではどんな仕事をしてるんですか?」
「そうだね。名前の通り『ロボットのお医者さん』だよ。実際上、女性型のコンパニオンロボット専門だから婦人科かな。今も処置室で二人待たせて……」

 っていけねェ、いくら何でも待たせすぎだ。

「あのさ湯布院さん、悪いんだけど、ちょっと急ぎの検査をしないといけないので、今日はこれくらいでいいかな。店は暦通り開いてるし、大抵は暇だからいつ来てくれても大丈夫だからさ」
「すいません、忙しい時にお邪魔して」
「いいって、気にしないでよ。久しぶりに話ができて楽しかったよ」
「あの、邪魔はしませんから、仕事を見せてもらっていいですか。差支えがあれば引き上げますけど」

 どうしようかな。まぁ女性だし大丈夫かな。

「うん、構わないけど。じゃ、隣の部屋でやるから。ナミと一緒に見ててくれるかな」
「ありがとうございます。じゃ、ナミちゃん案内してくれる?」
「はーい、こっちの部屋だよ」

 ナミはまだ湯布院さんが帰らないと知って喜んでいる。さて、急いで検査再開だ。

「時雨、待たせて済まなかったな。これから検査再開だ。ちょっと恥ずかしい格好だけど、我慢してくれよ」
「はい、大丈夫です」

 まず、時雨から検査中の俺の姿が見えないように専用の衝立を置く。それからルーペを掛けて無影燈を調節し、微妙な部分の検査に入る。この部分の人工粘膜に傷が入ると内部の防水が破れて躯体内部に腐食が起こる可能性があることと、それより重大な問題として漏電を起こして客の大事な部分を丸焼きにしてしまう可能性があるからだ。もちろんそれが起こればロボット側もただでは済まない。万一ナーブライン経由でAIユニットまで漏電の被害が及べば、最悪の場合ロボットは即死だ。とりあえず、ルーペと膣鏡を使った目視検査では異常はない。

「時雨、触診するぞ。ちょっとの間だからな。ナミ、ルブリケーターを」
「はい主任」

 ルーブを受け取り少量を人差指と中指にとって潤滑し、内部を数秒間触診する。特に異常はないようだ。

「よし、おしまい。お疲れ様だったな。ナミ、時雨に服を持ってきてあげてくれ」
「はーい」

 時雨が服を受け取りながら不思議そうに俺に聞く。

「もうおしまいですか?」
「ん? あぁ、どこにも異常はなかったぞ。ただお腹の傷跡が目立つから、これは明日手当しよう。ほとんど見えなくなるまできれいに直してやるからな」
「ありがとうございます。前のお医者様は私の中をずっと指で調べたのに、主任さんはすぐに終わったから不思議に思ってお聞きしました」

 触診にたっぷり時間を掛けたわけか…… 早漏のゲス野郎が。

「あぁ、触診は普通数秒で終わるものなんだ。膣内なんて狭いものなんだし。前の医者は腕が悪かったから時間がかかったんだろう」

 お前は慰み物にされたんだとは言えないよな。いくら体を売ってる子だからってな。

「主任、どうしたの? 怖い顔をしてるよ」

 ナミが心配そうに俺の顔をみて話しかけてくる。いけねぇいけねぇ、こいつ本当に人の表情をよく読むんだよな。

「あはは、そうかぁ? さて、時雨は服着たな。じゃ若葉お待たせ、お前の番だぞ」

 さっさと終わらせないとな。妙さんも連絡を待ってるだろうしな。
 俺は気分を切り替え、若葉の検査も速やかに終わらせた。異常なし、健康体だ。

「じゃぁナミ、妙さんに電話してくれ。終わったから迎えに来てくれって」
「はーい」
「修善寺さん、ちょっと聞いていいですか?」

 湯布院さんがちょっと暗い顔で俺に話しかけてくる。

「こちらの子、二人共違法改造を受けてますよね。それに今の検査は特殊アッシーが対象でしたし。もしかして……」
「あぁ、二人とも風俗で働いてる子だよ。酷使される部分だからまめに検査してあげないとね」

 俺は努めて事も無げに言う。本当はまだ慣れているとは言えない。一年半前のナミをどうしても思い出すからだ。

「修善寺さんは平気なんですか、こういう仕事」
「あぁ慣れたよ。慣れたと思う。仕事だからね」
「そういうお店なんですね、ここ」
「あぁ。俺がここで診ているのはほぼ例外なくこの手の子たちだからね。だから俺は彼女達が、せめて日々を恙無く過ごせるように、出来る限りのことをしてやるのが今の仕事なんだと思ってるんだ」
「そうですか…… それじゃ、私はこれで帰ります。忙しい時に邪魔をしてしまってすいませんでした」
「いや、気にしないでよ。ちょっとびっくりしたけど、久しぶりに会えて楽しかった」

 ナミはべそをかきそうになっている。

「珊ちゃんもう帰っちゃうの? ナミ寂しいよ。もう少し一緒にいられないの?」
「ごめんね、ナミちゃん。もう遅いから私は家に帰らないと。また、遊びに来るからね」
「いつ来てくれるの? 明日は?」
「そうね、お仕事があるから毎日は来れないけど、なるべく会いに来るからね。それでいいでしょ」

 ナミは湯布院さんにしがみついてぐずっている。外見こそ18歳程度に作ってあるが、中身はまだ子供なのだ。

「ほらナミ、また来てくれるって言ってるだろ。あんまりぐずって困らせちゃダメだぞ」

 湯布院さんはしがみつかれたまま、ナミの頭を撫でてやっている。

「湯布院さん、タクシー呼ぶからちょっと待ってて。本当は車で駅まで送っていきたいけど、この二人を迎えに来る人がいるから、ちょっと出るわけにはいかないんでね」
「いえ、歩いて帰れる距離ですから……」
「絶対だめだよ。昼間ここに来るときにも怖い思いしたでしょ。もう日が暮れてるんだから、女性の一人歩きなんて気違い沙汰だよ」
「そうですね。忘れてました。タクシーをお願いします」

 さて、ナミをひっぱがさないとな。

「ナミ、タクシーを呼んでくれ」
「いやぁ! そうしたら珊ちゃん帰っちゃうもん」
「命令だよ。すぐにタクシーを呼びなさい」
「はい……」

 さすがに命令には逆らえない。ナミはしゃくりあげながら湯布院さんから離れて電話をかけに行く。

「却ってナミちゃんにはかわいそうなことをしてしまったかも知れませんね」
「いや、そんな事はないよ。しばらくして気持ちが落ち着けば、湯布院さんが来るのを楽しみにして過ごすと思うよ」
「…… また来てもいいんですか?」
「僕は歓迎するよ。ナミがとても喜ぶだろうから」

 本当は湯布院先生や湯布院さん自身に不利なことがあるのかも知れなかったけど、俺には『もう来ない方が良い』と言うことが出来なかった。やがてタクシーが来て彼女は帰って行った。ナミは最後までぐずっていた。

第十七章: お披露目会

「主任、起きてよ。早く起きないと遅刻しちゃうよ」

 ナミがさっきからずっと俺を揺すっている。飲み過ぎたわけでも…… 無いことはないが、今朝は非常に寝覚めが爽やかではない。今日は別府博士の家に珊瑚や和倉先輩たちと一緒に呼ばれているんだが、昨日の晩から憂鬱で寝られずに、仕方なく寝酒を飲んでいて気がつけばもう明け方近くになっていて、ようやくそこで眠くなったのだ。

「主任、起きてよ。あと待ち合わせまで一時間しかないんだよ」
「うん……」
「ダメだよ、早く起きてよ。遅れちゃうよ。もう九時半なんだよ」
「うん……」
「起きてよぅ。もう朝ごはん食べる時間もないんだよ」
「うん……」
「もぅ…… やっぱりエッチなサービスをしないとダメなの?」
「うん……」
「わかった……」

 やっとおとなしくなった。あと少ししたら起きるから、もうちょっとだけ寝かせてくれ…… ん?何か頬がくすぐったいな?

「主任、起きてぇ」

 いや、もうちょっとだけ…… 何だよ、毛布はぎやがったな。でも、寒くないからまだ寝れるぞ。ってあれ? 何か暖かいのが隣にくっついてるな。んん? なんか耳がくすぐったいぞ、左肩にもなんかすべすべで柔らかくて暖かいものが触れて……

「ねぇ主任、お願ぁい起きてぇ」

 何だよ変な猫撫で声出して、子供のくせに…… と思いながら眠い目をこじ開けると、ナミの顔が目の前にある。視線を下にずらすと一糸纏わぬ裸体だ。

「うわあっ! なんでそんな格好してるんだぁっ、エッチなサービスはダメだって言っただろう!」

 眠気が一瞬で蒸発し、俺は慌ててベッド脇に寄せられていた毛布をひったぐってナミに頭からかぶせる。

「今さっきしてもいいって、主任が自分で言ったもん」

 畜生、さっきの生返事かあっ。あぁもう、妙さん、一体何をどこまで教えたんだよぉ!

「わかったから、早く服を着ろ。目は覚めたからすぐ支度して出るぞ」
「やっぱり、妙さんの言うことは正しかったんだね。すぐ目が覚めたでしょ」
「違うぅっ! どうでもいいから早く服着ろ。俺はシャワー浴びてくるからな。出てくるまでに支度しとけよ」
「はーい。お背中もお流ししましょうか?」
「いらねぇっ! さっさと服を着るのっ!」

 あぁもう、妙さん恨みますよ。恨みます恨みます恨みますっ!

 そして『エッチなサービス』で完膚なきまでに叩き起された俺が、シャワーを浴びて身繕いを終えると、ナミはもう玄関から俺を呼んでいる。

「主任、もう十時だよ、遅れちゃうよ。早く出ようよ」
「わかったよ。そう急かすな」

 タクシーを呼んで駅まで行き、待ち合わせの別の駅まで移動する。遅刻しそうなので珊瑚に連絡を入れる。

「珊瑚か? 修善寺だけど、ちょっと遅れそうだ。和倉先輩に10分くらい遅れるって伝えてくれないか?」
「ゴメン、先輩。私も10分遅刻になりそう。直接和倉室長に連絡して。アドレスは知ってるでしょ」
「あぁ、教えてもらった。じゃ、これから連絡するよ」

 そう言うと通話は切れ、俺は和倉先輩にすぐ連絡する。

「すいません、修善寺です。遅れます、10分くらい」
「お前また遅刻? ピグマリオンの頃から遅刻の王者だったよな、お前」
「先輩だってヒラ社員の頃は遅刻の帝王って言われてたじゃないですか」
「まぁいいや、その話は。そう言えば珊瑚ちゃんもちょっと遅れるって連絡くれたみたいだぞ。もしかして昨日から一緒じゃないだろうな、お前ら」
「違いますよ。だったらバラバラに連絡しませんって。それにアイツには彼氏がいるんですから」
「はぁ? まぁいいやその話も後で。チンタラしないでさっさと来いよ」
「あい……」

 と、そんな話をしているうちに電車が音無く滑りこんできた。しばらく電車に乗って、目的の駅で降りるともう珊瑚たちは改札出口で待っている。

「ナミ、あっちだ。急ぐぞ」
「うん。珊ちゃんがいるね」

 珊瑚たちと合流して、別府博士宅までは和倉先輩の車で行く。人数が多いから今日も自慢のHONDAでは無くワゴンだ。前席に和倉先輩と松崎さん、中列席に俺、後席にナミと珊瑚が座る。

「珊瑚ちゃん久しぶりだなぁ。営業でもすごい成績だよね」
「和倉室長もお久しぶりです」
「修善寺君、目が赤いけど大丈夫? 寝不足じゃないの」

 松崎さんが俺を見て、ちょっと心配してくれる。

「あはは、いや実は二時間ぐらいしか寝てなくてねー」
「朝も全然起きなかったんだよ。それでナミがね……」
「こ、こら、それは言わなくていいから」

 和倉先輩が割り込んでくる。

「何だよ、何か気になるな。ナミちゃんさ、朝どうしたの?」
「主任が全然起きないから、エッチなサービスを……」
「だから、言わんでいいって…… 和倉先輩、いいから前にて運転して下さいよ」

 そう言って珊瑚の方をちらっと見ると…… やっぱり怒ってるじゃないか。どうすんだよ和倉先輩!

「先輩、エッチなサービスって何かしら。ナミちゃんに一体何させたの?」

 ほらほらほら怒ってるじゃないか。なんか怒りのオーラが見える様だぞ。どうしてくれんだよ。

「い、いやそのな、妙さんがな……」
「妙さんは関係ないでしょ。先輩がナミちゃんに何をしたかを聞いてるの、私は」
「あのね、お洋服全部脱いでハダカになってね、ほっぺにチューしてね、耳にフーってしたの」

 ナミさん…… ダメでしょ、それ言っちゃ。松崎さんまで視線が冷たくなったじゃないの。

「なるほどね、それはエッチなサービスよね……」
「待って、いやちょっと待って。俺がそれやらせたんじゃないよ。妙さんが教えたんだよ。な? そうだよな」

 俺は必死でナミに同意を求める。

「うん、そうだよ。妙さんが教えてくれたんだよ」

 やばいよ、怒りのオーラが見えるよ、なんかゆらゆらしてるのが見えるよ。

「先輩、そういうのはオーナーの権限で禁止できるよね。なんでそうしないの?」
「いや、こないだ禁止したんだよ。ちゃんと禁止したの。でも、眠くてナミに生返事してるうちに解除しちゃったみたいなんだよ」
「そうだよ。ナミがね『エッチなサービスをしないとダメなの?』って聞いたら『うん』って言ったんだよ」
「そうだったの。あのねナミちゃん、もうこれからはそういうことしちゃダメよ。わかった?」
「ダメなの? 主任はエッチなサービスは嫌いじゃないって言ったよ」
「ち、違う。それはそういう意味じゃなくて、もっと一般的な意味で言ったんだよ。ほら、俺だって男なんだからさ」

 ナミ、もう許して。これ以上ワケ分かんない方向に行くと、俺、珊瑚に何されるか……

「ナミちゃん、もし起きないときはこうするといいのよ」

 言うが早いか、拳骨で俺の頭を思い切りひっぱたきやがった。いくら女の力でも半端無く痛てぇぞ。俺は唸って頭を抱える。

「アッハッハッハ、珊瑚ちゃん、それはナミちゃんには無理だよ。三原則ってものがあるんだぜ」

 何を爆笑してるんだよ。アンタが余計な質問するからこうなったんだぞ。

「珊瑚さん、もう許してあげたら。修善寺君がこの子を慰み物にするつもりでそんな事をさせたとは、とても思えないわ。ナミちゃんもびっくりしてるわよ」

 うぅ、俺の味方は松崎さんだけかよぅ。

「珊ちゃん、私はロボットだから人を傷つけちゃいけないんだよ。だから主任をぶつのは無理だよ。暴力はいけないんだよ」
「そうね、ナミちゃんには無理よね。でも私には出来るんだからそれを忘れないでね、先輩!」
「はい、肝に銘じますぅ」

 うぅ、妙さんのバカ…… それに和倉先輩笑いすぎだろ。いつまで爆笑してるんだよ。笑ってないで前見て運転しろよ。
 そうして俺が理不尽に制裁されているうちに車は別府博士の家に到着した。ものすごい邸宅だ、絶対悪いことをして建てたに決まってる。そんな事を思いながら玄関をくぐり中に入った。出迎えは博士と秘書さん、それに西洋系女性モデルのガラテア4がひとり。和倉先輩が挨拶する。

「今日はお招きいただいてありがとうございます。少し遅刻してしまいました」
「いやいや、構わないよ。もう何人か到着しているから、応接の方へ進んでくれないか。レンズが案内するよ」

 博士の隣のガラテア4が挨拶する…… が、英語だ。綺麗な発音でゆっくり喋ってくれてるので言っている事は俺にもわかる。自分の名がレンズで、こっちが応接だからついて来てくれと言っているんだが、ナミには全くわかっていない。ピグマリオンでは英語を教える時間まで取れなかったし、俺が教えることも出来なかったからな。

「ねぇ珊ちゃん、この子はなんて言ってるの? ナミ、この子にあいさつしたいな」

 俺じゃなくて珊瑚に聞くあたり、よく分かってるな、お前。

「この子はレンズって言うのよ」

 そうして、二人を通訳してやっている。顔かたちはまるで違うけど姉妹なんだよなお前達。身内の贔屓目かもしれないけれど、ナミの方が年上のせいか人間臭い受け答えをしてると思うんだけどな。

「博士、もう一人はどうしました? レンズの妹ですけど」

 珊瑚がレンズの頭を撫でながら聞いている。二人いるのか。

「あぁ、プリズムはゴールデンの僕の自宅でお留守番さ。ジャンケンでレンズに負けちゃったからね。寂しいんだろうね、しょっちゅうビデオメッセージが入ってくるよ」

 レンズの妹は置いてきぼりかよ、かわいそうに。まぁ、向こうの連絡係なんだろうけどな。
 レンズの案内で俺達は応接間というよりはバンケットルームと言ったほうが良いようなでかい部屋に通される。舞踏会でも出来そうな大きさだ。自宅で結婚式が挙げられるなぁ、などと思いながら奥を見ると先客が二人いた。どっちも俺には煙たい人だ。一人は湯布院隼人教授、もう一人は芙蓉重工業の有馬格之進社長だ。有馬社長が声をかける

「久しぶりだね、みんな。元気だったかね」
「はい、お陰さまで。有馬社長もお元気そうで何よりです」

 和倉先輩が挨拶を返す。湯布院先生は珊瑚が気になって仕方が無いようだ。

「珊瑚、元気だったか? お前は全然連絡をよこさんから、父さんは気になってな……」
「父さん、みんないるんだから、そっちのあいさつが先でしょ」

 うわ、冷たい、それは先生に冷たすぎるだろ、珊瑚。

「あ、あぁそうだな。元気だったかプリンス。婚約したんだってな。松崎君とは飛び切りを捕まえたなぁ」
「あはは、もうご存知でしたか。今日、みんなにお披露目しようって事になってるんですよ。こいつが恥ずかしがって、ずっと内緒にしてたものですからね」

 あぁ畜生、のろけやがって。松崎さんも照れてるけど幸せそうな顔だな。

「修善寺、何だ相変わらず不景気な顔しやがって。おめえやくざ者になったんだってな、ちょっと刺青を見せてみろ」

 この親子は一体…… 何で揃って俺をヤクザにしたがるんだよ。不景気な顔で悪かったよ、ほっといてくれよ。

「先生、お久しぶりです。いきなりお言葉を返してしまって何ですけど、俺は社長に盃もらってませんからヤクザじゃないですよ。珊瑚もそうだけど、どうして俺をヤクザにしたがるんですか?」
「いや、そのほうが面白そうでな」

 親子で同じ事言うのかよ。

「勘弁してくださいよ。ぶっちゃけ俺は違法業務に手を染めてる犯罪者です。だからこんな場所に来たらみんなに迷惑がかかります。でも俺はヤクザじゃぁないんですよ」
「ロボットの違法改造でパクられるってのは、よっぽどタチが悪くなきゃ大丈夫なはずだろう」
「今まではそうでしたけど、法律が変わりましたからね。『おれらにゃ関係ないが、いずれ産業省のGメンが段階的に絞めつけにくるだろうからそのつもりでいろよ』って出入のマル暴の刑事がいつも言いますよ。うちの社長も『脅しで任意聴取に呼ばれたら、そこが潮時だろうな』と言ってますしね」
「やっぱり刑事とかが来るのか」
「週に一度は巡回に来ますよ。ほとんど茶を飲みに来てるようなもんですけどね」
「刑事にも疑われたりするのか? ヤクザになったんじゃねぇかって」
「連中はプロですから下らないことは聞きませんよ。それにどう見ても刑事連中のほうがヤクザに見えます」

 珊瑚が割って入ってくる。

「父さん、先輩、いつまでヤクザの話をしてるのよ。いい加減にしたら?」
「ああ、そうだな。別府博士も来た事だし話題を変えようか」

 ちぇ、俺だって好きで話してたんじゃねぇのにな。そう舌打ちする俺をよそに、別府博士は相変わらずマイペースに俺達に話しかけてくる。

「とりあえず、昼食会の方は全員揃いましたね。食事は今準備しているから、後一時間足らずで出てきますよ。とりあえずコーヒーを淹れたから飲んでください」

 和倉先輩が怪訝そうに博士に質問する。

「全員とおっしゃいましたが、これだけの人数ですか? それと、有馬社長がいらしているのはどう言った関係でしょうか。いえ、いらしていることに不満があるという意味ではないんですが」
「あぁ、お披露目の方は午後の2時頃からと考えているんだよ。ギブソンに残ったピグマリオン組は営業以外は全員来る予定だよ。あぁ、珊瑚君は営業部員だけど例外だよ。あくまで昼食会のメンバーがこれだけということさ。有馬君は昼食会の主賓といったらいいかな。説明は有馬君から頼むよ」

 若い時にはラガーメンだったという、恰幅の良い有馬社長がちょっと会釈して話し始める。

「回りくどいのは苦手なので、単刀直入に話をさせてもらいます。週明けの月曜日に公式発表しますが、ギブソン・サイバネティクスと芙蓉重工業は包括的な協業契約を結びます。内容はギブソンが現在持っているコンパニオンロボットに関する開発者と開発リソース、及び特許関連の権利を芙蓉へ移転することと、芙蓉が持つ産業用と軍事用ロボット技術と権利関係のギブソンへの移転です。最高度の秘匿情報なので、後から来る人達には他言無用で願います。言うまでもありませんがインサイダー情報です、月曜日の発表以降になるまでは関連する証券取引はしてはいけませんよ」

 俺みたいな怪しいのが混ざってていいのかなと思っていると、和倉先輩が質問する。

「コンパニオンロボットに関する技術移転ということですけれど、具体的にはどうなるんでしょう。開発室長の私でさえ寝耳に水の話で、かなり当惑しているんですが」

 有馬社長は先輩を一瞥して話を続ける。

「この話はお互いの経営層だけが知っている話です。ウチなら事業部長レベル、ギブソンさんは支社長以上でないと知らないはずです。湯布院先生と別府君はギブソンの取締役だから当然知っています。提携の具体的内容ですが、直接君たちに関係する部分だけお話しましょう。ギブソン日本支社のAI開発室は芙蓉に全面的に移ります。メカトロ部門はそのままです。ギブソン生え抜きの人達ばかりですからね。営業部ももちろん移動しません」

 珊瑚が不安そうに有馬社長に質問する。

「あの、そうしたら私は置いてけぼりなんでしょうか。先期もAI開発室への部門異動の依頼をしたんですけど、全然相手にされなくて」

 有馬社長の代わりに別府博士が答える。

「確かに君は今現在の営業のエースだけど、元々AI研究者として大学で訓練を受けてきたし、ピグマリオンの頃からそれは評価されていて、本来ならメカトロからAIへ部署異動の予定が入っていたんだよ。ピグマリオンがああなってしまったので、営業部なんかに飛ばされることになったのは、会社経営としては正解だったのかも知れないけれど、君個人としては不幸なことだったと思う。僕も湯布院先生もそれについては責任を感じているから、何とか君がAI開発室に異動して芙蓉さんに行けるようにしたいと思ってるんだ」
「わかりました。よろしくお願いします。私はずっとAIがやりたかったんです。母との約束でしたから」

 松崎さんが話に混ざる。

「そうだよね、珊瑚さんは翠(みどり)先生の影響でAI研究者を目指したんだものね」

 翠先生は別府博士と同門のAI研究者でメーカーには入らずに大学で研究を続けており、ピグマリオンでは湯布院先生と同じように若い社員を教えていた。湯布院先生のスパルタ式も厳しいと言われていたが翠先生の課題責めも地獄だと、ガキだった俺達はしょっちゅう言っていたものだ。その翠先生も6年前に亡くなり、その通夜の席で湯布院先生が見るのも気の毒なほどしょげかえっていたこと、愛弟子だった松崎さんが他のAI開発グループのメンバーと泣きじゃくっていたこと、珊瑚がおよそ感情の失われた顔で遺影をずっと眺めていたことを思い出す。

「しかし、何で珊瑚ちゃんがメカトロに行かされたんです? 本当に修善寺に監視させるためではないですよね?」

 和倉先輩がしなくても良い質問をする。後で俺が大変なんだから勘弁してくれよ。

「いやぁ、言いにくいんだけど、冗談で人事担当の部長に言ったら本気にされてな。後からあれは冗談だったとは言えなくてなぁ」

 先生…… マジですかそれ。俺、そのために珊瑚にずーっと蛇蝎のように嫌われたんですよ。
 すると追い討ちに有馬社長がもっとひどい事を言う。

「実は、僕や別府君も後からその話を聞いて大笑いしたんだけどね」

 さすがに珊瑚も不愉快そうな表情を隠せないようだ。

「笑い事って言うのはひどいですよ。私はずっと……」

 有馬社長は視線を珊瑚に移す。穏やかな表情だが視線は鋭く、珊瑚は気圧されて言葉が止まる。

「珊瑚さん、甘えたことを言ってはいけない。会社員が自分の希望する部署に自由に行けるなんて言うことはあり得ないんだ。人事は全て会社の都合で決定されるのが鉄則であり、それ以外の法則は無い。絶対に無いんだ。修善寺君、君は工場勤務を何年やったかね、答えたまえ」

 うわっ、いきなり俺に振られたよ。こ、答えなきゃ。

「はいっ、入社して三年間と半年です」
「君は工場勤務を目的にピグマリオンに就職したのかね」
「いえっ違います。僕はロボットの開発に憧れて就職しました」
「工場勤務は楽しかったかね。ずっとここで過ごしたいと思ったかね」
「工場勤務は大変でしたが楽しかったです。でも、一日でも早くラボに入りたいといつも思っていました」

 そうだ、『メカトロニクス開発グループへの異動を命ずる』という辞令を受け取った時、俺は嬉しくて同じようにラボ行きが決まった同期たち、松崎さん達数名と一緒に抱き合って泣いたんだった。

「そういうことだよ。最初からラボを希望してラボに入れる大卒者とは違い、ピグマリオンの背骨だった義務教育終了で採用した年少組は全員工場勤務者から選抜されている。修善寺君や松崎君は最短の三年半でラボに来れたが、普通は5年だ。どうかね、君がまっすぐAI開発グループに行けなかった事は不当かね」

 珊瑚は言葉に詰まって何も言えない。確かに有馬社長の言っていることは正論だ。でも、珊瑚がどれほどAIをやりたかったか知っている俺には、あまりにも酷な言葉に聞こえる。松崎さんも同じ思いのようだが、やはり口には出せないのだろう。すると、湯布院先生が珊瑚に話しかける。

「珊瑚、実は父さんが一年目の異動の時期に有馬社長、当時はピグマリオンを辞められて産業省の嘱託の仕事をされてたんだけど、もう一年過ぎたしAIに移動させてもらえるように人事に頼もうかなという話をしたら、今の珊瑚と同じ様に叱られたんだよ。年少組は最低三年工場で修行なのに何を甘いことを、ってね。だから、三年間メカトロで頑張ったら異動を認めてもらえるように人事や別府君と話をしたんだよ。有馬社長からは『自分の娘の配属に口を出すことがそもそも間違っています。お互いのためになりません』とはっきり言われてたんだけどね」

 まぁ、それは有馬社長の言い分がもっともだと思う。大正論だ。でも、先生が珊瑚のために人事に口をきいた気持ちもわかる。それが間違っててもだ。

「実際にはちょうど異動の時期を迎えた矢先に、会社が買収されてしまったからね。申し訳ないと思っているよ」

 別府博士が珊瑚に詫びる。珊瑚は陰った表情のまま笑っている。

「いえ、会社がああなってしまったのは私たち社員の力が足りなかったせいでもありますから。博士を責める気持ちは微塵もないんです」
「それでは、ギブソンで珊瑚さんが営業に行ったのはどのような訳でですか?」

 松崎さんが湯布院先生に向かって質問する。

「うーん、実は僕の力が及ばなくてなぁ。ギブソンでは人事は支社長マターだし、僕も別府君も本社のボードメンバーだから、あまり直接には影響力を行使できなかったんだ」

 別府博士が話を継ぐ。

「正直に言うと、旧ピグマリオンの営業出身者に、修善寺君や君たちセブンシスターズを憎むものが多くてね。それで彼らがまとまってギブソンの人事担当に影響力を行使した結果、修善寺君は指名解雇という非合理な処断をされたし、珊瑚君はAIでなく営業に行かされたんだ。AI開発グループにいた人達は、ギブソンが最も欲しがっていた人材だから、彼らにも手を出せなかったんだけれどね。僕も湯布院先生も粘っては見たんだが、ギブソンの人事担当からは単なる身内のえこ贔屓と見られたのだろうね、全く相手にしてもらえなかったよ」

 有馬社長が珊瑚に話しかける。さっきまでの体温を奪っていくような眼光は失せ、柔らかな眼差しだ。

「珊瑚さん、非常に厳しい物言いになったけれど許してもらいたい。こんな言い方になったのには理由がある。君は今でも湯布院先生とろくに言葉も交わさないで過ごしているそうだね。今までの話でわかったと思うが、それは君の理解不足で先生を不当に責めているとも言えるんだ。もちろん僕は最初に先生が余計な口を出したのが一番いけないことだと思うから、その点で君が先生を責めるのは仕方ないと思う。でもね、物事には程度というものがある。君は程度を超えて先生を責め過ぎている。許すべきは許し、謝るべきは謝って仲直りしなければいけないよ」

 珊瑚はすっかりうつむいてしまっている。叱られて泣いている子供のようだ。それを見て有馬社長はちょっと慌てた様子だ。親父さんの前だしな。

「いや、ちょっと厳しすぎたかな。僕は何をどう言っても説教になってしまうと、いつも妻から叱られるんだが」

 和倉先輩が別府博士に話しかける。

「いや、修善寺が背筋伸ばして『はいっ、僕は……』なんて言うの、有馬社長相手ぐらいですもんねぇ。こいつは他の誰が相手でも生意気な口をきくくせにね」
「先輩だってラボで有馬常務と話してたときには直立不動だったじゃないですか」
「俺は誰が相手でも丁寧に応対するけど、お前は全然違うだろ。ウチのグループ長をお前呼ばわりしてたじゃないか」
「いや、アレは若気の至りで今では反省してますよ」

 松崎さんは応援してくれると思ったんだけど……

「ふふっ、この間はお客さんを怒鳴りつけてたけど、あれは?」

 うわーん、和倉先輩の味方かよう。

「いや、あれはちょっとカッとなってね、俺が何言ってもあのタコ聞きゃしないもんだから」
「あれは仕方が無いですよ。あの時は私と松崎さんが先輩を止めましたけど、先輩があのまま我慢していたら私が怒鳴っていたと思います」

 え? 珊瑚が俺のことかばってくれるの? と思ったらカウンターが来る。

「でも、唐揚げ程度でナミちゃんを怒鳴るのは弁解の余地がないよね」

 何だよ、今度は責めるのかよ。わかんない奴だな。

「いや、それも反省してるんだよ。ちゃんとナミにも謝ったんだし。なぁ、ナミ」
「うん、もう仲直りしたんだよ。珊ちゃんも教授と仲直りしたほうがいいよ」

 ナミがやっと会話に入れたので、勢い込んで話している。別府博士も珊瑚に話しかける。

「珊瑚さん、別にここでじゃなくていいんだ。今日のパーティーが終わったら、一緒に実家に行くといいよ。親子水入らずの方が色々と話しやすいだろうしね」

 珊瑚はちらっと湯布院先生を見て、別府博士に返事をする。

「はい、そうします」

 有馬社長がまた、元の話を続ける。

「珊瑚君すまなかったね、すっかり査問会みたいになってしまって。それでは業務提携の話に戻りますが、芙蓉で今回の提携に踏み切ったのには大きな理由があります。現在の芙蓉の主力製品であるガラテア3もプロトタイプの生産から数えて19年目の生産になります。率直に言って古い製品に成りつつあり新世代の製品に置き換える必要がありますが、元々コンパニオンロボットの開発経験が薄い芙蓉社内での開発は順調ではありません。また、芙蓉の伝統的な製品である産業用および軍事用ロボットは米国製、特にレイセオン・ボーイング製に押されつつあり、国防軍でのシェアも年々落ち続けています。そこで、細々とではありましたが提携関係にあったギブソンと今回は積極的な業務交換提携を行うこととしました。御存知の通りギブソンは軍事用ロボットに特化したメーカーですので、買収したピグマリオンの持っている次世代コンパニオンロボット技術、端的に言えばガラテア4をほとんど活かすことをしないまま死蔵している状態にあります。我社のみならず同業他社も喉から手が出るほど欲しいこの技術を、芙蓉は伝統ある産業用・軍事用ロボット生産技術の譲渡、及びギブソン製軍事ロボットの販売サポートに注力することと引換に入手する事としました」

 ものすごい決断をしたものだな。これは三代続いた大工さんが楽器製造職人になるようなものだし、社内の意思統一が大変だったと思う。有馬社長は芙蓉重工の生え抜きじゃないのに、よくこんな大胆なことを実行できたよな。

「実は、これは僕が芙蓉に行く前から温めていた考えで、ピグマリオンの買収リストラの時にもここぞとばかりに人材回収をかけました。ピグマリオンが放出した社員のうち、恐らく技術系では7割以上は芙蓉に来てもらっているはずです。ただ、どうしても拾えなかった人材が一人いました。修善寺君、君です」

 その話は親父から聞いた。芙蓉重工の社員と名乗る人物がスカウトに来たという話だ。3回ほど来たようだが、その話を聞いたときには俺はもう今の店に勤め始めていてそれなりの充実感を感じだしていた頃だったから、もうそれきりになっていたのだ。母がその事で親父に喰ってかかって大喧嘩になった話も聞いた。それはそうだろう、それは本当に芙蓉の社員だったのだから、ちゃんと会っていれば俺はヤクザの店の店員じゃなくて一流企業の社員になっていたんだろうから。でも、俺は芙蓉の社員を煙に巻いて追い返してくれた親父に感謝している。

「修善寺君、君は不法改造を手掛ける類のロボット修理店で働いていると言ったね。そして店の将来があまり明るくないことも匂わせていた。ならばどうだろう、またロボット開発の先端に戻ってきてはもらえないだろうか。この提携の結果として、芙蓉の社内にピグマリオン・ラボラトリーズがやや不完全ではあるが復活する。ガラテア4は時期を見計らって再生産されるだろうし、ガラテア5の開発も直ちに開始される。どうだろうか?」

 和倉先輩が割り込んできて質問する。

「有馬社長、不完全に復活するというのはどのような意味合いででしょうか」
「あぁ、ギブソンは今現在コロラドのアフォーダンス研究所で勤務している研究員、つまり別府君やピグマリオンでフェローシップを持っていた様な人に関しては手放さないと明言している。つまり芙蓉に来れるのは君のような若手だけだ。もし提携が来年度になっていたら、君も松崎さんも来れなかっただろう。だから珊瑚さん、君のような有望な若手AI研究者は一人残らず引っ張ってくるのが僕の希望だし、社長としての使命なんだ」

 珊瑚の頬にうっすらと血の気が上り、さっきまで沈んでいた目に輝きがもどるのがわかる。よかったな、ずっと回り道をさせられていたけれど、ようやく翠先生の背中を追えるな。

「それで修善寺君、僕は君の答えを聞きたい。君は芙蓉に来てくれるだろうか。他人の作ったものを直すのではなく、ロボットの未来、そして我らの未来を作る仕事に戻って来てはくれないだろうか」

 ピグマリオンが、失われてしまったピグマリオンが復活するのか。俺はそこに呼ばれているのか。俺の青春の全てだったピグマリオン。湯布院先生に殴られながら勉強し、工場の勤務明けには明け方まで同期の友人たちと飲み歩き、ラボで開発に明け暮れた日々、開発会議での激論と喧嘩、徹夜明けで仕事を仕上げてラボの屋上に行き、白む空を眺めた時の自分が抜け殻になったような虚脱感と開放感、新型ロボットのロールアップ式典の感激、それが全て俺の手の中に戻ってくるのか。

「ありがとうございます、有馬社長。そう言って頂けるのは技術者冥利に尽きます。ですが、僕も今の店に勤めて一年半になり、そこでの付き合いも色々と出来てきています。お返事には少し時間を頂けないでしょうか」
「あぁ、重要な決断だ。後悔の無いようにしたまえ。良い返事を期待しているよ」

 それから食事が運ばれてきて昼食となった。食事が終わるころからパーティーの客が集まり始め、パーティは予定通り二時に始まった。和倉先輩たちのお披露目会がそれはもう賑やかに進んでいる。二人はいじられまくりで大変な様子だが、それでも和倉先輩はニヤけてるし、松崎さんは幸せそうだしで俺は妬けて仕方がない。だんだん自分が可哀想になってきたところで、隅のほうで飲んでいた湯布院先生に捕まって二人で飲むことにする。先生と飲むなんて本当に久しぶりだ。ナミとレンズはセブンシスターズの連中にそれはもう壮絶にもみくちゃにされていたが、とても楽しそうだ。

 そうしているうちに先生は別府博士のテーブルに行き、俺のテーブルの前にはセブンシスターズのうちで珊瑚と松崎さん以外の五人が立っている。珊瑚の言っていた「根回し」はやっぱりこれだったか。

「修善寺さん。お久しぶりです」
「お久しぶり。えーと下田さん、だよね?」
「はい、覚えててくれたんですね」
「いや、間違えてたらどうしようと思ってドキドキだったよ」
「あはは、あんなにケンカしたのに忘れちゃうんですか。それはそうと……」
「ちょっと待って。先にお願いをさせてくれないかな」
「え? いいですけど、何ですか?」
「俺に謝ろうとしているんなら、それは勘弁してもらえないかな」
「あの時の話は珊ちゃんと松崎さんから聞きました。腕を折ったって話も。私たちは何もそんな事知らずに……」
「あー、やっぱり聞いてたんだね。珊瑚が根回しがどうのって言ってたから、そうなんだろうなーとは思ったんだけど」
「あんなこと聞いたら、私たちが謝らないわけにはいかないですよ」
「うん、もしかしたらそうかも知れないけどね。だからお願いしているんだ。それからお願いがもう一つあるんだけどいいかな?」
「えぇ、どうぞ」
「ナミが君等のところへ遊びに行ったとき、暖かく迎えてやって欲しいんだ」
「それはお願いされなくても大丈夫ですよ。それどころかナミちゃんのところまで押しかけるつもりですからご心配なく」
「はは、ありがとう。俺にはそれで十分なんだよ」
「でも……」
「謝るのは得意だが、謝られるのは苦手なんだ。勘弁してくれ」
「駄目ですよ、そんなヘタレたことを言ってちゃ」
「はは、すまん」
「あーもう、言ってる端からそれですかぁ?」

 そんな遣り取りをして、彼女たちはまたナミを引っ張って、松崎さんたちの座っている大きなテーブルの方へ移っていった。それからパーティーが終わるまで、俺は寝不足もあってソファーに座ったまま居眠りしてしまい、気がついたらもうお開きになっていた。
 珊瑚は先生と一緒に実家に行き、俺は和倉先輩の車でナミと一緒に家まで送ってもらった。家に着くまでに車の中でも俺はまた眠ってしまい、ちょっと呆れ顔の松崎さんに起こされた。俺と同じように眠ってしまったナミを腕に抱えて家に戻り、その日は終わった。

第十八章: 退職

 別府博士の家で聞いたギブソンと芙蓉重工の業務提携の話は、有馬社長の話通りに週明けの月曜日に公表され、両社は提携にむけて具体的に動き始めた。別府博士は休暇が明けて米国に戻り、和倉先輩や松崎さんは会議会議で大変らしい。どちらもメッセージは送ってくるが、休日まで仕事に追われてとても直接会って話が出来る状態ではなさそうだ。湯布院先生も取締役会ということで、別府博士と一緒に渡米中だ。先生からは来週末には日本に帰るとメッセージがあった。

 俺に関しては芙蓉重工の総務課の女性が最近店を訪れ、芙蓉への転職について回答を求められたが、もう一週間だけ待って欲しいと伝えてある。週明けの月曜日の朝にはメッセージを入れてほしいという事だ。総務の女性はガラテア4を実際に見るのは初めてだったそうで、この頃珊瑚が来ないのでご機嫌斜めだったナミが、随分かわいがってもらっていた。

 珊瑚も最近連絡がないので動きがわからないが、営業先の引継ぎ業務やらなんやらで馬車馬のように働いていることは十分予測できたので、こちらからは特に連絡を入れていない。ただ、普段忙しくないときには三日と明けずに店に来ていたし、忙しくて来れないときにはナミ宛てにメッセージをよこすのが普通だったのに、今回はまるで音沙汰が無いところが気になっているので、今日の晩にでも連絡を入れてみようと思っている。

 アイツが俺の部下だった時はそれはそれは無茶な仕事っぷりで、俺はしばしば無理矢理にブレーキをかけたものだ。何しろ普通に忠告したのでは絶対に従わないから、総務に手を回して業務命令形態で無理やり休暇にしてしまい『お前今日は来なくていいからとっとと帰れ!』などとやっていたので、あいつを休ませれば休ませるほど俺への反感がいやが上にも積もっていくという、何とも酷い状況だった。グループ長にも同僚にも『人間は命令だけじゃ動かないんだから、やり方をもっと考えろ』と言われ続けたが、結局駄目だった。今は俺は珊瑚の上司でも何でもないし、休めと言っても聞かないだろうな。

 そう言えば今日は千陽が新しい躯体をもらって帰ってくる日だな。不法改造機だからうちの店で記憶転送作業をするつもりで考えていたけれど、ロボット管理法と薬事法が改正されてからは、不法改造機から正規のコンプリートモデルへの転換を促す目的で制限が緩められたので、芙蓉重工の正規ディーラーで記憶転送をしてもらえたのだ。千陽の躯体更新は妙さんも俺も心待ちにしていた事だからすごく嬉しい。だが、こうしてコンプリートモデルへの更新が進んでいけば、この店も、そして俺もいずれ必要なくなるんだと言うことが身に沁みてわかる。

 そんな感慨にふけっているうちに、妙さんが千陽と一緒に店に来た。千陽は今まで見たことの無いドレスを着ている。躯体更新に合わせて妙さんが新調してくれたんだろう。退屈していたナミが玄関まで飛んでいって声をかける。

「千陽ちゃんこんにちは。新しい服だね、それ」

 千陽はにっこり笑ってナミに答える。

「ナミちゃんこんにちは。これはお母さんが新しい体に合わせて買ってくれたんです」
「よく似合ってるぞ、千陽。よかったな。新しい体はどうだ?」
「別府博士が言ったとおりです。全てが快調です。こんなに体が滑らかに動くなんて」
「よかったな。ちょっとほっぺたに触っていいか?」
「? はい、どうぞ」

 俺は千陽の頬をぷにぷにと押して柔軟性と表面の状態を確かめる。さすがに新品、交換前の人工皮膚とは状態が段違いだ。

「うーん、ピチピチになったなー ちゃんと肌のお手入れして、日焼けしないように気をつけろよ」
「はい」

 妙さんがちょっと羨ましそうに千陽の方を見る。

「ロボットはいいわよねぇ。私も交換したいわぁ」
「何言ってんです、妙さんまだ若いじゃないですか」
「だめよぅ、もうおばさんだもの。珊瑚ちゃんとかの肌を見ると妬けちゃうのよね。でも、主任さんが女におべっか使えるようになるなんて、成長したわねー」
「そんな、からかわないでくださいよ」
「ねー、ナミのほっぺは?」

 俺はナミの頬をつっついてやる。

「お前もぷにぷにほっぺだな。でもファンデとシャドーが落ちかけてるから塗ってきなさい」
「はーい」

 パタパタと奥に駆け込むナミを見送って、俺は妙さんに今後の千陽のメインテナンスについて話す。

「千陽も正規モデルになりましたし、今後のメインテナンスは正規ディーラーで受けられますよ。社長がどう言うかはわかりませんが、設備やサポート内容を考えてみてもディーラーでのメインテナンスは安心です。俺としてはなるべく正規ディーラーなりメーカー契約済みの正規修理店でサービスを受けるのが望ましいと思いますけど」
「販売店さんでも同じことを言われたけど、断っちゃった」
「え? 何でまた」

 千陽が俺に説明する。

「お店の人がお母さんに、前の私の体を見ながら『修理は小奇麗にやってますけど、所詮はまともな教育も受けていない連中の仕事ですから』と言ったんです。そうしたら……」
「店で啖呵切って出てきちゃったってわけなのよ」

 笑いながら妙さんが言う。啖呵ってどんなだったんだろう、想像もできないな。

「社長も修理のお店の方には力を入れていくつもりらしいし、主任さんにも頑張ってもらわないとね。今まで通り千陽たちの面倒をよろしく頼むわね」
「は、はい、こっちこそ。でも、社長はまだこの店をやる気なんですかねぇ。そろそろこの手の店には産業省の締め付けが来るだろうし、その頃には潮時だなんて言ってたのに」
「うーん、私にもどうするかは言わないしね。でも、主任さんがいれば、私が今日行ったディーラーよりずっと良いサービスが出来るんじゃないかと思うのよね。だって、三人がかりで仕事をしてるのに、主任さんとナミちゃんの倍も時間かけてるし、千陽が痛がってるのに平気で『大丈夫です』と繰り返すばっかりだし」
「いや、まぁエンジニアも色々ですから、ハズレに当たっちゃうとそういうこともありますよね」
「このお店ならハズレに当たる事はないもの。それにうちの子たちも店長が主任さんに代わってから、喜んでこの店に行くようになったのよ。うちの子たちはロボットだから人を嫌いになることができないけど、やっぱり人間的に問題ある人にはロボットも愛情を持たないのよね。主任さんにはみんなべったり懐いてるけど、今までそんな事なかったもの」
「いや、たまたま今までこの店にいた修理工が、問題ある奴ばっかりだったんじゃないですか? それに俺はディーラー勤務のエンジニアの知り合いも何人かいましたが、有能な奴が多かったですよ。ロボットにも愛情持って接する奴がほとんどだったし」
「クジ運が悪かったのかしらねぇ」

 妙さんが笑いながら言う。

「まぁ、この店の前任者は本当にひどかったようですけどね。千陽の修理なんてロボット保護法違反のレベルですよ」
「えぇ、ひどかったわ。それにうちの子たちを検査と称して慰み者にしてたしね。私、一回社長に訴えてお金を取ってやったのよ。うちの子たちは商売で春を売ってるのに、ただで楽しんでるようだからって言ってね。人数分全部請求したから30万円以上取ったかしら」
「あっはっは、それでそいつはどうしました」
「やめちゃたわ。あの時は本当にせいせいしたけど、それから主任さんが来るまで何ヶ月も修理屋さんが見つからなくて、社長に随分こぼされたわ」

 本当におかしそうに妙さんは笑って俺に話してくれる。

「そうそう、これからお店で千陽のお祝いをするの。ナミちゃんと一緒に来て頂戴」
「あれ、今日お店休みですか?」
「今日は特別だから休みにしちゃったの。主任さんの方はお店は何時までかしら?」
「客の予定もないですし、早めにあがりましょうか」

 そう言って、ナミを呼んで一緒に店内の片付けをし、一時間ほど早くカンバンにした。妙さんの店でのささやかなお祝いだったが、相変わらずの妙さんの話し上手にはびっくりさせられた。

 普通、ロボットが宴席にいても人間同士の会話に混ざることは非常に難しい。大抵は人間同士でのお喋りが続き、ロボットは黙ってかしづくというのが普通だ。単に会話ができるということと、楽しい会話を演出できるということはやはり違う。人間同士の会話の楽しさをAIが提供するのは実に難しいということなのだが、妙さんは俺だけに話しかけるのではなく、ナミや店のロボットたちに絶えず話しかけて、会話を引き出している。そこまでなら普通なのだが、その会話が妙さんとロボットの二者間だけでなく、俺がそこに混じったり、ロボット同志での会話を引き出したりと、人間同士が会話しているのと余り変わらない雰囲気を作り上げるのに成功しているのだ。

 このレベルであればカテゴリ5の拡張チューリングテスト、専門の言語学者や心理学者を交えての最高難度の長期言語試験も通るのではないかと思われるほどだ。
 これは、店の子たちを普段の会話習慣で上手に教育しているから可能になったのだろうと思う。ここの子たちが全員ガラテア4なら納得できない事でもないのだが、ここの子は全員ガラテア3だ。AIのことを何も知らない妙さんだが、もしかしたら天才なのかも知れないとさえ思う。

 俺はここのところ深酒が続いたこともあり、余り飲まずに楽しんでいたが、そろそろナミが眠そうになってきたのでお暇する。タクシーを呼んで自宅に戻るとエントランスホールに知った顔がいる、珊瑚だ。

「あぁ、珊ちゃんだ。こんばんわ。どうしたの?」
「おいどうした。来るなら電話してくれればよかったのに。いつから待ってたんだよ、もう結構夜更けだぞ」
「こんばんわ、ナミちゃん」

 珊瑚はナミにあいさつして頭をなでると、俺に視線を合わせないままで返事をする。

「お店に行ったんだけどもう閉まってて、それでここで待ってたの」
「妙さんのところで千陽のお祝いしてたんだよ。新しい躯体が来たんだ。それにしてもずいぶん待ったんじゃないのか? まぁ、ここじゃなんだし上がってってくれ」
「うん、夜遅くにごめんね」
「いいさ、俺はこのところちゃんと寝てるから睡眠不足でもないしな」
「そう言えばお披露目会で居眠りしてたでしょ」
「いや、気がついたらもう意識がなくてなぁ。目が覚めたらもう終わってたよ。帰りの車でも眠っちゃって松崎さんに笑われちゃったよ」
「ダメだよ、ちゃんと休まないと」
「そりゃ、そっくりお返しするよ。お前の方がよっぽど無茶してるんじゃないのか?」
「大丈夫だよ、もう……」

 珊瑚は俺を見て微笑むが、びっくりするほど疲れた笑いだ。絶対ヤバイだろ、過労死するんじゃないか? こいつ。
 そんな話を歩きながらして、俺の部屋に入る。ナミが眠る寸前だったが、珊瑚に手伝ってもらってシャワーだけ浴びさせ、ベッドに連れて行って寝かせる。居間で茶を入れながら暗い表情の珊瑚に話しかける。

「お前さっき大丈夫っていったけどさ、見た感じ全然大丈夫じゃないだろ、メチャクチャ疲れた顔してるぞ。ちゃんと休んでるのか?」
「大丈夫だよ、これからずっと休めるから。私、会社辞めたんだ……」

 ちょっと待て、今こいつ何て言った? あり得ないこと言わなかったか?

「おいおい、冗談は……」

 珊瑚は俺の顔をキッと見て、鋭く言葉を吐く。

「冗談じゃないわ。私は今月末付でギブソンを辞めたの。昨日辞表も出して、その日のうちに受理されたわ。有給が溜まりまくってるから、明日から休暇よ。もうあそこには行かなくていいの」
「何だってそんな無茶苦茶なことになってるんだ? AI開発室に転属して、芙蓉で開発部隊に入るんじゃなかったのかよ?」
「駄目だったの。営業部が絶対私を外へ出さないって。売り上げトップの営業のエースをみすみす他社に渡せるかって。父さんも別府博士も有馬社長もみんな努力してくれたけど駄目だったの。営業部のラインは絶対反対で、人事権者の支社長もそれを無視できないからって」
「そんな事になってたのか。俺、ギブソンの取締役が二人と芙蓉重工の代表取締役が後ろ盾なんだから、絶対大丈夫なのだとタカをくくってたよ」
「私の営業部のボスはピグマリオン出身なの。別府博士が言ってた、私たちを毛嫌いしてる連中よ。そいつに昨日言われたの『営業のエースに、もう営業が嫌だから開発に行きますって言われても認められんね。営業が嫌なら辞めるんだね。とにかく営業部内で君の異動の書類にサインする者はいないよ。君の親父さんや別府博士がゴソゴソ動いているようだけど無駄なことだよ』ってね」
「嫌なら辞めろだぁ? 社長賞もらった営業トップにそれかよ。脳が腐ってんじゃねぇのか? それはそうと、お前は会社辞めたことを先生や松崎さん達に伝えたのか?」

 睨むように俺を見て珊瑚が言う。

「言えるわけ無いじゃない! 私は営業部のバカどもに負けて会社辞めました。もう一緒に仕事できませんなんて言える訳無いじゃない」

 言葉の最後のほうはもう涙声だ。顔を見るともう涙がボロボロこぼれている。

「父さんも博士もみんな嘘つきじゃない。部署異動に努力するとか言ったって、営業部のヤツら全然平気で無視してるじゃない。有馬社長だって全然助けてくれないじゃない。私、頑張ったのに、嫌な奴ばっかりいる営業部で誰にも負けない結果出して、社長賞だって取ったのに、なのにどうして私ばっかり置いてきぼりで……」
「う、それは、先生たちも決して力を抜いたわけじゃないと思うんだ、俺が思うには……」
「先輩だって嘘つきじゃない。先輩言ったじゃない、ピグマリオンで最初に私がメカトロに配属されて腐ってたとき、会社には定期異動があるんだから、その時なるべく有利になるように今いる部署でしっかり結果を出せって。だから私、一生懸命頑張って畑違いのメカトロでちゃんと結果出したじゃない。でも私、結局AIに行けなかったじゃない。ギブソンで営業に行かされた時だって、先輩同じ事言ったじゃない。とにかく結果を出さなきゃダメだって。会社を辞めるのは簡単だけど、ギブソンでAIをやりたいなら辞めずに歯を食いしばって頑張って、文句を言われないだけの結果を出せば、いずれ会社は希望を無視できなくなるって」

 珊瑚はもう泣きじゃくっている状態だ。右の拳を握って俺の胸を叩きながら訴える。

「私、社長賞取ったんだよ。先期は社内で売上四位だったんだよ。今期は第一第二四半期ともトップ取ったんだよ。何でそこまでやったのに、私の希望を誰も聞いてくれないのよ。私、頑張ったのに、一生懸命頑張ってちゃんと結果出したのに」

 俺にはもう何も言えない。俺は今、珊瑚を慰め力づけてやる何物も持ち合わせていない。だからせめて珊瑚の怒りと悲しみを体で受け止めることくらいはしてあげたい。俺を叩く手も力が弱くなってきた、女の子だし疲れたのだろう。

「ごめんな珊瑚。俺はちゃんと先を見通せもしなかったくせに、お前にいい加減なアドバイスして。お前、本当に頑張ったのにな。ピグマリオンでもギブソンでも」
「どうして謝るのよ。先輩、私に何も悪いことしてないのに。父さんだって博士だって、松崎さんだって有馬社長だって、みんな私のために頑張ってくれて、誰も私に悪いことしてないのに。悪いのは私なのに」
「待てよ珊瑚。それは違う。絶対に違う。お前は悪くないよ。お前は努力したじゃないか、営業部の奴らの悪意を突き崩すことはできなかったかも知れないけど、お前は誠実に仕事をして、汚い手を使わずに立派な結果を出したじゃないか。少なくとも俺はそれをわかってる。お前は悪くない。みんなだって絶対にそれはわかってるよ」
「私、母さんと約束したのに。母さんと最後に約束したのに。Annaの妹を作るんだって。ガラテア5を創りあげるんだって」
「珊瑚……」

 珊瑚にかけてやる言葉が見つからない俺は、自分の話をすることにする。

「あのな珊瑚、俺な、芙蓉からの採用オファー、断ろうと思ってるんだ」

 俺のシャツの胸元を握ったままうつむいて泣いていた珊瑚が、急に顔を上げて俺を見る。

「どうして? 何でチャンスをみすみす棒にふるのよ。私のせいなの? 私がAI開発室に行けないから? 先輩もそれに付き合うの? そんなのおかしい。やめてよ。先輩にそんな事をされたら、私、本当に先輩に悪いことをしたことになるよ」
「あのな珊瑚、理由は二つあるんだ。今の店で仕事を続けたいというのが第一の理由だ。妙さんのところの子を見なきゃいけないと思うし、まだまだリハビリテーションに時間のかかるアリスもいる。他のお客さんの子もいる。そういう子たちの面倒をみるのは、俺にとってやりがいのある仕事なんだということが、今の俺にはよくわかるんだ」
「でも、いずれ改造機は無くなってコンプリートモデルばかりになるんだよ。その時には先輩の店みたいなところが生き残っていくのは難しいよ。それに、開発の仕事はどうするの?」
「店の将来があまり明るくないのもわかる。開発の仕事も魅力的だよ。でも、今の店での『ロボットのお医者さん』としての仕事に、今はより大きい魅力を感じてるんだ」
「もうひとつの理由はなに?」

 言わなきゃ駄目だよな。言わなきゃ誠実じゃないよな。

「あのな、今おれが芙蓉に行っても、お前がいないんじゃ意味が無いじゃないか」

 珊瑚は大きく目を開いて俺を見ている。俺の眼の奥から何かを読み取ろうとしているかの様に。そうだ、俺はもう全て言ってしまおう。今までどうしても言いたくて、でも怖くてどうしても言えなかったことを。珊瑚はどうしても欲しかったものを目の前で取り上げられてしまったじゃないか。だから、仮に俺がすべてを失ってしまったとしても、それはおあいこじゃないか。

「珊瑚、お前が芙蓉に行くから俺も一緒に行きたかったんだ。開発の仕事に魅力を感じているのは半分の理由、いやもっと小さなことで、俺はお前と一緒の時間をより長く過ごしていたいと思ってただけなんだ。だから……」

 言う、風がどちらに吹こうとも。これが言えないのだったら俺には生きている価値がない。

「今の店をこのまま続けて、お前が俺の傍らにいてくれるなら、俺にとってはそれが一番良いんだ。アリスの時に痛感したんだ、俺ひとりでは救えない子が大勢いる。俺には俺を助けてくれるAI技術者-- 有能で、誠実で、愛情の深い女性が必要なんだって。俺はお前といつも一緒にいたいんだって。」

 珊瑚は俺を見つめたまま何も言わない。俺もそれ以上何も言うことができない。そうして見つめ合っていた刹那、珊瑚がすっと眼を閉じる。俺は半分熱に浮かされたような気持ちで、桜色の少し薄い唇に俺の唇を重ねる。数世代前のロボットのようなぎこちなさだと自分で思う。そして一度結んだ唇を離し、今度は珊瑚を抱きしめながらもう一度口づけする。あえぐような小さな声が珊瑚から漏れる。嫌がっているのかな? いや、そうじゃない。俺だけが抱いているんじゃない、彼女も俺を抱いてくれているんだ。

 どれくらいの時間口づけていたのだろう。気がつくと珊瑚は目を開いて俺を見ている。抱き合ったまま、彼女は俺に言う。

「お願いがあるの」
「何?」
「抱っこして」
「あぁ」

 返事をすると、俺は珊瑚を抱え上げた。ナミより少し重いはずなのにまるで体重を感じない。珊瑚は抱き上げられたまま俺の首に腕を回し、俺の肩に頬を押し当ててささやく。

「私ね、羨ましかったの。先輩が眠っちゃった松崎さんを抱っこしたでしょ。どうして私も抱っこしてくれないのかなって、そう思ってたの」
「ゴメンな。でも、これからは俺の腕の中、お前の予約席だよ」

 珊瑚が微笑んで言う。

「ナミちゃんが眠っちゃった時はどうするの?」
「あ、そうか。でも、ナミは娘みたいなものだから、その時は目こぼししてくれないかな」
「しょうがないわよね」

 そこまで話して、俺はベッドの上に珊瑚をゆっくり下ろした。横たわった彼女に三度目の口づけをする。

 その夜、珊瑚は俺の腕の中で女に、俺は彼女の優しい温もりに包まれて男になった。

第十九章: 青空

 目が覚めると窓から青空が見える。今日も気持ちの良い朝だ。横を見ると珊瑚もベッドの上に身を起こして空を眺めている。良く澄んで穏やかに空を見つめる瞳、たおやかな肩の線、ツンと上を向いている可愛らしい胸のふくらみ。俺がそれを呆けたように眺めていると、珊瑚は俺が目覚めていることに気がつき、腰まで掛かっていたタオルケットを首元までたくし上げる。

「やだ何見てるの、先輩。いつから起きてたのよ」
「いま目が覚めたところ。今日もよく晴れたなあ。目が覚める様な濃い青空だ」
「私、青空大好き」
「そう言えば珊瑚って基本的に青好きだもんな。服も青系統が多いし。アレも青っぽいよな」

 そう言って俺はベッドの端っこに引っかかっている珊瑚の下着を指さす。と、頭を軽くはたかれる。

「デリカシーのない発言禁止!」
「あい……」

 珊瑚は脱ぎ散らかっていたブラジャーとパンティーを手に取り、俺に背を向けて身につける。ちぇ、ケチンボ。

「私が青を好きなのには理由があるの……」
「へぇ、一体どんな?」
「マリーの部屋って知ってるよね、先輩」
「あぁ、確か翠先生に教わったな。クオリア関係の思考実験だよな」
「そう、それ。あれとは実験目的が違うんだけど、似た様な実験があるのね。モノクロームの世界で育った子どもが、現実の色のある世界に入った時の反応を調べるっていう実験」
「え? まさかお前がその……」
「そう、私は生まれてから一年生で義務教育校に入学するまで、色というものを殆ど見ないで育ったの。白と灰色と黒、あとは肌色だけ。さすがに自分の体は真っ白にできないものね。でも、なるべく自分の体や顔が目に入らないように鏡は無かったし、照明の色も肌色が目立たないように調色していたみたい」
「それは、翠先生の実験ってことか?」
「そうよ、母さんの実験。論文もそれでずいぶん書いたみたいなんだけど、物議をかもすのが必至なのでまだ公開はされずにピグマリオンの実験データーアーカイブに収められてるの。母さんも亡くなって年末にはもう七回忌だし、私も成人してるからそろそろ公開されると思うんだけどな。実は私自身も読んだことがないのよ」

 全然知らなかったし気付かなかったな。最初に珊瑚と翠先生に会ったのは俺が入社した年だから十六歳の時だし、もう付き合い自体は十年になるのに。

「実験ってどんな風にやったんだ? 一切外出しなかったわけ?」
「そう、外出しないどころか、家の建物から出られなかったし、直接には外も見えないの。窓には全部モニターパネルが貼ってあって、外の景色をモノクロで映してるだけ。庭にも出られないからその代わりにバスケットボールが出来るくらいのホールがあって、そこに真っ白な砂が入った砂場とかもあってそこで遊んでたの。発売されたばかりの真っ白いガラテア2がいてね、その子が遊び相手だったのよ」

 ガラテア2はピグマリオンが初めて世に問うたコンパニオンロボットだ。世界で初めての独立稼働する自律思考機械で、実用サイズでは初めてカテゴリ2の拡張チューリングテストを合格しフレーム問題を解決した歴史的名機だ。今でも、あちこちの博物館にいて館内解説をしているのを見ることが多い。動態保存という奴だ。一回、プラネタリウムで解説している機体も見たことがある。投影機も骨董品で丁度良い感じの組み合わせだった。

「ガラテア2かぁ。でも、あの程度のAIでは子守には使えても、遊び相手には不足じゃないか?」
「その頃は母さんは在宅研究って言うことでずっと家にいたし、父さんも大学だけでピグマリオンではまだ働いてないから、結構家で遊んでもらったのよ。たまにだけどお友達が来てくれることもあったしね」
「お友達もやっぱり白衣とか着てくるわけ?」
「アラブの民族衣装にニカーブってあるでしょ、目だけしか見せない黒い衣装。アレが真っ白くなった感じかな。だから鬼ごっことかは出来ないのね、すぐ転んじゃうから。みんな母さんの友達の子だったみたい」
「でも、それだけじゃ運動不足になりそうだよな」
「うん、母さんたちも運動不足を心配したんでしょうね、走ると風景が変わっていくタイプの3Dモニタ付ランニングマシンもあって、それで走るのが大好きだったの。やっぱり画面に出てくる風景はモノクロなんだけどね」

 しかし、そんな実験って湯布院先生の資産で可能なもんなのかな。

「何かすごい家だったんだな。でも、俺が行ったときには普通の家だと思ったんだけど」
「あはは、もちろん実験中だけ住んでたのよ。実験施設はピグマリオンが作ったものらしいの。私には何も教えてもらえなかったけど、他にはあり得ないもん。それで私は太陽も青空も、夕焼けも月も見ないで育ったの」
「学校に入学するまで?」
「うん、それで初めて学校にいく日に、玄関のドアを開けるでしょ。その時に見えた青い空が、私が最初に見た色なの。あの日の青空を忘れたことはないわ。初めて見たお日様にびっくりしたことや、夕方に見た夕焼けもね」
「そうだったのか。でも、そんな事があったなんて全然感じさせないけどな」
「今はそうかもね。でも子供の頃は結構いじめられたんだ。お絵描きすれば色が極端に派手で笑われたりとか、アクセサリーや服の色が変だとかね。母さんが無難な色使いで買ってくれた洋服が気に入らなくて、自分が選んだ色で別の服を買ってもらってそれを着て学校に行ったら笑われて、それで泣いて帰って次の日は母さんが選んだ服で学校行ったりとか、色々あったな」
「そうか。俺は野郎だからそういういじめって周りに無かったけど、女の子にはそう言うのって重要だもんな」
「だから、私が七年生とか八年生になって実験の意味とかがわかるようになってから、結構母さんとは衝突したな。反抗期って言うのもあったのかも知れないけどね」
「へぇ、女にも反抗期ってあるんだ。男だけかと思ってた」
「先輩は今でも反抗期じゃないの。お母さんを怒鳴ったりして」
「いや、あれはナミの事でちょっと揉めてな。『ああいうロボットが家にいるとダッチワイフだと思う人もいるんだから』みたいな事言われたりして、ついカッとなってな」
「我慢しなよ。お母さんがいなくなっちゃったら本当に寂しいんだよ」
「そうだな、注意するよ。でもさ、俺がお前に最初にあった頃は翠先生とも仲良さそうだったけど、その頃はもう仲直りしてたってことか?」
「先輩と会った頃は結構母さんとぶつかってた時期なんだよ。お客さんの前だからおとなしくしてただけ」
「何だそうだったのか。全然わからなかったな。でも結局仲直りしたんだろ」
「もちろん仲直りしたよ。母さんも父さんも私のことを愛してくれてて、大事にしてくれてるのはわかってたしね。でも、心のどこかで引っ掛かりがあってたまに割り切れない感情が出てくる、ってことはあったな」
「そう言うのは難しいよな。俺にもそう言うのはあるよ。俺の親父は国防軍で暗号作成技術とか解読の研究してて、結構AIとかにも詳しいんだけど、俺がピグマリオンのラボに入ったって聞いたときに、AI開発に行ったと早合点したみたいで、後からメカトロに行ったと教えたときに、がっかりしたようなリアクションだったんだよ。俺、その時は親父には何も言わなかったけど内心すごくショックでな。俺は親父もお袋も好きだし尊敬してるけど、やっぱりその事は頭から離れないって言うのも事実だな」
「難しいね、人の心って」
「あぁ、人間は完全じゃないって頭ではわかってても、他人のちょっとした間違いがどうしても許せないってのはあるもんな」
「それも人間の欠点なんだろうね」
「そうだな……」

 珊瑚が服を着ながら話し続ける。

「私がナミちゃんの実験にあんなに噛み付いたのも、やっぱり自分が実験台だったっていう意識がそうさせた面が強いんだと思うの。私、ピグマリオンでは先輩に対してはともかく、他の人には結構良い子で通ってたでしょ。それがあの時期に豹変したものだから、結構それで他人から余計に反感買ったんじゃないかなって。営業部が私のことを嫌ってるのも、あの頃の私のやり方が常軌を逸してたのが原因なのかなって」
「別に常軌を逸しちゃいないだろ。どっちかというと俺の方がまずかったからな。本気で精神科医のカウンセラーを紹介されたもん、俺」
「で、余計怒って殴ったでしょ、和倉先輩を」
「何で知ってるんだよ」
「パーティーの次の日は和倉先輩たちと呑んだもん。その時に聞いたの。あの時はずっと先輩の話でみんな爆笑してたのよ」
「何だよヒデェな、笑いものかよ、俺。まぁあれについても反省してるし、結局あの時は俺の方が倍以上殴られたんだぞ。あれで結構喧嘩強いんだよ、プリンス先輩」
「あははっ、先に手を出すほうが悪いでしょ」
「まぁな。話戻るけどさ、営業の連中って俺達がナミの事で騒いでる間って、まるっきり蚊帳の外だったわけじゃないか。だから、俺達に腹を立てて、今になっても嫌がらせを考えてるのっていうのも解せないんだよなぁ」
「あの頃の営業部って有馬常務がいなくなって事実上リーダー不在だったから、社内でもものすごく立場弱かったじゃない。それでも売上が上がらないと責められてさ。私、実際にギブソンの営業部で販売の経験をしたからよくわかるけど、物を売るのって、それを作るのと変わらないくらい大変なんだよね。それを開発の人達ってわかってないなぁとは思うのね」
「そういう反感が元々営業部にたまってて、俺達のせいで開発が遅れて販売計画も狂って、でもノルマはそのまんまで…… って流れで、でもラボの人間全部を憎めないから代わりに俺達をものすごく憎んだ、ということなのかなぁ」
「そうなのかもね。私たちにすれば理不尽だけどさ」
「理不尽だよなぁ」

 俺は笑いながら言う。珊瑚も笑っている。一晩かかってやっと気持ちが落ち着いたんだな。良かった……

「あのね、別府博士はあの計画を知らなかったんだよ」
「え? 聞いたのか、お前」
「うん、直接じゃなくて父さんからね。先輩が言ってた『最後の交渉』の後に、父さん別府博士の胸ぐら掴んで殴らんばかりに迫ったんだって。『何で俺に言わなかった』って。そうしたら博士も知らなかったんだって。後で調べたところでは、AIの開発グループ長に直接に産業省と保健省の担当職員が圧力かけて、やらせようとしてたんだって」
「何だって役人がそんな事を?」
「詳しくはわからないんだけど、限界時の安全性確認がコンパニオンロボットでは行われないうちに、法務省主導でロボット保護法ができてしまって、ああいう実験が大っぴらに出来なくなったからピグマリオンで秘密実験をさせようとしたみたい。産業省の役人としては社会防衛上必要な実験だったと考えたみたいね、信じられないけど」
「まぁ、ナチスの人体実験とかだって『医学発展のため』だったそうだしな。『理屈と膏薬はどこへでも付く』ってことかねぇ」
「あはは、先輩がことわざなんて珍しいね」
「親父の口癖」
「なぁんだ」
「でも、何であんな無茶をグループ長が?」
「うーん、これは父さんの意見なんだけど、形式認可あたりで難癖をつけられて断れなかったんじゃないかって。産業省にせよ保健省にせよ形式認可権限を握ってるから、そこでちょっと脅かされれば、実際上の開発進行責任を持っていたグループ長が逆らえなかった可能性が高いだろうって」
「でも、何で上に黙ってやろうとしたんだろう」
「これも父さんの意見だけど、別府博士に言っていたら即座に断ってしまって、結果的に開発が遅延することを恐れたんじゃないかって。役人もそれがわかってたから内密にやらせようとしたんじゃないかって言ってた」
「それで、自分ひとりで抱え込んでやろうとしたのか、グループ長は」
「その話してた時、父さん偉いなと思ったのは、すぐにグループ長に監視をつけさせたのね。本人には内緒で奥さんも呼んで説明をして、しばらくは絶対に一人にするな、目を離すなって念を押してね。カウンセリングもすぐに受けさせたから間違いも起こらずに、今でも本人は元気でドイツで働いてるけどね」
「先生、アレで気配り細かいんだよな」
「『アレで』だって、あとで父さんに言ってやろー」
「勘弁してくれ、サイボーグに改造されちゃうよ」
「でも私、博士が知らないでいてくれてホッとしたな」
「俺は複雑だよ。ずっと誤解して憎んでたからな」
「今度お正月に博士が来たときに会って謝っておきなよ」
「あぁ、そうだな」

 そうして話しているうちに珊瑚の電話が鳴った。先生かららしい。興奮して話している様で、送話器から俺にまで声が聴こえる。

「あぁ、父さん。何?」
「お前今どこにいる。昨日は家に帰ってないってことだし。大丈夫なのか?」
「うん、もう大丈夫」
「会社も辞めたって日本から連絡が入ったぞ。本当なのか?」
「うん、もう辞表も出して受理されたの。ごめんね、ピグマリオンに入るときも勝手に決めたのに、ギブソンを辞める時も勝手に決めちゃったね」
「まだ提携発表から三週間じゃないか。もうちょっと待てなかったのか」
「ありがとう、お父さん。部内で色々話をしたんだけど、やっぱり無理みたい。ごめんね、別府博士も有馬社長さんも頑張ってくれたのに」
「それはいいんだ。ワシこそお前に謝らなければいかんからな。しかし、ほんとうに大丈夫なのか?」
「うん、昨日は気分が落ち込んでどうしようもなかったけど、今日はもう落ち着いてるよ」
「そうか、良かった。それでいまどこにいるんだ? 松崎くんのところか?」
「……ううん、修善寺先輩の家。昨日はずっと私の隣にいてくれて…… 優しくしてくれたの」
「そうか…… 修善寺か、ちょっと代わってくれないか?」
「うん」

 珊瑚は俺に電話機を渡す。どうしよう、心の準備が……

「あ、修善寺です。おはようございます」
「こっちはもう午後だ、このバカモンがぁ!」

 うわぁ、無茶苦茶に機嫌悪そうだよ。

「あの、珊瑚はもう落ち着いたみたいで、とりあえずは心配いらな……」
「うるさいやかましい黙れ。いいか聞け! お前にオプションを二つやる。ひとつは俺が帰ったら改造実験の実験台になることだ」
「えぇ? サイボーグですか? いやそれは……」

 先生は俺に全く取り合わず、一方的に通告を続ける

「もうひとつはワシの娘を幸せにすると誓う事だ。どっちにする」

 何だ、それなら考えるまでもないよ。

「父と子と精霊の御名において、先生の娘を一生かけて幸せにすることを誓います」
「わかった。ならいい」

 そう言って、あっさり電話は切れた。珊瑚を見ると恥ずかしそうな表情で顔が赤らんでいる。

「ねぇ、今のって…… プロポーズなの?」
「えぇと、先生がサイボーグになるか、娘を幸せにすると誓うか、どっちか選べって」
「脅かされて選んだの?」

 珊瑚がチョットふくれている。でも、目が笑ってるよな。

「俺、即座に答えたんだぜ。わかって欲しいなぁ」
「わかるけど、私の意見は聞いてくれないの?」

 え? それって、あの、俺、調子に乗りすぎたかな? 気が早すぎたかな? 珊瑚はニコニコしてるけど、大丈夫かな?

「先輩。今の言葉を信じていいんだよね。なら…… しるしを頂戴」

 そう言って眼を閉じる。少し離れたところに腰掛けている珊瑚に、俺が身を伸ばして口づけした瞬間、寝室のドアが開く。

「おはよう主任…… あれ? 珊ちゃんにチューしてるの?」

 そうだよな、こいつが起きる時間だよな。珊瑚もさすがに照れくさそうだ。

「あ、ナミちゃんおはよう」
「珊ちゃんおはよう。主任にエッチなサービスしてもらったの?」
「えっ? えっ? あのね、ナミちゃん違うのよ、これは……」

 これはさすがにクリーンヒットみたいだ。耳たぶの先まで赤くなっている。

「多分、俺が裸だから勘違いしてるんだよ。ナミ、違うよ。俺の方が後に起きたんだから。珊瑚は早起きだからエッチなサービスは要らないよ」
「エッチなサービスじゃないのに、どうして主任は裸なの?」

 うわ、こいつえらく突っ込んでくるな。

「ナミが大人になったら教えてやるよ。それより朝ごはんの準備をしてくれ」
「はーい」

 ナミがパタパタとキッチンへ歩いていく。俺はまだ頬が紅潮している珊瑚に声をかける。

「珊瑚、シャワー浴びてきちゃえば? 俺はお前の次に入るから」
「うん、そうさせてもらうね」

 珊瑚が風呂に行った後、俺はトランクス一丁のだらしない格好で、ランドリーバスケットにタオルケットとシーツを丸めて放り込む。無地の白いシーツに小さく赤い染みが見えた。

第二十章: 手紙

別府三郎忠泰様

 拝啓 年の瀬も間近となり、今朝はベランダに霜が降りていましたが、ゴールデン・シティの寒さはいかがでしょうか。こちらは以前と変りなく恙無き日々を過ごしております。
 先日は結婚のお祝いを送って頂き、有難う御座いました。この手紙に式の画像データを同封致しましたので、アフォーダンス研究所に勤務されている先輩方共々、御笑覧頂けましたら幸いです。
 式は互いの親族とごく親しい友人のみで、こじんまりと挙式しました。修善寺が意外なことにカトリック教徒で、御存知の通りカトリック教会は結婚したいと言ってもすぐにそれを認めてはくれませんから、神父様の説得が大変でした。
 私も修善寺の母が毎週通っている地元教区の小教会で勉強会に参加して洗礼の準備をしたり、神父様には結婚と子作りの順が逆であると修善寺と一緒に叱られたり致しました。また、洗礼はまだ先だと言われてしまったのですが、お腹の子の事がありましたので挙式の方は大目に見て頂けたようです。
 また、先日の母の七回忌にはお花を贈って頂き、本当にありがとうございました。父共々お礼を申し上げる次第です。
 九月の私の退職に関しましては、博士になんら御相談差し上げないまま一方的に決めてしまった事、重ね重ねお詫び申し上げます。有馬社長にも御迷惑をおかけしてしまったとの事で、誠に相済まなく存じます。どうぞご寛恕の程お願い申し上げます。

 修善寺の仕事の方は順調に立ち上がりつつあります。元々は不法改造を請け負うロボット修理店でしたが、社長がヤクザ稼業から足を洗って堅気になったことを機に、業務形態を大きく変えました。新規の不法改造は今後は行わないこととなり、芙蓉重工業の販売店登録とサービス店登録もして、通常のロボット修理サービス店となりました。店の名前は「ロボットのお医者さん」のままで変わっておりません。店名は変えない方がいいと仰るお客様が多かったので、そのままにしました。
 店舗も、以前に博士と私が訪れたあの荒んだ地区から移転し、現在私たちの住んでいるアパートメントから間近いショッピングモールの中に店を新たに構えました。
 うちの店の隣が喫茶店だったのですが、うちの社長がそちらも買い取って自分はそこでマスターをしています。異様に強面のマスターなので余り流行っていないのですが、当人はキッチンを担当している奥様と一緒に楽しく営業しているようです。
 うちの修理店ではAIの急な異常にも二十四時間対応出来るように心がけていますが、そのような対応能力のある修理店はディーラー系列を含めてもまだまだ少なく、前々から修善寺の修理技能がお客様に高い評価を頂いていたことも併せて順調に顧客も増え、夫婦ともども忙しく日々を過ごしております。

 博士が私と修善寺の店を訪れた際に修理を受けていた千陽ですが、もう三月半ほど前になりますが念願通りに新しい躯体を導入することが出来ました。博士の言うとおりに体が滑らかに動き、大変快調だと申しておりました。千陽が勤めていた風俗店ですが、こちらも業態が大きく変わって性風俗店ではなく普通のスナックバーに変わりました。千陽以外に4人のコンパニオンロボットがいたお店でしたが、今では一人を除いて全員が給仕やバーテンダーとして働いています。千陽は一番年長なのでちいママとして働いています。スナックバーで働いていない子は、社長の喫茶店でウェイトレスをしています。
 この店は面白くて、夜はスナックバーとして営業していますが、昼間は性風俗店で働くロボットたちの学校の様になっています。ママの草津妙さんが先生役で、千陽やナミのような会話能力の高いロボットと、会話の機会が乏しくて能力を上げる機会の少なかった風俗店の子たちを一緒に会話させて、会話能力を上げていくという試みです。
 私も驚いたのですが、AI-PIの値が明らかに変化していて、メーカーでのロボット教育プログラムよりも効果的な様なのです。芙蓉に移った松崎さん(来年には和倉さんになりますけれど)が研究テーマとして取り組もうとしています。
 元々、私達の店の社長が風俗店の子の個人売上と会話能力の関係に気がついた所から、このロボットの会話教室が始まりました。草津さんの教育が行き届いてた千陽たちと、他店のロボットの一人当たりの売上がかなり違っていたそうです。ああいう店でもやっぱり話上手な子がもてるのだそうです。
 修善寺が言うには草津さんの教育能力が傑出していて、AIの知識が全くない人がやっているとは到底思えないと言うことです。今後は草津さんの個人的な能力に頼るだけではなく、教育メソッドとして確立するのが研究目的だと松崎さんが言っていました。

 ナミは相変わらず元気にしています。精神的成長も順調です。午前中は修理店で修善寺の助手をしていますが、午後は草津さんの店で草津さんの助手をしています。ナミが言うには自分は「講師」なんだそうです。時々は芙蓉の研究所に行って検査を受けたり開発実験の協力もしています。ナミがラボにいる妹達に姉さん顔で振舞うので面白いと、研究所の人達にも可愛がられているようです。
 修善寺も元気で働いております。昔から短気で癇癪持ちでしたが、この頃は随分大人しくなり、うちの父や修善寺の両親、それに和倉先輩や松崎さんたちにも人間に落ち着きが出たと言われています。もっとも、当人はそれを言われるのが煙たいようです。この頃は「お腹の子に差し支えるから」が口癖になり、実際に子どもが生まれたらどれほど親馬鹿になるのか想像もつきません。
 私ですが、古巣の大学の研究生として通学しながら店の仕事もするといった二足の草鞋、いえ、お腹に子どもがいますので母親ですから三足の草鞋を履いての生活です。修善寺は無理をするなとうるさいですが、元々私もじっとおとなしくはしていられない性分ですので、半分はあきらめ顔です。

 御正月には日本に帰省されるとお聞きしました。その頃にまたお会いして改めてお礼できたらと存じます。
 アフォーダンス研究所の冬は大変乾燥して寒いとお聞きしました。風邪など引かぬようご自愛下さいませ。

かしこ

二〇七一年十二月十八日

修善寺珊瑚

ロボットのお医者さん

とあるノベルゲームシナリオの賞に出してあっさりと一次選考で敗退した作品を、PIXIVで公開していたものですが、少し改行を増やしてPC画面で読みやすくして再掲載した物です。
これを書いたのももう二年前だと思うと、歳月人を待たずと言う感じですねー。

ロボットのお医者さん

2070年頃の日本で暮らすコンパニオン・ロボットの女の子と、ちょっと短気で職人肌、でもヘタレなロボットエンジニアの兄ちゃん、そしてこれまた短気でとっても有能なお姉さんのお話です。 ほんのチョットだけエロいので成人指定。(笑)

  • 小説
  • 長編
  • SF
  • 成人向け
更新日
登録日
2012-08-11

CC BY-SA
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CC BY-SA
  1. 第一章: ロボットのお医者さん
  2. 第二章: 鮭弁当と唐揚弁当
  3. 第三章: 治療中
  4. 第四章: セブンシスターズ
  5. 第五章: 草津妙
  6. 第六章: パーティー二次会
  7. 第七章: 帰宅
  8. 第八章: 葛藤と決意
  9. 第九章: 目覚め
  10. 第十章: 休日出勤
  11. 第十一章: 緊急処置
  12. 第十二章: 告白
  13. 第十三章: ピロートーク
  14. 第十四章: ブランチタイム
  15. 第十五章: 和倉室長
  16. 第十六章: 再会
  17. 第十七章: お披露目会
  18. 第十八章: 退職
  19. 第十九章: 青空
  20. 第二十章: 手紙