廃屋の記憶
廃屋の記憶
『ピエロの館』っていう人もいるし、『ピカソの館』っていう人もいる。気が狂った画家とその妻子が住んでいた郊外の一軒家で、その家の居間の壁には、画家が妻と子供を殺した血で描いた絵があるという。県内ではわりと有名な心霊スポットの一つだった。
私は港の埠頭に続く道路の、貨物コンテナ置き場の区画に車を止め、一緒にその心霊スポットに行ってくれそうな男が現れるのを気長に待っていた。要するにナンパ待ちなんだけど、四日目になる今晩もなかなか私の条件に合う男はやって来ない。この道に並ぶ女の子たちの車に横付けされるのは、大体が二、三人でつるんだチャラい男たちの車で、目的はカラオケか花火を口実にしたHだった。ここは昔からナンパのメッカみたいになっている場所だから、そういう男が多いのは百も承知していたけど、実際来る者来る者が判で押したように同じ思考の人種ばかりだと正直うんざりする。
私が待っている男は単身でそこそこ度胸があり、あまりナンパ慣れしていない、私がコントロールしやすそうな性格の男だ。その条件さえクリアしていれば、顔立ちの良し悪しだとか、収入の多い少ないだとか、学歴の高い低いとかは一切気にしない。そんなに難しい条件ではないと思うけど、待てど暮らせど私の条件に合う男が現れる気配は一向になかった。
マイカーの軽自動車が無駄に夜の潮風に晒される。錆びたら嫌だな、と思いつつ、我慢してもう一時間だけ待ってみることにした。
考えてみれば男たちの方だって女なら誰でもいいってわけではないんだろう。三十五にもなるアラサー女が、ヒマそうに一人ぽつんとナンパ待ちをしている光景って、客観的に見たらひどく滑稽で哀れな感じなのかもしれない。来た時は十台くらい止まっていたはずの女の子たちの車が、いつのまにか私の車一台だけになっていた。
お高く留まった最後の上等な獲物。男たちの車がそんな勘違いを起こしたのか、痺れを切らしながら列を作っては順番に私の車に雪崩れ込んでくる。みんなが期待に胸を膨らませながら勢い良く窓を開け、賞味期限の切れたイケてないアラサー女の顔を確認して、すぐに勢い良く窓を閉じる。私は露骨に素っ気なく立ち去っていく男たちを苦笑いで見送り、半分諦めながら残り一台になった最後尾の車に願いを託す。
派手なペイントとステッカーでこれ見よがしに不良である事を主張した黒いセルシオが急停車で横付けされた。よりによって最後の貴重な一台が威圧感たっぷりのヤン車だなんて私もつくづく運がない。途方に暮れる隙もなく、夜の黒い海を貼り付けたようなフルスモークの窓が開く。
「オッス、ヒマ? ……ってか、姉ちゃん一人?」
天守閣の鯱のような金髪のリーゼントが助手席の窓から飛び出し、間の抜けた単語をつなげた第一声を発した。斜め下から私を値踏みする視線がガンを飛ばすように鋭い。そして動揺する私の顔を一通り眺め、「なんだ、姉ちゃん結構歳いっちゃってんじゃねぇかよっ」と、失礼にもはっきりそう口に出して落胆した。
そういう彼の方も最近の流行に疎いのか、車にばかり金をかけ過ぎて身の回りが全て無頓着になったのか、年寄り臭い柄の甚平に雪駄という、ものすごくラフでダサい格好をしていた。
「……で、どっち? ヒマなの? ヒマじゃねぇの?」
呆気に取られて応対を忘れた私に、彼は消しゴムで擦ったら簡単に消えてしまいそうな極細の眉を吊り上げてもう一度聞いて来た。
「ヒマだよ。ヒマだからここにいるんだけど……」
「じゃあ、どっか行こうぜっ」
即決を求めて畳み掛けて来る淡白な彼の言葉遣いに、時間とエネルギーをどうしようもなく持て余している若さを感じた。金髪のリーゼントも極細眉毛の強面も、よく見れば綺麗な二重瞼とくっきりした鼻筋に支えられていて、まだ十代後半か二十歳になったばかりくらいのあどけなさが残っている。とりあえず単身の条件はクリアしていたから私は彼を吟味してみることにした。
「アンタ、さっき私のこと歳いっちゃってるとか言ってたよね? なのに私でオッケーなの?」
「別にいいよ。っていうか、もう姉ちゃんしか残ってねぇじゃん」
「……まぁそうだけど」
年上のレディに対する配慮がかなり欠けている物の言い方には唖然とするしかないけど、正直なところはそんなに悪い気がしなかった。
「率直に聞くけど、ナンパの目的は何? やっぱり女の子とHがしたくてかな?」
どれくらい正直者かテストだ。「H」という単語を私が発した時、彼の目が一瞬泳いだ。裏表のない人間は分かりやすくてコントロールしやすい。ナンパ慣れしていないのか、ハンドルを握る彼の右腕が細かに震え出し、急激に落ち着きがなくなった。
「と、とりあえずドライブでもしようぜっ」
彼は私の質問に答えなかったけど、正直者テストの結果は充分に出たので、私は彼を心霊スポット同行に採用してみることにした。
「いいよ、どこ行く? もしそっちがどこでもいいんなら、私ちょっと行きたい所があるんだけど。……あのね、実はそこ心霊スポットなんだよねぇ」
これ以上男が現れるのを待つのも嫌だったから、私は思い切って彼に本来の目的を交渉した。
「心霊スポットかぁ、別に全然いいよ。オレ普段夜通し車ぶっ飛ばしてっからよ、多少遠くても平気だぜ」
さすがは不良。心霊スポットに行く度胸はわけなくあるみたい。
「『ピエロの館』って聞いたことない?」
「あぁ、あそこな? 知ってる知ってる。前にオレのダチが行ったって言ってたけど、かなりヤバイんだろ? 霊感あるヤツだったら絶対見えるとか騒いでたな」
「かもね。気の狂った画家が住んでた家だからハンパないよ。奥さんと子供を殺した血で描いた絵があるんだって。私美大出身だからその絵にすごく興味があってさ、どうしても一度観てみたいんだよね」
「オッケーわかった。マジでそんな絵があるんならオレも観てみてぇ」
交渉がなんなく成立したので私は近くの空き地にマイカーを置いて、彼の自慢のセルシオに身体を移した。多分親に頭金を払ってもらって気の遠くなるような期間のローンを組んで買ったんだろう。豹柄の助手席に腰をおろすと、彼の愛車はすぐに誇らしげなエンジン音をあげて走り出した。
空港へ続く海沿いの道を我が物顔のセルシオが爆走する。それを飼い慣らしている運転手の横顔は初ナンパ成功で微かにニヤけていた。
「姉ちゃん、なんて名前?」
「私? 私は滋賀。滋賀久恵。シガちゃんって呼んでくれていいよ」
「オレ、中尊。下の名前は直也だけど、中尊でいいよ。ダチはみんなそう呼んでっから」
知り合ったばかりの私たちは、お互いに自己紹介した後、たどたどしい質問の応答を繰り返して相手の素性を探り合った。
中尊君は私がある程度予想したとおりの男子で、高校を卒業したばかりの解体工見習いだった。中学、高校と付き合っていた彼女と最近別れたばかりらしく、新しい恋人を探しに週末の港のナンパにわざわざ県の北部から繰り出して参戦していた。勢いだけで巧みなナンパ術を持たない中尊君はナンパ初成功の私に対してヤンキーらしい横柄な態度と言葉遣いで接するものの、会話の内容に関しては妙に慎重で遠慮がちだった。車の話なら安心して話せるらしく、質問がなくなるとすぐに自分の愛車の話をする。
「このセルシオは親父が就職祝いにくれた。解体で稼いだ金はほとんどこいつのカスタム費に消えっけど、最高に気に入ってる。元カノとのデートはほとんどコイツでドライブだったな。「もういい加減飽きた」とか元カノに言われたけど、金ねぇからしょうがねぇ」
「しょうがないってことはないでしょ。「車とアタシどっちが大事なの?」とか彼女に言われなかった?」
「言われた言われた。「車に決まってんだろっ」ってキレたら、元カノもメチャメチャ機嫌悪くなって、それでケンカして別れた」
愛車自慢から元カノに対する軽い愚痴。幼稚で単純な思考の中尊君に確信的な安心感を覚える。
「まぁそんなもんじゃない。男と女なんて大体がくだらない理由でダメになるよねぇ」
恋愛経験が豊富なわけじゃないけど、一応年上の立場で悟ったふりをした。
『ピエロの館』までの道のりは平坦で、周囲はほとんど建物がない、ただ暗いだけの淋しい景色だ。空港が見える手前に防風林の長い敷地があって、家はその林の中にひっそりと隠れるように建っている。家のすぐ近くには用水路が流れていて、動物を焼却する施設のようなものがあったはずだ。話だけ聞けば確かに不気味な雰囲気の場所ではあった。
「話変わるけど、中尊君は霊とか信じるタイプ?」
「オレ? どうだろう……わかんねぇ。でもマジで信じてたら心霊スポットなんか行かねぇ。ほら、霊を信じてるヤツとか霊感あるヤツって、どっか根暗でネガティブな感じのヤツ多いだろ? オレ、結構ポジティブな性格だから、多分霊体験とか無縁だね。シガちゃんは霊感とかあるタイプなわけ?」
「私も別に霊感とかないよ。でもこれから行く『ピエロの館』には若干感じるものがあるかな? うまく言えないけど、なんかモヤモヤした想いみたいなものがずっとある……」
「ってか、それが霊感なんじゃねぇのかよっ。あそこマジでヤバイって言うから変なもんに憑りつかれんなよ」
「アンタ、ポジティブなんでしょ? だったら私になんかあったら中尊君が助けてよね」
「……お、おぅ」
私に霊感なんてまるでない。笑いながら冗談のつもりで言ったのに中尊君の返事が微妙に濁った。見かけ倒しのヤンキーかもしれないと、私は少々がっかりしたけど、クッションの効いた豹柄の助手席の居心地はすっかり良くなっていた。
「次、右でいいんだっけか?」
「そう。次右曲がったらしばらく行くと林に入って行き止まりになるから、そこで車止めて。あとはそこから歩いていくしかない」
記憶を手繰り寄せて中尊君に道を教える。空港の方角は果てしない闇夜に包まれていて、来た道の遠くは煌々とした市内の明かりで空までぼんやりと光っていた。車のヘッドライトが前方の果てしない闇を照らす中、私は目を凝らして防風林の敷地を探した。
「あった。あそこの林だよ」
周囲に田んぼしかないだだっ広い場所に海風を受けて反り返った松林が浮かび上がる。
アスファルトで舗装された道路がふいに終わり、車が狭い砂利道に入った。
「いかにもって感じの場所だな。こんな所に住んでたら気が狂ってもおかしくねぇや」
辺鄙な松林に顔を顰める中尊君の呟きに素直に同感する。遠くにある市内の輝きを眺めながら、何が悲しくてこんな不便で淋しい場所に住まなくてはいけなかったのだろう? 繊細な感性を持った人には、都会の喧騒はあまりに煩過ぎたのだろうか? 快適さや人との触れ合いをあえて避けるような暮らしにどんな理想があったのか? 私は主不在の廃屋にそれを訊いてみたかった。
これ以上車での進入が不可能と思われる所で中尊君が車を止める。
「帰りバックじゃねぇと出れねぇな。雑草もハンパねぇし……」
車をおりると、甚平と雪駄の軽装で来た中尊君にはいくらか厳しい荒れた草むらになっていた。用水路のささやかな流れと虫のざわめきが響いていて、私たちは寄り添うにはまだ早い親密さの距離を保ちながら中尊君を先頭に草むらの道を進んだ。中尊君は私が持参した懐中電灯を無駄に周囲の闇に振りまきながら、明らかに腰の引けた歩き方をしていて、威勢の良かったヤンキーの虚勢がここへ来て仇になっていた。私は中尊君の背中をさりげなく支えながら、心の中で半分彼に失望し、もう半分でつまらない事に彼を付き合わせた申し訳なさを感じた。
件の家は伸び放題の雑草に苦戦すること五分くらいの所に物悲しい有り様で捨て置かれていた。隣接していた動物の焼却場はなくなっていて、その敷地の跡が草むらの中にぽっかり空いていた。
「『ピエロの館』って言うから、てっきり外国の洋館みてぇな家を想像してたけど、なんてことねぇただの平屋なんだな」
目の前にある廃屋は中尊君の言うとおり、『館』とはとても呼べない粗末な木造の平屋だった。トタン板の屋根が所々剥がれ、窓ガラスがどこも派手に割れている。玄関のドアはこれまで何人もの興味本位な不法侵入を受け入れてボロボロに腐敗していた。
家の外観を何度も懐中電灯で照らして、なかなか家の中へ踏み込もうとしない中尊君に代わり、私が『ピエロの館』への第一歩を踏んだ。廃屋とはいえ、土足でこの家に上がり込む事になんとなく抵抗があったが、腐った床を踏み抜いてしまう危険性があるので、やむを得ず靴のまま中へ進入する。瓦礫に埋もれて転がる様々な生活道具に、かつてここにあった慎ましい暮らしぶりを思い浮かべながら、私は問題の壁画がある居間の方に足を向けた。やや遅れを取りながら中尊君が雪駄を這わせて私の後をついて来る。
「シガちゃんはこういう場所慣れてんのか?全然怖がってねぇみてぇだけど」
「そうだね、慣れてるっていえば慣れてる」
「何か感じるか?」
「今のところは何も感じない。っていうか、感じたくないっていうのが本音かな……」
「なんだよ、それ? ……意味ありげに気味の悪ぃこと言うなよな」
別に悪気はなかった。中尊君に構わず壁画のある居間にそそくさと入る。台所から続く、十畳くらいの部屋だ。中央にテーブルがあって、一人掛けと二人掛けのソファがL字型に据えられている。
「ねぇ見て、多分これが問題の壁画よ……」
私が二人掛けソファの背後の壁を懐中電灯で照らすと、中尊君がはっきり音を立てて息を飲むのが分かった。雨風で出来た黒いシミのようにも見えるけど、壁一面に確かに絵のような模様が浮かんでいた。照明を頼りにゆっくりと筆跡らしきものを辿っていくと、それらが偶然の産物ではなく、はっきりとした意図を持って描かれたものだという事がわかる。気が狂った画家が描いた噂は大袈裟だけど、ひどく稚拙な出来の絵だった。体も顔も変に歪んだ人物像たち。
ある人にはこれがピエロの絵に見えて、ある人にはピカソが描く抽象画のように見えたのだろう。
「この絵さぁ……中尊君にはどんな風に見える?」
きっと絵心なんて無いんだろうな、と思いつつ、私は気になって中尊君にそんな質問をしてみた。中尊君は押し黙ってしばらく真剣な表情で壁の絵を眺めた。そして気に喰わない相手にメンチでも切るような鑑賞を終えた後、案の定「殺人ピエロだっ」と吐き捨てるように言った。
「ピエロがさ、両脇に妻と子供を抱えてんだよ。そして無残に殺すんだぜ、マジで気が狂った画家が描きそうな絵って感じだよ」
絵心以前の問題だ。私はこの家に対する中尊君の先入観が、純粋な絵の鑑賞の妨げになっている事に腹が立った。
「美大出身だから言うわけじゃないけど、残念ながらこの絵は殺人ピエロなんかじゃないよ。そして気が狂った画家が描いた絵でもない。本当は父親と母親と娘が手を繋いで笑っている絵よ。むかしこの家に住んでた女の子がね、クレヨンで一生懸命描いた楽しかった頃の家族の肖像……」
懐かしさの前に寂しさと悔しさの方が先に湧いた。
「なんでそんな事わかんだよ。やっぱシガちゃん霊感あんだな?」
「霊感なんてないよっ」
高ぶる感情を抑えながら、私は無理やり笑みを作って中尊君に向けた。
「この家は、私が小さい頃に住んでた家なの。だいぶ記憶が薄れて忘れかけていたけど、確かに住んでた。……この絵がその証拠。この絵は私が描いたんだよ」
私の唐突なカミングアウトに中尊君の目が点になった。そしてしばらく呆然とした後、気まずそうに金髪のリーゼントをぽりぽりと掻いて俯いた。
絵の全体像がわかるように、私は少し離れた位置から壁に懐中電灯を当てた。
「ピエロに見える真ん中の人がお父さんで、左がお母さん。右の一番小さいのが私。五歳くらいの時に描いたからヘタクソだけど、お父さんは褒めてくれた」
誕生日にお父さんが買い与えてくれた二十四色入りのクレヨンで夢中になって描いた絵だ。お父さんは芸術鑑賞が好きな人だったから、最初は大人しくお絵かき帳に描いていた私を「上手だな、久恵は将来きっと有名な絵描きさんになれるぞ」とおだててすっかりその気にさせた。調子に乗った私は、つい手が伸びて狭いお絵描き帳から居間の大きな壁に家族三人が仲良くしている絵を描いた。
「何やってんの久恵っ、お家の壁に落書きしちゃダメでしょっ」
お母さんが私に注意すると、お父さんが私を庇って言い返す。
「いいんだよ。殺風景な壁より、楽しい絵が描いてある方が生活にハリが出るんだから」
お父さんとお母さんの仲が悪くなり始めた頃だったから、私は上手にこの絵を描く事が出来ればみんな元通りになるんじゃないかって、子供ながらに必死でこの壁の絵にそんな期待を込めた。
「一生懸命描いたのに、うちの両親やっぱり離婚しちゃって、私とお母さんはそれからしばらくしてこの家を出たんだよ」
お父さんは私たちがこの家を去ってからもこの絵をずっと消さずに残しておいてくれたようだ。
「どう? 話聞いたらこの絵の印象だいぶ変わったでしょ?」
残忍な殺人ピエロから不器用で滑稽なピエロくらいには印象が変わっている事を期待して私はもう一度中尊君に聞いた。中尊君はなんだか少し不機嫌そうな顔でしばらく何も答えず黙っていた。
「よくわかんねぇけど、オレ湿っぽい話苦手なんだよな。要するにあまり良い思い出の絵じゃねぇんだろ?」
「まぁ……そうだね」
「まだいる? この絵」
「え、何で?」
絵を見つめる中尊君の顔が一段と不機嫌なものになり、今にもキレてしまいそうな危うさを示した。
「この絵いらないんだったら燃やしちまおうぜっ。家ごとさ、嫌なもん忘れるためにキレイさっぱり消しちまえばいいんだよ。このままここにあったって、事情を知らないヤツらに「呪いの絵だっ」って気味悪く思われるだけだろ?」
人の家族の思い出に勝手な口出しするなんて余計なお世話だと思ったけど、実は私も中尊君と似たような事を考えていた。インターネットの掲示板サイトで、かつて自分が住んでいた家が心霊スポットとして扱われているのを目にした時のショックは大きかった。
事業に失敗して多額の借金を抱えたお父さんが人目を忍ぶために選んだ家。繊細で小心者ながら、お父さんはなんとかこの家から再出発を図ろうとしたのだろう。
思い出の弔い。私がここに来たかったのはそのためだ。
「火はつけなくてもいい。騒ぎになったらマズイし、それよりももっとヤンキーっぽいやり方あるでしょ?」
私は懐中電灯の他に用意しておいた三色のスプレーをバックから取り出し、一色を中尊君に渡した。
「この壁の絵に好きに落書きして。でも、ダサいのは勘弁だよ。私がその後にニューヨークの地下鉄みたいなグラフティやるからさ。ヤンキーと美大のセンスでコラボ。どう?」
「それ良いアイデアだな。気合い入れてビシッと決めてやるよっ」
そして私と中尊君はくすんだピエロの絵に、気合いの入ったギラギラした現代アートを施した。
出来は絵心のないヤンキーのせいでまあまあ。甚平と雪駄をスプレーだらけにしながら中尊君が描いた落書きは、ヤンキーにありがちな間抜けでダサい「ポジティブ中尊、ただいま参上っ」というサインだった。でもそのおかげでかつての思い出に獲り憑いた陰惨な印象を陽気に弔うことが出来た。
正気に戻った壁のピエロは今は誰が見ても穏かに笑っている。
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