夢十夜
第一夜 『猫』
こんな夢を見た。
まるで雑巾を絞ったかのように体のねじれた猫が、コタツの横に転がっている。
家で飼っている三毛猫なのだが、口から血の泡を吐き、体中の穴から内蔵や排泄物が飛びだしている。
下半身はピクリとも動かないのに、上半身だけは生きようと必死にジタバタ動き回っている。ふいに茶の間に入ってきた母が、そんな猫の様子を見て
「気持ち悪いから捨ててきて」と僕に言った。
「なんで、俺がっ……」と反発したが、母は猫を見ようともせず、足で僕を小突いて再度捨ててくるよう促した。
母は猫がとても好きだ。よく可愛がり、猫も母によく懐いていた。そんな母がなぜか自分で猫を処理しようとしない。
きっと母が好きなのは、猫が猫らしく生きている時の「猫」で、今目の前にいる目が半分飛びだした死にかけの猫は、母にとってただグロテスクな何かでしかなく、もう「猫」として認識されていないのだろう。
いかに愛着があろうと、その面影がなくなるくらいまで変わり果てたものに対して、人間はこうも極端に冷淡になれるものらしい。
そういう僕も目の前で死にかけている猫を、もう以前の飼い猫として見ていなかった。母が「捨てて」と言った時点で、それは僕にとってもただのグロテスクな存在でしかなく、見れば見るほど不快感だけが増していった。
僕は渋々その生ゴミである猫の足をつまみ上げ、なるべく自分の身体から遠ざけて歩いた。時折猫が上体を反らして僕をつかもうとすると、その動作が気持ち悪過ぎて僕は何回も猫を床に落とした。
茶の間を出て玄関の前まで来ると、僕は外に向かって猫を放り投げた。出来るだけ遠くに行くよう思いっきり投げた。
本当にゴミのような最後だ。遠目で見ると路上に横たわる猫は得体の知れない物体にしか映らない。僕はしばらくそのまま放った猫を眺めていたが、時折ピクピクとしぶとく動く猫の生への執着心みたいなものが怖くて、慌てて家の中に入り、家中の扉を全部閉めてコタツに潜った。
第二夜 『墓参り』
こんな夢を見た。
久しぶりに山形の実家に帰省した。何もない片田舎の退屈な風景に暇を持て余したので、町はずれにある曹洞宗の寺に出向いて先祖の墓参りをする事にした。
小高い山の斜面に町を見下ろすような形で立つ寺は、小さい頃に来ていた時と何ら変わらず鬱蒼と屹立する杉林に囲まれている。
墓地のある林の小道を通り、門前にある池の石橋を渡って寺の境内に入った。
境内に入ると、馴染みのような馴染みでないような顔の老人たちが散歩を兼ねた墓参りに来ていて、境内の庭の植木を観賞しながら住職と楽しげに立ち話をしていた。
歴史の古い本堂は一部改築中らしく、仮設されたプレハブの建物が本堂の横に建っていた。境内の長閑な光景とは打って変わり、プレハブの中からは何人かで読経する声が荒々しく聞こえ、立ち入るのが容易でない厳格な雰囲気があった。
ある種の怖いもの見たさのような気持ちが起こり、僕は老人たちと住職に軽く会釈をすると、その厳格な雰囲気のプレハブの中に入った。開け放たれた入口から中を覗くと、上半身裸の若い僧侶たちが錫杖を片手に、ジャラリ、ジャラリ、とリズムを取りながら本尊に向かって精進している。
所々金箔の剥げた本尊の釈迦如来像に向かって線香の煙がもくもくと漂って香り、仏前に据えられた壇の中では勢い良く護摩の炎が燃えていた。そして荒々しい大太鼓が心臓を直接打つような振動を伴って鳴り響いている。
僕はその厳格さにたじろいでしばらくどうしていいかわからず、とりあえず遠慮がちに廊下の隅に座って様子を窺った。
本尊に向かって縦一列に並んだ僧侶たちが、前から一人ずつ立ち上がって円を描くように体を動かし、続く後ろの者が僅かの間を空けて同じ動作を繰り返す。どんどん重なった僧侶たちの円の動きは全体で見ると大きな渦になっていた。それはプロのダンサーが披露するパフォーマンスのように精緻で微塵のミスもない完璧な動きだった。
僕が見る限り僧侶たちは皆トランス状態に陥っているようで、恍惚とした表情で繰り広げられる奇妙なその儀式は片時の切れ間もなく延々と続いた。
僕は恍惚とした表情の中にどこか悲壮感さえ窺わせる僧侶たちをひとしきり眺め、それからしばらくすると退屈になったので表に出た。
外はいつの間にか陽が落ちかけて空が赤紫色に焼けていた。誰もいない、すうっと涼しくなった境内を抜け、参道を下って町道まで出ると、ふと自分の嵌めていた赤い手袋が片方だけなくなっている事に気付いた。どこかで外した記憶もないし、落とした気配もないので、変だな、と思い。今来た道をゆっくりと引き返した。
門前まで戻ると石橋の上にボロボロの手袋が落ちているのを見つけ、それを拾い上げてみたのだが、そのボロボロの手袋は僕が落とした赤い手袋ではなく、見覚えのない黒い手袋だった。
違うとは思いつつ、とりあえず自分の右手に嵌めてみると、そのボロボロの手袋は落とした赤い手袋と同様に、何の違和感もなくしっかりと右手に収まった。自分の落とした手袋が、まるでその手袋だったかのような錯覚を覚える嵌め心地の良さだったので、僕はしばらくこのまま嵌めて帰ろうかどうか迷った。
サイズは合っても右手と左手を比べてみれば、明らかに色が違うし状態も違う。自分の物ではないという罪悪感もあるので、一応は元の位置に戻そうという結論に達するのだが、なぜかそのボロボロの黒手袋に未練があって置いて帰るのが躊躇われた。
どうせ互いに片割れを失った手袋なんだから、と見た目と状態の違う違和感を無視して、やはりこっそり持ち帰る事にした。
何食わぬ顔でまた町道に出ると、これから墓参りに行く人たちの群れと擦れ違う。顔を見れば地元の顔見知りだったので、僕は他人の手袋をこっそり持ち帰った疾しさが悟られるのを恐れ、わざと顔を隠すように下を向き、顔見知りの群れに気付かれないように通りすぎようとした。
うまく群れをやりすごすと、今度は僕と同年代くらいの一組のカップルがチラッと僕の視線の端に留まった。
顔を上げてはっきりと相手を確認する勇気はないが、男女どちらにも見覚えがあったので、きっと地元の同級生だろうと思い、わざと気付かないふりをしてこのカップルもやりすごそうとした。ところが擦れ違う瞬間、カップルがふと立ち止まって僕の顔を覗き込むように見たので、焦った僕は不自然な小走りで逃げるように立ち去ろうとした。
通りすぎてもカップルがまだ振り返ってこっちを見ているような視線を背中に感じたので、僕もちらっと一瞬だけ後ろを振り返って相手が誰か確認した。
「お、おう? なんだお前らか」
懐かしい馴染みの顔があった。確認した相手の顔を見て拍子抜けした僕は立ち止まって二人に声をかけた。
カップルは僕の良く知るカップルだが地元の同級生ではない。なぜこんなところに? と疑問に思ったが、予期せぬ再会の喜びの方が大きかったので、その場でしばらく二人と立ち話をした。
「元気だった? こんなところで何してんの?」
僕らはそんな会話から互いの近況を報告し合ってひとしきりいろんな話をした。立ち話もなんだから、僕が二人に「よかったらこれから三人で飯でもどう?」と持ちかけると、二人は「これから二人きりでカキ氷を食べに行くから」と僕の誘いをあっさりと断わった。
多少気まずい空気が流れたな、と思ったので、しかたなく照れ笑いしながら「そっか、それじゃ、また今度ね」と二人に別れを告げ、なぜか道端に放置してあった車椅子に乗ってその場を去った。
二人に見守られながら慣れない車椅子を漕ぎ、最寄の地下鉄駅に向かう。田舎の田んぼの下に作られた一番ホームと二番ホームしかない小さな駅だ。
なぜか都合よく持っていた定期券で改札を潜り、人でごった返している狭いホームに無理やり車椅子を乗り入れて電車を待った。
利用客の多い路線なのに電車の本数が少ないので、長い時間電車の到着を待たされている客たちが次第に苛立ちを重ね、駅構内にピリピリとした不穏なムードが漂い出した。
「さっきからずっと待ってんのに全然電車来ねぇぞ」
一番ホームに立っている紺色の作業服を着た中年男性がホームの線路に唾を吐き、そんな独り言をぼやいている。ほどなくして二番ホームに電車が到着し、独り言をつぶやいた中年男性の前に満員の乗客を一気に吐き出した。それが中年男性の苛立ちを執拗に煽ったのか、中年男性は当たり構わず、あえて誰かに喧嘩を売ろうとする勢いで怒鳴り散らしていた。
騒然とする中、男性の怒りに呼応するように、まだマイクが入っぱなしになっている構内アナウンスから駅員たちのヒソヒソ話が大音量で洩れて来る。
長時間の残業、理不尽な減給にリストラ……。駅員たちは皆一様に鉄道会社の無軌道な経営方針に不平不満と憤りを募らせているようだった。
僕は構内にいる誰しもが何かしらの不満を抱えている駅のホームで、ただ一人勝手に道端から拝借して来た車椅子の処理に困っていた。
車椅子のまま電車に乗車したら他の乗客の邪魔になるだろうし、放置していくにしても狭いホームにはそのような行為に及べる適当なスペースがなかった。
ただ悩むよりかは、とりあえず車椅子を少しでもコンパクトにした方がいいと思い、僕は車椅子の各部位を渾身の力で無理やり折り畳み始めた。
両方の手の平を血塗れにしながら執念深く折り畳んでいくと、車椅子がなんとか空き缶くらいの大きさになった。そこへタイミング良く一番ホームの電車が来たので、僕は空き缶サイズになった車椅子を電車のレールを避けた線路内に投げ捨て、何食わぬ顔で電車に乗り込んだ。僕が線路に車椅子を投げ捨てたところを見ていた何人かの人が、僕に鋭い視線を送ってきたが、僕は開き直って「何がモラルだ。俺はこんな世の中にはもうとっくに見切りをつけているんだよ」と呟き、無表情に近い薄笑いでその視線を跳ね返した。
ドアが閉まり、電車が走り出すと、何故だか急に自分のした危険な行為に罪悪感を覚え、ついでに先祖の墓参りを済ましていなかった事まで思い出して、ひどい後悔の念に駆られた。
第三夜 『山村の夜』
こんな夢を見た。
山にでも登ってみるか
誰ともなくそんな事をぽつりと言い出して、山岳信仰の深いとある山村の安宿に旧友二人と泊まることになった。
安宿には広いお座敷の部屋がたった一つあるばかりで、宿泊者は皆そこに一まとめにされる。僕たち三人の他にもう一組、登山クラブだという女学生の団体と一緒になった。
素泊まりのみの安宿なので、特に気の利いた食事が出るわけでもなく、僕たちは到着するなりすぐに持参してきた酒と適当なつまみで酒盛りを始めた。
久しぶりに会う旧友との話は必然的に弾み、僕たちはすぐに良い気分になった。粗末な宴会だがどんどんと杯は進み、みるみる酔いが深まる。
かなり酩酊してはいたが、僕はお酒に強い性質なので、持参した酒が空になるまでは飲み足りない。一晩ぐっすり眠れば明日の登山には差し支えないだろうと高を括って、常にグラスを持ったまま旧友たちよりも殊更に酒を煽った。
時折女学生たちの方を横目にしながら酒を啜っていると、顔を真っ赤にしてすっかり出来上がっている旧友の一人が「よし、そろそろ行こうや」と、ふらつく足取りでおもむろに立ち上がった。
「行く? 行くってどこへや?」
聞けば旧友はこの山は夜に登るのが本筋だから今晩中に登るのだ、とぬかす。
夜の山登り。
僕は当然酔った勢いにまかせた旧友の冗談だと思ったが、僕たちと同じく部屋でわいわいと和んでいた女学生たちが皆おもむろに登山の支度をはじめたところを見ると、どうも本当のことらしい。
僕は正直飲み過ぎて、立ち上がるどころか両方の瞼も容易に開けてはいられない具合に参っていたので、本筋とはいえ、この酔いを引きずっての夜の山登りはさすがに無謀だろうと、ふらつきながらも俄然行く気になっている旧友を見上げて渋った。
「なんだ行かんのか? それはダメだ。行かんと、鬼が来るぜ」
陽気な赤ら顔を一瞬すっと険しくさせて、旧友がそう呟く。そして畳の上に転がった空いた酒壜を手に取ると、怪しげな口ぶりでこの村の山岳信仰の伝承を滔々と僕に語って聞かせる。
この山村には昔から夜になると、人を攫って喰らう鬼たちが出るという。鬼は一晩中山村をうろつき回って人を喰い殺すが、日が昇る夜明けにはどこかへ身を隠すのだそうだ。
山の頂上には鬼たちが忌み嫌う神様を祀った古いお堂があり、鬼の難を逃れるには夜のうちにそのお堂に行って鬼が身を隠す夜明けを待たなければいけない。この山の登山が夜に本筋なのはその言い伝えの名残りから来ていた。
「なるほどな」
そうは言ってもはじめて訪れる山だ。そのうえ真っ暗な山道での登山。懐中電灯の明かり一つを頼りに泥酔した身体で登るにはあまりに危険というものだろう。それに登山の醍醐味である山の景色を楽しめないとあっては、いくら本筋でもやはり気は進まない。どうしてもというのであれば、ここは僕一人辞退して、あとは行きたい者だけで行ってもらうことにしよう。
僕がそんな結論を出すと、「まぁ、しょうがないか」と、意外にも旧友二人もあっさり僕に同意する形となった。
そして女学生たちがいなくなって恐ろしく閑散とした座敷でまたケラケラと三人で酒盛りを続けた。そのうちに一人、また一人と眠りに落ちていく。
どれくらいの時が経った頃だろうか?
いつしか眠ってしまった僕は夜中に一人だけふと目を覚ました。寝静まった外の夜の闇が俄かに騒がしい。
座敷を出た廊下。その廊下の縁側に何かが大勢で来ている気配があった。
野犬とも思える、どこか苦しそうに低く唸る声が確かに耳に聞こえ、微かに血生臭いような臭いを寝ぼけた鼻が嗅ぎ取った。
「行かんと、鬼が来るぜ」
鬼。そんな事があるもんか。
大の字に寝転がっている旧友たちを押し退けて部屋の障子戸をそっと開けると、僕は外に広がる闇をジッと凝視した。
月のない静かで真っ暗な闇。その中にこの山村が言い伝える“鬼”の姿があった。
人の顔をした大勢の鬼。
四つん這いになった青白い顔に、爛々と輝く真っ赤な眼。その血に濡れた口元には八重歯にしては長すぎる牙が見え隠れしている。
深い闇の中を鬼たちがぞろぞろと縁側に向かって這いずっていた。
僕は恐怖で足が竦み、悲鳴も上げずただジッと鬼たちが近づいて来るのを見ていた。
人の顔をした大勢の鬼たちがこの山村の村人たちであると僕が気付く頃には、もうすでに鬼たちの顔が僕の目の前に迫っていた。
鬼たちは爛々と輝く虚ろな眼で僕を笑っていた。
夜の山登り。
やはり筋は通しておくものだ。
旧友たちは事態を知らずに已然眠り呆けている。
僕は一人部屋の隅に踞り、覚悟を決めて目を閉じた。
障子戸が破られ、呻き声と共に座敷に鬼たちが雪崩れ込む気配があった。
そして旧友たちの悲鳴を聞いた後、
部屋の隅でただガクガクと震える僕の顔に血生臭い息が吐きかけられた。
第四夜 『神殿』
こんな夢を見た。
大都会の繁華街にパルテノン神殿に似た建物があった。大理石ではなく花崗岩で出来た巨大な神殿で、神殿の中には左右対称に配置された柱の間があり、柱と柱の間はすべて鏡張りになっている。四方が合わせ鏡になった空間は観光客で賑わっていて、皆が鏡に自分の姿を映して、そこにズラッと居並ぶ自分自身の無限の列に好奇な視線を向けて楽しんでいた。
鏡の中の、そのまた鏡の中の自分、自分、自分……。
無限の奥行きをもった鏡の世界に、整然と一列になった無数の自分がいる。見渡せばその列が縦横に存在している異様な光景だ。
この神殿の神官だろうか? 法衣をまとった厳粛な雰囲気の男がいつの間にか僕の側に静かに佇んでいる。
「この神殿のさらなる神秘をお見せしよう」
そう言って神官は法衣の袖から古びた笛を取り出した。神官がその笛をピューッと吹くと、柱の間に何か不思議な力が張りつめたような空気が漂った。
柱の間にいた観光客たちが一斉に驚きの声を上げる。見ると鏡の中の世界に異変が生じ、鏡の中に映る実存ではない無数の自分たちが、実存である自分の動きと関係なく、自ら意志を持ったかのように不規則に動き出したのだ。
その現象は神官が笛の音を鳴らし続けている間中ずっと起こっていた。神官が笛の音を止めると、鏡の中の実存ではない自分たちの動きも止まる。
「どうです? 驚きましたか? この笛を吹いている時だけ、この柱の間の鏡の中の世界は意志を持つのです」
神官が穏かな笑みを湛えてその場にいた人たちにそう説明した。そしてこれがこの神殿に古くから伝わる謎です、とこの神殿の権威と神秘を誇示した。
これまで何度も高名な学者人たちがこの神殿を調査したらしいが、今もってこの神殿の柱の間の謎は解明していないらしい。
神官がまた笛を吹く。観光客たちは驚きの声を上げ、鏡の世界で起こる神秘的な現象に心底魅せられていた。
第五夜 『デート』
こんな夢を見た。
「……どっか行きたいね」
「……どっか行きたいですね」
碁盤の目のように整備された町並みの風情のある石畳の道を二人で歩く。歴史のありそうな神社や寺が街のあちらこちらにあって、高層ビルの替わりに端整な五重塔が家々の低い屋根の配列からしなやかに頭を突き出している。
京都に良く似た雰囲気の街だが、所々に控えた煉瓦の建物や西洋教会の姿には長崎のような異国情緒もある。
ピーヒャラ、ピーヒャラ、トンツク、テンテン……。
「お祭りやってんのかな?」
遠くから聞こえてくる祭囃子のような音に彼女は心を弾ませていた。普段ならもっとはしゃぐのに、今日は何故かわりと控えめな態度で過ごしている。
今日はすごく女性的だな……。
僕はそんな普段あまり見る事のない彼女の女性らしさに胸がドキドキした。
この街にはただなんとなくふらっと来ただけで、別にデートっていう感じのノリでもない。でも、見知らぬ土地で見慣れない彼女に出会って心が高揚して来ているのは確かだ。
デートって事にしよう。
祭囃子を二人で追いかけながら僕はそう思う事にした。
街を見下ろす緩やかな坂道に出る。僕は彼女の少し後ろをついて行く感じで歩いた。デートだって意識した時から並んで歩くのが急に照れ臭くなっていたからだ。
坂の途中、色艶やかな着物に身を包んだ舞妓さんたちと擦れ違う。しゃなり、しゃなり、と習熟した女性らしさを醸し出しながら、古風な街に奥ゆかしい色気を添える。
その歴史と風土に囲い込まれた女性美には多くの男性が憧れを抱く。
「舞妓さん、綺麗だね。アタシも着物着て歩いてみたいなぁ」
僕が舞妓さんたちに見惚れていると、彼女がポツリとそう言った。彼女はいつもどおりのラフな格好で舞妓さんの真似をしてしなを作ったが、舞妓さんと同じようには振舞えず、ぎこちない動きでおどけて見せた。
「舞妓さんって、難しい~」
「ハハハッ、その格好じゃ無理ですよ」
僕はそう言って彼女をからかったが、僕が見惚れていたのは舞妓さんだけではなくて、そんな無邪気な彼女もだった。
「スタイルいいから着物姿似合うと思いますよ。一度見てみたいです」
「ホント? ……似合うかな」
......絶対似合いますよ。
照れ臭いので僕は心の中でそう言った。
穏やかでのんびりとした時間。僕たち二人はふらりふらりと気になる建物やお店に入って、その土地の郷土料理を食べたり、名産品などを眺めたりして街を楽しんだ。
「あっ、これいいなぁ。友達のお土産に買って行こうかな?」
帰りにふらっと立ち寄ったお店で彼女が土産物の赤い下駄を見つけた。土産物屋ならどこにでも売っていそうな下駄だが、よく見ると鼻緒に繊細な和の装飾が施してあって、かなり手の込んだ作りになっていた。彼女はその下駄を手に取って見惚れている。
「ちょっと履いてみるね」
彼女はそう言ってスニーカーを脱ぐと、ローライズのジーンズをおもむろに捲し上げて、白いすらっとした生足を披露した。僕は片足立ちでバランスを崩しそうな彼女に肩を貸して、彼女が下駄に履きかえるのを手伝った。
思えば初の接触かもしれない。僕は彼女の軽いボディタッチに緊張して体が変にぐらついた。彼女が右足を履き終え、左足に移る時、僕は緊張している事を悟られないように平静を装って体勢を立て直そうとしたが、思わず体が仰け反って、彼女と一緒に後ろに倒れてしまった。
どすん、と尻餅をついた瞬間、僕と彼女の頬がくっついた。密着してしまった気まずさに顔が真っ赤になる。嬉しいアクシデントではあったが、はにかみ過ぎて言い訳も出来ずしばらく無言でいた。
「ご、ごめん、大丈夫?」
思わぬアクシデントに彼女の方も照れ臭そうだった。
好きだ。
まったくそんな雰囲気でもタイミングでもなかったが、僕はアクシデントついでに思い切ってそんな言葉を口にしてみようかと思った。でも顔を背けて恥らう彼女を見て、やっぱりその言葉をぐっと飲み込んだ。気まずいまま店を出ると、外は夕暮れが迫っていた。
ドキドキ感だけをそのままにして、僕たちはまた何食わぬ顔で街を歩いた。暮れなずむ街の景色が妙に淡かった。
第六夜 『水難』
こんな夢を見た。
失恋して一ヵ月前から行方不明になっている知り合いの女の子を捜しに海岸へ行ったら、その子が水死体になって浜辺に打ち上げられていた。
12月の寒空の下、集まった警察と近所の人たちで辺りが騒然となり、僕はただ驚きながらその場の様子を見守った。
打ち上げられた知り合いの女の子の水死体は海水をたっぷり吸ってブヨブヨに膨れ上がり、生きていた時の面影はまったくなく、巨大なクラゲか腐敗したイルカのように見えた。でも水死体に張り付いていた衣服には確かに見覚えがあったので、それが知り合いの女の子だとはすぐにわかった。
警察の鑑識らしき人が水死体を青いビニールシートの上に乗せて調べ始めた。捜索願いが出ていたから水死体の身元に関しては僕が警察の人に言うまでもなく、警察の方でもすぐに察しがついたようだった。
鑑識らしき人は持っていた棒で膨れ上がった彼女の死体を乱暴に突きながら、死後どれくらいの時間が経っているのかを割り出そうとしていた。
妊婦のようにぷっくりと飛び出た腹部をまるで風船でも割るみたいに執拗に棒で押す。水死体の膨張した皮膚が透きとおって、腹の中に何か小さい影がたくさん蠢いているのが見えた。
「……あぁ、やっぱり入ってるわ、これ。いっぱい入っちゃってるよ。勘弁して欲しいよな」
彼女の透けた腹の中に入っていたのは、たくさんの蝦蛄海老だった。水死体の体の中にはよく蝦蛄海老が入っているという話を聞いた事がある。話によるとどこからか死体の体内に侵入して、内側から死体を喰い破るらしい。こうして実際にその光景を目の当たりにするととても気味が悪かった。
以前友人と海釣りに行った時、友人が釣り上げた蝦蛄海老を油で揚げて食べた事があったが、死体に群がるところを見たらもう食べられないだろうなと、喉元をこみ上げる吐き気とともにそう思った。
鑑識の人は腹の中で蠢く蝦蛄海老の多さに顔を顰めて、なるべく見ないようにしながら闇雲に棒で腹を突き続けていた。そして破れた腹から嫌々蝦蛄海老を掻き出し、死体の状態が悪すぎて死亡した時間が特定できない、と文句を垂れながら作業を終えた。
黙ってそれを見ていた僕は、グロテスクな蝦蛄海老のフォルムと鑑識の人の不謹慎な態度に言いようのない胸糞の悪さを感じ、水死体になった哀れな知り合いの姿にもなぜか唾を吐きかけたくなった。
しばらくすると警察から連絡を受けた彼女の両親が海岸に駆けつけて来た。そして変わり果てた自分の娘の姿を見てヒステリックに泣き崩れていた。
急に行方をくらました挙句にこの姿じゃ無理もない。母親の方は泣きながら「本当にこれがうちの子なんですか?」と何度も警察の人に聞いていた。二人は極度に膨張して脆くなったブヨブヨの彼女の体をきつく抱き締めて、人目を憚らず大声で泣き続けた。
「それじゃあ仏さんのご両親も到着したことですし、そろそろ葬儀の方に移りますかな」
死体を調査していた鑑識の人が急に司会を務めて、その場に集まった人たちだけで簡単な葬儀が行われることになった。浜辺に落ちている流木や燃えそうなゴミを拾って一箇所に集め、原型のない彼女の遺体を火葬にする。坊さんの代わりに鑑識の人が読経を上げ、葬儀に参加した人たちのすすり泣きが波の静かな海に響き渡る。
ふと沖の方に目をやると、数人のサーファーたちが季節はずれの波乗りを楽しんでいた。ほとんど波らしい波のない海面を器用にスライドするサーファーたちの光景がとても奇妙だった。
集まった人たちが知り合いの女の子の両親に弔いと慰めの言葉をかけていたが、僕はこれまで彼女の両親とは面識がなかったので、特にかけてあげる言葉も見つからず、これ以上ここにいても意味がないように思えたので、彼女の遺体が完全に焼け終わるのを待たずに一人その場を後にした。
それから彼女に対する何かしらの感情はまるであかの他人だったかのように微塵もなくなり、大理石で舗装された繁華街をただ当てもなくうろついた。レンガを積み上げて建てられた瀟洒なビルに、如何わしいネオンの看板がぶら下がって、ビルの前ではポン引きたちが胡散臭い愛想を振りまきながら道行く人たちをその如何わしい看板の場所へと誘っていた。
「ちょっと兄さん、どう? ポッキリ三千円だよ、三千円っ」
ショッキングピンクのやたらテカテカと光る素材の半被に、白い鉢巻をした比較的若いポン引きが、指を三本立てながらニヤニヤと僕に擦り寄ってきた。
詳細なサービスがほとんどわからないいかにも怪しい店だ。まだ昼をほんの少し過ぎたばかりの時間帯だし、所持金もあまりなかったので、若いポン引きの口車に乗れるような気分ではなかった。
当然のように無視してそのポン引きを通りすぎようとしたら、男はニヤニヤしながら「つれないなぁ、ヒマなんだったら遊んでいきなよっ、遊んでいきなよっ」としつこくついて来る。強引に僕の前に回り込み、進行を妨げるように誘いかけてくるので鬱陶しく思い、僕はすぐ近くにあった脇道に逸れた。通りを外れるとポン引きは諦めたのかそれ以上は追って来ず、露骨に舌打ちしながら戻っていった。
逸れた脇道の先は長い石畳の上り坂になっていて、石畳の道の右側には坂に沿って水がチョロチョロと流れる側溝があった。
戻ってまたポン引きに捕まるのも面倒だったので、とりあえず石畳の坂道を上った。
坂の上の道は銀杏並木で、わずかばかりの葉を残して枯れた銀杏が寒々しい姿で立っていた。
足取り重く、息を切らしながら坂道を上りきると、その先は一面に広がる運河になっていて、道がプッツリと途切れていた。
運河の水は大雨でも降った後のように濁っていて流れが異常に速かった。
引き返すしかないな、と思って運河を眺めていると、なぜか水嵩が急にどんどん増えだして、あっという間に足が水に浸かるくらいになった。慌てて後ろに逃げようとしたら、来たはずの道がもうすっかり運河に飲み込まれて身動きが取れなくなっていた。僕はなす術なく、そのまま腰の高さまで水に浸かり、押し寄せた濁流に倒されて下流に流されてしまった。
死ぬっ。
突然の出来事に頭が真っ白になった。泳ごうにも近くに岸はなく、しがみつけそうな物も何も浮いていない。溺れまいと、水面から顔だけを出して、ただジタバタするしかなかった。
荒々しい水流に何の抵抗も出来ずどんどん流されていく。自然の驚異的な力を思い知らされて途方にくれていると、流れの途中で、水の流れが真っ直ぐなところと下にくだって分岐しているところを見つけた。僕はその分岐点の、下にくだって流れている方へ流され、さらに加速しながら、もう助からない、と死を覚悟した。
目を瞑ってなすがままに流れに身を任せていると、しばらくして流れがだんだん緩くなってきた。不思議に思って目を開けてみると、僕の体はさっき上ってきた坂道の側溝を流れていた。滑るようにサァーッと緩やかに流されていくと、水嵩が徐々に減り、やがて完全に水が引いた。
立ち上がって側溝を出ようとすると、そこにずぶ濡れの僕を見下ろす顔があった。
よく見るとそれはあの如何わしい看板を掲げたビルの前にいた若いポン引きで、ポン引きは「さぁさぁ、遊んでいきなよ」とひたすらニヤニヤしていた。
第七夜 『国境』
こんな夢を見た。
あてもなく川沿いの道を自転車で走っていたら、いつしか国境を越えていた。
川は黄色く濁り、向こう岸が遙か彼方に見えるほど広い。川の流れは緩やかで浅く、人の良さそうな老夫婦が川魚の漁をしていたので、僕は土手に自転車を止めてそれを眺めていた。
川には丸々と太った野生の鯉がたくさん泳いでいて、鮭のように川の流れに逆らって上流へ向かっている。老夫婦は時折ひょっこりと水面に顔を出す鯉を素手で器用に掬い上げ、それを背負った竹籠の中に入れていた。
老夫婦があれよ、あれよと面白いように捕まえた鯉を竹籠の中に入れていくので、僕も老夫婦と一緒に川魚の漁がやりたくなった。
老夫婦がそんな僕の様子に気付いて、ニコニコしながら僕の方に寄ってくると竹籠を一つ貸してくれた。
「黄色い鯉を捕まえんだど。黄色い鯉が高く売れるんだぁ。それ以外の鯉は大した金なんねちゃ」
国境を越えたのだから老夫婦は異国の人のはずだが、老夫婦の話す言葉は自分の祖父たちが使っていた方言と同じではっきりと理解できた。
僕は俄然やる気になってズボンの裾を捲くり、老夫婦に借りた竹籠を背負って川に入った。
いろんな種類の鯉が泳いでいる中から、老夫婦が高く売れると言った黄色い鯉を探し、手掴みを試みる。簡単に獲れると思ったが、これがなかなか難しく、いとも容易く鯉を掬い上げる老夫婦のようにはいかなかった。それでも悪戦苦闘しながら、黄色い鯉だけを竹籠の中に入れていく。戦果は徐々に上がっていった。
たまに鯉とよく似た「胎魚」と老夫婦が呼ぶ魚を間違って捕まえてしまう事があり、僕はその胎魚のドス黒い鱗と蛇によく似た面構えのグロテスクさに何度も辟易した。
そうして長い時間漁をしていると、いつの間にか辺りに老夫婦の姿はなく、川を泳いでいる魚の数もめっきり減っていた。
もう帰ろう……。
そう思って僕が竹籠を背負ったまま土手に止めた自転車のところまで戻ろうとすると、僕の自転車の荷台に見知らぬ小さな子供が乗っていた。
誰だろう? あの老夫婦が連れて来た孫だろうか?
僕が子供に近づいて微笑みかけると、子供も僕の方を見てニコニコした。そのうち自転車から降りてくれるかな、と思ってしばらく待ってみたが、子供はいつまでも荷台に乗ったまままったく降りる様子がない。
「あのねぇ、俺、これからこれに乗って自分の家に帰るけど、ボクも一緒に来るか?」
僕が冗談半分でそう言うと、荷台に乗った小さい子供はニコッと笑って大きく頷いた。
困った。黙って連れて帰れば誘拐だ。しかし辺りにはこの子の保護者らしき人もいなければ、人っ子一人いる気配がない。このままこの場所にジッとしているわけにもいかないので、僕はしかたなく子供を自転車に乗せたまま、もと来た道を戻った。
子供は異国の子だった。連れて帰れば国際問題にまで発展したりするだろうか?
目の前に国境がある。国の名を示す看板だけがあり、柵も関所もない国と国の境目。僕は辺りを窺いながら再び国境を越えて家に向った。
しばらく行くとあたりの見慣れない風景に不安を感じたのか、連れて来た子供が今にも泣きそうな顔をして、僕に何かを訴えた。老夫婦の言葉は理解出来たのに子供の言っている言葉は何が何だかまるで理解出来なかった。もうどうにでもなれ、とそのまま構わず自転車を漕いで、嫌がる子供を自分の家まで無理やり拉致した。
僕のこの行為が数日後にテレビで報道され、一時的に深刻な拉致問題として隣国との関係を悪化させたが、当の子供はすっかり僕に懐いて、歳の離れた兄弟のように一つ屋根の下でしばらく一緒に生活した。
第八夜 『黒い神社』
こんな夢を見た。
新聞記者みたいな事をしていた。とある村にある神社の噂が気になって訪れたのだが、村の人がその神社について語る時の口は重く、村の酒場で一人酔って管を巻いている大酒飲みの老人でも捕まえて気前良く奢らない限り、外部の者がその詳細を知る事はほぼないと思われる状況だった。
山の中の薄暗い鎮守の森に建てられた古い神社は村人たちの忌まわしい記憶を封じてあるだけに、村の者でもあっても下手に見聞きする事はタブーなのだ。
黒い鳥居を持つ特異な風貌の神社がある場所は、村の外れから登山道に至る道をさらに分け入ったところにある。山道に慣れた者でないと見分けられない獣道のような難所を進むと、森林の中にぽっかりと拓けた土地が現われ、かつてそこに小規模な共同体が存在した形跡を見せる。
百世帯以上ある村の共同体には入らず、とある事情で他所の土地から来た者たちが勝手に作った生活空間で、黒い鳥居を潜った境内に四世帯。廃材を掻き集めて建てた粗末な小屋に必要最低限な物資しか持たないその山の生活者たちは、村の人たちからサンカや部落などと呼ばれて蔑視されていた。
村との交流を一切取らずに原始時代さながらの狩猟採集に頼る彼らのような存在は、その素性が分からないゆえに、村にとっては理解し難い野蛮な人種として映ったのか、時に自分たちの生活を脅かす敵対者として認識されていたのだろう。
畑が荒らされたり、村の家屋から金品が盗まれるなど、村に何か不都合な事があれば、まず真っ先に疑われるのはこの集落だった。
それを裏付けるような忌まわしい事件が起こったのは大戦が勃発した明治の頃で、ある日村から一人の幼児が忽然といなくなった事に端を発する。
集落の者による犯行を疑った村の青年団たちが山狩りを開始して黒鳥居の神社を訪れると、無人の集落の境内に簀巻きにされた惨たらしい幼児の死体があった。
それを動かぬ証拠として集落への容疑が確信に変わった青年団たちは、集落の人たちが戻るのを待って集落にある四世帯全てを焼き討ちしようとしたが、四つの世帯は既にこの地を去ったのか、いつまで経っても戻る気配を見せず、幼児を誘拐して殺害した理由や状況などが一切謎のまま事件は闇の中に葬られた。
黒い鳥居の神社には古事記に縁のない祭神が祀られていたらしく、僕はその祭神が事件と何らかの関係があると思ったのだが、ようやくたどり着いた集落の跡地には既に古い神社はなく、黒い鳥居だけがぽつりとそこに建っていた。
第九夜 『幽体離脱』
こんな夢を見た。
実家に帰省した夜、父親が使っていた寝室で寝ていると、妹の5歳になる息子が枕元に立って「一緒に羽黒山に行こう」と、寝ていた僕の手を引っ張った。
「羽黒山は遠いぞ。こんな夜遅くには行かれない」
眠気眼を擦りながら僕が甥にそう言うと、甥は不満そうに「嫌だ。今日行かなくちゃダメだ」と駄々をこねる。
「何しに羽黒山に行くんだ?」と甥に訊ねると、甥は首を傾げながら「とにかく行かなくちゃダメだ」とまた手を引く。
不思議な事を言うもんだなぁ、と甥が羽黒山に行きたがる理由をしばらく考えていると、羽黒山を開山した蜂子皇子の、恐ろしい異形の顔をした御尊影がパッと頭に思い浮かんだ。
......蜂子皇子の本当のお顔が見たいのかな?
御尊影に描かれた蜂子皇子の恐ろしい異形の顔は、衆生の悩みを多く聞いたためにそのような顔になったという話があり、本当の顔は穏やかだ。確か羽黒山では開山1400年を記念してその顔を示した秘蔵仏が一般公開されていたはずだ。
それを思い出した時、甥が嬉々とした表情を浮かべて更に力を入れて僕の手を引いた。見ると驚くことに甥の両腕から黒い羽が生えてきて「一緒に空を飛んで羽黒山に行こう」と言う。
夢か現かよくわからないが、またカミサマ世界が何か僕に仕掛けて来たんだろうと思い、もうほとんどカラスに近くなった甥の手を掴んで二人で空へ飛び立った。
カラスになった甥と一緒に空へ飛び立ったのは僕の肉体ではなく幽体の方で、無事に羽黒山にたどり着いたのかどうか、そこからの記憶はぱったりと無い。
第十夜 『最後の夜』
こんな夢を見た。
夜なのに空が妙に明るかった。
外に出てみるとゴッホが描く「星月夜」のように月と星が煌々と輝いている。月は満月なのだが、よくよく見れば、満月は僕が立っている場所の左右に二つ存在していた。
しばらくその不思議な夜空を眺めていると、星の一つが夜空から滑り落ちるように流れ、どこか遠くで大きな爆発音がした。
それから次々と星たちが流れ落ちて来て、遠くの方で真っ赤な火の手が上がり、その炎がどんどん広がって、次第に僕のすぐ近くまで迫ってきた。
......ああ、今日が地球最後の夜だったか
荒れ狂う夜空と地上の輝きを前にして、僕はもうどこへも逃げられないこの状況をどこか清々しい気持ちでぼんやり眺めていた。
夢十夜