世界に難癖

世界に難癖

「すみません。荷物、下に置いてたの、分かんなくて」
踏んづけてしまいました、と一言付け加える。目の前にどっかり座っているサラリーマンは、はぁ、と心底不服そうな顔をして、下に置いていた、所謂リクルートバッグを膝の上に置き直した。
会社の最寄り駅に向かう電車の中、何となく性格の悪いことをしたとは自分でも薄々感じている。どこの誰か分からないけど、「常識は破れ、ただし非常識なことはするな」とかなんとか、確かこんな名言を生み出したのを聞いた。全くもってその通りである。ただその「常識」と「非常識」の線引きなんて人によって違うのだ。違うのだけれど、違うからこそ、知り合いでも何でもない人間の、嫌な部分が目について、離れない。

箱みたいな形の変なリュックサックを、人にぶつけないで欲しい。
荷物が一つしかないなら、下に置かず膝の上に乗せておいて欲しい。
キャリーバッグは別だけど。
大声なんか出さないで欲しい。
赤ん坊は別だけど。
降りる人より先に乗らないで欲しい。

 そういう色々が頭の中を、世界を、ぐるぐる回っている。面倒だ。朝からこんなことくらいで苛立っている自分も、だ。目的の駅に着く頃には、アナウンスが流れる。溜息なんか誰にも聞こえやしない。溜息で幸せが逃げるなんて、どうでも良かった。誰がそんな言葉を作ったのだろう。べつに幸せじゃなくて良いと心のどこかで強がっている。いや、ほんとうのところは、強がりなのか本心なのかも、自分ではよく分かっていない。自分の心なんて、自分でも分からないものだなとつくづく思う。
 ほんとうは羨ましいのかもしれない。人の目なんか気にせず、そんなこと何にも考えないで生きている彼らが。人様の迷惑がどうとか、こうとか、そんなの知りませんって感じで生きている。自分たちが快適に過ごせればそれで良いみたいな、非常識のように見えるけど、人間のアホみたいな脳で考えればそう思うのも当たり前のような。常識非常識と交互に考えていたらゲシュタルト崩壊を起こしかけた。なんだか自分だけ変に考えすぎている気がしていたたまれない。宇宙まで意識を飛ばしてしまいたい。お気に入りのメタルバンドを耳に携えて、白んだ空をぼんやり目に入れて、千鳥足で会社へと向かう。


満員電車で押しつぶされそうになるのは体だけではないのだ。

世界に難癖

世界に難癖

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-06-12

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