簒奪者

この沙漠なら驢馬も駱駝もその名を聞けば干涸びるまでふるえあがるという大泥棒「毒蜘蛛」が、洞窟の奥のねぐらで目を覚ました。絹布を卷いて顔を隠し、腰には鉈のような短刀、肩から提げた松やに酒の小瓶、靴の上に革袋をかぶせてからぎゅっと麻紐で括る。鼻に薄荷を混ぜた刻み煙草を擦り込んでから、眠気醒しにとびきりの唐辛子と月桂樹の葉を一緒に口に放り込み、奥歯でぎりぎりすり潰す。さて、今夜の仕事はいつもと違う。きっと今度で最初で最後、一世一代の大仕事だ。灯りを吹き消してほら穴を出ると冬の沙漠で、風が埃を散らす夜空には青い月が笑っていた。ああ、頼むよ、お月さま。ことが済んだら夜明けまででも祈り続けてやるからさ、今夜だけはどうか、どうか見逃しておくれよ。月の返事も待たないで、毒蜘蛛は駱駝の背に飛び乗った。いざ向かうは「太陽と泉の宮殿」、狙う宝の偉大さに身ぶるいしながら、盗人は月の沙漠をゆく。

そして辿り着いたのは夜の王宮。門番ふたりに軽く目配せして、正門を堂々と突破する。おっと、もちろん奴らは変装した毒蜘蛛の手下だ。じゃあ本物の門番たちはどこにいるかって? 残念、それは神と一味にしかわからない。さて、宮中勤めの連中は軒並み寝静まっている頃合いだし、夜ごと回廊をうろつく守衛たちは夕餉に仕込んだ眠り薬で今やすっかり夢の中だ。とはいえ、ここで油断は禁物。抜き足差し足は基本中の基本。咳払いはもちろん、あくびひとつにだって細心の注意が求められる。まあ、その辺は親方のこと、抜かりなく昼過ぎからたっぷり寝ておいた。夜には頭も身体も冴えに冴えて、廊下を走る自分の影を馬一頭分も置き去りにしたって。

名にし負う毒蜘蛛の身のこなしは鮮やかで、音も無く、軽やかに、それこそ獲物を狙うタランチュラのように、迷路のような宮殿を駆け巡った。壁に掛った伝説の名画の前を風のように駆け抜け、硝子の牙を持つ黄金の象が眠る檻を飛び越え、道々に飾られた金銀宝玉を蹴散らした。今宵の盗賊にとって、狙うお宝はただひとつ。そいつに比べれば他の財宝なんて、キラキラと眩しいだけの砂つぶと一緒だった。さあどこだ。おいらのお宝はどこにある。金庫はすべて破ったし、扉という扉にはすべて忍び込んだ。……ただ一つをのぞいて。そしていま、毒蜘蛛は最後の扉の前に立ち、やっと鍵を外して、ゆっくりと奥へ押し開く。お月さま、頼んだよ。無事に済んだら宴に呼ぶさ、約束する。

王宮を出ると、やはり冬の沙漠だった。青かった月はもう傾いて白けはじめている。駱駝の足取りは重く、手綱を握る盗人の背は三日月のように丸く、小さかった。なぜって? そりゃあ当然、盗み出したお宝を背負っているからさ。まさか、親分に失敗なんてありえない。その気になればまん丸い月だって盗んでみせるさ。

ねぐらまで持ち帰ったお宝に、毒蜘蛛はさっそく腰掛けた。得意満面の顔で肩から提げた松やに酒を瓶ごと飲み干して、ひとつ大きな溜め息をつくと、その夜はそのまま眠った。そして翌日、ねぐらに手下をぜんぶ集めて盛大な宴会が催された。主役はもちろん親分と、例のお宝さ。やあやあよくやった、やっぱり親分は世界一の大泥棒だと皆々はやし立てるものの、いつもと違ってお宝の姿がどこにも見えない。やがて、しびれを切らした輩がついに、で、そのお宝ってのはどこにあるんです?と訊いた。すると毒蜘蛛はカッカッと笑って席を立ち、それから、いざ、と大見得を切って、座っていた椅子を頭の上に掲げたんだ。

今度の獲物はこの椅子よ!それもただの椅子じゃない、正真正銘の王の椅子だ!おいらはついに玉座ってのを手に入れたんだ!これに座ることがゆるされるのは、この世に王様ただひとり、つまりおいらは昨日の夜、この国をまるまる盗み出したってぇ、こういうわけさ!

それを聞いては、一同も諸手を上げてやんややんやの大騒ぎ。なんてったって昨日まで大泥棒だった人間が、一夜にしてこの国の王様になったって言うんだから。つまり、ねぐらのほら穴は王宮になって、おかみさんはお妃さまで、おいらたち子分は小悪党から、なんだか知らないがまあとにかくえらく出世したわけだ。そういうわけで、王様万歳!王様万歳!と、椅子を囲んでの寝ずの宴会は結局三日三晩も続いた。

ところで、巷の噂じゃあ王様は相変わらず王の間の椅子にふんぞり返っているそうだが、そんな話を聞くたびに可笑しくて仕方ない。だってそれは偽物だ。なんせ本物の玉座は毒蜘蛛親分の手のうちにあって、つまり本物の王様は今日もほら穴の中でしこたま酒を食らっているのだから。なにもかも都の連中に知らせてやりたい気もするが、そんなことをしたら国中がてんやわんやの大騒ぎになるだろう。親分は、いや、王様は一味の食い扶持さえ稼げればよく、妙に世間を賑わせるのを嫌うたちだから、野暮なことを言いふらすのはよそう。

しかし、王様が変わったっていうのに、挨拶に来るのは盗人の輩だけで、街の人間は見向きもしない。相変わらず偽の王を有り難がるばかりで、自分が騙されていることにも気づかないらしい。モノの価値が分からない連中っていうのは、まったく、可哀想なものだ。

簒奪者

簒奪者

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-05-09

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