さくら書店へゆこう

栞があなたに元気を与えてくれることを祈っています。

第一章

 「新しい学校はどうか。元気にしているか。こっちは変わりない。返事はいいから、ガンバレ」
これだけの文章を書くには葉書でも大きすぎるはずなのに、なぜかお父さんの字だと、一つの絵画を見ているような気持ちになる。お父さんの字は曲がるところがしっかりと曲がっていて、空間を置く場所が絶対に外れていない。しかもお父さんは万年筆を使う。万年筆を使うと字の最後の部分にインクが溜まって濃くなる。お父さんはそれがお気に入りなんだそうだ。
 「お母さん、お父さんから葉書来てたね」
 「え?あ、そうね。殺風景な葉書。仕事のわりに家族にはそれだけしか書けないのね」
絵葉書を使えばいいのに、と呟く母を横目に、栞は差出人の住所を確かめる。
 葉座倉町。
 よかった。まだ引っ越してないみたい。お父さんとお母さんが離れて住むようになって約5か月経った、7月。雨降りの土曜日の昼下がり。昼食のチャーハンとインスタントのわかめスープの横に、お父さんからの3枚目の葉書があった。栞は今、15年住んでいた葉座倉町の隣の都市に住んでいる。徒歩とバスと電車で三時間はかかるところだ。葉座倉町というのは小さな小さな町のことで、坂道と老人ばかりの町、と誰かが言っていた。三方を山に囲まれ、南の正面に海がある。東と西は山が海岸線の際までせり出ていて崖になっている。昔、ここを通る商人は、一日で東の山と西の山の両方を越えられなかったため、今の葉座倉町の民家で一晩泊まって出発したそうだ。
 栞の父は小説家だ。といっても、普段は雑誌のコラムとかあんまり有名じゃない写真家の出版する、写真集と詩集の中間みたいな本の詩を書くとか、そういった仕事をしている。だから、言うまでもなく、母親も働いている。離婚する時にお母さんは、「私は仕事でそれなりに稼げるようになったし、栞と二人なら十分に生活できる。栞も高校生になるんだし、会いたくなったらいつでも会える。だからもういいんじゃない?」と言った。お父さんは何も言っていなかった。お父さんの姉の舞おばさんは、このことに関して現実的だった。
「小説家って聞いて騙されてもたんやろなあ。現実見てがっかりしたんちゃう?ナオは変な奴やからな」
「舞おばさんって本当にお父さんの兄弟?もうどこからどう見ても関西人だね」
「ははは。嫁いだ先があかんかったわ」
「小説家は儲からんと、ばれたんだな」
その時のお父さんの言葉は冗談だったのか、そうじゃなかったのか、栞には分からなかった。ただ、お母さんもお父さんも、というか誰も、あんまり残念がってないみたいだと知って、少しさみしかった。

「お母さん、今日仕事は?」
「もう行くー。お皿洗っといてよ」
「うん。あのさ、今度お父さんのとこ行っていい?夏休みにでも行こうかな。部活、休みの日に」
「お盆はやめて。おばあちゃんち行くんでしょ?」
「部活無い日ってお盆しかないよ。私今年はおばあちゃんち行かない。お父さんのとこ行く」
また今度決めましょ、そう言ってお母さんは仕事に出かけてしまった。玄関の戸の閉まる音。栞はチャーハンをかきこむと、台所に立って皿洗いを始めた。そして皿洗いをしながら、離婚する時お母さんが言った「もういいんじゃない?」の意味を考えていた。一人になると決まって考えてしまう。なにが「もういい」んだろう。そもそも「もう」って何なんだろう。新しい場所で5か月が過ぎたが、栞の心は散らかっていた。学校生活で忙しかったころは気が付かなかった小さな気持ちの棘に、今になって気付き始めたのだ。
 栞の心は散らかったまま、夏休みがやってきた。

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  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-05-14

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