ブンブク星人

「執筆のキッカケ」
 未だに殺人や戦争、環境破壊を続けている人類に対して、どうしたらこれを止めさせる事が出来るだろうかという事を、物書きの観点から考えました。
 まず、地球と対局的に、人殺しも環境破壊も起こした事の無い異星人が今の地球を見たらどう思うか。
高度な文明と科学を持ち、且つ、科学によって生命を解き明かした星なら、人類の愚を止め、平和的に星間貿易が出来るようにするのではないかと期待を込めて書き始めました。
 異星人の姿を人間と同じにすると、展開がシリアスになりそうなのでタヌキにしました。
 それから、観光庁も2026年には「省」に格上げされているのではないかと思い「観光省」としました。防衛庁が防衛省になったように。

西暦二千二十六年、地球の周回軌道上を直径二キロの円盤型宇宙船が飛行していた。
 彼らは、千三百万光年離れたブンブク星から、透過航法(とうかこうほう)という、宇宙に溶け込みながら進む特殊な航法で、地球との恒久的平和交易のためにやってきた交易先遣隊だった。
 宇宙船に搭載されているコア・コンピューターのサージュは、一ヶ月かけて地球から発せられているありとあらゆる通信電波や音波を収集し分析した。その結果、いまだ地球で行われている戦争や環境破壊をやめさせない限り、地球との恒久的平和交易は無いと判断し、初期交渉として癒しの茶釜を持参して来ている二人のチャガマ人に地球人との交渉が託された。

会  議
 
「サージュによる地球の調査が終わりました。各国代表の隊長および隊員は速やかに会議室にお集まり下さい」
 女性隊員の甲高いアナウンスが艦内に鳴り響いた。
 それを聞いた隊長たちは三々五々と会議室に集まり始めた。
「ポンタロウ君、結果が出たぞ。会議室に急ごう」
 艦内作業をしていたタヌキチ隊長とポンタロウ隊員は急ぎ足で会議室に向かった。
「隊長、癒しの茶釜が選ばれているといいですね」
「はは、それは難しいだろう。我々のほかにも、五十九ヶ国の隊長たちが自国の茶釜を持参して来ているし、サージュは一ヶ月かけて、地球に関する膨大なデータを集め、細かく分析し、最適な茶釜を選び出すんだ。あまり期待しない方がいいな」
 ブンブク星は、現在、四十六の星々と交易をしているが、その星々に対して癒しの茶釜が初期交渉の対象に選ばれた事は一度もなかった。
 それでも隊員は期待に胸を弾ませた。
 広い会議室に入ると、既にシガラキ艦長が着席していて、各国の隊長と隊員が入ってくるのを待っていた。
 会議室は、大学の講義室のように、後の席に行くほど、なだらかな登り傾斜になっており、タヌキチ隊長は、中央に空いている席を見つけると、隊員と共に着席した。
 各国の隊長が全員揃ったところで、シガラキ艦長は話を始めた。
「さて、ここで再確認したい。我々は地球人と平和に交易が出来るよう、交易先遣隊として地球に来て、今まで情報収集を行ってきた。相手の事がわからないと無用な争いを起こすおそれがあるからだ。今から、どの国の茶釜が最も早く平和交易を行うのに役立つか、コア・コンピュータのサージュが発表する。そしてその結果は決して覆る事はない」
 話を聞いていた隊長達の間でざわめきが起こった。
(なにかあるな)
 誰もがそう思った。
 そして前面のスクリーンに順位が映し出された。
①「ゆとりの茶釜」発展途上国・六十三パーセント。
 これは、ゆとりの茶釜が、地球上の国の六十三パーセントを占める発展途上国に有効である事を表している。
 以下、
②「癒しの茶釜」先進国・二十パーセント。
③「導きの茶釜」中立国・十パーセント。
④「安らぎの茶釜」紛争継続国・五パーセント。
⑤「発展の茶釜」極貧国・二パーセント。
 と続いていき、十六種類の茶釜が出たところで、トータル、百パーセントとなり、終了した。
 この結果にポンタロウ隊員はがっかりした。
「隊長、だめでしたね」
「まあ、いいじゃないか。我々の任務は、ブンブク星と地球が平和的に交易が出来るようにする事なんだから」
 残念そうな顔をしている隊員に励ましの言葉をかけた。
 二人とは対照的に、ゆとりの茶釜を持参してきているメロー隊長の顔は輝いていた。
(なんだ、議論の余地はないじゃないか、艦長も大げさだな。これで初期交渉の栄誉は私のものだ)
心の中でほくそえんだ。
 サージュは最後に、平和交易を一番早く実現できると予想される茶釜をスクリーンに映し出した。それは二番目の癒しの茶釜だった。
 この結果にメロー隊長は、思わず声を上げた。
「なんだって! 地球に一番必要なのは癒しの茶釜だと? どういうことだ、何か間違っているんじゃないのか!」
 スクリーンを凝視していた目はすぐに艦長に移り抗議した。
「艦長、これはどういう事ですか、サージュはゆとりの茶釡を一番に挙げています。なのに二番目の癒しの茶釜が選ばれている」
「うむ、その説明はサージュにしてもらおう」
 艦長が説明を求めると、会議室に人口音声のサージュの声が流れ出した。
「説明いたします。私は地球上から発せられているありとあらゆる通信電波や音波を一ヶ月かけて収集し、分析しました。その結果、地球人同士のいがみあいや殺し合いが、いたるところで日常茶飯事のように行われている事がわかりました。それに環境の悪化も深刻です。この二つを改善しない限り、ブンブク星と地球との恒久的平和交易は有り得ません。地球の大多数の国においては数字が示すとおり、ゆとりの茶釜が有効です。しかし、ここに一つ問題が有ります。地球の場合、先進国と呼ばれている国々や、先進国に追い付こうとしている国が外貨を得る為や同盟国を増やす為に、他国に武器を供与して、人殺しに間接的に加担しているという事です。環境破壊も国の経済発展という名目のもとに黙殺されています。つまり、覇権を争っている先進国が、自らの過ちに気付いて環境破壊を防止し、他国への武器供与を止めて人道支援に走るならば、六十三パーセントの発展途上の国々にゆとりの茶釜を普及させるよりも、二十パーセントを占める先進国に、癒しの茶釜を普及した方がずっと早く地球は良くなり、平和交易も早く実現するというわけです」
 この説明を聞いて、メロー隊長は思った。
(なるほど、トップダウン方式か。軍事や経済を牛耳っている先進国を良くすれば、援助を受けている発展途上国も、おのずと良くなるって訳だ。反対に発展途上国がいくら平和を訴えても、援助をしている先進国が恫喝すれば何も言えなくなり、地球平和の実現も遅くなってしまうのか)
「話はわかった。癒しの茶釜の方が早く平和交易に役立つなら仕方ない。タヌキチ隊長に任せよう」
 メロー隊長が納得したのをみて、シガラキ艦長は話を続けた。
「サージュが選んだ地球での交渉国は日本だ、日本は茶釜に対する理解が深いから、無用な説明もいるまい。日本に行って片腹井(かたはらい)観光大臣と折衝してくれ。そして日本から他の先進国に癒しの茶釜を普及させるんだ。頼んだぞ、タヌキチ隊長、ポンタロウ隊員」
「わかりました」
 二人は返事と同時に立ち上がり、直立不動の姿勢をとった。
「では諸君、会議はこれにて終了する。地球人との交渉はタヌキチ隊長に一任する」
 艦長の言葉を受けて各国の隊長は会議室を出て行ったが、二人は立ったままだった。
「隊長、良かったですね! 遂に癒しの茶釜が選ばれました」
「ああ、だが喜んでばかりはいられないぞ。失敗は絶対に許されないからな」
 隊員は飛び上がらんばかりに喜んだが、隊長の目は冷静だった。

交渉開始

 巨大な宇宙船の内部は六層に分かれており、最上層には透明な強化素材で出来た広くて高いドーム型の展望デッキがある。その中に立っているだけで、自分が宇宙に浮いているような気分になった。そんな展望デッキで隊長は地球を見ていた。
「隊長、出発準備が出来ました」
「そうか」
 青い地球を見ながら頷いた。
(それにしても美しい星だな、この星の中で、戦争や環境破壊が起こっているなんて信じられないな)
 そして目を地球から離すと、
「では、すぐに出発しよう」
 そう言って、宇宙船の二層部分にある発艦デッキへと向い、準備の出来た四人乗りの小型宇宙艇に乗り込んだ。
 二人は操縦席に座ると、操縦桿代わりのヘッドバンドを頭に装着し、両腕を操縦席の袖に置いた。
「発進します」
 隊員が声を発すると、小型宇宙艇は母艦を離れて地球に向かった。
「隊長、いきなり地球人と接触しても大丈夫でしょうか?」
「そうだな、最初は驚くだろうが、地球人は順応性が高いから、何回か会っている内に、慣てくれるだろう」
 青い地球を見つめたまま答えた。
「それならいいのですが」
 若干の不安を抱きながら、小型宇宙艇は日本に進路をとった。
 日本時間、十二時三十分。
昼食も終わり、秘書と次の打ち合わせをしていた片腹井観光大臣は、ふと、何かの気配を感じて窓を見た。七十歳とは思えないほど、ガッシリした体格の大臣だったが、窓の外の異様な物体に思わず目を丸くした。
「草林、何だあれは!」
 びっくりしている片腹井大臣の目に、窓の外で空中に浮いてこちらを見ている、二人の人間らしきものが映った。
「ここは五階だぞ、さてはテロか。早く……」
 と言う間もなく、二人は閉まっている窓を通り抜けて室内に入ってきた。
「警備を呼ぶつもりですか? その必要は有りません」
 隊長は落ち着いた声で大臣を制した。
「何ですか、あなたたちは? ここを片腹井観光大臣の執務室と知って入って来たのですか」
 若くて長身の草林秘書官はその姿を見て体の震えを覚えた。
 目の前に、茶色の少しだぶついたフェンシングの選手を思わせる様な服を着て、腰にはタッチパネル式のスイッチが付いた幅の広いベルトを装着したタヌキが二人立っていた。
ずんぐりとしたタヌキチ隊長と、少し小ぶりのポンタロウ隊員は大事そうに両手で荷物を抱えて大臣と秘書官を見ていた。
そしておもむろに、
「うむ、情報に間違いは無いな。ここは片腹井大臣の部屋だ」
 隊長が目で合図すると、横にいた隊員はコクリと頷づき、大臣に声をかけた。
「大臣もお忙しいでしょうから、早速、用件に入りましょう。我々はブンブク星から来ましたチャガマ人です。こちらはタヌキチ隊長、私はポンタロウと言います」
 隊員が紹介すると隊長は軽く会釈した。
 その言葉を聞いた片腹井大臣は、二人を見ながら推測を始めた。
(なに、ブンブク星、チャガマ人。タヌキチ、ポンタロウ? なんじゃそりゃ、はは~ん、分かったぞ。こいつらはどこかの県の観光課の職員だな。何か嘆願でもしに来たに違いない、それにしても手の込んだパフォーマンスをしてくれるじゃないか)
「大臣! 狸がしゃべっています」
 秘書官は驚いた顔で大臣を見た。
「落ち着け草林、狸がしゃべる訳ないだろう、彼らはどこかの県の観光課の職員だ」
 取り乱している秘書官に小声で言うと、秘書官は不可解な顔をした。
「えっ? 窓を通り抜けて入って来たんですよ。人間じゃありません」
「まてまて、手の込んだ手品を使ったのかも知れないぞ。最近の手品は高度だからな。面白そうだから少し付き合ってやろうじゃないか。彼らもこちらの忙しさが分かっているようだから時間はかかるまい」
 大臣は落ち着きを取りもどすと、丁寧な口調で隊長に尋ねた。
「どうぞお座りください。それでどういうご用件でしょうか?」
「さすが大臣、冷静になられるのが早い。用件というのは、わが星の民芸品である茶釜を買って頂きたいのです」
 先遣隊の目的を告げるより、まず、癒しの茶釜の普及が先だと感じた隊長は日本人に馴染みやすいように民芸品として紹介した。
 言い終わると、隊長もソファに座った。
(なるほど、茶釜か、茶釜を民芸品にしている県はどこだったかな)
 大臣は、隊長の顔をじっと見ながら考えた。
 そして、
「茶釜ですか、茶釜を売り込むのは中々大変でしょう。どれくらいの大きさですか」
 と聞いた。
「見本が有りますからご覧下さい」
 隊員は荷物の中から箱を一つ取り出してテーブルの上に置き、静かに蓋を取った。
「二十センチくらいですか」
 秘書官がおおよその直径を言うと、大臣は覗き込むようにして茶釜を見た。
「まあ、それくらいなら場所も取らずにいいかもしれませんな、でも単なる置物では誰も
買わんでしょう。何かアピール出来るところはありますかな」
 少し鷹揚な口調に変わった大臣の質問に、隊長は簡潔に茶釜の説明をした。
「我々は、いろんな種類の茶釜を持っていますが、日本には癒しの茶釜が必要かと思います」
「なるほど、ネーミング勝負ですか。癒しの茶釜として売り出せば案外うまくいくかもしれませんな。今の日本には癒しが必要だ」
「隊長、物分かりのいい大臣で良かったですね」
 プロファイリングでは少々傲慢でワンマンな性格と出ていたので、隊員は安心したようにニッコリ笑った。
 隊長も頷きながら笑うと、さっそく本題に入った。
「それでは大臣、どれくらい買って頂けますか」
「どれくらいとは?」
 突然の商談に面食らった。
「茶釜を何個くらい買って頂けるのかと」
「政府に茶釜を買えというのかね」
 嘆願の話だとばかり思っていた大臣は、急に不機嫌になった。
(政府に物を買わせようなんて、正気かこいつら)
 そんな大臣の心の内を知らない隊長は話を続けた。
「やはり、国に窓口になってもらわないと……、こちらもチャガマ国を代表して交渉に来ていますから」
「その前に、どこの県の者か名乗ったらどうなんだ」
 興奮した口調でしゃべると、急に見下した目になった。
「どこの県って、今言ったように、私たちは、ブンブク星のチャガマ人です」
 隊長の横に座っている隊員が困惑顔で答えた。
「ポンタロウ君、どうやら意思の疎通がうまく行っていないようだ」
「ええい、まだそんな事をゆうか、国のお墨付きを貰って、茶釜を売るつもりだな。わしを誰だと思っているんだ。衆議院議員を八期勤めている片腹井退造(かたはらいたいぞう)だぞ、なめるなよ。貴様らの首を飛ばすくらい何でもないことだ。今すぐその首をすっ飛ばしてくれる!」
 感情を高ぶらせている大臣はソファから立ち上がると、タヌキチ隊長の顔を両手でひっぱり始めた。
「何をするんです!」
 驚いた隊長の言葉も聞かずにグイグイ引っ張った。
「どうせ特殊メイクをしているんだろう。すぐに正体を暴いてやるからな」
「やめてください、特殊メイクなんかじゃありません。我々はブンブク星から来たチャガマ人です」
「ええい、まだ言うか。いい加減な嘘をつくな、それにしても中々剥げんな」
 大臣は更に力を入れて引っ張り始めた。
「ポンタロウ君、癒しの茶釜で大臣の心を癒すんだ」
「わかりました」
 隊員はあわてて両手で茶釜を持ち、大臣に手渡そうとした時、
「何だ、こんなガラクタ!」
 差し出しされた茶釜を足で蹴飛ばした。蹴飛ばされた茶釜は部屋の隅まで転がり、壁にぶつかって止まった。それを見た隊長の顔が見る見る赤くなり、怒気をはらんできた。
「なんということを。地球人の為にと思って持って来た大事な茶釜を蹴飛ばすとは、もう許さんぞ!」
 大臣の手を払うと、仁王立ちになった。
「な、なんだ、わしの手を乱暴に振り払ったな。アイタタ、手が痛い。草林、すぐに警備を呼べ、傷害の現行犯で逮捕してもらう。わしに逆らったらどうなるか思い知らせてやる」
「だまりなさい!」
 大臣の声を遮る様に隊長が叫んだ。
 その声は怒気を含んで部屋中に響き渡り、声の振動で部屋がビリビリと揺れた。
「もう我慢ならん、こんな地球なんか破壊してくれる。ポンタロウ君、チャガラーを出動させろ」
 即座に命令を出した。
「はい!」
 隊員はベルトに装着しているスイッチを押して、直ぐに母艦に連絡した。
「チャガラーを地球に送り込んで下さい」
 連絡が終わるや否や、一筋の光線が地上に降り注ぎ、赤色に光り輝く巨大な球体が現れた。
「大臣、何が起こるんでしょう」
 震える声で秘書官が聞いた。
「わ、わからん、とにかくここから逃げよう」
「ふん、逃げても無駄だ、あれを見ろ」
 隊長に言われて大臣と秘書官が光る球体を見ていると、空中に沢山の黒っぽい塵のようなものが現れ、渦を巻いて球体の中に吸い込まれていくのが見えた。
「なんだあれは? 何が起こるんだ」
 不安そうに話す大臣をよそに隊長は、ガハハと笑いながら、
「ブンブク星人の力がどんなものか見せてくれる。空中に舞っているのは日本中から集まってきた茶殻だ。まだまだ集まってくるぞ。光体はチャガラーを構成するエネルギー球体で、茶殻を取り込んで、怪獣チャガラーとなるのだ」
 得意満面に語る隊長だった。
 球体の中に吸い込まれた茶殻はひとつの物体となり始めていた。
「いいぞ、もうすぐオチャッパ怪獣チャガラーの誕生だ」
 言い終わるや否や、
「チャガラーー!」
 天地を揺るがす物凄い雄叫びと共に、ティラノザウルスを想わせるような、巨大で凶暴な怪獣が現れた。
「チャガラーよ、東京を破壊せよ」
「チャガラーー!」
 再び雄叫びを上げた怪獣は、周りのビルを壊し始めた。
「大臣、怪獣が建物を壊しています!」
 秘書官が悲鳴に近い声を上げた。
「取り乱すな、防衛省に連絡して直ぐに自衛隊に攻撃してもらえ」
 これを聞いた秘書官は、
「民間人がまだ避難していません!」
 大臣に向かって叫んだ。
「うるさい、避難させている暇は無い。被害を最小限に抑える為には仕方のない事だ」
「攻撃より都民の避難が先です」
「ええい、電話を貸せ、わしが直接話す。早くしないと、怪獣がこっちに向かって来ているではないか!」
 大臣が受話器を取ろうとした時、突然「ゴゴゴッ!」と言う音と共に地響きがして体が上下に揺れ始めた。
「な、なんだ、どうした?」
「大臣、窓の下を見てください! 戦車が通過していきます」
 体を低くして窓から外を見ていた秘書官が興奮した声で叫んだ。
「なに、やけに早いじゃないか、日本の危機管理能力はここまで向上したのか?」
 秘書官とは対称的に、平然と立って窓から外を見ていた隊員は、
「隊長、戦車がチャガラーに向かっています」
 数台の戦車がチャガラーに向かって行く様子を冷静に報告した。
「ふん、戦略を誤っておるな、戦車ではチャガラーを倒す事は出来ん」
 隊長は不敵な笑みを浮かべた。
 やがて戦車による一斉攻撃が始まったが、砲弾はチャガラーを突き抜けるだけだった。
「もともと茶殻の集まりなのだ。いくら砲弾を撃ち込んでも茶殻が飛び散るだけで、何のダメージも無いわ」
 砲弾や機銃弾の雨を受けながらもチャガラーは平然とビルを壊し続けた。
 攻撃が激しくなって茶殻が粉の様に飛び散り出すと、チャガラーの体が白金色に鋭く光り始めた。
「隊長、チャガラーが怒っています」
「無理もなかろう」
「大臣、怪獣が光っています」
 秘書官の体が小刻みに震えだした。
「嫌な予感がするな、より凶暴になるんじゃないのか」
 不安がる大臣の声を聞いた隊長はポツリと言った。
「チャガラーの怒りは悲しみの怒りだ」
「悲しみの怒り?」
「そうだ、大臣はお茶を飲みますか」
 訝(いぶか)しがる大臣に、低く響くような口調で話しかけた。
「突然何を言い出すんだ。飲むのかねって君、飲むに決まってるじゃないか。茶を飲まん日本人はおるまい」
「飲んだ後のお茶の葉はどうしています?」
「捨てるに決まっているじゃないか。みんなそうしてるだろう」
「そこが問題なのだ」
 語気を強めた。
「茶殻となったお茶の葉は、ただ捨てられるだけ、用が終わればただ捨てられるだけなんだよ」
「何が言いたいんだ、さっぱりわからん」
「何の二次利用されることなく、又、感謝される事無く捨てられてしまう茶殻はやがて不満を持ち始める」
「君、頭は大丈夫か」
 隊長は問いかけに答えなかった。
「チャガラーはそんな茶殻の集まりなのだよ。旨いお茶を飲ませてやっているのに、茶殻になったとたん、ポイと捨てられてしまう」
 そして大臣の目をまじまじと見ながら質問した。
「大臣は茶殻に感謝した事がありますか」
「ばかな、そんな事ある訳ないだろう」
 吐き捨てるように言った。
「そうだろうな、地球人は感謝の心が薄い。だから、戦争や環境破壊を平気で起こすんだ。そんな地球人のために癒しの茶釜を持って来たのに、大臣はそれを足で蹴って、私を怒らせてしまった」
「そんなむちゃな、魂のない茶殻にどう感謝しろというんだ」
 大臣の言葉に隊長はムッとした。
「魂の無いものにも感謝は出来る、茶殻となったお茶っぱにも、感謝すればそれは通じる。チャガラーを覆う光は、茶殻になってもなお、いわれなき攻撃を受けている悲しみの怒りなのだよ」
「いわれ無き攻撃って君、ビルを壊しているじゃないか」
「だまらっしゃい! その原因は地球人にある」
「わかった、わかった、今度から感謝するから破壊を止めさせてくれ」
 大臣は懇願するように隊長を見た。
「ん? ほう、分かってくれましたか。それではチャガラーを止めさせよ……」
 と言いかけた時、チャガラーの体が真っ赤な炎に包まれた。
「どうした! 新たな破壊が始まるのか」
 大臣の、叫びに近い声を聞いた秘書官は、
「大臣、自衛隊機によるナパーム弾攻撃です」
 緊張した声で状況を説明した。
「なに、ナパーム弾攻撃? そうか、さすがだな、茶殻なんか燃やしてしまえば、後は灰になるだけだからな。ハハハ」
 燃えるチャガラーを見た大臣は安心しきったようにソファに座るとタバコに火をつけた。
「これで一件落着だな。全く、面倒かけさせやがって。何が茶殻に感謝しろだ、ばかばかしい」
「大臣」
「なんだ隊長、何か文句でもあるのか」
「あなたは、感謝すると言った先ほどの言葉を撤回するのですか」
「誰に向かって口をきいているんだ、わしは衆議院議員を八期勤めている片腹井退造だぞ。それにさっきのやり取りは脅迫の中で無理やり言わされたものだ、全て無効だ」
「そうですか、あなたの心は全然変わってなかった訳だ」
 残念そうに言うと、隊員に指示を出した。
「ポンタロウ君、チャガラーの火を消したまえ」
「チャガラーの火を消します」
 隊員が復唱すると「ヴァン!」という音と共にチャガラーを覆っている炎が消し飛んだ。チャガラーの内部エネルギーが体外に放出され、炎を消したのだった。
「チャガラーよ、東京を茶渋の海にせよ!」
 隊長が叫ぶと、
「チャガラーー!」
 物凄い雄叫びと共に、口から茶渋色のメガトンジェット水流を吐き出した。
 たちまち、ビルや戦車が茶渋に染まり、自衛隊員が堪らず戦車から飛び出した。
「ペッ、ペッ、こりゃたまらん、口の中が渋い!」
 あちこちで戦車を飛び出した自衛隊員の渋い声が聞こえ出した。
「ガハハ、愉快、愉快。一秒間に百メガトンのジェット水流を吐き出すチャガラーだ。いくら機密性のいい戦車でも茶渋の侵入を防ぐ事は出来まい」
 満足気に窓の外を見ていた隊長は大臣の方をゆっくり振り返った。
「大臣、覚悟はよろしいかな、チャガラーにこのビルを破壊させる」
「ばかな、そんな事をしたら貴様らも死ぬぞ」
「心配いりません、その前に脱出します」
 そうこうする内に、チャガラーが近づいて来てビルを壊し始めた。
「や、やめろ!」
 激しい振動と共に天井が崩れ始め、コンクリートが大臣の上に落下した。
「わぁ!」
 絶叫と共に大臣の視界が真っ暗になった。
 どれくらい経っただろう。
(大臣、大臣……、大臣)
 どこか遠くで声がした。
「大臣、しっかりしてください!」
 今度は、はっきり聞こえた。
「おお、草林か、わしはもう死んだのか」
「何を言ってるんですか」
 ボーっとしている頭で辺りを見回した大臣は、
「おかしいな、このビルは破壊されたんじゃないのか」
 独り言のようにポツリと呟いた。
「しっかりしてください、ビルは誰にも破壊されていません」
「何をいうか、チャガラーが破壊しておったではないか。そうだ、外を見てみろ、東京のビルは破壊し尽くされているはずだ」
 そういって、窓に駆け寄り見た景色は、いつも通りだった。
(どうなっているんだ、元通りになっているじゃないか)
 大臣は怪訝な顔で、「草林、どうなっているんだ」と言って振りかえると、草林秘書官の横にタヌキチ隊長とポンタロウ隊員が立っているのが見えた。
「やや、やっぱりあれは現実だったんだ。早くそこのタヌキどもを取り押さえろ!」
 秘書官は困惑気味に「大臣は気を失っていただけです」と答えた。
「何、気を失っていただけ?」
「そうです」
「そうか、天井が落ちてきて気絶したんだな」
「違います、突然気絶されたんです」
「突然?」
 大臣は状況を掴めずにいた。
「そうです、茶釜を蹴飛ばした直後に、気絶されたのです」
「茶釜を蹴飛ばした直後……」
 大臣は状況を把握しようとして考え始めた。
 大臣が茶釜を蹴飛ばして気を失ない、意識を取り戻すまで五分程度だったが、そんな事など知る由もなく、気絶していた間、ずっと夢の中のチャガラーに苦しめられていたのだ。
「わしは夢を見ていたというのか」
「どうやら少し、状況が掴めて来たようですな」
 隊長は大臣を刺激せぬように静かに話しかけた。
「あなたは、大事な茶釜を足で蹴飛ばしてしまった。だから少し怖い夢を見させたのです」
「怖い夢を見せたって、隊長がわしに怖い夢を見せたのか」
「そうです」
 大臣が癒しの茶釜を蹴飛ばした瞬間、隊長は脳波動エネルギーを大臣に送り、気絶させて夢を見させたのだった。
「ううん、わからん」
 頭を振った。
「分からなくて当然です、ブンブク星の科学は地球の数百倍進んでますからな」
 隊長の言葉を受けて、ポンタロウ隊員が夢の説明を始めた。
「大臣の見た夢は、ブンブク星でいう所の夢刑(むけい)にあたります。夢刑にも、現夢刑(げんむけい)と現夢(げんむ)反刑(はんけい)、想夢刑(そうむけい)と想(そう)夢(む)反刑(はんけい)があり、大臣の場合は想夢反刑になります」
「ムケイ、なんだそれは?」
「よさないかポンタロウ君、説明している時間はない」
「すみません」
 隊員が謝ると話を続けた。
「もうすぐ一時になります。これ以上話をすると大臣の公務に支障が出てくるでしょう。われわれも一旦帰る事にしますが、お近づきの印にこれを受け取ってください」
 隊長はテーブルの上に二つの箱を置いて蓋を開けた。各々の箱の中には、さっき蹴飛ばされた癒しの茶釜より少し小さめの黒い茶釜と、(まぶ)しく光輝く金色の茶釜が入っていた。
 金の茶釜を見たとたん、大臣の顔がゆるんだ。
「この二つの茶釜を土産にくれるのかね」
「いえ、どちらかひとつだけです」
「なに、ひとつだけ?」
「そうです」
 この言葉に大臣の心が揺れた。
(ううん、わしは金の茶釜がほしい。だがここでストレートにいえば、わしの品性を疑われるかも知れん。どうしたものか)
 金の茶釜に見とれていた大臣がふと我にかえって顔を上げると、そこには大臣を凝視している三人の顔があった。
「あっ、いや、この茶釜は中々見事ですな、細工の素晴らしさに思わず見入ってしまいました」
 バツが悪そうに言うと、
「そうですか、二つとも同じ細工なのですが」
 隊長は真顔で答えた。
「いや、そうでしたか、とんと気づきませんでした。草林、ちょっと」
 大臣は秘書官を部屋の隅まで連れて行くと、隊長たちに背を向けたまま小声で話し出した。
「わしはあの金の茶釜がほしい、何とかならんか」
「ほしければ、ほしいと言えばよいのではないですか」
 秘書官も小声で答えた。
「分からん奴だな君も。ストレートに言ったら、いかにもわしが金の茶釜を欲しがっているようにみえるだろう。そんな意地汚い男に思われたくないんだよ」
 秘書官は大臣の顔をまじまじと見た。そして少し考えて答えた。
「わかりました、何とかしてみましょう」
「何とかなるかな」
 ホッとしたような顔をした。
「任せてください、秘書の仕事はいつも予期せぬ急な事ばかりですから」
「そうか、すまんな」
「大臣は黒い茶釜を所望して下さい」
「わかった、黒い茶釜だな」
 テーブルに戻った大臣は、
「お待たせして申し訳ありませんでした。大臣という仕事は胃の痛くなる事ばかりでして、出来れば落ち着いた感じの黒い茶釜を頂きたいのですが」
 言葉使いが丁寧になっていた。
「そうですか、それではこれをどうぞ」
 隊長は黒い茶釜の入った箱を大臣に差し出した。
「あのう」
 秘書官が口を開いた。
「出来ましたら、私に金の茶釜を頂けないでしょうか」
 この言葉に、タヌキチ隊長とポンタロウ隊員は顔を見合わせた。
 それを見た秘書官は、
「いえ、別に他意はないのです。私も記念にひとつ頂けたらと思いまして」
 少し遠慮がちに言うと頭を下げた。
「構いませんとも、それではこれをどうぞ」
 金の茶釜の入った箱を秘書官の前に置いた。
「え、ほんとにいいんですか?」
 少し拍子抜けした秘書官であったが目的を果たせてホッとした顔になった。
「構いませんとも。それでは、我々はこれで失礼します。今度お会いした時はいい返事を聞かせて下さい」
 二人は、蹴飛ばされて部屋の隅に転がっていた茶釜を拾って、閉まったままの窓を通りぬけ、外に出て行った。
 後を追った秘書官が窓から空を見上げると、小型宇宙艇に吸い込まれていく二人の姿が見えた。
(ほんとに宇宙人だったんだ)
 二人が宇宙人である事を改めて実感した。
「草林、うまくいったな。これで金の茶釜はわしのものだ、うっとりするようないい輝きだ」
 秘書官の後ろで大臣の声がしたが、そんな声も聞こえないのか、草林秘書官はいつまでも空を見ていた。
「隊長、以外でしたね」
「ああ、私も大臣が金メッキの茶釜を選ぶと思っていたんだが。まあ、両方共、セラピライト鉱石で作った癒しの茶釜だから、我々としてはどちらを選んでもらっても良かったんだがな。大臣が癒しの茶釜を持ち続けている限り、いい政治をしてくれるだろう」
「そうですね」
「ポンタロウ君、時間があるから、ちょっと地球を一周してみよう」
「地球を一周ですか?」
「ああ、いつも母艦からしか見ていないから、近くで見たいんだ」
「わかりました、それでは艇を迷彩モードにします」
 高速で飛びながら近くで見る地球は、少し煤けたような感じだった。
 地球を一周すると小型宇宙艇は母艦へと帰っていった。

          帰  還

「艦長、小型宇宙艇が戻ってきます」
 通信員から艦内連絡を受けたシガラキ艦長は、タヌキチ隊長とポンタロウ隊員を出迎える為に、艦長室を出て発艦デッキへと向かった。
「交渉はうまくいったかな」
 発艦デッキへと続く長い通路を歩いていると、次第に艦長の後ろに続く人数が増えていった。
 みんな、自国を代表してその国の特色ある茶釜を持参して来ている隊長たちだった。
 発艦デッキに着くと、小型宇宙艇から降りてくるタヌキチ隊長とポンタロウ隊員の姿が見えた。
一行は二人に近づき、シガラキ艦長がねぎらいの言葉をかけた。
「ご苦労、交渉はどうだった」
「はい、少し時間はかかると思いますが、一応、癒しの茶釜を渡して来ました」
 タヌキチ隊長が答えると、メロー隊長が横から口を挟んだ。
「帰ってくるのがやけに早いじゃないか、交渉は失敗したんじゃないのか」
「メロー隊長、言葉が過ぎますぞ。初めての交渉じゃありませんか」
 同行していた別の隊長が諭すように言うと、メロー隊長は不快な顔をした。
「ふん、何をヌルイ事を言っているんです。この瞬間にも地球人は殺し合いをしているんですよ。早く止めなくては。同じ星の人間同士がお互いを殺し合っているなんて、我々ブンブク星人には全く理解出来ない。そうでしょうみなさん」
 メロー隊長は後ろを振り返ると、各国の隊長に問いかけた。
 すると問いかけられた隊長の中の一人が声を発した。
「確かに、ブンブク星の歴史の中で人殺しをしてきたという事例はない。もともと、人を殺すという概念そのものが無いからだ。しかし地球人の歴史は違う、古代から、戦争とやらで人を殺し続けて来ている。だから、人を殺すことに麻痺している部分があるのだろう」
 この発言に意を得たりと思ったメロー隊長は、
「タヌキチ隊長、君に代わって私が癒しの茶釜を売ってやろう。君のやり方では、いつまでたっても地球人は癒されないぞ」
 ずんぐりとしたタヌキチ隊長を見下ろすように言った。
 高飛車なメロー隊長の言葉にポンタロウ隊員は、即座に反論した。
「メロー隊長、失礼じゃありませんか。隊長だって早く癒しの茶釜を広めようとして直ぐに商談にはいったのです。しかしその性急さが裏目に出て、大臣の不興を買ってしまったのです。急げばいいというものではありません」
 隊員とメロー隊長が言い争いになる前に、シガラキ艦長は止めに入った。
「もうそれくらいにしたまえ、タヌキチ隊長が相手の大臣に癒しの茶釜を渡したのなら、いずれその効果は出るはず。二回目の交渉はその時に行ってもらう」
(いずれ効果が出るはず? 艦長も気の長い人だ)
 メロー隊長は心の中でジレンマを感じた。
 一行と別れて自室に戻ったタヌキチ隊長は、静かに椅子に腰掛けると頭にヘルメット状の装置を被り、前面にあるコントロールパネルを操作し始めた。
 脳の記憶を感知するこの装置を通して、片腹井大臣とのやりとりをコンピューターに保存しているのだ。その作業は三分ほどで終わった。
(メロー隊長の言っている事もわからんではないが、これはコア・コンピューターのサージュが地球の様々な情報を集めて会議で発表した結果なのだ。地球は早いうちに必ず良くなる)
首の後ろで両手を組み、宙を睨んでいた隊長は視線を机の上に落とすと、手をおろして椅子から立ち上がった。
(気晴らしに少し、散歩でもしてみるか)
部屋から出た隊長の足は、自然と展望デッキに向かっていた。

         生体変換

 広い展望デッキには、百台のデジタル双眼鏡が設置してあり、その内の一つの双眼鏡で、隊員が地球を見ていた。
 隊長は傍に寄って声をかけた。
「ポンタロウ君、地球を見ているのか」
「ええ、自分達が行った場所を見ていたんです」
 隊員は双眼鏡から目を離すと会釈した。
 隊長は地球に目を移すと嘆息した。
「ここから見える地球は青く輝く宝石のようだ。こんな星は稀有といっていいだろう。しかし、真っ暗な宇宙空間に浮かぶ、小さくて孤独な星でもある。ここから、数万光年離れた所にしか人類の隣人がいないと言う事に早く気づいてほしいものだ」
青い地球に魅せられつつも、その孤独さを憂えた。
「隊長、今の地球の科学で、隣人に早く気づいてほしいなんて無理な話ですよ。それに、数万光年先の星はアキンドー星ですから地球人も大変ですよ」
 隊員は苦笑した。
「そうだった。アキンドー星は、打ち出の茶釜を持っていた、モーム人のパイレン隊長とエルボ隊員が初期交渉を任されていたな。当初は激しい値切りに苦戦していたが打ち出の茶釜のお陰で次第にスムーズな交易が出来るようになった。地球も同じだ。今は大変だが癒しの茶釜で必ず平和な交易が出来るようになる。そうなれば他の国の茶釜も売れる様になるって訳だ」
「早くそうなるように僕も頑張ります」
「ありがとう、頼むぞ」
 隊員の肩に軽く手を乗せた。
「私も地球を眺めてみるか」
 隊長がデジタル双眼鏡で地球を眺めだすと、隊員も双眼鏡に目をやった。
 しばらく経って隊員が突然叫び声を上げた。
「隊長、大変です! 地球人の子どもの乗った自転車が、大型トレーラーと接触して巻き込まれています!」
「なに! ポンタロウ君、映像を直ぐにスクリーンに転送しろ」
 血相を変えて言った。
「わかりました」
 すぐにデジタル双眼鏡を通して、事故の様子が展望デッキのスクリーンに映し出された。
 そこには血まみれになった男の子が、交差点近くの道路に自転車と共に横向きに倒れている姿が映っていた。
「これはひどいな、医療班に連絡して早急に手を打ってもらえ」
 隊長の顔が険しくなった。
「その前に、艦長の許可を得ないと」
「そんな暇はない。それに癒しの茶釜の件で、地球人との交渉ごとは艦長から私に一任されている。つまり地球に関しての全権を得ているわけだ。早くしなさい」
「わかりました」
 隊員が医療班に連絡すると、一筋の光線が母艦から倒れている子どもに照射された。その瞬間から次々と子どものデータが母艦に送られてきた。
 スクリーンに医療班のフルネイ医師の姿が映り、状況を説明し始めた。
「状況は極めて深刻だ、肺と心臓が潰れ、肋骨が内蔵に刺さっている。地球で言うところの即死状態だ。すぐに母艦に収容して治療しよう。我々の医学なら一ヶ月で治る」
「わかった、お願いする」
 隊長は間髪入れず返事をした。
 そのころ、事故の起きた交差点は騒然としていた。
「だれか! 早く救急車を呼んでくれ! すごい血だ」
「救急車、えーと、救急車は何番だっけ」
 声を聞いた通りすがりの男性は、突然の出来事に一一九番が思い出せないでいた。
 その間にも、事故現場の人数はどんどん増えていった。
 みんな口々に声を上げていたが、何を言っているのか分からなかった。
「逃げた車のナンバーを見た人はいますか!」
 誰かが大声で言うのが聞こえた。
「たしか、トレーラーだったな、ナンバーは……」
 呼応するように、一人の男性が声を発したが途中で口ごもってしまった。
 すると近くにいた女性が大声で、
「ナンバーは汚れていて良く見えなかったけど、部分的に覚えてるわ!」
 と言ったが、周りの声に掻き消されそうだった。
 現場で緊張したやりとりが続く中、
「おい、ちょっと待て、子どもが消えていくぞ!」
 誰かが叫んだ。
 そして、大勢の人達が注視するなか、透過するように男の子は消えて行った。
「どういう事だ、大量に流れ出ていた血まで消えたぞ」
 あとには、潰された青い自転車だけが残った。
「なに、今のは何だったの?」
 別の意味で群集の中にパニックが起ころうとしていた。
 そんな中、パトカーのサイレンが、けたたましく鳴り響いてくるのが聞こえてきた。
 この光景を展望デッキのスクリーンで見ていたタヌキチ隊長は、
「素早い収容だな、我々もメディカルルームに行こう」
 隊員に声をかけると急ぎ足で展望デッキを出て行った。
 地球では、到着した警察官と目撃者の間で混乱が続いていた。
「ほんとに、ここに血まみれの少年が倒れていたんです。みんな見ていたんです」
「でも、何の痕跡も残っていないじゃないか」
 いぶかしがる七坂(ななさか)巡査部長に、他の目撃者が声を上げた。
「嘘じゃありません、ここにいるみんなが証人です」
「そうだそうだ、嘘じゃないぞ」
 周りにいた人達も次々に声を上げた。
 巡査部長は困惑した顔になった。
「私は、子どもをひいて逃げたトレーラーのナンバーの一部を覚えています、その車を調べてもらえばひいた痕跡が発見できるはずです。それからこの自転車を見てください」
 若い女性が指差す方向には無残に潰れた自転車があった。
「自転車に、トレーラーの塗料が付いているかも知れません」
「わかりました、調べてみましょう」
 潰れた自転車を見ながら頷いた。
「ところで、その少年の年齢はいくつ位だかわかりますか」
「たぶん、小学生だと思います」
「そうだな、小学校の高学年だと思う」
「十二才ぐらいに見えたぞ」
 また、口々に声を上げだした。
 巡査部長は群集に向かって質問した。
「みなさんの中に倒れていたという少年に心当たりの方はいますか?」
 ざわざわと声がして、お互いがお互いの顔を見合わせたが、誰も名乗り出るものはいなかった。
(いないのか)
 巡査部長は荒沼警部のそばに行くと首を傾げた。
「警部、どういう事でしょう、被害者が消えるなんて」
 現場から少し離れた場所にいて、事故の全体を把握しようとしていた警部も不可解な顔をした。
「そうだな、目撃者は大勢いるが、しかし、被害者はいない。だが証拠の自転車はある。そしてみんな口を揃えて少年は目の前で消えてしまったと言っている」
「肝心の被害者がいないんじゃ、捜査のしようがないんじゃありませんか?」
「そんな事は無い、消えたと言われている少年はこの近辺に住んでいるはずだ。いずれ、帰宅しない我が子を心配して親御さんが写真を持って捜索願いに来るだろう。その時に自転車を見せて確認をとればいい。そしてその写真を目撃者に見せて少年に間違い無ければ、次に、目撃されたナンバーを元に逃げたトレーラーを調べる。そうすれば何かわかってくるだろう」
 そんなやり取りをよそに、母艦のメディカルルームではメディカルポットと呼ばれている、直径三メートルの透明な球体の中に少年を運び込む作業が行われていた。
 この球体は移動式の金属台の上に設置してあり、台にはコントロールパネルが取り付けてあった。
「ポットを開いてくれないか」
 フルネイ医師が声をかけると、別の医師がメディカルポットのコントロールパネルを操作した。
 球体は上部からゆっくりと二つに分かれて開き始めた。
 開いた球体の中に少年を寝かせると、静かに閉じた。球体の中に蘇生液が注入されると少年の体が浮き始め、蘇生液で満たされると宙に浮いた様な状態になった。
その様子を艦長や十数人の医師達は静かに見守っていた。
そこにタヌキチ隊長とポンタロウ隊員がやって来て、二人に気づいたフルネイ医師が状況を説明し始めた。
「もう大丈夫です、この液の中に入っていれば体の中のDNAが再生し、細胞が活性化して増えていきます。そして完全に事故前の状態に戻ります」
「そうですか、それは良かった。しかし不思議ですな、液体の中に入っているだけで完全に治るとは。ブンブク星の医学は大したものだ」
 ポットの中の少年を見ながら、感心しきりの隊長だった。
この液体はバイオヘクチャーという生きた細胞で構成された液体で、この中には微弱な電流が流れており、少年の状態を常にケアコンピューターに送っている。コンピューターはデータを分析し、液体を通して治療を行う。
「一ヶ月も会えないなんて、この子の家族も心配するだろうな」
 隊員が呟いた。
「でも君が見つけていなければ死んでいたんだよ。淋しいのは少しの間だけだ」
 隊長は温かい目で言った。
 医師団の中にレンケラという女史がいて、隊長と隊員の話にじっと耳を傾けていた。
 そして、おもむろに、
「そうだわ、いい方法がある。ポンタロウ君がこの子になって、一ヶ月間、家族として過ごせばいいのよ。うん、それがいいわ、地球人の事もわかるし、一石二鳥よ」
 思いついたように口を開き、自分で納得したように言うと隊員に目をやった。
「冗談はやめて下さい」
「何が冗談よ、本気よ。ポンタロウ君にとっても、男の子の家族にとっても、一番いい方法だわ。議論の余地なし」
 そういうと隊員を目で威圧(いあつ)し始めた。
「地球人との接触は大臣と秘書官だけだから不安だなあ」
「大丈夫、大丈夫、先駆ける者に困難は付き物。困難を克服してこそ、歴史を残せるというもの。頑張りなさい」
 今度はニコニコしながら隊員の肩を叩いた。
「でも……」
「デモもストライキもない! これは決定よ! ねえ、隊長」
 女史は隊長に同意を求めた。
「ポンタロウ君、ちょっとこっちに来たまえ」
 タヌキチ隊長はポンタロウ隊員をメディカルルームの外に連れていくと小声で話しかけた。
「君はレンケラ女史が、周りから何て言われているか知っているか」
「知っています、独善主義者のナルシストです」
「そうだ。自分で、いいと思ったら絶対考えを曲げない性格だ。彼女の考えを変えるのは星の運行を変えるよりも難しいだろう」
「それじゃあ」
隊員の顔がみるみる曇り出した。
「しかし、彼女の言っている事にも一理ある。我々は地球人との恒久的平和交易の為に来ているんだ、少しでも地球人を知るチャンスがあるなら、積極的にこれを行うべきだろう」
 隊員はうつむいたまま暫く何かを考えていたが、意を決したように「わかりました、やります」と答えた。
「そうか、やってくれるか」
「はい」
 メディカルルームに戻ってきた二人を見て女史が声をかけた。
「話はついたの?」
「僕、やります。この子になって一ヶ月、この子の家族と暮らします」
「そうこなくっちゃ、あなたも私の考えの正しさが分ったのね」
 喜ぶ女史の声を横に聞きながら、隊員はポットの傍に立って男の子を見つめた。
(もう大丈夫だよ、このメディカルポットは君のDNAを分析して、君の全てを再生してくれる。完治した時は、以前より健康な体になっているからね)
「そうと決まったら、さっそく生体変換ポットに入ってこの子になってもらうわ」
 事を急ごうとする女史に艦長が口を挟んだ。
「そんなに急がなくても、ポンタロウ隊員にも心の準備が必要だろう」
「何を言っているんですか、善は急げって言うでしょ。それに彼はもう覚悟を決めています」
「覚悟を決めてるって、どうしてそれがわかるんだね」
「目を見ればわかります」
 きっぱりと言い切った。
「心配しないで下さい艦長。僕はこの子になって、しっかり、地球人の観察をしてきます」
 その言葉を聞いたレンケラ女史は、医師団の中の、一人の年配者に声をかけた。
「チャサジー医師、生体変換ポットを男の子の入っているメディカルポットの横に並べて下さい」
「隣の部屋にある生体変換ポットを持って来るのかね」
 チャサジー医師は怪訝そうに聞いた。
「そうです」
 女史は澄ました顔で答えた。
「何も一緒に並べる必要はないんじゃないのかね、男の子のDNAさえあれば生体変換出来るんじゃから」
「そんな事くらい分っています、でも私はそうしたいの。二人はきっと、いい友達になれるわ。だから早くして下さい」
 チャサジー医師とフルネイ医師は顔を見合わせたが、女史の言う通りにした。
 隣の部屋から生体変換ポットを運んで来ると、メディカルポットの横に置いた。
 そして、コントロールパメルを操作して、シューターという、小さくて細長い透明な容器を取り出し、少年の血の付いた衣服の一部を入れ、元に戻した。
 コンピューターはすぐに分析を始めた。
「これでいいわ、それじゃあポンタロウ君、この中に入って」
 生体変換専用の白い服に着替えた隊員は、変換ポットの前に立つと、みんなの方を振り返った。
「目が覚めた時は地球人になっているんですね」
 その言葉に医師団は全員、無言で頷いた。
 この装置はメディカルポットと同じで、直径三メートルの透明の球体が金属台の上に装着されている。隊員は開いた球体の中に静かに入っていった。球体が閉じると、序々に変換液が注入され、心地良い眠りに誘われていった。球体の中が変換液で完全に満たされると、体は宙に浮いたような状態になった。変換液は静かにゆっくりと、服の下の皮膚を通して、酸素やその他の必要なエネルギーを隊員の体に送り始めた。医師団の目には、安らかな寝顔が、母親の胎内にいる赤ん坊のように見えた。
「それではこれから、ポンタロウ君のDNAを男の子のDNAに配列変換します。完了するまでに二十四時間かかります」
 言い終わると、チャサジー医師はスイッチを押した。
         捜索願い
 事故当日の夜、地球では血相を変えた一組の夫婦が警察署に駆け込んでいた。
「遊びに行った子どもが、まだ帰って来ないんです。方々に電話しても、今日は来てないって言うし、近所の人が交差点で子どもが引き逃げされたらしいって噂してたので、もしかしたら息子じゃないかって思って来ました」
 父親は不安そうに受付の警察官に話した。
「ちょっと、お待ち下さい」
 警察官は足早に奥に引っ込んで行った。
「警部、子どもが帰って来ないという夫婦が来ています」
「そうか! それで、子どもは、男の子か、それとも女の子か?」
「息子だと言っていました」
(来たか)
 読みが当たった警部は「わかった」と返事をすると、すぐさま夫婦の元に向かい、相談室に招き入れた。
「まず、息子さんの名前を教えて下さい」
「名前は、波那乃(はなの)勇一(ゆういち)といいます。森ヶ山(もりがやま)小学校の五年生です」
父親が答えた。
(なるほど、森ヶ山小学校か、現場からそんなに遠くないな)
「写真を持って来ていますか」
「はい、これです」
 胸ポケットから写真を取り出すと、警部の前に置いた。警部は写真を手に取って見ながら、
「息子さんは歩いて遊びに行かれたんですか」
 と尋ねた。すると母親が、
「自転車に乗って行きました。青色の自転車です」
 不安そうに答えた。
(青色か、色は同じだな)
 警部の確信は一段と深まった。
「それではこの書類に記入をお願いします」
 父親は緊張した指でペンを握り締め、差し出された捜索願の書類に記入を始めた。
 その様子を警部はジッと見ていた。
(住所は森ヶ山台団地、間違いないだろう)
 消えた少年は、この両親の子であると断定した。
 記入を終えた書類を受け取ると、両親に向かって静かに声をかけた。
「実は、事故現場で大型車両に引きずられて潰された自転車を押収してあります。それを見て頂けますか」
「はい」
 夫婦は不安そうに返事をすると、警部の後についていった。
 警部は正面玄関から署の外に出ると、建物の裏側に回った。そこには屋根付きの駐輪施設があって、押収した何台かの改造バイクの横に、潰れた自転車が置いてあった。
「これです」
 警部が自転車を指差すと、
「勇一のだわ、勇一の自転車よ、あなた」
 母親は声を上げながら震える手でそっと自転車に触れた。
「それで、勇一は無事なんですか、どこかに入院しているんですか」
 潰れた自転車を見た父親は心配そうに警部に聞いた。
「それが……」
 警部は少し口ごもりながら、当時の状況をそのまま夫婦に話した。
「消えてしまったって、そんなバカな話はないでしょう」
「そうよ、きっと、その人達はみんなグルなのよ、一緒になって勇一をどこかに隠したんだわ」
「まあまあ、落ち着いて下さい、息子さんは我々が必ず見つけ出しますから」
「見つかっても、自転車があんなにペチャンコじゃ、勇一は生きてないかもしれないな」
 父親が呟くように言うと、母親は大粒の涙を落とし始めた。
 落胆して署を去って行く夫婦を見送ると、警部はすぐに巡査部長を呼んだ。
「七坂君、少年の写真が手に入った。明日は目撃者宅を訪問して被害者の確認を行う」
「わかりました。確認が取れたら、次は車両の特定ですね」
「ああ、そうだ」
        生体変換完了
 ポンタロウ隊員が生体変換ポットに入って、二十四時間が経とうとした頃、医療班のメンバーが続々とメディカルルームに集まり始めた。
「ほう、これはまた見事に地球人になってますな」
 フルネイ医師は感心したように言うと、ポットを一周りした。
 ずっと、メディカルルームに居たレンケラ女史は、
「生体変換完了時間は二十二時間三十四分です。予定より一時間半ほど、早く終わっています」
 と告げた。その顔は少しやつれて見えた。
「レンケラ君、君はずっとこの部屋にいて、寝ずにポンタロウ君を見守っていたのか」
「この件の言い出しっぺは私ですから」
 そういうとみんなに向かって、
「今からポットの中のポンタロウ君を外に出します」
 女史は静かにコントロールパネルのスイッチを押した。
 生体変換液が序々に抜けて行くと同時に、液を通じて微弱な電流が隊員の体に流れ始め、心地よい目覚めを誘った。
「おお、目を開けたぞ」
 一瞬、どよめきが起こった。
 液が抜けるとポットが開いた。
「気分はどう?」
 ゆっくりと外に出てきた隊員に女史が声をかけた。
「はい、すこぶる快調です」
「どこかだるいとか、痛いとかないの?」
「全然」
「そう、よかった」
「ポンタロウ君、私がわかるか?」
 隊長が声をかけると、顔を見てニコリと笑った。
「分かりますよ、隊長」
「そうか、安心した。しっかり頼むぞ、バックアップはいくらでもするからな」
 期待を込めた目で握手を求めた。
 求めに応じて隊員が握手しようとした時、初めて自分の手に毛がない事に気づいた。
「あれ、手に毛が無いや、なんだか少し恥ずかしいな」
「なあに、直ぐに慣れるさ。地球人はみんな体に毛が無いんだから」
二人の会話に割って入るように、チャサジー医師が服を差し出した。
「ポンタロウ君、この服に着替えたまえ。これは男の子が着ていた服をレーザーコピーして作ったものだ」
「わかりました」
「それから言っておく事がある。この生体変換ポットは外見だけを変える装置だから、君の身体能力及び、脳波動能力などはそのままだ。ブンブク星人の身体能力は地球人の三倍から五倍ある。例えば地球人が一メートルジャンプ出来るとしたら、君は最低でも三メートルはジャンプ出来る。腕力や反射神経も同じだ。動きには気をつけてくれたまえ。脳波動能力は地球人には無いものだから、使ってもまともに信じる地球人はおらんだろうが、使う時はあくまでも慎重かつ冷静に使ってほしい。攻撃的に使うと相手の脳を破壊してしまう危険がある。」
 ここまで話すと、隊長が横から口を挟んだ。
「大丈夫ですよ、この母艦の乗組員は全員ブンブク星で最も厳しい夢刑執行の資格を持つものばかりじゃありませんか。多少感情的になっても我を失うような事はありませんよ」
 そんな隊長の言葉をよそに、チャサジー医師は、「分かったかな、ポンタロウ君」と聞いた。
「ええ、大丈夫です。一度、タヌキチ隊長が片腹井大臣に夢刑を執行しているところを見ていますから、心のコントロールと、どの程度の脳波動エネルギーを使えばいいか分かっています」
「さすがだポンタロウ君、私が見込んで連れて来ただけの事はある」
 ガハハと愉快そうに隊長は笑った。
 チャサジー医師の説明を聞いていた女史は、一つの疑問を投げかけた。
「ポンポコ衝撃波は使えるのかしら」
 ポンポコ衝撃波とは、両手で交互に腹鼓を打つ事で生じる音(おん)振動波(しんどうは)の事で、達人になれば厚さ三十センチのコンクリートの壁を一撃で粉々に砕く事が出来た。
 女史の質問にチャサジー医師は、
「体の構造が少し違うから無理ですな。我々の体は音を共鳴させて圧縮(あっしゅく)し、一点に集中させて放出する事が出来ますが、地球人の体はそういう構造になっていません」
 と答えた。
「そうなの」
 女史があっさり納得したしたのをみたチャサジー医師は、隊員に着替えをするよう促した。
「それでは、服を持って着替えて来なさい」
「わかりました」
 チャサジー医師に促されたあと、男の子の入っているポットを見て、
「一ヵ月後には、君も家族に会えるからね」
 励ましの言葉をかけ、メディカルルームを出て行った。
 五分後に戻ってきた隊員に、女史が声をかけた。
「そのオレンジ色のシャツ、なかなか良く似合っているわよ」
「そうですか」
 照れながら笑った。
「色々大変な事があるだろうが、我々はいつも君を見守っているから心配しなくてもいい。いざという時は、直ぐに母艦に収容する」
 女史の隣にいた艦長が優しく言った。
「はい」
「それじゃあ、転送ルームに行きなさい。君の降り立つ場所は事故現場だ。そこに立っていれば、誰か知り合いが声をかけてくれるだろう」
「わかりました、行ってきます」
「しっかり、頑張るんだぞ」
 隊長の声に「はい」と返事をして出て行った。
 転送ルームに着くと、同じチャガマ人のセンジョー技師が準備に当たっていた。
「ポンタロウ君、すっかり地球人になってしまったな。僕は君を誇りに思うよ、君は初めて地球人になったチャガマ人だ。そんな君を転送する僕も鼻が高いな。ブンブク星に帰ったらみんなに自慢してやろうと思っているんだ」
「そんなにおだてないで下さい、恥ずかしいじゃないですか」
「おだててなんかいないよ。国に帰ったらきっと表彰されるよ」
 そこまでいうと、艦長の声が転送ルームに鳴り響いた。
「準備出来次第、転送せよ」
「おっと、無駄口叩いている暇は無いか、それじゃあ転送装置の中に入って」
 隊員が転送装置の中に入ると、
「プラズマ透過転送を開始します」
 センジョー技師が声を出してスイッチを押すと、ポンタロウ隊員の姿が透けていくように消えていった。
 と同時に事故現場に姿が現れ始めた。
        地球人として
 都会の日本人はいつも慌しく歩いているせいか、男の子が突然、姿を現しても気づく者はいなかった。いや、気づいた者もいたのかもしれないが、常識的に考えて、人が突然現れる事など有り得ないので、目の錯覚だと思ってそのまま通り過ぎていったのかも知れない。
(どれくらいここに立っていたら、見つけてくれるのかなあ)
 心の中でポツリと呟いた瞬間、
「あら? あなた勇一ちゃんじゃないの?」
 後ろから声がした。声の主は直ぐに正面に回ってきて顔をのぞき込んだ。
「やっぱり勇一ちゃんだわ! あなた、どこにいたの、みんな心配していたのよ。後から見て服がそうだと思ったの、でも自信が無かったから前に回って顔を見たら、ほんとに勇一ちゃんじゃないの。どうしてこんな所にいるの、家に帰らないの? 誰も怒ったりしないわよ、でもあなた、事故にあったんじゃないの? 」
 買い物カゴを持った中年の女性は、矢継ぎ早に声をかけてきた。
「おばちゃんがわからないの? 同じ町内のおばちゃんよ」
「僕、家がわからないんです」
「家がわからないって、もしかして、記憶喪失? たいへん、直ぐに病院に行かなきゃ、いえ、その前に家に連れて帰らなくちゃ、大丈夫よ、おばちゃんが勇一ちゃんの家に連れてってあげるから、さ、一緒にいこう」
 おばちゃんは、手を握ると急ぎ足で歩き始めた。
(あの子の名前はユウイチっていうのか、こんなに早く見つけてもらうとは思はなかったな)
 歩道を五分ほど歩くと、右手に小高い丘が見え出した。丘の上には戸建ての家が沢山建っていて、おばちゃんは丘の方に歩き出した。
 戸建の並ぶ団地の中を早足で歩き回っているうちに、おばちゃんの足がピタリと止まった。
「ここが勇一ちゃんの家よ、思い出した?」
 それは、どこにでも有るような二階建ての家だった。
(迷路のような団地だったから位置が掴めないなあ)
「美代子さん大変よ! 勇一ちゃんがいたの、早く出て来て!」
 おばちゃんは、ドアをドンドン叩き始めた。
 家の中からバタバタと廊下を走る音が聞こえて来たと思ったら、勢いよくドアが開いた。
 一瞬、男の子を凝視した母親は「勇一!」と叫んで力いっぱい抱きしめた。目から涙があふれ、止まらなかった。
「お兄ちゃん!」
 後から出て来た妹のランも一緒になって抱きついた。
(ちょ、ちょっと苦しいんだけど、もう少し力をゆるめてくれないかなあ)
 しばらく三人を見守っていたおばちゃんが声をかけてきた。
「ねえ、ご主人はどうしたの、いないの」
 おばちゃんの問いかけに母親は、
「主人は勇一を探しに行っています。どこかにいるかも知れないからって」
 と答えた。
「どこかにいるかも知れないって、ここにいるじゃない。ねえ」
 おばちゃんの目からも大粒の涙があふれ出した。
「良かったじゃない、見つかって。怪我もしてないみたいだし」
 涙声になった。
 その頃、荒沼警部と七坂巡査部長は、勇一の写真を複数の目撃者に見せ、間違いないとの証言を得て、ひき逃げ車両の捜査に移ろうとしていた。
 その矢先、
「警部、少年が見つかったと、親御さんから電話が掛かってきています」
 電話を受けた警察官が急いで知らせにやってきた。
「なに! 見つかった? どこで」
「詳しい事は直接聞いてください」
 警部は電話を代わった。
「勇一君はどこで見つかったんですか。え、事故現場、事故現場に立っていたところを知り合いの女性が見つけて、家に連れて来てくれた? 本人は無事なんですか? 怪我は無いんですか。怪我は無いけど記憶喪失になっているみたい? とにかく、今からそちらに伺いますから、そのまま動かないで待っていて下さい」
 そういうと、すぐに電話を切った。
「七坂君、出かけるぞ」
 電話のやり取りを聞いていた七坂巡査部長も、
「はい!」
 勢い良く返事をして警部の後ろを付いていった。
「警部、無事見つかって良かったですね」
 車を運転しながら巡査部長もホッとした顔になった。
「そうだな、だがまだ気は抜けんぞ、この目で確かめて、質問せんかぎりはな」
 この事件は矛盾が多すぎる。一つ一つの事象が繋がらないのだ。
 繋がらないものを繋げるには、関係者から徹底的に聞きだすしかない。
 そして、聞き出した情報を元に捜査を進め、どの角度から見ても全て整合性が取れるようにする。
(そうでなければ事件を解決したとはいえない)
「警部、着きました」
 家に着いた二人は両親に迎え入れられ、中へと入っていった。廊下を突き当たった部屋のドアを開けるとソファに勇一が座っていた。
 勇一と目が合った瞬間、警部の目が静かに、しかし、鋭く光った。
(別に変わった感じはしないな)
 直感的にそう思うと、柔らかい口調で勇一に言葉をかけた。
「勇一君、どこも怪我はないかな」
 話しかけながら、テーブルを挟んで対峙した形でソファに座った。
「なにも怖がらなくていいからね。おじちゃんが幾つか質問するから、それに答えてほしいんだ」
 顔は笑っていたが、質問する時の警部はベテラン特有の相手を威圧するオーラが知らず知らずの内に、体中から出ていた。
 それを感じ取った巡査部長は警部の膝を指でつついた。
 何事かと見た巡査部長の目は、
(警部、いけませんよ)
 と訴えていた。
「ああ、そうだ、ここは、若い七坂君にやってもらおう、年齢もおじちゃんより、ずっと近いはずだからね」
今度は、巡査部長が落ち着いた口調で話し出した。
「初めまして、七坂といいます。横に怖そうなおじちゃんがいるけど気にしないでね。おじちゃん、こう見えても毛虫が嫌いなんだ」
 勇一の両脇に座っている正紀と美代子がクスクス笑った。
 警部も、おいおいという顔をした。
 巡査部長は話を続けた。
「おじちゃんは九州の生まれで、君と同じ位の時にグミの木にいっぱい付いていた毛虫に刺されちゃってね。それ以来、嫌いになったんだけど、小さい頃の夢は天文学者になることだったんだ」
 瞬間、勇一の目が輝いた。巡査部長はそれを見逃さず、
「勇一君は天文学に興味があるのかい」
 と聞いた。
「うん、あるよ、宇宙の事には詳しいんだ」
「へえ、そうなんだ。宇宙は分からない事だらけだからね」
「分からない事は教えてあげるよ、僕の知っている範囲でよければ」
「そう、それは助かるな、じゃあね、今日は宇宙のことじゃないけど、勇一君が知っていて、僕らが知らない事を教えてくれないかな」
「どんなこと」
「そうだなあ、君が事故にあってから、見つけ出されるところまで」
「いいよ」
 勇一は、今までの経緯を全て話だした。
 自分達がブンブク星からやってきた事や、本物の勇一は母艦の中で治寮をうけている事、自分は勇一が完治するまでの代わりだとかいった、にわかには信じられない事を聞かされて、そこにいた全員が面食らった。
 勇一になったポンタロウ隊員には、本当の事を話しても、地球人には理解されないだろうという思いと、これからの交易の為の予備知識として、知っておいてもらいたいという、二つの思いがあった。
「う~ん、君は勇一君の姿をしたブンブク星人なのか、なんだか、空想科学の話になっちゃったね」
「すみません、記憶が無いうえに、変な作り話までしてしまいまして」
 正紀(まさき)は申し訳なさそうに頭を下げた。
 その言葉に警部は、
「いやいや、そんな事はありません。勇一君の気持ちが落ち着いた頃にまた、話を聞かせてください。それじゃあ、七坂君、今日の所は、この辺で失礼しようか」
 そういって立ち上がった。
 警部と巡査部長を玄関まで見送った後、正紀は側にいた美代子に耳打ちした。
「今から、ブンブクとか茶釜という言葉、それから、これらを連想させるような言葉は使うな」
 美代子は無言で頷いた。
「明日、病院に連れて行って診察してもらおう」
 二人が部屋に戻ると、ランが楽しそうに勇一と話をしていた。
「お兄ちゃん、ブンブク星ってどれくらいの大きさなの」
「え~とね、地球の二倍くらいかな」
 その会話を聞いた美代子は慌ててランを廊下に連れ出した。
「だめよ、お兄ちゃんにブンブク星の話をしちゃ」
「どうして?」
「どうしても、ね。とにかくお兄ちゃんの記憶が戻るまでそんな話しをしちゃだめよ、わかった?」
「うん、わかった」
 七歳のランに釘をさした。
「それじゃあ、お兄ちゃんを二階の部屋に連れて行って休ませてちょうだい」
「は~い」
 ランは応接間に戻ると、勇一を二階の部屋に連れて行った。
 二階に上がるとすぐ正面に、正紀が趣味でやってるハム(アマチュア無線)の部屋があり、その右手が折り返しの廊下になっていて、手前がランの部屋、奥が勇一の部屋になっていた。
 ランは勇一の部屋のドアを開けると中に入った。
「ここがお兄ちゃんの部屋よ」
 部屋の右側に窓があり、窓の横に机と本棚があって、その奥にベッドがあった。
「へえ、ここが僕の部屋か」
「お兄ちゃんはここで休んでいてね、晩御飯が出来たら呼びに来るから」
「うん、わかった」
 ランが部屋を出て行くと、勇一はベッドの上に腰掛けた。
(いよいよ地球での生活が始まるのか。隊長の為にも頑張らなくっちゃ)
「でも、なんだか眠いなあ、疲れているのかなあ」
 暫く経ってランが呼びに来た時には寝てしまっていた。
「お兄ちゃん、ご飯できたよ」
 返事は無かった。
「もう、開けるよ」
 ドアを開けるとベッドの上で横になっている勇一の姿が見えた。
「お兄ちゃん起きて、ご飯よ」
 両手で揺り動かすと目を覚ました。
「ああ、寝てた。もう、そんな時間になるの?」
「いいから早く行こう」
 一階に降りて食卓の椅子に座ると、美代子が楽しそうに話し出した。
「今日は勇一の大好きなトンカツよ、たくさん食べてね」
「いただきまーす」
 ランが真っ先に食べ始めた。
「あれ、お兄ちゃん、何してるの」
「い、いや、皆と同じように、この細長い物を持とうとしているんだけど上手くいかなくって」
「えっ、お兄ちゃん、箸の持ち方を忘れたの」
 心配そうに聞いた。
(なに? これは箸って言うのか。地球人はみんなこれを使って食事しているのかなあ。どうやっても持てないや)
「無理に持たなくてもいいんだ、フォークとナイフもあるし」
 正紀は自らフォークとナイフを使って見せた。
 勇一も正紀の真似をして持つと上手く使えたが、この様子を見ていた美代子は、少し心配になった。
 食事が済むと今度は風呂が待っていた。
「さあ、次はお風呂よ、お母さんが付いててあげるから心配しなくていいのよ」
 美代子は勇一を風呂場に連れて行くと服を脱がし始めた。
「ちょっと待って、恥ずかしいよ」
「何が恥ずかしいのよ、親子じゃない」
「そうだけど、いや、そうじゃないよ」
「なに訳の分らない事言ってるの、さあ脱いだ、脱いだ」
 勇一を裸にすると全身を見回した。
(不思議、どこも怪我してないわ)
 身体のどこにも傷が無い事に驚きながらも安堵した。
(そうなるとやっぱり精神的なものかしら)
「脱いだらまず、体にお湯をかけて石鹸で体を洗うのよ、それが終わってからお風呂に入る」
 勇一の体に湯をかけると、石鹸で洗い始めた。
(なんだか良く分からないけど、体に毛がないっていうのはつるつるして変な感じだなあ)
「さあ、洗い終わったからお風呂に入っていいわよ」
 勇一は湯船に浸かりながら、次は何があるんだろうかと思ったが、後は寝るだけだった。
 次の日。
「それじゃあ、勇一を連れて病院に行って来るからな」
「ええ、気をつけてね」
 正紀は勇一を車に乗せると病院に向かった。
 病院について一時間後、検査の結果が出た。
「先生、どうなんでしょうか」
 正紀は心配そうに聞いた。
「検査の結果、どこにも異常は認められませんでした。記憶を失っているという事ですが、脳そのものに異常はありません」
「そうですか」
 医師は勇一に話しかけた。
「勇一君、基本的な事を聞くけど、今日が何年の何月だかわかるかね」
「わかりません」
 即座に答えた。
「今日はね、二千二十六年六月九日、火曜日だ。それじゃあ、これは何だかわかるかね」
 医師は胸ポケットから細長い棒状の物を取り出した。
「わかりません」
「使った事は無いかね」
「ありません」
「ふ~む、これはボールペンだよ。文字を書くためのね」
 そういって紙に字を書いて見せた。
(地球人ってこんな物で文字を書いているのか、僕らは手の指を物体に当てて、そのまま直線的に動かすだけで文章にする事が出来るのになあ)
 ブンブク星人は頭の中で思った事を、指の先に伝えて物体に刻み付ける能力を持っていた。
「先生、こんな調子で学校に通わせても大丈夫でしょうか?」
「まあ、しっかりサポートして上げれば大丈夫でしょう。学校に行けば、かえって記憶を取り戻すキッカケを掴めるかも知れません」
「それならいいんですけど」
 病院で記憶を呼び戻す方法を見い出せなかった正紀は落胆した。
 診察を終えて家に帰ると、すぐに美代子に結果を話した。
「あら、異常が無かったならそれで良いじゃない。だって最初は生きているかどうかさえも分からなかったんだから」
 内心、心配しながらも明るく答えた。
「そうだな、潰れた自転車を見たときはもうだめかと思ったからな」
「そうそう、物事はポジティブに考えなきゃ、記憶だってそのうち戻るわよ」
「そうだ、今から、勇一を連れて学校に行って来る。先生方も心配されていたからな」
 正紀は思いついたように言うと、美代子は心配そうな顔をした。
「今からって、病院から帰ってきたばかりでしょ。勇一は疲れてるんじゃないの」
 美代子は勇一の顔を見た。
「僕なら大丈夫だよ」
 勇一は笑ってみせた。
「じゃ、昼飯食ってからいくか」
「うん」
 昼食が済むと、再び車に乗って出かけた。
「おとうさん」
「ん? どうした勇一」
「お年寄りがハンドルの無い車に乗っているけど、大丈夫なの?」
「ああ、あれか、あれはシルバーカーと言って、元々ハンドルが無いんだ。行き先をカーナビに入力するか、声で言うと、車が勝手に目的地まで運んでくれるんだ。おとうさんも一度乗った事があるけど、ほんとに楽だったな、寝ていても目的地に連れて行ってくれるんだから。あの車のおかげで、高齢者の事故が随分減ったんだけど、価格が高いのが欠点だな。もう少し安ければおとうさんも買うんだけど」
「おとうさんはまだ若いじゃない」
「うん、でも乗っていて疲れないんだ」
「そうか、地球人って、やっぱり疲れてるんだ」
 正紀はドキッとして「えっ?」と言うと、苦笑いした。
「勇一、地球人という言葉は、先生やクラスの皆には使うんじゃないぞ。余計な心配をかけるからな」
「うん、わかった。おとうさんを疲れさせるわけにはいかないからね」
「そうそう、おとうさんの為にも頼む」
 森ヶ山小学校に着いて、職員室に入ると、そこにいた先生全員が笑顔で迎えてくれた。
「勇一君、無事でよかったな」
 校長が近寄って声をかけたが、勇一はポカンとした顔で見ただけだった。記憶喪失である事を聞かされていた校長は話しをそらした。
「ああ、何も気にしなくていいんだよ、私はこの小学校の校長だ。よろしく」
「はい、よろしくお願いします」
「いい返事だ、相変わらず礼儀正しいな、君は」
 校長は職員の方を見ながら、
「勇一君、先生方の中に見覚えのある人はいるかな」
 ゆっくりとした口調で問い掛けた。
「誰もいません」
 その答えを聞いて、一人の男性職員がガッカリした表情を浮かべた。勇一の担任の諸杉先生だった。
 勇一の反応をみた校長は、間違いなく記憶喪失だと思った。
 すかさず、先生方に向かって正紀が話しかけた。
「今朝、病院に行って検査をしてもらいましたが異常は無いと言う事でした。また、通学の事をお聞きしたところ、学校で何かを思い出すことがあるかも知れないというアドバイスを頂きましたので、勇一を学校に通わせたいと思います」
「それは、それは、クラスのみんなも喜ぶでしょう。いつから通いますか」
 校長が尋ねると「僕、明日から行きたい」と勇一は答えた。
「そうか、勇一君は学校が好きだからね」
「うん、早くみんなと会って友達になりたいんだ」
 その言葉を聞いて、諸杉先生が勇一の前に進み出た。
「勇一君、君の担任をしている諸杉です。今は先生の事を忘れているかも知れないけど、一日も早く君が記憶を取り戻すように、先生も協力するからね」
 勇一も「よろしくお願いします」と言って頭を下げた。
 この、他人行儀な答え方に胸をギュッと締め付けられる女の先生もいた。
「それでは、今日のところはこの辺で失礼したいと思います」
 正紀は校長と職員に挨拶をした。
「そうですか、それじゃあ、勇一君、明日から頑張ろうね」
 校長が励ましの言葉をかけると、正紀と勇一は職員室から出て行った。
 担任の諸杉先生だけは車の所まで一緒に付いて来てくれた。
「勇一君、またクラスのみんなと一緒に美術館に絵を観に行こうな」
 先生は、車が見えなくなるまで手を振ってくれた。
「おとうさん、僕、絵が好きだったの?」
 聞かれた正紀は、
「おまえは、県展で特選を取るほどの腕前じゃないか。とうさんも鼻が高いぞ」
 車を走らせながらニコリと笑った。
「そう、絵が好きなんだ」
 家に帰って玄関を開けると、美代子が間髪を入れず、
「どうだったの?」
 と聞いてきた。
「うん、先生方の顔が分からなかった」
「やっぱり」
「それから、明日から学校に行く事になった」
「明日から? 明日から行って大丈夫なの」
 美代子は不安になった。
「これは勇一の希望だ」
「そうなの」
「今までは、勇一がランを連れて行ってたけど、今度はランが勇一を連れて学校に行かなきゃな」
 正紀はネクタイを外しながらソファに座った。
「そうね、記憶が戻るまではね」
 そして次の日の朝。
「お兄ちゃん、ランの手を離しちゃだめだよ。しっかり繋いどかないと、また、車にはねられるからね」
「はいはい、わかりました」
 二人は手を繋いで歩き出した。
 視界の悪い十字路をそのまま歩いて渡ろうとした勇一の手をランは引っ張った。
「お兄ちゃん、止まらなきゃダメ! ここは、ちゃんと右左を見て渡らないと、車とぶつかっちゃうよ」
 戸建の多い、迷路のようなこの団地は、通勤時間帯になると、スピードを落とさず通り抜けて行く車が多かった。
 団地を抜け、狭いT字路を左に曲がろうとしたら、右の方から大人の怒鳴り合う声が聞こえた。
「だから、ここは今、入れないんだよ、この道路標識が見えないのか」
 腕章を付けて、黄色い棒を持った五十代の男が、車に乗っている若い男に強い口調で注意をしていた。
「うるせえな」
 肩を怒らせながら若い男が車を降りてきた。
「時間が無いんだよ。早くしないと会社に遅刻するだろうが。遅刻したらお前に責任を取ってもらうからな」
 腕章を付けた男に凄んで見せた。
「あほか、おまえは」
「なに!」
「ここは、通学路になっているから、七時半から八時半まで車両通行禁止なんだ。この標識にちゃんと書いてあるだろうが。ほれ、これを見てからものを言え」
 五十代の男は、バリケードに付いている標識を黄色い棒で指し示した。
「遅刻したくなきゃ、もう少し早く家を出るんだな」
 軽くあしらうと「おっさん、喧嘩売ってんのか!」ときた。
「んー、別に喧嘩売ってるつもりはないが、お前さんだって、小学生の時があったろう。その頃のことを思い出して、もう少し、子供たちに優しい心を持ってくれないか」
 諭すように言った。
「やかましい、つべこべぬかさず、ここを通せ!」
「そうか、それじゃあ警察を呼ぶか。トラブルがあったら直ぐに連絡してくれって言われてるんだ。それとも……」
 と言って、左の半袖のシャツを右手でたくし上げると刺青が見えた。一見しただけで単なるタトゥで無い事が分かった。それを見た瞬間、若い男の顔が急に青くなり、あわてて車に乗って、その場を離れていった。
(ふん、所詮、畜生は畜生か。どいつもこいつも、自分の事しか考えない奴ばかりだ。とは言うものの、昔の俺も自分の事しか考えない奴だったけどな)
 そう思いながら通学路の方を見た五十代の男の目に、勇一とランの姿が映った。
 とたんに、
「おーー!」
 叫び声を上げながら二人に駆け寄って行った。
「勇じゃないか、お、お、ホントにどこも怪我してないな」
 勇一の周りを一周しながら感心したように言った。
 勇一は無言で見ていた。
「ああ、わかってる、わかってる。記憶が無いんだってな。気にするな、俺なんか酒を飲んだらすぐ記憶が無くなって、いつもカカァに怒られてんだ。記憶なんて、その内もどってくるさ。さ、気をつけて学校に行きな。おいちゃんも戻らないと、又、車が入って来るからな」
「うん、神山(じんざん)のおじちゃん、いつもありがとう」
 ランは挨拶をすると勇一の手を引っ張って学校へ歩き始めた。
(ありがとうか、そういう人間が増えていけば、この辺も、もっと住み易くなるんだがなあ)
 心の中で呟きながら、男は元の場所に戻っていった。
 勇一とランが狭い通学路を抜けて車の多い幹線道路に出ると、近くの横断歩道に緑のおばちゃんが立っているのが見えた。
 おばちゃんは勇一を見つけると声をかけてきた。
「あら、勇一ちゃん、もう学校に行ってもいいの?」
 帽子をかぶっていて良く分からなかったが、声をかけたのは、勇一を見つけて家まで連れて来てくれたおばちゃんだった。
「うん、病院の先生が行っても大丈夫だって」
「そう、よかったわね、気をつけて行くのよ、もう事故に遭うんじゃないわよ」
「ありがとう」
 横断歩道を渡ると、そこにもおばちゃんが立っていて、声をかけてくれた。
 そこから十分ばかり歩くと小学校が見えてきた。
 校門の前には三人の先生が立っていて、登校してきた子ども達に声をかけていた。
 その中の一人に諸杉先生がいた。先生は勇一に気づくと大きく右手を振ってくれた。
 校門の前まで来た勇一に、
「勇一君、今日は先生と一緒に教室に行こう。それまで、ここにいなさい」
 そういって自分の傍に寄せた。
「え、先生と一緒に、ここに立っているんですか」
「そうだ」
 勇一が立っていると、ランまで一緒に立っていた。
「ランちゃんは先に教室に行ってなさい」
 先生に促されると、
「お兄ちゃん、授業が終わったら運動場に来てね。ラン、待ってるから」
 待ち合わせの場所を伝えた。
「ええっと、運動場ってどこだっけ?」
「運動場はあそこの広い場所」
 校舎の横にある運動場を指差した。
「ああ、あそこか、わかった」
「ほんとにわかってる? お兄ちゃん、記憶喪失だから心配なの」
 まるで姉のような口調になった。
「それじゃあ、先に行ってるからね」
 ランは何度も振り返りながら、学校の中に入っていった。
 しばらくして、諸杉先生の傍にいる勇一に二人の男の子が近づいてきた。
「あ、ゆうちゃんじゃない。学校に来てだいじょうぶなの」
 一人の男の子が話し掛けると、
「すっげえ、ほんものだ、どこも怪我してないや」
 もう一人の男の子も声を掛けた。
(だれだろう)
 何の感情も無く見つめる勇一に二人はハッとなった。
「そうか、ゆうちゃん、記憶が無いんだ」
「うん、僕は君たちの事が分からないけど、よろしくね」
 その、他人行儀な言い方に二人が戸惑いを覚えると、諸杉先生が声を掛けた。
「そういう事だ。だから記憶が戻るまで、みんなでフォローしてほしいんだ。勇一君が戸惑う事があったら、みんなで助けてやってくれ」
「うん、いいよ」
 校門に立っているだけで、クラスの殆どの生徒達と会うことが出来た。
 事前にクラスメートに会わせることで、みんなと溶け込み易い雰囲気が作れるようにとの、先生の配慮だった。
「さあ、行こうか。もうすぐ朝礼が始まる」
「はい」
 先生の後ろに付いて校舎の中に入ると、階段を上り始めた。この校舎の三階に勇一のクラス、五年三組があった。
 先生が教室に入ると「起立、礼、着席」女の子の声が響いた。
「さて、みんなは校門の前で勇一君と会って話をしているから、状況は分ったと思う。勇一君の記憶が戻るまで、みんなで励まして、分からない事は教えてあげてほしい」
「わかりました」
「先生、まかせてください」
「ゆうちゃんの席はここだよ」
 生徒達が口々に声を上げた。
「それじゃ、勇一君、あそこの空いている席に座って」
 先生は窓側から二列目の真ん中当たりの席を指で示した。
「わかりました」
 席に着くと、一時間目の授業が始まった。
「ゆうちゃん、教科書は?」
 右隣に座っている女の子が話かけてきた。
「えーと、これの事かな」
 ランドセルの中から薄く四角いものを取り出した。
 今度は、後ろの席の男の子が使い方を説明しだした。
「そうそう、これは電子教科書なんだ、中を開くと国語、算数、理科、社会って書いてあるだろう。その、国語にタッチするんだ。そうすると画面に国語の教科書が出てくるんだ、それからここをタッチすると画面上でページが変わるから」
 指でタッチしてページを変えてみせた。
「へえ、おもしろいな」
「でも、ノートだけは昔のままの紙のノートなの」
 女の子はノートを取り出しながら話した。
「どうして?」
「どうしてって、文字を書いていないと、漢字を忘れちゃうからよ、最近は、ひらがなや、カタカナを書けない大人が増えてるんだって」
(文明が発達すればするほど、人間のなにかが退化するってわけか)
 勇一はそう感じた。
 学校での長いようで短い一日が終わり運動場に向かうと、ランはブランコに乗って待っていた。
 勇一を見つけると「お兄ちゃん」と言って、駆け寄ってきた。
「さ、帰ろう」
 手を握って歩き出した。
「お兄ちゃん、学校はどうだった、何か思い出した?」
「いや、まだだけど、みんな親切にしてくれたよ」
「お兄ちゃんが優しいから、みんな親切にしてくれるのよ」
 ニッコリ笑いながら言った。
「へえ、僕って優しかったんだ」
「うん、頭はそんなに良くないし、運動神経もイマイチだけど、困っている人を見ると、手を貸して上げたくなる性格なの」
(そうか、困っている人を見ると、手を貸して上げたくなる性格か。貴重な情報だな。人を助けようとする心根は一番大切だ。これは僕たちブンブク星人の精神に近いものがあるな)
「ねえ、お兄ちゃん、どうしたの、何ボーッとしてるの」
 立ち止まって考え込んでいる勇一を見て、心配そうに顔をのぞき込んだ。
「いや、何でもないよ」
 二人はまた通学路を歩き始めた。

      七坂巡査部長の策

 勇一が地球に来て一週間経った日の夕方、警察署では、荒沼警部と七坂巡査部長が、ひき逃げ事件の事で頭を抱えていた。
「警部、百二十キロ離れた会社で加害車両を発見して容疑者が浮かび上がったまでは良かったんですが、これからどう持っていけばいいんでしょうか」
 巡査部長の問いかけに、
「そうだな、目撃されたナンバーから車両を特定して車両底部に付着していた血痕を採取し、DNA鑑定した結果、被害者のものと一致。同様に採取した塗料も潰れた自転車の物と一致した。しかし、事故現場には血痕が無い。当の被害者も怪我をしていない。おまけに記憶喪失で自分をブクブク星人だと思っている」
 一つ、一つ、検証するかのように言った。
「警部、ブクブク星人じゃありませんよ」
「すまん、すまん、ポンポコ星人だったな」
「違います! ブンブク星人です。波那乃家での勇一君の話をちゃんと聞いてなかったんですか」
 問い詰めるかのような口調になった。
「何をいうか、ちゃんと聞いていたさ」
 バツが悪そうに答えた。
「つまり、これは、こういう風に考えたらどうでしょうか」
 巡査部長が苦肉の推理を述べ始めた。
「被害者は加害車両に巻き込まれたものの、自転車だけが潰されて、本人は間一髪、難を逃れた。その際、加害車両の底部と接触し、軽い怪我をして出血し、その血液が底部に付着した。被害者は突然の出来事に恐怖を覚え、ショック状態となって、記憶を失った。そしてその恐怖から逃れるために、自己防衛本能が働いて乖離(かいり)状態(じょうたい)となり、空想の世界に入って、自分はブンブク星人だと思い込む様になった」
「軽い怪我をしたといっても大勢の目撃者が、血まみれで倒れている少年を見たと証言しているんだぞ。その推理には無理がある」
「でも、現場に血痕は無かったんですよ、それは警部も確認しているでしょう」
「うーん、それだよ」
 警部は天井を仰いだ。
「それから被害者の一日の空白はどう説明するかなあ」
 警部は、丸一日、行方不明になっていた事に言及した。
「たぶん、記憶喪失になって、帰る家が分からず、どこかにさまよっている内に、再び現場に戻り、発見されたって事じゃないですか」
「しかし、どうも釈然としないな」
 しばらく沈黙が続いた後、巡査部長が一つの提案をした。
「いっそ、被害者と容疑者を会わせてみてはどうですか」
「おいおい、それはないだろう、被害者は記憶喪失だぞ、会っても分からんだろう」
「いえ、被害者の反応を見るんじゃないんです。容疑者は事故の事を全面否定していますから、被害者と会わせる事で容疑者の反応をみるんです。」
 警察の捜査が今も昔も強引なのは変わらないが、この提案は受け入れられないと警部は思った。
「それはやめておこう、少年に悪い影響が残ったら大変だ」
「では、今後の捜査をどう進めて行くつもりですか。犯人は間違いなくあの男です」
「そうかもしれんが、この件でトラウマになったらどうする。取り返しがつかんぞ」
苦い顔をする警部に巡査部長は食い下がった。
「それでは話だけでもさせてください。それでだめなら諦めます」
警部はチラッと巡査部長を見たが又、思案顔になった。暫く考えていたがいい案が浮かばない。といってこのままにしておく訳にはいかない。 
「仕方ない、協力を要請してみてくれ。但し、強引に話を持っていくんじゃないぞ」
「わかりました」
容疑者は事故そのものを否定している。だから被害者と会っても動揺する事はないはず。しかし、それが動揺したとなると事件に関与している疑いが深くなる。
「否定した事を逆手に取って自白に追い込むか。よし、そうと決まったら手順を考えよう。まず、少年を不安にしないように、暗い取調室はやめて、応接室にしよう。それから、婦警と一緒に入って来てもらい、容疑者の逃走を防ぐ為に、我々はドア側に座わり、念の為、ドアの外には数人の署員を待機させよう」
 警部は次々と方策を打ち出した。
「ええっと、今は六時半か。この時間には波那乃さんの御主人も仕事を終わって帰宅していると言ってたな。すぐに勇一君の両親に電話して了解をとってくれないか。それから、話をする相手は子どもだ、メンタル面の配慮を忘れずにな」
「わかりました、電話をしてみます」
 七坂巡査部長が電話をかけると、相手方と話す巡査部長の声が警部の耳に入って来た。
「こんばんは、森ヶ山署の七坂です。奥さんですか?、御主人は帰宅されていますでしょうか。いえ、代わらなくて結構です。今からそちらに伺いたいんですけどよろしいでしょうか。ああ、そうですか。それから、まず、ご両親と話をして、その後で勇一君と話をしたいんですが。あ、そうですか、二階の勉強部屋に・・・、分かりました。それでは今から伺いますのでよろしくお願いします」
 電話を切ると「今から、行ってきます」と言って勢い良く署を出ようとした。
「よし、行くか」
 椅子から立ち上がろうとする警部を見て「警部はここで待っていて下さい」と制した。
「え、どうしてだ」
「忘れたんですか、最初に訪問した時の事を」
「ばか言うな、忘れる訳ないじゃないか」
「警部が行ったら、勇一君に威圧感を与えてしまいます。ここは私に任せて下さい」
「そんな」
「メンタル面に配慮するようにって言ったのは、警部ですよ」
「そ、そうか、それじゃあ頼む」
「容疑者を逮捕した時の尋問は、警部に任せますから」
 署を出ようとした巡査部長の後ろから、
「ああ、そうだ、服装は事故当時のものを着用してもらうよう、頼んでくれ」
 思い出したように声を掛けた。
「わかりました、行って来ます」
 署を出た巡査部長は、途中でコンビニに寄ってお菓子を買った。
(勇一君、喜んでくれるかな)
 波那乃家を訪問すると、勇一の両親に捜査の協力を申し出た。
 話の内容に美代子は戸惑いを覚えた。
「そんな事をして、勇一に何か悪い影響が出る事は無いんでしょうか」
「その事については、私たちも最大限配慮致します。面会場所も取り調べ室ではなく、署内の応接室を使います。勇一君と容疑者の距離も出来るだけ離しますし、何も話さなくてその場に立っているだけで結構です。時間も一分と掛かりません」
 正紀と美代子の目は、しっかりと七坂巡査部長の目を見据えていた。
 もうこれ以上、息子を苦しい目に会わせたくないという思いがありありと見えた。 
「本人の代わりに写真じゃだめなんでしょうか。一週間経って、あの子もようやく学校と家庭に慣れてきたんです」
 美代子は静かに低い声で訴えた。
「おかあさんの気持ちはよくわかります。しかし、今回の事件は少し複雑なんです。加害車両には、勇一君の血痕と自転車の塗料が付着していました。これは有力な物的証拠です。ところが、事故現場には一滴の血も確認出来ませんでした。大勢いる目撃者は、勇一君と共に血も消えてしまったと言っていますが、血痕が確認出来ない以上、その情報を採用する訳にはいきません。この件での私達の推測は、こうです。事故で自転車はトレーラーに潰されましたが、勇一君は間一髪のところで自転車から離れ、巻き込まれずに済んだ。しかし、トレーラーの底部に頭をぶつけて出血し、それが付着した。この事が原因か、それとも事故の恐怖からか、記憶を失なってしまい、帰る家が分からず、一日さまよったあげく、事故現場に戻って来た所を、偶然通りかかった知り合いの女性に保護され、無事に帰宅した」
 そこまで言うと、正紀が口を開いた。
「頭をぶつけたと云われましたが、勇一は事故の翌日、病院で精密検査を受けています。検査の結果、どこも異常は無いと云われました」
「今、話した事はあくまでも推測です。しかし血痕のDNAが一致した以上、勇一君は体のどこかに傷を負っているはずです」
 巡査部長は正紀の目を見ながら問題提起するかの様に話した。
「怪我なんかしていなかったわ。私、勇一をお風呂に入れた時に体を見たのよ」
 美代子は正紀と巡査部長の顔を交互に見た。
「もしかしたら、目立たない場所にかすり傷程度の怪我だったかも知れません」
 七坂巡査部長は二人に不安を抱かせないよう気遣った。
「物証や目撃証言から、本件がひき逃げ事件である事は明らかです。ここで犯人を捕まえないと、更に犠牲者が出る可能性があります。逃げ得は絶対許さない!私達はそういう覚悟で捜査に臨んでいます。どうかご協力下さい」
 巡査部長は応接間のテーブルに両手を着くと、深々と頭を下げた。
 最初に会った時は、優しい青年警官だと思った。しかし今ここにいる、七坂巡査部長は、事件解決に執念を燃やし、犯罪者を許すまいとする、一人の警察官。
 そう見てとった正紀は「わかりました」と答えた。
「分かって頂けましたか、有難うございます」
 七坂巡査部長が頭を上げると「勇一を呼んで来ます」と言って正紀は応接間を出て行った。
「どうぞ、お茶を飲んで下さい」
 ずっと、テーブルの上に置いてあったお茶を美代子が勧めると、有難うございますと言って、いっきに飲み干した。
「いやー、このお茶、おいしいですね。なんていうお茶ですか?」
「これはただの番茶ですけど」
「そうですか、どうりで旨いと思いました」
 このトンチンカンな返事に美代子はクスリと笑った。
 七坂八雲(ななさかやくも)巡査部長、二十八歳。いまだ独身で独り暮らしの彼には、お茶の種類など分かろうはずがなかった。
 そこに、勇一を伴って正紀が入ってきた。
 勇一がソファに座ると、七坂巡査部長が話を始めた。
「勇一君、お願いがあるんだ」
「分かってるよ、僕をひいた人に会わせたいんでしょ」
 巡査部長は正紀が話してくれたのかと思って、彼の顔を見た。正紀は短く首を横に振って否定した。美代子は少し心配そうな顔をした。
「話を聞いていたの? 二階の部屋にいなさいって言ったじゃない」
「僕はずっと二階の部屋にいたよ」
 それじゃあ誰が、と思って辺りを見回すと、ランがクスッと笑った。
(ランが立ち聞きして、勇一にしゃべったのね)
「ランも二階にいなさいって言ってたでしょ」
「だってぇ、気になったんだもん」
「まあ、まあ、いいじゃありませんか。分かっているのなら話が早い。勇一君、そういう事だ、協力してくれるかな」
「うん、いいよ。僕もその人に会ってみたいし」
「勇一、本当に大丈夫なの、遠慮しないで断っていいのよ」
「勇一が会いたいって言ってるんだからいいじゃないか」
 正紀は柔らかい説得口調で美代子を落ち着かせようとした。
「でも」
 美代子は心配だった。
「おかあさん、心配しなくても大丈夫だよ。僕はそんな、やわな人間じゃないから」
「そう、わかったわ」
 わかったと言いながらも、声のトーンは低いままだった。
 親子の会話に神経を研ぎ澄ませながら、話に区切りが着いたとみた巡査部長は、雰囲気を変えようと勇一にお菓子を差し出した。
「それじゃあ、又、連絡するからね。それからこれは勇一君に食べて貰おうと思って買ってきたお菓子なんだ。好みが分からないから気に入ってもらえるかどうかわからないけど」
 巡査部長はコンビニの袋に入ったお菓子を渡した。
「ありがとう、ランにも分けて上げていいですか」
「うん、いいよ」
 巡査部長は小さく頷いた。
「あ、そうそう、それからもう一つお願いがあるんだ。来る時は、事故当時の服装で来て貰いたいんだけど」
「わかった」
「それじゃあ、帰るからね」
 波那乃家を出ると、七坂巡査部長はそのまま署に戻った。
 署では、荒沼警部が容疑者の顔写真を見ながら考えていた。
亜句土伊蔵(あくどいぞう)、四十五才。短髪で口ひげを生やし、強面風(こわもてふう)(こわおもてふう)だが前科は無い。女房と十三才の娘の三人暮らし。家族を守るために嘘をついているのか、それとも、根っからの嘘つきなのか。取調べでも、事故現場は通ったが俺は関係ないと、殆ど表情を変えずにしゃべっていたな。それに住所と名前を書かせた時も手が震えなかった。普通の人間なら、取調べを受けた後に字を書かせれば手が震えて中々書けないものなんだがな。必ず自供させてやる。お前が犯人であることは間違いないんだ)
「警部、波那乃家から了解をもらいました」
 七坂巡査部長の声で、荒沼警部は我に返った。
「そうか、来てくれるのか。そうなれば、後は容疑者だな。よし、今度は俺が電話しよう」
 受話器を取ると、電話を掛け始めた。
「ああ、こんばんは、亜句さんのお宅でしょうか。森ヶ山署の荒沼です。土伊蔵さんはいますか」
「あんた、警察から電話だよ」
 電話に出た妻の津子(つこ)が土伊蔵を呼んだ。
「何だまたか、めんどくせえな」
 舌打ちする土伊蔵の声が受話器の向こうから聞こえた。
 受話器を津子から受け取ると、
「はい、電話代わりました」
 丁寧な声に変わった。
 そんな土伊蔵の、雑な心の変化を受け流しながら荒沼警部は用件を伝えた。
「亜句さん、申し訳ないけど、もう一度、署の方に、ご足労願えませんか」
 この言葉に土伊蔵は緊張した。
「警部さん、勘弁してくださいよ。三回もそっちに行ってるんですよ。もう話す事はありませんよ」
「いやいや、わかっています。今度が最後です。懇談的に話しましょう。話を聴く場所も取調室じゃなく、応接室ですから」
 応接室と聞いて土伊蔵の心は急に軽くなった。
(応接室か。取調室じゃ、何を聞いてくるか分からないし、下手に答えると、そこから突っ込んでくるから、いつもハラハラして胃がキュルキュル痛みっぱなしだったな。まあ、今度で最後なら行ってやるか)
「ほんとに最後なんですか?」
 念押しをした。
「ええ、ほんとです」
「それじゃあ、行きます。いつ行けばいいんですか」
 土伊蔵の返事に荒沼警部は、ほくそえんだ。
「あさっての午後六時はどうでしょう。少し仕事を切り上げて来てもらわないといけませんが」
「あさっての六時ですね、わかりました」
「では、よろしくお願いします」
 電話を切ると、七坂巡査部長に、あさっての六時だと告げた。
「わかりました、波那乃家に電話します」
 亜句家では津子が、これから先の事を心配そうに土伊蔵に聞いていた。
「あんた、いつまで警察の取調べがあるの?」
「うるさいな、今度が最後だ」
「ホントに最後なの」
「ああ、そうだ」
(この前の事情聴取の時に、あの警部は血痕と自転車の塗料が被害者の物と一致したって言ってたのに、なぜ逮捕しないんだ。まだ何か足りないものがあるのか)
 土伊蔵は取調室でのやりとりを思い出して考えてみたが、見当がつかなかった。
(しかしまあ、それもあさってで終わりだ。やれやれだ。それにしても、洗浄機できれいに洗い流したのに、まだ、血液反応が出るとは思はなかったな)
 もし、事故現場と土伊蔵の生活エリアが百二十キロ離れていなければ、土伊蔵は勇一が元気に過ごしている事を知ったかもしれない。そうなれば否認を続け、事件解決も、より一層困難なものになったに違いない。
「それじゃ、暗い取調室とも今度でお別れだね」
「おう、そうそう、今度は取調室じゃなくて、応接室だってよ」
「応接室?」
 津子が怪訝(けげん)そうに聞いた。
「ああ」
 土伊蔵が嬉しそうに話すと、
「どうして応接室なんだい?」
 今度は探るように聞いた。
「どうしてってお前、あれだよ、その、今まで俺を犯人扱いしてきた事に対する陳謝の表れだよ。警察ってとこは、自分達に非があるってわかっても、なかなか、謝らないからな」
「そりゃおかしいよ、あんた」
「なにがおかしいんだよ」
「あたしも十代の頃、非行やって何回か警察の厄介になったことがあるけど、警察って、そんなとこじゃないよ」
「そんなとこじゃないよ」この言葉を聞いて、土伊蔵の体に緊張が走った。
「そういや、応接室っていうのは変だな」
「あんた、気をつけたほうがいいよ、あんたはまだ、警察の厄介になった事が無いんだから。わな張って待ってるかもしれないよ」
 この事件で津子は、土伊蔵が犯人ではないかと、内心疑っていた。しかし、本人が否定しているのでそれ以上は聞けなかったし、聞くのが怖かった。
 津子の言葉を聞いて土伊蔵は「わかった、気を付けておくよ」と言って、また考え込んだ。
 二日後の夕方、約束通り警察署に行くと、受付にいた警察官が丁寧に六階の応接室に案内してくれた。
 ドアを開けると、荒沼警部と七坂巡査部長がドア側のソファに座っていた。
 二人は立ち上がって土伊蔵に挨拶した。
「ご足労掛けて済みません、どうぞこちらにおかけ下さい」
 荒沼警部は土伊蔵を反対側のソファに腰掛けさせた。
 ソファに座った土伊蔵は、さり気なく、しかし、注意深く部屋の中を見渡した。
「何か、気になる事でもありますか?」
 警部が聞くと、
「いや、警察署の応接室なんて初めてだから珍しくって」
 と答えた。
「そうですか、そういえば、私達も滅多に使いませんなあ」
 この言葉を聞いて土伊蔵は警戒しだした。
(ふん、滅多に使わない部屋に俺を引き込んで何をしようってんだ。津子が言ってたように気をつけなきゃな)
「ところで警部さん、今日で最後だって言う約束は守ってもらいますよ。このあと、どんなに呼び出しを受けても一切応じませんからね。こっちだって生活がかかっているし、娘も学校で白い目で見られているんです。お前の親父はひき逃げ犯だってね、この気持ちわかりますか?」
「わかりますとも、私にも子どもがいますからね」
 土伊蔵の目を見ながら、警部はさり気なく探りを入れ始めた。
「目撃者の話では、少年の着ていたシャツは、車にひかれてボロボロになり、血が大量に着いていたそうです。さぞや、苦しかった事でしょう」
 以前、取調室で話した内容を話しだした。
(ちっ、またその話か)
 そう思いながらも、土伊蔵の脳裏に勇一をトレーラーの後輪でひいた時の光景が浮かんできた。
(嫌な感触だったな、右折直後にゴトンという何かに乗り上げる衝撃を感じて、左のバックミラーを見たら、自転車ごと潰れていく子どもの姿が見えたが、こっちだって仕事で荷物を運んでる途中だったし、めんどくせえと思って、そのままにしていっちまったが、ありゃ、即死だろうな)
「なにか考え事でも」
 うつむいている土伊蔵に警部が声をかけた。
「いや、別に」
 土伊蔵は平静を装っていたが、警部には、事故当時の事を思い出しているのが、手に取るように分かった。
「タバコでもどうですか?」
 警部は左手を上着のポケットに入れると、タバコを取り出して土伊蔵に勧めた。
 その瞬間、隣に座っていた七坂巡査部長の体に緊張が走った。
 タバコを引き抜くと、中の発信器が作動して、外に待機している婦警の受信機に合図を送るようになっていた。
 土伊蔵がタバコを引き抜いて口にくわえようとした瞬間、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
 七坂巡査部長が返事をすると、ドアが静かに開き、勇一と婦警が入ってきた。
 絶妙なタイミングだった。
 勇一の姿を見た瞬間、土伊蔵は呆然(ぼうぜん)となり、思わず、手にしていたタバコを落としてしまった。極度の緊張状態に陥った土伊蔵には、二人の歩く姿がスローモーションのように見えた。
 明らかに動揺している。しかしまだだ。警部は逸(はや)る心を抑えた。
「どうかしましたか?」
「いや、どうもしないさ」
「しかし、動揺しているよ、亜句さん」
「あんたが変な事を言うからだ」
「変な事?」
「そうだ、子どもの着ていたシャツがボロボロで血まみれだったとか」
「うん? それがどうして変な事なんだ」
「だってそうじゃないか、事故当時と同じ色のシャツを着た子どもが目の前に現れたら、誰だってドキッとするだろ」
「事故当時のシャツって?」
 警部が聞き返すと、土伊蔵は興奮して叫んだ。
「バカか、あんた! そこに立っているオレンジ色のシャツを着た子どもだよ」
 その言葉を聞いた瞬間、
(かかった!) 
 警部は心の中で叫んだ。
土伊蔵は当事者しか知り得ない事をしゃべってしまった。
「事故にあった少年がオレンジ色のシャツを着ていたことがどうしてわかった」
「え? だって、さっき警部さんが言ってたじゃないか」
「私はシャツとしか言っていない。色の事までは言っていないんだよ」
「なんだって」
 瞬間、土伊蔵の脳裏に津子との会話が蘇った。
(あんた、警察って肝心な事は言わないからね)
(なんだ肝心な事って?)
(つまり、犯人しか知り得ないことは言わないって事さ。遠まわしに話をしといて、犯人にしゃべらせるんだよ)
(そうか、用心しとくよ)
 用心しているつもりだった。しかし、まんまと警部の術中に嵌(はま)ってしまった。
(しまったぁ!)
 心の奥底から慟哭した。しかし、すぐに、
「ちょっとまて、シャツの色の事は、前に取調べを受けた時に確か聞いてたはず。そうだ、そうだよ、警部さんが言ってたじゃないですか!」
 苦し紛れに叫ぶと、
「そんな事は言っていない」
 警部は言下(げんか)に否定した。
(だから言ったじゃない、肝心な事は言わないって)
 頭の中に津子の声が聞こえた。
(そうか)
 土伊蔵は観念したようにうつむいた。その体は小刻みに震えっぱなしだった。
「それじゃあ、続きは取調室で聞こうか」
 警部が肩を叩いて促すと、力なく立ち上がり、震えの止まらない足で老人の様にヨロヨロとドアに向かって歩き出したが、勇一の傍を通り過ぎようとしたとたん、気を失って倒れた。
「おい大丈夫か、しっかりしろ!」
 倒れた土伊蔵を警部は抱え起こそうとした。
「気絶してるぞ。七坂君、ソファに寝かせよう」
「はい」
 二人は土伊蔵を抱え上げるとソファに寝かせた。
「気絶するほど、ショックだったんですかね」
「わからんな、何か持病を持っていたのかも知れんな、念の為に救急車を呼ぼう」
「その必要はないよ」
 勇一が警部と巡査部長に向かって声をかけると、(えっ)と思って二人共、勇一を振り返った。
「このおじさんは、気絶しているだけなんだ、揺り動かせば気が付くよ。でも、まだそのままにしておいて」
「ほんとに気絶しているだけなのかい?」
 巡査部長が聞き返すと、
「そうだよ、僕がいいと言ったら、揺り動かしてね」
 静かに答えた。
「どうします、警部」
「そうだな、事を荒立ててもつまらんしな、少し様子をみるか」
 二人が話している間にも勇一は脳波動エネルギーを土伊蔵に送り続けていた。
(このおじさんは何も反省していない)
 土伊蔵が勇一の横に来た時「めんどくせえな、即死だろうな」断片的な単語が勇一の頭の中に飛び込んできた。
(おじさんは、勇一君をひいた事を認識している。しかも死ぬ事が分かっていながら、めんどくさいという、自分勝手な感情的理由だけでそのまま走り去っている。確信犯でありながら、警察にはひいていないと嘘をつく。こういうタイプの人間はまた、事故を起こす)
 そう判断した瞬間、夢刑を執行した。
 地球の周回軌道上で待機している母艦のコアコンピューターが脳波動エネルギーをキャッチして、監視ルームのモニターに、ポンタロウ隊員、夢刑執行中、種類・現夢反刑、エネルギーレベル五と表示した。
 それを見た監視員はすぐにタヌキチ隊長に報告した。
「何、ポンタロウ君が夢刑を執行しているって?」
 報告を受けた隊長は急いで監視ルームにやって来て、監視員に声をかけた。
「脳波動エネルギーを映像化して、すぐ、モニターに映してくれ」
(ポンタロウ君、どんな夢を見させているんだ)
 隊長は緊張した面持ちでモニターに目をやった。
 訓練ではいつも平常心で臨めたポンタロウ隊員だが、実際に執行するのは始めてだった。
(訓練と実践は違う)
 隊長はモニターから目を離さなかった。
 土伊蔵に対する憎しみや、メディカルポットで治療中の本物の勇一に対する思いが強ければ強いほど、我を忘れて脳波動エネルギーを強く出してしまう可能性がある。そうなれば、土伊蔵の脳は破壊され廃人となってしまう。
 監視ルームのモニターに映しだされた夢刑は、勇一と土伊蔵がすれ違うところから始まっていた。
「ほう、映像も中々鮮明だな、エネルギーを映像化して相手の脳に送り込むのは大変だからな」
 モニターの中の土伊蔵は、勇一の横を通って警部と共に部屋を出て行った。
 部屋の外に出たとたん、数人の警察官に囲まれた。
「さあ、手を出してもらおうか」
 警部が手錠を取り出すと、
(まだ捕まりたくねえ)
 そう思った瞬間、自分でも考えられない位の力で横にいた警察官を突き飛ばし、脱兎の如く逃げ出した。
「しまった、そいつを捕まえろ!」
 警部は必死に叫びながら追いかけたが、すぐに姿を見失った。
 土伊蔵は応接室のある六階から凄しい勢いで一階まで駆け降りると玄関の横にあった自転車に飛び乗り、全力で疾走した。
(くそ! 捕まってたまるか)
 夢中で逃げていると突然、目の前が真っ暗になり、息が出来なくなった。
「きゃあ、人が車の下敷きになっているわよ!」
「この人、正気か? 自分からトレーラーに突っ込んで行ったぞ」
(ぐふ・・・)
 口から大量の血が吹き出た。
「誰か救急車を呼んで!」
「もうだめだ、体がタイヤに潰されて虫の息だ」
 体はピクリとも動かなかったが、土伊蔵は真っ暗闇の中で、もがき苦しんでいた。
(息がぁ! 息がぁ!)
 息が出来ず、体も動かず自縛の中にいた。
(おじさん、車の下敷きになったらどんなに苦しいか分かったかい)
 いつのまに現れたのか、土伊蔵の傍に勇一が立っていた。
 暗闇の中で白目を剥き、全身が痙攣して断末魔の苦しみを味わっている土伊蔵だったが、なぜか勇一の姿がはっきり見えた。
(わ、わがっだぁ~)
息も絶え絶えに答えた。
(ほんとかい?)
 勇一は冷淡な目で土伊蔵を見下ろしていた。
(ががー!)
 苦悶の声を上げたが、勇一はそのまま見つめていた。心の底から反省しているかを見極めようとしていたのだ。
 暫くして、
(それじゃあ今度だけは許してあげるけど、次はないよ)
 そう言うと突然、真っ暗闇の空間に小さな白い光が現れた。
(おじさん、あそこが出口だから、頑張ってあそこまで歩いて行けば助かるよ)
 それだけ言うと勇一の姿が消えた。
 土伊蔵の上に、重く()し掛かっていたトレーラーも消えてしまった。
(あがぁ~)
 ほんの少しだけ呼吸が出来た。
 何とか立ち上がろうとしたが、体をほんのちょっと動かしただけで、息が詰まるくらいの激痛を感じた。顔や体はパンパンに腫れ上がっていたが、胸だけはタイヤで潰れていた。
(ウギャア!)
 この世の物とは思えない異様な声を発しながらも、痙攣(けいれん)を起こしている体で立ち上がり、暗闇を歩き始めた。
 一歩、足を出すたびに、神経を刺す様な激痛が体中に走り、脳天を思いっきりハンマーでぶん殴られたような感覚に陥った。そしてその度に、気絶しそうなくらいの苦痛を感じた。
 歩けど、歩けど光は近づいて来なかった。
 長遠(ちょうおん)な時間の中を歩いた様に思えた。
 やっとの思いで出口にたどり着き、一歩外に出た瞬間、あまりの眩しさに目の前が真っ白になった。
 夢刑終了の文字がモニターに表示された。
「終わったか。ポンタロウ君、中々だったぞ。夢の中の痛みは、メディカルポットの中の勇一少年が受けたものと殆ど同じレベルだ」
 心配そうにモニターを見ていたタヌキチ隊長は、ホッとした。
 そして、監視ルームを出て行った。
「おい! どうした、しっかりしろ!」
 奇声を発する土伊蔵の両肩を荒沼警部は揺さぶった。
 目をさました土伊蔵は放心状態のまま、ゆっくり辺りを見回した。
「随分うなされていたが大丈夫か」
「はあ、はあ、俺は助かったんですかい」
「助かった? お前は気絶していただけだ」
「気絶していただけ?」
「ああ、そうだ、突然気絶して倒れたから、ソファに寝かせていたんだ。そうしたら大声を上げ出してな。だから起こしたんだ」
(それじゃあ、あれは夢だったのか? しかし、タイヤの下敷きになった時の激痛、息が出来なかった苦しみ。間違いなく本物だった)
「もう、落ち着いたか? そろそろ行こうか」
 警部が立ち上がると、土伊蔵も力無く立ち上がり、ドアに向かって歩き出した。そして勇一の横を通り過ぎようとした瞬間、
(この感覚は夢と同じだ)
 頭がクラッとなるのを覚えた。
(そうだ、そしてこのドアを開けると俺は数人の警察官に取り囲まれ、手錠を掛けられるんだ)
 そう思いながらドアの外に出ると、数人の警察官が土伊蔵取り囲み、荒沼警部が手錠を取り出した。
(間違いない、夢と同じだ。おれは警察官を振り切って逃げ、事故に会うんだ。あの夢は予知夢だったのか? そして今度だけは許してあげる、でも、次はないよと言われたのは、ここで逃げたら、ほんとに死んじまうって事なのか。もうあんな苦しみは二度とゴメンだ)
「さあ、手を出してもらおうか」
「へい」
 土伊蔵は力なく頷いて、素直に両手を出した。
 応接室の中では勇一が七坂巡査部長に土伊蔵の事を聞いていた。
「おじさんはどうなるの」
「これから裁判に掛けられるんだ」
「罪は重たくなるの」
「う~ん、まだ分からないけど、だいぶ嘘をついてるからね、陪審員や裁判長の心証は悪くなるだろうね。でも勇一君は元気にしてる訳だから、そんなに重い刑にはならないだろうね。罪を重くしてもらいたいのかい」
「ううん、逆だよ、軽くしてほしいんだ、おじさんはもう、事故を起こしてたりしないよ。万が一起こしたとしても逃げたりしないよ」
「それがわかるのかい」
「うん、車に引かれたらどれだけ苦しいか身をもって知ったから」
「えっ?」
「七坂さんにも、その内、分かる時が来るよ。それじゃあ僕、帰るね」
 勇一はドアを開けると正紀の待っている部屋に向かった。
「待ってくれ、玄関まで送るよ」
 この事件が解決した後の勇一の心は、肩の荷が降りた様に軽くなっていった。


      茶釜の効果

 一家四人が応接間に集まってテレビを見ているとランが勇一に話しかけてきた。
「お兄ちゃん、最近明るいね」
「そうかなあ」
 自分では普段通りにしていたつもりだったが、ランに言われて、
(おじさんも改心してくれたし、母艦で治寮している勇一君もかなり良くなって来てるはずだから、そのせいかな)
 とも、思った。
「そうそう、明るくなってる、ねえあなた」
 美代子も嬉しそうに笑った。
 新聞を読んでいた正紀は、顔を上げてニコリと笑うと再び新聞を読み始めた。
「おとうさん、何読んでるの」
 会話に参加しない父親にランが声をかけると、正紀が顔を上げた。
「これかい、これはグレート・フューチャープラネットという経済新聞だ。世界中のトップクラスの人たちの記事が載っているんだけど、最近の片腹井大臣の記事が面白くてね」
(片腹井大臣?)
 勇一は正紀の読んでいる新聞に目をやった。
 大臣の名前を聞いて、美代子が怪訝(けげん)そうに聞いた。
「片腹井大臣って、あの、観光大臣の?」
「ああ、そうだよ」
「国会議員を八期勤めて、今年で七十歳になる、あの人?」
「そうだけど」
「どうしてそんな人が、グレート・フューチャープラネットなんていう、立派な新聞に載っているの」
「どうしてって言われても」
「だってあの人、権力に物をいわせて、あくどい事をしているらしいじゃない。陰でいっぱい賄賂を貰って、ちょっとでも自分に逆らう県には満足に予算を与えないっていうし、その事が原因で辞職に追い込まれた職員もいるって話よ。この間なんか、福岡県が、県の名産品にしようとしている『黒田焼ボタ山せんべい』を売り出そうとしたら、一個につき、一円よこせって言ったらしいわよ」
(へえ、そうなんだ。もし、あの時の話がうまくいっていたら、癒しの茶釜も同じように賄賂を取るつもりだったのかな)
 勇一になっているポンタロウ隊員は初めて片腹井大臣に会った時の事を思い出しながら、二人の会話を聞いていた。
「まあ、黒い噂もあるけど、この二週間で人が変わったようになったんだ」
「ふーん、今までの悪事がばれないように、少しは良い事をして、カムフラージュしてるだけじゃないの。それとも、衆議院が解散しそうなのかしら」
 美代子は鼻で笑ってみせた。
「まあ、まあ」
 正紀は美代子をなだめながら話を続けた。
「この二週間で諸外国の大使や観光大臣とも積極的に対話を始めているし、貧しい国の子ども達に日本の民芸品を送る計画も進めているんだ。それに、プラネット・ドクター計画にも積極的に賛意を表明している」
「プラネット・ドクターってなんなの」
「プラネット・ドクターは国連が設立しようとしている機関の名称さ。病んでいる地球環境を良くする為のね。つまり地球のお医者さんって訳だ」
 大臣は変わり始めている。二人の会話を聞いていた勇一はそう確信した。
(癒しの茶釜の効果が現れている。タヌキチ隊長に知らせなきゃ。でも、隊長の事だからもう知ってるだろうな。僕はまだ八日間は母艦に戻れないし、それまで隊長は待っていてくれるかな)
 そんな想いを感知したのか頭の中にシガラキ艦長の声が聞こえた。
(ポンタロウ君、何も心配する事は無い、君の代わりにレンケラ女史がタヌキチ隊長に同行して、片腹井大臣と商談を進めている)
 それを聞いたとたん、余計、不安になった。
(あんな押しの強い人と一緒に行って隊長は大丈夫かな)
「お兄ちゃんどうしたの、ボーっとして」
 ランが心配そうに聞いた。
「別に、何でもないよ」
「お兄ちゃん、時々ボーッとしている時があるよね」
「そうかなあ」
「そうよ、ずっと傍にいるからわかるもん」
 二人のやりとりを聞いていた美代子はランに、やんわり注意した。
「ラン、お兄ちゃんにあまりしつこく言っちゃだめよ」
「わかってる、わかってるけど、お兄ちゃんの事が心配なの」
 ランと勇一の話の中に美代子が割って入った事で片腹井大臣の話題は立ち消えとなってしまった。
 その日の夜、勇一が眠りについていると、窓をコンコン叩く音が聞こえた。
「う~ん、なんだろう今の音は、夢かな?」
  灯りの消えた部屋の中で、机の上から緑色の光を放っているデジタル時計を見ると、時刻は午前一時を表示していた。
(まだ、夜中じゃないか)
 そう思って目を閉じると、またコンコン叩く音がした。
 今度はハッキリ聞こえた。
 急いで電気を点け、辺りを見回すと、窓の外にタヌキチ隊長の顔が見えた。
「隊長!」
 窓を開けて隊長を招き入れると、うれしそうな顔をした。
「隊長、お久しぶりです。元気でしたか」
「ああ、変わりはないよ。ポンタロウ君の事は、母艦からいつも見守っていたよ」
「うれしいな、有難うございます。でも、どうしてここへ? なにかあったんですか」
「艦長から、レンケラ女史の事で、君が心配しているようだという連絡を受けてね、それでここに来たんだ」
「ああ、その事ですか、レンケラさんは自己中心的で、自分の意見を曲げない人だから隊長が苦労しているんじゃないかと思って」
「そうか、心配してくれてありがとう。彼女は今、地球人になって片腹井大臣と行動している」
「え! レンケラさんが地球人に? どういうことですか」
 隊長の口から出た意外な言葉に耳を疑いながら、驚いて聞き返した。
「彼女の希望だ、地球人になってみたかったんだろう」
「それで商談はうまくいっているんですか」
「うん、私も最初はハラハラさせられたが、意外に片腹井大臣に気に入られてね」
「へー、そうなんですか」
 信じられないといった顔をした。
「女史の何でもズバズバ言う性格を大臣が気にいったらしい。それから、分厚いテーブルを素手で叩き割ったり、制止しようとした警備員二人を五メートル近く投げ飛ばした事も目を丸くしながら喜んでいたよ」
「喜んでいたんですか、変わった大臣ですね」
 苦笑(にがわら)いした。
「今まで、大臣に面と向かって苦言を呈する者がいなかったんだろう。その事に物足りなさを覚えていたのかもしれない」
「投げ飛ばされた警備の人は大丈夫だったんですか」
「それは大丈夫だ。相手も体を鍛えているからね。後で、レンケラ女史には、もう少し手加減するように言ったんだが、彼女いわく、両腕を掴まれたから、振り払おうとして軽く腕を振っただけ、だそうだ」
「でもどうしてテーブルを叩き割ったりしたんですか」
「簡単に言うと、大臣の決断の鈍さが原因だ。もっとも、いきなり癒しの茶釜を一千万個も買えと言われたら、誰だって躊躇するがね」
「もしかして、一千万個って数もレンケラさんが出したんですか」
「ああ、そうだ。それで大臣が考え込んでいたら、いきなり、あなた、男でしょ! 早く決断しなさいよっていって、テーブルを叩いたら割れてしまったというわけだ」
 これを聞いたポンタロウ隊員はチャサジー医師の言葉を思い出した。
(ブンブク星人の身体能力と腕力は地球人の三倍から五倍あるってチャサジー医師が云われてたけど、レンケラさんの場合は十倍ぐらいありそうだな)
「それから、話の成り行きで、レンケラ女史は片腹井大臣の秘書をする事になった」
「はぁ? 秘書ですか」
 不思議そうな顔をした。
「一千万個の癒しの茶釜を買っても、それをどうやって売ればいいのか分からないので、知恵を貸してくれ、その為に、私の秘書という事で傍にいて色々とアドバイスをしてほしいと大臣から云われてね」
「そうですか。レンケラさんも頑張ってるんだなあ。ところで地球人としての名前は何ていうんですか」
「名前か、名前は丸ノ内優子だ」
「丸ノ内優子さんか」
「まあ、そういう訳だから、心配しないでポンタロウ君も残りの日々を有意義に過ごしてくれたまえ」
「わかりました」
「それじゃあ、私は母艦に戻る」
 隊長はニコリと笑うと窓を通り抜けて外に出て行った。
 勇一が窓の外に顔を出して見上げると、小型宇宙艇に吸い込まれていく隊長の姿が見えた。隊長は空中から、手を振ってくれた。
 すると突然、背後から、
「お兄ちゃん!」
 叫ぶような声が聞こえた。
 びっくりして振り返ると、パジャマ姿のランが怒ったような顔をしてドアの所に立っていた。
「どうしたんだい、こんな夜中に」
「どうしたんだいじゃないわよ、お兄ちゃんの話し声で起きたのよ」
 そういいながら、勇一の傍に寄って来た。
「ああそうか、ごめん、ごめん」
 勇一は頭を掻きながらランに謝った。
「お兄ちゃん、さっきの人は誰? この前、お兄ちゃんが言ってたブンブク星人なの」
「いや、これは夢なんだよ。ランは夢を見ているんだ」
「夢なんかじゃないよ」
 ランは勇一のほっぺたを思いっきりつねった。
「痛い! いきなり何するんだよ」
「痛いって事は、夢じゃない証拠よ」
「ちょっと待ってくれ、普通は自分のほっぺたをつねるもんだろ」
「だって、ランのほっぺたをつねって、あざが出来たら困るもん」
「困るもんって、それじゃあ、お兄ちゃんはあざが出来てもいいのかい」
 左手で頬をさすりながら言うと、
「お兄ちゃんは男でしょ、それくらい耐えなきゃ」
 簡単に切り返された。
「耐えなきゃって、耐えなきゃいけないのか。トホホ」
「眠たいから、もう部屋に戻る」
 ランは不機嫌そうに言った。
「へっ?」
 話がややこしくなると思っていた勇一は拍子抜けした。
「だって、お兄ちゃんがタヌキの姿をした宇宙人と話をしてたっていっても、誰も信じてくれないもん」
「そりゃまあ、そうだけど」
(それじゃあ僕は、つねられ損って事かよ)
 ちょっと納得がいかなかった。
「じゃあね、お兄ちゃんお休み、もう、うるさくしないでね」
 ランはドアを開けると、自分の部屋に戻って行った。
(う~ん、わからないあ、本心で言っているのか、それとも寝ぼけているのか)
 勇一は腕組みしながら考えたが、次第に睡魔に襲われていった。
「もういいや、僕も眠たい」
 勇一も深い眠りに落ちていった。
 翌日、登校の途中でランが夜中の話を始めた。
「お兄ちゃん」
「なんだい」
「昨日の夜、変な夢を見たの」
 その言葉を聞いた瞬間、キターー、と思った。
「どんな夢?」
 ドキドキしながら聞いた。
「お兄ちゃんがタヌキの格好をした人と話をしている夢」
(やっぱり)
「でもね、お兄ちゃんが、夢だっていってくれたから、ああ、これは夢なんだって思ったの」
 この言葉を聞いて半ばホッとした。そして事実の揉み消しにかかった。
「昨日のランはきっと疲れていたんだよ」
「そうかなあ」
「ああ、疲れて熟睡して深い眠りに就いていたんだ。そういう時に見る夢は、それが現実に思えるものなんだ」
「でもね、タヌキの格好をした人の服装をハッキリおぼえてるよ。家に帰ったら絵に描いて見せてあげるね」
 その言葉を聞いてドギマギした。
「ああ、そう、楽しみにしているよ」
「それから、お兄ちゃんのほっぺたつねったんだけど、顔にあざは無いみたいだし」
 勇一の顔を覗き込むようにしながら言った。
(ふう、あぶない、あぶない。メディカルパウダーを塗っといて良かった)
 その日の夜、ランは紙に描いた絵を持って、勇一の部屋にやって来た。
「お兄ちゃん、これ」
 差し出した絵には、勇一とタヌキチ隊長の姿が色鉛筆で描いてあった。
(隊長の顔が随分、かわいくなってるなあ)
「僕の姿も描いてある」
「だって、二人で話してたんだもん」
「そうか、これが夢で見たタヌキの格好をした宇宙人なんだ」
「うん」
(実物とは程遠いマンガチックな絵で良かった)
 心の中で胸を撫で下ろしながら、絵を返そうとした。
「その絵、お兄ちゃんにあげる」
「もらっていいの?」
「うん」
「それじゃあ、ここに貼っておこう」
 壁に掛けてあるマジックボードに磁石で貼り付けた。
「宇宙人に会ってみたいなあ」
 ランは絵を見ながら目を輝かせた。
「え、どうして」
「だって、広い宇宙から来るんだもん、いろんな事を知ってると思うの」
「ふうん、そうだなあ。どんな事が聞きたいの」
「一番聞きたいのは~、宇宙ってどれくらいの大きさなのかって事」
(宇宙の大きさか、それはまだ僕らにもわからないなあ。宇宙の大きさを調べている無人探査船はまだ信号を送って来ているし)
 ブンブク星人は宇宙に対してひとつの仮説を立てている。
 宇宙は巨大な球状空間を形成しており、宇宙の中にいる限り、どの場所から信号を発しても必ずキャッチすることが出来る。しかし宇宙の外に出てしまったらその時点で信号は途絶えてしまう。
 この仮説を元に宇宙の全方向に二千万機の無人探査船を飛ばし探査船から発せられている信号を受信している。もし同方向の場所で複数の探査船の信号が途絶えてしまったら探査船は宇宙の外に出たものと判断し、そこが宇宙の限界であると考えている。
 今のところ全ての探査船は順調に信号を送って来ており、その距離は三百億光年に至っている。
 ブンブク星人の調査では、宇宙は三百億光年以上の大きさを持っているということになる。
 勇一はランの顔を見ながら、
「ほかには」
 と聞いた。
「その次はねえ、何しに来たか聞きたい」
(目的か。僕らの目的は地球に合った茶釜を売って、永続的な平和交易をする事だな)
「それから、地球みたいな星が他にもあるのかも聞きたい」
(あるある、いっぱいある。でも、交易が出来る程の文明を持っているのは、その内の一割にも満たないけどね)
「それから、えーと、えーと、どこから来たかも聞きたい」
(場所か。場所は、ウルシオ銀河団の方向、千三百万光年ってとこかな。空間的時差を生じさせない透過航法で、ブンブク星から地球まで二十三日で来れる)
「あとは、宇宙船に乗せてもらって、土星に行きたい」
「土星に行ってどうするんだい」
「土星の輪を近くで見たいの、天体望遠鏡で見ると小さくて良くわからないから」
「ああ、そうか、その内お兄ちゃんが連れて行ってあげるよ」
「ほんと」
 ランはうれしそうに笑った。
(ほんとさ、交易がうまくいって、地球人がブンブク星人に違和感を覚えなくなったらね)
「じゃあ、指きり、指きり」
 はしゃぎながら右手の小指を出した。
 指きりの意味が分からず、勇一が戸惑っていると、
「お兄ちゃんも小指を出して」
 そういって勇一に小指を出させると、指を繋いだ。繋いだ指を上下に動かしながら、
「指きりげんまん、嘘ついたら、針千本、飲~ます」
 そういって、指を離した。
「それじゃ、早く宇宙飛行士になってね」
「宇宙飛行士?」
「だって、宇宙飛行士になって、土星に連れて行ってくれるんでしょ」
「ああ、そういうことか、任せとけ、すごく速い宇宙船で連れて行ってやるから」
 そこへ、心配して二階へ上がって来た美代子が部屋の中に入って来た。
「まだ話してるの、早く寝なさい」
 ランをたしなめた。
「お兄ちゃんに宇宙人の話をしちゃダメって言ったでしょ」
「だってえ」
「だってじゃないの、自分の部屋に戻りなさい」
 美代子はランを連れて部屋の外に出て行った。
「お兄ちゃんの記憶が戻るまで、絶対に宇宙人の話をしちゃだめよ」
 ドアの向こうから、美代子の声がした。
(ランも大変だな、ストレスが溜まらなきゃいいけど)
 そう思っていると突然、シガラキ艦長の声が頭の中に聞こえて来た。
(ポンタロウ君、聞こえるか。勇一少年の怪我が完治したから、明日の夜、地球に送り返すことにした)
 それを聞いたポンタロウ隊員は、予定より少し早いなと思った。
 そして、いきなり明日で皆と別れなければならない事に、一抹の淋しさを覚えた。
(勇一君が完治した事はうれしいけど、明日で皆と別れなきゃいけないなんて少し淋しいなあ)
 この日の夜は、目が冴えて中々眠れなかった。
 翌日の朝。
 朝食の準備をしていた美代子は、二階から中々降りてこない勇一の事が気になり始めていた。
「ラン、お兄ちゃんを起こしてきなさい。早くしないと学校に遅れるわよって」
「はーい」
 返事をするとランは二階に駆け上がっていった。
 口ではポジティブな言葉を発している美代子だが、内心は勇一の事が心配でならなかった。そして勇一の言動や行動には常に神経を研ぎ澄ませていた。今朝は、いつもの時間に起きて来ない勇一に、少し心を掻き乱された。
 台所のテーブルに座って新聞を読んでいる正紀に、
「今日はどうしたのかしら、いつもなら、とっくに起きているのに」
 自分の不安な気持ちをわかって貰おうと話掛けたのだが、
「まあ、そういう時もあるさ」
 安易な返事が返ってきた。
 よく見ると、正紀は新聞を読みながらトーストを食べていた。
「もう! 物を食べながら新聞を読むの止めてくれない」
 新聞を取り上げて、テーブルの上に置いた。
「どうしたんだ今日は、やけに不機嫌だな」
「不機嫌じゃないわよ、前からずっと嫌だったの。あなたが新聞読みながら、トースト食べるの。今まで我慢してただけよ」
「そうか、それは知らなかった、すまん」
 二階に上がったランは勇一の部屋のドアをトントン叩いた。
「お兄ちゃん、早く起きないと遅刻しちゃうよ」
 中から返事は無かった。
「もう、開けるからね」
 ランがドアを開けて部屋に入ると、勇一はまだ寝ていた。
「お兄ちゃん、早く起きて」
 勇一の体を両手で揺り動かした。
「ああ、ランか、おはよう」
「おはようじゃないわよ、早くしないと遅刻しちゃうよ」
「えっ、もうそんな時間なのか」
 まんじりともしない夜を過ごし、勇一が眠りに就いたのは三時間前だった。
 二階の階段を慌しく駆け下りてくる足音が聞こえてくると、美代子はホッとしながらも強い口調で勇一に言った。
「ん、もう、いつまで寝ているつもりだったの、早く顔を洗って朝食を済ませなさい」
「はーい、ごめんなさい」
 そのまま洗面所に直行した。
 学校に行く勇一とランを玄関先で見送った美代子は、
「まったく、朝はいつも戦争ね」
 憤慨しながらも、ホッとして家の中に入っていった。
「今朝のおかあさん、こわかったね」
通学路を歩きながら勇一は真顔で言った。
「おかあさんは、お兄ちゃんの事が心配なのよ」
「へえ、僕はもう大丈夫なんだけどな」
「そんな事ないよ、ランから見ても心配な所がいっぱいあるもん」
「そうかなあ」
「そうよ、そういう気持ちは、男には分からない女心っていうか、母心なのよ、ちょっとした変化でも気になるの」
「ランにはおかあさんの気持ちが分かるのかい」
「うん、わかるよ」
「へえ」
 感心したような顔になった。
「お兄ちゃんも女心が分からないと、ガールフレンド出来ないよ」
「ガールフレンド?」
奈留貴(なるき)ちゃん、お兄ちゃんの事が好きみたいよ」
 奈留貴とは、勇一のクラスの金野奈留貴の事だった。
 勇一が理由を聞くと、ランは少し得意げに話し始めた。
「最初は、記憶喪失のお兄ちゃんに同情していて、その内、お兄ちゃんの危なっかしい行動が心配になり、いつの間にか好きになっちゃったの」
 こんな小さな子どもにそんな事が分かるのかと勇一は少し驚いた。
(地球人の女の子は侮れないな、しかし、どこで奈留貴ちゃんの行動を観察していたんだろう)
「お兄ちゃんはどう思ってるの」
「どう思ってるって、別になんとも思ってないけど」
「ふ~ん、奈留貴ちゃんの片思いってことか。ま、よくあるパターンよね」
「……」
(片思いっていわれても、地球人の女の子には興味無いし)
 勇一は無言で歩いた。
 歩いているうちに、狭い通学路に出た。右の方を見ると神山が立っていて、こちらに気がつくと手を振ってくれた。勇一とランも手を振り返した。
 通学路を抜けて大通りに出るといつものおばちゃんが横断歩道の所に立っていて子ども達を安全に通してくれた。
 小学校の校門では諸杉先生が立っていて二人に声をかけてくれた。
 いつもと同じ光景だったが、今日が最後だと思うと、勇一の目にはなんだか、新鮮なものに映った。
 教室に向かうと、皆の話し声がワイワイ聞こえてきた。
「勇ちゃんおはよう」
「うん、おはよう」
 口々に挨拶を交わしながら教室に入いると席に着いた。
(皆とも、今日でお別れか)
「勇ちゃん、おはよう」
 あとから教室に入ってきた奈留貴は、勇一に声を掛けると普段通り自分の席に座った。
(別に変わったところは無いじゃないか、ランの勘違いじゃないのか)
 その日の授業が終わり、運動場のブランコに腰掛けて待っているランのところに行くと、
「奈留貴ちゃんの態度に変わったところは無かったよ」
 冷静な声で言った。
「あ~あ、お兄ちゃんはだめね、おとうさんと同じで鈍感なんだから」
 ブランコから立ち上がって帰ろうとした時、奈留貴が駆け寄ってきた。
「あのね、勇ちゃん、今度の日曜日に生花(いけばな)の発表会があるの、よかったら来てくれない」
 奈留貴は早口でしゃべると、手に持っていた手紙を勇一に差し出した。
 ランが横で、ニヤニヤしながら勇一の顔を見ている。
 一瞬、間が空いた。
 ランは空気を察して勇一の脇腹を指でつついた。
「あ、発表会ね、うん、行くよ、ありがとう」
 勇一が手紙を受け取ると、奈留貴は礼を言って小走りに立ち去って行った。
「お兄ちゃん、言った通りでしょ」
「なにが?」
 勇一は奈留貴から渡された手紙を開きだした。
「なにがじゃないわよ。生花発表会の誘いを受けたじゃない」
「でも、手紙には日時と場所とありきたりの言葉しか書いてないよ」
 それを聞いたランは勇一から奪うようにして手紙を取り上げると中身を見た。
「お兄ちゃんって、ホント馬鹿よね、ランは七才だけど本気で怒るよ」
「わかった、わかった、怒らないでくれ、ちゃんと行くから」
「この手紙の全体を見てよ」
 ランは手紙を返した。
「え、全体を見る?」
(全体を見る、全体を見る・・・、あっ)
 手紙全体に薄く印刷されている幾何学(きかがく)模様(もよう)が、突如3Dのように浮き上がったかと思うと「スキ」という文字が立体的にハッキリ見えた。
(単なる幾何学模様だとばかり思っていたけど)
「ね、わかったでしょ」
「うん、わかった」
 勇一は納得したように笑った。
「この手紙に使われている紙はねえ、トリックペーパーっていって、女の子の間で流行っている物なの。好きな男の子に出す時に使って自分の気持ちを伝えるのよ。ちゃんと覚えていてね」
 上から目線で言った。
 家に帰り着くと、ランは真っ先に美代子の元に行き、手紙の事を話し出した。
「お兄ちゃんねえ、奈留貴ちゃんから、生花発表会の誘いを受けたの」
「奈留貴ちゃんって、ひいおじいちゃんが金野奈留吉(こんのなるきち)っていう財閥の、あの子?」
「うん」
「でも、どうして発表会に誘われたの」
「それはね、お兄ちゃんの事が好きだから」
「好き? どうして」
「つまり、同情から始まって段々好きになっていったの」
 断定した。
「それじゃあ、おかあさんの場合と同じね。おかあさんもおとうさんに同情して一緒になったのよ」
「ほんと? もっと詳しく聞きたい」
 はしゃぎながら話しの続きを催促した。
「いいわよ、もう少し大きくなったらね。それで発表会はいつなの」
「今度の日曜日」
「今度の日曜日ね、ちゃんとした服を揃えなきゃ」
 勇一は、二人の会話を黙って聞いているだけだった。
(僕は今夜、母艦に戻らなきゃいけないけど、僕と入れ替わりに帰って来る勇一君は大変かもね)
 その日の夜。
 勉強机の椅子に座った勇一は、机の横にあるベッドに視線を落としながら、母艦からの連絡を待っていた。
 勇一になって地球に降り立ったポンタロウ隊員も、いよいよ、波那乃家を去る時が来た。
(長いようで短かかったなあ。最初は早く戻りたいと思っていたけど、いざ別れるとなると、さびしいな。それに家族っていいなあ)
 今まで出会った人たちの顔が、次々と浮かんで来た。
 午前零時になったとき、シガラキ艦長の声が聞こえた。
(ポンタロウ君、今から勇一少年を転送する)
 その言葉が終わるや否や、完治した勇一少年がベッドの上に横たわった姿で現れた。
 その寝顔はとても安らかだった。
(お帰り、勇一君。明日から少し戸惑う事があるかも知れないけど、すぐ慣れるからね。それからこれは、奈留貴ちゃんからの生花発表会の招待状だ)
 寝ている勇一の右手にそっと握らせた。
 静かに立ち上がって振り返ると、マジックボードに貼り付けてある絵が目に留まった。
(そうだ、この絵をタヌキチ隊長にも見せてあげよう、似てないけど、喜ぶかも知れない)
 ボードから絵を外すと、再び勇一の寝顔を見て、
「さようなら勇一君、元気でね」
 優しく声をかけた。
 言い終わると、窓を叩く音に気づいた。
「隊長」
 窓の外にタヌキチ隊長の顔が見えた。
「ポンタロウ君、迎えに来たぞ、さ、母艦に戻ろう」
「はい」
 返事をして窓の外に出ると、隊長と共に小型宇宙艇に吸い込まれていった。
 操縦席に座ると「隊長、これを見て下さい」と言って、ランが描いた絵を見せた。
「なんだね、これは」
「隊長と僕を描いた絵です、こっちが隊長で、こっちが僕です」
 絵の説明を始めた。
「はは、私はこんな顔をしているのかな、ちょっと、口が尖って歯が出すぎじゃないのかな」
「僕もそう思います」
「ハハハ、ポンタロウ君もそう思うかね」
 笑い声の中、小型宇宙艇は地球を離れて行った。
 翌日の朝。
「ん、もう! まだ寝ているの、ラン、勇一を起こして来なさい」
 美代子の心は噴火寸前の火山状態だった。
「はーい」
 ランは階段を駆け上がっていった。
 今度はノックもせずに勇一の部屋に入った。
「お兄ちゃん、また寝てるの、早く起きないとおかあさんに叱られるよ」
 揺り動かそうとして、生花発表会の手紙を持っているのに気づいた。
(これ、奈留貴ちゃんからもらった手紙じゃない。あんまり興味無さそうにしてたけど、ホントは嬉しかったのね。嬉しくって、眠れなかったのね。でも早く起こさなきゃ)
「お兄ちゃん、起きて、昨日も寝坊したでしょ。おかあさん、カンカンよ」
 力を入れて揺り動かすと勇一が目を覚ました。
 勇一はゆっくりと体を起こすと、不思議そうな顔をして聞いた。
「あれ、ここはどこ?」
「寝ぼけてるの?、お兄ちゃんの部屋に決まってるじゃない」
「おかしいな、僕は自転車に乗っていたはずなのに」
 勇一はぼんやりと部屋の中を見渡した。
「!」
 勇一の言葉の変化に気づいたランは直ぐに美代子を呼びに行った。
「おかあさん、お兄ちゃんの様子が変なの。記憶が戻ったのかもしれない」
「なんですって?」
 あわてて、正紀と美代子は二階に駆け上がった。
「勇一、落ち着け」
 正紀は自分に言い聞かせるようにして、声をかけた。
「おとうさん、僕、自転車に乗って友達の家に遊びに行く途中だったのに、どうしてここにいるの?」
「まてまて、勇一、いいか、ゆっくり話そう。昨日、何があったか覚えているか?」
「昨日は土曜日で、何も変わった事はなかったよ」
「それじゃあ、これは?」
 ランは奈留貴から貰った手紙を見せた。
「なんだいそれ」
「奈留貴ちゃんから貰った生花発表会の手紙よ」
 ランが説明する前に、美代子が横から早口で言っだ。
「知らない」
 これを聞いた正紀は美代子を部屋の外に連れ出した。
「勇一は記憶が戻っているかも知れない。すぐ、病院に連れて行って先生に診てもらおう」
「そうね、私は、学校に事情を説明して、休ませて貰うようにするわ」
 正紀は心を落ち着かせながら、勇一を車に乗せて病院に向かった。
 病院で再び精密検査を受けたが結果は以前と同じだった。
 医師が静かに話しかけた。
「勇一君、君は以前、ここに来た事を覚えているかね?」
「いえ、覚えていません。僕はここに来た事があるんですか」
「六月九日の火曜日に来ているんだ。君は事故に会ったショックで一時的に記憶喪失になってね。でも心配する事はないよ、もう記憶は戻っている。その代わり今度は、記憶を失っていた間の出来事が思い出せなくなっているようだ。まあその内、思い出すだろう」
 医師は勇一に不安を与えないように話したつもりだったが、傍にいた正紀は少しハラハラしながら聞いていた。
(何だかややこしい説明だな、もう少し分かり易い言い方はないのかな)
 勇一を連れて家に帰って来た正紀は、不満そうに診察の結果を美代子に話した。
「別に気にしたって仕方ないじゃない。その内、思い出すわよ」
 ポジティブな返事が返ってきた。
「そういったって、お前」
 正紀は不満だった。
「それじゃあ、あなたは一ヶ月前の事を正確に覚えてるの」
「いや、それは」
 まさか、こんな言葉が飛んでくるとは思わなかった。
「じゃあ半月前の事は」
「あまり覚えていない」
「一週間前は?」
「それもちょっと」
「でしょ、だから気にしない、気にしない」
「さすが、おかあさん」
 勇一の事が心配で学校を休んでいたランが感心したように笑った。
「ところでお兄ちゃん、ランが上げた絵が無いんだけど、どうしたの」
「なんの絵?」
「何の絵って、お兄ちゃんとタヌキの宇宙人が話しているところを描いた絵よ」
「そんなの知らないよ」
 その言葉を聞いてランがプリプリ怒り始めた。
「お兄ちゃんは、奈留貴ちゃんから貰った手紙を大事そうに手に握ったまま寝ていたくせに、ランの描いた絵は無くしてしまったのね」
「ちょっと待ってくれ、手紙の事だって知らないよ。朝起きた時にもそう言っただろ? 絵も後で探しておくから怒らないでくれよ」
「ラン、お兄ちゃんを責めちゃだめよ」
 美代子がたしなめるように言った。
「でも・・・」
 最近の記憶が無いと分かっていても釈然としないランだった。
「じゃあ、ブンブク星人の事も忘れてるのね」
 ランは勇一の目を見ながら詰め入るように言った。
「ぶんぶく茶釜の話なら知っているけど」
「もういい」
 プイっと、横を向いた。
 話が一段落着いて部屋に戻った勇一は、絵を探し始めた。
(どこかにあると思うんだけど見つからないなあ)
 机の下、本棚の隙間、ベッドの下など、細かく見ていったがそれらしき物は無かった。
(あれ、何だろう)
 部屋の隅に落ちていた数本の毛を見つけて拾い上げた。
(犬の毛かな、でも犬は飼ってないしな)
 それはタヌキチ隊長の体から抜け落ちた物だった。
 勇一はゴミ箱に捨てると、又、探し始めた。
「だめだ、どこにもない、取り合えずランには謝っておこう。でもどうして僕には一ヶ月間の記憶がないんだろう」
 考え込んでいるとランが部屋に入って来た。
「お兄ちゃん、これ」
 勇一に、一枚の絵を差し出した。
「なんだいこの絵は」
「昨日の絵をもう一度描いたの、今度は絶対無くさないでね」
 ランから絵を受け取ると興味深そうに見た。
「へえ、こんな絵だったのか、右にいるのがタヌキの宇宙人で左が僕なの」
「そうよ」
「それじゃあ、これをマジックボードに貼っておこう」
「だめ! そこに貼らないで」
「どうして?」
「どうしてって、最初の絵をそこに貼ってなくしてしまったのよ。そこに貼るとまたどっかに行っちゃうよ」
「そうか、それじゃ、後で額を買って来てその中に入れて置くよ、それならいいだろ」
「うん」
「それまで机の中に仕舞っておこう」
「それもだめ、額を買ってくるまでランが持ってる」
「はいはい、意外と用心深いんだな」
 苦笑いしながら絵を渡した。
 翌日の朝、学校に行く為に玄関を出ると、ランが手を差し出した。
「おにいちゃん、手をつなごう」
「なんだよ、いきなり」
 少し面食らった。
「だって記憶が無い時はいつも手を繋いで学校に行ってたんだよ」
「恥ずかしいからいいよ、それに記憶は戻ってるから」
「だめ、まだ完全に戻った訳じゃないんだから」
 ランは勇一の手を握るといつもの様に歩き出した。
 美代子は二人の姿が見えなくなるまで家の前で見送った。


     ポンタロウ少年との出会い

 母艦に戻ったポンタロウ隊員は、生体変換ポットの中で序々に本来の姿に戻ろうとしていた。
 変換完了時間が近づくと、医師団がドッと集まり始めた。
 初めて地球人になり、初めて元のブンブク星人に戻るポンタロウ隊員に、みんな興味津々だった。
 医師団がポットを取り囲み、ポンタロウ隊員を見守っていると変換完了のランプが点き、チャサジー医師がコントロールパネルのスイッチを押した。
 変換液が抜け、目を覚ましたポンタロウ隊員が出て来ると、医師団から拍手が起きた。
 それはまるで、未知の星に行き、無事帰還した宇宙飛行士を迎えるような感があった。
「ポンタロウ君、ご苦労だった、無事に元の姿に戻れて何よりだ」
 真っ先にタヌキチ隊長が労いの言葉をかけた。
「ありがとうございます」
 医師団からも口々に声をかけられ、それが一段落した時、シガラキ艦長が歩み寄って来た。
「ポンタロウ君、お帰り。貴重な体験をしたな、勇一少年も無事完治し、家族も悲しい思いをせずに済んだ。君のおかげだ」
 艦長の言葉にポンタロウ隊員は首を横に振った。
「艦長、それは違います。今回の場合、レンケラさんのアドバイスと後押しが無ければ、僕は勇一君にはならなかったでしょう。それからここにいるみなさんが 僕を見守ってくれたお陰で、心が不安定にならず最後まで頑張る事ができました。全て、みなさんのお陰です」
「そうだな、その心根(こころね)が大切だ」
 シガラキ艦長はニッコリ笑い、深く頷いた。
「さすがだポンタロウ君、成長したな。私が見込んで連れて来ただけの事はある」
 ガハハ、ガハハと笑いながらも隊長の頭の中に、ポンタロウ隊員の小さい頃の事が走馬灯のように蘇って来た。
(初めて会った時は、目立たない、おとなしい子どもだった)
 隊長がまだ、先遣隊の若い隊員としてブンブク星にいた頃。
「全員整列!」
 ブンブク星の先遣隊基地の中にトウラギ教務長の声が轟くと、小型宇宙艇の側にいた隊員達が駆け足で整列した。
「もうすぐ、ミリアレス孤児院の子供達が到着する。子ども達はブンブク星の宝だ、丁寧に応対して、先遣隊の重要性を分かり易く語ってくれ。それでは全員、 入り口ゲートに移動して一列に並び、子ども達を出迎えるように」
 言い終わると、隊員たちは駆け足で入り口ゲートに向かい、一列に並んだ。
 整列すると直ぐに、三十名の子ども達を乗せた「先遣隊基地見学シャトル」が到着した。
 子ども達はシャトルを降りると、引率をしている二人の先生と共に基地の中に入り、隊員たちと対峙する格好で一列に並んだ。
(そう、その時、私の前にいたのがポンタロウ君だった)
「それでは子供たちと手をつないで、各々の小型宇宙艇に案内してください」
 広報課の若い女性隊員が優しく促すと、子ども達と隊員は手をつないで歩き出した。
「君の名前はなんて言うんだい」
 若いタヌキチ隊員が少年に尋ねると、はにかみながら「ポンタロウです」と答えた。
「そうか、ポンタロウ君か、僕の名前はタヌキチだ、よろしく」
 優しく笑いながら言うと、少年もうれしそうに笑った。
 小型宇宙艇の前に来ると、タヌキチ隊員は艇の説明を始めた。
「この宇宙艇は普段、母艦に収容されているんだけど、今日は君たちが見学に来るというので基地まで持ってきたんだ。後で君たちをこれで、母艦に連れて行ってあげるからね」
 少年はモジモジしながら、タヌキチ隊員を見ているだけだった。
「それじゃあ、宇宙艇の事を話してあげよう。これは四人乗りで主に探索用に使っているんだ、他にも中型、大型があって、中型は五十人、大型は二百人乗れるんだ。最大速度は光速の四分の一で、有害な宇宙放射線や十センチ位の隕石は船体を覆っているプロテクトアーマーが防いでくれる。それから、着地しなくてもラベレータ光線で人や物資を地上に下ろす事が出来るし、空中で静止させる事も出来る。ほかにも、迷彩モードにして飛行する事や、相手の攻撃を防ぐために、機体全体から振動波を出す事が出来るんだ」
 ここまで話すと、
「それじゃあ、中に入ってみようか」
 タヌキチ隊員はポンタロウ少年を操縦室に案内した。
 操縦席に座らせると、ヘッドバンドを頭に装着させた。
「これで君も立派な宇宙飛行士だ」
 笑いながら頭を撫でた。
 少年も笑顔を見せながら控えめな口調で「操縦桿は無いんですか」と質問した。
「君の頭に装着しているヘッドバンドが操縦桿さ。未知の世界を探索する時は、物事に瞬間的に反応しないと命取りになるからね。脳の命令を手に伝えて操作してたんじゃ間に合わない。だから直接ヘッドバンドに伝えて機体を操作するんだ。この方法で機体を操るには相当な訓練が必要だけど、一度マスターしてしまえば、体の一部のように自在に動かせるようになるからね」
「へえ」
 少年の目が輝きだした。
「それじゃあ、ちょっと飛んでみるかい」
「はい」
 タヌキチ隊員もヘッドバンドを装着すると、訓練用の宇宙空域に飛び出した。
「さあ、両手を操縦席の袖に置いて心を落ち着かせ、余計な事を考えずにシンプルな信号を機体に送るんだ」
 しかし、どんなに頑張っても、機体は思い通りに動かなかった。ふと周りを見ると、同じように他の艇も飛び回っていた。
 その中で一機だけ、比較的安定した動きをしている艇があった。
 それに気づいたポンタロウ少年は、タヌキチ隊員に尋ねた。
「あれは誰が操縦しているんですか」
「ああ、あれはランド隊員の機体だな、連絡を取ってみよう」
 隊長はテレポート通信でランド隊員の頭の中に話しかけた。
「随分安定した飛行をしているな」
「ああ、全く凄いよ、僅かな時間でここまで乗りこなしているんだから天才だな。俺は、この子を宇宙交易機関の先遣隊養成訓練校に推薦しようと思っているんだ」
 興奮気味に話した。
 交易先遣隊が子ども達を招待する理由は二つあった。ひとつは、先遣隊の活動を広く知ってもらって、将来、先遣隊に応募してもらうようにする事。もうひとつは、子ども達の才能をみいだし、養成訓練校に推薦して将来の人材を確保する事だった。
「そうか、それでどんな子が乗っているんだい」
「チャケルという女の子だ」
「女の子?」
「ああそうだ」
「そうか、ありがとう」
 通信を終えると、ポンタロウ少年に、
「あの機体にはチャケルという女の子が乗っているそうだ」
 と伝えた。
 少年はちょっと驚いた。
(僕より年下で無口な子だ、あの子に、こんな才能があったなんて)
 少し、うらやましくなった。
(あの子に出来るなら、僕にだって出来るさ)
 心の奥に負けじ魂のようなものが芽生え始めた。
 暫く飛行した後。
「さあ、次は母艦に案内しよう」
 タヌキチ隊員が進路を変えて飛行すると、巨大な円盤型の宇宙船が見え始めた。
 余りの巨大さに、少年は感動に近いものを覚えた。
「こんな凄い宇宙船を見たのは初めてです」
 興奮していた。
「これは、直径二キロ、高さ三百メートルの母艦型の宇宙船だ。この中に、大中小の宇宙艇、合わせて三百五十機が格納できるんだよ」
 タヌキチ隊員が説明している間にも、小型宇宙艇は母艦に近づき、吸い込まれるようにして、発艦デッキの中に入っていった。
 デッキでも、若い女性隊員が子どもたちを待っていてくれた。
 そして、小型宇宙艇を降りて隊員と共に整列している子ども達に暖かく迎えてくれた。
「これから先は、私が皆さんを案内します。みなさんは、ここに来る前に、小型宇宙艇の操縦をしましたけど、気分が悪くなった人はいませんか」
 女性隊員は子ども達、一人、一人の目を見ながら話した。
 三十名の子ども達の目はキラキラと輝いていた。そして、一斉に、「大丈夫でーす」という返事が返って来た。
「それでは、艦内を案内します。この宇宙船は六層に別れていて、皆さんがいるこの発艦デッキは二層部分になります。分かり易く言うと、六階の建物の二階にいる事になるわけです。宇宙船の中心部分はデオニュウム鉱石で出来た直径十メートル、長さ三百メートルの柱が貫いています。この柱から出るケイバリーン電磁波は宇宙船を包み込んで、外敵や有害な宇宙粒子から守ってくれますし、宇宙船の推進エネルギーにもなっています。それでは最上層の展望デッキから見ていきましょう」
 女性隊員は発艦デッキを出て、スルーターの前まで案内した。
「それではこれにお乗り下さい」
 六基あるスルーターの扉が開いて、六十三名が分かれて乗るとそのまま最上層へと垂直上昇していった。
 広い展望デッキに着くと、子ども達は、おおはしゃぎで窓に駆け寄り、ブンブク星を見た。
「へえ、僕たちの星ってこんなに大きいんだ」
「私、ブンブク星を直接見るの初めてなの」
「あ、親子衛星のタヌメデスとタヌシテアが見える」
 ブンブク星は二つの衛星を持っており、ブンブク星に近い方から、タヌセドナ、タヌメデスと呼んでいたが、外側のタヌメデスは小さな衛星シテアを持っていた。つまり、衛星が、衛星を持っている事になる。ブンブク星人はこれを、親子衛星とか子持ち衛星と呼んでいた。
「それでは、隣にある無重力ルームに行きましょう」
 暫くたって女性隊員が声をかけると、子ども達も楽しそうに後に続いた。
 無重力ルームは展望デッキの五倍の広さがあった。
「さあ、いいですか、今から宙に浮きますから体の力を抜いて下さい」
 言い終わると、子ども達の体がふわふわと浮き始めた。
「ステキ、空を飛んでいるみたい」
「すごいや、簡単に天井まで来れたぞ」
 まるで鳥になった気分で動き回りだした。
 引率して来た隊員たちも満足そうに子ども達を見ていた。
 無重力ルームは、船外活動をするための訓練施設だが、今の子ども達には、自由に動き回れる遊び場だった。
 無重力体験が終わると、みんなは五層に降りていった。
「ここは食料の貯蔵と農作物の栽培しています。宇宙では何が起こるか分かりませんから積み込んだ食料とは別に、自給自足の為の栽培も必要になってきます。 食べ物は命をつなぐ物ですから、決して粗末にしてはいけません。みなさんも食べ物は大切にしてください」
「わかりました、よく噛んで食べます」
「僕も好き嫌いを無くします」
「わたしも食べ残したりしません」
「ぼくも」
 宇宙船という限られたスペースの中では、積み込む食料もまた、限られているので、一切無駄にする事が出来ない。
 女性隊員の説明を聞いて、子ども達も食べ物の大切さを分かってくれたようだ。
 続いて見学者一行は四層に降りた。
「ここは居住空間です。宇宙船の乗員は五百名ですが、災害救助などを想定して最大五千人まで収容出来るようになっています。ひとたび災害が起これば、乗員を増員して三百五十機の宇宙艇が一斉に飛び出し、救出に向かえるようにしてあります」
(すごいや、先遣隊って救助活動もするんだ)
 子ども達の関心が段々高まっていった。
 三層は宇宙船の中枢部になっていた。
「ここは宇宙船の機関部ともいうべき所で、操縦室や会議室、艦長室や隊長室、それから、メディカルルーム、監視ルーム、転送ルーム、通信ルームなどがあります」
 子ども達は説明を聞きながら、ひとつひとつ見て回った。
 艦長室の前に着いた時、女性隊員はコンコンとノックした。
 その音を聞いてすぐに艦長が出て来た。
「シガラキ艦長、ご挨拶をお願いします」
 女性隊員が促すと、艦長は穏やかに頷いた。
「やあ、よく来たね、船の中はどうだったかな」
「僕を先遣隊の隊員にして下さい」
 一人の子どもが声を上げた。
「君はスハル君だったね」
 名前を呼ばれた少年はびっくりした。
(どうして僕の名前を知っているんだろう)
「はは、びっくりしなくてもいいんだよ。私は君たち全員の名前を知っているからね」
 そして少年の前に来ると握手をした。
「君なら立派な先遣隊員になれる、しっかり頑張りなさい」
 暖かく励ました。
 少年は感動した。
 今まで、こんなに期待された言葉をかけられた事がなかった。そして、握手した艦長の手の、大きくて柔らかいぬくもりが、少年の全身を包んでいった。
 艦長はひとりひとりの名前を呼びながら握手をして、言葉をかけていった。
 ポンタロウ少年の前に来た時、
「ポンタロウ君、何か聞きたい事や、相談したい事があったら、みんな、タヌキチ隊員に言いなさい。力になってくれるからね」
そういって固く握手をした。
「はい」
 ポンタロウ少年にも艦長の暖かい手のぬくもりが伝わっていった。
 シガラキ艦長がチャケルの前に来た時、期待を込めて言葉をかけた。
「君の操縦は素晴らしかったよ、その才能をどんどん伸ばしなさい」
 そして、握手をした。
「見ていてくれてたんですか」
「ああ、見ていたとも、初めてとは思えない素晴らしい操縦だった」
 この言葉に、チャケルも感動した。
 こうして艦長と握手をした子ども達は全員元気に、二層の発艦デッキに降りていった。
「ここは最初に来た所です。ここには大中小の宇宙艇が三百五十機、格納されています。そして発艦デッキの下は、動力部と部品製造工場になっています」
「部品製造工場ってなんですか」
 女の子が質問すると、間髪を入れず、男の子がしゃべり出した。
「宇宙船の部品を作る工場に決まってるじゃないか」
「そうです、広い宇宙を旅する場合は、宇宙船の部品も製造出来るようにしておかないといけません。もし、重要な部品が故障して、それを修理する事が出来なければ、永遠に宇宙を彷徨(さまよ)う事になります」
 女性隊員が説明すると、不安そうな顔をする子どもがいた。そんな不安を打ち消すように、
「まだ、そのような事は起こっていませんから心配しなくても大丈夫です」
 微笑みながら言った。そして見学はここで終わった。
 子ども達は女性隊員に礼を言うと、小型宇宙艇でブンブク星に帰っていった。
 先遣隊員になる事を決めたポンタロウ少年は、シガラキ艦長に言われた通り、タヌキチ隊員に相談の手紙を書いた。
 先遣隊員になって自分の内気な性格を変えたい、そして人の役に立ちたい、その為にはどうしたらいいのかという内容が多かった。
 タヌキチ隊員は返事の手紙に、適正検査やブンブク星で一番難しい夢刑の資格を得なければならない事、そして何よりも、他の星に行った時に、その星を平和にするんだという強い意思が必要だと書いた。
 親、兄弟のいないポンタロウ少年は、なにかある度にタヌキチ隊員に手紙を書き、タヌキチ隊員も適切なアドバイスを書いて送った。
(そして君は、血のにじむような努力をして先遣隊の隊員になり、私は五十人の隊員を率いる隊長になった。君は私の部下になる事を切望して願いが叶った。無人探査船が地球を発見して出動が決まった時、同行者として私は迷わず君を選んだ)
「隊長、どうしたんですか?」
 ポンタロウ隊員の声に隊長は我に帰った。
「いや、何でもない、ちょっと昔の事を思い出していただけだ。さあ、私の部屋でこれから先の事を話し合おう」


        大臣の変化

 艦内の通路を歩いて隊長室に向かう途中で、思い出したようにポンタロウ隊員が質問してきた。
「隊長、レンケラさんはどうしているんですか。母艦にはいないんですか」
「レンケラ女史は地球で生活しているよ。案外、気に入っているらしい」
「そうですか、なんだか分かる気がするなあ。どんな姿をしているのかな」
「私の部屋に、地球人になった写真があるから見せてあげよう」
 部屋に入ると隊長は壁に貼ってある写真を指差した
「これがレンケラ君だ」
 そこには、黒髪を肩の下まで伸ばし、目が大きく、まゆがキリッとして、鼻筋の通ったスタイルのいい女性が写っていた。
「きれいだなあ」
 その言葉を聞いて、隊長が不思議そうに聞いた。
「地球ではこういう女性をきれいと言うのかね」
「そうですよ、隊長も一ヶ月ぐらい地球で暮らしたらわかりますよ」
「そうか、別にわからんでもいいがな」
 ぶっきら棒に言った。
「でも、どうやってDNAを手に入れたんだろう」
 ポンタロウ隊員の疑問に、
「髪の毛だよ、抜け落ちた髪の毛を回収して地球人になったんだ」
 と答えた。
「そんな事をして、もし、本人と会ったら問題になりませんか」
「まあ、びっくりはするだろが、別に問題にはならんだろう。DNAを変換配列して、あなたになりましたと言っても、それを信じる地球人はおるまい。それに 髪の毛の持ち主は、オーストラリアに住んでいるから、会う事もないはずだ。名前も髪の毛の持ち主とは違うから、万が一会ったとしても、良く似たそっくりさんで終わるという訳だ」
 その説明に納得したのか、
「あ、そうだ、隊長、これも写真の横に貼っておいて下さい」
 ランが描いた絵を差し出した。
「わかった、地球人からの贈り物として受け取っておこう」
 隊長は絵を受け取ると壁に貼って話の本題に入った。
「さて、これからの事なんだが」
 隊長の役に立ちたいと思っていたポンタロウ隊員は、即座に声を発した
「僕に出来る事は何でもしますから言ってください」
「ありがとう、しかしもう、あらかたの道筋はついた」
「えっ、本当ですか隊長、さすがですね」
「私というよりレンケラ君のおかげだな」
 隊長は片腹井大臣と最初にあった日の事を話し出した。
「ポン太郎君、片腹井観光大臣と会った日のことを覚えているかね」
「覚えています、まだ一ヶ月前の事ですから」
「そうだった、まだ一ヶ月しか経ってなかったな。緊張した時間を過ごしたせいか、私には一ヶ月前の事が、何年も前の事の様に思える」
 隊長の心労、いかばかりかとポンタロウ隊員は思った。
「今までの経緯を私が説明すると時間がかかるし、間違った捉え方をされても困るので君の脳に直接データを送りこもうと思うがどうかな」
 隊長は少し心配そうに聞いた。
「構いません、お願いします」
「そうか、それでは椅子をリクライニングして、これを頭に装着してくれたまえ」
 隊長がヘルメット状の装置を渡すと、ポンタロウ隊員はそれを頭に被(かぶ)った。
「それでは、一ヶ月分のデータを一時間で君の脳に送り込む。通常の三分の一の時間だ。覚悟はいいか、ポンタロウ君」
「お願いします」
 それを聞いた隊長は意を決したようにスイッチを押した。
 ポンタロウ隊員の脳に高速でデータを送り始めると、脳内温度が急上昇し始めた。
 それを感知したヘルメット状の装置はポンタロウ隊員の頭を急速に冷やし、麻酔物質を脳内に送り始めた。苦痛に歪んでいた顔は次第に穏やかになり始めた。
(顔は穏やかになったが、脳には、かなりの負荷がかかっているはずだ)
 隊長は心配そうに見守っていた。
 最初に送り込まれたデータが少しづつ、ポンタロウ隊員の頭の中で映像化し始め、片腹井大臣と草林秘書官の姿がぼんやりと見え始めた。
データは、タヌキチ隊長とポンタロウ隊員が片腹井大臣の執務室を出た後の大臣の映像から始まっていた。
 映像が鮮明になると同時に、片腹井大臣の声が聞こえてきた。
「草林、うまくいったな、これで金の茶釜はわしのものだ。うっとりするようないい輝きだ」
 大臣は秘書官に声をかけたが返事がなかった。
 大臣が顔を上げると、窓の外を向いたままじっとしている秘書官が見えた。
「草林、何をしているんだ、こっちへ来い」
 声に促されて傍に来た秘書官は「大臣、これからどうされます?」と聞いた。
「どうされますって言われても、わしにも分からんよ。相手はタヌキの格好をした宇宙人だからな。また来るとか何とか言っていたから、待つしかないんじゃないのか」
「そうですね、こちらからコンタクトが取れない以上、それしかありませんね」
「そういう事だ、悩んでいても仕方ない。ほれ、お前に黒い茶釜をやろう」
 秘書官に黒い茶釜を渡そうとした。
「その茶釜は大臣が頂いた事になっていますから、私が貰う訳にはいきません」
「細かい事をいうな、わしは金の茶釜があればいいんだ。そんな薄汚れたような黒い茶釜はいらん」
 この言葉に秘書官は顔を曇らせた。
「大臣、宇宙人が又、この部屋に来た時、黒い茶釜が無いと変に思うんじゃありませんか?」
 大臣はドキッとした。
「そうだな、相手は何をするかわからん宇宙人だ。怒らせると又、夢刑とかいうやつで痛い目に会わされるかも知れんな。黒い茶釜はこの部屋に置いておこう。 金の茶釜は家に持って帰るから、それまで金庫に入れておいてくれ」
 秘書官に金の茶釜を渡すと秘書官はそれを金庫に入れ、二人は次の公務の為に執務室を出て行った。
 次の日。
「草林、福岡が次の目玉にしようとしている、『黒田焼ボタ山せんべい』の件はどうなってる?」
「はい、順調に進んでいるようです」
「そんな事を聞いているんじゃない、一個に付き一円よこせと言っといた話だ」
 とたんに不機嫌な顔になった
「まだ何も言って来ておりません」
「なに、まだ返事を寄こさんのか、何をやってるんだあいつら。電話を貸せ、わしが直接話す」
 草林秘書官から受話器を受け取ると、電話を掛け始めた。
 受話器の向こうから受付女性の声が聞こえると、大臣は威厳張った声を出した。
「ああ、わしだ、片腹井だ、梨野部長に代わってくれんかね、ん? そうだ、観光を担当している部長だ」
 直ぐに、梨野飛礫部長の低姿勢な声が受話器の向こうから聞こえてきた。
 大臣は不機嫌そうに話し出した。
「君達は、わしに、ああしてくれ、こうしてくれと陳情に来るくせに、わしのささやかな頼みは聞いてくれんのかね。なに? そういう事は出来ない事になっているので勘弁して下さい?」
 そこまで言うと、草林秘書官が大臣から受話器を取り上げて、鋭く低い声で言った。
「録音されていたらどうするんです」
 それを聞いた大臣は平気な顔で、
「わしは何も言っとらんよ、何かおかしな事を言っとるか?」
 秘書官から受話器を取り戻すと、また、話し出した。
「部長、無理を言って済まなかったな、この話は無かった事にしよう」
 そして直ぐに電話を「ガチャン!」と切った。
「ハハ、馬鹿共が今頃大慌てをしているだろう。草林、興信所を使って徹底的に梨野の周りを洗い出せ。裏金や汚職の証拠が必ずあるはずだ。そしてそれを市民 オンブズマンに匿名で渡せ。わしに逆らったらどうなるか思い知らせてやる」
 大臣はため息をつきながらタバコに火を点け、吸い始めた。
 そして、タバコから細長く立ち昇る煙を見ながら呟いた。
「なんて嫌な世の中なんだ」
 草林秘書官は言葉の意味を計りかねた。
 三日後。
「草林、今朝の新聞を読んだか」
「はい、読みましたけど、何か気になる事が書いてありましたか」
「きのう、トルコで発生した地震が甚大な被害をもたらしているようだ。観光省としても、何らかの手を差し伸べてやりたいな」
 大臣は沈痛な表情を浮かべた。
 草林秘書官は「えっ?」と、驚いた。
「何がいいかな」
 片腹井大臣は、考えを巡らし始めた。
「大臣、気は確かですか?」
 そういう言葉が危うく口から出そうになった。
 ついこの間まで、県職員を落としいれようとしていた大臣だ。それに、利害関係だけでしか動かない大臣が、他国の災害の事で胸を痛めるなんて考えられなかった。
「草林、話をちゃんと聞いておるのか?」
「はい、聞いております、見舞金を送ってはどうでしょうか」
「見舞金は政府が送るだろう、わしは観光省として何か役立つ物を送りたいんだ」
 あまりの変わり様に秘書官は戸惑いを覚えながらも意見を述べた。
「それでは、保存の効く名産品と心が安らぐような民芸品を送りましょう。それから復興が一段落した時点で被災地の子ども達を日本に招待して、名所旧跡を案内してはいかがでしょうか」
「それは中々いい意見だ。さっそく、手を打ってくれ」
「わかりました」
 秘書官は官僚に伝える為、執務室を出て行ったが、暫くして渋い顔で戻ってきた。
「大臣」
「おお、早かったな、どうだった?」
「大臣の意向を官僚に伝えましたが、リストを作るのが面倒だとか、費用はどうするのだとか言って、動いてくれません」
 それを聞いた大臣は激怒した。
「なに! 被害にあって困っている国があるというのに動こうとしないのか、草林! そいつらを即刻、ここに連れて来い! わしを誰だと思っているんだ、衆議院議員を八期勤めている片腹井退造だぞ、そいつらの首を今すぐ、すっ飛ばしてくれる!」
 草林秘書官は急いで部屋を出ると、大臣の言葉をそのまま官僚に伝えた。震え上がった官僚は、すぐに手を打ちますと言って、慌しく動き出した。
 取って返す様に執務室に戻るとまた、大臣に報告した。
「そうか、動いたか、ご苦労だった」
 満足そうだった。
 その顔を見た秘書官は「大臣、肩を揉ませて下さい」と感動した声で言った。
「なに? 肩を揉みたい。そんな事はせんでいい」
「私がそうしたいんです、お願いします」
 頭を下げた。
「そんなに言うのなら、構わんが」
 秘書官は大臣の後ろに回ると、両手に力を入れて大臣の広い肩を揉み始めた。
「草林、お前、性格が変わったのう、こんな事をする男じゃなかったのに」
 その言葉を聞いた秘書官は、心の中で話し掛けた。
(いいえ、大臣、あなたが変わったのです、あなたはご自分が変わられた事に、お気づきではないのですか)
 年老いたとはいえ、柔道二段、剣道三段の腕を持つ大臣の肩は、固く張りがあった。
 秘書官は心の中で更に語り掛けた。
(肥後もっこすで、丸目(まるめ)長恵(ながよし)が好きな大臣。丸目の編み出した、体ごと相手に斬りかかって行く「体捨流(たいしゃりゅう)」剣法に惚れ込んで、政界でも討ち死に覚悟で、真っ直ぐに議場対決に挑んでいましたね。でもいつしか、周りにおだてられ、懐柔されて堕落していった)
「草林、もう、その辺でいいだろう。次の公務が待っているんじゃないのか」
「あ、そうでした」
 気がついたように手を離した。
 翌日。
「大臣、新聞を見ましたか」
 興奮した草林秘書官が駆け寄ってきた。
「ああ、見たとも、マスコミも大袈裟だな」
「そんな事はありません、大臣の人徳です」
 新聞の一面に「片腹井観光大臣、トルコに救援物資を送ると宣言。他の省庁も追随か」と大きく見出しが出ていた。
 この件がきっかけで、取材の申し込みが殺到しだした。
 その中のひとつにインクロイド社があった。
「大臣、アメリカのインクロイド社から取材の申し込みが来ています」
「インクロイド社って、グレート・フューチャープラネットを発行している、あの会社か」
「そうです」
 大臣は暫く考えて答えた。
「わしにはふさわしくない、丁重にお断りしてくれないか」
 この言葉を聞いた秘書官は少し驚いた。
「どうしてですか」
「わしも随分、人に言えない悪どい事してきた男だ。そんな男がプラネット新聞に載ったら、インクロイド社の権威を汚すというものだ」
「そんな事はありません、困っている国に援助の手を差し伸べようとしている大臣の行動に共鳴して取材を申し込んできているんです。お願いです、取材を受けて下さい」
「そうか、お前がそこまでいうのなら受けるか」
 それから二日後に日本支社から男性記者がやって来て、インタビューが始まった。
 記者はインタビューに応じてくれた事に対して礼を述べると、直ぐに質問を始めた。
「さっそくですが、トルコに援助の手を差し伸べようとした動機から教えていただけませんか」
「動機ですか。それは、地震で甚大な被害を蒙っているからです。困っている国があるのに黙って見過ごす訳にはいかんでしょう。それにトルコ政府は一九八五年に中東で日本人が危機的状況にあった時、命がけで助けてくれました。その恩にも報いなければなりません」
 次に、気になる噂について聞いた。
「大臣の性格からして、他国を助けるような人じゃない、何か裏があるんじゃないかという声も聞こえていますが」
 致命的ともいえる質問に思えた。しかし大臣は淡々と語った。
「私も今まで、悪どい事をして来ましたから、そういう見方をされても仕方ないでしょう。ですが今回の場合は、純粋な人道支援です。他意はありません」
「また、どこかの国で災害が起こった場合、支援をされるおつもりですか」
「当然、やります」
「そこまで、大臣の性格を変えたものはなんでしょう、なにか衝撃的な事があったのでしょうか」
「別にそのような事はありませんなあ」
 考えるようにして答えた。
インタビューを始めて一時間が経った。
「それでは最後に、大臣のビジョンを聞かせて下さい」
「私としては、観光を通して世界の国々と友好を深めて行きたいと思っております。いまだに紛争をしている国がありますが、これには、お互いの国に対する理解不足があると思います。政府のプロパガンダを信じて相手の国を憎むのは悲しい事です」
 記者は黙って聞いていた。
「戦争や紛争は、いまや時代遅れの産物である事に気づかなければなりません。これからは民衆レベルでの交流の時代です。その手段として観光は有効であると思います。楽しみながらその国の事がわかるし、外貨も落としてくれるので一石二鳥です。国も潤います」
 熱く語った。
「しかし、観光だけで世界が平和になるとは思えませんが」
「そりゃそうです、私も観光だけで世界が平和になるとは思っていません。私が言いたいのは、観光も平和のための一翼を担えるという事です」
 執務室の隅に立って話のやりとりを聞いていた草林秘書官は大臣の変わり様に驚いた。
(以前の大臣だったら、ちょっと反論しただけで激怒して席を蹴ったものだったけど。それに自分の悪行を平気で認める発言をするなんて考えられない)
 そして部屋の棚に置いてある黒い癒しの茶釜をチラリと見た。
(あの茶釜と関係があるのかな)
 癒しの茶釜の具体的な効果をタヌキチ隊長から聞かされていなかった秘書官だったが、何か感じるものがあった。
 インタビューが終わると、秘書官は大臣に、素晴らしい話でした、感銘しました、と言った。
「そうか、うまく話せたかな」
 大臣はうれしそうに、ニコリと笑った。



     レンケラ女史の奮戦

 大臣の情報はサージュから逐一、タヌキチ隊長に伝わっていた。
 隊長は、そろそろだなと感じた。
(しかし、ポンタロウ君はまだ、地球にいるし、もう少し待つかな、それとも一人で行くか)
 考えあぐねた隊長は艦長室に向かい、シガラキ艦長に相談した。
「そうだな、他の者を連れて行ったらどうかな」
 シガラキ艦長はひとつの提案をした。
「他の者ですか、誰がいいかな」
 隊長は艦内にいる乗組員に思いを巡らせた。
(そうだ、センジョー技師にしよう、彼ならポンタロウ君と年齢も近いし、同じチャガマ人だから問題ないだろう)
 そんな事を考えていると、突然、艦長室のドアをノックする音が聞こえた。
「誰かね?」
 艦長がドアを開けると、そこにレンケラ女史が立っていた。
「ポンタロウ君の代わりに、私を地球に連れて行って下さい」
「話を立ち聞きしていたのか」
 艦長はいぶかし気に聞いた。
「違います」
 女史は即座に否定した。
「それなら、どうして内容が分かったんだね」
「勘です」
「勘?」
「そうです、タヌキチ隊長が艦長室に入って行くのを見てピンときたんです」
「ううん、よくわからんな」
 艦長は困惑した顔になった。
「タヌキチ隊長、あなたならわかるでしょ」
レンケラ女史は隊長に目を向けた。
「いや、私にもわからんが」
「ああ、男ってダメね、鈍感だわ。そんな事で地球人との交渉がうまく行くと思っているのかしら。ここはやっぱり、私が行くしかないわね」
 憤慨している女史に艦長が話しかけた。
「すまんが説明してくれないか」
「状況を考えてみれば、すぐ分かるはずです」
「状況かね」
「そうです、ポンタロウ君はいない。でも片腹井大臣の心は『癒しの茶釜』で変わって来ている。こうゆう状況なら、タヌキチ隊長が一人で行くか、代わりの隊員を連れて行くか、それとも、もう少し待つか迷うのは目に見えていました。そしてその判断をするためにシガラキ艦長に会って相談する事も」
 タヌキチ隊長はレンケラ女史の話を聞いて頭を掻いた。
 シガラキ艦長はタヌキチ隊長を見ながら尋ねた。
「隊長どうする、レンケラ君を連れて行くか」
「しかし、レンケラ女史はチャガマ人じゃありませんし」
 とたんに女史の顔色が変わった。
「あら、それは問題発言よ隊長! 人権に係わる事だわ。チャガマ人ってみんな、そんな考え方なの」
「いや、それは違う」
 慌てて否定した。
「それなら私で文句無いわね、悪いけど出発は二十四時間後にしてくれない」
 勝手に時間を決めた。
「そんなには待てない、私は今すぐにでも出発したいんだ」
「ふ~ん、今すぐ出発して、交渉が長引くのと、二十四時間待って、交渉が早く進むのと、どっちがいいと思ってるの」
「君の話は飛躍しすぎて良く分からん、もう少し具体的に言ってくれないか」
 隊長は少し苛立った。
「二十四時間と聞いて、ピンと来ないようじゃどうしようもないわね、つまり・・・」
 と言いかけた時、シガラキ艦長が言葉を繋いだ。
「つまり、地球人になる時間がほしいというのだろう」
「そのとおりです」
「地球人になるのか」
 隊長は少し驚いた。
「地球人と交渉するなら、地球人になるのがベストだわ、その方が交渉が早く進むでしょ」
「私は地球人になりたくない」
「あら、隊長はそのままでいいのよ、地球人になるのは私だけ」
 澄まし顔だったが、女史の声は楽しそうに聞こえた。
「地球人になる為のDNAは手に入れているのか」
「準備は全て出来ているわ、何も心配しなくていいのよ隊長。それじゃあ二十四時間後にね」
 女史は嬉しそうに艦長室を出て行った。
 女史が部屋を遠ざかって行くのを確認すると、タヌキチ隊長は直ぐに艦長に訴えた。
「あんな、強行突破的攻撃精神の持ち主と一緒じゃ、交渉が決裂してしまいます」
 そして頭をかかえた。すると突然、ある考えが閃いた。
「そうだ、女史が変換ポットに入っている間に出発すればいいんだ」
 シガラキ艦長はとんでもないという顔をした。
「それは危険だ隊長、そんな事をしたら、今の百倍ぐらいの仕返しが来るぞ」
 艦長の言葉を聞いて又、頭をかかえ込んだ。
「まあ、とにかく、彼女と一緒に行ってくれ。案ずるより産むが易しだ」
「そうですか」
 肩を落しながら、渋々納得した。
 艦長室を退出した隊長の足は、自然と展望デッキに向かっていた。展望デッキに設置してある椅子に腰掛けると、ぼんやりと地球を眺めだした。
(ポンタロウ君さえいてくれたら、こんな事にはならなかったのになあ)
 そう思うと、ポンタロウ隊員を地球に送り込んだ事も、女史の計略だったような気がした。
(いやいや、あの押しの強さなら、そんな小細工をしなくても自力で地球に行くはず)
 いろんな思いが頭の中を駆け巡っていた。
「聞いたぞタヌキチ隊長、レンケラ女史が一緒に行くんだってな」
 声のした方を見ると、そこには神妙な顔をしたメロー隊長が立っていた。
「メロー隊長」
「いや、何も言わなくていい。心中を察するぞ」
 そういうとタヌキチ隊長の肩を軽く叩いた。
「それにしても、よりによって、ポンタロウ君の代わりがレンケラ女史とは、君も運のない男だ。交渉が壊れそうになったら私も協力するから、いつでも声を掛けてくれ」
 慰めの言葉をかけると、メロー隊長は静かに展望デッキを去って行った。
(やっぱりだ、誰の目から見ても、交渉決裂なのだ)
 タヌキチ隊長の心は益々、ブルーになっていった。
 二十四時間が経とうとした頃、女史の入ったポットの周りに医師団が集まり始めた。
(なんだか知らんが、ポンタロウ君の時より、人数が多くないか?)
 タヌキチ隊長が周りを見渡すと、医師団とは関係ない者まで大勢来ていた。
「押すなよ」
「誰だ! 俺の足を踏んだのは」
「もう少し詰めろよ、見えんじゃないか」
 あちこちで、やじ馬の声が聞こえた。
 変換完了のランプが点くと、チャサジー医師がスイッチを押した。
 ポットの変換液が抜け始めると、地球人になったレンケラ女史が静かに目を開けた。
 その瞬間、周りから「おお」というどよめきの声が上がった。
 変換液が完全に抜け、ポットの中から出て来た女史は、
「あら、ギャラリーがいっぱいね、まあ、私の美貌からすると当然だけど」
 さも当たり前のように澄ました顔で言うと、ゆっくりと医師団の元に歩み寄ってきた。
「レンケラ君、気分はどうかね」
 フルネイ医師が尋ねると「気分爽快です」と答えた。
「これは君に頼まれていた服だ、すぐに着替えて来なさい」
 横にいたチャサジー医師が地球人の服を手渡した。
 女史がメディカルルームを出て行くと、潮が引くようにみんないなくなった。
 後に残ったのは、シガラキ艦長とタヌ吉隊長、それに医師団だった。
「それにしても、なかなかレンケラ女史が戻って来ませんなあ」
 心配そうにチャサジー医師が言うと、
「うむ、何か支障が出たのかな」
 フルネイ医師も心配そうに答えた。
 その言葉を聞いて、シガラキ艦長とタヌキチ隊長はお互いに顔を見合わせたが、タヌキチ隊長の顔には、戻って来んでいいぞと書いてあった。
 しかし、隊長の期待を裏切るかのように、メディカルルームにレンケラ女史が姿を現した。
「お待たせしました、それでは行きましょうか」
「レンケラ君、やけに遅かったな、みんな心配していたぞ」
 シガラキ艦長が声をかけた。
「地球人の女性は身だしなみを大切にしますから、少し時間がかかりました。どうですか、この髪型、そしてこのアイラインと眉の形。口紅の色」
 コーヒーブラウンのOLスーツに身を包んだ女史は自慢げに言うと、クルリと回って見せた。
 長い黒髪がフワリと揺れた。
 地球人の男が見れば、目がハートになるような綺麗な顔だったが、タヌキチ隊長にはクエスチョンマークが十個付く位、理解出来ない顔だった。
「顔に異物を塗って大丈夫なのか」
 疑問にかられて率直に聞いた。
「これは異物じゃないわ、化粧よ。地球人の女性なら誰でもしている身だしなみだわ、まったく、デリカシーがないんだから隊長は」
「なんだか、良い匂いがしますな」
 チャサジー医師が香水の香りに気付くと、レンケラ女史は待ってましたとばかりに、うれしそうな顔をした。
「わかります? さすがですわチャサジー医師、あなたのような細やかな神経の持ち主なら、地球人の女性にもてますわよ」
「ふうん、そんなものかね」
 タヌキチ隊長は目をキツネのように細め、鼻の穴をブタのように広げ、口をカラスのように尖がらせながらぶっきらぼうに言った。
「あなた! ケンカ売ってるの、別にあなたがいなくてもいいのよ、私ひとりで地球に行って、交渉してくるから」
「ちょっと待ってくれ、それでは話が本末転倒だろう」
 堪らず、シガラキ艦長が仲介に出た。
「それくらいにしたまえ、ブンブク星人同士が争ってどうする。とにかく協調して交渉に臨んでくれ」
「そうね、艦長の言う通りだわ」
 そういうと今度はタヌキチ隊長に向かって、
「隊長、あなたには、私の、この姿がどれだけ交渉を早めるのに役立つか分かっていないようね、それを実戦で教えて上げるわ。それじゃあ行きましょうか」
 自信満々に言うと発艦デッキに向かった。
 二人は小型宇宙艇に乗り込むと地球に向かって飛び立った。
 飛び立つと直ぐに、隊長はサージュにアクセスして大臣のスケジュール表をモニターに映し出した。
「レンケラ君、片腹井大臣は公務中だ。今行っても会えないぞ」
 隊長は大臣のスケジュール表が映っているモニターを見ながら話しかけた。
「公務中と言っても、誰かと会っている訳じゃないわ、デスクワークしてるだけよ」
「しかし、公務には違いあるまい」
「大丈夫よ、癒しの茶釜の効果で、大臣の心も大きく変わっているから」
「そりゃそうだが」
「ま、私に任せて頂戴」
 小型宇宙艇は日本を目指して飛んでいった。
 片腹井大臣が執筆をしていると、窓を叩く音がした。
 顔を上げた大臣は、以前の様に驚くことも無く二人を迎え入れた。
「これはこれはタヌキチ隊長、お久しぶりです」
 大臣が挨拶すると草林秘書官も会釈した。
「大臣、随分と変わられましたね」
 大臣の変わり様に感心しながら、タヌキチ隊長も嬉しそうに挨拶をした。
「いや、自分ではそんなに変わったとは思っていないのですが」
 隊長の言葉に恐縮しながらも地球人になったレンケラ女史に目を向けた。
「今日は美しい女性と御一緒ですな」
「ああ、そうでした。君、ご挨拶をしなさい」
 思い出したように言うと、自己紹介するよう促した。
「初めまして片腹井大臣。私はブンブク星のパルトカ人、レンケラと申します」
「なに? 君もブンブク星人なのか」
 大臣が驚いたように言うと「そうですけど」と女史は平然と答えた。
「そうか、ブンブク星にも地球人と同じ姿をしている者がいるのか、驚いたな」
 まじまじと女史を見詰めた。
「あら、それは違いますわ、私は地球人に姿を変えているだけです」
「なに?」
 大臣には言葉の意味が理解出来なかった。目の前にいるレンケラ女史はどこから見ても地球人なのだ。目線を草林秘書官に向けると、秘書官も目をパチクリさせながら女史を見ていた。
「理解出来なくて当然ですわ、ブンブク星の科学は地球とは比べ物にならない位進んでいますから」
(そういえば、隊長も以前、ブンブク星の科学は地球の数百倍進んでいると言っとったが、まさかここまで進んでいるとは)
 大臣が感心していると、草林秘書官が質問してきた。
「どういう方法で地球人になったのか教えて貰えませんか」
「いいですとも、地球が平和になったら母艦に案内して教えてあげますわ。その為にも癒しの茶釜を早く広めなくては」
 癒しの茶釜ときいて、草林秘書官はハッとなった。
「やっぱりあの茶釜はただの茶釜じゃなかったんですね」
 秘書官の言葉を受けてタヌキチ隊長が癒しの茶釜の説明を始めた。
「我々が持参した癒しの茶釜はセラピライト鉱石で出来ていて、この鉱石は生物の心を癒すゼータ波を出しています。ですから、どんなに機嫌が悪くても、あるいはムシャクシャしていても、この茶釜があれば精神状態が安定して穏やかになります」
 隊長は棚の上に置いてあった黒い癒しの茶釜を手に取りながら話を続けた。
「癒された心は、やがて他者を思いやるようになり、困っている者に対して手を差し伸べずにはいられなくなります」
 この話を聞いて秘書官は、なるほどと思った。
(これで大臣の心が変わった理由が分かった)
「素晴らしい茶釜ですね、さっそく世界中に広めましょう」
 秘書官の言葉を聞いてタヌキチ隊長は大臣に同意を求めた。
「大臣、秘書官があのように言われていますが、いかがですか」
「無論、私も賛成です」
 片腹井大臣は間髪入れず答えた。
「それでは商談に入りましょう、どれくらい買って頂けますか」
 単刀直入に聞いた。
「そうですな、取り合えず千個ぐらいでどうでしょう」
 それを聞いたレンケラ女史は猛然と声を上げた。
「千個ですって! そんな数じゃ全然足りません、先進国に広めるためには最低でも一千万個は必要です」
「なに、一千万個?」
「そうです、大臣は本気で世界を平和にしようという気持ちがおありですか」
 女史がたたみ掛けるように言うと、大臣は下を向いたまま考え込んだ。
(そうはいっても、どうやって世界中に広めればいいんだ、それに財源の確保もしなけりゃいかんし保管場所も決めなけりゃいかん。そして何より、購入先が問題だ、宇宙人から買いたいと言っても誰も信じないだろう)
 いつまで経っても返事をしない大臣にしびれを切らしたのか突然、
「あなた、男でしょ! 早く決断しなさいよ、大臣が一分、決断を延ばせば、それだけ戦争や殺人、環境破壊で地球人が死んでいくのよ。あなたは今の自分の立場が分かっていないわ」
 そしてテーブルを両手で「バン!」と叩いた。その衝撃で地響きのような音がしたと思ったら、テーブルは真っ二つに割れた。
 異常な振動を感じた警備員が二人、執務室に飛び込んで来た。
 その瞬間、タヌキチ隊長はベルトのスイッチを押して、自分自身を迷彩モードにして身を隠した。
 今、他の地球人に姿を見られるのは得策では無いと判断したのだ。
「何事です、何があったのですか」
 二人の警備員の目に、テーブルを叩き割ったレンケラ女史と、その前に座ってびっくりしている大臣の姿が映った。
 警備員の職業的、判断反射神経というか、二人は阿吽の呼吸で素早くレンケラ女史の腕を両方から押さえた。
「あら、何するの」
 警備員は身動き出来ないようにしていたつもりだったが、
「ちょっと、離しなさいよ」
 女史が左右の腕を交互に動かして振り払うと、二人の警備員は、あっけなく五メートル近く吹っ飛んで壁に当たった。
 これを見た大臣は目を細めて喜んだ。
(ほう、凄い力だな、二人とも柔道と空手の有段者なのに、簡単に投げ飛ばされたぞ)
 それでも女史に向かって行こうとする警備員を見て、
「やめないか!」
 大臣は一喝した。
「まったく、そそっかしい奴らだ、非礼を詫びてすぐに出て行きなさい」
「しかし大臣」
 警備員の一人が口を開いた。
「なんだ? 君は確か薪下だったな」
「そうです、薪下です、我々の行動が誤りだったら、幾重にもお詫びいたします。責任を取れというなら、責任も取ります。しかし、私たちも殉職覚悟で閣僚の方々の警備を行っています」
 ここまで聞くと、大臣は何かを思い出したように感慨深気に言った。
「そうか、そうだったな、君はそういう男だ」
「ですから状況説明だけでもして頂けませんでしょうか、そうすれば我々も直ぐに退出致します」
 薪下警備員は大臣の顔をじっと見た。大臣は宙に目をやりながら少し考えた。
 そしておもむろに、
「これは秘書面接だよ」
 という言葉が口を突いて出た。
「はあ?」
 もう一人の警備員が不思議そうな声を上げたが、草林秘書官も大臣の意外な言葉に戸惑いを感じた。
「君も知っての通り、ここのところ、取材や何かでわしも忙しくてな。それに妬みや嫉妬を抱いて落とし入れようとする輩も出て来ている。そこで考えたのが、有能な秘書を雇う事だ。凡庸(ぼんよう)ではいかん」
 果たして今の片腹井大臣に刃向おうとする者がいるのか、甚だ疑問だと秘書官は思った。
「まあ、私もこういう性格だから、なるべく事を荒立てたくない」
 片腹井大臣は、自分は温厚な性格だから事を荒立てたくないと言ったつもりだったが、周りの者は、いざとなったら自分でも何をするか分からない性格だから、事を荒立てたくないんだと受け取った。
「そして相手を刺激せん為にも、女性がいいだろうと考えた。しかし、今の世の中、何があるか分からん。不測の事態に対処する為にも女性といえども腕が立つ方がよかろうと、草林が言いおったんじゃ」
(えっ、私がですか)
 突然、自分に振られて面食らった。二人の警備員の目が一斉に秘書官に注がれた。
「そういう事で、面接に来たこの女性に腕前の程を見せてもらったんだよ」
「それでテーブルを叩き割ったんですか」
 大臣の説明でも薪下警備員は腑に落ちないといった顔だった。
(こんな堅いテーブルを女の手で割れるわけが無い)
「どうした、まだ腑に落ちんといった顔だな、草林、説明してやってくれ」
 大臣からいきなり説明を求められた草林秘書官は一瞬、頭の中が真っ白になった。
(ちょっと待って下さい、なにを、どう説明すればいいんだ)
 頭の中がパニックに陥りそうになりながらも次の瞬間、草林秘書官は説明を始めていた。
「彼女は気功と空手を組み合わせた武術を会得していると私たちに話してくれました」
 薪下警備員は、ほう、そんな武術があるのかという顔をした。
「彼女から、なんならこのテーブルを割ってみましょうかと言われたので、どうせ出来ないだろうという軽い気持ちで、試しに実行してもらったというわけです」
 口からでまかせもここまで来ると真実味を帯びて聞こえた。
(気功と空手の融合か、テーブルを割る瞬間、手先から気を発し、威力を倍化したのか。そして我々がいとも簡単に投げ飛ばされたのは気の力だったのか?)
 薪下警備員は、専門家にありがちな知識の穴に落ちて、草林秘書官の話を信じ始めた。
 話をあまり長引かせるのは得策ではないと判断した大臣は切り上げにかかった。
「そういう訳だ、君たちが投げ飛ばされた事もここだけの話にしておくから、心配せんでいいぞ」
「有難うございます、世の中には自分の知らない事がまだまだある事に気づかされました」
 薪下警備員が感謝と反省の弁を述べると大臣はソファから立ち上がり、二人の警備員の肩を抱くようにして、
「そうだろう、わしもそう思う。世の中は我々の知らない事ばかりだ、それを自分の物差しで計っちゃあいかん。素直に認めて謙虚に学ぶ事だ」
 そのまま二人を執務室から送り出し、ドアを閉めてこちらを向くと、大きくひとつ、息をした。
 隊長も迷彩モードを解除して姿を現した。
 大臣はソファに座るとハタと閃いた。
「そうか、そうだ、君をわしの秘書という事にしておけばいいんだ。そうすれば誰にも怪しまれずに茶釜を普及するための意見を聞く事ができる。どうかね、そうしてくれないか。一千万個の癒しの茶釜を買っても、それをどうやって売ればいいのか分からんから知恵を貸してくれ。その為に、私の秘書という事で傍にいて色々とアドバイスをしてくれないか」
 この言葉を聞いたタヌキチ隊長はレンケラ女史の顔を見た。
「そうね、それも面白そうね」
 女史も話に乗った。
「怪我の功名だな草林、こんな展開になるとは思はなかったぞ」
 秘書官は黙っていた。
「それでは話を進めましょう、まず、国内の各国の大使館の方々に癒しの茶釜を進呈して下さい」
 レンケラ女史は具体的な方策を話し出した。
「各国の大使にかね」
「そうです、大使館の方々の心が変われば、それは本国の人たちの心を変える原動力となります。そうなれば一気に癒しの茶釜が広まります」
「ほほう、おもしろいな」
 大臣は興味深々で聞いていた。
「その為にも、大臣にはテレビに出演して頂いて、茶釜進呈の事を話して頂きます」
「なるほど、テレビに出れば、あっという間に大使館の知るところになる訳だ。益々おもしろい。草林、テレビの出演予定はあるか」
 秘書官にスケジュールを聞くと、
「はい、明日の午後四時から東京国際テレビに出演して頂きます」
 スケジュール表で確認しながら答えた。
「そうか、わかった。次は?」
 レンケラ女史の顔を見ながら次の方策を促した。
「茶釜の話をされる時は私も出演させて頂きます。別に話はしませんから安心してください。大臣の傍にいて微笑んでいるだけです」
「わかった」
 大臣は質問をする事無く頷いた。
「それから、一千万個の茶釜の件ですが、これはチャガマ国の輸送船にストックして、必要な数だけ順次、出庫していきます。地球には金の癒しの茶釜を用意しますから、それを一個、二千五百円で仕入れて、好きな値段で売って下さい」
「ほほう、商売にも、そつが無いな」
 ここで草林秘書官が口を挟んだ。
「大臣、今の条件では二百五十億円が必要になります。財源はどうされるつもりですか」
「そうだな……」
 大臣は考えを巡らし始めた。そして、
「そうか!」
 大臣は自分の膝をポンとひとつ、右手で打った。
 この光景を見た秘書官は期待を込めて聞いた。
「何かいい方法が見つかりましたか」
「草林、観光省には幾つもの特殊法人があるだろ、そいつらから巻き上げればいいんだ」
 この言葉には驚いた。
「そんな前例が無い事は出来ません」
「ばかもん、出来ないと思うから出来ないんだ。わしに任せろ。あいつらはな、表に出せない金、つまり裏金を埋蔵金として隠しているんだ。それをわしが世の為、人の為に使ってやろうというんだ。誰も文句を言う奴はおるまい。どうだ草林?」
「そんな事をすれば大臣、あなたは政界から消されてしまうかもしれませんよ。大臣が今まで使ってきた手と同じ方法で」
 忠告めいた言葉が思わず出てしまった。
「わしも七十歳になって先が見えて来ておる。この辺で少しは良い事をしておかないと、あの世に行った時に、閻魔様から叱られるってもんだ」
 大臣は満足気にハハハと笑った。大臣の覚悟の程を知った草林秘書官は、もう何も言わなかった。
 大臣は視線をレンケラ女史に移した。
「あ、そうだ、君の名前はレンケラとか言ったな、その名前はどうにかした方がいいな。もう少し、日本人らしい名前にしよう。草林、何かいい名前はないか」
 片腹井大臣と草林秘書官が相談している隙にタヌキチ隊長はレンケラ女史の傍に寄って来て、小声で話しかけた。
「勝手に値段を決めないでくれないか」
「うるさいわね、黙っていてくれない」
「黙ってろと言われても、癒しの茶釜は我々の国で作っているんだぞ」
「そんな事、百も承知よ。とにかく、交渉がまとまりかけているんだから、邪魔しないでちょうだい。それにあなたの出番はちゃんと考えてあるから心配しないで」
「どんな出番なんだ」
「調印よ、調印。日本国とチャガマ国の通商条約の」
「あっ」
 隊長の脳裏に晴れがましい調印式のシーンが浮かんで来た。
(そうか、調印式か)
 なんだか、体がふわふわ浮くような感じがした。
「レンケラ君、君の名前が決まったぞ」
 大臣は自信有り気にレンケラ女史の顔を見た。
「君のその秘書らしい上品な容姿と頭脳明晰な点を考慮して考え出した名前は、丸ノ内優子だ」
 満足そうだった。
「丸ノ内優子ですか」
「そうだ、気に入ってくれたかね」
「ええ、わかりました」
 別に、地球人の名前にこだわりを持っているわけではなかったので、あっさり受け入れた。
「それから住む場所が必要だな、これを持っていくといい」
 大臣は背広の内ポケットから鍵を取り出すとレンケラ女史に渡した。鍵を受け取った女史は「何の鍵ですか」と聞いた。
「わしが持っているマンションの鍵だよ、殆ど使ってないから、室内は綺麗なもんだ」
 それからタヌキチ隊長に話しかけた。
「これからの交渉は丸ノ内君とするから、君は遠慮してくれないか」
「えっ、 どうしてですか」
 大臣の突然の言葉に思わず聞き返した。
「隊長のその姿が問題なんじゃよ」
 そして理由を簡単に説明した。
「隊長も地球人の姿になっていれば良かったのだが、その格好では皆が驚くかもしれんのでな。しかし、案ずる事はないぞ、イベントを行う時は、タヌキのぬいぐるみを着た、どこかの県の職員という事にして地球人と触れ合ってもらうからな。みんなが君に慣れた頃に本当の事を言えば、ショックも少なかろう」
ありがたいやら、ありがたくないやらの話を聞かされて、隊長は落ち込んでしまった。
「あなたも地球人になれば良かったのにね。今からでも遅くないのよ、地球人になってみたら」
 女史は勝ち誇ったような微笑を浮かべた。
「私は地球人になりたくない」
 頑固に否定した。
「あら、この前も同じ事を言ってたわね、何か理由があるの」
「だって寒そうじゃないか、私は寒いのが苦手だ」
「寒そう?」
「そうだよ、我々は体毛で覆われているが、地球人は、毛を刈られた羊の様に殆ど体毛がない。見ているだけで寒そうじゃないか。しかもこれは全ての地球人に共通している。まあ、基礎DNAが同じだから仕方がないけどな」
「そうね、そうかも知れない」
 レンケラ女史は隊長の言葉を聞きながら別の事を考え始めた。
(基礎DNAが同じだという事は、地球人の発祥地が同じだという事。そして、その地から長い年月をかけて地球人は世界中に移住して行き、移住地の環境に適応するために体型や、皮膚の色が変わり、その歴史の中で独自の言語と文化を持つようになった。そう、共通した部分を見つけ、原点に気づけば他者を苦しめるような事をしないはずだわ)
 体に毛が無いという共通点は、何かの話しの時に役に立つかも知れないと思った。
 別の事を考えている事を知る由も無い隊長は、同意を得たものと思った。
「そうだろう、寒そうだろう。ところで君は寒くないのか」
 地球人になっている女史に率直に聞いた。
「別に、寒くないわよ」
 事も無げに答えると、
「そうか、寒くないのか」
 隊長は少しがっかりした顔になった。
 二人のやり取りを聞いていて、ひと段落着いたと思った片腹井大臣は口を開いた。
「もう、話は済んだかね、日が暮れだしたから、そろそろ、レンケラ、いや、優子君をマンションまで送ってあげたいんだがね」
 大臣の言葉に隊長は素直に頷き、レンケラ女史は草林秘書官が送っていく事になった。
 隊長は小型宇宙艇で母艦に帰る事になったが、出番が無くなってしまって寂しそうだった。

    夢刑論

 マンションは車で二十分位の所に有り、三十五階建ての、その最上階が片腹井大臣の所有になっていた。
「あら、けっこう大きなマンションなのね」
 入り口から見上げるようにして言うと、
「ええ、でもこれは大臣が資産として所有しているだけですから、殆ど使っていないんです」
 そう答えて、草林秘書官は優子を伴って中に入っていった。
 最上階に上がり、マンションのドアを開けて中に入ると、正面のテラスから、東京の街が一望できた。
「もうすぐ暗くなりますが、ここから見える夜景はとてもきれいですよ」
 秘書官が夜景の美しさを伝えると、
「あらそう、楽しみだわ」
 優子は嬉しそうに笑った。
「ところで優子さん、お話があるのですが」
 秘書官は真面目な顔をした。
「何でしょう?」
 外の景色を見ていた優子はその目を秘書官に移した。
「夢刑についてお聞きしたいのです」
「夢刑について、ですか」
「そうです、あれにはどういう意味があるのかを教えてほしいのです」
「構いませんけど、話すと長くなりますわよ」
「時間なら大丈夫です、大臣もほかの閣僚の方々と食事をして、今日は終わりですから」
「そう、それなら」
 優子は、ふかふかのソファに座ると、草林秘書官もガラスのテーブルを挟んで向かい合う形で座った。
「人が罪を犯した場合、どうするのが一番いいと思いますか」
 説明をしてくれるのかと思ったら、いきなり質問をしてきた。
 そんな問いかけにも草林秘書官は自分の思うところを率直に述べた。
「まず、裁判にかけて量刑を決め、その刑期の中で反省を促し、更正させるべきだと思います」
「それで?」
「それでと云われても、今の法律ではこうするしかありません」
「それで本当に更正して、出所するのかしら」
「全員は無理だと思います」
「そう、刑期という時間で拘束して、その中で更正させようとしても、それだけでは限界がありますわ。ブンブク星も昔は、地球と同じように時間的拘束を行っていましたけど、社会に出ると又、犯罪を犯す者が多くて困っていました」
「そうですか、科学が発達している星でも再犯に悩んでいたなんて知らなかった。科学が発達しているだけに、大量殺人も可能でしょうから大変だったでしょう」
 その言葉を聞いて即座に反論した。
「ブンブク星人は、人殺しなどしません」
「えっ」
 一瞬、言葉の意味が理解出来なかったが、すぐに思い直して、広い宇宙にはそういう星もあるかも知れないと思った。
「そうですか、ブンブク星では人殺しがないんですか、うらやましい話です。地球もそういう星にしたい」
「ブンブク星には人を殺そうという概念そのものがありません、だから殺人が無いのです、先ほどの再犯の話は、物を盗んだりとか、騙したりとか、殴ったりとかの事ですわ」
 草林秘書官は、人を殺そうとする概念そのものが無い事に深い意味合いを感じた。
(そうか、人殺しの概念そのものがないのか、地球人もそうであったら良かったのだけど、地球の歴史は血みどろの殺戮の歴史だからな。それに、いくら表現の自由とは言いながら、人殺しのテレビゲームまで出る世の中だ。遊びの中にまで人殺しを取り込んで来るなんて人類の精神も末期的だな)
 優子は話しを続けた。
「そこで、どうしたら再犯を無くし、社会復帰させたらいいのかという話になりまして、夢に着目したのです。夢は時として、現実と錯覚するほどのリアリティがあります。そして、いろいろな議論を重ねて、夢を四つに分けました」
「夢刑の種類ならポンタロウさんから聞きました。確か、現夢刑と現夢反刑それに想夢刑と想夢反刑でしたよね」
現夢刑は犯罪者が行った行為をそのまま夢の中で再現させ、現夢反刑は犯罪者を被害者側の立場に置き換えて夢を見させる。誰かを殴った場合、今度は殴られる立場になる訳だ。夢といっても、現実と変わらない感覚があるから、殴られたらどれほど痛いかを感じる事が出来る。想夢刑は、想像の世界の中で加害者としての立場で夢を見させ、想夢反刑は逆の立場で夢を見させる。夢刑では被害者の立場にさせる、現夢反刑や想夢反刑などが結構、効果を上げているが、中でも、現夢反刑は被害者の痛みと同じ痛みの感覚を与えるので、自分のした事がどれほどのものか分かり、二度と同じ事をしなくなると、優子は説明した。
 この話を聞いて草林秘書官はうーんと唸った。
「なるほど、同苦させる訳ですね、相手の痛みが分かれば犯罪などしなくなる」
「他者の痛みを知った人は、今度は困っている人や、苦しんでいる人を助けようとします。この様な生命状態になった時、初めて更正したといえます」
 優子は草林秘書官の言葉を補足する形で話した。
「夢刑が犯罪者を更正させる為の手段である事は分かりましたが、被害者感情はどうなるんでしょう。いくら相手が更正したとはいえ、実際にやられた方は怒りが収まらないと思うのですが」
「あら、その説明はもうしましたわ」
 優子の言葉に秘書官はキョトンとした顔になった。
(そうだったかな)
 思い当たる節がなかった。
「今話した、困ってる人や、苦しんでいる人の中には、被害者を含む、世界中の人達が入ります。特に、自分の起こした行為で苦しめたとすれば、どんな犠牲を払っても、その人を真っ先に助けてあげようとするでしょう。そうすれば被害者の心も癒され、やがて怒りも静まります」
「そういうものですか」
 その割りに、夢刑を受けた片腹井大臣はあまり更正しなかったなと思った。
「あなたは、片腹井大臣の夢刑の事を思い出しているのね」
「どうしてわかったんですか」
 ちょっと驚いた。
「そんな事は顔を見れば直ぐに分かります。片腹井大臣も夢刑を執行されていますけど、想夢反刑では現実味がないから中々、更正するまでにはいきませんわ。チャガラーなんていう怪獣を出して建物を壊しまくっても、目が覚めたら夢だって気づくでしょう。ま、そんな夢を見させる所がタヌキチ隊長らしいけど。あの人は心が優しすぎるのよ」
 夢刑とは犯罪者に身体的体罰を与えずに更正させる方法。そして短期間で更正させる事が出来るから今のように刑務所が足りないという状況もなくなる。これは理想的な方法かもしれないと草林秘書官は思った。
「優子さん、夢刑は地球人にも出来るでしょうか」
 身を乗り出すようにして聞いた。
「地球人には脳波動能力がないから無理です」
 即座に否定した。
「そうですか、夢刑を使う事が出来れば、世の中が良くなると思ったのですが」
 残念そうだった。
「仮に能力があったとしても、今の地球人は感情の起伏が激しすぎて、心をコントロール出来ないでしょう。へたをすると相手の脳を破壊してしまう事になります」
(相手の脳を破壊するって事は、夢刑は使い方によって、善にも悪にもなるということか。だとすれば、今の地球人には無理かもしれないな)
 そんな草林秘書官の心を察しながら、優子は話を続けた。
「でも、癒しの茶釜があるから大丈夫です。その効果は、あなたにも分かっているでしょう」
「それは分かります、片腹井大臣が百八十度変わりましたから」
 その言葉に、優子は満足そうに微笑んだ。
 それから暫く話したところで秘書官は腕時計を見た。
(もう八時か)
「さてと、時間もだいぶ経ちましたので、僕もそろそろ失礼します。貴重な話を聞かせて頂いて有難うございました。優子さんもゆっくり休んでください。明日の朝は九時に迎えに来ます」
 「わかりました、お願いします」
 優子は草林秘書官をドアまで見送ると、テラスに出て夜景を眺め始めた。
「あの人が言っていた通り、素晴らしい夜景だわ」
 東京の夜景は、色とりどりに光り輝く宝石を地上に散りばめたように美しかった。
 テラスを吹き抜ける風が、優子の髪を心地よく揺らした。


       普及への第一歩

 次の日の午後二時。東京国際テレビに到着した大臣一行が控え室に入ると、すぐに責任者が来て、打ち合わせの確認に入った。
「大臣、連絡を受けた茶釜の件なのですが、五分でお願いします」
 責任者は低姿勢で話した。
「何? 五分しかないのかね」
「済みません、急な申し出でしたので、こちらとしても五分の時間を取るのが精いっぱいなものでして」
「五分あれば充分ですわ、金の茶釜を見て頂ければ、言葉なんていりません」
 優子は持参して来た金の茶釜を箱の中から取り出して責任者に見せた。あまりの眩さに責任者は言葉を失いそうになりながら、
「これは純金ですか」
 と聞いた。
「これは、癒しの茶釜を金メッキしたものです」
「メッキなのか」
 責任者より先に大臣が失望した声を上げた。
「そうですけど、何か問題でもありますか」
「いや、何でもない、何でもないんじゃよ、オリンピックの金メダルだってメッキなんだから、茶釜がメッキだって何も問題はない。なあ、そうだろう、草林」
 自分自身を納得させるようにしゃべると、秘書官に話を投げた。草林秘書官も純金とばかり思っていたので少し驚いたが、
「別に問題ありません」
 動揺を表に出す事なく答えた。
 この、ちぐはぐな会話に責任者は違和感を覚えたが、相手が大臣なだけに、へたに聞き返す事が出来なかった。
 やがて番組が始まり、予定通りに話しが進行して行くと、最後に茶釜の紹介が行われた。
「それでは大臣、大使館の方々に贈呈品があるとお聞きしましたので、その紹介をして頂けませんでしょうか」
 司会者が話すと、片腹井大臣はスタジオの隅に待機していた優子を手招きした。
 優子は静かに歩き出し、大臣の傍に寄ると茶釜の入っている箱をテーブルの上に置き、慎み深く微笑んでそのまま立っていた。
 その瞬間からテレビ局の電話が鳴りっぱなしになった。
「大変です! 視聴率が三十パーセントを超えました」
 スタッフが番組プロデューサーに告げると、
「そんな馬鹿な、これは報道番組だぞ、あり得ない数字だ」
 と言いつつも、うれしさのあまり気を失いそうになった。
 そんな事を知る由もない大臣は話を続けていた。
「観光省の精神は観光を通して、世界中の国の方々と民衆レベルの相互理解を深める事にあります。新たな第一歩として、各国の大使館に日本伝統の茶釜を友好親善の印として送りたいと思います」
 そして、箱の中から金の茶釜を取り出した。それを見た司会者は、
「純金の茶釜ですか」
 と、責任者と同じ事を聞いてきた。
「純金なら良かったのですが、残念ながらこれは金メッキの茶釜です」
 大臣は苦笑いしながら答えた。
 この様子をテレビで見ていた観光省の職員の元に、各国の大使館から電話がかかってきた。
 大使館員は茶釜贈呈の礼を述べると共に、大使が直接、大臣と面会して金の茶釜を頂き、御礼の言葉を述べたいと申し出てきた。たかが民芸品の茶釜を、一国を代表する大使が直接もらいに来る事など考えてもいなかったので、大臣のスケジュールを調整するのに職員は頭をかかえた。
 番組終了間際になって、「秘書の名前を聞いて下さい」と、司会者にカンペが出されたが、急いで書いた為に、部分的に文字が判読不明になっていた。
(え、何を聞いて下さいって?)
 時間ギリギリで焦っていたスタッフは盛んに優子を指差した。
 その仕草で瞬間的に内容を理解した司会者は、緊張している心を表に出す事無く、穏やかに大臣に聞いた。
「最後に大臣、大臣の傍におられる秘書の方のお名前を教えて頂けないでしょうか」
 その言葉を聞いて大臣より早く、本人が口を開いた。
「片腹井大臣の秘書をしております、丸ノ内優子と申します。よろしくお願いします」
 テレビカメラに優子のこぼれる様な笑顔がアップで映し出された瞬間、CMになった。
「はい、ОKでーす」
 他のスタッフの声がスタジオに響いた。
 司会者は大臣に礼を述べると、席を外してスタッフに怪訝そうに聞いた。
「どうしたんだ、終わる直前に秘書の名前を聞いてくれなんて」
「すみません、あの人が出た瞬間、視聴者から電話が殺到しまして」
「それで、名前を聞いてくれと言われたのか?」
「はい」
「はいじゃないぞ、大臣にお礼の挨拶をするシーンが撮れなかったじゃないか」
「私に云われても、私も指示に従っただけですから」
 困り果てたような顔をした。
 それを見た司会者は、「ふう」と、ため息をついた。
 テレビ局を出た大臣は、迎えの車の後部座席に座ると、その横に優子が座り、助手席に草林秘書官が座った。草林秘書官は大臣の方を振り返ると、観光省からの連絡を告げた。
「大臣、大使が直接出向いて茶釜を受け取りたいと云って来ているようです」
「ほう、直接か、どこの大使かな」
「全ての大使です」
「全て?」
「そうです」
「妙だな、どうしてみんな会いに来たがるのかな」
「優子さんに会いたいのではないでしょうか」
「あっ、そうか、わしも年を取ったもんだ、そんな事も分からなくなるとはな。すぐに外務省に頼んで通訳の手配をしてもらってくれ」
 その話を聞いて、優子が話し出した。
「通訳は必要有りません、私が全ての大使に話をします」
「君は世界中の国の言葉を話せるのか」
 大臣はちょっと驚いた。
「ええ、話せます」
 事も無げに答えた。
「ブンブク星人とは大したものだ。最も、そうでなければ、星間貿易など出来る訳ないか」
 この日から暫くの間は各国の大使相手に多忙を極めた大臣だったが、優子はテキパキと会話を進めていった。
「これは癒しの茶釜といって、悩みやストレスなどから、あなたの心を癒してくれます。常に傍に置いて離さないで下さい、そうすれば心がリラックスして、いい知恵が浮かび、問題を解決できます」
 説明を聞いた大使は、
「分かりました、あなたの様な美しい方から云われれば、粗末になんか出来ません。家宝の如く大切にします」
 礼を言って、金色に光る癒しの茶釜を大事そうに持って帰った。
 映像はここで終わった。ポンタロウ隊員は静かに目を開けたが、自分が隊長室に居るという事が直ぐには理解出来ない状態になっていた。
「ポンタロウ君、ゆっくり深呼吸しろ。ここがどこだか分かるか?」
 タヌキチ隊長は心配そうに顔を覗いた。
「隊長、夢を見ていた様な気分です」
 頭の中にまだ、めまいの様な感覚が残っていた。
「無理も無い、映像データを高速で脳に送り込んでいたんだからな」
 隊長はポンタロウ隊員の頭からそっと、ヘルメット状の装置を外した。
「でも、僕が勇一君になっていた時に、隊長たちが何をしていたかが分かって嬉しいです」
「みんなレンケラ女史が一人でやってしまったから私の出番は殆ど無かったけどな」
 隊長は頭を掻きながら苦笑いした。
「レンケラさんに感謝しなければいけませんね」
「そうだな、今のところ、彼女の計画通りに事が進んでいるからな、私だったらもっと時間が掛かっていたかもしれない」
 隊長は壁に貼ってある丸ノ内優子の写真に目をやった。
「それに、地球で、かなりの人気者になっているみたいですね」
「そうそう、彼女が出演すると、視聴率が上がるというんで、あっちこっちのテレビ局で引っ張りダコだ」
「それはそうと、僕たちは何もする事が無いんですか」
「そうなんだ、今のところはな。でも心配する事はないぞ、調印式の時はポンタロウ君も一緒に連れて行ってやるからな」


      大臣の覚悟

 そんなやり取りをしている頃、優子は執務室で大臣と話をしていた。
「大臣、お疲れではありませんか」
 ここのところ、激務に次ぐ激務で、寝る暇も無いほど忙しく動き回っている大臣の顔には疲労の色が滲んでいた。
「心配ない、大丈夫だ。疲れてはいるが今までに味わった事の無い充実感があるんじゃよ。大袈裟に聞こえるかもしれんが、わしが動いた分だけ、世界が平和になっているような気がする」
 これを聞いた優子は大臣を労わるように声をかけた。
「間違いなく平和になっています、これも大臣のご尽力によるものですわ」
「そうか、君にそう言ってもらえるとわしもうれしい。君たちに会えたお陰で人を助けるという事がどんなに素晴らしい事かが分かったよ。今までのわしは、他人を蹴落として自分がのし上る事に躍起になっていた。金と権力さえあれば何でも出来る、どんな奴でも屈服させられると思っていた。そんな、思い上がりで狭い了見だった自分が恥ずかしい」
 大臣の顔は疲労に満ちていたが、目だけはとても澄んでいた。そんな状態で、
「ところで、人は死んだらどうなるのかな、ブンブク星の科学が地球の数百倍進んでいるのなら、死についても何か解っているんじゃないかな」
 静かに質問した。
 横で話を聞いていた草林秘書官は、縁起でもないという顔をした。
「大臣、死んだらどうなるかなんて、不吉な事を言わないで下さい」
「勘違いするな草林、わしは死にたいと言っとるんじゃないぞ、死について聞いているだけだ。段々面白くなって来ているというのに、死にたいわけないじゃないか。まだまだ生きて人助けをしたい。特に子ども達を助けたいんじゃ。地球の未来は子ども達に託すしかないからな」
 大臣の言葉を聞いた優子はおもむろに話し始めた。
「ブンブク星の科学は生命について、ある程度解明しています。しかし、聞き手の理解力が乏しいと、いくら話しても納得出来ないでしょう」
 なるほどと、大臣は頷いた。
「他の者なら理解できないかもしれないが、わしはタヌキチ隊長や、君と接触して信じられない光景を目の当たりにしているから何を言われても素直に受け止めるよ」
「そうですか、それではお話しましょう。結論から言えば生命は死ぬ事が無いというのが本当のところです」
 この言葉を聞いた瞬間、草林秘書官の頭がさっそく、こんがらがった。
「ちょっと待ってください、生命は死ぬ事が無いとはどういうことですか」
「草林、静かにせんか」
 大臣は秘書官を制したが、優子は草林秘書官の言葉を受けて、少し言い方を変えた。
「それでは、生命自体は死なないと言い換えましょう。肉体には限界がありますからやがて滅びます。そうなると生命は元々居た場所、つまり宇宙に帰って行きます。地球人は肉体が活動を停止した状態を死と呼び、死んだらそれで全てが終わりだと考えていますが、生命そのものは存在します。そしてまた生まれて来ます。その時、男として生まれるか、女として生まれるか、又は他のものになるかは、地上で活動していた時の行いによって決まります」
 草林秘書官は分かった様な、分からない様な顔をしながら、言葉の意味を考えていた。
 優子は話の角度を少し変えた。
「ブンブク星の科学は物質的な面での人の体に関しては、解明し尽くしています。だから私もこうやって地球人になる事が出来たのです」
「なるほど」
 大臣は納得したように頷いた。
「そうなると今度は、何が体を動かしているのかという疑問が浮かび上がって来ます。研究をしているうちに、そのヒントが意思や感情にある事に気づきました」
「でも、意思や感情なんて誰でも知っている事でしょう」
 草林秘書官は考えを巡らしながら発言した。
「そうです、でも当たり前すぎて中々そこに気づきませんでした」
「うーん、それで」
 秘書官が発言するする前に大臣は話を促した。
「意思や感情は目には見えません、目には見えないが確実に存在しています。その事が分かって研究を進めました」
「でも、感情は目に見えますよ、怒ったり、泣いたり、笑ったりとか、顔に出てきます」
 間髪を入れず秘書官は声を発した。
「それは感情の結果に過ぎません。そういう感情を発現させているものがあるのです」
 ここまで話すと優子は少し間を置いた。
(分かってくれているのかしら)
 そう思いながら、また、話を続けた。
「そこで、ブンブク星は独立した機関を設置して、優秀な科学者を世界中から集め、本格的に研究を始めました。そこで分かってきた事は、生命と宇宙は一体不可分、つまり同じであるという事です。宇宙自体が生命体という事は、地球上の全ての生命は宇宙と繋がっていて、人間や動物など様々な姿になって現れているわけですから、たとえ動物でも、面白がって殺せばその報いを受けます。殺す相手が人間なら尚更、厳格な報いを受けます。ブンブク星人はその事が分かっていますから人殺しなど絶対しません」
「なんだか難しすぎて良く分かりません」
「難しいんじゃなくて、単に、理解出来ないだけですわ」
「それでは、どうすれば理解出来るようになるんですか」
 草林秘書官は頭をひねったまま尋ねた。
「そうね、一番簡単なのは、あなたが以前生きていて活動していた時の事を思い出せば、すぐ理解できます」
「以前生きていてって言うのは過去世とかいうやつですか」
「カコセ?・・・、ああ過去世ね、地球人的に言えば、そういう事になります」
「過去世なんてあるんですか」
 草林秘書官には理解出来なかった。
 秘書官の理解能力が低いと見た優子は『リード・パスト』装置の事を話しだした。
「地球との平和交易が実現したら、あなたもブンブク星に遊びに来れる様になります。
 その時に、『リード・パスト』装置であなたの生命に刻まれたものを思い出させてあげます。これで、過去世の事を知る事ができます。ただ……」
「ただ、ただ、何ですか」
「あなたが、良い行いをしていれば問題ないのですが、人を傷つけていたり、殺したりしていたら、その事で自責の念に駆られ、発狂してしまうかも知れません」
 秘書官はゾッとした。
「発狂ですか」
「生命は宇宙と共にあります。宇宙が存在する限り、生命も存在し続けます。その中で、あなたも数え切れない程の生死を繰り返していますから、そういう事があるかも知れません。」
 秘書官は沈黙してしまった。秘書官に代わって大臣は自分の事を確認しようとして、口を開いた。
「ところで、今まで聞いた話だと、わしは死んでも、また生まれて来るという事じゃな」
「そうです、そして次に生まれた時にどうなっているかは、今の行いにかかっています」
「今の行いか、それじゃ、わしの未来は暗いな、じゃが、そう思って自棄(やけ)になったら益々、浮かばれなくなるな。よし分かった、罪滅ぼしに、死ぬ瞬間まで人助けに邁進するぞ」
「すみません、ひとつ質問をしてもいいでしょうか」
 草林秘書官は神妙な声で話しかけた。
「なんでしょう?」
「生命に刻まれるとはどういう事なのでしょうか」
 優子は躊躇せず、質問に答えた。
「あなたの行いは、良い事も悪い事も、そして今思っている事も全て、目に見えないあなたの生命に刻まれていきます。そしてこれは消える事無く、次に生まれた時に影響を与えます。金持ちの家に生まれるとか、貧乏な家に生まれるとか行っても、それは全て、本人の行いの結果なのです」
ここで秘書官は、優子の言葉を繰り返した。
「全ての行いが生命に刻まれ、それが今度生まれた時に影響するんですか」
「そうです、だから人を苦しめる行為をやめて、助ける行為をしなければなりません。良い行いは次に生まれた時に良い結果として現れてきます。逆に、人を苦しめれば、今度は自分が苦しむ結果となります。リード・パスト装置は、そんな生命に刻まれた行いを全て読み取る装置です」
 優子の説明を聞いて草林秘書官は自分の過去世を知りたくなった。
(ブンブク星に、生命に刻まれた記憶を読み取る装置があるなら、是非行ってみたい、そして自分が何をして来たか知りたい)
「お願いです、ブンブク星に連れて行って下さい。その為にも、早く地球が平和になるよう、癒しの茶釜の普及に努めます」
「わかりました、一緒に頑張りましょう」
 それからも三人は精力的に癒しの茶釜を普及する為に動き回った。
 各国の大使に癒しの茶釜を渡して一週間経った頃、片腹井大臣と同じような心境の変化が現れ始めた。
 彼らは、事ある毎に本国の要人に戦争の無意味さや、環境破壊の阻止を訴えていき、癒しの茶釜の素晴らしさを語っていった。
 大使の働きかけもあって、癒しの茶釜は先進国に広がり始めた。この状況をみて、片腹井大臣は、ブンブク星人の存在を世界に発表した。
 始めは驚いていた人々も、平和の為にやって来た事を知ると、隣人に接するような態度になってきた。
 そしていよいよ、タヌキチ隊長とポンタロウ隊員の出番がやってきた。


      調印式

 レンケラ女史は調印式報告の為、母艦に戻ってきた。
 会議室に五十九カ国の隊長と隊員達が集合すると、通商条約の話をした。
「一週間後に、日本国とチャガマ国の通商条約協定が結ばれる事になりました」
 これを聞いた各国の隊長は盛大な拍手を送った。
「よかった、よかった。これで地球とブンブク星の平和交易が出来るようになるぞ」
 みんな嬉しそうに声を上げた。
 歓声の中、タヌキチ隊長はポンタロウ隊員を伴ってレンケラ女史の傍に行き、礼を述べた。
「ありがとう、チャガマ国を代表して礼を言うよ。本国に戻った時は君を改めて国賓として招待したい」
「あら、そんな事は気にしなくていいのよ。自分の判断でやった事だから」
 女史の性格を知っている隊長はそれ以上しつこく言わず話題を変えた。
「これで君もブンブク星人に戻れるわけだ」
 そう、女史はまだ地球人のままだった。
「私はまだ、このままの姿でいるわ。地球人って案外面白いのよ」
 楽しそうに笑顔を見せた。
「そうか、私も機会があったら地球人になってみるかな」
「無理しなくてもいいのよ、地球人になって風邪をひいたら、任務に支障が出て来るでしょ」
「はは、そうだな」
 隊長が照れ笑いをすると、横にいたポンタロウ隊員が女史に礼を述べた。
「レンケラさん、有難う御座いました」
 女史はポンタロウ隊員に目を移すと、優しく微笑んだ。
「成長したわね、これからも地球人の為にもっともっと頑張るのよ」
「はい」
 勢い良く返事をした。
「どう、地球人の家族と暮らして何か感じた?」
 この質問にポンタロウ隊員は即座に返事をした。
「いろんな事がありましたけど、暖かさを感じました」
「そう、よかった」
 女史は満足そうに頷いた。
 この瞬間、隊長はレンケラ女史がポンタロウ隊員を地球に送り込んだ真意を悟った。
「レンケラ君、もしかして君は・・・」
 女史は、隊長の言葉を遮るようにしゃべりだした。
「さあ、次の公務が待ってるから地球に戻らなきゃ、それじゃ、一週間後に地球に来て頂戴」
 レンケラ女史は、各国の隊長達に別れの挨拶すると会議室を出て行った。
「隊長、条約の話がまとまって良かったですね」
 女史の言葉が気になっていた隊長には、ポンタロウ隊員の声が聞こえなかった。
「ポンタロウ君、女史が君を勇一君の代わりに送り出したした本当の理由がわかったぞ」
「え、本当の理由ですか?」
「そうだ。女史は孤児の君に、家族というものがどういうものか体験させたかったんだ。父、母、兄弟のいる生活をね」
 隊長の言葉を聞いてポンタロウ隊員は絶句した。  
(そうだったのか)
 感極まってしばらく言葉が出て来なかった。
「隊長、僕はレンケラさんを誤解していました」
「そうだな、私も、わがままで自分勝手な性格だと思っていたんだが、心の奥では、どうするのが一番いいか、常に考えていたんだ」
 そういえば、「地球人と交渉するなら地球人になるのがベストだわ」と言っていたし、片腹井大臣との交渉でも、矢継ぎ早に方策を打ち出し、それを実現していった。一見荒っぽく見えた、テーブルを叩き割った件も大臣の決意を促す為の、彼女流のパフォーマンスだったのかも知れない。それに「あなたの出番はちゃんと考えてあるから心配しないで」と言って、約束通り、調印式の話を持って来た。彼女は常に思索を重ね、どうすれば早く平和交易が実現できるかを考えて実践して来たのだ。
 隊長は「うーん」と唸った。
(そんな深い考えで行動していたのか)
「隊長、僕、レンケラさんにもう一度会って礼を言って来ます」
「その必要はない、君は充分、礼を言っている」
「そうですか?」
「女史に家族の事を聞かれた時、君は暖かさを感じましたと言っただろう。彼女はその一言で満足している」
 その言葉を聞いて、ポンタロウ隊員は他に感謝を表す方法は無いだろうかと考えた。そして、思い当たったのが調印式を成功させる事だった。
「隊長、調印式を無事終わらせて、レンケラさんに喜んでもらおうと思います」
「そうだな、それが一番だ」
 調印式は、あっという間にやって来た。
 調印式の会場に着いた二人は日本国の代表になっている片腹井大臣の控え室に向かった。
 控え室のドアをノックすると、草林秘書官が出て来た。
「タヌキチ隊長、お久しぶりです、どうぞお入り下さい」
 促されて中に入ると、大臣が歩み寄って来て隊長の手を両手でしっかり握った。
「今日の良き日の調印相手が、隊長でわしはうれしい」
「私もです、大臣」
「ささ、お座り下さい」
 大臣は隊長の手をとったままソファまで移動した。
 ソファに座わると大臣は感慨深げに話し出した。
「あなたと初めて会った時は随分失礼な事をしてしまいました。許してください」
「何をおっしゃるんですか。私共こそ、礼儀もわきまえず、突然、窓から入って来て申し訳有りませんでした」
「そうでしたな、しかし今思えば、それも、いい思い出です」
「ほんとにそうですね」
 二人の会話は尽きる事無く続いていったが、調印式の時間は刻々と迫ってきた。
「大臣、式場に行く時間です」
 草林秘書官が告げると、大臣は隊長と並んで式場に向かった。
 式場では、各国の大使やブンブク星の隊長達を含め、五千人の来賓が二人の登場を今や遅しと待っていた。
 式場の上手から二人の姿が現れると割れんばかりの拍手が起こった。
 万雷の拍手の中、調印のテーブルに着席すると拍手が止み、一転して厳かな雰囲気になった。咳ひとつする者はなかった。
 調印の書類が隊長の前に置かれると、隊長は右手の人差し指を署名の欄に着けた。
 指を左から右に移動させると文字が現れた。
 その光景を目の当たりにした担当官は、目をぱちくりさせた。
 調印が済むと、大臣と隊長は立ち上がり、固く握手をした。
 再び、拍手の嵐が起こった。
 その後、レセプションに移り、そこでの大臣と隊長の会話も弾んだ。白いシーツを敷いた長テーブルの上に料理が並び、高い天井には豪華なシャンデリアがキラキラと輝いていた。
「隊長、あなたはブンブク星に戻られるのですか」
「茶釜の流通が円滑になるまで、ここに留まります」
「そうですか、ご家族もさびしい思いをされているでしょうな」
「いやいや、それを承知で一緒になっておりますから」
 隊長の顔はワインで少し赤くなっていた。
「ポンタロウ君も隊長と一緒に留まるのですか」
「そうなります」
 隊長は同じテーブルの少し離れた所に座って、楽しそうに歓談しているポンタロウ隊員に目をやった。
「任務とはいえ、ポンタロウ君もご家族に会えないなんて、さびしい事でしょう」
 この言葉を聞いた隊長は、大臣には本当の事を言っておいた方がいいだろうと思った。
(いずれ分かる事だ、先に言っておこう)
「実は、ポンタロウ君には、親、兄弟がいないのです」
 大臣は「えっ」と言うと、鎮痛な顔になった。
「そうでしたか、それは知りませんでした」
「いえ、いいのです」
 隊長は大臣の顔を見ながら穏やかに頷くと話を始めた。
「ポンタロウ君のご両親は星間宇宙船で航行中、ヘリング粒子群と衝突して、亡くなられました」
「ヘリング粒子群ですか?」
「そうです、この粒子は加速粒子で、外宇宙からやって来ます。外宇宙にいるときは光速で移動していますが、我々のいる宇宙に入り込むと加速を続け、光の一兆倍の速度で移動し、また、外宇宙に飛び出して行きます。そして、この粒子が人体を通り抜けた場合、 細胞を蒸発させて命を奪ってしまいます。救助に駆けつけた時は乗組員全員が死亡していたそうです」
「全員死亡とはお気の毒です。その粒子群が地球にやってこない事を祈らねばなりませんな」
「それは大丈夫です、地球の磁場や大気が守ってくれます。ですから大臣、地球を大切にして下さい」
「そうでしたか、地球は我々を守ってくれているのですか。そんな事もわからず、我々は地球を傷つけていたんですな」
 話の最中に、少し離れたテーブルで騒ぎが起こり始めた。
 どうしたのかと目をやると、ブンブク星の隊長たちが、一人の隊長を押さえ込もうとしていた。
「どうしたんだ」
 シガラキ艦長が血相を変えてやって来た。
「ソマ隊長が酔っ払って、腹鼓(はらつづみ)を打とうとしています」
 押さえ込んだ隊長の一人が言うと、各国の大使は爆笑した。
「腹鼓くらい良いではないですか」
 大臣が寛容に言うと、隊長はとんでもないという顔をした。
 体重百キロを超えるソマ隊長が腹鼓を打てばどうなるか目に見えていた。
「大臣、彼が腹鼓を打てば、衝撃波が起こり、この建物は崩壊してしまいます」
「なんですと」
 大臣はぎょっとしてソマ隊長を見たが、彼は酔っ払って寝てしまっていた。
 若干のハプニングを起こしながらもレセプションは終了し、大臣に別れの挨拶をしたタヌキチ隊長はポンタロウ隊員と共に会場の外に出た。
「隊長、無事に任務が果たせてよかったですね」
 調印の書類を携えたポンタロウ隊員はニコニコ顔だった。
「そうだな、紆余曲折(うよきょくせつ)はあったが、これで平和な交易が出来るようになる。みんなのおかげだ。さあ戻ろうか」
「はい」
 二人は小型宇宙艇に乗り込むと、母艦に戻って行った。

                                    (完)

ブンブク星人

ブンブク星人

  • 小説
  • 長編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-08-10

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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