海に住むもの

海に住むもの

"海の生き物"

担任の教師が黒板にチョークで丁寧に書いた。
「今日は海の生き物の勉強です。皆んなはどんな海の生き物を知っていますか?」
小学三年生の生徒たちは元気良く手を上げて、魚!亀!サメ!イルカ!クジラ!とそれぞれ答えた。
「皆んな良く知ってますね。皆んな正解です。小さな魚から大きなクジラまで、広い海には沢山のさまざまな生き物がいます」

担任の教師は黒板にチョークで魚、亀、サメ、イルカ、クジラ、と書いた。
「他にはどんな生き物がいるかな?分かる人」
そう担任の教師に言われて生徒たちは他に何がいるかな?と考え始めた。すると一番後ろの席に座っている女の子が手を上げた。
「はい、松田さん。他にどんな生き物がいるかな?」
担任の教師がその女の子を指名すると「…お兄ちゃん。私のお兄ちゃん」とその女の子は答えた。

何言ってるの、バカじゃない、と生徒たちはザワザワし始めた。松田のお兄ちゃんは死んだんだよね?この間、海で。海で溺れて死んだんだよね?

騒ぐ生徒たちを担任の教師は静かにしなさいと宥めたが、生徒たちのザワザワは収まらなかった。でも死体は見つかってないんだって。じゃあ海の中で魚たちに食べられてるんだ?イヤだ、怖い。死体が見つかってないから生きてると思ってるの?生きてるわけない。その女の子は泣きそうになっていた。

夏休みに家族で遊びに行った海。その女の子は一つ上のお兄ちゃんとどちらが遠くまで泳げるか競争した。二人とも小さな頃からスイミングスクールに通っていて泳ぐのがとても上手だったので、両親も心配していなかったのだけれど、その女の子の前を綺麗なクロールで泳いでいたお兄ちゃんは、いつの間にか居なくなっていた。二人を陸から眺めていた両親は慌てて海に飛び込んだ。その女の子はお兄ちゃんが居なくなった事に気が付かずに一生懸命にお兄ちゃんに追いつこうとしていたのだけれど、後から来た母親に泳ぐのを制止された。
「陸に戻るのよ!」
「どうして?もう少しでお兄ちゃんに追いつけるのに」
父親は必死でお兄ちゃんを探した。潜ってみたけれど、水深は思っていた以上に深く、お兄ちゃんを見つける事が出来なかった。

すぐに救助隊の捜索が行われたが、お兄ちゃんは見つからなかった。潮の流れが早く、沖に流された確率が高いと言われた。
お兄ちゃんどこに行ったの、帰ってくるよね?泳ぐのがすごく上手なお兄ちゃんだから…だから大丈夫だよね?その女の子は心から祈った。お兄ちゃんが帰って来ますように…

夏休みが終わってもお兄ちゃんの死体は発見されなかった。両親は嘆き哀しんだ。二人だけで沖に行かせるんじゃなかった…深い後悔の渦に飲まれた。
お兄ちゃんは死んだんだ、生きてるわけないー
そんな事くらい小学三年生のその女の子にだって理解出来ている。だけど頭では分かっていても心がそれを受け入れる事が出来ないでいた。

「松田さんのお兄ちゃんは…悲しいけれど海で溺れて死んでしまいました。それは紛れもない事実です。死体が発見されていないので、皆んなが思っているように海の生き物たちに食べられてしまっているはずです」
担任の教師の発言に、やっぱり、そうだよね、と生徒たちはまたザワザワしていた。

「松田さんのお兄ちゃんはもう帰って来ません。松田さんだってそのくらい分かってるよね?だけど…心がまだその事を受け入れていないだけなんだよね?」
その女の子は泣きながら小さく頷いた。

「でも考えてみて?松田さんのお兄ちゃんは海の色んな生き物たちに食べられてしまったけれど、それはつまりはその生き物たちの中で松田さんのお兄ちゃんが生き続けている、そういう風に考える事が出来ると思います。魚や亀やサメやイルカやクジラの中で松田さんのお兄ちゃんは生きている、先生はそう思います…そう思いたいです」
生徒たちはなんか怖いけど…かっこいいね、素敵だね、きっと魚たちの中で生きてるんだ、と口々に言った。

担任の教師は黒板に書かれている魚、亀、サメ、イルカ、クジラ、の横に力強く松田さんのお兄ちゃんとチョークで書いてくれた。その女の子は嬉しくてますます涙が溢れた。今日の事を両親に話したらきっとすごく喜んでくれるだろう。海に住むもの、私のお兄ちゃんー

海に住むもの

海に住むもの

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-06-10

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted