荒野の牛と飼牛
家畜と野生。どちらが幸せなんだろうなあ。という、どうしようもないことを考えて書いた作品です。
世にあふれかえってるテーマな気がしますが、読んでいただければ幸いです。
若干児童向けを意識してます。
(プロローグ)
地平線まで丈の低い草が生い茂る大地に、牛が住んでいました。襲ってくる肉食動物はいましたが、それでも綺麗な水や新鮮な草が生えていたので牛たちはその地を離れるつもりはありませんでした。
ある日、今まで感じたことのない揺れと嫌な風が吹きました。そのあと、お天道様とお月様が七回交代する間、ずっと雨が降りました。牛たちは気にせず、いつも通り草を食べ、水を啜りました。
しばらくして、仲間が一頭、二頭と倒れていきました。どうやら病気になってしまったみたいです。可哀そうに思いながらも、どうしようもできないので、置いていきました。
気が付いた時には、牛たちは四頭になってしまいました。勇敢で誇りを重んじる角の大きな雄牛と理性的で合理的な思考を好む細身の雄牛、仲間の死を誰よりも悲しむ若い雌牛と全体の和をなにより重んじる若い雌牛だけが生き残りました。牛たちは減ってしまったのなら、増やせばいいと思い、子供を作ることにしました。
勇敢で角の大きな雄牛は仲間の死を悲しむ雌牛と二頭の子を産みました。合理的で細身の雄牛と和を重んじる雌牛で二頭の子を産みました。草と水が沢山あったし、降り続けた雨以来、肉食動物を見なくなったので子牛たちは順調に育っていきました。
そうやって、牛たちは減っていった仲間を取り戻すようにどんどんと子供を増やすようにしました。ところが、二十頭目の子牛からどうやら様子が違いました。雌牛もたくさんの草と水を飲んでるにも関わらず、もう立つことすらままなりません。
生き残っていた二頭の雌牛達は二十一頭目と二十二頭目の子牛を生むときに弱りきって死んでしまいました。長い間、毎年のように子を産み続けたせいなのか、もしかしたら、子供を作るための栄養が不足していたのかもしれません。幸い乳が必要な子牛はもう育ちきって草を食べることができていました。
二頭の母牛が死んでしばらくすると、あれだけあった草がすべて枯れてしまいました。水も、泥水のように淀んでとても飲めるものではありません。
牛たちは草と新鮮な水がある土地を探さなくてはなりませんでした。
地平線の向こう側まで牛たちは移動しました。時には泥水を啜り、土を食べ、お互いに励まし合いながらです。
辛く苦しい旅路のうちに、一頭、二頭と仲間が倒れていきました。生き残っていた二頭の雄たちがまず倒れ込みました。そして、彼らを囲むように立ち尽くした息子や娘たちに言います。
「おまえたちは知らないだろうが、もし、新鮮な水や草がある大地を見つけたとしても、他の動物には気を付けなさい。いつも固まって行動していなさい。息子たちはしっかり雌を守るのですよ。牛らしく誇りをもって生きなさい」と大きな角をもつ年老いた雄牛は言い、眠るように死に絶えました。
続いて合理的で細身の年老いた雄牛がか細い声で言います。
「食べること、生きることを考えなさい。それがあなたたちを幸せにするでしょう。とにかく、生き延びなさい」
そして細身の雄牛は静かに息絶えました。
残された牛たちは悲しみと途方に暮れました。牛たちは父牛の亡骸を囲んだまま座り込んでしまい、それぞれ考え込みました。いままで道を示していてくれた父牛がいなくなってしまったので、どうすればいいのかわからないのです。しばらくして、残された十五頭の群れの中で一番身体の大きく、角の形が死んだ角の大きな父牛とそっくりな雄牛が言いました。
「俺は思うんだ。豊かな大地を求める俺たちの旅は、なんの手がかりもない、あてのない旅だ。これまでの旅で仲間が死んでも、誰もなにも言わなかったのは、親父たちだったからなんだ。だから、俺たちの中の誰かがこれから進む先を決めた場合、仲間が、家族が、隣にいるやつが倒れてしまったとき、その誰かに不満が出るかもしれない。そうなるのは仕方のないことだ。誰がやってもそう思ってしまう。なぜなら、俺は俺でしかない。隣のやつは隣のやつでしかない。隣のやつを理解しようとすることはできるが、完全に理解することは本人でさえ難しい。家族といえど難しい。俺たち一頭一頭はひどく無力だ。じゃあ、どうすればいいのか。それは・・・・・・」そこまで言って、隣にいる群れの中で二番目に身体の大きい、細身でまるで牛ではなく鹿のような雄牛を鼻で小突いて一緒に立つように促します。二頭は立ち上がり、群れを見渡します。
「俺の次に身体の大きい・・・・・・今からお前のことをケンジャと呼ぼう。俺のことは、ツノと呼んでくれ。ケンジャと俺の二頭で道を決めようと思う。その間、仲間が倒れてしまったとき、不満があればケンジャに言うんだ。どうしても我慢ならないとケンジャが判断したとき、俺はこの群れから去ろう。これで、どうだろうか」ツノが言い終わると、ケンジャは不安そうな顔を彼を向け、そのあと仕方ないといった表情で群れを見回します。群れは立ち上がり賛同の意をこめて地面を踏み鳴らしました。
(一)
牛たちは、それからしばらくの間ずぅーっと荒野を歩きました。あるのは土と時々枯れ木、にごりきった水溜り、時たま見かける緑色の植物も食べようとすると棘が口に刺さって痛くて食べられません。口に刺さった棘から腐っていって家族が一頭倒れてしまいました。水の近くに生えている土と混じったような緑の物体を食べた牛は具合を悪くしました。
小さな丘を越える度に一面の緑を夢見て、そして裏切られてを繰り返しました。
ある日、牛たちは滝のような雨に見舞われました。大雨を避けるために近くの洞窟に入ることにしました。
中は暗くてなにも見えません。ただ静かに寄り添いながら牛たちは、雨が止むのを待ちました。疲れきっていて、誰もしゃべろうとしません。ザーーという雨の音がいやに大きく聞こえます。
「少し奥を見てくる」とツノが沈黙を破りました。そして、群れで固まって座っているところから立ち上がります。
「なにも見えないじゃないか。転んで怪我でもしたらどうする」ケンジャが座ったままツノに言いました。
二頭の会話を他の牛たちは疲れきっているのか座ったまま静かに聞いています。
「今までの兄弟と同じように置いていけばいい」
ツノは元気がない様子で洞窟の奥に歩き始めながら言いました。
ここまでくるのに家族が三頭いなくなっていました。一頭は植物の棘にやられ、一頭はお腹を詰まらせて動けなくなり、もう一頭はさっき大雨の中はぐれてしまったのでした。それをツノは自分がしっかり見ていなかったせいだと悔やみ、苦しんでいたのでした。
「親父たちが言っていただろ。新しい大地を見つけたとしても、他の動物たちに気を付けろって。そんなとき、一番体の大きい君が一番頼りになるんだ」
ケンジャのその言葉にツノは足を止め、ケンジャたちの方へ体を向けて言います。
「だけど、その新しい大地が全然見つからないじゃないか。それに、この洞窟の奥から懐かしい匂いを感じるんだ」
ケンジャは、鼻をベロりと舐め、ズゴォーーと息を吸ったあとに言いました。
「確かに懐かしい匂いがする。食欲を誘うような、新鮮な匂いを感じる」
「俺たちの探していた大地がこの奥にあるかもしれない」
「だけど、どうする。もし、なにもなかったら、こんなに真っ暗闇じゃ帰り道もわからないじゃないか」
「だからそのときは、俺を置いて先に進め。何か見つけたら大きな声で叫ぶから」
「君はみすみす死にに行くって言うのかい?」
「親父は言ってたじゃあないか、みんなをしっかり守るんだぞって。見ろ、体の大きな俺たちはまだしゃべるだけの体力はあるが、メスたちはもう憔悴しきってる。次の旅路でまた家族が減るぞ」
「だけど、この次に見つかるかもしれない。まだ歩ける」
「皆の顔をよく見ろ!まだ歩けるか?もう限界は越えてるんだ。俺たちだけだよ。動けるのは」
ケンジャは黙ってしまいました。そうして、ツノはのそりのそりと洞窟の奥に消えていきました。
雨は止みましたが、もう夜になってしまいました。ツノはまだ帰ってきてません。ツノの呼び声も聞こえませんでした。ケンジャは朝まで待つことにしました。一つに固まって温め合いながら眠りにつきました。
ケンジャは、別の動物の臭いを感じて目を覚ましました。他の牛たちを急かすように起こします。そして、どこから臭いが来ているのか確かめるため、鼻をベロりと舐め、ズゴォーーと息を吸いました。臭いは洞窟の中からしました。そして、微かに血の臭いもします。
ケンジャは、正体を見極めようとじっと洞窟の中の気配を探ります。血と知らない動物の臭いは段々と強くなってきました。微かにツノの臭いもするのです。家族をいつでも逃げられるように背に隠れさせました。いつでも得体の知れないなにかを角で突き刺せるよう低い体勢をとります。
朝日によって、洞窟の奥のほうまで光が届いているのは幸いです。早く視認することができます。
暗闇のなかから、自分の足首ほどの大きさの二足で立つ小さな生き物が三匹ほど出てきました。彼らは、驚嘆し、どうやら喜んでいるように見えます。そして、一番最初に出てきた二本足の小さな生き物が見上げて話しかけてきました。
「君、言葉は通じるかい?」
言葉は理解できましたが、臨戦態勢を緩めません。親父の言った他の動物に気を付けろという言葉を信じているからです。
「あー、君たちの仲間は僕たちで保護しているんだ。どうだい?一緒に来ないかい?食べる草なら、ほら」
そういって小さな生き物は、足から突然草を出して見せました。
「ああ!!」
群れの中で一番体の小さな雄牛のオロがよだれを垂らして声を漏らしました。
「馬鹿!やめなさい」
オロの面倒をいつも見ている真っ白な毛並みの美しい雌牛のミコが彼を注意します。
「やっぱり言葉をしゃべれるみたいだね。どうだい?君たちもよければおいでよ。沢山食べられるよ」
そういって、小さな生き物は草をこちらに放り投げてきました。
「私たちの仲間をここに連れてきたら考える」とケンジャは唸るように言いました。本能的にこの小さい生き物はとてつもなく危険な生き物に思えて仕方ないのです。
「わかった。では、連れてくるので一頭ついてきてくれないか?彼は居心地がいいらしく、出てこないかもしれない」
「そんなはずがない!!私たちは、そんな動物ではない!」
いまにでも叩き潰せるぞと前足をズズっと足踏みします。
「おいおい、そんなに興奮しないでくれ。僕たちは無理に来いと言っているわけじゃない。君たちの自由意思に託しているんだ。君じゃなくてもいいんだよ」そういいながら、小さな二足で歩く生き物は先ほどよだれを垂らして声を漏らした小さな雄牛のオロに目をやります。
「君は聞き分けがよさそうだ。一緒に来てくれるなら、一番いい草をごちそうしてあげよう。とりあえず、食べてみなさい」
小さな生き物は、また足から草を取り出し、その雄牛のほうに近づこうとします。
ケンジャは、近づいてきた小さな生き物の目の前に大きな蹄を叩きつけました。二足歩行の生き物は岩とよく似た色の毛を揺らし、驚きの表情を浮かべ、残りの二匹が棒のようなものを構えます。
「私たちは、家族だ。全員で一つだ。”じゆういし”なんて言葉の意味は知らない。それ以上、家族に近づけば踏み殺す」
こんなに小さな生き物、体を振り回せば容易に踏み殺せます。ケンジャは、少し余裕が出てきました。なぜ、こんな生き物に恐れを抱いていたのか不思議なくらいです。
「わかったよ。じゃあ、ここから話をするよ。だが、君には話をしていない。そこの僕と同じくらいの大きさの君だ」そういいながら、小さい雄牛のオロに青々とした草を放り投げました。オロは草が地に落ちると同時に草にむしゃぶりつきました。
「おいしい。おいしい。久々だ!!こんなにおいしい草は!!!」
ぐしゃぐしゃと食べながら言います。周りの牛たちもダラダラとよだれを垂らします。そして、ケンジャ以外は、落ちている草にむしゃぶりつきました。
「おいしい。おいしい。なんておいしいんだ!!ここだよ!この人たちが、新しい大地へ連れて行ってくれるんだよ!!」
オロに注意していたミコという雌牛が叫ぶように言います。その様子を、泥水をすするときより苦しい表情でケンジャは見つめます。
「ほら、君もどうだい?おいしいよ?」
そういって、小さな生き物は足からまた草をバサッと落としました。そのとき、ケンジャはハッと父親の言葉を思い出しました。そして、その草を口にしたあと、その小さな生き物の後ろへ皆を引き連れてついて行きました。
真っ暗な洞窟の奥に入るとき、小さな生き物たちはなにやら頭にかぶりモノをして声で牛たちを誘導しました。彼らはなぜか暗闇でも目が見えるようです。しばらく進むと、晴れているときよりも明るい場所が見えてきました。近くまで行くと、二番目に大きな雄牛のケンジャよりも二倍ほど大きな壁がそびえています。そのあたりは、目が痛くなるほど明るいです。壁に突き当たり、小さな生き物たちはなにやら足から取り出してもぞもぞとしています。
「壁じゃないか。どこが新しい大地だ。騙したのか」そう言って、ケンジャは踏み潰そうと片足をあげます。
「例の客を連れてきた。門を開け!!」
小さな生き物は構わず壁に叫びます。ズズズという音を立て、壁が開いていきます。ケンジャは足を下ろし、信じられないという表情でその開いていく壁に見とれました。そして、ケンジャがどうにか入れるほどの大きさの穴があきました。
「なんだこれは」ケンジャは、声を漏らします。壁が動く異様な光景にではありません。門が開くとそこには、ツノが数多くの小さな生き物に囲まれて、細い蔦のようなもので大地に縛られた状態で倒れ込んでいました。それを見たと同時に、ドドドドンという轟音と共に体のあちこちがとても熱くなりました。そして、急に眠たくなってきたケンジャは、そのまま倒れこむように眠りこんでしまいました。意識の遠くで、仲間たちの声が聞こえます。なにを言っているかもう聞き取れません。
ツノは、ドドドドンという音で目が覚めました。
「ケンジャがやられた!逃げろ!!逃げろ!!」
仲間の悲鳴が聞こえます。だけど、体は全然動きません。体の節々が痛いです。
「肉だ!!久々の肉だ!!絶対に逃がすな!!雄と雌は一頭ずつ残しておけよ!全部は殺すな!!」
近くでそんな声が聞こえてきます。親父の言葉が頭によぎります。死に物狂いで体に力をこめます。メリメリメリと自分の体から音がします。沢山血が出てる気がします。でも、関係ありません。仲間を守らないといけないのですから。大きな声をあげました。洞窟がビリビリと震えます。ツノは、わけもわからず暴れます。暴れ牛です。鬼神のごとく暴れまわります。近くの建物を砂の城のように蹴散らします。小さな生き物を虫のように踏み潰し、弾き飛ばします。お腹から臓物を引きずりながら暴れます。足から足首が取れていても構わず暴れまわります。飛んでいった足首が遠くの塔のような建物の天辺に突き刺さります。辺りはどんどん赤く染まっていきます。バケツで赤い絵の具をぶちまけたようにどんどん染まっていきます。開いたままの門が瓦礫でどんどん埋まっていきます。門の下で眠りこんでいるケンジャの上に積み重なっていきます。最後に大きな声をあげ、口から大量の血を吐き出し、ツノはその瓦礫の上に倒れこみました。それと同時に、門の両端の岩の大きな壁もガラガラガラと崩れさりました。
洞窟の外に出た牛はわずか三頭でした。三頭は洞窟の外に出ても懸命に走ります。ただただ、走り続けます。恐ろしくて仕方ありません。一歩も歩けないと思っていたのに、恐怖が迫ってくると思うとその足はどこまでも動きます。しばらくして、三頭の牛は疲れ果てて止まりました。後ろから追いかけてくるものはいないようです。そのまま、三頭は寄り添って眠りにつきました。
次の朝、起きると一頭が目を覚ましません。最初にあの小さな生き物が出した草を食べていた小さな雄牛のオロでした。どれだけゆすっても声をかけても起きません。息はしてるみたいですが、全然目を覚ます気配がないのです。二頭は喉が渇いたので、仕方なく泥水を啜りに水たまりを探しに行きました。
泥水をすすった二頭が小さな雄牛のオロの近くに帰ってくるとその雄牛の周りにさっきの小さな生き物がいました。なにやら四角いものからぞろぞろと出てきます。牛たちを見つけると大きな声で叫びます。
「君たち、君たち!!これは誤解なんだ!聞いてくれ!!」
「一番大きな兄弟のツノが死んだ!ケンジャも殺された!!そいつも目を覚まさない!他の仲間はどこだ!!」
五番目に大きかった雄牛のディグが叫び返しました。
「殺すつもりはなかったんだ!一番大きな君の仲間も生きていたじゃあないか!彼が暴れたせいで、私たちの仲間もたくさん死んだんだ!それに、外にいてどうする!?君たちも食べるものがないから、こっちに来たんじゃないのか??」
真っ白の美しい毛並みをした雌牛のミコが昇ってきた朝日を背に小さな生き物に叫びます。
「あなたちは、私たちを食べるつもりでしょう?しっかり聞きました!どうやっても言い逃れできないですよ!」
「じゃあ、君たちは、仲間を、家族を見捨てていくのかね!!」
オロの頭に火を噴く棒を突き付けます。
「私たちが生きていれば、また増やすことができる!親父とおふくろたちはそうやって私たちを生んだんだ!!」
「それは、十分な食料があったときの話だろ!!まあ、聞きなさい!!この島にはもう碌な食べ物は生えやしないだろう!この先ずぅーーっとだ!!君たちは、外にいては飢えて死ぬだけだ!私たちと一緒に来なさい!悪いようにはしないから!」
「信用できるわけがない!!もう追いかけてくるな!!」
そういって、五番目に大きかった雄牛のディグと真っ白な毛並みをした雌牛のミコは荒野の地平線へ走り出しました。
取り残された小さな雄牛のオロは、小さな生き物がでてきた四角いものに載せられました。そうして、小さな生き物たちと一緒に洞窟があったほうへ消えていきました。
(二)
一番小さな雄牛のオロは、ふかふかの藁の上で目を覚ましました。明るい小部屋に入れられているようです。床には一面藁が敷かれています。鉄の壁で覆われていて桶のある壁にはパイプが設置してあり、そこから常に綺麗な水が流れていました。桶からあふれた水は真下の床が網目状になっていて、そこへ流れ落ちています。通路に面した壁はちょうどオロの首が少し出る高さまでしかありません。
オロは、喉が渇いていたので桶に顔を突っ込んでガブガブと水を飲みました。一通り水を飲んだあと、通路側へ頭をひょいと出しました。
通路には、誰も何もいませんでした。鉄で覆われた味気ない通路の左右にずらりと同じような部屋が並んでいるだけでした。
「ここは、どこなんだろう。家族はみんな死んじゃったのかな。どうしたらいいんだ。」
ボソリと呟いて、ふかふかの藁の上に寝そべりました。うつらうつらとしていると、ゴウンゴウンという聞きなれない音が通路に響きました。跳ね起きて通路から離れるように部屋の隅で身構えます。足は震えていました。ゴウンゴウンという音は徐々に近づいてきます。部屋の間近まで迫ってきました。足は震えてるというより、揺れています。生まれたての小鹿のようになっています。
部屋の前でゴウンゴウンという音は止まりました。ウィーンという音と共に、通路側の穴から新鮮な草がドサドサッと部屋に入れられました。そして、ゴウンゴウンという音は遠ざかって行きました。
恐る恐る入れられた草の方へ近づいていきます。無意識によだれが垂れます。そして、オロは考えることをやめて、むしゃむしゃと食べ始めました。
「おいしい。おいしい。もぐもぐ。」
新鮮な草があまりにもおいしいので家族のことも、ここがどこなのかということも忘れてしまいました。ただ新鮮な水を飲み、探しに行かなくても定期的に入れられる新鮮な草に満足してしまいました。
そこからしばらく、オロは食べては飲んで寝て排泄してを、ただただ繰り返してました。
食事の後、ときどき急激に眠くなって目覚めると藁も床も綺麗になっていることがありましたが、オロはもう何も気にしていませんでした。
ある日、いつもと違う部屋で目を覚ました。
その部屋は、オロが走り回れるくらいに広い部屋でした。天井の高さも一番大きな雄牛のツノが入れるんじゃないかってくらい高いです。足元は床ではなく、地面でした。新鮮な草が生えています。ところどころ、回転しながら水が噴き出ているところがあります。
もう彼は何も疑っていません。飢えることもなく、命の危険を感じることもなかったので、今回もなにかご馳走が出てくるだろうくらいに思っています。
オロが、むしゃむしゃと地面の草を食べていると、遠くの壁でガコンという音がしました。何の気なしに彼はその音のほうを向きました。家族ではない雌牛が入ってきました。初めてみる家族以外の雌牛でした。その雌牛は非常に超え太っていて、黒と白のマダラ模様の毛並みをしていました。乳は大きく張り裂けそうなほど張っています。わからないけれど、オロはその雌牛にとても興味を抱きました。声をかけようとしましたが、口からは「モォーー」と絞りだすのが精いっぱいでした。しばらくしゃべっていなかったので、口の利き方を忘れてしまったみたいです。しまったと頭を抱えました。ですが、その雌牛も「モォーー」と鳴き返してきたのです。不思議と何を言いたいのかはわかりました。
そうして、彼らは鳴き声でコミュニケーションをとり、無事夫婦となりました。
(三)
荒野に真っ白な美しい毛並みをした雌牛と大柄で真っ黒な雄牛が、下を向いたままとぼとぼと歩いています。小さな恐ろしい生き物に襲われた牛たちの生き残りのミコとディグです。彼らは、あれからしばらく東へ向かって歩いていました。相変わらず、枯れ木と泥水と棘だらけの植物しか生えていない不毛の大地が続いていました。
疲れきってしまい彼らは岩陰に腰を下ろしました。
「ミコ、これからどうする。俺にはツノのような決断力もケンジャのような慎重さもない。正直、うまくやる自信はないよ」ディグは開口一番、ミコに弱音を吐きます。
「ディグ、うまくなんてやる必要はないよ。だって、わたしたちは二頭ぽっちじゃない。それに、まだわからないわよ。あの大雨の日にはぐれてしまった家族のバルが、もしかしたら生きているかもしれないわ」ディグを励ますというより自分に言い聞かせるようにミコは言いました。
「そうだね。ありがとう」ディグはそういい、ミコの体に頭を預けて目を閉じました。そんなディグにミコはやさしい眼差しを向けたあと、地平線までつづく不毛の大地をぼんやりと眺めました。
遠くに不自然で異質な小さな点のよう直線をミコは見つけました。なんだろうとミコは意識をそれに向けて注視します。どうやら、あの小さな生き物が出てくる四角い箱のように見えますが、なんだか形も雰囲気も少し違いました。ディグを鼻先でゆすり話しかけます。
「ねぇ、ディグ、あれ、なんだと思う?」
「ん、どれだい?」
「あっちの遠くにまっすぐのモノが見えるじゃない」ミコは鼻先でクイクイと方向を示します。
「うーん、あっ!ずいぶん遠いね。あれは・・・・・・あいつらの出てきた箱じゃないか!」そういってディグは跳ね起きます。
「落ち着いて、大丈夫。さっきから見ているけど、あいつらはいないみたいよ。それになんだか形が違う気がするわ。近くまで見に行かない?」
「正気か、ミコ。ここまでずいぶん歩いてきたが、どこにあいつらがいるかわかったもんじゃないぞ。それにまた騙まし討ちしてくるかもしれない」
「それなら遠くで見ていて。私たちに今必要なのは、食べ物と水。それにあいつらの情報よ。少しでも知らなきゃ、また出会ったときに今度こそ何もできずにやられちゃうわ」
ディグはなにも言い返すことができず、しぶしぶ箱の近くまで一緒に行くことにしました。
箱の近くまで着てみると、実際、ミコの言ったとおり箱の形は以前見たものと随分違っていました。ディグたちが見たものより細長く大きな箱で、二つに分かれているようでした。一つは、奴らが出てきたような形をしていて、その後ろに胴長の四角が引っ付いているような形でした。後ろの箱の大きさは、ディグの胴体に届くほど高さと横幅で、細長い面はディグ一頭と半分くらいでした。箱の側面には大きな凹(へこ)みがあり、横倒しになっているようです。中に入っていたと思われる腐りかけのナニカが大量に地面に散らかっていて、箱の周りに小さい生き物の腐りかけの死体が二体転がっていました。
「何があったんだろう。なにかに襲われたみたいだけど」ディグは上半分が踏み潰された小さい生き物の死体をちらりと見て苦々しく言いました。
「この足跡をみて」ミコが箱の周辺の地面を鼻先でクイと示します。そこには、ディグたちと同じような形をした少し大きかったり小さかったりする無数の蹄の跡がありました。
「まさか、俺たち以外の牛がこれをやったっていうのか」
「そうかもね。それか私たちに似た他の動物かも」そういいながら、ミコは胴長の箱の中を覗き込みます。そこで、手をつけられていなさそうな箱を見つけました。そして、何の気なしにその側面をちょいちょいと鼻先でつついてみると、口先が箱の端に引っかかり、ふたが開き、中から小さくてみずみずしい半透明の物体が冷たい風とともにバシャリとたくさん出てきました。
「箱の中の更に小さい箱の中にこれが残っていたわ」ミコはそういって、コロコロした小さくみずみずしい半透明なナニカを口にくわえてディグに見せました。
「なんだいそれは。なんだか知らないけれどおいしそうだね」
「そう、正直、このまま飲み込んでしまいたいのを堪えているわ」そういいながら、ゆっくりと口にくわえたそれを箱の上に置きます。
「半分こにしよう」
「箱の中にまだたくさんあるわ。でも、少し危険じゃない?どちらかの具合が悪くなったら、どうしようもなくなるわよ」
「どうせ二頭ぽっちじゃないか。どちらかがダメになったら、手を尽くすモノも方法もないさ。一頭ぽっちになるよりは俺はマシだよ」
「この蹄の動物が仲間になるかもしれないよ?」
「正直に言うよ。俺はそれを食べてみたいだけなんだ。先に俺が少し食べるよ。そのあと、何もなければ、君と半分こしよう。それにもし、この蹄の動物と出会えるとして、たぶん雄牛である俺より雌牛である君の方がすんなり仲間に入れてもらえると思うんだ。御しやすそうな方が都合がいいだろうしね」
「なんだかひっかかるわね。まるで私が御しやすそうみたいじゃない」
「いや、見た目の話であって、本質の話ではないよ。君は俺より芯が強いし、意思も固い。でも、それは話してみないとわからないし、隠すこともできるだろ?」そういってディグはミコの話を聞く前にそのナニカを口に含んで、モチョモチョと噛みはじめた。
「うん。うん。味はしないけど、みずみずしくておいしい」
「・・・・・・大丈夫?」ミコは心配そうにディグに言います。
「そういう君こそ大丈夫かい?先に口にくわえてしまったのは君なのだから、飲み込むまでもなく口に含むだけで良くないものなら、君の方が先に具合が悪くなってしまう」
「どうしてそれを先に言わないのよ!私が試しに食べるべきだったんじゃないの!」ミコは声を荒立てます。
「言ったじゃあないか。一頭ぽっちになるのは、俺は耐えられないんだよ」悲しげにミコに微笑み返します。
「勝手すぎるわ」ミコは吐き捨てるようにそっぽ向いて言いました。
「どうやら大丈夫みたいだよ。さあ、半分こしよう!」
箱の中の小さな箱の側面には、棘のついた植物の絵が描かれていたのでした。
荒野の牛と飼牛
骨組みはできているので、肉付けができ次第更新します。