双子岩
挑戦する、と僕が口にした時、彼の第一声はこうだった。
「止めておきなよ」
なんて奴だ、と思ったものだ。一念発起した者に対して、その一言は無いんじゃないか?
「でも、何が起きるか分からないんだろ? 戻ってきた奴は居ないって聞いたぜ」
だからこそ価値があるんだ、と僕は言った。誰も知らない場所。誰も見たことが無い場所。それは転じて、誰もが恐れる場所ということだ。だからこそ、挑む者は勇者とされる。皆と違う、特別な存在になれるのだ。
「生まれた以上、僕は皆と違う存在になりたい」
「違わなくたっていいじゃないか。平々凡々な中にこそ、幸せはあるってもんさ」
「他の皆はそうかもしれない。でも、僕の幸せはそこには無い」
僕はそう嘯いた。そして、彼の再三の制止の声も聞かず、飛び出した。いま思えば、だから、だったのかも知れない。彼の言葉を聞かなかったから。無下にしたから。心からの忠言を聞き届けなかったから。
だから、罰を受けた。
僕は周囲を見回した。何もない。何もない。体には強い風が当たり、足元の砂が埃となって巻き上げられていく。赤一辺倒の世界だ。見渡す限り動くものは無く、僕の声を聞くものも居ない。
苦しみは、飛び込んだ時から既に始まっていた。あの時――この場所に飛び込んだ直後、僕の体は猛烈な炎に包まれた。息が出来ない。苦しい――挑戦者として、勇者として胸躍らせていた僕の心は、一瞬で苦悶に染め上げられた。泣き喚きすらした。体躯が崩れていくのを見たから。
挙句に、この様だ。
僕は自嘲した。真っ暗な天井を見上げながら、風の音を聞きながら。この場所は重力が強い。一歩も動けない。体も随分ボロボロになってしまった。
動けないまま日々を過ごす僕は、只管、自分を責め続けた。何が勇者だ。何が挑戦者だ。何が特別な存在だ。こんなことなら、彼の言葉をもっと聞いておけば良かった。こんな場所に来なければ良かった。平々凡々だったかも知れない。だが、そこには間違いなく幸せがあった。
「この場所の、どこに幸せがあるんだ?」
そう呟いた直後だった。
爆音と衝撃が、すぐ傍で鳴り響いた。
もうもうと土煙が上がる。僕は眼を瞬かせていた。何が起きたのか分からない。自分を責め続けていた僕は、いつしか天井を見上げることすら忘れていた。だから、突然、すぐ傍で爆発が起きた様に思えたのだ。頭は真っ白で、只々、自分の身に起きた出来事を理解しようと、必死に頭を巡らせた。
「あいたたたた」
声がした。僕はぽかんとしていた。酷く懐かしい声が聞こえたからだ。
「やあ、これは運が良い。また会えたね」
「どうして君が」
「いつか、君が言ったんじゃないか。何が起きるか分からない。だからこそ、挑む価値がある」
でも、と彼は笑った。まさか、もう一度会えるとはね。
「久しぶりだね、挑戦者。でも、僕ももう、キミと同じだ」
「……ここ、何も無いよ」
「そうなの? でも、キミは居るじゃないか」
彼は笑った。僕もつられて笑った。久々に笑った気がした。
●
「宇宙の神秘だ」
私が帰宅の支度を始めた時、現地調査の結果を見ながら、教授はそう唸り声を上げた。どうしたんです、と尋ねると、教授はもう一度言った。「宇宙の神秘なんだ」と。
「答えになってませんよ」
「答えを探すのが我々学者の使命だ」
ああもう、と私は呆れて教授に近づいた。彼とはたまに意思疎通が出来ない。同じ言語を使っているというのに。
「何見てるんです? ……岩?」
「そう、岩だ。あの高地にぽつんと二つだけ存在する岩の調査結果だよ。驚きだ。これらは隕石なんだ」
「へえ。つまり、地球に落ちる時に割れて、割れたものが両方ともあそこに落ちたと。確かに珍しいですね」
「いいや違うね。これらは別物だ」
はぁ、と言うと、教授はようやく私にも通じる言葉を放った。曰く。
「一つ目がまずあの場所に落ちた。その後、数十年後に、二つ目がその隣に落ちた」
「別々の隕石が、揃ってあの場所に落ちたと? このだだっ広い地球で?」
「このだだっ広い宇宙で、だ。ものすごい確率だよこれは。別々の隕石が、こんなちっぽけな星の同じ地点に落ちたなんて。まさしく、宇宙の神秘と言える」
「親友だったのかも知れませんね」
私がそう言うと、教授はぽかんと口を開けて私を見た。それから、告げる。
「君とはたまに意思疎通が出来ない。同じ言語を使っているというのに。今のはどういう意味だね?」
「あなたに言われたくないです。……いえ、つまりですね」
少し気恥ずかしくなりつつ、私は説明する。
「隕石Aが落ちた後に、隕石Bが来たんでしょう? まるで、友達の後を追いかけてきたみたいだな、って」
「……なるほどねえ」
嘲って笑い出すかと思われたが、教授は存外に深く頷き、再び調査結果の書類に目を落とした。そして、また呟く。
「まさしく、宇宙の神秘だ」
そうですね、と、私も頷いた。
双子岩