Fate/defective c.05

第5章

目を開けた。
埃っぽい部屋に、カーテン越しの日差しがちらちらと舞っているのが見える。今日は何日、何時だ?時計を探して首を動かすと、グキグキと嫌な音がして凝り固まった肩が鳴った。
「おはよう、ナタネ。あんた、昨日も戦わず寝ちゃったのね。いくらあたしの陣地作成があるからって、油断しすぎなんじゃない?」
「……昨日は気分が乗らなかったんだってば。あと、名前、七種(ななくさ)だから」
部屋に入ってきたピンクの髪の少女は呆れた顔で首を振った。散らかりきった部屋にずかずかと足を踏み込み、七種の毛布を剥ぐ。
「ほら起きなさい。マスターがこんなんだから、あたし、昨日の夜も偵察に行って来たのよ。聞きたい?聞きたいでしょ」
秋桜色の瞳がずいっと七種に詰め寄った。七種の方は欠伸をしながら目をそらす。聞かないことには仕方ないのだが、どうも気が乗らない。このサーヴァントは確かに心強い味方だが……いかんせん距離が近すぎる。
「分かった、聞く、聞くからさ。とりあえず朝飯」
逃げるようにベッドから降りて、リビングへ向かった。そこも、床一面に物が積んであり、足の踏み場は獣道のような細い隙間しか無い。この部屋の有様を見られた時はキャスターである彼女にこっぴどく言われたものだ。七種としては、必要なものを必要な場所に置いているだけなのだから怒られるいわれは無いのだが。
洗濯物の山の中から着替えを取り、壁に掛けてあるハンガーから白衣を着る。コーヒーにはミルク3つ。それを持ってソファーに掛け、やっとキャスターの話を聞くに至った。
「……毎回思うのだけど、あなた、頭を使う仕事なのだから、朝ごはんはもっと摂った方がいいわ。パンとか野菜とか」
「分かった分かった。それで、昨日は何があったんだ?」
キャスターはまた呆れた顔をしたが、すぐに流暢に話し始める。
「昨日はセイバーの陣営とアーチャーの陣営が戦ったわ。セイバーが宝具を展開したけど、圧しきれずに戦いは五分五分。そこにバーサーカーが乱入して、セイバー陣営を攻撃。アサシンがバーサーカーを倒すために加勢して、それで……」
キャスターがそこまで話して言葉を止めた。何かを言い淀むように唇をもごもごと動かすが、なかなか続きが出てこない。彼女が何かを言い悩むなど珍しい、と七種が少し動揺したとき、彼女が次の言葉を紡いだ。
「バーサーカーが宝具を展開。宝具名は『騎英の手綱』。……アサシンが重傷、セイバーが軽傷。アサシン陣営はしばらく再起不能になるでしょうね。あちこちに魔術の回路を仕掛けておいたからはっきりと聞こえたし、全部本当よ」
キャスターは少し声のトーンを下げ、目を伏せた。
七種は首をかしげる。
「騎英の手綱……バーサーカーの宝具?それはおかしいな。それを使えるのは確か、ライダー、メドゥーサだけのはずだけど…」
「あたしも色々考えたけど分からないの。言うまでもなく最近の連続殺人事件の犯人はアイツ。魔力の調達のために何人も殺してる。マスターを真っ先に殺したみたいだけど、狂化はごく弱いものだし。一体何者なのか……」
2人は静かなテーブルを挟んでしばらく沈黙した。
マスターを殺し、他人の宝具を使うバーサーカー。そのあまりにも意味のわからないものに、七種は少し鳥肌を立てた。これからそんな意味のわからないものと戦い、勝たなければならない。冷んやりとした恐怖が胸の内を締め付ける。
これは前にも感じたことがある恐怖だ。わけのわからないもの。それを目にして対峙した時、人は逃げ出したいという本能に囚われる。七種は目を閉じた。すぐにあの時の光景が目に浮かぶ。
醜く皮膚は爛れ、その呼吸毎に焼け付く肺。痙攣する身体。彼は最期まで私の名前を呼び続けた。わけのわからないもの。兄の病を治すための薬が兄に牙を剥いたその時から、私の胸のうちには常にその拭い去れない恐怖が巣食っている。どうしたらいいのかわからない。勝ち方も分からない。そんなもの相手に真っ向から勝負を挑んでも無駄だ。情報を集め、敵について知り、回り道を繰り返してでも弱点を知る。
七種は目を開いた。兄が死んだ時、何としても薬剤師になると決めた日のことを思い出す。私はあれからわけのわからないものとずっと戦ってきた。今更恐れることもない。この戦いに勝ち抜き、聖杯の力で副作用のない薬とその製造方法を手に入れる。そのためにはまずあのバーサーカーを倒さなければ、真っ当な聖杯戦争は出来っこなさそうだ。
「状況は分かったよ。私たちはとにかく情報を集めよう。敵の弱点を洗い出し、出来る限り有利な方法で挑むんだ。全てはあのバーサーカーを倒してから……おそらく他のマスターもそう考えているだろうね。クラスの相性的にも、はぐれサーヴァントにいちいち乱入されてはまともな戦いにならないから。…さて、キャスター。真理を探究するのは大の得意だったよな」
キャスターは大きな目を輝かせて、勢いよく頷いた。
「もちろんよ!あたしに任せて。あたしを誰だとお思い?マハトマの囁きを聞く、エレナ・ブラヴァツキーよ!あいつの真名だって暴いてやることくらい造作無いわ!」
七種は少し笑って煙草に火をつけた。
「じゃあ今夜から私も偵察について行こう。何かあった時、私の魔術でも少しは役にたつだろうからね」





アスファルトの、わずかなひび割れに足を取られた。
普段なら絶対にこんな事はない。足先に力が入らず、膝と太腿で無理に足を動かす。それでつまづいたのだ。
魔力が足りない。マスターから放たれた力をとうとう使い切ったのだ。殺さなければならない数は倍になるだろう。一度に百人でも、ぎりぎりその日を賄えるかどうか、といったところか。もう殺すのには慣れた。人間の心臓の場所は目を閉じてもわかる。ナイフは五十本駄目にした。
白昼のもと、人気のない道を選んで歩く。今は見てくれは人間とほとんど変わらないはずだが、それでもやたらと人目に触れるのは良くないことだ。ここはどこだったろうか。裏路地は新宿も池袋も渋谷も、どこも同じに見える。汚くてみすぼらしい。みすぼらしくて……まるであの人のようだ。いや、それはない。あの人は惨めではあったがみすぼらしくなどなかった。最期まで、最期まで結局、誰も憎まず死んでいった。尊厳があった。美しかった。誇り高かったのだ。それでいて驕らず、……。
頭が朦朧としている。少し先から女性が歩いているのを見つけた。ほとんど無意識に近づいていく。
「すみません、ちょっと道を…聞きたいのですが」
「はい?」
足を止め顔を上げた女の胸元、真ん中あたり、肋骨の隙間に素早くナイフを突き立てる。声もなく崩れ落ちた女から僅かな魔力を掠め取り、すぐに歩き始める。まだ足りない。これでは全く足りない。もっと人が多いところで、一度にたくさん殺さなければ駄目だ。しかしそれでは不用意に目立ってしまう。
やはり、力が尽きる前に他の六つを壊すしかない。魔力が尽きて自滅するのが先か、他の六つが潰し合うのが先か。
ふと後ろを振り向くと、血溜まりの中に倒れる女の身体があった。幾度となく見た光景だったが、その短い黒髪を見た瞬間何かが脳裏に閃く。何だろうか。何かすごく大事な事だったような気がするのに、暗い水中に落としてしまった大切なもののように思い出せない。黒い髪。血溜まりの中に、あの狭い部屋、僕が殺した人々……あ。
「そうか」
あの黒い手帳だ。僕を喚んだ少女が持っていたスケジュール帳、そこに書かれていた一節がずっと頭に引っかかっていたのだ。
『聖杯の結晶化、全工程クリア 21:00冬木市にて作戦決行予定、30分前に待機』
そうだ。あれは春分の日に書かれた文で、僕はそれを読んだとき僅かに疑念を持ったのだ――聖杯の結晶、という部分について。あのとき僕は確かに聖杯の気配を感じた。そしてそれにはどこか欠陥がある、という漠然とした感覚もあった。普通、聖杯は六つの英霊の魂を注いで完成するものだ。それを、初めから結晶化して顕現させていたとしたら――
僕の頭は急速に動き始めた。どうして今まで見逃していたんだろう。「既に聖杯はどこかにある」のだ。それなら召喚されたとき、聖杯の欠陥すら感じ取れるほどの気配を感じたのもわかる。
僕は歩く方向を変えた。僕が召喚された場所は地下の暗い一室だが、地上に出た時の景色は幸いにも記憶にある。
急がなくては。誰かが先にこの事実に気づいたら、僕の積年の願いは再び灰燼に帰すことになるだろう。




バン!と勢いよく木の扉が開いた。
「調べものが終わりマシタ!あら、もう夕方なのネ!じつに半日の調査、カンタンでしたワ!」
「カガリ、ドアは静かに開けてください」
アーチャーが机に向かって書き物をしたまま、振り返らずに小言を漏らす。カガリは抱えた大量の紙束をテーブルにドンと置き、ビロードのソファーに乱暴に腰かけた。
「ああ、書物庫も整理した方が良さそうネ。読書に尋問、脅迫……か弱いオトメには大変だったワ」
「尋問?脅迫?」
アーチャーが険しい顔でカガリを見る。そんなことは聞いていない、という顔だ。カガリはしまった、と目を泳がせる。
「どういうことですかマスター。1人でそんな危険な行為に走るなど聞いていませんが。せめて相談くらい」
Verzeihung(ごめんなさい)、アーチャー。だけどワタシはこういう性質なの。好奇心や探究心のためには危険も顧みない、ホント、そそっかしい女なの」
しおらしく目を伏せたカガリに、アーチャーはため息をついて首を振った。これもいつもの「反省のフリ」だろう。だが無事ならそれでいい、と思わせられてしまう。アーチャーにはそれがまた癪だったが、それ以上はカガリを責めなかった。
「で、調べもの、とは何だったんですか」
「ソレがね!最初はあのバーサーカーについて調べていたのだケド、その情報を追って行ったらとある研究所に辿り着いてしまったの!ソコにトンデモナイ情報があったのよ!知りたい?」
「……教えてくださいますか?」
アーチャーはやや呆れ気味に言った。
するとカガリは突然声のトーンを落とし、いつになく真面目な顔になり、こう告げた。
「そこはバーサーカーを召喚した跡地でした。ものすごい量の血痕と、明らかに様子のおかしい召喚式が残されていたワ。場所は新宿御苑の地下、ワタシはそこで…違和感を覚えた」

重い扉を開けると、一気に血生臭さと埃っぽさが押し寄せてきた。最悪な臭いのなか、私は暗い地下室に足を踏み入れる。
てっきり死体がごろごろ転がっているものかと思いきや、部屋はもぬけの殻だ。確かに床には大虐殺の痕が残っているのに、死体はひとつも無い。
魔術協会の連中にやっとの思いで連絡を取って尋問に近い形で聞き出したこの場所は、スウェイン派という連中が拠点にしていた場所らしい。
聖杯を作り出し、願望器を手に入れる――その目論見はバーサーカーの召喚によって水泡に帰した。スウェイン派は全滅。マスターは死亡。聞き出せたのはそれだけだ。だが死体が片付いているというのはおかしい。本当に全滅したのなら片付ける人間すら残っていないはずなのに。
私は首のあたりにチクチクと嫌な予感を感じていたが、かまわず部屋を歩き回った。めぼしいものは何もない。
ふと、右足が何かを踏んだ。拾い上げると、血で錆色になった紙の束――手帳だろうか。日付と、予定らしき日本語が書き込んである。ほとんど血痕で潰れて読めないが、一文だけ解読できそうだ。
『――21:00冬木にて作戦決行』
「冬木?」
作戦というのは、スウェイン派の願望器を手に入れる目論見のことだろうか。だとしたらもっとおかしい。ここは東京だ。
明らかに食い違っている。何かがおかしい。作戦は冬木ではなく東京で遂行され、予定外に全滅した死体が跡形もなく片付けられている。
何かが。何かが違う。
――――知りたい。

そう思った瞬間、激しい寒気が襲った。まるで足元にブラックホールがあるみたいな、底なしの恐怖。私はそこで初めて悲鳴を上げ、黒い手帳を床に放り出して部屋を飛び出した。
恐ろしい。知りたい、と思った瞬間、何かが私の一部を喰っていったかのような恐怖だった。こんなことは初めてだ。どんな障害も、どんな危険も顧みることはなかった私が、初めて欲求を放棄した。
おかしい。何かがおかしい。でもそれを知る手段がない。
私はひどく悔しかった。地上へ飛び出てから、一目散に走る。
絶対に知ってやる。この違和感はなんなのか――この聖杯戦争で、一体何が起こっているのか。


「と、いうワケです。ワタシはいま、非常に腹立たしい気持ちデス!」
カガリは金髪をかきあげて、ソファーに勢いよく倒れこんだ。アーチャーは唖然としていた。
「カガリが恐れるなんて……いったいどんな魔術を使ったのでしょうね」
「わからない、わからないのよアーチャー!ああ腹立たしい!なぜスウェイン派は冬木ではなく東京で聖杯戦争を行ったのか!死体がないのはなぜなのか!」
アーチャーとカガリはしばらく考え込んだ。
時計の針の音が響く。少しの間の後、カガリが口を開いた。
「まぁ、いいわ。ワタシがやるべきなのは聖杯を手に入れること。東京で聖杯戦争が起こっている以上、それに従うしかないものネ……とにかく今夜はバーサーカーと決着をつけましょう。それまで休みます、アーチャー」
「御意。マスターが望むならその通りに」
アーチャーはリビングのカーテンを閉めた。

Fate/defective c.05

to be continued.

Fate/defective c.05

第5章

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-06-10

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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