海に浮かぶ少女

ある日、僕は海へ向かって車を走らせた。そこにひとりの少女が渚に佇み海を見つめていた

カーテンが揺れた。風も吹いているはずもないのに。
四月の朝の日差しはやわらかくとても暖かい
僕は眠ってはいないのだが、すこし微睡んだ
まま外の気配を聴くこともなく聴いている。


外では子供たちが、甲高い声でなにかを喋りあっている。やがてその声も遠のき静寂が訪れて、僕はまた微睡みと深い眠りを行ったり来たりした。


やがて静かに目を開ける。そこにはいつもの部屋のいつもの光景があり、薄い膜が広がるように網膜に広がった。
あいかわらずカーテンが風もないのに静かに揺れている。風も吹いていないのにカーテンが揺れるわけではないのだから、やっぱり風がそよと吹いているのだろう。


僕はそろそろとベットから起き上がり、そのへりに腰を掛けた。まだ頭の中が薄ぼんやりとして、頭の中心みたいなところと意識が焦点を結べないでいる。


窓は東側を向いていて僕はそれに背を向けているので、暖かい日差しがやさしく包むようにして差し込んでくる。また微睡みそうになるのを懸命にこらえて一つ大きく伸びをする。眠っている間、身体が少しこわばっていたのか背骨がポキポキと鳴った。


僕はそのままゆっくりと立ち上がりパジャマを脱いでフランネルのシャツとジーンズを履いた。春の暖かい日に着るにはこれで十分だ。

階下に降りてまだ少し冷たく感じる水道水を手ですくい顔を洗った。まだいくぶん残っていた眠気がそれで吹き飛んだようだった。


それから冷蔵庫を開けて、何かないかと食べるものを物色した。
食パンが二枚とたまごがいくつかあったので、それでたまごサンドを作った。
それとオレンジジュースをコップいっぱいに並々と注いだ。


オレンジジュースを飲んでから、僕はものすごく喉が渇いていることに気づいて、それを一気に飲み干した。続いてまたコップにオレンジジュースを注ぎ、半分くらい飲んだ。
なんだかオレンジジュースが身体中を駆け巡り全身に満ちてゆくようだった。
大げさだけれど一日の気力が湧いてくるような気がした。僕はもうそれで満足してしまって、たまごサンドは付け足しみたいに食べて胃袋に収めた。


僕は朝食を食べ終えると、今日一日のプランみたいなものを頭に描いた。大まかな概要みたいなものだ。
その時ふと突然海のイメージが湧いてきて、僕の頭いっぱいに、海のきらめきや潮の香りが鼻をついた。いや正確に言うと潮の香りを本当に嗅いだのだ。
僕はジャケットを羽織りおもむろに外に出、軽自動車のキーレスでエンジンを掛けた。


車を軽快に走らせながら、いくつもの街を通り過ぎた。
僕の知らない人々が住み、知らない街があった。
でもそこには確かに、名もない人たちの無数の営みみたいなものがあった。
車をひたすら東へと走らせ354号線に出、霞ヶ浦大橋を横断した。時折気まぐれにコンビニに寄りアイスコーヒーを飲んで喉を潤した。

やがて海岸通りを走っていると、潮風が鼻腔を刺激してくるのがわかって僕はそれを胸いっぱいに吸い込んだ。懐かしくそれでいてなんとも言えず物哀しい想いが僕を捉えた。
それは幼い記憶と今を結んでいる一本の撚り糸のようなものだった。

一本の細い路地を右折し、いくつかの浜辺の平屋の民家をたどって走っていると、そこに唐突に海が現れたた。
空は曇り空だったが、何故か水平線の彼方は陽光を浴びて煌めき輝いていた。
僕は邪魔にならないよう開けた空き地に車を止めそして降りた。
防波堤やテトラポットを超えて浜辺へと歩み進み潮騒の音に耳を澄ませた。

遠い太古からの響きを胸のうちに聴き、
何億年も変わらない潮風を頰に受け僕はしばらく海辺で佇んだ。
僕は僕の幼い時間からの記憶をたどり、今と結び合わせようとした。
けれどそれは潮騒と潮風に打ち消されてしまい、どこかに吹き飛んでいってしまった。
それから僕は無心で海を見つめ続けた。

どれくらいの時が経ったのだろう。
僕は時間という概念から取り残され、海辺で何年もかけて、どこからか流れ着いたつるりとした流木のようにひとり立ち尽くしていた。
僕は海風に当たり過ぎてこわばった身体をさすり、踵を返して車に戻ろうとした。


その時だった。僕の背後からどこからともなく現れた少女が海に向かって歩きだしたのは。

海に浮かぶ少女

海に浮かぶ少女

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-05-04

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