オオカミさん、気をつけて

 ダーン、という激しい音とともに木製のドアが蹴破られ、ごついS&Wのマグナム拳銃を持ったオオカミが室内に押し入って来た。薄汚れたデニムのズボンに、元は白かったであろうTシャツを着ている。灰色の毛に覆われた顔面に、二つの目だけがギラギラと光って見えた。オオカミは毛むくじゃらの両手で拳銃を構えたまま、素早く左右に体を振って室内を確認すると、奥に向かって咆哮した。
「いるのはわかってるんだ。両手を上げて、大人しく出てきやがれ!」
 反応がないことにイラ立ち、オオカミは大きく裂けた口から牙をむきだした。
「おれはあんまり忍耐強くねえんだ。早くしねえと、あたり構わずブッ放すぞ!」
「わかった。撃つな。今出て行く」
 奥のソファーの後ろから、先が二つに割れた短い手を上げて出てきたのは、野ブタ三兄弟の次男、風次郎だった。でっぷり太った体に、仕立てのいい背広を着ている。
 オオカミは、ピタリと銃口を風次郎に向けた。
「出たな、悪徳高利貸しめ。おまえから借りた金が返せずに、おれの仲間のケモノたちが、もう何匹も自己破産の憂き目にあってるんだ。覚悟しやがれ」
 だが、風次郎は怯える様子もなく、ブブブと上を向いた鼻で笑った。
「金は、借りたら返すものだ。それも、ちゃんと利子を付けてな。あんたは高利と言うが、うちの金利はきっちり法律の範囲内だよ」
「うるせえ。法律なんぞ知ったことか。おれは、DFL(ダークファンタジーランド)の世直しをしてるんだ。借金はすべて棒引きにしろ!」
 風次郎はウブ毛の生えた顔をゆがめた。
「無茶を言うな。それじゃ、商売あがったりだ。そういえば、あんた、武太郎兄貴の農場へ行って、農産物を全部無農薬にしろと言ったらしいな。そんなことしたら、農家は全滅だよ。兄貴がイヤだと言ったら、文化財に指定されているワラぶき屋根の家を、メチャクチャに壊したらしいじゃないか。あんたの世直しは、逆にDFLを悪くするだけだよ」
「黙れ、悪党!」
 耳をつんざくような轟音が響いた。だが、マグナム拳銃の銃弾が貫通したのは、部屋の天井だった。先の尖った耳を押えてうずくまった風次郎に、オオカミは再び銃口を向けた。
「いいか、次はないぞ。おれに同じことを言わせるんじゃねえ。借金を棒引きにするんだ!」
「わ、わかったよ。借用書はすべてそこの金庫の中だ。カギを渡すから、勝手に持って行ってくれ」
 そう言って机の引き出しを開けようとした風次郎に、オオカミは「動くな!」と命じた。
「どうせ引き出しの中に護身用の拳銃があるか、防犯用のブザーがあるか、どっちかだろう。両手を上げたまま、後ろに下がりやがれ」
 渋々机から離れた風次郎と入れ替わりに、オオカミが引き出しの中を覗くと、案の定、ワルサーの小型拳銃と防犯ブザーの両方があった。オオカミは念のためワルサーをズボンのポケットに落とし込むと、金庫のカギを出して引き出しを閉めた。さらに、オオカミは拳銃で威嚇しながら風次郎の手足をまとめて縛ると、そのまま奥のソファーの上に転がした。
「動くんじゃねえぞ。痛い目にあいたくなかったら、金庫のダイヤル番号を言え」
 風次郎はあきらめたようにブーと鼻を鳴らし、「四一二六だ」と告げた。
 ダイヤルを回し、カギを差し込むと、カチャリと小さな音をたてて金庫の扉が開いた。ニヤリと笑ったオオカミは、借用書だけでなく、中に入っている現金や貴金属もすべて奪った。
「おいおい。あんた、本気で世直しをするつもりがあるのか」
 あきれたように言う風次郎に、オオカミは牙をむきだして笑って見せた。
「本気だとも。世直しには金がかかるんだ。それより、不動産屋の三男坊の住所を教えろ」
「やっぱり、卯三郎のところにも行くのか」
「もちろんだ。あいつの紹介した欠陥住宅で、ヒドイ目にあったヤツが大勢いるんだ。あいつの宅建業免許を燃やしてやるぜ!」

 そのころ、卯三郎の不動産事務所のあるレンガ造りのビルには、珍しい客が来ていた。フード付きの真っ赤なレザーコートを着た、若い人間の女だった。女は勧められたイスには座らず、壁を背にして立っていた。スラリと背が高く、美貌だが、表情にやや険がある。
 三兄弟の中でも一番の巨漢である卯三郎は、女の正面にあるマホガニーのデスクに座っていた。ワイシャツのボタンが今にも弾け飛びそうだ。面倒くさそうに女から渡された名刺を見ていたが、「ほう」とつぶやいた。
「よろず始末屋『赤ずきん本舗』か。聞いたことはあるよ。で、その始末屋がわしに何の用だね」
「オオカミが来るわ」
 それだけ言うと、女はまた黙った。
「だろうな。武太郎兄貴のところで、弟二人もやっつけるとほざいたらしい。案外、今ごろ風次郎兄貴がやられているかもしれないよ」
「やけに落ち着いてるじゃないの」
「まあ、このビルの防犯設備は鉄壁だからな。あいつが蹴ろうが殴ろうが、ビクともするもんじゃない。その間に、わしが警察に通報して、あいつは御用さ」
 自信たっぷりにブブブと鼻を鳴らす卯三郎に、女は冷たい視線を向けた。
「確かに、建物は立派よ。でも、中に住んでるブタはどうかしら」
 卯三郎は露骨にイヤな顔をした。
「面と向かってブタと言うんじゃない。社長と呼べ」
 女の顔に皮肉な笑みが浮かんだ。
「じゃあ、ブタ社長。あんた、古ダヌキの市長に、賄賂をつかませてるそうじゃないの」
 卯三郎の顔色が、サッと青ざめた。
「バカなことを言うな。根も葉もないウワサだ。だが、まあ、万が一、そうだとしても、それがオオカミの話と何の関係がある」
 女は腕組みをし、卯三郎を睨んだ。
「オオカミはその証拠を握っているらしいの。だから、どんなにこのビルが頑丈でも、あんたは自分からドアを開けざるを得ないわ。そして、オオカミを中に入れたが最後、あんたは……」
 卯三郎は急に不安そうになり、ソワソワと左右を見た。
「わしは、どうすりゃいい」
 女はニコリと笑った。
「だから、あたしが来たのよ。さあ、どう。あたしに始末を任せる気はない?」
 卯三郎は疑わしそうに目を細め、女の体を上から下まで見た。
「おまえに、あのオオカミが倒せる、とでも言うのか」
 組んでいた腕をほどき、右手をヒジから直角に立てると、女の指先にキラリと光るものが現れた。そのまま腕を振ると、光るものはビュッと空を切って卯三郎の頭上を飛び越え、カツンと音をたてて後ろの壁に突き刺さった。手のひらに隠れるぐらいの大きさの、刀子と呼ばれる武器である。
 突然の出来事に、卯三郎は目を白黒させている。
「な、何をするんだ!」
「心配しなくても大丈夫よ。あたしがオオカミを恐れていないことを見せたかっただけ。でも、あたしの本当の武器はここよ」
 そう言うと、女は人差し指で自分の頭の横をトントンと叩いて見せた。
 卯三郎は、恐ろしいものを見るように、改めて女の顔に目を向けた。
「おまえは、いったい何者なんだ」
 女は不敵な笑みを浮かべた。
「もちろん、あたしが赤ずきんよ」

 夕闇が迫るころ、オオカミは卯三郎のビルにやって来た。頑丈な鉄製の扉の前に立つと、オオカミはニタリと笑い、インターフォンに向かってささやくような声で告げた。
「ここを開けやがれ、ブタ野郎。さもなきゃ、おまえが困ることになるぜ」
 軋むような音をたてて、扉が左右に開いた。自動扉のようだ。
 オオカミは、拳銃の形にふくらんだポケットを軽く撫で、左右を見回してから中に入った。
「いいか、おかしなマネをするんじゃねえぞ」
 オオカミの声が聞こえているはずなのに、返事がない。
「ふん、ビビッてやがるのか」
 恐らく、多少は感じているであろう漠然とした不安を、オオカミは相手の方が怯えているのだと自分に言い聞かせているようだ。
「まあ、念のためだ」
 言い訳がましくつぶやくと、オオカミはポケットから拳銃を出した。マグナム拳銃ではなく、風次郎から奪ったワルサーだ。繁華街に近いため、銃声が響くことを懸念したのであろう。
 オオカミは慎重に階段をのぼり、卯三郎の事務所がある二階に上がった。正面のドアに『ワイルドピッグ不動産』と表示が出ている。
「いるんだろう、入るぜ」
 すると、中から「どうぞ」と返事があった。思ったよりカン高い声だ。
 オオカミは体をズラしてドアの横に立ち、片手でノブを回して開けると、室内からは死角になる位置で数秒待ってから、半身だけ出して中の様子をうかがった。
 正面のマホガニーのデスクに誰か座っていた。顔の半分を覆うマスクをし、耳まで隠れる大きな帽子をかぶっている。
「そんなに怖がらなくても、何もしないよ。わしが卯三郎だ」
 オオカミは鼻の上に小じわを寄せ、クンクンと嗅いだ。
「なんだか、いい匂いがするぜ」
「わしは汗っかきなので、しょっちゅうシャワーを浴びて、コロンをつけているんだよ」
 オオカミは、ますます疑わしそうに目を細めた。
「ウワサじゃ、とてつもないデブだと聞いたが、見たところ随分やせてるな」
「大金を出してインストラクターを雇い、ダイエットした結果だよ」
 オオカミは全身を室内に出すと、ワルサーの銃口をピタリと相手に向けた。
「おまえ、欲に目のくらんだ悪徳不動産屋にしちゃ、きれいな目をしてるじゃねえか」
「それは、悪いヤツらの魂胆を見抜くためさ!」
 帽子を取るとパサリと長い髪が流れ落ち、マスクを外すと美しい女の顔が現れた。もちろん、赤ずきんである。
 だが、オオカミは一向に動揺した様子もなく、銃口を向けたまま、牙をむきだしてあざ笑った。
「とんだ正義の味方の登場だな、え、おい。おまえのような人間の小娘に、いったい何ができる。さあ、両手をあげて、前に出て来やがれ」
 そのままスタスタと前に出て来た赤ずきんに、オオカミはチッと舌打ちをした。
「聞こえねえのか。手をあげろと言ってるんだ」
 ニッコリ笑って手をあげるフリをしながら、赤ずきんはアンダースローで刀子を投じた。それはあやまたず、ワルサーの銃口にカツンと食い込んだ。
「そのまま撃ったら銃身が破裂して、あんたは大ケガよ。刀子を振り落とそうと銃口を逸らしたら、次の刀子を急所に投げるわ。さあ、あんたの持っているという、ブタ社長がタヌキ市長に賄賂を渡した一部始終を録音したヴォイスレコーダーを、あたしに渡すのよ」
「くそっ。仕方ねえな」
 オオカミはポケットからレコーダーを出すと、赤ずきんに向けて放り投げた。その刹那、オオカミは刀子を振り落とし、すぐに銃口を赤ずきんに向けた。が、引鉄を引くことはできなかった。銃を握っている手の甲に、グサリと刀子が突き刺さっていたのだ。
「いてててっ!」
 オオカミが投げたレコーダーは、赤ずきんの足元に落ちていた。それが陽動であると見抜いて、完全に無視したのだ。
「今度は、本当に急所に刺すわよ。大人しく銃を捨てなさい」
「ふん、わかったよ」
 オオカミが捨てた銃を蹴飛ばすと、ようやく赤ずきんはレコーダーを拾った。
「念のため、再生してみるわ」
 流れてきた音声は、卯三郎が便宜をはかってもらった見返りに、タヌキ市長に賄賂を渡している現場であった。
「もう、それぐらいでいいだろう」
 そう言って、たまらずに奥の部屋から出てきたのは卯三郎本人であった。
「とりあえず、そのレコーダーをわしに渡せ。そしたらすぐに警察を呼ぶからな」
 だが、赤ずきんは笑顔で首を振った。
「このズル賢いオオカミが、コピーを取ってないわけがないじゃない」
 卯三郎はオオカミの方に向き直った。
「そ、そうなのか?」
 オオカミは牙を見せて笑ったが、すぐに「痛っ」と顔をしかめた。
 卯三郎は再び赤ずきんの方を見た。
「乗りかかった舟と言うじゃないか。そのコピーも取り返してくれ。もちろん、謝礼は倍出そう」
 赤ずきんは、尚も笑顔で首を振った。
「残念ね。約束はここまでよ。ああ、それから謝礼の件だけど、このヴォイスレコーダーでいいわ」
「えっ、どういう意味だ?」
「これを、とても欲しがってる週刊誌の記者がいるの。お金はそっちからもらうわ」
 卯三郎は口をアングリと開け、「そんな、そんな」と繰り返すばかり。
 事態の急変に目を丸くしているオオカミに、赤ずきんはニコリと笑って見せた。
「いいこと。世直しというのは、こういう風にやるのよ。じゃあね、オオカミさん」
 赤ずきんは窓を開け、細いロープを結んだ刀子を向かい側の街路樹に投げると、ロープにつかまって窓の外に飛び出し、そのまま闇の中に消えて行った。
(おわり)

オオカミさん、気をつけて

オオカミさん、気をつけて

ダーン、という激しい音とともに木製のドアが蹴破られ、ごついS&Wのマグナム拳銃を持ったオオカミが室内に押し入って来た。薄汚れたデニムのズボンに、元は白かったであろうTシャツを着ている。灰色の毛に覆われた顔面に、二つの目だけがギラギラと光って......

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  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-05-22

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