スケープゴート・エスケープ
tacica『GOAT』をイメージして書きました。
歌詞の引用はしておりません。
今回は異世界チックです。
スケープゴート・エスケープ
外の世界は、どんなに広くて大きいんだろう。
なにもないって聞いたけど、いったいどんな世界なんだろう。
私がどんなに叫んでも、うるさいなんて言われないかな。
こんな狭い場所、早く出ていきたい。
私の主は、この広い屋敷を管理している立派な人間。何をしているのかよくわからない。周りのみんなは「素晴らしい」「立派だ」と褒めて、尊敬している。
でも、私にとっては、ただのエロおやじだ。
主は、美人や可愛いコに対してすぐに手が出る。尻、腹、背中をなでるのは当たり前、たまに鼻先にキスをしてきたり、腹や胸に顔を埋めてくる。普段は優しく、思いやりある言葉をかけるけど、時には子供のようにワガママで手荒になる。
「たまに乱暴なところはあるけれど、それも仕方がないわ。主は色々と抱えているものがあるのだから、ああいう形でしか発散できないのよ」
慣れているのか諦めているのか、私の仲間はそんなことを言う。
この前、私の仲間が、主に組み敷かれていた。私はいち早く止めに入った。でも、「そんなことしなくていいわよ」となぜか仲間に笑われた。
別の日、主は無理矢理、別の仲間の腹をなで回し、胸に顔を埋めていた。仲間は明らかに嫌がっている。そのときはさすがに駄目だと思って、私は止めるため主に飛びついた。すぐに払いのけられるけど、私は何度も主にしがみつく。
「やめて!お願いだからやめて!!」
でも、主がやめることはなくて、払いのけた私に向かって怒って言った。
「黙れ!この嫉妬深いメスが!!」
嫉妬…?あんたみたいなやつに嫉妬なんかしないし!!
ブチ切れた私は思わず、主の腕に飛びついてそのまま噛みついた。痛がる叫び声が私の耳にキーンと響いた。
それからのことはよく覚えてない。殴られ蹴られ、ムチでたたかれたかもしれない。そして雨が降る中、庭に投げ出され。
誰か来るかもしれないと思ったけど、雨が強いから、誰も来なかった。
もう嫌だ。もう無理だ。やってられない。
雨がやんで晴れてきたら、私はボンヤリしながら、足を引きずって庭を移動した。
こんな所、出てってやる。屋敷の外は、広くて大きな世界なんだ。どうせ死ぬなら、そこで死にたい。
セキュリティとか、厳しいかもしれない。でも、塀の隙間から外へ、私はすんなりと抜け出すことができた。
しばらく頑張って進んでたけど、だんだん疲れてきた。頭の中がもっとボンヤリしていく。
体の力が抜けて、私はそのまま地面に倒れた。
気が付いたとき目に入ったのは、広くて大きな空。鼻で感じるのは、乾いた風のにおい。
体はダルいけど、体は痛くなくて、頭が何だか暖かなものに包まれている気がした。頭を動かしてみると、白い毛が見える。
「気が付きましたか」
声が耳に入る。声のした方を見ると、私を見つめるヤギの顔。
「え!?ヤギ!?」
驚いて、私は跳び起きた。
「もう元気そうですね」
優しそうな声が軽く響く。
「え、今、誰?」
誰がしゃべったの?私は耳を澄ませる。風の音がゴーっと響く。辺りを見回しても、ヤギ以外しゃべりそうなものは何もない。
「誰もなにも、ここには僕しかいません」
優しそうな声がまた響く。私はヤギの目を見つめる。
「え、あなたが…?」
「ええ、僕が」
「あなた、話せるの?私の言葉もわかるの?」
彼は確かにこう答えた。
「ええ。僕は神に選ばれた者ですから」
か、神…?
私は何も返せず、あっけにとられた。
***
わけがわからないまま、私はヤギの話を聞いた。
ヤギは、もともと人の多い集落で飼われていて、でもある日「神に選ばれ」て、この荒野をひとりで歩くことになったそうだ。
「神に選ばれるってどういうこと?」
「僕は『神のキセキ』という不思議な力を使えるんです。君の傷を治したときのように」
荒野を歩いていたときに、倒れていた私を見つけたヤギは私を背負って移動して、「神のキセキ」で傷を治した。言われてみると確かに、体は全然痛くないし、体を見ても傷が残ってない。私は、目の前のヤギがタダモノではないとは感じたけど…
「神に選ばれたのに、ひとりにされたの?なんかおかしくない?」
私がそう言うと、ヤギはひゅっと息を吸った。私は続ける。
「だって、そうなったら普通、周りから大切にされると思う」
「なるほど。君は意外と頭がいいんですね」
ヤギはうなずいた。私は、いきなりホメられてムズムズした。
「でもね。僕は、神に選ばれたからこそ、こうして荒野を歩き、進んでいるんです」
「どういうこと?」
「それが、神から与えられた使命だから」
よくわからない。でも、ヤギの顔は、穏やかだけど輝いて見えた。
「ふーん…でも、そんなあなたが、どうして私なんかを助けたの?」
私が聞くと、ヤギはきょとんとして私の顔を見る。私もきょとんとする。
「え?私、変なこと言った?」
そう言うと、ヤギは私を見つめたまま、考えるように言った。
「君が傷ついていたから、助けたいと思った。ただそれだけ」
ヤギの鼻がフンと鳴る。
「…それだけ?」
「ええ。それだけ」
ヤギのその顔と言葉に、私はまたムズムズした。
傷が治っても、体はまだダルい。私はその夜もヤギと過ごして、そのまま眠った。
とっても嫌な夢を見た。たぶん、屋敷にまだいるころの夢。仲間もいたけれど、私にとってはもう、いたくない場所だった。
なんだかまぶしくて、私はそっと目を開く。目に入ったのは、とても強い光。
広く、大きく広がる地平線から、強い光が見える。
これが太陽。いつもは、建物や木々の隙間からのぞくことしかできなかったけど、私は今、ちゃんと見ている。
私はゆっくりと起きる。近くに大きな岩が転がっている。私はそれによじ登り、てっぺんに立つ。
息をのんだ。外の世界は、こんなに綺麗だったんだ。
風の音しかしない。不思議な風のにおいがする。
すごい。すごいな。
でも、光を見ていたのに、私はさっきの夢をふと思い出してしまった。
「…ざけんな」
口から、言葉がこぼれおちる。私は大きく息を吸った。
「ふざけるな!ばかにすんな!ばーかばーか!私だって、好きに、自由に生きたいんだ!言いたいこと言って、何が悪いんだ!!ふざけんあああああああ…」
そして叫んだ。
もうあんなことは忘れたい。忘れたいから叫ぶ。でもやっぱり忘れられない。こんなに叫んだのは、初めてかもしれない。
私は、昇ってくる太陽に向かって、気がすむまで叫んだ。
***
しばらくの間、私はヤギと一緒に荒野を旅することになった。
ケガが治ったばかりというのはもちろんだけど、ひとりだとどうすればいいかわからないし、ヤギの「神のキセキ」をもっと見たいというのもあった。でも一番の理由は。
「海?」
「ええ。この荒野をずっと行けば、海があると聞きました」
海というものは私も聞いたことがある。屋敷にいたころの私には関係ないと思っていたけど。
「行きたい」
「え?」
「行きたい!」
せっかく外の世界に出ることができたんだ。行けるところにいってみたい。
ヤギは少し困ったような顔をしていたけど、少し考えて、
「なら、一緒に行きましょう」
こう言ってくれた。
「この荒野にはあまり生き物がいないとはいえ、何があるか分かりませんからね。いざというときは『神のキセキ』を使いましょう」
やった。「神のキセキ」も見られそう。
私はワクワクしながら、ヤギと一緒に荒野を進んでいった。
それからというものの。
ヤギのかつての飼い主が学者だった、ということで、ヤギが飼い主から聞いた話を私は色々聞くことになった。
この世界の神について。神とその仲間たちの戦いとか冒険とか友情とか。人間や生き物たちの伝説とか民話とか。
森の生き物の話。海の生き物の話。空の上にあるという、ものすごく大きな世界の話。
本当かどうか信じられない話が多かったけど、私はすごい面白いと思った。
けど私の話は、屋敷の話になるから愚痴っぽくてつまらない。それなのに、ヤギはちゃんと聞いてくれた。だから私もつい話してしまう。
「主に仕えているひとたちはいいひとが多いの。私たちに対してもきちんと接してくれる。そのひとたちは、主は素敵だ、素晴らしい、っていうんだけどね。私も信じたいと思ったけど、でも私にとってはただのエロオヤジで…」
「そうなんですね」
「他の仲間がいやらしいことされてるのを見ると、嫌になる。でもみんなはもう慣れちゃったみたい」
「そうか。君は、とても優しくて、正義感が強いんですね」
「へ?」
ヤギの言葉に、私は思わず変な声が出てしまった。
今、私をホメてた?
聞き直すために耳をそばだてる。
「君はただ単純に主を憎んでいるわけではない。君の仲間が苦しんだり傷ついている姿を見ているから、許さないと思うんだ。だから、傷つけられても立ち向かおうとしている。伝わらなくとも主張しようとする…」
「で、でも、私は仲間を守ろうなんて思ったことないし、それに、私がケガしても、誰も助けてくれなかったし…」
私はふと、あの雨の日を思い出す。ケガをして庭に放り出されても、誰も来なかったあの日。
気が付いたら、私の足が止まっていた。先を進んでいたヤギが引き返して、近寄ってくる。すると、ヤギは私の脇腹に額をくっつけてきた。私は「へっ!?」と思わず飛びのいた。
「ごめんなさい、驚かせてしまって」
ヤギが焦ったように言う。私は首を横に振る。
「君は、優しくて、正義感が強い」
改めて言われて、私の体の中がムズムズした。
「そんな君と出会うことができて、僕はよかったと思います」
「そ、そうデスカ…」
ムズムズして、なんて答えればいいのかわからなかった。
でも、私もヤギと出会えてよかったなと思う。
旅をしている間にトラブルもあった。
小さくて黒い毒虫に刺されてしまった時は寝込みそうになったけど、ヤギの「神のキセキ」で毒を抜いてもらった。
ノドが乾いてカラカラになったときは、「神のキセキ」で雨を降らせて水浴びができた。
腹をすかせた狼に襲われそうになったときは、私がヤギを守りながら、傷つきながらも狼と闘って退治した。
私のお腹がすいた時は、「神のキセキ」で飛んでいた鳥を焼き鳥にして食べた。
ヤギのお腹がすいた時は、私が匂いで食べられそうな草を探し出して、ヤギに分け与えた。
「神のキセキ」のおかげで、私たちは先へ進むことができた。
昼は話をしながら歩みを進め。
夜は互いに寄り添いながら眠りにつき。
私は、ずっとこのふたり旅が続くのだろうと思ってた。
でも、少しずつ、私の中で何かが変わっている、そんな感じもしていた。
***
だんだん、生き物の気配も感じなくなって、植物も枯れているものばかりで、何もない景色が続くようになった。
雲一つなく、この荒野では隠れる場所もなく、日差しが照り付けてくる。なでるような乾いた風が吹いている。
「おなかすいた」
私は思わずつぶやいた。ただ、思わず言ってしまっただけ。でも、ヤギがビクッと反応しているのを感じた。
生き物とかいれば「神のキセキ」で食べることができるだろうけど、最近はそれもできていない。
ヤギが落ち込んでいるのをみて、私は焦った。
「ご、ごめん!こんなの、我慢できるから!気にしないで!」
笑いながら言うと、ヤギはフッと微笑みながらこう答える。
「謝らなくてもいいですよ。僕も、お役に立てずすみません」
「あなたも謝ってるじゃない」
お互い笑ってしまう。でもなんだろう、全然面白くない。
それからはよく、おいしそうな肉の夢を見るようになった。
すごくおいしそうな匂いがするけど、どこにあるのかわからない。「そこか!?」飛びついてみても、そこにはなくて。そして見つけそうになった時に、いつも目が覚めてしまう。
その原因はもちろん、私のお腹がすいているからだけど…
嫌だ。別の理由なんて、考えたくもない。
満月で荒野が明るく照らされたある日の夜。
私はヤギから離れて寝ることを提案した。
「どうしてです?」
思ったとおり、ヤギは聞いてきた。私はこう答える。
「それは、いつまでもあなたに甘えていてはいけないなって。そろそろ私も、ひとりで寝られるようになりたいなって思ったから」
「そうですか」
ヤギはすんなり答えたけど、納得してない様子だった。
そうだよね。私もこの理由、我ながら無理があると思った。
「実は、君にに話しておかないといけないことがあります」
ヤギが、いつもより低い声になる。そして、私から距離を取って座った。
「な、なんですか」
ただならぬ雰囲気に、私の言葉もヤギっぽくなってしまう。ヤギはしばらく私を見つめていたけど、顔を背けて月を見上げた。私はその場に座り、耳をそばだてる。
「僕は、神に選ばれてません」
その言葉に、私は耳を疑った。
「え?」
思わず聞き返したけど、ヤギは月を見上げたままこう続けた。
「神に選ばれたというのは、ウソです」
「え」
「君の言った通り、神に選ばれたのなら、こんな荒野をさまようことはありませんでした」
「でも、『神のキセキ』は」
「『神のキセキ』というのもウソです。この不思議な力は本物ですが。僕は、この力のせいで、逃げなければならなくなったのです」
「え…」
ヤギは月を見上げたまま、特に悲しそうでもなく、穏やかな顔をして話していた。
「御主人は、こんな力を持つ僕でも、恐れることなく慈愛をもって接してくれました。これは『神のキセキ』だろう、と」
「だったら」
「ただ。御主人以外の人間は、そうは思わなかったようです。時には天候すら操ってしまう僕の力は、神に対する冒涜だと。何度か人間たちに始末されそうになりましたが、御主人が守ってくれました。『彼は私の大切な相棒だ』と」
主とは全然違う。そんな人間もいるんだ…
「しかし、ある日強行突破され、僕は銃で撃たれそうになりました。そのときに、御主人は僕をかばい、銃に撃たれ…何度も…。僕は力で御主人を助けようとしましたが、御主人は僕の尻を叩いて『逃げろ』と。『逃げて、その力を誰かのために使え。それが君の使命だ』と」
ヤギの声が震える。表情は相変わらず穏やかだ。
「僕も何発か撃たれましたが、必死に逃げました。何とか集落の外まで逃げたら、追手もあきらめたようでした。それから僕は、この荒野をさまようことになったのです」
私は何か声をかけたかった。でも、何も思い浮かばない。
「しばらくは、僕は御主人を見捨てたことを後悔してばかりでした。この荒野はほとんど生き物もいない。『神のキセキ』を使う機会もない。ただ、この荒野の果てにあるといわれる『海』にいけば、なにかできるかもしれないと思い、歩き続けました。そんなときに、倒れている君と出会ったのです」
「もしかして、私を助けたのは、『使命』だから?」
私の中で、ムズムズした感じと、グルグルした感じが生まれた。恐る恐るヤギに聞く。
ヤギは穏やかな表情のまま答えた。
「わかりません。君の様子を見て、使命なんて思いつきませんでした。ただ、助けたい。それだけでした」
確かに、それは最初にも言ってたね。あれはウソじゃなかったんだ。
「君と出会って、本当によかったと思います。『神のキセキ』が役に立てたのは勿論ですが、それ以上に、対等に話をすることができたのが、とても嬉しかった」
「それは私も…!」
ムズムズした感じに震わされて、私は立ち上がる。
「私も!あなたのように面白い話じゃなかったけど、私も、私の考えていたことを、初めて伝えることができて、嬉しかったよ。私も、あなたに出会えてよかった。たくさんのことを知ったし、いっぱい助けられたし、とても楽しかったよ!」
…あれ?
私は、自分で言ってて、なんかおかしな感じがした。私の中で今度は、グルグルした感じが強くなる。
ヤギが、こちらを振り向いた。
「…ありがとう」
とてもゆっくりと、穏やかな口調だった。
ヤギも立ち上がると、こっちに近づいてくる。
ダメ…こっちに来ちゃダメ!!
でも、ヤギは私の目の前に立ってこう言った。
「これで、心置きなく、君の餌になることができます」
私の鼻がヒクヒクする。口の中がベチャベチャする。
「な、なにをいってるの?」
「僕は、君と一緒にいたい。もっと話をしたい。しかしそれは、この世界では、とても難しいことなんです」
おいしそうな肉の夢を思い出す。ちょっと待って。なんで今思い出すの。やめてよ。
「私も、私はもっと、あなたの話を聞きたいよ」
おいしそうな肉の匂い。鼻がヒクヒクする。私の口の脇から、よだれが垂れる。
「だって、あなたは、私を、私をホメてくれた。優しくて、正義感があるって」
「そうですね。だから今、君は自分と戦っている」
なんでそんな平気そうに話すの?私は垂れるよだれをジュルリと吸い込む。その勢いで匂いも吸い込んでしまう。
…ああ、おいしそう。
「僕は、一匹の孤独なヤギに過ぎない。そして君は、一匹の腹をすかせたイヌなんです」
「やめてよ!」
息が荒くなる。鼻がヒクヒクする。グルグルする。嫌だ。
「あなたは私の大切なトモダチだよ!?それに、一緒に海に行くって言ったじゃない!」
「一緒に行きますよ。僕が、君の血となり肉となり、君と一緒になりましょう」
「やめて!!」
ヤギが、私にさらに近づく。額を私の脇腹に擦り付ける。ヤギの毛が私の鼻先をかすめた。
いやだ。おいしそう。いやだ。
…もういやだ。
「我慢しなくていいんだよ」
その瞬間、私の中で何かが切れた。
それからのことはよく覚えてない。むしろ、思い出したくもなかった。
でも、あの匂いと感触だけは、どうしても忘れられなかった。
***
この荒野は、どこまで続いているのだろう。ただ、風に感じる匂いは、明らかに変わってきている。
疲れた。でも、行かないといけない。約束だから。
たぶん着いたら、もう一生動けないかもしれない。
それでもいいや。でも、それまでは頑張らないと。
地平線からのぞく太陽の光が、私を照らす。
「…ざけんな」
言葉がこぼれ落ちる。私は足を止め、太陽をにらんだ。
「ばか!ばーか!言いたいこと言いたいよ!!こんなの、一緒じゃないよ!いきたいよ!でも、いきたくないよおおおおお…」
私は、何とか声を震わせながら、こんな広くて大きな世界で、まだ見えない海にむかって叫んだ。
<終>
スケープゴート・エスケープ