Fate/defective c.04
第4章
………………。
「おはよう、目は覚めたかな。今日も良い日だよ。……うん。バイタル値は正常、脈拍、心拍、確認。瞳孔反応、確認。気分はどう?わからない?なるほど。寝起きで頭がはっきりしないのと同じだね。大丈夫、いつも通りすぐに慣れるさ。
……ところで、起き抜けに急で悪いんだけど、君に頼みがある。僕もね、できるならこんなことになりたくなかったんだけど……まあ、仕方ない。同胞の尻拭いに付き合わせてしまって悪いね。
なに? ああ、気にしてない、と。ありがとう。全く、君にもう少し人間らしい感情があったなら……僕も君を手放さなくて済んだのだけど。まあ、それはいい。大事なものを放り出すのは僕だけじゃないんだから。そこは、妥協というやつだ。
そういうわけで、君にはこれから日本の東京へ行ってもらう。そこで起きてる聖杯戦争の監督役を務めてほしいんだ。……ああ、そうだ。負傷したマスターの保護、魔術の隠蔽、色々と大変だけど…容量のいい君なら大丈夫さ。
ただ、もし……もし、予想しうる最悪の事態になったら、の話だけど……その時は君に持たせた『とっておき』を使ってほしい。大丈夫、もし察しのいい奴が現れても『とっておき』は奪われないよう、色々と細工をしておいたから。
ああ。ありがとう。こちらこそ助かる。
では行っておいで、私の可愛い娘よ。無事に帰ってくることを願っているよ」
三日月は空高く昇っていた。
もうすぐ日付が変わる頃合いだ。バーサーカーが現れてから小一時間、剣と弓矢での攻防が続いていたが、進展はない。剣で相手のナイフを弾き飛ばし、幾本の矢を放っても、すぐに代わりの武器で攻撃を跳ね返される。これという決定打がないのだ。
アーチャーはただひたすらに向こう側のビルに向かって矢を放ち続けている。私の指示を待つでもなく射ているが、狙っているのはバーサーカーだけのようだ。
先ほど私に向かって啖呵を切った娘、セイバーのマスターは時折魔術を使ってセイバーの後援をしている。だがそれも時間の問題だろう。
「状況、あまり良くないワ。アーチャー、隙を見て引けるかしら?」
「不可能でしょうね。こちらが攻撃をやめれば、相手はすぐにこちらに狙いを変えるでしょう。おそらく、狂化のぶん相手の方が足は速い。逃げても追いつかれます」
「ナルホド。これではセイバーと戦っている場合ではなさそうネ。せめて、相手が宝具の真価を発揮してくれれば、少しは有利になるのでショウけど」
勝利の剣、レーヴァテイン。さっきは結界で防ぐことができたが、あれはまだ半分の力も無いと私は踏んでいる。おそらく剣の「持ち主が正しく賢いならば、剣はひとりでに戦い必勝をもたらす」という性質が、そのまま英霊とマスターの関係に引き継がれているのだろう。あの少女はまだ、あの剣と英霊の本当の力を引き出すほどの信頼を、彼らに寄せていないということだ。
とは言っても、こちらの宝具に自信が無いわけではない。むしろ取るに足りる。命中すればその動きすら拘束する神威の矢、一条一穿。私が憧れ、遥か故郷から遠く望んだ日本の「武士」の心意気。それでも迂闊に放てないのは、もし外したらどうなるか分からないからだ。
私はまだ様子を見ることにした。とりあえずセイバーの撃破は後だ。今は何としてもバーサーカーを討たなければならない。私の好奇心がなりを潜めるほどの殺気を放つ彼を、再び野放しにしては何が起こるか分からない。
「……ッ!」
結界の盾とバーサーカーのナイフが激しく拮抗した。押し負ける、と思った瞬間、バーサーカーの横腹をめがけてセイバーが飛び込む。すんでのところで相手にかわされた。身を翻した隙を狙ってセイバーの剣が敵に向かって突き出されるが、バーサーカーはそれを難なく弾き返した。
埒があかない。合間を縫うように向こう側からアーチャーの矢が届いても、弾かれるか、避けられるかのどちらかだ。これが狂戦士の戦い方とは思えない。暗殺者の如く狡猾で、剣士のように重く、全てにおいて軽やか。そもそも人語を解する時点で狂化はかなり弱いものだと分かってはいたが、ただただ困惑する。
このままでは、どちらかが先に魔力切れを起こして殺されるのではないか……そんな恐怖がマスターの頭をよぎった。少女の足は慣れない戦闘でふらつき、さっき宝具を放ったせいもあって魔力が足りないのも感じていた。
何か……何か打開策を考えないと。
「マスター!」
セイバーの叫び声がして、ふと我にかえると、足場がなかった。
「あ」
しまった、踏み外した。
思った瞬間にはもう遅かった。体が落下を始める。
眼下には、遥かに遠い地面が広がっていて。
悲鳴も出ず、なすすべなく目を閉じたその時、バサリ、と衣擦れの音がして、体がふわりと何かに包まれた。
温かい……何だ?
「全く、肝が冷えるよ、アリアナ」
すぐ近くでセイバーの声がした。
「ワオ、アーチャー!ワタシもアレやりたいワ!」
向こう側のビルからマスターが落ちたところをセイバーが抱きとめたのを見て、カガリは満面の笑みでアーチャーに言った。アーチャーはため息をついて答える。
「別にやってもいいですけど。僕の方が若干体が小さいので、落下の衝撃の半分くらいはあなたに行きますよ。必然的に不安定なバランスになるので、間違えて地面に落っことしても文句言わないでくださいね?」
「ンー、現実は厳しいネ…」
カガリは眉尻を下げた。やはりこのマスターは、これくらい表情が人間らしい方が似合う。
「それで、どうします?バーサーカーはセイバー陣営を追って地上に降りましたが。助太刀の必要は……」
「その必要は無いわ。アレを見て」
言われて地上に視線を降ろすと、セイバー陣営とバーサーカーに向かってひとつの人影が走ってくる。ちょうどバーサーカーの背後をとる、気配を全く感じられない動き……暗殺者のサーヴァントか。
「ふふ、恩とは売っておくものネ!」
「なるほど。カガリの気の迷いが役に立ちましたね」
「イーエ!アレは気の迷いなんかじゃ無いってば!……あ」
カガリが動きを止めた。視線は地上に釘付けになっている。釣られて目をやると、アサシンがバーサーカーに奇襲をかけたところだった。
鉄色の仮面がひび割れ、砕け散る。
その下から現れたのは、ゆるやかに流れる短い赤髪と、青年の整った顔立ちだった。
「………」
隣でカガリが僅かに息を飲んだのがわかる。そして、微かな声で呟いた。
「……アレ、は。アレは、そうなのですね」
「カガリ、何か心当たりでも?」
彼女は珍しく表情を消してあのバーサーカーから目を離さなかった。と思ったら、つとアーチャーに目を戻す。
「アーチャー、帰宅するワ。調べたいコトが出来ました」
「……御意」
カガリが何かをし始めたら、いかなる障害も彼女の行く手を阻むことはできない。アーチャーは黙ってカガリの体を抱きあげた。
彼女は突然のアーチャーの行動にあわあわと動揺する。
「え!? アーチャー、何ですか!?」
「こちらの方が速いので、失礼。振り落とされないでくださいね」
カガリはしばらく唖然としていたが、やがて満面の笑みでアーチャーの首に抱きついた。
「ああ!なんて素敵なのかしら、ワタシのアーチャー!ワタシ、頑張るワ!」
「はいはい」
アーチャーは気恥ずかしいのを悟られないようにわざと素っ気ない返事で誤魔化した。夜更けの街を、人知れず走るために。
赤髪の青年は割れた仮面の破片を踏みつけ、砕いた。額にはアサシンの一撃で与えられた痣がある。それでもなお、彼は涼やかな顔で夜の路面に立っていた。
「なるほど。弓兵への恩返しのつもりか? ならお粗末なものだ。彼らはたった今、あなた達を置いて逃げ去りましたよ」
セイバーの隣に並んで、アサシンは答えた。
「構わぬとも。かつての拙者達も、そうしたのだから」
それから、セイバーの方に向き直って礼をする。
「セイバークラスのサーヴァントとお見受けした。此度のみ、拙者との共闘を許されよ」
「僕は構わないとも。相手はマスター殺しのはぐれサーヴァント。味方は多いほうが良いからね」
セイバーは静かに言った。バーサーカーは動き出す気配がない。その隙を見て、セイバーは尋ねる。
「ところで、アサシンのマスターは?」
「……今宵は居ません。危険なので、拠点の結界の中で待機を」
「なるほど」
赤髪のバーサーカーが数歩、二人に向かって歩み寄った。黒く長いマントが夜風にたなびく。
「お喋りはもういいかな?」
ぞっとするほど冷たい顔色と声で、彼は問うた。仮面をつけていた方が温かみがあるくらいだ。
「僕にはわからないな。どんな悲劇があったら、君のような恐ろしいものに成れるのか」
セイバーは剣を構えた。ごくわずかな街明かりが、その剣を鈍く光らせる。アサシンも刀を抜いた。
二振りの剣に狙われてもなお、バーサーカーは飄々としている。
「ああ、君のような幸福に浸りきった愚か者には、わからないだろう。―――分かられてたまるものか」
彼はまだ動かない。だが隙があるわけではない。殺気はどんどん濃くなっていき、辺りの空気をピリピリと震わせるように思える。
「人に愛されなかった人の悲しみが。人に救われなかった人の嘆きが。そしてそれらを甘んじて受け入れる人の尊さが。単に目の前の人間を溺愛し、護ることしかできない君たちには、僕の考えなど、永遠に理解できないだろう。だが、それでも……いや、それだからこそ」
「お前達は、あの人のためにここで死ね。――――『騎英の手綱』!」
ありえない、と思った。
アリアナは少し離れたところから彼らの戦いを見ていたが、バーサーカーの放った宝具の名前を聞いて身の毛のよだつような思いがした。
ありえない。なぜ。あれは、あの宝具は、彼ではなく、別の英霊のもののはずだ。
アリアナの脳裏に、数限りない両親の記憶が蘇る。かつて、聖杯戦争のために、お父さんとお母さんが召喚した英霊。今でも覚えている。長く美しい髪、すらりとした体躯、穏やかな瞳。お姫さまみたい、と言うと不思議な笑みを浮かべていた彼女。どこか悲しげで、それでも両親のために戦いに赴き、―――殺された、あの英霊。
忘れもしない。その真名は、メドゥーサ。
「なんで……あれは…誰なの、メドゥーサ!あの宝具を使えるのは、あのひとだけのはずなのに!」
「あなたはあの英霊を知らないのですね。セイバーのマスター、アリアナ・アッカーソン」
背後で幼い声がした。振り向くと、長袖の白いワンピースを着た見知らぬ少女が立っている。
アリアナは訝しげに眉をひそめた。
「あんた…誰?聖杯戦争に何のかかわりがあるわけ?危ないから下がって…」
「わたしはこの聖杯戦争の監督役。エマ・ノッド」
少女は名乗った。陶器のような白い肌に、こぼれるような黒髪が胸のあたりまで垂れている。エマはただバーサーカーの方を見据えていた。
「なるほど、状況は把握しました。到着が遅れたことを謝罪します。……しかしこちらも予想外の事態だったので。あの英霊が狂化に応じるとは、確かに魔術協会も狼狽えるというわけですね」
「あんた、さっきからブツブツ何言って……」
エマは瑪瑙のように赤い瞳をアリアナに向けた。その眼にはおよそ感情らしい感情が見当たらない。
「あなたは、かつて聖堂教会が起こした聖杯戦争をご存知ですか?」
アリアナはむっとした。知らないことを指摘されるのは、彼女にとって不快でしかないことなのだ。
「……さあ」
「この戦争はただの聖杯戦争ではありません。だから、父に言われてわたしが来ました」
「『最悪の事態』が起こる前に、わたしたちで片を付けましょう」
Fate/defective c.04
to be continued.