夜を歩く
「散歩」の追記
炭酸水が飲みたくなった。
小銭を漁った。
60円しか無かった。
お札なんて高尚なものは生まれてこの方見たことがなかった。
言いすぎた。
諦めて散歩に出ることにした。
本当にお金がないすっからかんの状態が何だか可笑しくて、ひとしきり笑いながら準備をした後、いつもの様に腰の左側に付けた革製のキーホルダーをガチャガチャ言わせ、右ポケットに入れた泣けなしの60円をシャラシャラ言わせ、ドアに張り付く様に鍵を閉めると、僕は体を外にほっぽり投げた。
とぐろを巻いた蛇の様な、そんな長い階段を駆け下りると、外の匂いがぐわっと覆いかぶさってくる。
葉の香りや木の香り、どこかの猫の糞や住宅街から隙間を抜けて届くシャンプーや洗剤の生活香、そんなものを嗅ぎながら、遠くで聞こえる車の音なんかを聴きながら、夜風に冷える脚の温度を心地よく感じながら歩くのだった。
16号沿いを歩いて行くと、落ち葉や捨てられたレシートや、コンビニの白い袋何かがカラカラと音を立てて回って居た。建物をすり抜けてきた風が、大通りを突き進む風とぶつかり渦を作っているのだ。そのまま足を進めると渦はざわざわと速度を落とし、ゆるゆると消えていった。通り抜ける時、踏み潰した葉がくしゃりと音を立てた。
風には通り道がある。
木々が立ち並び地形も起伏に富む自然の中では彼らは自由に飛び回り、岩と岩の間を窄まったり、ぐんぐんと速度を上げながら広がりまた散って、あっちとこっちでぶつかり弾けたりするけれど、建物の立ち並ぶ街の中では面白い様に街の形に従う。試しに奥まった住宅街の中から微かに風が抜けて行く方向に向かって歩いて見ると良い。最初は微かにしか感じなかった風が曲がり角毎に勢いを増し、次第に太い一本の筋となって流れを作り出す。だがまだ中流だ。大通りが見える所まで来ると水道の蛇口の様に勢いよく風が吹き出て行くのを肌で感じ、耳はその音を聴く。そして彼らは通りに流れ込む瞬間、大きな笑い声を立てて自動車の流線型のボディとダンスを踊るのだ。
同じ様に道を歩く人にも流れがある。
大体の人が目的地を持って歩いている訳で、駅だとかショッピングモールだとか、人が行く様な所は大体同じ様な場所になるのだから当然と言えば当然なのだけれど、僕が言いたいのは道の中の動線だ。
例えば川を渡る小さな橋の入り口横、L字の曲がり角の外側の角、そういった所は大体にして人が通った痕跡が無い。何というか、気配が。
人が行き交ってるその瞬間も、そういった空間はぽっかりと静けさを保っている。蜘蛛の巣を張って。
そんな物を見つけながら散歩する様になって、どれくらい経つだろう。初めて夜に家を抜け出し生まれ育った街を歩いたのは一体いつだったろう。何かが変わる訳でもなく、何かを変えようと思ってる訳でもなく、嫌な事があった日も楽しい事があった日も、いつもぷらぷらと歩き回って居た。通って居た夜間学校を休み、小銭だけをポケットに入れて夜中中路地と幹線を歩き回り、小便臭いピンク映画館で眠りについた思い出。あの頃から金は無く、あってもタバコ銭程度の物で、そんな中で唯一、生活の隙間を縫って孤独になれる時間。風を眺めて、見知らぬ日常を生きる人々の残り香を嗅ぎ取りながら、空想とじゃれ合う遊び。
腹は満たされなくても、心は満たされる。そして生きている限り、心は栄養を求める。豊かさを、冒険を、静けさも喧騒も、暴力も抱擁も。美徳も、悪徳も。もっももっと大きくなろうとして、何もかもを知ろうとして、求め続ける。生きている限り。
物思いに更けながら風に従い歩いていると、ふと潮の香りを感じた。住宅地から大通りに抜ける時の蛇口とは違う、ぐうんと伸びやかに広がる風の流れを感じる。この通りを抜けたら、海がある。無限にも思える時間の中、瞬間が永遠に続くかの様に波をざわめかせる夜の暗い暗い暗い海が。見たい、と思う。冷たい潮の香りで肺を満たしたい。期待に心が踊る。胸が穏やかな鼓動を立てる。
冷えた空気が空から降ってくるのを感じ、見上げると空は薄紅色に染まり始めていた。
海を見たら、帰ろう。光が夜を溶かしきる前に。
炭酸水が飲みたくなった。
60円しかなかった。
何だか笑える。
でも、そんな事どうでも良かった。
夜を歩く