或る訪問医の手記
ついったー 作
高崎 光 編
TLに刺激されて書きました
一人の男が、さる富豪の家で女中をしていたという老婆の往診に行く。
男は一度咳払いをしたあと、カラカラと引き戸を開けた。
老婆は胸を病んでいた。咳は日に日にひどくなり、粥も食えず重湯ばかりを飲んでいた。
奉公していた先の名は、☓☓☓という。男も聞いたことがある名の財閥だったが、不幸により転落したとの噂が流れる名だ。
老婆に子は居ないようであった。あるいは絶縁されたらしい。しかし老婆が子も同然にかわいがっていた奉公先の娘が居たらしかった。診察するときも、すっかり折れ曲がった写真を決して肌身から離そうとはしなかった。
「アサシホさま」
老婆は夢見るようにいつもそう呼んでいた
「幼いころから利発な方でしたのよ、お父様が亡くなられてからはお国のためにアサシホさまと名乗られるようになってね」
写真のなかで両親の間で腰掛ける少女の顔は、何度も指で擦られたからか、顔立ちをはっきりと認めることはできない。
老婆の診察は、度々中断した。看護婦が「愛らしいお方ですね」と空返事をすると、「そうでしょう、そうでしょう」と言いながら、次々と写真を広げてくれるためだった。
老婆が見せる写真はきまって4枚だった。
産着に包まれた赤ん坊の写真。
木製の馬にまたがった少女の写真。
異国の顔立ちをした母娘の写真。
アサシホさまとその両親の、写真館で撮ったと思われる写真。これが老婆の一番のお気に入りだった。
「これは?」と、看護婦が聞いた。男はしまった、という顔をした。
今年入ったばかりの年若い看護婦は、知らなかったのだ。4枚の写真のなかで、最も触れてはいけない写真のことを。
「アラシホさまはねえ……それはもうお可愛いらしい方でねえ……」
男はだまってカルテを書くことにした。こうなってしまっては、あと5時間は帰れない。看護婦は異国の親子の写真をしげしげと眺めながら、楽しそうに相槌を打っている。このくらいの年頃の娘がよく好む、噂話の気配を察知したのだろう。懐中時計は午後4時を指していた。
異人街に連れられてきた芸妓。芸妓の肌は浅黒く、その店は異人の赤膚の男たちを客に取っていたという。毛色の違う娘は娼館のなかでも珍しく、そして他の芸妓たちからも蔑まれていた。その娼館に物見遊山へでかけたのが、XXX財閥の御曹司、さるXXXX様だったという。XXXX様は宴の席で聞いたその娘の歌声を気に入り、「きっと迎えにくるからな」と言い残していったという。
「それからというものの、その毛唐の娘子は僻まれ嫉まれ、あるときは尿(しし)を撒かれて……」
「ばあさん、それじゃあ『桐壷』だ」
「あらまあ、ほんにねえ」
男が口を挟むと、老婆はほほほ、と笑って話を続けた。
老婆の語り口は朗々として、まるで謳い文句のようだった。浄瑠璃の一幕でも語るような言い回しは、これまでに幾度となく繰り返し語ってきたからであろう。故に男にはその物語が、尾ひれはひれで飾り立てられた、__にしか聞こえなかった。
ことのあらましはこうだ。XXXX様は芸妓に口約束だけを残し、いいなづけと結婚し、跡を継いだ。正妻は息子を産んだが生まれてすぐ死に、次に生まれたのは娘だった。医者からは「もう産める体ではない」と宣告され、XXXX様は芸妓を妾に迎えた。けれど妾もまた、娘を産んだ。それからXXXX様は娘二人を残して死んだ。
「お父上のお亡くなりになられたときのアサシホさまといったら……」
涙ながらに語る老婆の声につられてか、看護婦もまた涙の拭いながら話をきいている。
異人の血を引く母娘は、正妻の意向で
或る訪問医の手記