眠れぬ夜は君のせい【スピンオフ④】 ~ また言えなかった最後の ”き ” ~
■第1話 アカリの部屋で
『アカリさん・・・ どうしたんだろ・・・?』
バイト先のファストフード店。
そろそろ店内もピークで込み始める夕刻間際の時間帯で、学生のバイト従業
員は全員そろってもいい時間に、今日はアカリの姿が見当たらない。
バイトリーダーであるヒナタは、新しく入社したアカリと付き合っていた。
年齢は1才下のヒナタが、偏屈者で口が悪いアカリに長期に渡り猛アタック
を仕掛け、やっとの事でここ最近カップルらしい振る舞いが出来始めたとこ
ろだったのだが。
『ん~??』 ヒナタが小さく唸る。
シフト表を何度確認しても、今日アカリは出勤日だった。
店長にアカリからの欠勤連絡が入っていないか訊かれ、改めてアカリ不在に
首を傾げる。
相変わらず粗雑で接客態度はイマイチ・・・もとい、イマヨンぐらいだった
が無断で欠勤など決してしないアカリ。
ヒナタは慌ててアカリのケータイに電話してみるが、繋がったそれは無味な
機械音として耳に流れる。
”電波 ノ 届カナイ 所ニ ・・・・・ ”
『ま、た、 充電切らしてるんだな・・・ もう・・・。』
マメにケータイの充電をしないアカリは、大事な時に充電切れという事が
多々あった。ヒナタが何度をそれをやめるよう説得しても、『そん時はそ
ん時よ』と ”どこ吹く風 ”だった全く悪びれないアカリが脳裏に浮かぶ。
『困った時に来てもらえるように、
家の鍵はいつも郵便受けに入れてあんのっ!』
以前、充電の件を注意した時にアカリが堂々と言い放ったその言葉をヒナタ
は思い出し苦い顔をする。
アカリは兄リュータのアパートで同居していたのだが、その兄は就職が決ま
り他の街へ引っ越してしまった。両親を無理やり言いくるめて一人暮らしを
認めてもらったものの、女の子ひとりという状況にやはり心配の色を隠せな
いのは親心というものだろう。
兄リュータがいない今、何かあった時にはいつでも友達に来てもらえるよう
にとの意図である ”郵便受けの鍵 ”だが、友達以外でも誰でも家に入れて
しまうそのセキュリティ環境に、ヒナタは猛反対したのだが。
『金目の物が無くなった時は、真っ先にアンタを疑うから。』
ヒナタの忠告なんてまるで無視のアカリだった。
しかし、今この状況ではそのセキュリティ環境が結果オーライになりそうで
はあった。
バイト終わりの夜10時。
ヒナタは店への挨拶もそこそこに、アカリが一人で暮らす部屋へと足早に向
かっていた。
風邪でダウンしている事を想定し、途中のスーパーでスポーツドリンクと果
物を買い、念のため氷と冷えピタと風邪薬も調達しておいた。
買い物を終えると、更にヒナタの足はスピードを増してアスファルトを蹴り
上げる。片手に持ったスーパーのビニール袋がその揺れに併せてカサカサ鳴
って、中の物が右に左に動いているのが分かる。
走りながらふと空を見上げると、夜更けに顔を出す更待月が輝いていた。
頬を過ぎる少しひんやりした夜風が心地よい。
陸上をやっていた頃の感覚が、ヒナタの腕に、脚に、甦る。
15分ほど全力ダッシュして着いたアパートのアカリの部屋の前。
ヒナタはゼェゼェと息を切らして、しんどそうに少し片頬を歪めて屈んだ。
少し呼吸を整えてから上半身を起こすと、部屋の小窓からやはり見えはしな
い室内灯の明かりに困ったように眉根をひそめる。
いまだ整わないヒナタの荒い呼吸だけが響いているこの状況で、ひと気なく
ひっそりと静まり返っているのが否応なしに伝わる。
インターフォンに顔を向け、ドアのチャイムを2回鳴らしてみた。
しかしその機械音が屋外にいるヒナタにハッキリ聴こえるほどに、物音のひ
とつも無い。
再度鳴らしてやはり反応がないことを確認すると、万が一の事を考え部屋の
中を確かめてみることにした。
ドア右側、胸の高さにある郵便受けをそっと覗くと、アカリが言っていた通
り部屋の鍵があった。
やはり少しギョっとしてしまうヒナタ。
例えば何かの陰に隠したり、何かに包んだりもせず無造作に現物そのまま置
かれている、それ。
泥棒だってこの鍵で簡単に出入り出来てしまう超お手軽さだ。
鍵を鍵穴に差し込み、ゆっくり右に回す。
カチャリという小さな乾いた開錠音を確認し、ドアノブを静かに回して慎重
にドアを開けた。
『アカリさぁ~~ん?
・・・僕ですけど・・・ 入りますよぉ~~??』
小さめに呼びかけて、ヒナタは真っ暗な部屋の玄関に足を踏み入れた。
玄関口にある照明スイッチを手探りで探し、パチンと押して付ける。
チカチカとわずかに時間が掛かり灯りがついた部屋の中は、泥棒は入ってい
なかったようで至って普通のそれ。物色されたよな気配は微塵もなく、ただ
単に主が不在のようにキレイに片付いていた。
靴を脱いで『お邪魔しま~す』とひとりごち、リビングに上がった。
まずは、開けっ放しのカーテンを閉めて回る。少し肌寒い室内、暖房のスイ
ッチを入れてみる。痩せていて冷え性なアカリらしく、暖房の設定温度がヒ
ナタには信じられないくらい高めのそれ。
ふとキッチンに目がいった。
何かを作った跡なのだろう。ボウルやヘラがまだ片付けられないまま洗い桶
に浸されていた。
『アカリさぁ~ん?』 声を掛けながら部屋を進む。
アカリの寝室のドアの前に立つ。
小さく遠慮がちにドアを2回ノックした。
そして、『入りますよぉ~?』
内緒話をするかのように細く声を掛けてドアノブを回し、ヒナタはゆっくり
ドアを開けた。
すると、
『ああ、もお・・・ アカリさん? 大丈夫ですか??』
そこには想像していた通り、布団にもぐり真っ赤な顔をして動けずにいるア
カリの姿があった。ヒナタの呼び掛けにも反応せず、ただただ苦しそうな荒
く熱っぽい呼吸を繰り返している。
ヒナタは慌てて駆け寄り、ベッド脇に膝立ちになってアカリの真っ赤な額に
手を当ててみた。
『こんなに熱だして・・・。』 夜風で冷えたヒナタの手の平に、アカリの
ジリジリするような熱が伝わる。
まずは水分補給をと、アカリの背中に腕を差し込み少し上半身を起こして、
買ってきたスポーツドリンクの飲み口を乾燥した唇にあてがった。
それは唇の端からチロチロとこぼれるも、朦朧としながらもアカリはそれを
少しではあるが飲んだ。
その姿に安心するヒナタ。しかしストローがあれば良かったかと、ビニール
袋の中を探してみるも、やはりそんな以心伝心がレジ係の人との間に出来て
いるはずもなかった。
まだ全身が熱いアカリは苦しそうに顔をしかめて眠っている。
ヒナタは即席で氷枕を作り、それをアカリの頭の下に置いた。
額には冷えピタを貼り、寒がるアカリへ更に一枚毛布をかけた。
熱でうなされているアカリ。
ヒナタは夜通し傍について、氷枕を替え、冷えピタを貼り直し、水分を摂ら
せた。深夜から早朝にかけて、何度この繰り返しをしただろう。
バイト終わりで疲れた体で、ヒナタはずっとアカリを見守っていた。
すると、
『・・・ュータ・・・、リュータァ・・・・・。』
アカリがうなされるように小さく呟いた。
それは、聞き間違うことなく兄の名で。
『こんな時でさえリュータさんなんですか・・・。』 ヒナタが少し困った
ような哀しそうな情けないそれで小さく笑う。
『・・・僕の名前、呼んでくれたっていいじゃないですか・・・。』
珍しくヒナタがしょぼくれて俯いた。
■第2話 前日のこと
朝、目が覚めるとなんだか体調が悪いような気がしていた。
ここ数日、風邪っぽいなとは思っていたけれど、そんなのは気の持ち様だと
然程気にもしていなかった。よく体温計で熱をはかって確かな数字を目にし
た途端にドっと具合悪くなるなんていう話も聞いたことがあるし。
買い出しは全て午前中のうちに済ませていた。
生まれて初めて作るケーキ。
料理はまぁまぁ得意だけど、お菓子作りは基本的に好きになれなかった。
粉を計ったりふるったり、料理にはないその行程が面倒臭くて仕方なかった
のだ。おまけに途中で味見が出来ないなんて、なにかあった時に軌道修正で
きないその融通の利かなさが頭に来て仕方がない。
しかし。今日は、その嫌いなケーキを作る。
でも、誰にもそれは言っていない。
ナチにもリコにも、勿論リュータにも。誰にも内緒でこっそり自分一人で作
るのだ。
1回で上手くいくなんてハナから思っていなかった。
だから買い込んだ材料は、ゆうに3回は作り直しが出来る分はあった。
”はじめてのお菓子 ”というタイトルの本も、手元に準備済み。完璧だ。
今日はバイトは休みの日。
今日一日でケーキを作って、明日のバイトの時に持って行く算段だった。
ギンガムチェックのエプロン紐を後ろから前に回して蝶々結びにする。
長い髪の毛は両手で掴んでまとめ、高い位置でざっくりとバナナクリップ
で束ねた。ケーキ作りの準備は着々と進んでいた。やはり若干フラフラす
るが、それも全て気の持ち様。何てことない、気にしない。
粉を計りふるい、ボウルには卵を泡立て、オーブンは予熱で温め・・・
モタモタと慣れない手つきで、ケーキが焼きあがるまでに3時間かかった。
そして、最後の仕上げ。
”たんじょうび おめでとう ”
湯せんで溶かしたホワイトチョコを小さな絞り袋に詰めて、チョコプレート
に文字を書いた。慎重になればなるほど指先は震え、想像以上にこのメッセ
ージ書きですら簡単ではないことに無意識の内に不満気に口が尖る。
丁寧に丁寧にケーキの上にプレートを乗せるも、最初ふんわりしていたはず
のスポンジは時間が経つにつれみるみる萎み、プレートの重みも相まって半
分ほどの高さまで沈んでしまった。
『失敗か・・・ じゃ、次。』
第1作目のケーキにふんわりラップをかけ、冷蔵庫に入れた。
第2回戦のはじまり。
同じ行程を飽きることなく繰り返した。
”いつも ありがとう ”
震える手つきで書くチョコプレートのメッセージ。
しかし、今回はスポンジが硬すぎるようだ。
レシピ通りに作っているのに何が悪いというのだ。
若干イライラしはじめながら、3回戦目に突入。
”いろいろ ごめん ”
メッセージだけは段々上手に書けるようになったが、当のケーキは全く巧い
事いかない。
冷蔵庫内には3台のホールケーキが詰まっていた。
気が付くと、余裕をもって準備していた材料が底をついてしまった。
『買いに行くか・・・。』とひとりごちて財布を握りしめ、エプロンの上に
上着だけ軽く羽織って寒空の下スーパーへ向かって走り出した。
4作目を作っているあたりで、さすがに自分の体に起きている異変を見過ご
せなくなってはいた。
でも、まだ、満足にケーキが出来ていない。
明日までに間に合わせなきゃ・・・
明日のバイトまでに・・・
誕生日までに・・・
翌明け方。キッチンにある冷蔵庫には、合計5台のホールケーキがギューギ
ューに詰め込まれていた。
5回目のメッセージを書き終えた時、そこで完全にノックアウト。
這うようにベットへ辿り着き、気を失うようにして崩れていった。
■第3話 5台のケーキ
『・・・ュータ・・・、リュータァ・・・・・』
アカリが苦しそうに尚も呟く。
ヒナタはそれを苦い顔で目を背けていたが、しかし、まだその呟きには続き
が聞き取れたような気がして、そっと視線を戻す。
『・・・ァィツ・・・に・・・・・・・・・。』
(アイツ??)
いまだ眉根を寄せて眠り続けるアカリの口元に耳を寄せ、ヒナタが聞き返す。
『誰に?・・・ 誰にどうしたいんですか・・・?』
思わず毛布の上からアカリの肩を掴んで小さくユラユラと揺らしてしまう。
アカリが ”アイツ ”と人前で呼ぶのなど、思い付くのは只一人なのだから。
すると、
『ァィツに・・・
今日中に・・・ 渡して・・・・・・・
・・・ィナ・・・タ・・・・・・・・・・。』
( ”ヒナタ ”って言おうとした?!)
確かに聴こえたそれに、『アカリさん? 僕?? 僕に、何??』
ヒナタは少し興奮気味に詰め寄るも、朦朧としていたアカリはまた深い眠り
についたようで反応は無くなってしまった。
しかし、聞き間違いではないと確信するヒナタ。
アカリは自分に何かを渡そうと、兄リュータの名を夢うつつに必死に連呼し
ていたのだ。
そこへ、カバンに入れっぱなしにしていたヒナタのケータイがメールの着信
を受けてメロディーを奏で、静まり返った部屋にくぐもって響いた。
アカリを起こしてはいけないと、慌ててケータイ画面をタップして着信音を
止め、急いで内容を確認する。
■from:母
■遅い時間になってごめんね
誕生日おめでとう。
母親から送られてきたメールを見て、目を見張りハッとする。
そして同時に、キッチンのシンクにあった洗い物を思い返していた。
『ぇ・・・ もしかして・・・。』
ヒナタはそっとアカリの部屋を出てキッチンへと向かう。
やはりボウルやヘラなどが洗い桶に浸されているが、心なしか台所まわりが
白く粉っぽい。普通の料理ならばあまり使わなそうなシリコンのヘラや粉ふ
るいがヒナタの胸の鼓動を急速に早めさせる。
意を決し、恐る恐る冷蔵庫のハンドルに指を掛け静かに開けてみた。
『コレ・・・・・。』
そこには計5台のホールケーキが詰め込まれていた。
それを1台ずつ慎重に丁寧にテーブルに出して並べてみる。
よく見ると、チョコプレートに書いてあるメッセージが1枚ずつ内容が違う
ようだ。まじまじとそれらを眺め、ケーキの出来が芳しくないものから順に
並べ直してみた。
すると、
”たんじょうび おめでとう ”
”いつも ありがとう ”
”いろいろ ごめん ”
”これからも よろしく ”
そして5枚目のプレートには ”ひなた だいす ”と途中まで書いて、何が
気に入らなかったのかグチャグチャに斜線で消した跡があった。
『 ”き ”まで、あと一歩じゃないですか・・・。』
ヒナタが喜びを隠せない緩みまくった表情で俯いて、小さく呟く。それは心
許なく震えて、まるで泣いているように足元にこぼれ落ちる。
真っ赤に染まった耳に、深夜の静まり返った空気の音がやけに痛かった。
■最終話 また言えなかった最後の ”き ”
少し体が軽くなった気がして、そっと目を開けた。
シバシバと眉根をひそめて瞬きを繰り返し、手を握られている感触にまだぼ
んやりした視界のまま横を向くと、そこにはベット脇でアカリの手を握った
ままうたた寝をしているヒナタがいた。
もう大分ぬるくなっていて瞬時には気付かなかったが、おでこに手を当てる
と冷えピタが貼られている。小さく振り返ると、タオルでぐるぐる巻きにさ
れた即席氷枕や布団の上に掛けてくれた毛布。その上に更にヒナタの上着ま
で掛かっているではないか。
そこで、ヒナタが駆け付けてくれて看病してくれていたことを知るアカリ。
『そうだ・・・ ケータイの充電・・・。』
スッカラカンになっていた充電を今更ながらコンセントに差し込み、少し
してから浮かび上がった不在着信やらメールやらラインの数々に、さすが
のアカリも反省してペコリと頭を垂れ、いまだうたた寝をしているその若
干過保護な着信相手の寝顔を見つめた。
そして、具合が悪すぎて充電器に差し込む事すら出来なかった昨日の事を
いまだ少しぼんやりする回らない頭で思い起こしていた。
ヒナタを起こさぬようそっとベットを抜け、突っ伏して眠るその背中に毛
布を掛けた。
物音を立てぬよう忍び足で寝室を抜け出し、キッチンに立って水を飲む。
『ぁ・・・。』 ケーキの事を思い出し、慌てて冷蔵庫を開けた。
すると、5台あったはずのホールケーキが物の見事に無くなっている。
『ぇ・・・?』
アカリは辺りをキョロキョロ見回すも、ケーキは無い。
『え? あれ・・・?
・・・作った・・・ よね・・・?』
もしかしたら高熱で朦朧としていて、ケーキを作ったアレは夢だったのか。
否、そんなはずはない。何故ならその証拠に、熱したオーブン板で火傷し
た指先が小さく水ぶくれになって今もジンジン痛むのだから。
ひたすらケーキを探し回るアカリ。
冷蔵庫以外の生菓子のしまい場所など到底思い付かないけれど、熱に犯さ
れた昨日の思考回路でなら何かしら仕出かしていたとしても可笑しくない。
冷凍庫や食器棚のドアを開けたり閉めたりし、仕舞には浴室も覗いてみる
もそれは見当たらない。困り果てて頭を抱え、ふとキッチンに視線を流す
と洗い桶に浸けてあったはずのボウルやヘラが綺麗に洗われている。
そして、水切りカゴに伏せられているそれらと共に、大きなフォークが1
本と5枚の大皿が目に入った。
それはまさしく、ホールケーキを乗せていた5枚のお皿で・・・
『ウソ・・・。』 アカリは目を見張り指を口元に当てて、暫し動けずに
いた。
(ヒナタが・・・?)
失敗作も含め、アカリが作ったケーキ5台全て食べたという事なのか・・・
恥ずかしさと戸惑いで一人オロオロし、じっとしていられずに狭い部屋の中
をウロウロと歩き回る。また熱がぶり返すような気がする。一気に体も顔も
ジリジリ熱くなってきて、居ても立ってもいられない。
暫し夢遊病者のように歩き回り、まず一旦落ち着こうとソファーに座った。
すると、アカリの目に1枚のメモが映る。
それはリビングのローテーブルの上にあった。メモ用紙の白にやたらと几帳
面な字で。幼い頃に習字でも習っていたのだろうか、 ”止め ”や ”跳ね ”
がしっかりしていて、しかし優しくやわらかい人となりが良く表れたそれ。
決して見間違えたりしない、ヒナタが書く文字だった。
”『き』まで言ってくださいね ”
その一行を目にした瞬間、またドっと熱が上がった気がした。
最後にチョコプレートにメッセージを書いた時のことを思い返す。
もう高熱でフラフラで限界で、逆にその勢いで ”だいすき ”と書いてしま
おうと思ったけれど、寸でのところで羞恥心とちっぽけなプライドが邪魔を
して最後の ”き ”は書けなかったんだった。
死んでしまいそうな恥ずかしさと、でもちゃんと誕生日当日にケーキを食べ
てもらえた事と、なにより生まれて初めて誰かに素直な気持ちを伝えられた
事にアカリは心の底から何とも言えない感動を味わっていた。
静かに静かに寝室に戻る。
ヒナタがまだベットにもたれかかって眠っている。
バイト後で疲れていただろうに必死に看病してくれた、この目の前の愛しい
人をじっと見つめていた。肩から落ちてしまっていた毛布を再び静かにかけ
ヒナタの横にしゃがみ込んだアカリ。
眉が下がってなんとも情けない寝顔にクスっと小さく小さく笑った。
どんなに悪態ついても憎まれ口を叩いても、ひるまずに呆れずにいつでも笑
顔で交わすヒナタのパワーにアカリ自身も感心してしまうほどだった。
いまだぐっすり眠っているヒナタを確認すると、アカリは恥ずかしそうに視
線を逸らし俯いて小さく小さく、呟いた。
『誕生日・・・ おめでとう・・・
いつも・・・ ありがとう・・・
いろいろ・・・ ごめん・・・・
これからも よろしく・・・・
・・・ヒナタぁ・・・・・・・・・ 大す』
。。。。。。
その瞬間。
ヒナタがそっと体を起こし、アカリに小さくキスをした。
照れくさそうに名残惜しそうに唇を離したヒナタと、あまりの衝撃に目を
見開いて固まっているアカリの目がバッチリ絡み合う。
ヒナタがいつもより更に優しい目をして、微笑みながらアカリを見つめる。
すると、咄嗟にアカリがぎゅぅううとヒナタに抱き付いた。
まるで子供が母親にするそれのように、ヒナタの背中に腕をまわし胸に顔を
うずめて、もの凄い力で抱き付いている。
ヒナタが好きで好きでどうしたらいいか分からなくて、アカリはどんどん潤
んでいく目をぎゅっと瞑って、ただただヒナタの胸の鼓動を聴いていた。
それは、生まれてはじめて体全部で愛情を表現した瞬間だった。
ヒナタがそんなアカリの頭に頬を寄せ優しく包み込み、撫でる。
『アカリさん・・・
誕生日ケーキ、ありがとう・・・
・・・ほんとにほんとに、ありがとう・・・。』
その言葉にも、いまだヒナタの胸に顔をうずめどんな表情をしているのか見
せないアカリ。しかし小さく覘いている耳が気の毒なほどに真っ赤っ赤に染
まっている。
そんなアカリが、ポツリと小さく小さく呟いた。
『アンタのせいで・・・ また・・・
最後の ”き ”・・・ 言えなかったじゃん・・・・・。』
突然のキスで掻き消された最後の ”き ”に、ここへ来ても最大級の強がり
を見せるアカリにクスっと笑うヒナタ。
目の前のひねくれ者が、愛おしくて愛おしくて仕方がない。
ヒナタは体勢を変え真っ直ぐ向き合うと、いたずらっぽくアカリの顔を覗き
込んで言った。
『はい!! 待ってるので、今。言って下さいっ!!』
仰々しくシャキンと背筋を伸ばし、正座をして。
思い切りやわらかく微笑みながらアカリを見つめる。
すると、珍しく素直にアカリも向き合って正座に座り直し、今こそ正念場と
ばかりひとつゴクリと息を呑んだ。
『ヒ、ヒナタが・・・・・・・
・・・・・・・・・・だい・・す・・・・・』
『聞こえないですよぉ~。』 からかうようにヒナタが片耳を傾ける。
『だ・・・ だいす・・・・・ぃ・・・・・』
『え? もっとハッキリ!!』
すると、そこでアカリが爆発した。
『うるっっっさいわね!!!
もう言わない、絶対言わない!!
・・・一っっっ生言わないっ!!』
そう言って鼻声で怒り狂うアカリを見つめ、ヒナタは腹を抱えて笑った。
『それでこそ僕の好きなアカリさんです。』と身体をよじらせながら。
笑いすぎて、ちょっと涙がこぼれた
愛しすぎて、ちょっと涙がこぼれた
『アカリさぁ~ん、
なんかしょっぱいモン食べたいです、僕・・・。』
『うるっさいわね! 勝手に塩でも舐めとけバカ!!!』
ヒナタとアカリの物語が、やっとはじまった。
【おわり】
眠れぬ夜は君のせい【スピンオフ④】 ~ また言えなかった最後の ”き ” ~
引き続き、【眠れぬ夜は君のせい】スピンオフ(キタジマ編part2)・番外編(コースケ&リコ)をUPしていきます。暇つぶしにでもどうぞ。併せて【本編 眠れぬ夜は君のせい】も宜しくお願いします。