青いぬくもり
大切な世界のありかはどこですか。
私の記憶の中の祖母はいつも暖かかった。
幼いながらにも鮮明に覚えているのは、笑っている祖母の顔。
その記憶すべてになぜか黄色いフィルターがかかっている。
ドンッ
ぼーっとしていると後ろの人が急かすようにぶつかってきた。顔色を窺うと少しイライラしているようだ。
「すみません。」
私が謝ると相手も適当にペコと頭を下げてくれた。
「何してるの。ちゃんと前につめときなさい。」
私の目の前に並んでいる母に手を引かれ、足元がおぼつかないながらも前に進む。
私達が並んでいる列はそんなに長くはないが、普段休日もしばしば平日も引きこもっている私からすると、周りに溢れかえっている人が気持ち悪い。
いつもの私なら迷わず部屋から出ていきトイレにでも駆け込んでいることだろうが、今日はそういうわがままは許されない。というか、自分が一番許さない。
目の前の母が普段の険しい顔からは想像できないほどに顔の筋肉を動かし、やることを済ませた人に挨拶をした。
「あの、お母さん。今の人、知ってる人?」
そう問いかけると母は前を向いたままで、
「知らないわよ。でも挨拶するのがマナーなの。」
そうさらっと言い切ると母は何事もなかったかのように黙った。母は当たり前だという風にいってのけた。またそれは幼いころから言われていることでもあったが、改めて目の当たりにすると社会に出るということはこんな苦行を積むことなのかとうんざりしてしまった。
私はなんて狭い世界で生きているんだろうとも感じた。
私がいる世界では知っているもの同士で仲良くして生きていける。もし新しい友達がほしくなれば、定型通りの挨拶ややり取りをすれば、また1歩世界は広がる。
そうしてきた私は、今出来損ないの大人と子どもの間を彷徨っているのだと思い知った。
流れに沿って進むと、自分が思っていたよりもはるかに早く順番は回ってきた。
母に先に行くからよく見ておくのよと言われ、私は一人になる。
別に母と普段仲が良いわけではないが、一人になった瞬間心にひゅっと風が通り抜けヒヤッとした。
いよいよ私の番になり、ぎこちないながらも前に進む。前に出す足と手が同じだが気にしない。
私は母がやっていたようにお焼香をあげた。恐らくそつなくこなせたはずだ。
そそくさと祖母にお焼香をあげると、わたしは終えた人がたむろしている人混みへと歩を進めた。
母を探し周りを見渡していると、後ろから声をかけられた。
「京ちゃん?京ちゃんよね?」
私の名前だと思い振り返ると、そこにはもう一人の祖母が満面の笑みで立っていた。
その横には探していた母もいた。
「あ。・・・・・・・・・・・・・・・・お、お久しぶりです。」
何とかそう言いきり、頭を下げるともう一人の祖母はまくし立てた。
「まあまあ大きくなっちゃって。その制服を着てるってことはもう高校生なの?そりゃ何年も会っていなかったものねえ。まさかこんなところで会うことになるなんて、いい機会だったのかどうなのかしら。なんて言ったらばちが当たるわね。ほほ。それにしてもお隣さんにずいぶん懇意にしていただいていたんでしょう?ご愁傷様。」
私がただ下を向くだけで返事をする気がないと汲み取った母が、あいまいに笑って返事をしてくれた。
その時の私は返事どころじゃなかった。目の前の祖母のずけずけとした物言いでお隣さんが、私にとっての祖母が、私にとっての一つの小さな世界が幕を閉じたのだと実感した。
気が付けばもう一人の祖母は消えていて、横で母が無表情で私の背中をさすってくれていた。
それに気づいてしまうと、私は何かが壊れてしまったように嗚咽をもらした。
涙なんて出ない。胸の奥の奥の方がぐちゃぐちゃだ。気持ち悪い。寒い。
しばらくすると、背中をさすってくれていた母の手は、今度は私の手をしっかりと握り祖母の亡骸の前まで連れて行った。
祖母に目を向けると、記憶の中にある祖母よりも心なしか青白かった。いつも化粧なんてしない祖母が化粧を立派にしてもらっているのに、今まで見たどの祖母よりも美しくなかった。
また、祖母を思い出した時この瞬間の祖母だけは、どうやっても黄色いフィルターはかからないだろうなとも思った。
私は何とか嗚咽を抑えるとできるだけ平常心で言い放った。
「おばあちゃん、私頑張るね。だから安心してね。」
これは私の小さな世界の幕引きだ。だけど、私の記憶の奥の奥におばあちゃんの黄色いフィルターの思い出は封印することにした。誰にも邪魔されないように、消さないように大切に置いておこう。
私がそう言いきると母がまた私の背中をさすってくれていた。
母の手は冷たく無表情のままだったがわかったこともある。一つの世界の幕引きは、またもう一つの世界の幕開けだということだ。
私は黄色いぬくもりよりも一番寄り添ってくれていた青いぬくもりにやっと気づけた。
青いぬくもり
読んでいただきありがとうございます!即興小説で書いたものを少しリメイクしたものです。