晴れの日の瘡蓋【第九話】
九、ゆめからさめたゆめ
1
せっかくの夏休みの想い出作りも、雨に邪魔されてしまった。
ファミレスには何時間くらいいたのだろうか。何か話も噛み合っていなかったし、最低の一日だった。
サクラと二人きりならもっと話が弾んでいただろう。
何で真木瀬を誘ったのか未だにわからない。
あの時は真木瀬の事を嫌ってはいなかったけど、どう考えてもあの場所にヤツの存在は不要だった。
私はプチ女子旅行がしたかったんだ。
それを全く解ってくれていなかった。
この時私は真木瀬云々よりサクラに対してイラついていた。
雨は酷くなる一方だった。
何かをしようとすると、決まって雨が降る。
多分私は雨女なんだろう。
ふて寝しようとベッドにダイブしたら、「ニャアー!」という叫びとともに、アマナツが布団の中から飛び出して来た。
彼はかなり驚いた様子で、体を震わせながら私を威嚇している。
そんな彼を抱きしめようと手を伸ばしたら、思い切り引っ掻かれてしまった。
父が軒下で見つけて来た子猫は、〝アマナツ〟と名付けられた。
うちにやって来たときの弱々しい彼の姿からは想像もつかないほどに、ヤンチャに育ちつつあった。
なぜ〝アマナツ〟という名前になったのかは不明。
名付けたのが誰かということもわからない。
威嚇してくるくせに私のベッドから離れようとしない。何て図々しいヤツだ。
多分私のことが好きなんじゃなくて、私のベッドを愛してやまないのだろう。
ベッドに近付こうとすると毛を逆立てながら、さらに威嚇する。
「もう!わかったって。あんたのベッドに入って悪かったよ。」
私は彼にそう言って部屋を出た。
部屋を出たところでサクラから着信があった。
「もしもし?」
「あ、マコト。私家の鍵落としちゃったみたい。今日お父さん出張で帰って来ないし、どうしよう・・・・。」
「ええ?また?前にもそういう事あったよね。」
「え?ウソ?落としたの初めてだよ。」
「初めてじゃないよ!小学校の時に落としたって言ってうちに泊まった事あったよ。」
「あ・・・」
急に無言になった。
「とにかくうちにおいで。」
サクラは「ありがとう。」と呟いて電話を切った。
電話口の彼女の声は少し震えていた。小学校の時の話をすると急に顔を強張らせることや、声を震わせることがあった。
理由は解っていた。多分彼女のお母さんとの嫌な思い出をフラッシュバックさせていたのだろう。
アマナツに部屋を追い出された私は、とりあえずおじいちゃんの書斎に身を寄せた。
古い時計は止まることなく時を刻み続けている。寝っ転がるとすべての物音が伝わってきた。
雨は少しおさまったみたいだ。
時折強い風が窓を叩く。
色んなことを考えすぎて疲れてしまった。
やっぱりおじいちゃんの部屋は居心地が良い。
いつのまにか眠りに落ちてしまった。
夢を見た。
砂浜でアマナツと追いかけっこをしてる夢だった。
小さなシッポをフリフリさせながら走る。
私はそれを捕まえようと必死に追いかける。
いつしかその姿がサクラになっていった。
サクラの手を掴む。振り返る彼女。
抱き寄せるとまたアマナツに変わった。
私は彼をギュっと抱きしめたあとにおでこにキスをした。
生暖かい風が吹く。
風がヒューという音とともに窓を叩きながら駆け抜けた。
その音に起こされる。
何やら気配を感じる。
気配の方に目をやると、そこにサクラが眠っていた。
薄暗い部屋の中、外から街灯の柔らかな光を受け入れ、彼女の顔はほんのりとクリーム色に染まっていた。
彼女も疲れていたんだろう。私が寝ているのを見て、そのまま寝落ちした感じだ。
うたた寝じゃなく本格的に眠っている様子だった。
眠り姫という言葉がぴったりハマるくらい美しい寝顔だ。
それは言葉では言い表せない様な、とても幻想的な風景だった。
まるでまだ眠りの中にいるような感覚だった。
手を握る。
冷たい手から温かさが伝わる。
間違いなく現実だ。
いや、本当に現実だったのだろうか。
夢から醒めた夢。まだ夢は続いている。
私はこの時、普通じゃあり得ない行動をとってしまった。
唇を重ねる。
まるで吸い込まれるようだった。
中宮寺で見た菩薩像の時みたいに引き込まれる。
不思議と恐怖心や羞恥心は無く、ごく自然に行為は行われた。
良いとか悪いとかもわからない。
なるべくしてこうなってしまったような気がした。
ふと我に返る。
急に自分のしていることの重大に気が付き、咄嗟に彼女から離れた。
心臓が口から飛び出しそうなほどドキドキしている。呼吸が止まりそうだった。
彼女が目覚めていないのを確認すると、今度は恥ずかしさでいっぱいになった。
こんな形でファーストキスをするなんて。
しかも相手は女の子で親友だ。
サクラの初めてをも奪ってしまったのだ。
それを思うと猛烈な罪悪感に襲われた。
どうか神様、サクラがこの事に一生気付きませんように。
只々祈るばかりだ。
私は少し、いや、かなりオカシイのかも知れない。
こんな気分になること自体どうかしている。
いや、きっと寝ぼけていたんだろう。
アマナツにキスする夢を見た後だったからに違いない。
そうであって欲しい。
2
私がマスターのお店でバイトし始めてからというもの、サクラと真木瀬は頻繁に店を訪れるようになった。
奥さんに案内されていつもの席に二人向かい合って座る。
私とおじいちゃんがよく座っていた席だ。
奥さんはサクラと真木瀬のことを楽しそうに眺めていた。
正直、私は二人のことを目障りに思っていた。
私は仕事をしているのに二人は何だか楽しそうにしている。まるでデートをしているカップルみたいだった。
私のことを気に掛けている様子は全く無かった。
真木瀬がいなければ、もっとサクラと話が出来るのに。何かいつも嫌な気分にさせられた。
何度も邪魔してやりたい気分になった。
今思えばこの時に二人の間に無理矢理でも割って入っていればよかったと思う。そうするべきだった。
なのに私は二人の関係に見て見ぬフリを決め込んでしまった。
今でも後悔している。
いや、サクラと真木瀬を会わせてしまったのは私だ。
悔やんでも悔やみきれない。
気にしないフリをするのがこんなにも悔しいことだとは思いもしなかった。
何でこんな感情が湧いてくるのだろう。
真木瀬が私を無視して親友と仲良くしてるから?
サクラが私を置いて私のクラスメイトと仲良くしてるから?
親友を盗られると思ったから?
真木瀬のことが好きだったから?
もうあの頃に戻れないってわかってしまったから?
サクラに友情とは別の感情があったから?
何が当てはまるのか、まるで検討がつかなかった。
ただ、この時ハッキリしていたのは、フツフツと湧き上がった憎しみに似た感情だった。
心のどこかで二人の関係がグチャグチャに壊れてしまうことを願っていた。
だから、あの日戸惑い涙するサクラを見て少しだけ良い気分になったのだろう。
真木瀬を完璧な悪者にすることが出来たのだから。
晴れの日の瘡蓋【第九話】