日々を記す。
私という人間
私という人間は少々気難しい性分の持ち主のようで、常に人様の眼という眼を気にして生まれて、二十を数えますが、恋人というものが出来た事がなく、そもそも恋愛には無縁の人生を送っているので御座います。
近頃、この性分と色恋の無さを恥ずかしく、また片やこの羞恥を肩にぶら下げ半ば諦めの気持ちで空を阿呆面で眺めているので次第で御座います。
苦笑いをしたくなりますが、離れに住む親は、私の不甲斐なさやだらし無さを一切解ってはいないのです。何故なら久しぶりの再会の際は私は普段より一回り背伸びして見せる為です。4つ年の離れた兄とは私は似て異なるものと親も私もその時は思うからで御座います。しかし足先から頭の先までそれほどあの人とは大差ありません。
また私は自身の限界というものを弁えず、飛び込んで行くことが多いように思われます。これまでは其れが吉と出ていましたが、この頃は雲行きが怪しくなって来たと感じております。
学業と小遣い稼ぎが両方とも身に入っておりません。片方を気にし目の前を疎かにしております。頭は常に彼等全てを投げ出して、学業に専念したいと言うのが本音です。しかし春先に始めたもの、早々と辞めるのはとても気が引けますし、自分勝手だと承知しております。短くても半年は継続したいと思う次第で御座います。
学業に専念したいのも、公務員になる為で御座います。本来は私は絵描きになりたいのです。しかし親を説得できる自信も何も私は持ち合わせておりません。不甲斐ないとはこの事ですよ。また誰彼構わず諦めず頑張れとはとても他人行儀で無責任な言葉と思われます。親が指差す方向へ、それが現実的で理想的な事で至極真っ当な事なのです。
しかし、私は微かな抵抗と題を打ってこうして文章をたらたら書くので御座います。私は無様に現実を避けようとしています。だらし無いとはこの事ですよ。
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