Fate/defective c.02
第2章
「……なるほど、冬木のスウェイン派が英霊召喚の後に本部全滅、ね」
男はそう言って束のコピー用紙をバサバサとめくり、豪奢な装飾の施された机の上に放り捨てた。その正面では、部下と思わしき若い男が無表情で立っている。
時計塔の研究室でも特に奥にある隠れた一室、その部屋の中で先ほど言葉を発した男が立ち上がった。糊のきいたシャツに、艶やかなベストとスーツ。胸元には数々の宝石。いかにも英国の魔術師といった紳士は、しかしその美しい眉間に皺を寄せて苛々としていた。
「全く呆れさせられる。スウェイン派とは昔から気が合わなかったが、英霊召喚で全滅とはね。大方、聖杯を作って聖杯戦争でも仕掛けるつもりだったのだろう。7騎の英霊を以って誰よりも早く『根源』に到達する……という筋書きのつもりか。いやはや、最初の英霊召喚で作戦は水泡に帰したようだが」
「ええ。貴方のご推察の通り。より自陣の戦力になるバーサーカーを召喚し、謀反にあったのでしょう。マスターもろとも本部は全滅。聖杯は行方不明です」
紳士はギロッと目だけで若い男を睨んだ。
「何?……聖杯の行方は不明だと?」
男は蛇に睨まれた蛙のように身を竦めた。それからしどろもどろに答える。
「ええ、ええ……。既に6人のマスターと7体のサーヴァントが聖杯戦争を……」
「なぜ先にそれを言わない、ノッド!」
紳士が美しい机に筋張った手のひらを激しく叩きつけた。
「あのスウェイン派がまともな聖杯を作れるほどの技術を擁していたはずがない!既に冬木で完成し、日本で聖杯戦争が始まっているならば……実に、実に危険だ。あんな歪んだ聖杯に7騎の英霊の魔力を注いでみろ。蜂の巣に熱湯をかけるようなものだ!」
その時、部屋の分厚いドアがノックもなしに開けられた。すぐ後に目を白黒させた魔術師が飛び込んでくる。
「ブロードベンド、大変だ!日本の東京付近で聖杯戦争が始まっている!」
「ええい今その話をしていたのだ、ビューブは黙っていろ!」
「それが、日本の支部からの情報によると、あのバーサーカーの真名が……」
ブロードベンドと呼ばれた紳士はそれを聞いた瞬間、顔を青白くして動きを止めた。
「そ、そんなことが……そんな恐ろしい話があってたまるか……」
ブロードベンドは喉から絞り出すような声でそう言った。
様々な嗜好品の並ぶ部屋に、3人の男が樹木のように立ち尽くす。振り子時計の針の音だけが、控えめに、規則正しく響き続けた。
長い沈黙が降りる。
「……決めた。私は何も聞かなかったことにする。スウェイン派と私たちは何の関係もない。彼奴らの失敗の後始末をする義理もなし」
ブロードベンドは苦渋の表情でため息を吐いた。深々と椅子に腰掛け、煙草に火をつける。
「じゃあ、あの聖杯の回収は?あれは放っておけば、最悪な事態を引き起こすぞ」
ビューブが詰め寄る。ブロードベンドは忌々しそうに煙草の煙を吐いた。
「我らがブロードベンド派は日本の東京に監督役を派遣する。ノッド、ビューブ、1人適役を用意しろ。我々に出来るのはそれだけだ」
「だが、それではあまりにも……」
「間違っても普通の人間を送り込むな。私が言いたいことがわかるかね、ノッド君。私の地下室に『とっておき』がある。そいつを持たせておけ。それ以上の事は出来ん」
2人の魔術師はハッとしたような表情になり、顔を見合わせた。それからブロードベンドに向き直り、敬礼をする。
「了解、ブロードベンドの名にかけて」
……ピ、ピピ、ピピピ、ピピピ……。
無機質なデジタル時計のアラームが、午前七時の自室に鳴り響いた。僕はのそのそとベッドから這い出て、少し離れたところにおいてあるアラームを止める。
僕はたまに寝ぼけてアラームを止めた後寝こけてしまうことがあるので、こうして対策を取っているのだが……今日は緊張もあってか、すぐに意識ははっきりとしてきた。半開きのカーテンから漏れる朝日が眩しい。眼鏡をかけ、しばらく床の上でぼうっとした後、いつもの服――とはいってもシャツとカーディガンだが――を着る。シャツのボタンを留めているとき、右手の甲に赤く光る文様が見えて、昨日のことが思い出され僕の胸はまた緊張で高鳴り始めた。指先が冷たくなり始める。自分の判断が正しかったのかどうかはまだ分からない。落ち着け、深呼吸をした時、突然背後でドアが開いた。
「なぁマスター、これって着ていいか?」
跳ね上がった肩をゆっくり降ろし、僕はため息をついた。
「……部屋に入るときはノックをしてくれ」
「おう、すまねぇな、次から気を付ける。おはようさん、マスター」
「うん、おはよう」
彼――僕より頭一つ分大きい、紫紺の髪を三つ編みにした彼が、どこから持ってきたのか僕のタートルネックを持ってドアの入り口に立っている。
「それ古いやつだけど……着たいなら着てもいいよ。ずっと実体化してるつもり?」
「ああ、あんたの魔力量に気を付けながらな。いざというとき戦えるくらいには温存しとくから心配しないでくれ。外の様子も知りたいしな」
「そうか……」
実際のところ少し不安だったけど、彼がそういうなら仕方ない。表情が硬いままの僕に比べて、彼は陽気だ。ご機嫌な様子でタートルネックの袖に腕を通しながらリビングの方へ向かう。
「ああ、朝飯作ったんだけど食うか?」
「え……作ったの!?」
「サーヴァントってのは要は使い魔だろ?それくらい任せろって」
慌てて着替えてリビングに向かうと、いつも一人で暮らしているからと乱雑に散らかっていたテーブルの上が整理され、本当に一人分の朝食が用意されている。コーヒーにトースト、目玉焼き。コーヒーの入ったマグカップを持ち上げると、その水面に僕が映った。中性的で、女みたいな顔。その顔は固く、どことなく緊張している。
「心配すんなって。毒槍使いだからってマスターのコーヒーに毒は盛らねえから」
「あ、いや……」
そういえば彼はランサーだった。召喚してすぐ伝えられた真名はほとんど無名と言っていいほど認知度の低いものだったけど、時計塔の魔術師である僕はかろうじて知っていた。
僕はランサーの顔を見る。ランサーもこちらを見ている。首をかしげたランサーの両の耳元で、触媒として使った三角錐のピアスが光った。
「……やっぱりまだ俺のこと警戒してるのか?」
ランサーが少し眉を下げて残念そうに言うから、僕は慌ててコーヒーに口を付ける。
「えと…い、いただきます」
「おう!」
窓の外で蕾のままの桜が枝をなびかせた。始まりから数えて二日目――その朝が幕を開ける。
「ねえ、本当にこんなところでいいの?」
どうしても日本の街を歩きたいというので、僕は近所の桜並木に彼を案内したのだが……。薄曇りの下の並木は、予想通り花ひとつ咲かせていない。
空っぽの枝ばかりの並木の下で、彼は興味深そうにあたりを見回している。今日は3月22日、平日だ。人はまばらで、行きかう人々も桜の木になんて目も向けない。
「ああ、俺は別に花は咲いても咲いてなくてもいいと思ってたからな」
「ふうん…」
ランサーは頭に引っかかった枝を見つめてみたり、道端の猫にかまってみたり、いろいろと忙しそうだ。まるで小さな子供みたいだなぁ、と、僕はただ彼に歩調を合わせて並木の下を歩いていた。
並木が終わるとその向こうは木々の生い茂る公園だ。その公園と並木の狭間まで来たとき、ランサーが口を開いた。
「なぁ、あの絵ってマスターが描いたのか?」
「絵?」
あっ、と声を上げた。たちまち頬が熱を持つのがわかる。ランサーが言っているのは、自分の部屋に置いてあった数々のキャンパスのことに違いない。普段片付け癖のない自分を呪う。
「そ、そうだけど……」
「やっぱりか!絵、好きなのか?あんなにしまいこんでないで、誰かに見せれば…」
「それは無理だ!……下手すぎるし、あんなの見たって誰も楽しくないだろう…」
「そうか?今まで誰にも見せてこなかったのか」
「誰も見ようとしなかったから…」
ランサーは少し目を見開いて僕の顔を見た。しばらくののち「ふうん」と生返事をする。
「ところで、まだ聞いてなかったんだが」
彼の表情が一変した。
「マスターは聖杯に何を望む?」
真剣な表情。僕はその顔に射すくめられたような気がして、しばらく言葉が出なかった。
「……笑わないで、聞いてくれる?」
彼の碧玉とルビーのような不思議な色の瞳はしっかりと僕を見据えていた。彼が笑うわけがない、と思った。彼はきっと、人の望みを嗤ったりするような英霊ではない。
「人に、関心の目を向けられたい。自分が生きた証拠を残したい。ただそれだけなんだ」
ランサーの青とも赤ともつかぬ瞳がかすかに揺れた。桜の木がざわざわと揺れる。花のない枝。誰も目を向けることなどない枝たち。
それはほんの一瞬だったのだろうが、僕には限りなく長い時間に思える沈黙の後、ランサーは目元をふっとゆるめた。
「マスター。…御代、佑と言ったな。俺はあんたの望みを成就すべく戦おう。ケルトの魔槍使い、―――ケルトハル・マク・ウテヒルの名に懸けて」
「は。白昼堂々、真名を口にするなんてね」
低い声がして、はっと公園の方を振り向いた。声の主が木々の向こうからこちらへ歩いてくる。黒いパーカーのフードで顔を見ることはできないが、その頬から顎にかけてをおぞましいほどの火傷痕が覆っていて、体のいたるところに真新しい包帯が巻かれている。見たところ、若い男だが傷は相当古いもののようだ。
「あんた、誰だ。名を名乗れ」
ケルトハルが身構える。僕も、彼の後ろに控えるただならぬ魔力――サーヴァントの気配を感じとって、足に力を込めた。
「そう身構えるなよ。神秘の秘匿のため、戦闘は夜間が原則……そうだろう?ライダー」
「……ええ、マスター」
黒い服の少年の背後から、凛々しい目をした少女が現れる。毛先が鮮血のような赤に染まった金髪、深緑の上着と帽子、春の風にたなびく白いスカート。分厚い厚底のブーツ。
あれは完全に武装している姿だろう。ライダーと呼ばれた少女は物憂げな眼で僕ら二人を見つめた。
「僕は天陵那次。ライダーのマスターだ。……真名を口にするときは周囲に気を付けた方がいい、紫紺のランサー」
「はは、昼間だろうと喧嘩なら買うぜ?そこの嬢ちゃんがどれくらいのもんか、小手調べと行こうじゃねえか」
ケルトハルが一歩前に出る。瞬きのうちに、彼も本来の姿で武装していた。黒いローブに銀の手甲、左手はしっかりと濃紫の槍を握り、その穂先はゆらゆらとうごめく紫水を纏っている。僕も召喚以来見る、彼の本当の姿だ。
「機が熟すのを待てない奴はきっとすぐに死んでしまうさ。それがお前だ、ランサー」
黒服のマスターは挑発的にそう言い放った。
「ライダー、相手をしてやれ」
白緑のライダーは少し不満げな顔をしたが、一歩前に出た。
「殺しはしません……那次。私はあなたの目的にいまだに賛同できません。それなのに命を奪うのは、不条理です」
「ハッ、大口叩いた割には突けば崩れるような主従関係だ。いいぜ、俺の魔槍で一突きしてやる」
そう言い終わらないうちに、ケルトハルはひとっ跳びでライダーとの間合いを一気に詰めた。僕は思わず彼を呼び止めそうになったが、すんでのところで息を呑む。
これが聖杯戦争だ。戦わずには聖杯を勝ち取れない。ケルトハルは僕のために戦うと言ってくれたのだから、それに水を差すようなことはしてはいけない。
ライダーは襲い掛かる槍をしっかりと見据えている。
二人の唇が同時に動いた。
「私の数奇な運命よ。私の呪われた玉座よ――今ここに落ちよ!」
「咲き、描き、乱舞する―――」
「『望まぬ王冠の行方』――!!」
「『燃え盛れ、鮮血の魔槍』―――!!」
ライダーの手には巨大に輝く斧。ケルトハルの手には燃え盛る槍。
白昼の路地に二つの武器が交差する―――
「はーいそこまで!いったい何を考えているのかしら、あなたたち!」
ライダーの宝具とケルトハルの宝具がぶつかり合う、という寸前で高らかに声が響いた。
行き場を失った魔力が一気に解き放たれ、並木と公園の木々を激しく揺さぶる。僕は思わず腕で顔をかばった。
風がやんだとき、目の前にいたのは――
煙草を咥えた白衣の女と、鮮やかなピンク色の髪の少女だった。
Fate/defective c.02
to be continue.