梨を切ろうとすると。

 ダンボールの箱を開けると艶のある梨が一つ入っていた。実家から送られてきたものであった。大学生活、一人暮らしと言うものは慣れてくると、コンビニの弁当か冷凍食品しか口に入れなくなるもので実家から送られて来る品物は懐かしさと新鮮さに腹のムシが喜ぶ。しかしだ。この大きなダンボールの箱に梨一つとは、どう言う事なのであろうか? 食い物のパック詰めを送るとかではなく。梨。一個。これは幾ら何でも酷いではないか。僕は仕方なしにその梨を手に取り、その艶やかな梨の肌を撫でた。スベスベとして陶器の様であった。
「ふむ。皮を剥いて包丁で切り、喰うか」と独り言を言い玄関と同室にあるキッチンに置いた。そうして包丁を取り出して切ろうと、引き出しを開けたが、何故か何時も置いてある場所に包丁がなかった。それは僕にとって不可解な出来事であった。
「おかしいな。昨日、此処にちゃんと戻した筈なんだが」
 その時である。玄関の扉からチャイムの音が鳴った。僕はちょうど扉に付いている瞳と同じ円形の大きさの穴から覗いて見た。そこには知らない女が立っていた。青いワンピースを身に着けていた。下を向いているので顔の表情は分からないが、特段、気にすることもなく僕は扉を開けた。
「なんです? 僕にようでもあるのですか?」と僕は言った。
 僕の質問の声に女は黙っていた。数秒である。すると女は言葉を発した。しかし下を向いたままである。茶色いタイル張りの床を見たままで静かな声で話しだした。
「すいません。その。貴方の部屋に箱が送られて来たのではありませんか?」と女はやはり下を向いたまま言った。
「ええ。確かに、さっき此処に届きました」と僕は疑問のある声で答えた。
 女はまた、黙り込む。三秒程であろうか僕を見ずに答えた。
「その、ですね。その箱の中身を教えて欲しいのです。601号室と109号室に手違いで両方に送ったらしく、どちらが誤りか分からないのです」と言った。
「手違いですか? しかし、この箱は僕の母から送られて来たものなのですよ。実家から送られている証拠にダンボールの箱に住所が書いてありますし」
 そう言うと女はまた黙り下を向いてブツブツと何かを言った後に、少し声を張り上げて言った。
「では中身を見ましたか? 箱の中を開いて見ましたか?」と言った。
 僕は何んとなしに「開けたけど」と答えた。
「それで中身は?」と女はやはり下を向いたまま言うのであった。
 僕はすぐさま、「梨だよ」と答えた。
「艶のある梨が一個入っていたけど? 何か気になる点でもある?」
 女は返事をすぐにせずに黙り、何やら考えている素振りを見せた後「分かりました。私の勘違いだったみたいです」と言い、下を向いたまま去って行った。
「意味が分からん」と僕は言ってドアを閉めた。それで鍋の底にあった包丁を見つけて梨を切り口に放り込んだ。
 だが予想していた感触を得られず「あれ、これ、林檎だ」と僕は言った。
 翌日、601号室の住人が何者かに胸を刺さられたらしい。それと、部屋の床に梨が一つ落ちていたと。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-05-07

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