あたしと仔猫とストラップ

あたしと仔猫

 ——村松くん、あんなトコで何してるんだろ。

 いつもの帰り道、あたしは河川敷で目立つ後ろ姿を見つけた。
 村松くんとずいぶん話してないから、声をかけようか迷った。
 けど、あの金髪が一人、草むらに向かって何してるのか……好奇心の方が勝ってしまう。
「おーい」
 振り返った松村くんは、こっちに手をあげたけど、またすぐ向こうを向いた。
 ……気になる。すっごく気になる。
 あたしは松村くんの方に歩き出した。

 松村正士くん。
 保育園から小学校、中学校と一緒のいわゆる幼なじみ。
 近所でお母さん同士の仲がよかったから、ちっちゃい頃はお互いの家をよく行き来してた。
 大きくなってからは、それぞれ友だちができるし、自然と一緒にいる事もなくなった。
 よくある話よね。
 ちっちゃい頃は「正士くん」と「千花ちゃん」、大きくなると「松村くん」と「佐野」。
 多分呼び方で、距離って変わるんだと思う。

 運動ができてお調子者、友達の多い小学生だった松村くんが変わったのは、中学校二年生の頃。
 この辺りでは有名な悪い人たちと付き合う様になった。
 三年生になった今年は金髪になって、高木さんっていうそのグループのリーダの妹以外、クラスで近く人はいなくなった。

 松村くんの背中に近づくと、草のにおいが強くなってくる。
 夕日に照らされたそのにおいのすぐそば、しゃがんだ松村くんの足元では、仔猫がミルクを飲んでいた。
「捨て猫?」
「こいつ、もう一週間もここにいるんだけど、うちマンションだから飼ってやれなくて」
「うん」
「これから梅雨で雨降るしさ……」
「そうだね……」
 あたしもしゃがんで、一生懸命ミルクをなめている仔猫を眺める。
 隣で深刻な顔をしてる松村くんを見てたら、なんだかデジャヴ。
 そっか、うちのサキも、保育園の頃こんな風に松村くんが見つけて、あたしがお母さんに頼み込んでうちで飼う様になったんだっけ。

 ……仕方ない。あたしはミルクを飲み終わったその仔猫を抱き上げる。
「うちはサキもいるし、一匹増えても変わんないだろうから、お母さんに頼んでみる」
「マジか?ありがとう」と明るい声。
「お礼を言われることじゃないし」
 こんな風に話したのってずいぶん久しぶり。なんだかちっちゃい頃に戻ったみたい。
「この子、名前あるの?」
「あー、いや、別に何も……」
 口ごもった返事がちょっと気になったけど、「じゃ、あたし決めちゃうね」と言っておいた。

 立ち上がったら、携帯の着信音が聞こえてきた。
 鞄の中から出そうと思ったけど、今ここで携帯を出せないある理由を思い出して、そのままにする。
「出なくていいの?」
「うん。多分お母さんだし」
「そっか」
「じゃ、あたし帰るね」
「ありがとな」
 手を振って松村くんと別れる。
 夕暮れ時、抱きしめた仔猫からは、懐かしい日向のにおいがした。

 せっかく帰り道にあれこれ作戦を立てたのに、お母さんはあっさり飼っていいって言ってくれた。
 まぁ、それでよかったんだけど。

 改めて見てみると仔猫はほんとにかわいい。
 仕事から帰ってきたお父さんまで、すっかり仔猫にメロメロでおかしかった。
 それからサキも仔猫が気に入ったみたい。
 二匹がわたしのベッドでくっついて眠ってるのを見てると、心がほっこりあったかくなった。
 久しぶりに松村くんとも話したし、その夜、あたしは幸せな気持ちで眠りについた。

あたしとストラップ

 次の日の朝、松村くんが教室の前の扉から入ってきたのを見つけて、仔猫の事を言おうと思って話しかけた。
「松村くん」
 途端にざわついていた教室が急に静まり返って、みんながこっちを見る。
「昨日の子、うちで飼える事になったから」
「……ありがとな」
 昨日と全然違う態度。
 目も合わせずに短く返事して、さっさと自分の席に向かって行った。
 小学校の頃のあたしを思い出した。
 周りの子に何か言われるのが嫌で、村松くんにいつも不機嫌だったあたし。
 お腹の底あたりがずくんとした。

 自分の席に戻ったら、みんな元通り自分たちのおしゃべりを始めた。
 また教室がにぎやかになりかけた所で、急に後ろから大きな音。
 びっくりして振り返ったら、さっきまで開いてた後ろの扉が閉じてて、その向こうにちらっと高木さんの後ろ姿が見えた。
 どうしたんだろうって思ってると、前の席の夏美ちゃんが小声で話しかけてきた。
「松村くんと話して大丈夫?」
「どうして?」
「だって高木さんのお兄さんのグループにいるでしょ」
「ちょっと伝える事があっただけだよ」
「それになんか高木さん、怒って出てっちゃったみたいだし……」
「そうだったの?」
 どうしてほんの少し話したくらいで、高木さんの機嫌が悪くなるんだろう。
 みんなもあたしの方をちらちら見てるし、なんだかすごく居心地が悪かった。

 放課後、帰る前にトイレに行ったら、入り口で後ろから誰かに突き飛ばされた。
 なんとか転ばずにすんだけど、携帯がブラウスのポケットから飛び出して床を滑っていった。
 振り返ったらすぐ近くに高木さんの顔。
 思わず息をのんで後ずさる。

「あんた、ウザい」
「え?」
 窓から入ってきた西日が、明らかに不機嫌な声の高木さんの顔に影を落とす。
「正士に近づくんじゃねえよ」
「別にあたしは……」
 すごい迫力。
 目をそらせないで固まっていたら、高木さんがゆっくりあたしの横を通りすぎて行った。
 その先にあたしの携帯。

 高木さんは携帯を拾ってストラップを見ると、はっと息をのんだ。
 その後、硬い笑顔を作って言った。
「このストラップかわいいじゃん。もらうよ」
「そのストラップは大事なものなの。あげられな——」
パァン!
 言い終わる前に耳の近くから乾いた音が響いて、ほっぺたに痛みが走る。
 とっさに何が起こったのか分からなかったけど、頬がジンジンしてきて高木さんに叩かれたって分かった。

「やっぱり、あんたウザい」
「返して!」
 ストラップはあげられない。
 携帯を取り返そうとしたら、今度は突き飛ばされた。
 尻餅をついたけど負けられない。
 立ち上がってもう一度挑む。
 相手が誰だって関係ない。
「返して!!」
 あたしはとにかく必死で、そしてどうしてもストラップを取り返したかった。

あたしと松村くん

 帰り道。ほっぺたの他にも体中あちこち痛かった。
 取っ組みあいのケンカなんて生まれて初めて。
 それも相手が高木さんなんて。

 結局、ストラップは取り返せなかった。
「思い出したように出てくんじゃねえよ!!」
 高木さんの声が頭の中で響く。
 いつもクールな高木さんのあんな声、初めて聞いた。
 高木さんのその言葉は、あたしの痛い所をついて、あたしは何もできなくなった。

 あのストラップ、ほんとは松村くんに貰った物だったんだ。
 中学生になった時、おかあさん二人とあたしたち二人の四人で、あたしたちの携帯を買いに行った。
 あたしは、誰かに見られて何か言われるのがいやで、ずっと不機嫌だった。

 手続きを待ってる間に入った雑貨屋さんで、あたしの目はあるストラップに釘付けになった。
 ちいさな羽の生えた猫のマスコットがついているストラップ。
 あたしはそれが一目で気に入った。
「それ、好きなの?」
 振り返ったら、松村くんがいた。
「別に……」
 あたしは小声でこたえて、ストラップをかごに戻した。
 四人の買い物が長くなるのも、ここでストラップを買ったりして、喜んでるみたいに見られるのもいやだった。
 今考えても、本当にへそ曲がり。
 次の日学校に行ったら、机の中に紙袋に包まれたあのストラップが入ってた。
 そんなことできるのは松村くんだけだったし、ほんとはすごくうれしかった。
 でも、人の目ばかり気にしてたあたしは、お礼を言う事もできなかった。

 今も昔もおんなじ。
 人の目を気にしてばかりで、高木さんみたいに一生懸命になることもできない。
 こんなんじゃ高木さんにかなうわけもない。
 涙が出そうになるのを、ぐっと我慢する。

 どうにか家の近くまで来たら、あの目立つ頭が見えた。
 今は一番会いたくないのにどうして……
 あたしに気づいた松村くんは、こっちにきて来て、
「今日はごめんな。オレと話してるとろくなことにならないから——」
 言いかけた所で、わたしの様子に気づいて、真剣な顔になった。
「何が、あった?」
「別に。よそ見してたらドアにぶつかっただけ」
 顔もまともに見られない。
「何かにぶつかったくらいで、そんなになるわけないだろ!」
 松村くんの声が大きくなる。
「……ごめん。あたしの事はほっといて。」
 返事を待たずに、一気に家に向かって走り出す。
「佐野!」
 後ろから声が追いかけてきたけど、どうにかあたしは家の中に逃げ込んだ。

 キッチンにいるお母さんに見られないように、二階にある自分の部屋に行く。
「千花、帰ったのー?」
 ドアを閉めたら、下からのんきなお母さんの声が聞こえてきた。
「お腹痛いから寝てるねー。晩ご飯いらないー」
 なるべく普通に聞こえる様に返事をする。
「辛くなったら言いなさいねー」
 お母さんが部屋に来る様子はない。どうにかごまかせたみたい。

 制服から着替えてベッドに倒れ込んだら、急に目の前が歪んだ。
 もう、がまんしなくっても、いいよね。
 あたしは声をあげないようにして、涙が流れるのにまかせた。
 昨日は仔猫がうちに来たのに、今日はたくさんのものをなくした。
 一体どこで間違っちゃったんだろう。
 ううん。ずっと前、松村くんに不機嫌なあたしから間違ってたんだ。
 涙は止まらないで、次から次へと出てくる。
 自分の中にこんなに涙があるなんて知らなかった。
 からだの中で何かが暴れ回ってるみたい。必死にこらえてる声が苦しい。

——コツン
 窓に何かがあたる音に気がついた。
 知らない間に眠ってたみたい。時計を見たら八時になってた。
コツン
 もう一回同じ音。
 はれぼったい目をこすりながら窓の近くに行ったら、街灯の下にあの目立つ頭が立ってた。
 すぐ隠れようとしたけど、松村くんが右目に眼帯をしてるのが見えて、動けなくなった。
 固まってるあたしを見つけて、松村くんが手招きする。
 あんな事あったし、間違いなく今、ひどい顔してるし。
 行きたくない。でも眼帯が気になって仕方ない。
 覚悟を決めて下におりる。
 一階のリビングを通り過ぎる時に、
「コンビニに行ってくるねー」と言って、お母さんが出てくる前に玄関から外に出た。

 近くで見たら、松村くんのケガは眼帯だけじゃなかった。
「どうしたの!?」
「や、ちょっとな。それより佐野、携帯出ろよな」
「ごめん。寝ちゃってた」
 これ以上、家の前で立ち話してる訳にもいかないし、近くの公園まで歩いた。
 松村くんもわたしも何もしゃべらない。
 前を行く松村くんの背中を見ながら歩く三分くらい距離が、なんだかとても遠かった。

 ちっちゃい頃よく一緒に遊んだ公園で、二人でブランコに座った。
 ブランコってこんなに低かったっけ。
 そんな風に考えてたら、右から松村くんの手が伸びて来た。
 その手には、あのストラップ。
 あたしの思考は一気に停止した。
 口をパクパクさせてると、松村くんが反対の手で自分の携帯を取り出した。
「こういうの、キモいって引かれそうだけど」
 松村くんの携帯には、色違いのストラップがついてた。

「オレさ」
 固まってるあたしを見ながら、松村くんが話し始めた。
「高木の兄ちゃんのグループ抜けて来たよ」
「……そのケガって」
 ようやく声がだせた。
「どってことないよ。母ちゃんは泣いてたけどな」
 歯を見せてニッと笑う。いつかジャングルジムの上で見たのと同じ顔。
「あのさ」
「うん……」
「もう一回オレにチャンスくれないかな」
 心臓が、一拍とばして打った。
「チャンスって、その……」
「佐野と一緒にいるのが当たり前って思ってたのに、ずいぶん遠い所に行っちゃってたからさ」
「違うの。悪いのはあたしなの。今日だって高木さんに」
「あ、高木な。お前らウザいから、からかっただけだよ。バーカ。だってさ」
「そんな訳ない。あの時の高木さん」
「分かってる。でもあいつがそう言うんだから、そうなんだよ」
「でも」
「それに、高木の兄ちゃんが、妹にこれ以上なんか言わせたら、こんなもんじゃ済まねえ。だって。マジでおっかねえ」
「でも、あたし」
「佐野」
 言いかけた言葉は、真剣な声でさえぎられた。

「オレたちさ。二人とも間違えたのかもしれないけど、間違ったって気づけたろ?」
「うん……」
「じゃあ、正しいって思える方に進めるってことじゃん」
「……」
「オレはこの先、ずっと佐野と一緒にいたい」
「……」
「佐野はどうしたい?」
「あたし、あたしね……」
 涙、まだまだ残ってたみたい。しゃべろうとしてるのにボロボロ出てきて止まらない。
 それに今、あたし絶対すごいブスだ。
 でも、大切な事を言ってくれた人に、目をそらさないでちゃんと応えなきゃ。
 あたしは、声にならない言葉を懸命に紡ぎだした。

 並んで歩く帰り道、松村くんがだるそうに言った。
「これから必死で勉強しないとなー」
「勉強?」
「だって今の成績じゃ、佐野と同じ学校、到底行けないからさ」
「一緒にがんばろ」
「いや、佐野はがんばらなくていい。これ以上置いていかれたら、マジでどうしようもない」
 クスクス笑ってると、右側から手が伸びてきた。
 深呼吸して、その大きな手にあたしの右手を重ねた……まではよかったけど、すぐ後悔した。
 二人ともいっぱいいっぱいで何もしゃべれなくなった。
「あー、そう言えばさ」
 気まずいのをごまかす様に、松村くんが話し始めた。
「あの猫、実はもう名前つけてたんだ」
「え?だってあの時……」
「いや、言い出しにくくて」
「そうなの?」
「あの猫の名前は——」

あたしと仔猫とストラップ

最後まで読んでくださってありがとうございました。

以下、ちょっとこぼれ話です。

Webで読む用に文章を書くって難しいですね。
前作で思い知ったので、だいぶ文章を変えてみました。
そして、実はこのお話。
「妖刀」、「眼帯」、「恩返し」っていう三題噺です。
妖刀はどこ行ったの?って気になった方。松村くんの名前に注目です。
……やっぱり無理ありました^^;?

あの時ああしてればって事、ありますよね。
後悔しない様にってむつかしいけど、今を手抜きしなければきっと間違ってないって胸を張って言えるはず。
今恋してるみなさま、いい恋してくださいね。

あたしと仔猫とストラップ

中学生のあたしと仔猫とストラップ、そして幼なじみの松村くんのお話。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-08-11

Copyrighted
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  1. あたしと仔猫
  2. あたしとストラップ
  3. あたしと松村くん