恋するりんご~プロローグ~
「おまたせしました、ディンブラでございます」
「ありがとう」
声に出してハッキリと、「ありがとう」を言ってくれる人は案外少ない。一番多いのは、うなずいてくれる人で、まったく無反応という人もまれにいる。いつからだろう、毎回「ありがとう」を忘れない彼女のことを、僕はいいなと思っていた。
彼女の正面に紅茶セットをサーブし、テーブルの端にそっと伝票を置くと、もう僕がそこに居る理由はなくなってしまう。
「ごゆっくりお召し上がりください」
軽く頭をさげてテーブルを離れる。彼女がティーポットを持ち上げる気配を背中で感じながら。
運が良ければお会計のときにまた声を聞くことができるけれど、いつもはここで終わり。いつもであれば終わりなんだけれど……、今日の僕にはまだドキドキが残っている。
今日は恋のおまじないをかけたのだ。どうか僕に気付いてくださいと。
頻繁に顔を出してくれるお客さんの好みは段々と覚えてしまう。彼女はコーヒーも紅茶も、どちらも好きなようだ。いつもシュガーポットとミルクピッチャーをお出しするけれど、コーヒーのときは砂糖だけしか使わない。紅茶にも砂糖は入れる。一杯目を必ずストレートで飲んだ後、二杯目にはミルクをたっぷりと注いで飲むのが、彼女の紅茶の飲み方だった。きっと今日の紅茶もそうやって楽しむのだろう。
僕がカウンターに戻ると、ちょうど彼女はシュガーポットにフタをしたところだった。あと少し。おまじないは効いてくれるだろうか。
2匙、砂糖をカップに入れた彼女は、シュガーポットにフタをのせた。静かにソーサーの上のスプーンを取り、左手をふわっと取っ手に添えて、オレンジ色の液体をかき回す。ゆっくりとした手の動きが、僕には永遠に続くかのように思えた。あと少し。カップを手にした彼女は気が付いてくれるだろうか。
なんの装飾も施されていない真っ白なカップとソーサー。いつものカップとソーサーだけれど、今日は恋のおまじないがかけてある。ソーサーの中央に、今日はマジックで小さな赤いりんごを描いた。遠目にはニコちゃんマークにも見えるそれに、彼女は気が付いてくれるだろうか。
魔法のりんごよ、どうか彼女に魔法をかけて。彼女が僕の気持ちに気が付いてくれるように。
彼女は右手を取っ手にかけて、くるりとカップを回転させる。気が付いてくれるだろうか。「あれ?」って、笑ってくれるだろうか。もうすぐおまじないが発動する時を迎える。
どうかりんごよ、魔法をかけて。彼女は気が付いてくれるだろうか。ドキドキが大きくなって僕の心臓は今にも取れてしまいそうだ。
(了)
© 2015 Chiyoko Munakata
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