未来事件簿『ベルの音』
未来事件簿。刑事ドラマに影響されています。
未来事件簿「ベルの音」
未来事件簿『ベルの音』
かラーン、コローン。
敬虔なクリスチャンだった年頃の女性には、その「ベルの音」は教会の鐘の音にしか聞こえなかった。真夜中だった事もあり、本当に神の降臨だと思って彼女は膝をついて十字を切った。だが、何も起こらない。小一時間たってようやく怪しいと思ったのだ。
彼女の部屋は303号。となりの302号で殺人事件が起きていたとは夢にも思っていない。
時に20XX年。
「古いですわ先輩。自動運転ぐらい信用しましょうよ」
「うるさいわね。『人工知能』なんかにハンドルや命を預けられますか」
「『AI』ですよ」
「うるさいわね!」
ああ、もう。何回この展開が続くの、と新人刑事の菊池沙也加は思った。いつもの相手はベテラン刑事の増岡直子。音楽や映画のネット配信を信じないゴリゴリのアナログ人間だ。刑事としての配属初日に公用車にCDコンポを設置しようとして大目玉を食らったという武勇伝は有名だ。『太陽にほえろ!』とかいう昭和の刑事ドラマのソフトを全話コンプリートする事に執念を燃やしており、その作品内で登場人物の刑事全員が独特なニックネームで呼び合うという描写の影響を受け、非公式ながら自分の事をマダム刑事、菊池沙也加はアン・シャーリー刑事と呼ぶ事になっている。沙也加という名前から神田沙也加さんの事を連想し、『赤毛のアン』の舞台公演で彼女が主役のアン・シャーリー役だった事にちなんでいるのだという。
それにしても、だ。
「目的地周辺です」
とナビの声。
ナビに頼るのなら自動運転で十分ではないか。
「ここね」とマダム。いや増岡直子。「事件現場で臨機応変に車を停めるには自動運転に頼りっきりってわけにはいかないでしょ?」
そりゃそうだが、警察官なら、もう運転免許証は身分証明書としての機能は喪失している事も知っているはずだ。免許証があるならマイナンバーカードも持っていますよね、と念を押して同時提示を求めるのがセオリーであり、断ってきたら任意同行、それさえ断ってきたら公務執行妨害が適用できる、という判例が存在する。
ガシ!
サイドブレーキが引かれ、公用車は停車した。
「元本郷・学生マンション、か」とマダム、いや増岡直子は車中から看板を見上げる。
「ここなら知っています」とアン・シャーリー、いや菊池沙也加。「学生マンションと書いてありますが、卒業しても退去の義務はなく、交通や買い物の便利さから居つく人が少なからず存在します」
「ああ、町内会からは治外法権扱いで近所付き合いも無い面倒な物件でしょ?聞いた事あるわ。まず殺人現場を見ましょうか」
下車する増岡。
急いで続く菊池。
ギシギシ!
何の音?
と菊池は駐車場の角を見た。
ゴミ収集車が来ている。
大きな透明のポリ袋に詰め込まれたビールや発泡酒の大きなアルミ缶の塊。
ギシギシ!
本当に不愉快な雑音だった。
被害者は、遺体が発見された302号の住人・島田ちひろ(44歳・女性)。
死因はボウガンによる射殺。
遺体は仰向けで矢が心臓を貫いて刺さったままの状態で玄関に転がっていたそうだ。同時にボウガン本体まで室内に放置されていたという。不自然なのはチェーンロックがかかっていた事。まあ、そんなもの、ある裏技を使えば簡単に外から施錠・開錠できる(防犯上の観点から、あえて書かない)方法があるわけで、密室殺人でも何でもない。玄関さえ少しでも開けば、隙間からボウガンの矢を射る事は簡単だろう。その後、室内に侵入したので、ボウガンと言うものを殺人現場に捨てて行く事が出来たわけだ。
犯人の狙いは、ボウガンさえ捨ててしまえば持ち運びに困らなくなるサイズの金目の物であると推測されている。それが何かが焦点だが、被害者の部屋に入った増岡と菊池は少々面食らった。ワンルームの6畳の洋室に並んでいたのは、専用の展示台に飾ってある大型フィギュア数体だったのだから。その展示台は、ひとつひとつが透明な立方体であり、それらが積みあがった集合体は、まるで洋服ダンス並みの巨大な物体と化していた。
「大きいサイズですね」と菊池。「6分の1かしら」
「これはワンピース・・・まず目を引くのはゾロね」と増岡。
「え!ご存じなんですか?」
「子供の頃、好きで再放送を見たわ。口に日本刀をくわえての三刀流の戦法にシビレタものよ。こっちのマッチョは人獣形態のチョッパーじゃなかったかしら?」
「大きなフィギアばかり、いち、にぃ、さん、よん、ご、ろく・・・、あれ、でも、全部専用の展示台に漏れなく収納されています。それにどれも私でも知っている有名なフィギュアですから、プレ値が付くような『お宝』でもないようです。盗まれたものはフィギュアじゃありませんね」
「通帳、ハンコ、財布、ざっと見て金目の物も盗まれずに残っているそうよ。・・・殺しだけが目的だったのかしら」
「でも防犯カメラ映像には何も異常が認められないそうです。計画的にハッキングで画像の捏造が行われたと鑑識では見ています」
「どうやら怨恨の線が強いわね。そっちの交友関係の方は「男ども」がやってくれるって言っていたから、あたしたちは、このマンションの住民に聞き込みね」
「はい」
早速ふたりが向かったのは、すぐ隣、301号の住人、篠原里奈(36歳・女性)の部屋だった。
「何ですか?」と篠原里奈は眠そうに玄関先に現れた。ドアチェーンは忘れない。
「警察です」と菊池が手帳を見せる。「お隣の島田ちひろさんが殺害されました。ご存知ですよね?」
「ええ、ニュースで知りました」
「住民の皆さんに聞き込みをしています。お話をお伺いしたいのですが」
「はい」
篠原里奈はドアチェーンを外し、玄関を大きく開けた。
ワンルームマンションなので、それだけで部屋の中は丸見えだ。
何も怪しいところはありませんとアピールするには十分だった。
もちろん、この事件で盗品と疑われるようなフィギュアなど置かれていない。
「何か気付いた事はありませんか?死亡推定時刻はおとといの深夜だと思われます」
「何かって、例えば何ですか?」
「どんな小さな事でも、争うような声や物音、何か分からなくても構いません。ハッキリしないけど、何か、思い当たる節はありませんか?」
「そう言われても、何もないんですよね」
「そうですか・・・」
「あら」増岡が何かに気づいた。「新聞を購読なさっているんですね?」
「え?ああ、はい、日経新聞を・・・」
玄関先に、たたまれた束が転がっている。
「・・・それが何か?」
「今時、紙の新聞を購読なさっている方なんて珍しいと思いまして。なぜ、わざわざ紙の購読を?」
「大学が経済学部でしたもので。情報の信憑性の担保には紙の媒体で印刷をされているというのは、まだまだ有効じゃないですか?」
「力説なさいますね」
「え、ええ、まあ・・・」
ふと途切れる会話。
「またお伺いさせて頂きます。ありがとうございました」
あえて深追いしない増岡。
「はい、また・・・」
伏し目がちになる篠原里奈、その玄関の閉め方に若干の慌てた雰囲気が漂った。
「・・・次は303号室ね」
聞こえよがしに強い声で増岡は301号を後にして、そして小声で菊池に、
「・・・今の、あからさまに怪しい。一通り聞き込みをするけど、301の篠原里奈が「どう怪しいか」の裏を取る事を心掛けて」
「分かりました」
菊池は、そうか、紙の新聞って、購読しているだけで怪しい物になったんだと改めて気付かされ、さすが先輩と襟を正した。
即、その足で二人は303号室を目指す。
さっきの篠原里奈と同じように起こされて玄関に現れた、303号の住人は、思いもかけない事を言った。
「実は警察に匿名電話を入れたのは私なんです」
「え?」
驚く菊池。
少しだけ驚いて増岡は本質を切り出す。
「何が怪しいと思ったんですか?」
「二つあります。ひとつはベルの音です」
「ベルの音?」
「本当にそう思ったんです。神が降臨なさったと、本気で。でも、何も起こらなくて、何がなんだか理解に苦しんだけど、そんな事で警察を呼ぼうとは、その時は考えませんでした」
「もうひとつは?」
「新聞です」
「新聞?」
「ええ。島田さんのドアポストに刺さったまま一日たっているのに気付いて、何か変だなって・・・」
「そんなに島田さんの事を日頃から気に掛けていらっしゃったんですか?」
「だって、このマンションで新聞を購読なさってらっしゃる方は301号室の篠原さんと302号室の島田さんの二人だけなのは、やっぱり社会人だからかなって友達の間で話題になりましたから」
「その篠原さんと島田さんには面識があったかどうかご存知ですか?」
「当然ありますよ。新聞片手に立ち話しているところを何度も見ています。私は勧誘されるのが嫌だから避けていましたけど」
「なるほど」
「やっぱり301号室の篠原さん、怪しいですよね?」署に帰る車中で菊池は言った。
「私もそう思うわ」と増岡。「でも、新聞なんて合法な所有物を根拠に家宅捜索令状はとれないでしょ?」
「それはそうですけど・・・もうひとつ気になりませんか、ベルの音」
「あのマンションの住人、ほぼ全員が聞いていたわよねえ。301号室の篠原さんを除いては」
「余計に怪しいじゃないですか?どう考えても彼女が発生源だから自覚が無いか、手掛かりだから隠したいか、どっちかですよ」
「それなら、ますます家宅捜索令状は無理な話だわ。具体的に何を探すのか、それが分かってないのに」
「ベルの音・・・本当にベルの音を殺人現場で鳴らすわけは無いし・・・一体何・・・?ああ、もう!」
菊池はイラ立っていた。
それは事件の為でもあったが、もうひとつプライベートの話があるからだ。
ちょうどその日は増岡の部屋で夕食を取る約束をしていた。
増岡の趣味の話に付き合わされたからでもある。
その日は、『太陽にほえろ!』のビデオソフトの「現物」が増岡の部屋に宅配される予定の日に設定されており、「何話か鑑賞に付き合え」と前々から言われていたのだ。
無下に断り切れないタイミングだった。
それに。
もうセルのビデオソフトまで配信で済む時代なのに、増岡先輩は頑なに「現物」の所有に執念を燃やす。物欲の権化である。
二人は署に戻って報告書をまとめると、増岡の自家用車に乗り換えた。
「よし、時間通り!」
増岡のマンションに到着した時、彼女は本当に嬉しそうだった。
菊池は昭和の刑事ドラマの何がそんなに楽しみなのかサッパリ理解できない。思わず溜め息をつきそうになって慌てた。
キキー!
警察官の運転として少し問題があるんじゃないかと思うほどテンションの高いコーナリングで駐車スペースに一発で車を滑り込ませる増岡。
さすがマニュアル運転至上主義者を自認するだけの事はあるな、と菊池は思った。
「急いで!」
ギシ!
サイドブレーキを引いて下車する増岡。
つられるように急いで続く菊池。
「ああ、届いた!」
増岡の部屋の宅配ボックスに段ボール箱が入っていた。
「早く!」
嬉しそうな増岡。
逆に固まった笑顔の菊池。
増岡の部屋に転がり込む二人。
「さっそく再生するわよ!」
増岡は、人を食事に誘っておいて、真っ先に段ボール箱を開けて中身を出した。
ついに来た。
『太陽にほえろ!』だ。
「これこれ!」
増岡は、突っ込んだソフトを、リモコンで再生し始めたのだが。
かなり慌てていたらしい。
本当なら最後の最後に再生するべきだと誰にでも分かる題名のエピソードが始まったのである。
第545回『さらば!ジプシー』
ハッキリ言って、ジプシーという言葉自体が差別用語だから媒体ではもう放送できないではないか。
ましてや、このエピソードが事件を解決に導くなど、考えられなかった。
少なくとも観終わる前には・・・!
このエピソードのタイトルに出て来る『ジプシー』とは、ある刑事に付けられたニックネームだ。この『太陽にほえろ!』なる刑事ドラマ、とにかく刑事が殉職しまくる事で有名だった。ところが、今回の『ジプシー』は生き延びる。生きたまま転属して去ってゆくのである。
「あら、珍しい」
思わず増岡が口にするくらいだから、本当に珍しい展開だったのだろう。
そして、このドラマの舞台・七曲署を去っていく『ジプシー』の車の後部バンパーに、菊池には予想できなかった物がヒモでたくさん結び付けられていた。
空き缶の束である。
「そうそう」増岡は言う。「昔は栄転とか新婚旅行とか、お祝い事の時に賑やかし目的で空き缶の束が良い仕事してたのよね」
今では、もう製造中止になって見られなくなった『スチール缶』の束が、カランコロン、カランコロン、と景気の良いベルの音を鳴らしていた。
「・・・ベルの音・・・?」
「!」
ピンポン。
元本郷・学生マンションの301号室の呼び鈴がなった。
篠原の声がする。
「どなたですか?」
「はっぴぃふる不動産です」
「はい、今開けます」
ドアが開く。
出て来た篠原の前にいたのは確かに不動産業者本人だった。女だてらに、などと古い表現を無意識に使ってしまうほどの美女だ。
「用件を手短に言うわね。実は、このマンション、取り壊しが決まったのよ」
「え!・・・」
篠原里奈は激しく驚き、絶句した。
不動産業者は続ける。
「ご安心ください。一年向こうの話です。当社の規定に基づいて引っ越しの費用は負担いたしますので。では、今日のところは失礼いたします」
「は・・・はい・・・」
バタン。
ドアが閉じた。
「!」
篠原里奈はクローゼットに向かった。
持ち運びの出来る衣装ケースの一番上の一つを開けた。
かラーン、コローン。
ベルの音。
いや、違う。
スチール缶だった。
主に「缶コーヒー」のぶつかり合う音であった。
「缶コーヒー」は何十年も前に製造中止になっていた。
無理もない。持ち歩かなくても、同じ値段でも、より質の良い一杯のコーヒーを飲める選択肢は豊富に存在する時代である。
さらにコーヒーだけでなく、ノンアルコールの「缶ドリンク」も同じ時期に生産が終了している。もともとコストパフォーマンスの悪かった「缶」にとっての需要と供給のバランスは完全に崩壊してしまった、というわけだ。
もう「缶」といえば、「カツン」という軽くて小さい音と、こすれ合う時の「ギシギシ」という鈍いノイズしか発しない大きなビール缶(しかもアルミ製)しか知らない者ばかりの世の中だ。特に二つ隣りの303号室の住人には、敬虔なクリスチャンの耳には「スチール缶」の軽やかに響く音が本当に教会の「ベルの音」にしか聞こえなかったのも無理はない。
「これ、どうしよう・・・」
カラーン、コローン。
スチール缶の音が響いてしまう。
そこへ、
ピンポン!
「!」
呼び鈴・・・。
ピンポン!
「・・・」
今度は誰だろう?
おそるおそる玄関ドアを開ける篠原里奈。
「夜分遅くすみません、警察です」
今朝来た増岡直子と菊池沙也加であった。
増岡は言った。
「今のベルの音は何ですか?」
「え・・・!」
「あなた、私と同じで、昭和や、バブル崩壊直後に魅力を感じる懐古趣味の持ち主ね。音楽や映画やドラマ、今の作品にはない昭和のテイストに、たまらない魅力を感じている。ただ私と違うのは、あなたの趣味には缶コーヒーの収集癖がある事。一杯のコーヒーの「顔」と言うべきデザインが商品ごとに施されていた「空き缶」という「ポップアート」にあなたは魅せられていた。その缶コーヒーの空き缶を大量に所持してフィギアの横にビッシリ並べている302号室の島田ちひろさんの存在を知ってしまった。そして空き缶コレクションの独り占めを狙って殺人を企て・・・」
「何の証拠があるの!」
「今しがた私たちが聞いたベルの音、それだけで十分でしょ?」
「そんな・・・知りません・・・!」
「あなたには家宅捜索令状が出ています」
パン!
乾いた音を立てて広げられる本物の家宅捜索令状。
「そんなバカな!」
「あなたの部屋の中に最低2缶以上のスチール缶があればベルの音の根拠が成立し、被害者の指紋が見つかれば殺人容疑が確定する、という確実性の高い状況が、この家宅捜索令状の正当性を担保しています。もう抵抗は出来ませんよ」
篠原里奈は泣き崩れた。
待機していた捜査一課に連行される篠原里奈。
「ふう」増岡は溜め息をついた。「昭和のポップアート、か。私も他人の事をとやかく言えた人間じゃないのにね・・・」
菊池は思った。
何が殺人の動機になるか、本当に分からない時代、すなわち「今」が本当に幸せな世の中なのだろうか、と。
未来事件簿『ベルの音』
もっと書き込めた筈。短編小説になってしまった。実力不足ですね。ごめんなさい。