Fate/defective c.06

幕間 Ⅰ

黒い夜闇の中に、赤い炎が燃え盛っている。
僕はその炎の中に立っていた。熱風が足元から吹き上げ、僕の髪や服の裾を舞い上げる。だが痛みや熱さは感じない。包帯がほどけ、火の中に踊るように吸い込まれて燃え尽きた。
これは夢だ。過去の夢。この歳になってもまだ見る夢。
1人で、燃える自分の家を見ている。その中に立っている。悪意によって一夜で全てを失った時の記憶だ。静かにじっとしていれば、ほんの少しで目は覚める。僕はただ黙って立ち尽くしていた。
「ここは……どこです?那次?」
すぐ隣で声がした。横を振り向くと、簡単な衣服に身を包んだライダー、彼女が立っていた。
僕は大して驚かなかった。サーヴァントとマスターがひとつの夢の中に迷い込むことは珍しい事ではない。深い繋がりは時に深層意識にまで及ぶものだ。だから僕は答えた。
「ここは僕の夢の中だ」
「貴方の夢……?」
ライダーの金髪が熱風にうねって、橙の光を浴びて輝く。毛先は今にも燃えだしそうなほど赤い。
「幼い時の記憶だよ。気にしなくていい、すぐに覚める」
ライダーは少し目を伏せた。憂いのある眼差しで辺りを見回す。
「一体、どうしてこんな……」
「ただの後継争いの末路だよ。魔術師なんか碌な事はしない。自分が当主になるためなら、たかだか分家の10歳の子供すら焼き殺そうとする」
ライダーはうなだれた。僕はため息をつく。
「お前、人に同情できるほど幸福な人生じゃなかったと思うけど。お前こそ、その歳でいい大人に嵌められて処刑されただろ。九日間の女王、だっけ?酷い話だよな。あの時異教徒に転向していれば、生きながらえたものを」
「私は……私の運命はあれしかあり得ませんでした。過去のことを議論しても、結果は変わりません。私には未来永劫、16年より先の人生などあり得ない。それに……」
ライダーは首を振った。そしてきっぱりと言い切る。
「いいえ。やめましょう。ほら、もうじき覚めるのでしょう?終わりが近づいています」
足元を見ると、燃え盛っていた炎は勢いを弱めている。熱気もここまでやっては来ない。
「いいや、これからだ」
僕は正面を指差した。彼方に、黒い2つの人影のようなものが並んで、こちらへゆっくり歩いてくる。それは影を切り取ったように黒い。周りの燃え朽ちた木材やら家具の残骸と比べて、それは型に流し込んで作られたかのように鋭利な輪郭をもっている。
僕はそちらへ向かって歩き出した。立ち止まったまま、どうしていいかわからないでいるライダーを一度だけ振り返り、声をかけた。
「じゃあな、ライダー。夢から覚めたら、また会おう」
僕は飛び込むようにその人型に触れた。2つの影は手を伸ばし、2人で僕の体をしっかり抱え込む。恐怖はない。むしろとても居心地がよかった。安堵を覚えた。2人に抱きすくめられながら、意識が朦朧とするのを感じる。このまま連れて行ってくれればいいのに、と願いながら、僕は最後の意識を手放した。





春の夜の冷たい風が私の髪を梳いていった。
彼の目が覚めたのは結局夕刻を過ぎてからだった。あの夢に迷い込んだのは朝方のことだから、彼はずいぶん長いこと眠っていたことになる。サーヴァントである私は睡眠も食事も必要としないので、ずっと彼が目覚めるのを待っていた。目覚めたら目覚めたで、彼は夢については一言も言及しなかった。ただ「外に出る」とだけ言い放ち、本当に外へ出て行ってしまったので、私も適当な距離を置いて後ろからついていっている。
無論、那次は私が後ろにいることに気付いているはずだが、何も言わないので、一緒に居ていいということだろう。
それにしても、と私は考える。
あの早朝の夢は私にとって大きな衝撃を与えた。ぶっきらぼうで、慎重派で、世界征服を望み、私のことも戦いに必要なただの駒としか思っていないであろう彼が、あんなに寂しい夢を見るとは思いもよらなかったのだ。あれは那次の過去の記憶だと言っていた。魔術師の家系の相続争いの結末だ、とも。マスターは私と出会うまでにどんな人生を歩んできたのだろう。
世界征服、だなんて、本当に心の底から望んでいるとは思えない。そんな野心に狂わされた人ならば、あんな夢は見ないだろう。あの夢から感じ取れたのは、過去に対する憎悪よりも、むしろ郷愁に近い空気だった。
帰りたい。戻りたい。連れて行ってほしい。寂しい――
心を焦がされるような彼の『感覚』が、肌を通して直に焼付いたようだった。あきらめ、達観、冷酷、細かく分類してすべて言葉にするのは不可能なほど複雑な、どろりとした鉛のように暗く重い何か。私も一度だけそれを得たことがある。
大逆罪を言い渡され、ロンドン塔に幽閉されたあの日々。目隠しをされ、老人に手をひかれ触れた断頭台の冷たさ。
忘れることはない。あの恐怖、あの惨めさを。世の中のすべてから追放されたような気持になった、あの瞬間を。
那次はずっとそれを抱えて生きてきたというのだろうか?
私は前を歩く、自分と同い年のマスターの姿を見た。特に変わったところはない、この三日間見慣れてきた後ろ姿に、自分を重ねることはできなかった。

「……槍」
どのくらい歩いただろうか。大通りから随分外れた狭い道を抜け、高架下の空き地に出たところで那次が声を上げた。私は考え事をやめて目の前を見る。
遠くから二つの人影が歩いてくる。濃い、サーヴァントの気配がした。
「ライダー」
「はい」
私は武装した。腰の鎖がジャラリと不吉な音を立てる。向こう側の影は以前にも見たことのある槍を携えていた。
「躊躇するな。……これはそういう戦いなんだ」
「…マスター、私は……」
「今朝の夢のことなら忘れてくれ。あれはただの夢だ。僕は勝って、すべてをやり直す」
私はマスターの横に並んだ。その横顔はこちらを見ようともしない。だけど私にはわかる。それは嘘だ。
彼は何か、私に嘘をついている。
けれどそれが何かまではわからない。結局、何も言い返せず、私は相手の方へ目を向けた。彼らは私たちとざっと25メートルくらい離れた場所で立ち止まった。
高架下のやつれた街灯の光だけが私たちを照らしている。私たちのほかには、フェンスと、コンクリートの柱しかない。
「よう、お二人さん。昨日の昼ぶりじゃねえか」
紫紺のランサーが声を上げた。気軽そうな雰囲気を装っているが、殺気がピリピリと肌を刺すように伝わってくる。
「無駄口は嫌いだ。さっさと始めよう」
那次が返す。だが私に行け、とは命じない。相手から来るのを待っているのだ。
「は、せっかく縁あって出会ったんだぜ。少しはお喋りも楽しみたいだろうが」
「ハル……ランサー、あまり挑発は良くない……」
「ったく、ウチのマスターは敬遠だな。ほら、早く来い、ライダー。そちらさんの言うとおり、さっさと始めて、さっさと決着をつけちまおうぜ」
「……ッ」
那次が突然手に握っていた何かを相手に向かって放った。それは赤く輝き、弾丸のように一直線に向こう側へ飛んでいく。あれは…。
考える間もなく、それはランサー陣営の足元に着弾した。
「おっと」
ランサーがマスターを抱えて一歩退いた。直後、ズン、と音を立てて爆風が巻き起こる。砂嵐で視界がふさがれた。
「宝石魔術ねえ。なるほど、そう来るか」
ランサーの軽妙な声。砂煙が収まらないうちに、それを裂いて紫紺の槍が現れた。
「そんな奇襲で俺を仕留めようとは!笑わせてくれるじゃねえか!」
「ライダー!」
「はい!」
那次に向かって突き立てられた槍の穂先に、銀色の斧の刃が咬みついた。槍は軋みながら那次の目の前で動きを止める。
「これを奇襲と思うようじゃ、仕留められても文句は言えないな、ランサー」
「チッ、小賢しいマスターだ」
ランサーは忌々しげに槍の穂先をひいた。私は反動で少しふらつく。
「嬢ちゃんに力比べじゃ負けねえよ。運が無かったな、ライダーのマスター。だが消えるのはサーヴァントだけでいい。そうだな、佑」
「……ああ」
那次は少し不愉快そうに目元を細めた。
「生ぬるい連中だ。聖杯戦争で生き残るのは勝者だけでいい」
「そうかい。じゃああんたが勝ったら思う存分俺たちを殺してくれていいぜ。――あんたが勝ったら、の話だがな!」
ランサーが黒衣をひるがえして飛び出した。私も魔力を集めて身構える。
目にもとまらぬ速さで槍の穂先が突き出た。それに斧をぶつけて払い落とす。すぐに右手側に次の一撃が来る。それを避けてもすぐに次、次、次――
数多の金属音が高架下に響き渡った。まるでキリが無い。
相手は疲弊した様子もなく、ただ槍をさばいてこちらに向かってくる。だが私はすでに疲れ始めていた。自分の武器である斧がひどく重い。もともと英霊として弱いのに加え、相手の手数が多すぎて防ぐのに手いっぱいだ。状況は限りなくこちらの劣勢、それをひっくり返す手は――まだ、無い。
「諦めな、嬢ちゃん。今回はそっちに運が無かった」
「……ッ!」
「まだ持ちこたえるか。ならせめて一撃で仕留めてやる!」

「咲き、描き、乱舞する!『燃え盛れ、鮮血の魔槍』――…………なっ!?」
ランサーが詠唱の途中で奇妙な声を上げた。私は顔を上げて正面を見る。ルビーのように輝く槍と私の間に、ひとつの人影が飛び込んできた。
……那次?
「待て、この馬鹿!何やって―――!」
ランサーが慌てて穂先の狙いを逸らそうとしたが、勢いづいた槍は止まることができない。煌々と燃える槍が、まっすぐに私――いや、那次の胸元めがけて飛び込んでくる。
その一瞬はまるで永遠のように感じられた。
なぜですか、那次。
聖杯を勝ち取り、悪を裁き、自らが世界の王になる―――そんなことを望んでいたのではなかったのですか。
こんなところでこんな風に終わるなど聞いていない。
それとも。
これこそがあなたの本来の目的(・・・・・・・・・・・・・・)だったというのですか?


認めない。
こんなところで彼が死ぬなど、私は認めない!


「ああああ――――――!」
絶叫とともに地面を踏みしめる。怒りとも、悲しみとも、何とも名前のつかない激情が私の中で渦を巻いて放たれた。暴風となった大量の魔力が、燃える槍をすんでのところで押しとどめて、撥ね返す。私自身も立っていられないほどの風の中心に立ち、私は目の前に膝をついた那次の腕をつかんだ。
「なぜ!なぜです!貴方の本当の目的はなんだというのですか!」
「――……」
彼が小さく何かを言った。けれど風の音にのまれて聞こえない。
「何ですか!?言いたいことがあるならはっきり――」
「死んだ方がマシだ」
風が止んだ。まるで私の心の動揺を映したかのように。
「な、にを」
「死んだ方がマシだ。名前だけで勝手な大人たちに命を狙われ、周囲には奇異な目で見られ、生きているだけで誰かの未来の妨げになる――こんな生なら無い方がいいと思わないか」
彼は俯いたまま吐露した。私は彼の細腕をつかんだまま絶句する。
「いい機会だと思った。戦争なら、適当なところで死ねる。最期くらい、華があった方がそれなりに――こんな生でも意味があったと思えるだろう?」
それだけ言って、那次は何も言わなくなった。
「それであんな自殺めいたことをしでかしてくれたわけか。ったく、その嬢ちゃんに救われたな、ライダーのマスター…那次」
ランサーが槍を地面に突き立ててため息をついた。
「戦意喪失だ。退こうぜ、マスター」
「待って」
眼鏡の青年がこちらに歩み寄ってくる。そして那次と私の前でしゃがみこみ、目を合わせた。
その唇はしばらく何か言いたそうにもごもごと動いていたが、やがて小さく言葉をこぼした。
「……君がどんな生い立ちでここにいるのかは、わからないけど……」
那次は俯いたまま顔を上げない。
「君のサーヴァントは、君に生きてほしいと思っている。……それを無下にするのは、良くないと思う。彼女のためにも、君自身のためにも」
ランサーのマスターはそれだけ言うと立ち上がった。
「へえ、あんたも結構言う口なんだな」
「……今回だけだよ。あんまりからかわないでくれ」
青年は立ち去る前に、最後に一言こういった。
「でも僕も負けるつもりはない。君がそれでも向かってくるというなら――僕たちも全力で相手をする」



「那次」
ランサーたちが立ち去った後、程なくしてライダーに声をかけられた。
僕は目を伏せたままゆっくりと立ち上がる。無様だ、と思った。死に損なって、いったいどんな顔をすればいい。
「那次。こっちを見てください」
少女の手が僕の顔に添えられる。無理矢理に目を上げると、少女の潤んだ瞳と目があった。
「私も、何もかもを失ってここにいます。16年より先の未来などあり得ないままここにいる。私には、もう先はない」
夢の中で聞いた言葉を、彼女はいま現実で繰り返す。
「だけど……だけど、それだからこそ貴方と出会えた。貴方の、先の未来を拓くために、私は今ここにいるのです」
ああ。
彼女はあの時、そんなことを言いかけていたのか。夢の中で聞けなかった言葉の続き。僕はうなだれた。目の奥が変な熱を持っている。
「だから簡単に命を投げ出すなんてことはやめてください」
彼女の声の終わりは震えていた。
僕は歯を食いしばる。ただ喉の奥から絞り出すように言った。
「悪かった。……ごめん。ライダー……ジェーン・グレイ」



その日、夢を見た。同じ夢だ。燃える家、塗りつぶしたような暗闇。朽ちていく何もかも。
それはやがて終わる。炎は衰え、灰の向こうから人影がやってくる。
いつもなら黒く塗りつぶされた人型は、今日は様子が違った。
両親だ。こちらに向かって手招きをする二つの人型は両親の姿をしていた。幼いころのわずかな記憶と何もかもが同じ。あの時のままの、懐かしい笑顔でこちらに微笑みかけてくる。
「おいで」
甘い声が脳に響く。
けれど僕は二人に背を向けた。
「もういいんだ、父さん、母さん」
かつての僕だったら。何の躊躇もなく彼らに向かって走り、飛びつき、意識を手放していただろう。
けれどもう違う。僕はそれを望まない。僕には、僕を待っている人がいる。こんな自分勝手な虚構ではない、ちゃんと輪郭を持った現実で。
今までとは反対方向に走り出す。その先には、闇を裂いて現れる朝焼けの一閃と―――彼女の姿があった。
「行こう、ジェーン」
僕は彼女の手を取って、朝焼けに向かって走る。

Fate/defective c.06

to be continued.

Fate/defective c.06

幕間Ⅰ

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-06-13

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