V.S.(作・さよならマン)

お題「学校」で書かれた作品です。

V.S.

 きらめく海のそばで、二人の男女が向かい合って座っていた。
 「本当、びっくりしたよ。いきなり倒れて、動かなくなるんだもん」
 彼女は本当に心配そうな顔を彼に向けて、そう言った。
 「いや、悪い。コーヒーこぼしちゃってさ……熱かったから」
 「なんだ」
 彼女はとびきり明るい笑顔を見せた。彼も笑った。
 それから二人は肩を寄せ合い、日が暮れるまで波打つ海を眺め続けた。
 「実は私、こういう日が来るのを待ってたんだ。ずっと」
 彼女は満ち足りた表情と素直な声音で言った。
 「ああ……そうか」
 彼はそう呟くと、優しく彼女の身体を抱き寄せ、唇を重ねた。

 *

 「よーし、全員揃ったな」
 教卓の上に両手をついて乗り掛かりながら、先生はいつもと変わらない低めのテンションでそう言った。新しい制度が出来てからもう三ヶ月は経っているだけあって、さすがに皆も慣れてしまったというか、ほとんど飽きたような様子だった。前の席の瀬山は椅子を傾けて体を仰け反らせながら足を組み、いかにもつまらなさそうに頭の後ろに手を回していた。椅子の背が僕の机にコンコンとぶつかるのが鬱陶しかった。
 「先生」
 学級委員の笹井が手を挙げた。天井に垂直に向けられた指先からぴっしり揃った足の先まで、どこもかしこも九十度だった。長い黒髪まで背中に沿って真っ直ぐに垂れていた。
 「畑山君がいません」
 見ると確かに、畑山の席だけ空いていた。他の皆も一様にぽっかり空いた席に目を向けている。あいつが欠席するのは初めてのことだから、珍しがっているのだろう。
 どちらかといえば普段から無口な男だけれど、居ないともなればそれはそれで少しは雰囲気も変わるものだ。別段何かが欠けるとかいうわけではないが、「一人いない」という要素がこの場に加わる。それが妙に、不穏なことのように感じられたのは、おそらく僕だけではないはずだと思う。
 「はい、はい、そう」
 先生は忘れていた件を思い出したように何度かこくこくとうなずき、背中で手を組んで、反対側の壁でも見ているような顔つきで言った。
 「突然のことなのですが、畑山は今日から学校に来ません。自主退学という形で、昨日限りでここを辞めております。ということなので、よろしく」
 あまりにも淡白に告げられたその言葉を受けて、教室がざわついた。──自主退学?何かあったのか?あいつ前から馴染んでなかったもんな……。皆が口々に話をしている間に、先生は締めの挨拶もしないまま無言で一、二回うなずくと、さっさと教室を出ていった。まるで僕らのことには興味がない様子だった。
 ひそひそと話をする皆の視線は、次第に一箇所に向かって集まっていった。四角く並べられた席の一番左端の一番前……そこには誰とも言葉を交わさずに窓の外を見る、外岡知沙の姿があった。大きな瞳に伏せられた長いまつ毛、鼻筋も整っていて美形だが、彼女も畑山と同じく、クラスでは無口でおなじみの一人だ。それでも僕は何度か彼女と話をしたことがあるし、特に人見知りだとか、口下手だとかいう印象は受けなかった。ちょっと面白いことを言えば期待以上によく笑ってくれたし、彼女の方からも、家で飼っているペットの話とか、趣味のカメラの話だとかをよく聞かせてくれた。そうやって話をしている時はむしろ、他の誰よりも生き生きしているようにすら思えた。普段あまり人と話さない分、そういう時が楽しいのかもしれない。
 どうして皆が外岡の方を見ているのかと言えば、彼女と畑山がたまに二人きりで話し合っていたのを知っているからだろう。大人しい者同士で波長が合ったのか、それとも何か特殊な理由でもあったのか分からないが、僕も何度か二人が会って話をしている場面を見たことがある。なぜか常に人目をはばかるような様子で、二人のうちどちらかがこちらと目が合うとすぐにその場から離れてしまう。
 そんな調子だから、皆は二人が恋人同士の関係にあるのではないかとよく疑っていたし、僕もまたその一人だった。
 それである時思い切って外岡にその話をしてみたけれど、彼女は笑ってそれを否定した。
 「そんなわけないって。もう、変なこと言わないでよ」
 「いや……ごめん」
 その時、彼女がひどくおかしそうにお腹を抱えて笑っていたのが妙に印象に残っている。人を笑わせるのは好きな方だけど、その時は別に冗談のつもりで言ったわけじゃなかったし、何がそこまでつぼにはまったのか分からなかった。それだけに、言ってしまえば少し気味が悪かった。
 「じゃあ、たまに話してるのはなんで?」
 「それは……ほら、なんとなくの縁だよ。入学の日にたまたま隣にいてさ。その時ちょっと話してから、なんとなく、たまに話すようになって」
 その関係をあえて「友達」と表現しなかったのが、冷たいのか、それともそういうものなのか、僕にはいまいち判断が出来なかった。だけど彼女が冷たい性格じゃないことは僕もよく分かっていたし、それについてはあまり考えないようにした。
 「ふーん」と僕がつぶやくと、外岡が軽く微笑んだから、僕も少し笑った。その時、その様子を教室の隅の方から畑山が見ていた。
 畑山は僕らと目が合うとすぐに顔を伏せ、見て見ぬ振りをするように早歩きで自分の席に向かった。その後は外岡の表情からも笑顔が消えていた。──
 皆の視線に気がついているのかいないのか、彼女はしばらく遠い目で外の景色を見つめていた。しかしふとこちらの目に気がついて、はっとしたような表情を僕に向けてきた。
 その頃にはもう誰も、外岡や畑山のことを気にする人間はいなくなっていた。まあ当然だろう。今時、他人のことをそれほど深く考えることに、価値を置くような奴の方が珍しい。

 *

 「おはよう」
 廊下に立ち尽くす外岡に声を掛けると、彼女はいつもより若干ぎこちない笑顔で小さく手を挙げた。
 「おはよ」
 外岡は両腕を手で抑えて体を丸めながら、少し怯えた目の色をしつつも、必死に平静を装っているように見えた。
 「さっきの話、なんか、あったのかな、あいつ」
 出来るだけ自然に話そうと思ったのに、意識しすぎて途切れ途切れになってしまった。
 「──さあ。わからない」
 「そうか。だよな」
 僕はそれ以上、畑山のことについて話すのは止めておこうと思った。避けたがっている話題ならわざわざ聞いても仕方ない。もうこのことについて深く考えるのも、止めた方がいいだろう。
 外岡は腕をさすって体を小刻みに震わせている。よほど恐ろしいことでもあるのだろうかと思っていたら、どうやらそういうわけでもないらしかった。彼女は半分開いた窓に手を伸ばして、それを閉め切ろうと試みていた。
 「もしかして、寒いの?」
 「うん」
 僕は少し笑って言った。「じゃあ、それを閉めたってしょうがないよ」
 彼女は口に手を当てると、体の力が抜けたように笑い出した。久しぶりにまともに笑う顔を見たような気がした。
 「冷房が付いてる。切ってくるね」
 「ああ」
 彼女がいない間、僕は外の景色を眺めていた。澄んだ青い空に、綿を千切ったような雲が浮かんでいる。なんだか昨日見た雲に形が似ているような気がした。町の向こうには、よく目を凝らすと海が見えた。この窓から海が見えるというのは初めて知った。さらによく見ると、一艇のヨットが浮かんでいるのも分かった。僕は何となく笑みを零した。
 廊下の端から二人の教職員が歩いてきた。一人は頭が禿げていて、体格が良く、偉い立場に見えた。もう一人は痩せていて背がひょろ長い。社会科担当の教員だったけれど、授業を受けたことがないので名前までは思い出せなかった。
 「──近、増えているようですよ。その手の犯罪が」
 「ああ……しかし、我々には現状どうすることもできんでしょう。下手に調査をすればプライバシーの侵害だとかいって、逆に訴えられる危険もある。まあ実害が少ないうちは、ひとまず様子を見ることでしょうな……」
 「おまたせ」
 いきなり背後から声がして、思わず肩をビクつかせた。外岡だった。
 「あははは。ごめんごめん」
 彼女はもうすっかり気が落ち着いたようで、笑い方のどこにもぎこちないところはなかった。とりあえず安心だな、と思いつつ、僕は窓の外を指さした。
 「知ってた?こっから海が見えるんだよ」
 「え、本当?────あっ、本当だ!」
 予想以上に反応が良くて、僕も素直に嬉しく思った。彼女は窓枠に頬杖をついてうっとり海を眺めた後、何かを思いついたような顔をして僕の制服の袖を引っ張った。
 「いこうよ。あそこまで」
 その提案には、面食らわざるを得なかった。
 「行くって……行けるの?あんなところまで?というか、今から?」
 彼女は確信めいたようなうなずきを大きく一回すると、袖を引いたまま歩き出した。
 「大丈夫大丈夫。こっから見えてるんだから、行けないことないって」
 まるで何もかもが吹っ切れてしまったようだった。いったい彼女の中で何が起こったのだろう。僕らはそのまま廊下を突っ切り、階段を降りて、校舎を出ていった。
 「あ、こら!待ちなさい!」
 笹井の叫ぶ声が背後から聞こえてきたものの、もはや構うこともなかった。僕も初めての犯則行為に胸が踊り始めていた。グラウンドを抜けて、門を出た。
 「ほら、ね?」
 外岡は肩の荷が下りたようなリラックスした笑顔で振り向き、そう言った。

 *

 海は広かった。当たり前のことだ。
 ヨットはさっきとほとんど変わらない場所に漂っていた。帆の先端に止まるカモメだけは、ここまで来てみなければ見えない。
 遠くから来た波が寄せ、返す。水平線の向こうには淡く島が見える。ここからどこへでも行けそうだ。
 「来ちゃったね」
 外岡が言って、疲れ切ったように岩場の上に座り込んだ。海には静寂が漂っていた。波の音と彼女の声以外には、何も耳に入らない。
 「ああ」と答えて、僕も座り込んだ。それからしばらく僕らは黙り込んだ。
 波が寄せて返す以外には、何も起こりはしなかった。カモメも一向にヨットの先から動こうとしないし、ヨットも同じ場所で浮かんでいるだけだった。
 「────畑山君はね」と、外岡が慎重な雰囲気で切り出した。
 僕は黙って、次の言葉を待った。
 「畑山君には、妹さんがいるの。ものすごく妹思いでね、いつもその話ばかりしてたんだ。心配性で、いつも見ていないと気が済まないって」
 それは少しだけ意外な話だった。あの畑山がそんな風に愛情を抱くのも意外だったし、こんな内容が彼女の口から話されたこと自体も意外だった。
 「だけど、時々エスカレートしすぎちゃうこともあるみたいで……そういうのって、どうしたらいいと思う?」
 「……うーん」
 なんとも答えがたい質問だった。僕には妹なんていないどころか一人っ子だし、畑山の性格も大してよく知らないから、どう言えばいいのか見当もつかなかった。
 ごめん、俺には分からない──そう正直に答えようとした時だった。
 突然、後頭部に鈍い痛みが走り、ぐにゃりと景色が歪んだ。
 「うっ……!」
 「──田君!──丈夫!?」
 聞こえる音が乱れ、目の前に灰色のノイズが現れた。
 ガガガガガ!…………
 空や海は緑っぽく変色して、徐々に歪みを増していき、やがてはプツンと電源が落ちるように、何も見えなくなってしまった。

 *

 新制度の導入は、俺にとっては何よりも魅力的な出来事だった。正に革命だった。
 「ヴァーチャル・スクール」……俗にそう呼ばれている新しい学校制度の誕生によって、俺はいつでも、どこにいても可愛い知沙を見守ってやることが出来るようになった。無論その為には多少の面倒を踏む必要があったものの、やるだけの価値は十二分にあった。
 まず知沙と同じクラスに入る予定だった畑山という人間に近寄り、金を渡す代わりにアバターの使用権を渡すように交渉した。人選も申し分なく、元々学校嫌いで不登校を繰り返していた畑山は、金を貰った上に替え玉登校が出来るのならとすんなり交渉に応じた。不登校児の為に導入された制度が不登校を裏で助長することになるとは、皮肉な話だ。
 あとは知沙が学校に「行った」ことを見届けて、俺も自室に鍵を掛けて、あの子たちが使っているのと同じVR機器に畑山から買い取ったチップを挿入し、頭部に装着するだけだった。懐かしい高校の風景が目の前に現れ、教師や生徒たちはまるで現実と変わらないような振る舞いを見せていた。俺も一人の男子高校生として周囲に溶け込む為に、目立ちにくいよう行動を徹底した。知沙と更に仲良くなれればと願ったものの、バレてしまっては元も子も無いと思い、泣く泣く断念した。あの子は当然、今に至るまで俺とは気がついていない筈だ。
 初めの二ヶ月は何事もなく過ぎて行った。知沙の学校生活は健全そのものであり、余計な交わりも一切無かった。
 それからあの男──相田悟が知沙に接近するようになったのは、クラス全体が落ち着き、皆がシステムに慣れ始めた頃だった。
 軽々しい態度で知沙に話しかけるその様に、憤りが収まらなかった。男子高校生などというのは、言わば盛りのついた犬のようなものだ。放っておけば何をしでかすことか分からない。俺が相田を取り除こうと決心するまでに、そう長い時間は掛からなかった。
 学校から配布されたリストの電話番号から住所を特定し、バールとVRを忍ばせて奴の住む家に向かった。しかし初日は母親が家に居り、断念せざるを得なかった。それから数日間、親の不在時刻を入念に調べ上げ、今日ついに窓を叩き割っての侵入に成功した。
 VRをつけた無防備な相田を殺すのは造作も無かった。IDチップを壊さないように気を付けながら、機器を破壊し、脳天を叩き割った。奴は血を流して倒れ、誰にどうやられたかも知らぬままあっさりと絶命した。俺は奴のチップを抜き取ると、足早にその場を去った。
 そのまま近くの公衆トイレに駆け込み、持って来た機器に奴のチップを挿れて、装着した。
 知沙が俺を優しく介抱した。それから彼女がこちらを見つめる顔は、今まで俺に一度も見せたことの無いような深い情に満ちていた。俺はなおも死者に対する妬みを覚えざるを得なかった。
 だが、まあいいだろう。
 こうしてこれからあの子と共に寄り添うというのもそう悪くない。もはや知沙の身も心も俺だけの物だ。他の誰にも渡す訳にはいかない……知沙はこの俺の、何より大事な一人娘なのだから。

V.S.(作・さよならマン)

V.S.(作・さよならマン)

この青春は、何かがおかしい。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-05-20

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted