夜明けが一番哀しい 新宿物語
夜明けが一番哀しい 新宿物語
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むろん、ピンキーに免許証などのあるはずがない。それでも彼の運転に関する腕は確かなものだった。酒に酔ったまま百キロのスピードでも平気で出した。なんどガードレールや街路樹にぶっつけたか知れなかった。それでも身のこなしの軽い彼は、いつもかすり傷をつくるぐらいで大きな怪我はしなかった。
「あんた、レーサーになるといいよ」
安子が言った時、
「チェッ、あんなもん、なりたくなんかねえよ」
ピンキーは口の端をゆがめて言った。
十九歳のピンキーには夢などなかった。彼の夢は十七歳の時に消えていた。
高校一年生の彼は、一歳年上の牧本順子という女性に恋をした。牧本順子も"うえだ"の仲間達が、ピンキーとあだ名するほどにピンク色をした肌の、色白の少年に好意を寄せて、二人は下校時や休日などにひそかに会う時を楽しむようになっていた。
二人の恋に水を差したのは、ピンキーの母親だった。母親は一人息子が牧本順子と交際しているのを知ると、その交際をやめるようにと、学校を通して順子の母親に申し入れた。
牧本順子はピンキーの母親に、自分が息子を誘惑する不良少女だと一方的に言い触らされて、気分を損ねた。今までのように素直な気持ちで、ピンキーに会う事が出来なくなった。順子はピンキーを避けるようになった。
ピンキーはだが、そんな経緯は何一つ知らなかった。それで、単純に牧本順子の心変わりだと誤解して、ある日、下校途中の順子を待ち伏せると、果物ナイフで彼女を刺した。
牧本順子の腹部の傷は重傷だった。それでも命に係わる事のなかったのが、なによりもの幸いだった。ピンキーは鑑別所送りになった。順子の心変わりの真相を知ったのは、あとになってからだった。
ピンキーは以来、母親を憎むようになっていた。彼の放浪生活が始まった。
ピンキーは二十年に足りない自分の人生が、よく理解出来なかった。自分の過去が、まるで夢か幻でもあるかのように、取り留めもなく頭に浮かんで来るだけで、これまで生きて来た歳月の確かな手応えがつかめなかった。
幼い頃のピンキーは母親が好きだった。母の美しさが子供心にも自慢だった。中学生までのピンキーは、母親の愛情をうるさいと思った事は一度もなかった。牧本順子に恋をして初めて、母親が自分にそそぐ溺愛とも言える愛情をうるさく感じた。 恋にめざめたピンキーには、いつまでも自分を幼児あつかいする母親が我慢出来なくなっていた。ハンカチ一枚の持ち物にまでうるさく干渉して来る母親にいら立ってピンキーはある日、母親に反抗的な言葉を投げつけた。
「うるさいな! いちいち、そんな事言われなくたって、分かってるよ」
母親は初めて聞く息子の乱暴な言葉遣いに度を失った。三日も続く心臓の痛みに襲われた。
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