宗教上の理由、さんねんめ・第五話

まえがきにかえた作品紹介
 この作品は儀間ユミヒロ『宗教上の理由』シリーズの一つです。

 この物語の舞台である木花村は、個性的な歴史を持つ。避暑地を求めていた外国人によって見出されたこの村にはやがて多くの西洋人が居を求めるようになる。一方で彼らが来る前から木花村は信仰の村であり、その中心にあったのが文字通り狼を神と崇める天狼神社だった。西洋の習慣と日本の習慣はやがて交じり合い、村に独特の文化をもたらした。
 そしてもうひとつ、この村は奇妙な慣習を持つ。天狼神社の神である真神はその「娘」を地上に遣わすとされ、それは「神使」として天狼神社を代々守る嬬恋家の血を引く者のなかに現れる。そして村ぐるみでその「神使」となった人間の子どもを大事に育てる。普通神使といえば神に遣わされた動物を指し、人間がそれを務めるのは極めて異例といえる。しかも現在天狼神社において神使を務める嬬恋真耶は、どこからどう見ても可憐な少女なのだが、実は…。
(この物語はフィクションです。また作中での行為には危険なものもあるので真似しないで下さい)

主な登場人物
嬬恋真耶…天狼神社に住まう、神様のお遣い=神使。清楚で可憐、おしゃれと料理が大好きな女の子に見えるが、実はその身体には大きな秘密が…。なおフランス人の血が入っているので金髪碧眼。勉強は得意だが運動は大の苦手。家庭科部所属。
御代田苗…真耶の親友で同級生。スポーツが得意で活発な少女だが部活は真耶と同じ家庭科部で、クラスも真耶たちと同じ。猫にちなんだあだ名を付けられることが多く、「ミィちゃん」と呼ばれることもある。
嬬恋希和子…若くして天狼神社の宮司を務める。真耶と花耶は姪にあたり、神使であるために親元を離れて天狼神社で育つしきたりを持つ真耶と、その妹である花耶の保護者でもある。
池田卓哉…通称タッくん。真耶のあこがれの先輩でかつ幼なじみ、真耶曰く将来のお婿さん。元家庭科部部長。
岡部幹人…通称ミッキー。家庭科部副部長にして生徒会役員という二足のわらじを履く。ちょっと意地悪なところがあるが根は良いのか、真耶たちのことをよく知っている。
(登場人物及び舞台はフィクションです)

1

 「ごめんね真耶、僕、今日起きられないんだ」
殺風景な部屋のベッドに横たわったまま、拓哉が言った。
「ううん、あたしこそこんな時に来ちゃってごめんね。動けないって、辛いでしょ?」

 大学病院の一病室。拓哉は数週間前からここに入院していた。
 といっても、これは彼が小学生の頃の話。小児科病棟は病気の感染防止のため限られた人しか見舞いに入れない決まりだったが、真耶に限っては池田家、すなわち照月寺との関わりの深さを勘案し、マスクや白衣などの感染防止策を万全にするという条件付きで面会が認められていた。
小学生の頃の拓哉は小柄でやせ細っており、色白な肌もか細い声も、まるで女の子のようだった。今も決して恰幅の良い身体ではないが、手足も背も伸びて、端正な顔立ちとあわせてモデルのようになっていることを思うとひ弱な印象は否めない。
しかしそれも仕方の無いこと。生まれつき心臓に病を持っていた拓哉は、こうやってしばしば入院していた。緊急性を要するほどでは無かったし、手術に耐えられるかも分からなかったので手術は様子見を続けていたのだが、成長するにつれ、ある程度の体力がついたかどうか、そして手術はいつすべきなのか、それらを見極めるための検査入院が増えていった。いずれにせよ、いつかは治さないといけない、このままでは長生きのできない病気であることは明らかだった。

 「おしっこって、わざとしようとしても、できないんだね」
 拓哉の身体は、抑制と呼ばれる処置でベッドに縛り付けられていた。今日の検査はカテーテルという細い管を血管の中に通して心臓まで達しさせ、その内部をモニタで見るというもの。カテーテルの挿入は太ももの内側から行われた。局部麻酔があるので痛みなどは無いが、カテーテルを抜いたあとは出血のリスクがあるため動くことを禁じられる。特に子供の場合は暴れてしまうことも考えられるので、しっかりベッドに身体を固定されて傷口が落ち着くのを待つ決まりだった。これは拓哉のような聞き分けの良く忍耐力のある子どもも関係ない。一度例外をつくるときりがないからだ。もちろん歩くことは許されず、トイレすら行けない。
 「したくてしたくてしょうがないんだよ? おしっこ。でもベッドに寝たままだと、いくら力入れてもダメなんだ」
歩くことができない以上、トイレはベッドの上で済ませなければならない。大人の場合、尿道カテーテルというものを使って自動的に採尿するのだが、小児科病棟の場合はもっぱらおむつが使われている。しかしこれが難関の連続で、子どもはまずおむつを付けるところから抵抗する。それは致し方の無いことであるのでなんとかなだめすかして穿かせたとしてもその次がまた大変で、おむつをすること自体には恥ずかしさを感じつつも我慢して受け入れた拓哉は、その次なる壁にぶち当たっていた。
 「ここはトイレじゃないってどうしても思っちゃって、いくら力入れても出なくてさ。したくてしたくてしょうがないんだよ? そしたら看護師さんがお腹の下のあたりを押してくれてさ、一度チョロっと出るとあとは自然にジャージャー出てくれて、やっとできたんだ」
 同じような病気の子どもが集められているので、この光景を拓哉もしばしば見ている。子供にかぎらず、人間トイレで用を足すことが普通になると、それ以外の場所でおしっこを出すことができなくなる。羞恥心と自制心が邪魔をするのだろう。勇気があれば試してみるといい。下が濡れていいように自分の家の風呂場で、他人に見られる心配のない一人暮らしの人だとしても、パンツを穿いたままおしっこをするのはかなり難儀するはずだ。
 そしておむつをする時点での必死の抵抗や、自制心を乗り越えたとしても、その後がまた大変。無理矢理おしっこを出させられてシクシクとすすり泣く子。母親がしきりにおむつの交換を促すのだが、おもらしをしてしまったおむつを見られるのが嫌で、まだしてないとビショビショのお尻の気持ち悪さに耐えながら意地を張る子。
 でもある程度の年齢に達した子どもにとってはそれが普通の反応だろう。せっかくおむつが取れた年齢からまだ数年。それなのにまた赤ん坊に逆戻りだなんて、と思うのも無理はない。そのへんの感情が分かる看護師にとってもつらい仕事だ。だから拓哉の聞き分けの良さは珍しいと看護師たちも感心し、癒されていた。
 でも、おむつ以上に辛いのは抑制により身体を自由に動かせないことだろう。だがそれすら拓哉は受け入れ、微動だにせず大人しくしていた。

 「タッくん、かわいそう…」
「大丈夫だよ。我慢すれば、そのうち手術してもらえるんだもん。そうすれば、僕、もっと男の子らしくなれると思うんだ」
 まるで女の子と見まごうばかりに華奢で、整った顔立ちが尚更その印象を増していた拓哉だが、一見つぶらな瞳は時に鋭くなり、内面に隠れる芯の強さを垣間見させた。大抵の子供は手術や検査を怖がるものだが、今日もそんな様子を微塵も見せなかった。主治医は驚いていたという。
 もちろん、真耶の存在が拓哉にとって心強かったのは間違いないだろう。だがそれ以上に、拓哉には元気になりたい理由があった。
 「きのう、またひとり亡くなったんだ」
不意に拓哉がつぶやいた。閉ざされた空間の中で闘病を続けていると、不幸にも力及ばず天に召された患者の噂も耳に入ってくる。その子は小児がんで、まだ真耶と同い年だということだった。拓哉はそれを淡々と話していた。
 病院という環境では、否応無しに死という事実と向き合わざるを得ない。周囲にはどんよりとした空気が漂っていて、難病を抱えた子どもたちの集まるこの病棟では尚更その傾向は強かった。
 「父さんがよく言ってるんだ。お坊さんをずっとやってるけど、お葬式だけは慣れない、って」
長年僧侶をやっている拓哉の父だが、拓哉同様優しい性格を持つ彼にとっての偽らざる本音だろう。肉親を失ってあの世への旅立ちを見送るという行為に数え切れないほど立ち会ってきたのだ。
「でもね、僕、そんな大変な仕事をずっとやってる父さんのこと尊敬してるんだ」
突然、大事な家族を失った家族のそばに居ること、心の拠り所になること、それも僧侶の大切な仕事。そんな大変なうえに大事な仕事をする父のことが、拓哉にとっては誇りだったし、
「僕も、大人になったら僧侶になる。だから、絶対病気も治してやるんだ」
と、心優しくも芯の強さを持つ拓哉がそんな決意を真耶に話すのも自然なことだった。拓哉は抑制された右手をまさぐると、そこにあった真耶の左手をギュッと握り、力を込めるのだった。感染防止用の手袋越しに、その強い意志は真耶にも伝わっていた。

2

 何度かの検査入院を経て、手術が決行された。それまで体育は全て見学、外遊びもままならなかった拓哉だったが、退院後は少しずつ身体を動かすことに慣れていった。しかし幼い時期に活発に動き回れなかった影響は大きく、がっしりした体型をした父親の遺伝でそこそこの身長にはなったものの、手足は華奢で細長く、運動神経の発達は大きく遅れてしまった。
 ことわっておかねばならないことだが、すべての小児心臓病患者が拓哉のようになるわけではなく、治療を経て運動がしっかりできるようになる子どももいれば、そもそも心臓病自体が軽く、日常生活に支障ないまま手術をしないで大人になり普通の社会人生活をおくるケースもある。同じ病気だからといって十把ひとからげには出来ない。
 ただ拓哉の場合は特別症状が重かったので、回復にも時間がかかった。スポーツもままならず、体育の授業は見学が続いた。重いものを持ったりする作業は避け、ゆっくりゆっくりと体力を付けていく日々が続いた。しかし学年も進むにつれ、拓哉自身が自分の「持ち時間」を意識してくる。
「このままじゃ、僕、じょうぶなからだの大人にはなれないや」
真面目な性格の拓哉は、それで自分の体を少しでも鍛えることをあきらめなど決してしなかった。しかし同時に聡明でもある拓哉は、幼い頃から抱いてきたひとつの夢をあきらめざるを得ないだろうと気づいていた。
 間もなく小学校を終えようとするある日、拓哉は両親に呼ばれた。いつも見慣れた和室の客間に父と母がかしこまって座っており、部屋はやけにだだっ広く見えた。ただごとではないことを宣告されるであろう予感はすぐついた。
 一人息子である拓哉は、世の中では長男が家業を継ぐ習慣があることを知っていたし、だから自分が照月寺を継ぐものだ、いや継がなければならないと思っていた。そのために寺の手伝いも進んでやっていたし、仏教の教えも熱心に勉強した。
 しかし、やがてわかってきた。照月寺の属する禅宗は特につらい修行を若き僧侶候補生に課す。それに拓哉がついていけるとはとても思えないし、修行を受け入れる寺の方からも、拓哉は厳しい修行を乗り切れないだろうから、申し訳ないが受け入れるわけにはいかないと釘を差されていた。医師の判断も同じであった。

 わかっていた。拓哉は、うすうすそれがわかっていた。だからこのただならぬ空気に触れて、今日がそれを告げられる日なのだと、自ら理解した。
「すまない」
父のこの一言だけで、拓哉にすべてが通じた。父も母も、拓哉の将来の希望する道を知っていたが、その道を歩ませることは叶わない、と言いたいのだと。
「わたしたち、あなたをお坊さんにしてあげたかったのは本当だし、今もそうよ。あなたが一人で座禅や読経の練習してたのも知ってる。でも、お坊さんでなくっても貴方は私達の大切な一人息子。それは絶対、絶対に変わらないから。こらえてね」
一言を発したのち黙りこんだ父に代わって、母が優しく諭すように言った。最後はほとんど涙声だった。本当はこらえなければと必死になっているのは母と父だって同じだ。だから拓哉は精一杯の笑顔を作り、
「やめてよ、母さんも父さんも。座禅とかお経とかは僕が好きでやってるだけだよ。自分の身体が坊主として向かないことは自分が一番良くわかってる。そのかわり僕はこの寺に縛られず、好きな仕事を選べるんだ。かえってラッキーだよ」
これが、拓哉が産まれて初めてついた嘘だった。

 自室に戻ると、拓哉は一人座禅を組み、昔のことを思い出していた。
 寺は拓哉の父の弟、つまり拓哉の叔父が一旦継ぐ。仏教界も後継者不足の時代で、叔父も現在担い手のいなくなった寺の住職となっている。そこで一旦照月寺と住職の掛け持ちをしたのち、彼の息子、つまり拓哉のいとこに照月寺を継がせるという形だ。
 叔父の家は子沢山な上、そのうち二人が僧侶になりたいとすでに意思表明しているのでうち一人が今叔父のいる寺を継ぎ、もう一人が照月寺を継げばちょうどよい。しかも叔父のほうが早く結婚をしたのでいとこ達は拓哉より年上。拓哉が高校を出る頃には修業を終え、この寺にやって来られるということだった。彼らは揃って穏やかな性格で、今まで拓哉ともうまくやってきたしこれからもそうだろう。しかも寺を含んだ家屋敷は拓哉が相続する、つまり拓哉が名義上池田家の家主になることも快諾してくれている。
 また、彼が進学を望む学区内トップの名門公立校からもその寺は近い。本来村からも通える範囲内なのだが、体力に不安を抱える拓哉は中学を卒業するとともにその寺に下宿すればだいぶ楽になる。それだけ気の置けない親戚付き合いという意味でもあるが、だからこそ、その家の長男ばかりか次男も寺でお勤めを果たしたいと考えたら助けてあげるべきであるとも言える。
 というわけで表面上はすべてまるくおさまっている。しかし。拓哉が照月寺の住職になることに希望を抱く子どもが、もう一人いた。拓哉は、そのことを思い出していた。

 「あのね、しんぶつしゅうごうって知ってる? あたしんちとタッくんちはセットでお参りするのが決まりなんだって。だからあたし、ぶっきょうのこともいろいろ勉強したよ。それでね、タッくんのお嫁さんになって、お寺のお手伝いがしたいの」
 村の一番奥にある、小さな集落。そこで育つ幼いころの真耶にとって、拓哉は唯一と言って良い近所の遊び相手だった。
「ああ、楽しみにしてるよ」
病弱であることを自覚しながら、まだ自分の身体に課せられた深刻な宿命を知らなかった拓哉はいつもそう答えていた。その姿は、相思相愛という言葉がピッタリとくると言って間違いなかった。

 繰り返すが、心臓病の経験者がすべて虚弱な身体であるかといえばそんなことは無い。心室の壁が薄かったり、穴が開いて左右二つに分かれた心室がつながってしまうといった症例はさほど珍しくないし、そういった心臓を抱えながら症状としては発現せず、そのまま長寿を全うするケースもある。また手術の結果かえって運動が楽に出来るようになったり、丈夫な身体になったりもする。プロのスポーツで世界を活躍する選手の中にも心臓手術経験者がいるくらいだ。十把ひとからげに心臓病経験者だからといって医学知識のない周囲が勝手に彼の行動を制限するのは大きく間違っている。
 だが幼いころの拓哉の場合、いつか手術をしなければ決して長くないこと、そして手術をするにはある程度成長しすることが必要で、しかも成功しても健常な体になる保証は無かった。そんなことはつゆ知らず、日に日に親密になっていく二人の仲に、両家の保護者達は微笑ましさと同時に不安を抱えていた。

 幸い手術は成功し、日常生活が送れるようになっていた。リハビリの成果が現れ、学校でも少しずつ体育の授業に参加するようになった。筋肉が発達しなかったことの怪我の功名で、拓哉はアイドル歌手のように端正な顔と体つきになった。サッカーボールをドリブルする姿など随分サマになるのだが、油断すると足がもつれて転んだりする。だが、
「転ぶところがカワイイ!」
「ううん、転んでもカッコイイ!」
という具合で、女子には人気があったものの、拓哉の気持ちは相変わらず真耶一途なことを皆知っていたので、告白する女子は皆無だったようだ。

 しかし、中学校に進んだ拓哉は部活動の選択という壁にぶつかってしまった。運動部に入ることは厳しいから文化部から選ぶことになるが、生活が入院の繰り返しだったせいでこれといった趣味というものがない。次々と入部届を書いては提出しに行くクラスメイトを横目に、拓哉は一人悶々としていた。迎えるほうは噂のイケメン新入生を我が部に是非! とばかりに歓迎ムード満載なのだが、自分が行けば足を引っ張るだろうという引け目も手伝って、なかなか入る部を決めることができなかった。

 木花中には「ノー部活デー」というのがある。生徒に多くの選択肢を与えたい、生徒がやりたいといったことはなるべく認めたいという学校側の配慮が裏目に出て、部活動の数が生徒数に見合わないほど多くなってしまい、運動部などはチーム編成もままならないことが珍しくなかった。
 それを緩和するために、「活動日二分制度」というアイデアが出てきた。つまり月・水・金に活動する部活動のグループと、火・木・土に活動する部活動のグループに二分させることで掛け持ちをしやすくするというもの。必ず二つの部活に加入しなければいけないわけではないが、やりたいことを一つに絞る必要が無いので二つの部活をやる生徒が多くなり、部員不足は解消に向かった。
 ところがここで問題が発生した。後者に属する部は土曜日に活動できるので、より多い時間を確保できることになる。その不公平を是正するための対策はすぐさまとられ、土曜日はすべての部活が活動可能とする代わりに、金曜日を部活動休みの曜日として設定することで、公平性を確保したのだった。そして土曜日は午前は月水活動の部、午後に火木活動の部が集まる原則とされた。
 このことは様々な副産物を産んだ。いわゆる生徒の「部活漬け」も緩和され、さらに金曜日に教職員の身体が空くことになるので、その週の溜まった仕事を片付けられるので残業時間も減った。
 しかも、朝練は禁止だし日曜祝日の部活も大会など特別な理由があるときだけ許可が出る。長期休業中の部活日数にも制限がある。もっともこれは、農業と観光が主産業の村にあって、猫の手も借りたい時に子どもの手を学校に貸す余裕はないからという保護者の要望もあるのだが…。
 いずれにせよ木花中の部活動は実におおらかなものだ。その代わり、部活動への加入率は百パーセントに近い。それぞれが楽しく部活動にいそしんでおり、だからこそどの部活にも活路を見いだせなかった拓哉は次第に孤独感を深めていった。



 とうとう入部届の締め切り日になってしまった。
「おいタク、今日までだぞ」
「わかってるよ」
拓哉に話しかけたのは、いつも後ろの席からちょっかいを出してくる岡部幹人。でも拓哉は今が授業中であることを除けば、ちょっかいを出される事自体には嫌な印象を持っていない。彼は男子で唯一の幼なじみの友達だからだ。
 天狼神社も照月寺も村の一番奥にあり、人口も子どもの数も多くない。幹人は村の中心部に近い方に住んでいるが、家が岡部医院という村唯一の病院で、拓哉もそこの患者だったことから付き合いが始まった。
「そういうお前は決めたのかよ、俺のこと心配してる場合じゃねーだろ」
いつの間にか俺という一人称が似合うように、拓哉はなっていた。
 「まさか入らないとか言わないだろうな」
「冗談。入るに決まってんだろ。お前と違ってちゃんと考えてんだよ俺は」
「ほおう? 何部に入るんだよ」
こんな軽口を叩き合うほど気の置けない関係になっていた二人。だから拓哉は、幹人が本当は勉強も運動も得意で性格も至って真面目なのに、わざと悪ぶったり面倒臭がったりすることを知っていた。だから、
「帰宅部」
という幹人の答えがいつもの悪ぶりだと分かっていた。だからあえて拓哉は、
「ふーん、その帰宅部っての、俺も入ってみようかな」
と答えた。しかしそれを聞いた幹人の表情が一変した。
「おい、ふざけんなよ」
「は?」
冗談半分でやり取りしていたのに急に真面目モードにギアが入った幹人に対し、拓哉もカチンと来た。いきなり洒落が通じないかのような態度を取られたことにイラッと来た。お前だけさんざんふざけといて俺がそれに乗った途端それかよ、そう一気にまくし立てようとした。だが、
「お前入院してたせいで何年分の学校生活損してんだよ、わかってんのかよ、わかってないのかよ、バカかよ、アホかよ。ガキん時好き勝手してきた俺とは違うんだよ」
幹人は本気で怒っていた。自分の冗談が引き出した軽口とは言え、拓哉が中学生活を楽しもうという意志を示さない、いや、示せないことにカチンと来たのだ。なんでこいつはいつも遠慮ばかりしているのだ、自分が楽しもうとしないのだ、いや、楽しみを見つけ出そうとしないのだ、と。

3

 この二人が軽口を叩き会う関係になったのは数年前、まだ拓哉が手術をする前にさかのぼる。
 「照月寺さんも大変よねえ、なかなか子宝に恵まれなくて、ようやく授かった息子さんは心臓のご病気だなんて、仏様も大変な試練をお与えになったものよねえ」
待合室で中年の女性二人が小声で雑談をしている。診察室ではまだ手術前のひ弱な拓哉が聴診器を当てられている。ご婦人たちは外の噂話が聞こえるような安物の壁を岡部医院は使っていないから、診察室の向こうにいる噂の主にそれが聞こえることはないと信じていたが、感染防止のマスクをきちんとすることと、混雑時には遠慮すること(もっともこんな田舎の医院で後者のような事態が訪れることはまず無いのだが)を条件に待合室の本を自由に読んでいいという許しを貰っていた、この医院の息子の耳にはしっかり入ってきた。
 幹人は、本は好きだったが、自宅と同じ敷地に建つこの建物の「臭い」が嫌いだった。消毒用エタノールを始めとするさまざまな薬品の臭いと、古い建物独特のカビ臭さが相まって、そこはさながらタイムスリップしたようでもあった。だが幹人の嫌いな「臭い」はそれではなく、例えとしてのそれだった。
 医院の待合室は、自分の体の状態を告げられることへの不安感とそれを誤魔化すための軽口が飛び交い、ちょっとした社交場となっていた。田舎の医院ではよくあることだ。そしてそういった場所では、もっぱら噂話が便利な話題として使われていた。
 「大変だと思うなら、直接慰めてやれよ。何か困ってたら、手伝ってやれよ」
心のなかでそう叫ぶ幹人であったが、待合室にいる大人は医院にとって大事な患者であり、元気そうに会話していても実際はどこかしら体調を崩している人もいるのだからここでは無闇に話しかけてはいけないと母に釘を差されていた。イライラのぶつけ場所に迷った挙句、幹人は読んでいた本を自分に出来る限りの力で床に叩きつけた、はずだったが年齢に不相応な理性を反射的に発揮した彼の手にあった本は滑って自然落下したようにしか見えなかった。幹人はその本を拾うと丁寧に埃を払って、本棚に戻し、その場をあとにした。

 「悔しくないのかよ、お前」
今日の担当医である幹人の母が席を外したすきに彼は診察室の窓から顔を突っ込むと、そこにちょこんと座る同い年というには少し身体の小さい患者に、ぶっきらぼうに話しかけた。
「…な、何が? 僕がなんで悔しいの?」
キョトンとした顔で応じるのは、まだ手術前の拓哉だった。だが彼もまた聡明な少年であり、村の大人たちが無意味な同情を自分にしていることには薄々気づいていた。そしてその聡明さゆえに、それは仕方のない事、自分の身体の弱さがために学校にも満足に通えなければ外遊びも出来ず、友達がほとんどいないことも聞き分けなければいけないと自らを律していた。
「聞こえてたんだろ? 待合室の噂話。こんなボロ病院なんだから会話丸聞こえなんだぜ。重大な病気の告知とか、秘密の話するときはわざわざ奥の部屋に移動するんだから」
「…聞こえてたけど…でも、本当のことだから。僕が病気なのは、本当なんだから」
「こそこそ陰口みたく言うのが気に食わないってんだよ。つかなんでお前、全然平気みたいな顔してんの。もっと感情出せよ」
 幹人は、聞き分けが良すぎる拓哉に対して苛立ちを感じているようだった。そういう幹人だって、そこいらの大人からすれば良い子に見えているのは自覚している。でも彼の場合、あえて猫をかぶっているだけで、家庭では大口やワガママも言ったりする。幹人から見た拓哉は、あまりに世の中を達観しすぎているように思えた。病気でひ弱な自分を受け入れ、これといった自分のしたいことを主張もせず、友達がいないことすら仕方のないこととあきらめている、それが見ていられなかった。

 「よし、決めた。俺と組もうぜ」
「?」
幹人の言葉の意味が、拓哉には全然わからなかった。もちろん幹人はそれも織り込み済み。
「俺とお前で、悪ガキコンビになろうってんだよ、子どもギャングとかいうやつ。くだらねえ陰口言ってる大人どもにたくさん仕返ししてやろうぜ」
いやだよ、と拓哉はオドオドしながら答えるだろう、でもそれを強引に引きずり込む、幹人はそんな自分の目算が完璧だと思っていた。が。
「幹人、くん? 僕と、友達になりたいの?」
不意を突かれた。そしてそれがあまりにも幹人の心の的を見事に射抜いていたことに彼はたじろいだ。悪ガキとか仕返しとか正直どうでもいい、大人からの無神経な同情はかえって子どもの心を傷つける。だから子どもである自分が友達になってあげて、子どもらしい対等な人との付き合いを味あわせたい、いやそれは尊大な考えだ、自分が耐えられなくて見てられないから、こいつの初めての友達になりたい、そんな心の底の気持ちを掘り起こされたような気がした。
 しかし、図星を突かれた幹人は素直になれなかった。
「はぁ? ふん、わかってんだよ、お前、友達なんかいらないんだろ? 知ってて誘うかよ」
素直になれない。幹人はこういう時、本当に素直になれない。自分の考えを見透かされたことで幹人は明らかにうろたえていたのだが、それを隠すためにはあえて悪ぶる以外の方法を知らなかった。
「どうせボクチン病気だから友達なんていなくていいんだ~、友達に負担かけちゃうのはいやなんだ~、とか言ってさ。…嘘つけ。本当はさみしくてさみしくてしょうがないくせに。毎晩毎晩布団の中でおともだちがほちいでちゅよ~うええ~んとか言って泣いてんだろ? さみしくてさみしくてガマンできなくて、ママのおっぱい吸いに行くんだろ?」
いくらなんでもひどいだろう、それは幹人自身も分かっていた。でも大人びている彼もさすがにすべての面で老成しているわけではなかった。その結果、
「あ、友達いたっけか。つか、あいつ何? 男だか女だかわかんねえやつ。あんなオトコ女とばっかいちゃいちゃしてっから、お前までなよなよしたオカマみたくなっちまうんだよ。あんなのと付き合うのやめようぜ? 俺と男らしく、カッチョイイことしようぜ?」
心にもない悪口まで言ってしまうのが、幹人の悪い癖だった。悪ぶりたいのはまだいいが、この悪い癖は大抵相手の逆鱗に触れてしまう。どうやら彼は、相手を怒らせるツボを察知する能力に長けているようだった。
「…僕のことはいい、でも、真耶のことを…」
だから、ようやく口を開いた拓哉の顔も、彼が今までしたこともないような、まるで鬼の形相になっていた。
「真耶のことを悪く言う奴だけは、絶対許せない!」

4

 「で、大事な私の患者様と取っ組み合いの喧嘩をしちゃったわけか。君は」
幹人が固まっている。世の中を斜めに見てやばい場面からうまく立ち回る彼が唯一苦手にしているのが、拓哉の主治医である母だった。そこにはさっきまでの自信満々で攻撃的な面影はまるで無く、ただ母親の雷が落ちることにビクビクしていた。
「で、我が患者の池田拓哉君。君はうちの大事な息子の挑発に乗って、取っ組み合いしちゃったわけか?」
拓哉は真っ赤な顔で、必死で涙がこぼれ落ちるのをこらえていた。喧嘩なんて生まれて初めてやった。しかも相手は自分がいつもお世話になっている主治医の先生の息子。どれだけ激しく叱られるだろうかという恐怖心と、自分がそれだけ大変なことをしてしまったのだという罪悪感にさいなまれ、自分も罰を受けるだろう、いや受けるべきだと思いながらも身体は震え、元々弱い心臓が精一杯の力を振り絞って鼓動を刻んでいた。

 しかし。
「よくやった」

 キョトンとする二人。
 絶対に怒られる、二人のそんな予想をくつがえしての思わぬ言葉。
「実によくやった」
まさに狐につままれたような面持ちの二人。それをよそに幹人の母は拓哉に向かい合い、
「ナイスファイト。君は余りに大人しすぎるから心配していたんだ。いくら身体が弱いと言っても少しくらい遊んだって君の心臓は壊れやしない。もっと自己主張すればいい。わかるか? 自分のしたいことをしたいって言うってことだ。それは、わがままなんかじゃない。自分が良いと思って言ったりしたいと思ったりしたことに自信を持つんだ。な?」
キョトンとした拓哉の眼から涙が引きかけたが、すぐさまぶり返した。
「で、でも、僕、幹人君ぶっちゃった…けんか、しちゃった…」
そして堰を切ったように、
「うわああああん。けんかしちゃだめって、お父さんもお母さんも先生もいつも言ってたのにい…」
大粒の涙が、拓哉の瞳からボロボロとこぼれ落ち、滝のようになった。
 そして。
「な、泣くなよ、バカ拓哉。お前なんも悪いことしてないだろ。あれは、俺が、俺が…ひどいこと言って…うわああああん」
いつも斜に構えて、子供らしくないほどのクールな無表情を決め込んでいる幹人までもがつられてわんわん泣き出した。
「ごめんよお。弱っちいとか、お前の大好きな真耶のことまで悪口言って…ホントは、あんなこと、思ってなんか、なんか…」
最後はすすり泣きになって聞こえなかった。泣きじゃくる二人の少年に対し、幹人の母は頭をなでながら優しく語りかけた。
「二人とも、よく頑張った。つかみ合いの喧嘩が出来るなんて子どもだけの特権だ。大いにやれば良い」
そしてまず幹人に向き合うと、
「ミキ、お前随分手加減が上手くなったな。口は相変わらず悪いが、お前が優しい気持ちを持っていることくらい分かってる。お前、喧嘩で本気になったら手段選ばないだろうに。あんな取っ組み合いで相手が倒せるって本気で思ってたのか? 思ってないだろ? お前のパンチあんな猫みたいにへなちょこで、ノーコンだったか? 知ってるんだぞ、診察室の人体図で、どこが人間の急所か研究してたろ。あの成果はどうしたんだ?」
そして改めて幹人の頬に手を当てると、
「さすが私の息子だ。見事、拓哉君の心を開く手術に成功したな」

 この数年前の出来事以来、二人は友だちになった。だが、このときの中学校の教室にはあの時と似た、険悪な空気が漂っていた。だがあの頃より幹人は大人になっていた。いや、真似だけの大人ではなく、大人の分別を覚えたと言うべきだろうか。自分のことを棚に上げて
「そういや真耶がさ、料理教室通いはじめたってさ」

5

 真耶は、バレエを習っていたことがある。
 「神使の女の子」として恥ずかしいことのない振る舞いを自分のからだに染み込ませるため、真耶は色々な習い事をしてきた。もともと木花村は子どもの習い事が盛んな村だが、まず楽しむことを目標とし、根性主義は流行らない気風があり、それが真耶の穏やかな性格に合っていた。真耶はどんな習い事も楽しんでやっていた。
 真耶は女性としての礼儀作法を身に付けるために茶道や華道、礼法、また祭りで舞いを舞うために日本舞踊、美しい字を書くための書道、そうやって一つのことにどっぷり浸かるのではなく、広く浅く「女の子がやりそうなもの」を習った。
 自分でも努力した。少女マンガの模写からはじめたイラスト描きは乙女チックなものからカワイイ系まで無難にこなす。ピアノも猫踏んじゃったの連弾くらいは出来る。
 そんな中で、真耶のほうからやりたいと言い出した習い事がある。それがバレエだった。それほど本格的でもない、週に一回公民館でやっているレベルのものだったが、女の子のキラキラしてヒラヒラしたものへの憧れを満足させるには十分だった。
 だが。
 バレエは物語だ。男性が演じる役と女性が演じる役がある。当然のように真耶は女の子と同じ練習カリキュラムをこなしていた。真っ白でふんわり広がるスカートをまとった白鳥役で発表会にも出た。運動は苦手な真耶だが、努力を苦にしない性格が幸いして、それなりに上達もした。そうなると新たな選択肢が現れてくる。
 コンクール。そこでいい成績を残せば近くの町にある本格的なバレエスクールに特待生待遇で入ることができる。真耶の夢は広がっていた。大人になったらお嫁さんになると決めているし運動神経からしてもプロのバレリーナは無理だが、かなり入れ込んで、青春をバレエに捧げてもいいと思った。

 しかし、大きな壁が真耶の前に立ちはだかった。

 コンクールに男子が女子役で出場することに、大会の事務局が難色を示したのだった。木花村の特殊なしきたりは周辺の町村でこそ知られてはいるが、全国規模の組織がひとつの村のしきたりに合わせ無ければならない理由はなかった。
 程なく真耶はバレエをやめた。他にも色々女の子らしい習い事しなくちゃ、と彼女は笑顔で言ったが、その言葉が彼女ならではの、周囲を心配させない気配りだったことはハッキリしていた。
 だから、それからしばらくの間、家族は真耶に何の習い事もさせなかった。真耶がバレエのできなくなったショックを抱えていることに気づいていたからだ。幸い間もなくして同い年の女子である苗が横浜から里親制度によってやってきた。やがて友達との交友範囲は広がり、神使という立場を離れて日々子供らしい遊びをする真耶の姿に、大人たちは胸をなでおろした。

 ところが、ある日真耶が珍しくおねだりをした。
「料理教室に通いたい」
大人たちは戸惑った。そして不安をあらわにした。また真耶が過剰な責任感から、「女の子らしくありたい」と思って無理をしようとしているのではないか、と。料理ならそこそこのものは作れる腕前を真耶はとっくに持っている。神社の取り仕切り役はすでに希和子に任せられていて、彼女が神事で出かけるときの食事は真耶の担当だったし、これ以上料理がうまくなる必要性はあまりなかった。あるとすれば、それはもう趣味の領域。そして料理を趣味とする人の多数派は女性、というのが世間のイメージ。裏を返せば、趣味のレベルまで料理を極めればより「女性らしく」なる。
 だから皆心配した。真耶が表面的な「女の子らしさ」にとらわれて、また無理をしようとしているのではないかと。

 「ねえ、真耶ちゃんは、料理がしたいの? それとも、しなくちゃって思うの?」
思い切って、希和子が尋ねてみた。
「あのね、やっぱり女の子ってお料理得意じゃなきゃ、って思うから。あたし今もお料理できるけど、もっと女の子らしくなるために、いっぱい努力しないとって思うの」
 希和子の顔が、あからさまに曇った。女の子だから家事が得意でなければいけないとか、そういう考えに真耶も自分たちも囚われていたことは否定できない。でも一方で「女の子」であることを楽しめたバレエは道を絶たれた。
「真耶ちゃん、あのね」
希和子はしゃがんで、目線を真耶よりも低くして、諭すように言った。
「お料理とかの家事って、男女関係なくちゃんと出来たほうがいいと、私は思う。女の子だから料理が上手でなきゃだめ、なんてことは無いのよ?」
「…で、でも…」
「でも?」
希和子は、わざと厳しい表情をして、こう続けた。
「女の子だからこれができなきゃダメ、男の子だからこれができなきゃダメ、そういうのっておかしいなって、私思うの。でもね、今までいろんなお稽古ごとを真耶ちゃんはしてきたけど、みんな楽しそうにやってたから私は何も言わなかった。神社のしきたりだからなんて、私は関係ないと思う。だからちょっとでも嫌なことを真耶ちゃんが感じるようだったら、おばあちゃんとかおじいちゃんとか、誰がなんと言おうとやめさせるつもりでいたから。だから」
希和子は、顔に一層力を込めた。
「さっきみたいな気持ちでお料理を習いたいんだったら、私は認めない。神使様の修行なんてとっくに終わってる。もうあなたは立派な神使様よ」
そして一度深く息を吸うと、
「もう一回聞くわよ。真耶ちゃんは、料理学校に、行きたいの? 行かなきゃ、って思ってるの?」
真耶は、ゴクリと息を呑んだ。自己主張や自分の欲望を言ったことなどめったに無く、なにかといえば人のため。それは良いことだと周囲の皆も本人も思っていた。だが今の希和子がそれを望んでいるのか? 普段は温厚でニコニコしている希和子のいつになく真剣なまなざしに、真耶は自分がするべき答えを察した。そしてそれこそが、自分の心の中から湧き出てきた切なる思いだった。
「…あたし、お料理するのが好きなの。もっと、上手になりたいの」
「…よく言ってくれたわね」
希和子は、真耶を抱きしめていた。
「楽しんで、いいのよ。好きなこと、やっていいのよ。わかった、さっそくお料理教室に申し込みましょうね」

 真耶は料理教室に通い始めた。二週に一回の土曜日に公民館でやるのだが、授業料も材料費と光熱費くらいのものだし、通う生徒も真耶より歳下の女の子から大人の女性まで幅広く、和気あいあいと教室は行われていた。
 ただ、小学校を卒業する段でいったん教室に通うことをやめる生徒が多かったしそれは教室の先生も承知していた。中学生になれば土曜日は部活動があるのだから皆そっちに流れていくわけである。真面目な性格の真耶は部活動にもしっかり参加するだろうが、運動の苦手な真耶は文化部志向だろう。そうなると彼女の選択肢は自ずと、誰にも予想できた。

 それらの事情をすべて飲み込んだ上で、幹人は拓哉を煽っている。そんな情報だって医院の待合室に聞き耳を立てれば分かってくること。医者の息子という特権を彼はフル活用して、拓哉に友達として最良の助言をした。

 真耶が入ってくるであろう家庭科部に入って、待っていろ、と。

6

 家庭科部に男子が入る例は木花中学校ではそう珍しくない。だが一人で自らの意思でやってきた拓哉のような生徒はさすがに初めてだった。どちらかといえば運動部の方が大抵の中学校では人気だし、文化部も美術部や新聞部など色々ある。木花中は運動部の活動が他校に比べてゆったりしていることから、運動が比較的苦手な生徒が入りやすいのもある。
 だが拓哉の身体は普通の運動も大してできないし、だいいちスポーツの経験に乏しい拓哉にはどのスポーツが好きかを知ることもできなかった。かといって文化部でやりたいことがあるわけでもない。入院生活の繰り返しでのために趣味に没頭することもあまり無かったのだ。だったら答えは一つ。幹人のアドバイスに従うのが賢明というわけだ。

 そして二年後。筋金入りの運動音痴であることから文化部、それも得意な料理の腕を活かせる家庭科部入りが確実視される新入生が入学してきて、これで小学校と中学校にいったん離れた真耶と拓哉の物理的距離はまた縮まった。幹人は生徒会役員と掛け持ちし、同じく役員の屋代杏と彼氏彼女の関係になる。拓哉と真耶も良好な関係を保ち続ける。ただ、後者の関係は幼なじみであるが故にその時の立ち居振る舞いを越えることがなかなか出来なかった。真耶も拓哉も典型的な「奥手」。周囲のお膳立ても虚しく、なかなか二人で歩む道は進まなかった。
 学校の行き帰りも拓哉はバス、真耶は自転車で別々という具合。拓哉が自転車にトライした時期もあるが、よほど体調と気候がよい日に限られていた。昼食を一緒に食べるというのも学園カップルにはお約束の風景だが、小中学校完全給食実施の木花村ではそれもままならない。だから部活は貴重な二人でいられる時間で、真耶は拓哉の隣が指定席だった。勿論周囲が気を利かせていた。
 時が進み、拓哉が受験勉強に専念するようになってからも真耶は拓哉の頑張りを見守るのが精一杯で、会いたいとか遊ぼうとかのおねだりは一切せず、朝晩のメールと、時に手作りのお菓子を差し入れにいくくらい。それも拓哉以外の家族が玄関に出てきた時にはそれを託して、拓哉には会わずに帰ってしまう。
  拓哉はその甲斐もあったのか勉強がはかどって県立の進学校に合格。卒業式では言うまでもなく号泣した真耶だったが、送り出すときには制服の第二ボタンをそっと両手で包みながら、精一杯の笑顔を作っていた。

 そんな中学時代だったが、二人は強い絆で結ばれていると皆感じていた。だから少しずつでも仲は進展しているのだと確信し、ひそかに応援を続けていた。
 だから二人が中学と高校、離ればなれになっても、連絡を取り合い、時には二人で会ったりもしていた。

 最初のうちは。

宗教上の理由、さんねんめ・第五話

 ものの見事に間が空いてしまいました…だってこれ、去年書いたものの続きですよ?遅筆というにも程があるだろ! と自分で自分を叱っても後の祭りなので次を早く仕上げるべく手を動かすのみです…。

宗教上の理由、さんねんめ・第五話

気がつけば、実に一年以上ぶりの投稿であります…設定等不明な場合、お手数ですが過去の作品で確認していただければと思います。

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登録日
2017-06-14

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