ミキ

彼女は、わたしが記憶する中で、一番最初に出来た友だちである。

 つい先日。
 用事があって叔母と出かけた際に、わたし達が乗る車の反対車線を、猫が横切った。目で追うので精いっぱいな、素早い動きだった。猫は道路を渡りきると、おそらく自動車を扱う工場のフェンスの隙間に滑りこんだ。

 フェンスの向こうに、猫が姿を消した瞬間、乗用車が、猫の居た場所を通り過ぎた。あとすこし遅ければ、黒いタイヤにぶつかっていたかもしれない。
 自他共に認める猫好きのわたしと叔母は、バックミラーを確認しながら、よかったね、危なかったね、と、名も知らぬ猫の心配半分、慌てた自分たちの心を慰め半分で、しきりに同じ言葉を繰り返した。カーブを曲がると、フェンスの向こうに消えた猫の姿は見えなくなった。あの道路の隅に猫がいたことなど、わたしたち以外、誰も知らないだろう。

 道路を横切った猫は、灰色の縞模様で、アメリカンショートヘアに似ていた。
 鼻が黒く、目はフクロウのように真ん丸で、虹彩の色が濃く、オレンジ色に近かった気がする。手足のがっしりした体格からして、たぶんオス猫だ。彼はなぜあんなところにいたのだろう。轢かれてしまうのに。野良にしては毛並みがよかったから、どこかで餌をもらっているのか。半野良だったら、もうすこし警戒心を持ったほうがいいだろう。

 知らない猫の姿を思い出していると、わたしの頭には必ず、最初の友だちの姿が現れる。長い尾を丸め、こたつの敷布の上で喉を鳴らしながら、金色の目でこちらを見上げている。

 彼女の名はミキといった。
 由来は分からない。名付け親は、母だと聞いている。ミキという名前は知っていたが、幼いわたしは"ミーちゃん"、"ミー"と呼んでいた。
 わたしが生を受けたときから、彼女は実家に暮らしていた。大人しく、賢く、海苔が好きな、灰色と白のメス猫は、避妊手術を施していたため、子供はいなかった。既に、10歳を超えていたミキは、わたしにとって初めての友だちであり、良き遊び相手であり、猫という生き物を教えてくれた、唯一の存在だ。

 母から聞くに、わたしは生まれた頃から、ミキと一緒だった。生まれたばかりの記憶がないのでなんとも言えないが、とにかく一緒だったらしい。
 動物は、時として、生まれたばかりの赤ん坊には、種族の垣根を越えた優しさを見せる。テレビでたまに見る、人間の赤ん坊に尾を掴まれたり、耳や髭を引っ張られても、怒らない犬猫が、思い浮かべやすいだろうか。

 赤ん坊のわたしのそばに、ミキは寄り添い、眠っていた。
 尾を掴まれても、決して怒ったりはせず、じっと耐えていたらしい。猫は暖かな場所と、涼しい場所を見つけるのが得意だ。体温の高い子どものそばにいると暖をとれるから、わたしのそばにくっついていたのだろう。
 ハイハイや、もうすこしして、歩き回れるくらいまでわたしが成長しても、彼女はわたしのそばにいた。いや、その頃にはもう、わたしが彼女のそばにいた。追いかけまわしては、柔らかな毛におおわれた頭や背を撫でていた。うるさい、よく分からない生き物に追いかけ回されて、彼女はいい迷惑だったろうに、やはり引っかいたり噛みついたりといったことはしなかった。たいそう、忍耐強い猫だった。


 一度だけ、忍耐強い彼女を怒らせたことがある。わたしがはっきりと思い出せる、一番古い記憶だ。

 こたつの敷布が薄かったから、おそらく5~6月の初夏の午前、当時幼稚園に通うわたしは、こたつに足を突っ込みテレビを見ていた。テレビでは女の子が可愛らしい魔女に変身するアニメが放送されていた。当時のわたしのお気に入りだった。毎週休みになると、かかさず、テレビの前に座った。
 例にもれずそのときも、魔法のステッキやひらひらとした服を夢中になって見つめていた。お気に入りのキャラクターを目で追いながら、足はこたつの中にいるミキの腹を撫でていた。今でも、指の間に触れる毛や、腹の感触がはっきり思い出せる。背中や頭を覆う毛より、腹の毛は長くやわらかだった。

 生き物を飼ったことがある人や、一度でも触れ合ったことがある人ならば、知っていると思う。腹は、生き物にとって急所だ。

 ミキも例外ではない。ぐにぐにと己の腹を圧迫する無礼な足に、堪忍袋の緒が切れたとばかりに、彼女はわたしの足に爪をたてた。コタツの中から突然聞こえた「シャーッ」と言う鋭い音と、突然襲ってきた痛みに、わたしは飛びあがった。慌てて足を引っ込めて確認すると、右足(たぶん)の親指の付け根から足の甲にかけて、赤い線が二本、綺麗に走っていた。

 足を引っ込めたわたしは、こたつの敷布をめくる。中を覗き込むと、温い薄闇の中に、ふたつの目玉が光っていた。怒れるミキの目だ。テレビからは、アニメのエンディングが終わり、次回予告らしいことが聞こえていたが、内容は思い出せない。
 怒ったミキをはじめて見た衝撃はすさまじく、わたしは黙って見ていることしかできなかった。毛を逆立てている彼女に手を伸ばしたら、噛まれるかもしれない。でもまた触りたいし、仲直りがしたい。頭の中で、沢山の考えが浮かんだ。

 迷ったあげく、わたしはこたつの敷布をおろすと、台所に向かった。まだ改装する前、昭和の雰囲気を色濃く残した台所に置いてあるプラスチックの収納棚の、左列、一番上をあける。ほんだしの箱やお茶漬けの袋に混じって、ジップロックがしまってある。
 ジップロックの中には、海苔がはいっていた。
 わざと、かさかさという音を立てる。ミキは耳が良い。どんな場所にいても、大声で呼ぶと姿を現す彼女は、海苔の音につられ、わたしの足元にやってきた。音もなく足元にやってきた彼女は、わたしの脛に体を擦りよせると、「にゃあ」と鳴いた。もう怒ってないから、それよりそれをくださいな、と金色の目が言っているようだった。
 わたしは、母に見つからないよう、海苔の切れ端を取り出し、彼女の口もとへもっていく。ざりざりとした舌が指に触れたとき、わたしはジップロックを床に置いて、小さな頭に手を置いた。彼女は、ちらりとわたしを見上げたあと、何も言わずに、前足で顔を洗った。じくじくとする足の甲の傷など、どこかへ飛んでいってしまった。



 彼女を怒らせたのは、後にも先にもこれだけだ。
 その年の冬、ミキがどれだけ呼んでも帰ってこない日が続いた。寒いだろうに。どこへ行ったのか。あのときの焦りと寂しさ、底の見えない不安は成人した今でも、嫌なものとして頭にこびりついている。相手の名前を呼んでも、姿が見えない景色が広がっているというのは空しい。

 年が明ける前だったと思う。
 寒い朝、母がわたしを呼んだ。なにを言われたか覚えていない。ただ、布団から抜け出して母に連れられ、玄関から靴を履いて外に行くと、手洗い場の側で、ミキが横たわっていた。実家の前は道路だ。交通量も、それなりに多い。「車にはねられたけれど、ミーちゃん、お家まで、帰ってきたんだよ」と、説明する母の横で、わたしは彼女を見ていた。死体は、綺麗だった。幼い頃のわたしが、ショックで都合のいいように、記憶の中の死体を綺麗なものにしているかもしれないから、実際は、もっと悲惨な状態だったかもしれない。

 どちらにせよ、ミキはもう動かなかった。手足を投げ出し、涼しいところで寝そべるような恰好で、コンクリートの上に横たわっていた。動かないミキをみたわたしは三日三晩、泣いたらしい。このあたりの記憶は曖昧で、次にはっきりと覚えているのは、庭に生えている樫の木の下に、キャットフードとお線香を供えた記憶だからだ。

 成人し、生活の中で何度か死というものに触れた今だからこそ分かるが、幼いわたしは、漠然と、彼女は死なないと思っていた。
 外で遊ぶのが好きな猫だったから、危険を理解して、道路を走る車にだって、ちゃんと気を付けて帰ってくるから、大丈夫だと思っていた。交通事故を起こす人間にだって完璧に出来やしないのに、どうして一匹のメス猫に出来ようか。

 あのとき、外に出していなければ。
 後悔してもミキは戻ってこない。していれば、していたら、というのは、現在のわたしを慰めるための、決して叶わぬ希望でしかない。叶わぬ希望だと分かっているからこそ、ひと時だけの慰めになる。慰めに透かして、目の前にある今を見つめなおすことが出来る。ミキは、後悔との付き合いかたも、ちょっとだけ教えてくれた。

 ミキが教えてくれたのは、それだけではない。
 膝の上に乗る彼女の重みは、わたしが初めて経験した、自分以外の生き物の重みだった。他の生き物とコミュニケーションをとったり、世話をして、共に生きていくことは、とても難しいことだと、木や屋根の上で鳴く彼女が、実践した。眠るときに撫でた頭や背中、薄い三角の尖った耳は、初めて触れた、猫という生き物の感触だった。

 気まぐれで優しく、優美な形をした生き物の虜になるのは、必然だった。
 わたしは猫が大好きだ。
  

 「子供が生まれたら犬を飼うといい」という詩を目にしたことがある。対になるようにして、「子どもが生まれなければ猫を飼えばいい」という詩も目にしたことがある。どちらも、それぞれの特性をよく表現した、すばらしい詩だ。
 猫の詩の一節の中に、「猫は自らの死をもって、あなたの心に猫型の穴をあけるでしょう」という文がある。

 そのとおりだ。

 心に自分の形を残して、彼ら、彼女らは人の前から去ってしまう。友だち、家族、兄弟、あるいは気高い生き物として人間と関係を築いた猫たちは、ろくな別れも告げずに、ある日突然姿を消す。あるいは、命の炎を燃やしつくしてしまう。
 
 猫は気まぐれだ。こちらの心に、自分の形を残しておきながら、いざとなったら風のように去っていく。
 遊んだ記憶も、一緒に眠った記憶もこちらには沢山あるというのに。覚えてませんね、なんて土の中で知らん顔をしながら、記憶の中で、やさしく尾を、足に絡めてくる。頬を擦りよせてくる。叶わぬ希望となった自分の姿で、飼い主にそっと寄り添う。

 現実は、詩のようにうまくいかない。猫の形の穴は、絶対にぴったりとは埋まらない。
 どんなに同じ形をしていようと、一匹として、同じ猫は存在しないからだ。わたしの心は、猫の形をした穴がいくつも開いている。

 穴の向こう側から、彼女は、気まぐれに顔を見せ、喉を鳴らす。こたつの敷布の上で丸まり、子供の手に撫でられながら、金色の目に浮かぶ、縦に細長い瞳孔を丸くする。立派な白い髭をかすかに震わせ、ピンクのすこし湿った鼻を、手のひらに押しつけてくる。
 
 わたしが記憶する中で、一番最初に出来た友だちは、最も気まぐれで、長い間、心の中にいる。

ミキ

ミキ

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-06-02

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