銀色のコイン
50円玉と100円玉って財布の中に入っているとき、上から見たら区別できないですよね。
バス停での時間のつぶし方を考えていた。
とりあえず携帯を取り出して、メールの確認でもしてみる。
視線が下に向かったことで、焦点の合わない視界に、光るものがあることに気づいた。
わたしの足下に銀色のコインが落ちていたのだ。
無意識に手を伸ばそうとしてから手を引っこめた。
バス停には自分一人だけだったが、一応辺りをくるりと見渡して、確認する。
対面の歩道に一人、近所の高校生が歩いていたが、問題ない距離だったので、確認してから拾ってみた。
手のひらに乗せてみると、それは地面によってひんやりと冷やされていた。
50円玉だった。トレードマークでもある、ぽっかりとあいた穴からは私の手の肌色が覗いていた。
そこで、ふと考えた。
どうしてこの穴はあいているのだろう?
きっと他の硬貨と区別しやすいようにであったり、金属量を少しでも減らすためであったりといった現実的な理由があるのだろう。
それなのにその穴が、その造作もない個性が、どこかわたしを見ているようだった。
しがみつくものがそれしかなくて、でもそれでいて、どこかで平凡さには気付いている。
それでもきっと私には何かあるはず、なんて可能性に挑戦もせずにただまわりを見渡している。
上を見るときには欠点を探していた。
下を見るときには優越感を手にしていた。
あなたは本当にすごいねと、あなたは少し苦手なだけだよと自分だけの何かを守るために言葉を使った。
何様なのだろう?
ずいぶんと臆病になっている。
わたしは何処に?あなたは何処に?
答えを知ってどうするのか。その問いにも答えられないのに答えを探すだけ探している。
どうしてこの穴はあいているのだろう?
いつのまにか握っていた手のひらを開くと、わたしの汗で少し湿った銀色のコインがにぶい輝きを放っていた。
銀色のコイン
何となく5円玉とか50円玉とか穴が開いているお金って好きです。
和同開珎とか昔あこがれたな。