草ノ音
草木の揺れる音が風に乗って流れるさまを
目をつむり耳を澄ます。
秋の田の 仮庵の庵の 苫をあらみ
「秋の田のほとりにある仮小屋の、その屋根の葺いた苫の編み目が粗いので、私の袖は露に濡れていくばかりなのである」
私は、この詩の情景を現代に置き換える。
私の家の二階、屋根裏部屋で窓を開け、ザアッと音を立て雨風に流れる稲の音を聞く
そこに母が来て、ベットに入れられる。
窓は閉められたのであろう。パタンと悲しげに音を立てたドアが静かな部屋に響く。
一階のリビング、弟と母の楽しげな会話。そこに父の音はない。
イヤホンをして、再生ボタンを押す。
流れる音は今風のラップや、古いジャズ、落ち着くクラシック、そして百人一首。
一音一音がとても綺麗で、聞いてるうちに私は深い眠りに落ちる。
夢の中
久しぶりに夢を見た。
真っ暗な川辺に光る川。その中を私は歩く。
冷たくはない、寧ろ温かい、温泉まではいかないぬるま湯の温かさ。
魚が足元を横切る。
尾っぽの千切れた鯉に、これでもかと思うほど赤い金魚。
どれも目にした事のあるものばかりだ。
夢とは、記憶で構成される物だと、昔見たことがある。
今では、夢でしか見れないものばかり。
きっと私は、星を見すぎたのだ、空を見すぎたのだ。
きっとこれは、見すぎた罰なのだ。
私の目は17歳の時から闇以外映さなくなった。
昔から目が悪かった私は、書き物が好きだった。
小説にしろ、絵にしろ、何かをずっと書いていた。描くには色んなものを見ていた。
だからきっと、私は色んなものを見すぎてしまったから。
これは、神様からの罰なのだ。
わが衣手は 露に濡れつつ
ザアザアふる雨の中、ビニール傘がパラボラアンテナの様に雨音を吸収して音を立てる。
俺は、コンビニの袋を片手に彼女の家まで歩く。
といっても、家が隣同士な為、さほど変わりはない。
西洋風の木造二階建ての小さ目の家にデカい庭。
彼女の家が見えた。
俺と彼女…緑河 蒼空は、高3の時に付き合い始めた。絵を描くのが好きな子だった。
「ほら見て、今日はとても空が綺麗」と隣で指をさして笑う蒼空が今でも鮮明に蘇る。
17の誕生日に事は起きた。前日から続いた高熱で、彼女の目は光を映さなくなった。
俺の顔も、空も、草も、山も、海も映さなくなった。
神様とやらがいるなら、あの時に戻れるなら、彼奴じゃなく俺にしてほしかった。
「いいのよ、陽成これは見すぎた罪なんだから」
悲しそうに、泣きそうに声を出した彼奴の顔がやけにハッキリ目に映る。
コンコン、ドアをノックすると、やんちゃな弟の風太くんが家に入れてくれた。
「あらいらっしゃい。あの子は二階にいるわ」
そう蒼空の母、紅音さんが言う。
「どうも、これ良かったらどうぞ」コンビニの袋を手渡し、そそくさと二階へ上がる。
ギィーと音を立てる階段を登りきり、左へ曲がったすぐの部屋。
コンコンとノックして部屋に入る。
蒼空は長い髪を縛ったまま寝ていた。近くにはイヤホンと俺があげたウォークマン。
薄く開いた唇の血色はいつもより少し悪い。
夢では色に触れられるのだろうか、ふとそんなことを考える。
絵の具やら、スケッチブックやらで散乱していたはずの部屋には、もうそんなものどこにもなく。
ただある絵は、蒼空の好きな現代アーティストの描いた代物だけ。
そいつがやけに寂しそうに俺には見えた。
「さむい」
怠そうに声がする。ベットを見れば蒼空が体を丸めていた。
「悪い、ドア閉め忘れてた」
閉め忘れたドアを閉めながら「バカバカ」言う蒼空の声を聞きながらベッドによる。
「シュークリームとプリン買ってきたから機嫌直してください」
「直りました!」
こんな普通の会話が楽しい
春すぎて 夏来にけらし 白妙の
「春過ぎて夏が来てしまっているらしい。夏になると真っ白な衣を干すという天の香具山なのだから」
さっき陽成にもらったプリンを食べつつ考える。
きっとこの詩は梅雨時に読まれたのだろうかと、そうであってほしいと。
さっきよりも少し雨音が強くなった気がする。
まるで陽成を帰らせないように。
私の気持でもわかるのかしら?と思う。
「固まってどうした?」
陽成のちょっと不思議そうな声
「なんでもないよ」
そん言葉に少し微笑みも載せて
見えなくなって思う。
この世界は美しいと。
夢で見た金魚も、鯉も現実と違っても。
私が見ていた世界には綺麗なものしかなかったのだと。
『当たり前こそが幸福』
前は嫌いだったこの言葉は、今では痛いほど身に染みて分ってしまう。
『見る』という当たり前を失って、思うのは不便さもある。
代わりないとは言えない、だって段差何か分んないし、本も読めない。
好きな人の顔も、友達の顔も。
何にも見えない。
でも、慣れれば何てことない。
もし、タイムマシンがあって、好きな時に戻れるのなら。
付き合った当初に戻りたい。
今が不満なんじゃないけど、惚れたきっかけの、切れ長の目。
涼し気に、冷静に、当たり前のことの様に「お前の人生をください」と言われたあの瞬間。
思わず泣いてしまったあの時に戻りたい。
この21年間で一番幸せと感じれた、あの瞬間に戻りたい。
そう強く願った。
雨音はさらに勢いを増した。
衣ほすてふ 天の香具山
「ねえ、告白した時のこと覚えてる?」
蒼空の笑い交じりの、少し茶化すような声でそう聞かれた。
その瞬間フラッシュバックの様に、この21年間で一番恥ずかしかったあの瞬間が目に焼き付く。
「お、覚えてない!忘れた!!」
絶対嘘だと分る言い訳、否言い訳にすらなってない。
クスクス笑いながら「絶対うそ」と、突かれる。
「覚えてるけど、あの後恥ずかしかった」
ここまで来たら開き直ったほうがよさげだった気がしたのだ。
「お前の人生をくれ!ってねー」
笑いながら蒼空が言う。
「やーめろ!やめろ!!言うな!!」
キャッキャ言いながらはしゃぐ蒼空。
何年ぶりだろうか、こんなに笑う此奴を見たのは。
いつも見透かしたような、何かを悟っているように笑う此奴が、こんなに楽しそうに笑うのは本当に久しぶりだ。
二階の蒼空の部屋ではしゃぐ俺ら二人。
前は当たり前だった。
今では貴重なこの瞬間。
「あ、ねえ!」
ん?と首を傾げながら、何?と聞く
「今度、陽成の家に行きたい!叔母さんと話したい!!」
御袋と蒼空は仲がいい、それは今でも変わらない。
「分った、また聞いとくよ」
頭を撫でてやれば「やったぁ!」と笑う蒼空
こんな日がいつまでも続きますように。
また突然辛いことが起きませんように。
そう、誰かに願ったりしてみる。
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の
「山鳥の尾の、その垂れ下がった尻尾が長々しいように、秋の長々しい夜を一人で寝ることになるのだろうか」
結局その後雨は止まず、母の我儘と私の我儘で陽成は泊まっていくことになった。
長いのは秋の夜だけじゃない、夏の夜だって長いのよ。
夏の夜の長さを忘れないで。
夏の長さを忘れないで。
カルタの大会は夏だったっけ、陽成と二人で一番下のD級の大会を小学校の頃に出たのを思い出す。
私の将来の夢は、読み手だったな。一応高校1年の時にA級になってお祝いもしたっけ。
「ねえ、陽成」
「なんだー?」
怠そうな声だなーもう
「陽成は、カルタやめたの?」
あーっと少し考えるみたいな声。
「やめてないよ、まだやってる、大会はもう出てないけど」
ああ、よかった、本当によかった。
「良かった、やめてなくて」
「なんだそれ」
笑い交じりの声
「だって陽成カルタしてる時、楽しそうだったから。袴姿かっこよかったし」
「そうか?」
「そうよ」
つい、こんな会話に笑みが漏れる。
でも、陽成のカルタしてる姿はかっこよかった。
私も、出来ることならもう1回カルタをしたい。
陽成は名人を目指して、私は読み手を目指して。そのためにA級まで登りつめたのにな。
結局夢なんて一時の幻に過ぎない。
ながながし夜を ひとりかも寝む
結局と泊まることになり、紅音さん特性のハンバーグを御馳走してもらった。
食事中は蒼空に食べさせながら、自分も食べていた。
世間一般で言うあーんってやつをこの年でやるのは恥ずかしいものだ。
食事の後、風呂は流石に一緒には入れない為、紅音さんが蒼空と入ることになった(いつもである)
その間、せめてもの恩返しのつもりで食器を洗う。
そこで初めて蒼空の茶碗だけ小さいことに気付く。元々食べる方では無かったから丁度いいのだろうか。
俺にはわからない。
皿洗いが終わると同時に蒼空と紅音さんが上がってきた。
「あら、陽成君洗ってくれたの?ありがとう」
紅音さんが少し申し訳なさそうに言う。
「風太はもう寝っちゃってるから、入ってきちゃって」
「ありがとうございます」
頭を下げて、風呂場に向かう。
大理石風の洗面台の上には、化粧品やら、蒼空の髪ゴムやら如何にも女子って感じの物が置いてあった。
見覚えのあるものもないものも、いい意味で生活感がある。
芸能人の家なんかは、生活感のかけらものなく俺は好きではない。
服を脱いで適当に畳んで、ドアを開け、シャワーを浴びて、浴槽につかる。
今日は楽しかったなと思う。
このあとはずっと蒼空を一緒だと思うと、顔の筋肉が緩む。
ああ、幸せだ。
風呂を出て、編み物をしている紅音さんへ挨拶を言い、髪の乾いた蒼空と2階へ戻る。
少し赤い顔、まだ水気を帯びた黒髪、俺を映さない黒い瞳に、長い睫毛。
いつもより色っぽく見えてしまうのは久しぶりに、こんなに一緒にいるからだろうか。
気が可笑しくなりそうだ。
田子の浦に うち出でてみれば 白妙の
『田子の浦に出てみると、真っ白な富士の高嶺にしきりに雪が降っていることだよ』
母とお風呂に入り
陽成と母の会話を聞いたあと、陽成の足音が通り過ぎた。
手探りでソファーに座る。
今日は落ちなかった。
「ねえ、蒼空」
母の柔らかい声が耳に溶け込む。
「何?」
少しそっけなかっただろうか?
「貴方たち何時結婚するの?」
・・・?
けっこん?
ゴールイン?
陽成と?私が?
考えたこともなかった。
「そろそろ考えときなさいよ。貴方たちもう長いんだから」
はぁっと一息つく母
「まあ、ママは陽成君なら安心できるわ」
優しい声
「うん」
少し俯きながら答えた。
パタパタと、少し遠くから足跡が聞こえる。
風太にしては乾いてて、ママにしては重い音。
陽成の足音。
「風呂、ありがとうございました」
低い、男の子特有の重みのある声。
こうした瞬間、陽成も男の子なんだよねと思う。
「行こうか、蒼空」
右肩に重みを感じる。
「うん」
きっと母と話してるときよりワントーン高い気がする
陽成のエスコートの元階段を上がる。
結婚かぁ、まだまだ先だと思ってたけどもう21だもんな
考えなきゃだよね
「蒼空、まだ一段あるぞ」
どうやら止まっていたらしい
「あ、ごめん、ありがとう」
そう言って最後の一段を手探りで登る
富士の高嶺に 雪は振りつつ
スースーと規則的な寝息が耳元から聞こえる。
同じベットで、蒼空がくっついて寝ている。
「俺は抱き枕じゃないぞ」と引きはがしたいが
残念ながら俺にそんなことする勇気はない。
寧ろこれはご褒美というか・・・
あの後、二階の部屋に戻ってから。
二人で雑談をして、蒼空のマイブーム化してきたジャズを聴き。
気付いたら蒼空が寝ていた。
俺はと言うと、この状況で寝れる筈もなく。
「誰かこの状況から俺を助けてくれ」と訴える自分と「蒼空さんありがとうございます」と蒼空に感謝してる俺もいて
いや、別に変態なわけではない。
柔らかくて気持ちいなとかは思うが。
決して変態ではない!
男ならわかるはず!
生理現象であって、ただの感想であって。
だから俺は変態じゃない!!
誰に講義してるんだ?俺は
バカバカしくなり気分転換に時計を見る
丁度深夜1時
ああ、寝なくちゃ。
明日も仕事なのに。
何処にでもいる、高卒サラリーマンの1人が俺である。
行きたい大学もあったが、その為には地元を離れなければならない
そうなると、蒼空と離れなければならない。
俺はそれに耐えられる自信がなく、大学へは行かなかった。
大手眼鏡企業に入社してるサラリーマン。
営業成績は、まあまあだが悪くはないから良いかと思っている。
瞼がゆっくりと閉じていく。
それにつれ景色はゆっくりと霞んで暗くなる。
蒼空はこの暗闇にいるのか。
怖がりな此奴に辛くはないんだろうか。
いや、隠してるだけで辛いはずだ。
目を閉じた先に小さく丸まって泣いている蒼空が居るような気がした
奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の
夢を見た
そこには小さく蹲った女の子がいた
「真っ黒で怖いよ」とその子は泣いていた。
真っ暗なんかじゃない
燃えるように赤い紅葉が輝いているのに
「怖いよ、怖いよ」
女の子はさっきより強く泣いている。
ザッザッ
足音が聞こえた。
急ぐように、此方に向かってくる。
「大丈夫だよ」
優しい聞き覚えのあるこの声は陽成の声で。
陽成がそう言った途端に女の子は泣き止んだ。
「陽成みえないよ、何にも見えないよ」
陽成の顔をペタペタ触りながら女の子は言う
ああ、この子は私なのか
そう思った途端、景色が変わった
燃えるように赤い紅葉は消え、ふたのついた箱に入れられたように暗い景色。
私の見ている景色。
嫌いで、嫌いで、憎くて、辛くて、苦しい景色
「大丈夫、俺がお前を守るから」
真っ暗な中に陽成だけが強く光ってって。
ああ、やっぱり陽成だ。
陽成と一緒にいたい。
急に体が重くなるのを感じた。
温かい、とても暖かい。
スーッと温かい空気が吹くのも感じるし、聞こえる。
「んー…」
唸り声?が聞こえたと思ったら、体が動かなくなった。
え?何?え?こわっ!
「んー…蒼空ー…」
陽成の声
え、ってことは、コレ陽成?
え、何で一緒に寝てるの?!
え?!
声きく時ぞ 秋は悲しき
俺は走ってる。
とてつもなく、赤い紅葉の中を俺は走っている。
「急がなきゃ」
そういう思いが俺を動かしている。
走ってたどり着いた先に「誰か」が待っている。
それだけが何故が分っている。
紅葉の真ん中で丸くなった小さな女の子が見えた。
蒼空な気がする。
いや、蒼空だと思う。
足を限界まで動かした。
転びそうになりながら紅葉の中を走った。
どんどん大きくなる蒼空は、俺の中の蒼空という存在がデカくなるのと同じように、徐々に大きくなっていく。
いて当たり前。
当たり前を崩さないように。
壊れかけたそれを俺は一刻も早く直さなければならない。
やっと辿りついた先に小さな蒼空がいた。
丸く沿わせた体をそっと抱き上げる。
「怖いよ、怖いよ」
泣きじゃくる蒼空
きっと、言えない本心なんだ。
蒼空の本心なんだ。
「大丈夫俺がお前を守るから」
ぎゅーっと蒼空を抱きしめる。
ペタペタって効果音がしそうな小さな手が俺の顔を触る。
愛おしくて、可愛くて、離したくなくて、でも、自由にしたくて
ああ、でも
蒼空がいないと俺はダメだから。
離したくないな
もっと、もっと強く抱きしめた。
かささぎの 渡せる橋に おく霜の
AM8:30
アラームが鳴く
未だに陽成は私に抱きついたまま離れない
此奴寝たふりしてるんじゃ?
そう思う
「陽成起きて、8時半すぎてるよ」
おきてーおーきーてー
「んー…みーてぃんぐ…」
やっと起きた
「もう8時半だよ寝坊助!!」
「あー?あー…あ?!」
やっとか、昔から朝が弱くて困る。
やばい、やばいと騒ぎながら、階段を盛大に転がり落ちる音が聞こえる。
コケたな
風太の笑い声と、お母さんの焦り声が聞こえる。
ダダダダダダダダ
「蒼空!!!また夕方!!くる!!」
バタン!
ドアは乱暴に閉めないでほしい、心臓に悪い
「そらー?ご飯よ」
「はーい」
ベッドから自力で起き
お母さんの誘導の元キッチンに行く
階段はとても怖い
何処に段差があるか分らないため、一人ではとても登り降り出来ない
「ねーちゃんおはよ!!」
風太の元気な声
「おはよ、風太」
キャッキャ笑う風太
何が楽しい弟よ
キッチンの大きな机に添うように置かれている椅子に、腰をかける。
シャキシャキの野菜と、お味噌汁、白米
いつもどおりの朝ごはん
心がほっこりした。
白きをみれば 夜ぞふけにける
遠くで賑やかなアラーム音がする。
まあ、大丈夫だろうと寝続ける
当たり前だ眠いのだから
「おきて」
んーねむい
「もう八時半よ!」
はちじはん…8時30分
あ?!やば!ミーティング!!
ベットから落ちるようにして、部屋から飛び出した。
ヤバい間に合わない
焦りでスエットの裾に足が絡まり、階段の一番上から母なる大地にヘッドバン。
痛い
紅音さんに心配され、風太君に笑われ。
紅音さんがわざわざパンを持たせてくれたのでありがたく受け取る。
急いで履いてきた革靴を履き、ダッシュで隣の河村家…俺の実家に向かい
鍵を開け、乱暴にドアを開けて土足のまま、一回にある自分の部屋のドアを開け、スーツを手に取り、急いで着替える。
ヤバいヤバい遅刻する!!
書類を鞄に入れ、パンを口に突っ込む
またボロイ革靴を履いて、鍵を閉め、愛車の軽自動車に乗る。
エンジンを掛け1時間ほどかかる道のりを運転する
いつもよりも早く流れる景色と、赤信号にイラつきながら新しく出来た高速道路の無料区間を走る。
ナビを見ずに目的地に到着したころには、殆どの社員が出勤してきていた。
「かーわむら!遅いぞー!」
同僚の竹林に肩をどつかれる
ひょろい癖に力だけはあるから結構痛い
「悪い悪い、彼女の家に泊りだったんだよ」
「お!蒼空ちゃんかー元気にしてんのかー?」
竹林は俺たちと同じ高校の出身で、俺のクラスメイトだった。
「元気にしてるよ」
度々蒼空はこうして話題になる。
地元で唯一といっていいほどの大手企業。
高卒者は少ないが、工業高校だったため、就職口にはもってこいなのだ。
そのためか、同じ学校の出身者は多く、蒼空も有名だったためこうして話題になるのだ。
天の原 ふりさけ見れば 春日なる
午後5:30
2回のノックの音と玄関のドアが開く音
時刻を知らせた、ふるさとの曲の放送が山に響き、木霊した後だ
タンタンと、規則的な足音がイヤホン越しに聞こえる。
「蒼空ー」
ドアを開け真っ直ぐに私の元へ駆けつけたのは
命よりも大切な人で
その人の顔は見えなくて
弾んだ低い声は私の心を溶かす。
この人と居ていいのだろうか
たまに思うこの不安は恐らく、消えることはない。
「蒼空」
肩を揺すられる
6時を知らせる有名なアニメ主題歌のジャズアレンジがイヤホンを通じ流れている。
目を開ける。
何も見えない。いつものことだ
「おはよう、蒼空」
柔らかい、低い声
「おはよう、陽成」
三笠の山に 出でし月かも
無事ミーティングという名の会議も終わり。
残業しない主義の俺は定時で切り上げる。
会社を出て、駐車場に向かい、愛車に乗り込む。
当たり前にほっとしている俺がいる。
来た道を戻るように、車を走らせる。
途中コンビニに寄ってる
風太君と蒼空の好きなお徳用シュークリームと、紅音さん用にエクレア、自分のコーヒーを買い車に戻る。
蒼空のほんわかした顔が目に浮かぶ
今日も事故なく帰れそうだ
洋風の木造2階建ての建物が見えた。
坂を上り、隣の純和風の木造建築の家に車を止める。
駆け足で、隣に行き、2回ノックする
出迎えたのは紅音さんとランドセルを担いだ風太君だった
「お疲れ様。蒼空は部屋にいるよ」
「よーせい兄ちゃんちわーっす!!」
「ありがとうございます、紅音さん。コレ良かったら食べてください」
コンビニの袋を紅音さんに渡す。
「あらあら、何時も悪いわね」
蒼空に似た顔が笑う
風太君に「ちーわっす」と返し頭を撫でる
タンタンを規則的に階段を上り、蒼空の部屋を開ける
若草色のイヤホンをしたまま目を閉じる彼女
世界中の人を虜にしてしまいそうなほど、整った顔の彼女
そんな彼女が光を映さないなど、誰も思わないだろう。
わが庵は 都のたつみ しかぞすむ
ガチャン
玄関のドアが閉じられた
この家の作りの問題上、家じゅうの音がダダ洩れなのである。
母の明るい声と、風太のまだ声変わりしていない幼い声が響く
その中で陽成の低い声を聞くと、無性に父を思い出す。
昔、良く一緒に遊んだなっと
決して体が強くはなかった私の看病を良くしてくれていた。
鼻歌交じりに、階段を上る陽成の足音が、何故だか物凄く近く感じた。
「そーらー!ポテチ食おう!!」
「えー夕飯前」
少し頬を膨らませる
「大丈夫、ちっちゃいやつ!!梅味!!」
「食べる!!」
ベットに腰かけて、ポテチの袋を開ける。
「あーん」
口を開ける
しょっぱいのに少し酸っぱい、スナック特有の味がした。
久しぶりに食べるので、少し刺激が強かったがやっぱり美味しい
草ノ音