化け物たちの夜
留守番中の訪問者
夜、外は化け物であふれている。
外にいる化け物たちは、教会から支給されているお香を炊いている限りは、
家の中に入っては来ない。理由は知らない。けれども効果はあるらしく、
このお香を炊いてからは化け物に怯える必要はなくなった。
いくつもの、乱雑に揃わぬ足音がする。同時に聞こえる金属の音は、
おそらくは農具か何かだろう。化け物たちが武装する理由はわからない。
何かに備えているのか、もしくは何かを襲撃するためかさえもわからない。
少なくとも、私に危害を加えるようなことはない。ただ、家に入られるのだけは怖かった。
両親はいない。兄さんと一緒に暮らしていて、その兄さんは今日の帰りが遅くなるらしく、
しかし兄さんが帰るぐらいの夜にまた化け物たちがやってきてしまった。
いつもならば兄さんは横にいて、そして私をなだめてくれるが、
こうして化け物たちが横行する中での一人きりの夜は、初めてだった。
流石に怖くて、だからこそお香の近くから離れることができず、夜ばかりが更けていく。
足音がする。扉のすぐ近くを通っているらしい。金属の触れ合う音。
不明瞭な話し声。早く通り過ぎてほしい。それだけを願って、耳を塞いで、目を強く閉じた。
コンコンコン―――……
遠くに聞こえる、木の戸を叩く音。最初は耳を塞いでいたから、あまり良く聞こえなかった。
コンコンコン―――……
もう一度、聞こえた気がした。両耳から手を離す。いつの間にか足音は聞こえない。
少し待ってみる。次に叩かれたら、きっと気のせいではないだろう。
でも、もしかすると幻聴かもしれない。
すごく怖いから、木の戸が叩かれたと錯覚してしまっただけかもしれない。
だから少しだけ待ってみて……木の戸は、叩かれない。やはり気のせいなのかなと、
毛布を体に包ませようかと思った、その同時に。
コンコンコン―――……
気のせいではない。確かに木の戸は叩かれている。それもこれはお隣さんではなく、
私の家だ。兄さんかなと、帰ってきたのかなと期待して毛布を跳ね除けて、
体が硬直した。兄さんの訳がない。兄さんはこの家の鍵を持っているはずなのだから。
だから誰なのだろう。
コンコンコン―――……
外で歩いている化け物だろうか。ううん、それもありえない。
化け物は香を炊いている家に入ってくることはない。
じゃあ助けを求める人だろうか。それもあり得ない、と思う。助けて、って叫ぶはずだから。
じゃあ、誰なのだろう。勇気を振り絞り、木の戸の方へと歩み寄る。
コンコンコン―――……
変わらぬ音で、木の戸が叩かれる。誰なのか尋ねるだけだ。怖くない、大丈夫。
「……だれ、ですか?」
勇気を振り絞って、ようやく外に出すことのできた声は、あまりにもか弱く、
小さなものだった。
「もしかして、兄さん?」
外から声はしない。代わりにノックもされない。
でもなんだろう、この匂いは懐かしい気がする。木の戸の向こうに、まだ気配はする。
「ううん、違う。じゃあ狩人さんだ」
私の好きな花。暗花草って名前の、暗がりで開く珍しい花。
優しい香りであまり匂いも強くないけれど、暗がりに咲くのはこの花だけだからか、
不思議と印象に残る。私の好きな香りだった。
「狩人さんも知ってるの?」
狩人とは、化け物たちを追い払ってくれる、良い人。
ほんとは良い人ではないかもしれないけれど、
少なくとも化け物たちを遠ざけてくれるから、悪い人ではない、と思う。
なぜ暗花草の香りがするのか、疑問には思っても口にはしない。
ただ私の好きな香りだし、だからだろうか不思議と安心して、話す気にはなった。
「良い香り。狩人さんも好き?」
そう訪ねても返事はしない。でもまだ、この木の戸の向こうにはいる。
香りはそこから動いていない。
「私は好きな匂いなんだ」
そう言っても、やはり返事はない。
さすがに面白くなくなって、でも安心できたからだろうか、急に眠気がした。
夜も遅いのだから、しょうがない。
「……じゃあ、ね。狩人さん、頑張ってね」
ふあぁ、とあくびを漏らす。直ぐ側で足音が聞こえた。同時に香りが遠くに離れる。
どうやら狩人さんは、再び狩りを開始したらしい。
私は……もう、寝よう。明日になれば、きっと兄さんが帰ってくるはずなのだから。
乱雑に置かれた毛布にくるんで、最後に香の状態を確認して、目を閉じる。
遠くで、叫び声が聞こえた、気がした。
化け物たちの夜