たしなめる

 説教はするのもされるのも嫌いだ。
 何が嫌かといえば、「あなたのためを思って」という名目で自分のフラストレーションを発散するという欺瞞。おまけに長い。
 熱心な先生、と呼ばれる教師にはただの説教好きが混じっている。私の中学校時代の担任の一人はこのタイプで、本人は真剣に学園ドラマ的なクラス作りを目指していたと思う。だから、誰かが問題を起こした時の説教はもちろん、ホームルームの話もやたらと長かった。
 他のクラスはもう終わってるのに、と上の空で聞いていたので、内容はほとんど憶えていない。しかしまあ、彼の熱意に罪はない。ちなみにこの担任については後年、通りすがりの相手との暴力沙汰で新聞に載るという形で消息を知った。相変わらず熱い人だったか、と納得した。

 説教は学校だけで終わらない。社会に出ればそこではまた指導と教育が待っている。
 以前の同僚に、やたらと説教が好きな女性がいた。四十代の中堅どころで、教育者の家庭に育った正義感の強いタイプである。
 基本的に親切な人だから、出入りの業者さんの帰り際など、「お気をつけて!」と優しい言葉を忘れない。そしてそんな彼女だからこそ、至らない後輩は徹底的に教育し、矯正しないと気が済まない。
 後輩が何かやらかすと、彼女の指導者マインドに火がつき、そこから説教タイムが始まる。短くても五分や十分はざらだ。そして後輩とはいえ中途採用の同年配、おまけに簡単に己の非を認めない相手となると、説教はさらに長引く。
 その内容は基本的に正論だ。しかし長い。気がつけば一時間近く説教している時もある。私が彼女の上司なら「いつまでも説教してないで仕事しろ」と注意するところだが、実際の上司は見て見ぬふり。いや多分、下手に関わって逆恨みされたくないのだ。正義は我にあり、と信じている人間は手ごわい。
 私は説教など何の役にも立たないと思っている。素直な人なら時間をかけて説教せずとも、改善すべき点を指摘すればすぐに改まる。延々と続く説教を耐えられる人というのは、はなからその内容を聞いて受け入れる気などない。ただ終わるのを待っているだけだ。説教を聞かせるだけで人間の質が向上するなら、難関校を目指す予備校のカリキュラムに「説教」が取り入れられてよさそうなものだし。
 しかし説教が不要であろうと、仕事の上で、常識の範囲からずれている事は注意する必要はある。客先への電話で社内の人間を「山田さん」と敬称つきで連呼していたり、複数枚のFAXにページ数を入れなかったり。だが、とある友人は「私はそんな事、注意しないよ」と言った。
「だって、細かいこと言ってうっとうしいとか思われたら面倒だもの。だから若い子が何やっても、黙っておくの」
 そんな意見もあるのかと、私は少し驚いた。こういう事を指摘するのは職歴が長い者の責任だと思っていたのだが、友人に言わせると私は「親切」らしい。
 
 親切、ねえ…ちょっと違うんじゃないの、と思っていた矢先、別の友人月子さんから電話があった。何やらご立腹の様子である。
「この間、出張に行ったのよ。電車が出るまで少し時間があったから、駅の喫煙コーナーで一服しようと思ったの。
 今やスモーカーってすごく肩身が狭くてね、喫煙コーナーも駅前の端の端、薄暗い場所にあるのよ。で、コンビニでコーヒー買って、煙草に火をつけて、一息ついてたわけ。そしたらホームレスの男の人が来たのね。四十代って感じかしら。
 他には誰もいなかったんだけど、その人、私に向かって普通に「一本下さい」って言うのよ。まあ、煙草一本ぐらいどうって事ないし、どうぞって差し上げて、ライターも貸してあげたのね。そしたらその人「おばさん、ありがとう」って言ったのよ。どう思う?」
 私も月子さんの年齢をはっきりと知っているわけではないが、たぶん六十前後。世間的には「おばさん」と呼ばれても不思議のない年齢ではある。
「もう私、腹が立って。あなたね、煙草をもらっておいて私のこと「おばさん」呼ばわりするって、それちょっと失礼じゃないの!ってたしなめたのよ。そしたらホームレスさんも、あわわ、ってなっちゃって、「す、すいません、お姉さん」とか言い直してさあ、本当に失礼よねえ。そう思わない?」
 私はすぐには返事できなかった。彼女の行動に笑いが止まらなかったからだ。
 自分はスモーカーではないが、もし月子さんと同じ状況になったら、ホームレス氏が近づいて来た段階でさりげなくその場を離れる。彼に何の非があるわけでもないが、そういう人との接触はできるだけ避けておこうという、一方的な警戒心である。
 ところが月子さんは彼に乞われるまま煙草を与え、しかも「おばさん」呼ばわりに説教までしている。いや、これは説教でなはく、れっきとした「愛の鞭」だ。
 彼女にたしなめられた事でホームレス氏は己の非を悟っただろうし、この経験は彼の今後に生かされるかもしれない。
 月子さんのような人こそ、分け隔てをしない、本当に親切な人なのだと思う。


 

たしなめる

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説教するの、好きですか?

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-05-31

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