短編


それは横に倒された梯子であるのだけれど、当時を憶えている人が誰一人として居なくなった今になってもなお、朽ちることなく、こうしてしっかりと橋の代わりを務めてくれている。そこに流れる水の流れに乗って、スイスイと進む蒸気船が一日に数回、往復する交通手段を得てから、何十年と経った今もそれは変わらない。だから誰も、何も言わない。見上げれば目に入る、日常に溶け込んだ光景に改めて申し立てる言葉がない。あって当たり前の長い橋。そこを渡る彼女の日課も、だから同じ評価を受ける。白い服に輝く髪、どちらも等しく風になびく。塩の香りがする追いかけっこに、すっかり馴れた僕の後ろで鳴るシャッター音は、僕たちの時間を留めてくれる、優しい人の技術。飛んで行ったりしないハンチング帽に、口元を覆うお髭が分かりやすく動いてくれるから、その感情を学ぶことが出来た。彼女も僕も、好きな瞬間が増えていった。その一つひとつを繋げるようになっていった。お下がりの物を着た姿の僕は今、新しい踊りを披露して、囃し立てる彼女の手拍子に合わせてアレンジを加える。何十段目かにあたる、梯子の何十段目か先にあるステップの上で見渡す世界は、広くて、涼しくて、眩しい。彼女の服と同じ色で、彼女のそれより長い羽根を、袖のように動かして、先を進む群れの数羽が興味をもって、そこに留まる。
黄色い嘴は上下に動く。何を言おうとしているのか、それぞれの答えを当てはめて、点数を付け合うゲームが始まる。最後尾から発せられるイメージには、僕も彼女も、一点を与えないわけにはいかない。素敵な表現に値する、僕と彼女からの贈り物、そして僕らに返ってくる有難い思い出。梯子の上でこうして遊ぶ、長い長い年月。
どうして、どうやってかけたのだろう、は僕らに分かる事であり続ける。蓋を閉じた懐中時計より、本棚に戻した日記より、頁から剥がした写真より、語り明かす一夜より。
明るく輝く彼女の髪が、梯子の軽い軋みと遊ぶ。軽いシャッター音の背景には、白い魚みたいな形の雲に、後ろ姿の僕が重なる。それを撮る人の姿がそこにはない。それを解き明かす務めを果たす。
長い長い、年月の先。

短編

短編

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-06-09

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