同窓会

同窓会

ちょっとホロ苦系の同窓会話
若干、体験もまざっているかも

この次の駅で乗り換えだ。
日曜日の朝早くに、オレは同窓会に参加するために、この電車に乗った。

二時間近く走り続けた電車は少しずつスピードを減速しだした、流れていただけの風景が少しづつ輪郭くらいまで分かるようになった。その駅からは、むかし通った学校までの通学路線に乗り換えだが、卒業を契機にあの路線を離れて、もう三十数年経った。


電車から見える風景は、オレの知る記憶の予想を遙かに越えていた。見入る車窓に時折ビルの影がさし、光が遮られてにぶい鏡面になったガラスに映る自分の顔も、その景観と同じくらいに年月の経過を物語っていた。

平日のこの時間帯の電車はいつもなら混雑しているのだろうが、日曜日でもあり、エコノミーの乗客もまばらで隣を気にすることなく、ゆったりとここまで来れた。しかし半年前に働く場を失った自分には、もうそんなこともどうでもいい事になった。あと何ヶ月かで55歳になる、この年齢であれば、ちょうど管理職としての分かれ目で、役員になるかどうかの最後のサバイバルゲームになるが、自分はそういう闘争に負けた口だ。

世の中は2007年から団塊世代のリタイアが始まっている、1947年(昭和22年)から1951年(昭和26年)までの四年間に生まれた日本の総人口の約8%を占めるこの世代。右肩上がりの消費市場を作り出し、パワフルになんでも開拓していった団塊世代は戦後の経済、文化の強い牽引者でもあった。

オレはその戦後ベビーブーマーの圧倒的な数の後に、生まれた世代だ。オレ達の後の昭和30年代中盤以降に生まれた物心ついたときにはテレビがお茶の間にあった世代との中間層に位置している。。

オレ達の世代は、何かにつけて熱い上の世代と違って、個の確立を重視した、上の世代がはまった政治的立場や、思想的理念にも強度の接触を避けたシラケ世代といわれたが、その下の世代はもっとミーイズム(個人主義)という感覚が強かった。会社の人員構成上ではホットになりやすい団塊世代とクールなその世代をジョイントする上にも下にも気を使う世代だった

団塊世代を長男とするとオレ達はいわば次男だった。全てにお下がり世代で、まだ日本が貧しかったせいもあり、日常の衣服から遊び道具まで、長男のお古を着せられ、常に後塵を拝してきた。お山の大将になりたがるあの世代のパーソナリティはグループ化するのも好きであった。遊びの世界でも、テリトリーがあり、そこに入ることは安定した遊び世界と立場の保証を意味したが、絶対的な上下関係を強いられた。その兄貴・親分気質は社会人になっても同じだった。

大学を卒業して就職した会社も、そういう濃い人間関係の誘いがすぐにあった。自然とあいつは常務派閥だの、専務派閥だのに色つけされ、属性のない人間には居場所は少なかったと思う。この上下、左右に固まる連帯性は同時に色々な社会的問題も引き起こした。利益追求という共有概念のもとに支配と競争原理、数字のリアリティは自分たちの存在証明であり、絶対不可欠要素だった。

公私ともに強い絆の派閥の中で入社以来、オレもそうした時期を過ごした、世の中は核家族化していくが、反対に派閥は家族、兄弟以上に濃い関係だった。オレは親分夫妻が仲人で、29歳の遅くとも早くともいえない結婚をした、親分の踏み絵とも言える縁談だった。しかし勧められただけの御利益はあった。それから俺はトントン拍子に出世し、同僚どころか何世代も飛び越して衆目を集める身となった。背後にもちろん親分の威光があった。地位を上がるにつれて、親分と今は自分の妻となった彼女の噂を漏れ聴くこともあったが、俺には関係なかった。

多くの派閥を数字本意で押さえた親分は、飛ぶ鳥落とす勢いだった。社内はこの一派にでなければ、社員に非ずとまでの権勢を誇った。しかし、団塊世代パワーのピークだった91年のバブル破綻後、健全経営、合理効率、構造改革、規模縮小を唱える派閥勢力の前に徐々に勢力を落とし、親分は拡大肥大させた会社経営の一翼を担った責を問われて、お飾りの役務にはいたが世界不況の煽りを受けて、あっけなく失脚した。有志で催した歓送会には、あれほどお追従した輩は早々に宗旨替えを鮮明にして、時の流れる方に迎合した。数えるほどの人数のなか、親分は会社を去った。

自分のついた派閥の親分が粛正されると同時に、オレは何も言わずに会社に辞表を出した、いや、出さざるをえなかった、と言うべきか。そういうカタチは会社という小さなガバナンス社会の暗黙のルールみたいな物だった。オレも前例に従った。誰に送られることなく退社の日、本社の玄関を一人出た。一切の肩書きや後ろ盾、社会的なパスポート、全て無くなった。夕方で天気は良好だったが、そんな天候には感じられないほどオレには湿度が感じられた。22歳からいた巣の退去は、羽をむしられて放り出された鳥のようで、惨めなものだった。

一週間もしないうちに妻は離婚を切り出した。もともとが好きで一緒になった訳でなく、親分の薦めで結婚した五歳年下の彼女だ。いきさつも過去も、理由も何も聴かないままにサラリーマンとしての結婚を呑んだ経由がある。始めから熱くもなかったから、冷えるという事もなかった。オレは結婚の時の様に彼女の申し出を呑んだ。

もともとオレには女性に関しては多少のトラウマがあった。が、それ以上に仕事が面白かったし、この結婚は寝床と栄養調達と儀礼的な夫婦関係以外には、社会生活のツール以上の意味はなかった、子供ももうけなかった結婚生活は淡々と二十数年という時間が過ぎただけだった。

彼女は将来を憂う事のない程の財産を確保して、労いの言葉も言わずに去って行った。そしてオトコとしての俺は、社会的にも家庭的にも、終わった。

☆☆☆

電車の車両をつなぐ通路ドアの上に設けられた横長いメッセージボードは、あと10分と駅名を右から左へ文字アナウンスしていた。全行程二時間半の小旅行、時間つぶしにとキオスクで買った本は、誰もが味わう人生の光と影について先人の知恵を述べていた、好奇心で買ったものの、興味を失って途中のページで止まったままだ。

――――東洋では自分の行いの結果は、善悪ともに、その殆どが巡り巡って知らない人にもたらされるとされている。自分に積んだ善行為を他者に振り分けること、これを回向と呼ぶ。善を行為する者はその殆どが、一生のうちに自分に返ってくる事が少ないと知りつつも、それでもなお善行為を行い、その結果が無数の過去・現在・未来に渡る、生命の繋がりの網目を伝わって、現在にも未来にも、そのことを知らない人にもたらされている。ゆえに人はひたすらに、多くの繋がりの中に生きる存在として善行為に生きるべきである。――――

してみれば、今回のオレに降りかかった不遇の顛末も、誰かの悪事がオレに及んだ事になる。食うか食われるかの社会でお人好しでいることは、手に何も持たずにジャングルに入るような物だ。と苦笑した。確かに仕事でも人間関係でも決して善人ではなかった。上の世代から教え込まれた競争原理と人心掌握のマニュアルにのって、会社のためという名目で随分悪事に荷担した。綺麗な手ではなかったから派閥のまとめ役になれたし、若くして人も羨む立場に昇った。そう言う意味でオレは悪人だ。この説くところの現実と乖離した理想論は、スタートラインにも立たない弱者の論理か、言い訳にも見えて、オレにはすこし退屈だった。

意に沿わなかった先人の知恵は、膝に置かれたまま、そのページから二度と開かれないままだった。電車は減速のせいか、軽い揺れを身体にもたらしていた、朝が早かったせいもあって、眠気を感じながら内ポケットのハガキを取り出した。山田康夫さまと、貼られたプリンターシールの文字が黒々しい。

離婚した後、再就職の運動をする事もなく、三十数年の染みついた慣習を清算する意味で、身の回りの物だけを持って小さなアパートメントに移った。あれほど全能感に満たされていた時代と比べると、独身生活は炊飯器ひとつ征服できない無力な自分だった。
派閥で染みついた考え方は、オレの心を蝕んだだけだったが、それを望んだのもオレだった。社会で有能を誇った数字本意や効率主義は一人暮らしには何の意味も、もたらさなかった。ほどなく外食とインスタント食品、冷凍食品漬けの毎日となった。

不健康で自暴自棄な日々を送る自分にも無関心になった頃に、高校の同窓会の案内が転居先に送られてきた。世話人は自分も所属した軽音楽部の安藤だった。あいつとは30歳以降は連絡も取らなかったが、うまくプレイできたときの、奴のほどけた顔が浮かんできて、ふいに懐かしさがこみ上げてきた。

同窓会は、大学一年の時に一度開かれ、卒業時期とそんなに変わらない初々しい顔でみんなと会った。それから就職して、二十三くらいだったか、二回目の案内が来たが、こちらは仕事が分かりかけて未来がちょうど大海原に出て行くようなワクワクした気持ちに、毎日追われていた時期だった。結局不参加にした。

それから高校の同窓会は七、八年ごとに少しずつ場所を変えて、年々有志でクラス会規模になって開かれているとは聞いていたが、今回は耐震構造に問題があって、新しく校舎が建て替えられるために、自分たちが入学し、卒業式を行ったあの高校の講堂で集まる事になったらしい。

ちょっと気の利いた演出の同窓会だ。俺と同じように、みな人生ゲームは終盤だ、それぞれに見えてきたゴールと、役目を担えなくなって取り壊される校舎をダブらせるとは、オレにはブラックジョークに感じてしまうが、みんなは、どういう思いで来るのだろうか。電車は乗換駅にスムーズに滑り込んでいた。

―――――おっと、降りる仕度だった。

背もたれを直して、乗ったときに買った飲み物やら、新聞やらをまとめて、降車側のドアに立った。
この乗り換え駅のホームの北の方に、階段があって、降りると乗り換え線があったはずだ。ドアが開いてオレはその方向に向かった。派手派手しい駅貼りポスターがホームの壁にずらり並んでいる。慣れた感じで乗り換え階段まで足を運んだ。

チケットの特急券を改札に渡し、乗り継ぎ用の乗車券だけを受け取る。
ところどころに、時間に取り残された薄汚れたプレートや、風雪の洗いを表すかのような、人の乗り降りですり切れて角を丸くしたステップや、多くの人の手垢でいい色になった手すりに目がとまる。この様子を見る限り、何もかも変わったというわけではないようだ。さっきまで膝にいた単行本は、新聞などと一緒に丸められて、乗り換え通路に置かれた分別ゴミの燃える方の口へ消えた。階段を降り、乗り換え線ホームに足を着けた。

見渡すと自分たちが昔、待合場所にしていたホームの中央にあったベンチは既に撤去されて、その残像も留めてはいなかった。ちょうどベンチだったあたりには髪を染めて上に立てた若い連中が、地面にジーンズのまま、通行の邪魔になっている事もおかまいなく、座り込んでいる。さっきの本の通りなら、こういう行為もどこかで誰かに何かをもたらしているのだろう。オレは鼻で軽く笑った。

ホームに滑り込んできた電車は、ゆっくりと止まり、機械的に乗客を吐きだして、それほどではない量を飲み込むとまた、ゆっくり動き出した。ローカル線とはいえ、日曜の路線の乗客数としてはこんなものなのだろうか、座った長いシートの前にも横にも、人はいなかった。

窓の外は、昔は緑が鮮やかな田園風景だったが、いまは所狭しと小さな建て売り住宅やそれらを制圧するように建てられた不粋なマンション、広告のステーションボードが、窓一枚のフレームに、次から次からスライドのように映し出されていく。風景は駅を幾つか過ぎても、それほどの差異はなかった。都市部からなだれ込んできたドーナツ現象、宅地開発の波は、ここにも及んでいた。

こうした地方の都市化には共通点がある。そこには夜がない。その昔に通信衛星から送られてきた地球の映像を見たことがあるが、昼から夜に移行する映像で、世界の国の中で列島の形どおりに夜のネオン光を放っているのは日本だけだったように記憶している。アメリカでさえ、都市部以外はまばらであった。夜が駆逐されつつある異常な国が日本列島だった。

昼間と夜の光量の差が大きかった時代には、得体の知れない闇は人にとって恐怖だった。まだオレ達の小さい頃はキツネが人をだますとよく聞かされていた。事実、狐憑きにあった人やお百姓さんが狐にだまされたと言う話はよく聞いた。それがいつ頃からかを境に、狐話は姿を消した、つまり人をだまさなくなった。ちょうど団塊世代の中学卒業組が集団就職で世の中にもてはやされた頃の1965年(昭和40年)を境として、日本人はキツネにだまされなくなったそうだ。
その理由は、キツネの魔力が落ちたわけではなく、戦後を支配した唯物的証明主義が関係していると言う説を構える人がいる。科学で証明できない事柄は、全て否定の対象としていく、客観的な検証に耐えられない物は迷信として退けられていく。実証的科学万能思考が世の中全般に幅をきかし、浸透してきた効果が大きい。科学的に、という言葉を発するだけでインテリぽかったのだ。戦前戦中の教育勅語を捨て去って、戦後民主主義教育の象徴のような団塊世代の社会進出と狐話の退潮が重なっているのは興味深い。ここにも戦後に急速に支持されたリアリティで全てを照らす事を絶対とする偏重が見えている。

同じ場所を何度も映す壊れたVTRのような景色にうんざりしながら、目的駅はあと二つだと確認する。この路線で変わらなかったのは、駅名だけのようだ。時間つぶしする物を失ってぼんやりしたまま、やがて電車は駅に着いた。乗り越し分の清算をして、改札口を出ると、そこには華やかさとは無縁になった商店街が視界に広がっている。しかしそのビジュアルは、ここまで足を運んできた本日のマイテーマ、甘いノスタルジーではなかった。

ここもよくあるシャッター通りになっている。俺たちの頃でも繁華街とは云えない駅前だったが、駅前でよくたむろした喫茶店やレコード屋は、名前どころか建物の板一枚もなく、駅前通りというアーチがもの悲しい。お定まりのコンビニの薄っぺらな塩ビの看板だけがギラギラ輝いていた。かつてあった踏切が今は撤去されて、違法駐車の自転車がずらりと並ぶ。高架下に設けられたトンネル状の通学路を通ると、この辺りを吸い上げるかのようなグランドショッパーズが見えた。城のように周囲の商圏を威圧するこの町の便利のシンボルは、駅前の衰退ぶりとは対象的だった。

1953年に日本初のスーパーマーケットの紀伊国屋が東京の表参道にオープンしたのを皮切りに、次々に日本でスーパーマーケットという流通販路が日常の買い場であった市場という販路に取って代わっていった。その後、スーパーは一躍時代の寵児となった。その第一人者のダイエーは、価格破壊をテーマに大発展した。支持されたコンセプトは「主婦の視点」だった。復員兵だった創業者の中内氏はひたすら低価格と顧客満足を打ち出した。いまでいうカスタマーサービスである。この考えは日本国中を瞬く間に席巻した。同じ思考の業態は次々に現れ、お客様は神様を前提に、旧来ビジネスの百貨店の商圏までも大いに脅かした。そうした業態が吸収した人材も団塊世代だった。彼らの小さい頃から鍛えられた競争原理はこの業態に合っていたと思う。大量購入、大量販売、スーパーの生命線であり、一円でも安さを追求するために全国はもちろんとして資材調達のために海外まで奔走した多くの人材が拡大路線と価格破壊にしのぎを削った。時代の要請と会社の発展と自己の繁栄は三位一体だった。
メーカーの利益に影響する標準価格をも破壊するスーパーとメーカーは摩擦・軋轢も多く、スーパーは打開のためにプライベートブランドを持つことにより、そのストアコンセプトの維持に努めた。やがてメーカーも売り上げ拡大のために、自社工場のラインをスーパーのプライベートブランドのために空けて、自社ブランドには傷をつけないで売り上げを伸ばす二律背反の協力体制を余儀なくされることになる。大量仕入れ、大量販売、そして大量消費。生活はこれなくしては回らなくなった。しかしその裏には大量の人間もあっけなく消費されていった。いままで潜在化されていた仮面ウツ症候群や心身症といった現代病がサラリーマンを徐々にむしばんでいった。

それまで駅前や地元にホノボノとした商圏を保っていた小規模小売店や個人商店・市場は瞬く間に、商売替えを余儀なくされた。郊外店や駅前店の出店攻勢で主婦の買い場も大きくかわり、駅前風景も全国一律のようになった。公正取引委員会がそうした商権保護を打ち出すのはずっとあとのこと。しかしそのスーパーマーケットも24時間型のコンビニの登場でその立場を脅かされていく。便利に際限はなく、顧客志向はとどまりがない。この町にもいくつもの24時間型のコンビニが総合型スーパーの足元に存在して売り上げを奪っている。メーカーの新商品開発はコンビニを外しては、今やヒットはない。
しかしまた新たな業態がこれを脅かすのだろう。延々と続くこのスパイラルな世界で生きてきたオレは、この駅にもステロタイプのひな形を見せつけられて辟易としていた。

買い物客で混雑する通りを、オレは機械的に歩いた。この次の角をまがって少し歩くと、校門があったはずだ。車道と通学歩道を分けたガードレールが、校門前の文房具屋まで続いている。その道は十月とはいえど、もう冬のようにひんやりしていて、先ほどまでの温度の高い雑踏とは正反対のひと気の無さだった。

今日は日曜だから、さすがに店は開けてはいまい。三枚に分けられたサッシの入り出口のガラス戸の店内側はカーテンで閉じられ文房具屋の入り口にホーロー焼きで作ったインクメーカーの名前が架かっている。当時は時代遅れと映っていたが、今みるとその暖かさとチャーミングさが嬉しい。ようやく郷愁を誘う物にひとつ出会った。あの時は野暮ったさが嫌いだったが、今は人間らしい温かさを感じるなんて勝手なものだ、自分に苦笑しながら校門に着いた。

――――誰かきているのかな?

周りを見渡したが、日曜の学校前を行き交う人もいないし、途中で会う人もいなかった。高校名を書いた周りを細かなレリーフで縁取りされたブロンズの表札は、あの当時のままだ。しかし門扉は堅く閉じられている。

内ポケットから案内状を出し、老眼になった目で顔から少し離し、目を細めて確認した。確かにそこには13時と書いてある。腕時計を見ると、予定通り12の数字を遙か過ぎに短針はあり、長針は50を指し、せわしく秒針が文字盤の上を先へ先へと刻んでいる、ここまで自宅から二時間半。ぴたり10分前、サラリーマン時代の癖は直っていない。

――――しかたない、用務員か、当直か誰かいるだろう。

そう思って裏門の方へ歩き出した。記憶ではもっと高いはずだったが、門塀はそんなに高くなかった。人っ子一人いないグランドをのぞき込みながら、そんな大きな高校ではなかったが、学校区域と世間を隔てる塀を半周すると汗が出てきた。ようやく校舎の裏側が見えてきた。そんな苦労もつかの間、ふと見るとフェンスが破られていて、明らかに何年にも渡って人が出入りした跡があり、雑草すらも生えていない程、土の肌も露わにソコは踏みにじられていた。

―――誰かの手を煩わすよりもここからいくか。それに同窓会で入る許可を貰っているだろう。

手っ取り早くフェンスを少し屈みながらくぐり、少し歩くと丸い屋根の体育館の横に出た。講堂は校舎中央の二階だった。ここからは、もう見えている。もういまや貴重となった木造建築の学校校舎である。といってもすべてが木造ではなく、欧米の鉄筋コンクリート造や鉄骨造に日本独自の手法として、開放的な教室をつくるために、 鉄の補強材を要所に用いた合理的な木構造建築を採用したそうである。

正面玄関は確か中央部分に車寄せを備え、屋根には塔屋が付いていた。こういう建築様式も戦後のベビーブーマーの進学に呼応して全国的に建築されていった。校舎の壁は白い塗料が塗られた鎧戸になっていて、遠目には等間隔なグレイストライプが横に走っているようだ。屋根から雨水を受けて流すための管が縦に、これも均等に施されている。オレは何も知らずに素晴らしい環境の中にいたことを、改めて嬉しく思った。この学校も古い校区ではなく団塊世代の為の新設校だった。ここでもオレ達は団塊世代の開いた道を歩いていた。

体育館はドアは閉じられていたが、フローリングワックスの匂いがした様な気がする、逆光に遮られてはいるが、体育館にも当時のアンチィックな木造建築の面影は残っていた。それにここから見る校舎の風景は何十年ぶりかだが、こんなにも素敵だとは思ったことは、在校中になかった。

太陽はやや斜めにあったものの、ほぼ頭の上だった。オレはそんな十月の乾いた校庭の空気を在校中のように楽しみながら、歩いた。右に回ると中庭が視界に広がった。この設計方式はクラスター型と呼ばれる当時の典型的な教室配置だったそうだ。平行に等距離の第一校舎と第二校舎は、二つをつなぐ職員室や用務室などの縦の校舎を配してコの字型に造られていた、学生の校舎は廊下と教室を切り離し、両者の間にスペースを設けるとともに、 教室ごとに用意された前後の入り口から教室にはいることによって、各教室に親密で落ち着いた雰囲気を生み出す工夫が施されている。当時は気にもとめなかったが、あらためて子供達に対する設計者の心配りに感心する。

中庭から一階の教室に入る為に設けられた三段のステップは昔のままのようだ。コンクリートで鋳型抜きされたような何の造型もないものだが、これすらあの時を思い出す。よくココに腰掛けて他愛もない事を話した。何が楽しかったのか、何を話したのか記憶にもないが、座ったまま何時間も続いた事だけは憶えている。

自分が所属した軽音楽部は、中庭の奥にあったテニス部の用具入れの隣だった。ブラスバンドがあるのに、無理矢理に一年生の俺達が、三年生の先輩を巻き込んで同好会から出発させたクラブだ。まだエレキギターを弾く事やバンドを組んでいると言うだけで不良扱いされた名残のあった時代だった。下校時間を過ぎて閉門の頃までギターを弾いて、コーラスを楽しんで、レコードを聴いて、クラス会や文化祭の出し物をよく練っていた。音楽の世界に飛び込もうとか、そんな夢はなかった。みんなと、ただそうしていることだけで十分楽しかった。

コンクリートのステップをあがり、アーチ状にしつらえた廊下に侵入する入り口をくぐって視線を左に移す、教室が一点パース状に並ぶ廊下、目に飛び込んでくるビジュアルは、タイムスリップしたようだ。学年クラス名を書いたボード、廊下は教室と外の間に遮音を考慮して適切な横幅が設けられ、外窓の下は白い漆喰の壁になっていた。天井はあいかわらず高く、逆V字の梁がところどころ規則的に走っている。舐めるようにそれらを見ていて、ようやくノスタルジーな気分になってきた、時間をさかのぼって、甘く切ない時間の退行、少しずつ母の体内に回帰するような感覚、社会に出てから身についた小賢しい効果だの効率だの、という思考はここではナンの意味もない、ひたすらゆるやかで代替できない感情がわき上がってくる。すこしずつ今まで排除されていた感性の恢復を感じる。故郷に帰ってきたような気分だ。

講堂の方から、ギターの音が聞こえてくる。近づくにつれて、そのギター音はもっと鮮明になった。

――――聞き覚えのある曲だな、誰が弾いているのだろう、なんだったか、そうだあの曲だ。CCRの「雨を見たかい」だ。

日本でもヒットしたカントリー系の四人編成のロックグループだった。リードギター兼ボーカルのジョン・フォガティのしゃがれたボーカルを思い出した。今、講堂で歌っている奴はお世辞にも上手いとは云えないが、ずるずると昔の記憶が引っ張られていく。ギターの音に誘われるように、講堂への階段を上がって、扉の前に立った。重いドアを右手で押すと、すぐに視界の中にあいつらが入ってきた。

「あ、ヤス坊だ」
「え!、あ、ホントだぁ」

五十をはるか越えた男が、高校時代のあだ名、ヤス坊と呼ばれるのは、ちょっと辛い。
屈託のない声を出したのは、同じクラスだったトシ子かな。こちらを指さしているのは、誰だろう。声のする方に愛想笑いし記憶をたぐりながら、受付へと急ぐ。どこにもある事務用の折りたたみ机の上に案内状を送った確認用のペーパーに名前を探す。45度に曲げた上半身の頭ごなしに、高い声がした。

「ヤス!、来てくれたんだな」
その声は今回の世話役の安藤だった。手にはギターを持っている。やはりさっきのギターは安藤だったのか。

「おう、ひさしぶりだなぁ。雨を見たかいは、オマエだったか」
旧交を確認するのに五秒とかからない、名前を見つけて、サインをすると俺は安藤の顔をみた。
そこには、髪が後退しつつも安藤と分かる緩んだ目元が微笑んでいた。

「あとで一緒に演ろうぜ、まだ現役だろ」
「冗談言うな、大学出てから音楽からは遠のいたよ、ギターもホコリをかぶっている」
「ま、いいじゃん。今日はさ、オレ幹事だからあまり話せないけど、後で飲もうぜ」
安藤の明るさは変わっていない、それが嬉しかった。会費を払うためにポケットから財布を出して会計に渡そうとしているが、横にいるのは誰だろう?安藤と言葉を交わしながら、目をそれとなく向けるのだが、名前が浮かんでこない。

「ヤス坊、忘れた?。わたしよ、春子」
「あ、春子か。いやぁ、・・名前が出てこなくて」
「ちょっと、ワタシあの頃より太ったから、わからないかも。
 ヤス坊、凄い出世したんだってね」
こういう言って欲しくない事を、タイミングを外して言ってくるところは
昔と変わらない。
彼女はオレのこの半年の顛末は知らないはずだが、あえて旧情報は訂正しなかった。

「あいかわらず、ヤス坊はオシャレね。お腹も出てないし、
 ね、そのジーンズ、洋物に見えるけど、それって高いの?」
春子の今の生活感たっぷりの素っ頓狂な声に、オレも応酬した

「高くはないよ、それにエグゼクティブは自分の身体に金をかけるモンだぜ」
「あ、イヤな奴。ちょっとみんなよりも違う世界に行ったからって」
こういうやりとりをしているところへ、また他の顔見知りがやってきて、同じような会話を交わす。
何十年ぶりで参加しただけに、顔と名前が一致しない、恐らく向こうも探り探りだ。みんな確かに、どこかに面影はあるが、時の摩耗に原形を留めていない顔もある。ようやく頭のデータとリンクするのに1時間はかかった頃に、パーティは始まった。

盛況だった、校舎が取り壊される事が効いたのか、恐らく百五十人は集まっているだろうか。オレらの学年が二百五十人ちょっとだったから半分以上が集まった事になる。みんな昔と同じとは言えない風貌に変わっていたが、どういう生き方してきたのかが、顔や言葉、振る舞いに感じられる。
卒業というスタートは同じだったのに、走るコースは年ごとにそれぞれのカーブを描いてその放物線どおりの、さまざまな色や光を放っているのだろうか。
たぶん、オレもそういう視線の対象になっているのだろう。

テーブルがいくつか置いてあり、立食形式でそれぞれの島に人が群がっていた。
テーブルを移動する度に同じような会話が続く、まるで台本を読むようにこちらも返答する。
やがて、オレも常套句を述べている事に気がついた、オレのクラスの人間は半分ぐらいの参加か。
女性の質問はほとんど、春子と変わらない週刊誌のような切り出しだ。
壇上では安藤がマイクを持って、ここまでの経過を述べている。

出し物は、講堂の白壁にプロジェクターで映されたスライドによる我々三年間のメモリーショーだが、短時間にあまりに沢山の人に出会ったためか、すこし外の空気に触れたくなった。いやそれよりも、すこしもこの場所が楽しめなくなっていることが本当かもしれない。こういう会は懐かしさ半分だが、何%かは幸・不幸の品評のような趣きもある。自分の現在と人を比べて安堵したり、嫉妬したり、そんな下世話な思惑の照射や探るような会話に疲れたのかも知れない。
 ショーの間は照明が消されているので、好都合とばかりにトイレに行くフリをして講堂の扉に向かった。昔の映画館のようなクロと赤が裏表のぶ厚いカーテンのセンター部分を探して、オレは外に出た。

 外はもう十月の夕暮れの体を示し始めていた。校庭に木のシルエットが長い。来たときは透明白色だった光はややオレンジを帯び出している。ぼうっと廊下の窓から外の風景にどれとなく焦点を合わさずに見ていた、やがて高いフェンスで遮られたプール場で視線は止まり、焦点を絞った。そこにはオレのメモリーがあった。

校庭に降りて足は其処に向かっている。この校舎の建て替えと共にあの場所も無くなるのなら、メモリーカードに上書きするように、見ておきたかった。そこはプール場の横だった。水ポンプの調整や水質記録を残すためのコンクリートブロックを積んだだけの粗末な建物とプール場の高いフェンスに人二人分が通れるくらいの通路があった。

卒業間際の高校生は妙に浮き足だっている。進路が早々に決定したものは、入学や就職のためのインターバルで少し躁状態になっていた。まだ進路が決定しないものに気遣いなどなく、男女ともに告白ラッシュがクラスでも相次いだ。意外にもクラブの後輩から告白を受けて第二ボタンを渡すもの、急にカップルになっていくもの、何人かは討ち死にして卒業式まで学校に来ない奴もいた。そういえば、さっきの受付の春子も意中の人に何かを渡していた。

オレは二年の時同じクラスだった相澤だった。
セミロングの肩くらいまでの黒髪が美しい人だった。
安藤は躊躇しているオレの気持ちをくんで、キューピットよろしくココで待っている事を伝えにいってくれた、しかも安藤も彼女に気があったはずだったのに、オレにちゃんと伝えろと後押しをして、ご丁寧に段取りまでしてくれた。そんな奴だった。

待っている時間の酸素はとても薄くて、まるで高山山頂のような息苦しさだった。相澤は軽音楽部にもよく覗いてくれて安藤と三人で当時のヒット曲をフォークギターで歌ったりした。
広告コピーの友達以上、恋人未満。そんな微妙な関係の二年間だったが、もどかしくもあった、恋心なんて自覚できないままに、あの告白はこの町を離れて東京の大学に行くオレが、それからどうするという計画も、後先もなく気持ちに区切りをつけ、自分にはっきりさせたかったのかもしれない。

そんな淡くて青いメモリーの場所も、今や朽ち果てたブロックと人が入る隙間もないほどに雑草が生い茂り荒れ果てていた。閉鎖されている用具室は、何年も人を招き入れた気配などなかった。過去の記憶は美化されるというが、思い描いていた場所との落差は甚大だった。
 淡いロマンティックな残像など微塵もなくなっていた、ここも現実はやはり残酷だ。やはり、思い出は思い出として置いておくべきだった。この場所を見に来た事は、すこし後悔へと傾いた。

ゆっくりと、もと来たルートに戻るために、オレは足と気持ちを向けた。
あんな冷たい結婚生活を経験しておきながら、こんな青臭い純情を大事にしていたとは、なんとも矛盾したものだ、しかし自分でもそれはどうにも整理できない。それほどにこの思い出の場所は、長くオレのココロに住み着いていた。
 過去の甘い思い出は常に美しい色を放ってるが、無菌室の生き物のように、取り出すと無残な無彩色に変わってしまう。この半年の孤独と先の見えない深い闇の重さに、最近は呼吸をしている事自体が既に辛くなってきた。

夕暮れの太陽が投げかけた木の影は、先ほどよりも更に長くなっていた。ここにもオレのモチベーションはなかった。濃いめの青の空に、集団からはぐれた秋雲の裾はオレンジのグラデーションを短く映していた。
――――安藤には悪いが、このまま帰るか。
とてもではないが、講堂には足は向かなかった。もはや、オレ一人いなくなったところで、気づく人もいないだろうし、多くの同窓生に会っていながら、会えば何かが顔を見せてくれると期待もしたが、それは過剰な思いというものだった。会えば会うほどに、話せば話すほど、やるせない気持ちは増大した。オレのいま抱える疎外感の距離を縮めてはくれなかった、むしろ立ち位置を鮮明にしただけだった。
――――もういいだろう
ここまで俺を連れてきたマイテーマは、終わった。
横からの光と影のコントラストが強くなった午後の中庭は、無機質な色に覆われて、銀色に光る窓ガラスにも黒い影が差している。
――――さっき、来たあの破れたフェンスからまた出よう。
オレの足は体育館の方へと向かっていった。

「ヤス坊」うしろから突然浴びせられた声に、オレの足は止まった。

――――聞き覚えがあるが、誰だろう。
振り返ると、ソコにいたのは、あの、相澤さんだった。

 細かい草模様が入ったバーミリアン色の薄いワンピースが目に入った。肩に掛かった薄いクリーム色のカーディガン、その胸元に覗く白いTシャツに夕日の色が懸かっている。細身の身体はあの頃のままだった。校舎の影が長く中庭のグラウンドに落ちている。その影と光の間に彼女は立っていた。

「ひさしぶりだね、アタマ、すこし白いものが混じったね」
相澤さんは細い指で自分の髪を指して、オレに向かって微笑んでいた。
相変わらず、白い。そしてもう何十年の月日が経っているのに、その眩しさは少しも変わらなかった。オレに投げかけられた微笑みまで、あの頃とほとんど同じだった。予期せぬ突然の出会いにフリーズした脳は、唾液を飲み込ませようとする指令ですらショート寸前だった。渇く喉でオレは、なんとか擦れ声を出した。
「来てたんだ、ど、どこにいたの」
「ちょっと、遅くなってしまって、でもみんなと一緒にいたわよ」
「そうなんだ、安藤とは会った?受付にいた春子とは?」
全く受け答えになっていない、それほどに彼女は目元に年齢を感じるものが見えたが、とても同年齢とは思えなかった。三十代中盤くらいの容姿だろうか。オレは正対できないまま、ちらっと彼女を見つめる、アドレナリンが小刻みに身体を波打たせている。深呼吸をした。相澤は怪訝そうにこちらを見ている。
「どうしたのヤス坊?気分でも悪いの?」
「あ、いや。なんでもない。ここまで遠出でちょっと疲れてたんだ。
 ほら、オレここまで二時間半コースだから、でも、大丈夫」
「そうなの?今日はもう会えないと思っていた」とまた微笑んだ。
彼女のその投げかけには、ちょっとドギマギしたが、昔の彼女はこんな思わせぶりを言う人だったか?いつも控えめに柔らかな視線を送っている人だったが、いや、それも脳の勝手な記憶の美化かもしれない。なにせもう何十年も経っているんだ。
「相澤さんこそどうしたんだ、もう帰るのかい?」
「 まだ帰らないよ、同窓会が盛り上がりすぎて、息苦しくなって出てきたの
 ほら、人いきれに当たったみたいな感じ」
「そうか、実はオレもそうなんだ。パーティ、まだやっているんだ」
「そうね、いま先生達が壇上に押し上げられて、みんなの糾弾にあっている」
「き、糾弾?」
「ほら、えこひいきがあったとか、自分はもっと上の学校に行けたとか、鬱憤よ」
「な、なるほど。それは根が深いな。なにせ何十年か分の蓄積だからね」
「ふふっ、そ、マグマの噴火ね。先生方困ってた」
やっとジョークが言えた。
相澤さんは小さく声をだして笑った。白い歯が少し覗いて微笑む顔もクラブの部室で、何度も何度も見せてくれたチャーミングな顔だった。突然の緊張に硬くなっていた心は少しずつほぐれ始めた、相澤さんは額に懸かってきた髪をひとさし指の先で払っている。この癖も変わっていない。真っ直ぐな視線も当時のままだ。
「ヤス坊は、昔みたいに、自主早退かな?」
困った、またリアクションがとれない。高校生の頃の女子のあの母親っぽい質問の浴びせ方だ。社会に出て色んな修羅場をくぐってきたオレだが、仕付けられた条件反射にかかったように、この場をうまくこなせない。
しかし、こんなウブな自分もいたとは、したたかに照れた。
「はは、そのつもりだったけど、・・・」
言葉が続かない、何かを言わなくてはと、焦りのあまりに、そしてそれは
二人にとって最悪のつなぎの言葉が口から出てしまった。
「いまさ、・・プール場の横を見てきたんだ・・ほら・・」
なんてことを、と思ったが、言葉は発せられた限り戻せない。
それは今日の再会のタブーだったろう、彼女は少し、びっくりしたようだった。
一瞬にして、きまずい空気が二人の間を流れた。
「あいかわらず、唐突ね」
「そんなつもりで、言ったんじゃ・・・いや、・・悪い」

さそがし彼女は呆れているだろう。
彼女とオレのプール横は、それほどに切なく後味の悪いものだった。

☆☆☆

あの日、あの場所で待っていたオレの姿を見つけた相澤は
走ってきて、いつもの通りの声で、尋ねてくれた。
「なぁに?話があるって」
走って乱れたのか、彼女は紺色のプリーツスカートの裾を
つまんで直していた。
「あ、オレさ。ほら東京に引っ越すだろ、その前に相澤に聞きたかったんだ。」
「うん?・・・なにを?」
相澤は手を休めずに、顔を上げてオレを見た。
「あのさ、あの・・・オレさ、・・どう?」
「どうって?・・え、?どうしたの、何を言ったらいいの?」
相澤は唐突な質問の意味を取りかねたようだった、
オレは意を決して何度も練習した言葉を続けた。
「オレさ、あの・・あ、相澤の事、好きだったんだ。ずっと、だから・・」
「え、ヤス坊・・・」
相澤は本当にびっくりしていた。いい友達だったし、二人でよく下校した事もあったし、
二人きりの教室で彼女のお得意の科目を教えて貰った事もあった。
安藤が用事のあるときは二人で映画やお祭りにも行ったりした。
それが改まって告白されたら、確かに面食らうだろう。
「そんなこと、急に・・・こまる・・・・」
相澤は気が動転して、考えがまとまらないようだった。
静脈が見えるほどの薄い皮膚の腕、蒼くも見える白い額が綺麗だった。
ぎゅっと握りしめた手にもその青い線は走っていた、
眉を中央に寄せ、眉間には縦に薄くに何本かの影が入っていた。

オレはただただ、相澤の次の言葉を待った。
しかし、それは沈黙だけで、次の言葉にはなかなか移らないままだった。
相澤は黙って下を向いていた。長い睫毛が揺れているようにも見えた。
時折、相澤は上目使いにオレを見た。
近くの木枝の揺れる音がする、オレの心臓の心拍数はパンク寸前だった。
「だから、卒業しても・・」
それからを続けようとしたオレの言葉を遮って、彼女は言った。
「今のままで、何がダメなの?いままでも友達だったし、これからも・・」
相澤の薄いサーモンピンク色の唇は震えていた。
片方の眉の始まりが上に向かっていた。精一杯の返答だったんだろう。
それじゃ、いやなんだ。相澤ッ、オレじゃ、ダメなのか?ダメか?」
あの沈黙に、オレも限界だった。こんな無骨な告白になるとは思わなかった。
この告白が期待通りではなかった事に、オレは絶望した。
「だって、そんなこと、・・・人に、・・安藤君に頼むなんて、
 安藤君に、・・・悪い。・・なぜ直接に・・ヤス坊・・・言ってくれなかったの」

ぽつり、ぽつりと相澤は言葉を選んでいるようだった。
「安藤は・・・あんど・・相澤・・、そうなのか?」
相澤は、安藤からのアプローチを待っていたんだと、オレは思った。
相澤はこの質問に耐えきれなくなって、うつむいたままだった、
いたたまれなく、この場を立ち去ろうとして踵を動かそうとしていた。
後ろずさりに帰ろうとする相澤の腕を、とっさにオレはつかまえた。
通路のフェンスの風に揺れる音、コンクリートの無表情の色、若草の蒼い香り、
どこかで誰かの歓声があがっている、そんな音と香りと色が充満していた。
一秒が、目のくらむほどの長い時間に思えた。

オレは相澤を、自分に引き寄せて、思いっきり抱きしめた。
そんな大胆な行為は自分でも予想できなかった。
相澤の肢体は思った以上に細く、華奢な肩と背中だった。
肩越しに洗髪したばかりのような、シャンプーのほのかな甘い香りが鼻孔になだれこんできた。
こんな相澤を安藤に取られたくなかった、それほど愛しかった。
「やめてっ!」
二人の身体の間に細い腕を入れてオレを突き放し、1メートルも後ろにあとずさりした。
相澤は今まで見せた事もないような強い視線でオレを睨んだ。
オレは、その瞬間に、もうこの時間の全てに後悔していた。

いままで相澤と屈託なく笑い、語っていた穏やかで幸福な時間
それが、この瞬間に全ての情景がバラバラと落ちていく。
何も言わずに相澤は走っていった、彼女の香りだけが
少しの間その場に残っていた、
オレはしゃがみこんで、そして自分勝手な行動を恥じて涙を流した。
プール横の通路は、もう取り戻せない時間を、まだ淡々と刻みこんでいた。


その日から、相澤は卒業の日までオレを避け続けた。
辛い悶々とした時間を卒業まで、オレは送った。
安藤はオレの沈痛を察して、この件には触れないでいてくれた。

卒業式の夜、オレは手紙を書いた。
その時の相澤への思いを綴った手紙だった。
投函して一週間、返事もなかった。
東京の下宿が決まって生活道具の荷物を送った日
オレは相澤の家の近くまで行った、しかしぐるぐると回るだけで会う事も
見る事もかなわないまま、そしてこの町を離れた。
その後に、相澤と安藤がつきあっていると言う話は聞いたことがない。
あれは、オレの誤解だったのか、それは今も分からない。

あれから、今日まで、時間は経ても、あの時のほろ苦さは少しも変わらなかった。
いや、増すばかりだった。

☆☆☆

あの出来事以来の相澤が、今この前にいる。
時間はわだかまりを溶かしてくれたのか、どうなのだろう。
「幸せにしているの?」
相澤さんが今度は唐突だった、オレは悪びれずに言った。
「オレ、この年齢で会社を辞めてさ、それで離婚したんだよ。」
「子供さんは?」
「いなかったから、結論は早かった。今は独り身だよ」
「そうなんだ、みんな色んな人生だね」
「相澤さんこそ、家庭は?」
「わたしは、・・私もここまでには色々とあったわよ」
「そうなんだ・・」
それ以上の言葉は、オレは控えた。
やっと空気が和んだ、横殴りの光になった夕方の光は彼女の顔を照らしていた。
あの時とはまた違う、ゆっくりとした心地よい沈黙だった。
「あの時は、ごめんよ・・」オレは言った。
相澤さんはこちらを見た、何も答えてくれないが、あきらかに微笑んでいた。
今日、彼女にやっと謝って、長い長い懺悔が終わったように、
オレは肩の力がぬけた。
「ヤス坊、なんだかヤケになっていない?」
「え!、オレ?そんなことないよ」
「そうかな・・勝手に見切りつけたらダメだよ」
「見切りって・・?」
「人生も、辞めちゃう事、許さないから」
「え、辞めるって、これか?」
オレは人差し指と親指を広げて首に持って行った。
おどけて笑ったものの、しかし、図星だった。
オレは心中、何かを期していた、後はその引き金を引くタイミングだけだった。
同窓会は、もがきながら逡巡を繰り返している自分を決断する為のひとつだった。
オレは相澤さんの洞察に驚いた。
「私の父がね、ほら、高校の時にはもう、いなかったじゃない」
「あぁ、そうだったけ」
「ヤス坊とおんなじ目をしてたの」
「え、どういう事?」
「父が自殺する前の夜に、ちょっとだけ話した事があるんだけど、
 その時の目と今日のヤス坊、おんなじ」
オレは何も言えなかった、答えられなかった。
不覚にも目から涙が溢れてきた、それは頬を伝って地面に落ちた。
手で拭いても拭いても、涙は止まらなかった。
五十を超えて女の前で涙を流している自分は、哀れだった。
それほどに、ここ何ヶ月かのココロは渇いていた。
まるでその渇きを癒すように、涙はとめどなかった。
「私も、いまは一人なんだ」
彼女の意外な言葉に、虚を突かれた。
彼女はハンカチをハンドバッグから出して無言のまま
そのハンカチを、オレの目の前に差し出した。
オレは手には取ったが、とても使えなかった。
「相澤さん・・・、」
それ以上の言葉は続かなかった、色々な思いが頭を去来した。
何十年かぶりに出会って、偶然二人は同じ境遇にいたなんて。
「ヤス坊は、頑張って欲しい。ダメよ、変な事考えちゃ」
オレはコクリと何度か頷くのが精一杯だった、彼女も精一杯生きていたんだ。
また、二人に沈黙の波が帰ってきた、しかしそれは二人にとっては静かな言葉だった。
「あ、ほら、パーティもう行かなくちゃ、終わっちゃうよ」
「相澤さん、おれ、おれは・・」オレは言いかけた言葉を呑んだ。
「ほらほら、涙拭いて、行きましょ」
急かすように、彼女はオレの手を引いた。
夕方の冷気に触れたせいか、ヒヤリとした手だった。
中庭のエントランスまで、俺たちは移動した。
講堂からは、音楽が流れている。
「さ、行った、行った」
オレは中庭から廊下に入る幅のないステップブロックに足をかけて
一緒に上がろうとしたが、相澤さんはその手をほどいた。
「相澤さんは?一緒に行こうよ」
「なに言ってるの、女は身支度が色々とあるんだから」
相澤さんは講堂に通じる廊下に、後ろからオレを押し込んだ。
俺は振り返って、相澤さんのハンカチを彼女の手に戻した。
「ヤス坊」
相澤さんは、渡されたハンカチをハンドバッグに戻しながら
こちらを見ていた。
「なんだよ」三段高い廊下から、オレは相澤さんを見下ろしながら聞いた。
「ありがとう、わたし嬉しかったの、あの時。」
ハンドバッグから彼女は退色して柿色になった何かを取り出した。
それは紛れもなく、オレの出したあの手紙の封筒だった。
彼女は満面の笑みで、手紙を持ったままの手を嬉しそうに左右に振った。
そして、それを胸に抱いた。
「え・・・」
廊下に入りかけたオレは、その言葉と彼女の意味する事を理解するのに
時間を要した。そこへ講堂下の階段の方から春子の大きな声がした。
「あぁ!居たぁ。ヤス坊ぅ」
オレは声のする方向に顔を向けた。
「やっと見つけた、こっちこっち。早く来て、安藤君が探しているんだから」
「あ、そうか。すぐ行くよ」
返事もそこそこにオレは相澤さんの
意外な言葉を聞き返そうと、中庭のグラウンドに顔を向けた。
「あいざわ・・」
相澤さんは、中庭にはもう居なかった。
オレは歩きながら廊下の窓越しに、中庭の方を見つめたまま、春子の方に足を向けた。
「もうっ、早退の名人でも、こんな時はチャンと居てちょうだい」
「なんだよ、何で怒られるんだよ」
「フィナーレに安藤君が、ヤス坊と歌うから待っているの」
オレと春子は階段を駆け上がって、講堂のステージに向かった。
相澤さんのことが引っかかっていたが、彼女も後で来るだろうから
それは、落ち着いてからにしようと思った。

ステージ横ではいまや遅しと、安藤が待っていた。
この日のために仕込んだ思い出のポップスのCDも
もう何曲も流した後のようだ。
「おい、こんな時にフケるなよ。CCR、行けるよな」
「あぁ、わかった」断れる空気ではなかった。
ステージでは元放送部の司会の女子が俺たちを紹介していた。
安藤のゴーでステージに向かった、早速ギターは”雨を見たかい”のコードを刻んでいる。会場は手拍子でボルテージが上がっている。
オレはマイクを持って、イントロを歌った。1971年に日本でも大ヒットしたこの曲は、ラブソングだと思っていたが実は別の隠喩を含んだ曲だった。ベトナムでアメリカ空軍がナパーム弾を雨あられと降らすシーンを、雨に喩えた曲だったそうだ。

当時の俺たちは情報も薄く、何よりもそんな意図さえ知らずに
ラブソングと思って歌っていた。

オレは歌いながら思っていた、この曲のように何十年も誤解したままだった事を、
相澤さんとの、あの苦い思い出は、オレの誤解だった事を。
歌に集中しながらも、相澤さんの言葉がアタマの中を巡っていた。
宴は何度も何度ものアンコールで、予定の時間をかなりオーバーして終わった。
オレは退室していく人の中に、目をこらして相澤さんを探したが、
彼女は、ついに見つからなかった。
そうして、何年ぶりかの同窓会は終わった。


「悪い悪い、待たせたな。やっと終わったよ」
そういって安藤は用務室から出てきた。ようやく清算が済んで、後片付けも終わったようだ。
オレは玄関のホールで、安藤のギターケースの横で折りたたみの椅子に座っていたが、安藤の顔を見て、腰を上げた。
「おつかれぇ、ヤス坊、今日は安藤君の所に泊まるんだって」
「あぁ、いまから2時間半は辛いよ、それに飲む約束したし」
「じゃ、今度は何年後かしらね、それまで元気でね」
そういって春子はどやどやと関係者と一緒に玄関から、大きな荷物を持って出ていった。安藤もCDやら書類やらを詰めたカバンを、肩に掛けてギターを手にしている。この玄関も、あと二ヶ月で取り壊しになるそうだ。

「さ、行こうか。なに食べる、肉?それとも魚にするか?」
「オレは何でもいいよ、どうせ、この辺だからロクなものないんだろう」
オレはそういって毒づいたが、安藤にはどうしても聞きたい事があった。
正門に向かいながら、歩く道すがらにオレは切り出した。
「安藤、相澤さんの事、聞いていいか?」
「なんだよ、改まって、どうしたんだ、相澤のなに聞きたいの」
「いや、まぁ、・・・相澤さん、あまりいい結婚じゃなかったのか・・?」
オレは相澤さんの、言葉の幾つかに、引っかかっていた。
正門の通用口から、俺たちは外に出た。
とっぷりと暮れて、人気のない通学道は、さながら二等辺三角形が並んでいるように均等に立っている電柱についた道路を照らす電球光と正門の電灯だけだった。
安藤は通用口を閉めて、こちらを向いた。
「あいつの結婚か、オマエ今頃、そんなの聞いてどうするんだ」
「いや、別にゲスな詮索じゃない。ただ、恵まれなかったようだと・・」
「そうだな、あいつの結婚はな・・」
安藤はオレの言葉の続きを聞かないうちに、言葉にかぶさってきた。
ギターケースを正門の石畳に置いて、安藤はケースの上に座った。
「ヤスもここに座れよ、あいつの話は飲み屋で話す話じゃないし」
そう言って、安藤は煙草を取り出した、カチカチとジッポを点火させている。
「なんだよ、説教か?」
「説教じゃないさ、おまえ卒業の前に相澤と何があったんだ}
「何って、告白失敗して、気まずくなった」
「それから・・?」
「手紙を出した、でも返事も来なかった」安藤は煙草をくゆらせて、上に向かって吸い込んだ煙を吐きだした。そして言った。
「お前達二人は、お互い好きあっていたのに、なんか悲惨だったな。
 オマエ結婚した年齢、幾つだった」
「二十九だよ、なぜ?」
「あいつも同じ年齢まで、オマエをずっと待ってたんだ、
 卒業して、この町の小さな鉄工場の事務でずっと働いていた。
 一回目の同窓会はお母さんの病気で来れなかったが、
 二回目の同窓会には来た。オマエは仕事の都合とかで来れなかった年だ
 俺にオマエの事をそれとなく、聞いてきた。
 俺にはわかった、浮いた噂も聞かなかったし、
 時折の電話でもオマエの話題になると声が弾んでいた」

俺は黙っていた、安藤を招待した結婚式で、
笑いながらポツリと嫌みを言われたことを、おもいだしていた。
夜のカーテンは少しずつ、足元にまで及んできている。
「オマエの結婚話は、あいつには俺の口から言えなかった、
 しかし別のところから、聞いたらしく、俺の所にも聞いてきた。
 彼女らしく、別の何かを装って、それとなくだった。
 ショックだったかどうか、俺にはわからんが
 それから、あいつは、意外な男と結婚した。
 その町工場の二回りほども年齢の違う、社長の後妻になったんだ」
キイキイと壊れた音を鳴らして右から左へとオレ達の前を、自転車が通った。
安藤の煙草は、とっくにフィルターしか残っていないが、指に挟んだままだった。
「先妻の子供もいたそうだ、そいつらの面倒を見ながら
 工場の経営、金算段のやりくりもして、けなげにやってたそうだ。
 でも俺には理解できなかった、なぜあの社長と結婚したのか
 噂好きの同期は、社長の手付きになったから後添いに入ったとか言ってたが、
 俺はそんな事信じなかった。第一、財産と呼べる物はなにもなかった工場に
 後添いもなにもあったものじゃない。
 結婚を機に、ぴたりと仲のよかった友達にも連絡は来なくなった」

―――オレは相澤に送った手紙を思い出していた、細かい文章までは明らかじゃないが
―――これから一生、相澤しか、好きになれない、と書いた記憶は鮮明だ。
―――その言葉を相澤さんは信じて、オレからのアプローチを待っていてくれたのか。

空には半分になった月が懸かっている、門柱の蛍光灯のシェードに蛾が群がっている校門のコンクリートは夜の冷気を吸い込むかのように、グレイの色を深めていた
「相澤さんに会えないか、連絡先を教えてもらえないか?」オレは安藤に言った。
「ヤス・・・、真面目に言っているのか?」安藤は上目遣いにこちらを見た。
「あぁ、大真面目だ、彼女に会いたい 
 お前には後で言うつもりだったが、オレは離婚した。会社も辞めた」
「おまえ、何を言っている・・・離婚もなにも・・・あいつは
 相澤は死んだよ、もう何年も前に」
オレは耳を疑った、確かに安藤はそう言った。

「死んだ?・・何年も前に?」
「あぁ、俺も葬儀には行ってない、四十前だったそうだ。
 親しかった奴も知らなかったそうだ。
 あいつの友達から聞いた。
 身体も無理してたし、何よりも好きでもない相手との生活は
 あいつにはそうとう辛かったろう
 俺に言わせれば、あの結婚は緩やかな自殺だ、
 やけっぱちの結婚だったんだ」
オレは、その先に理解を進めようとしても頭の中はヒートしていた、
言葉ではない言語が縦横無尽に湧いては消えていく、
まるでエラーを起こしたコンピューターのように、意味のない記号を
脳が吐き出している。
今日の相澤さんは・・・いったい・・・オレは判断不能に陥った。
「ヘヴィーな話だ、お互いに惹かれあっていながら
 少しも交わる事なしに、不幸に向かって、生きていたんだから」
秋相応の熱気の去ったこの季節の夜はどこか哀しい、
冬の到来にはまだ早いが、人のココロの中にまで染み込んでくる静けさは
人恋しい気分をいっそう駆り立てる。
晩秋の校舎はもう暗闇の中に溶け込んで、空に少し残っていたプルシァンブルーも
すっかり黒に取り込まれてしまったようだ。
時間は八時を指していた。
安藤の言葉を最後に、オレは、うな垂れたままゆっくりと立ち上がった。
安藤はオレを下から見つめていた、手にはまだフィルターが虫のようについていた。

とても、飲みに行く気分ではなかった、それは安藤も同じだろう
「オレ、やっぱり帰るわ」安藤は引き留めもしなかった
「そうだな、今日は俺もちょっと疲れた、
 こんな日にお前と飲むと悪酔いしそうだ、はは。
 ま、お前も色々あるみたいだが、がんばれよ
 人生これからだ」
慰めにも励ましにもならない言葉を言って
指に挟んだフィルターをポケットから取り出した簡易灰皿に押し込み
安藤はギターケースを持ち上げた。
「安藤、心配かけた、ありがと」
「あぁ、お前も元気でな、新しい住所に、参加礼状送る
 また、連絡くれ、今度は飲もう、達者で暮らせよ」
オレは駅の方角に歩き出しながら、安藤に向けて手を挙げた
安藤も校門のエントランスから、オレに向かってVサインを返した。
安藤に背を向けて歩く通学路は昼間の温度をすっかり失っていた
安藤には今日、オレが出会った出来事は、話せなかった。
ようやく冷却された脳髄は、あのとき相澤さんが言った
「いまは、ひとり」の意味を理解した。
そしてあの手の冷たさも。

二等辺三角形がポツンポツンと置かれている様な通学路は
ずっと先まで、永遠にパースペクティブを描いているようだった。
アタマの中では、あの苦い告白の日以来
オレの部屋で聞き続けた、サイモンとガーファンクルの”冬の散歩道”が繰り返し繰り返し、鳴り続けていた。
それは、相澤さんが一番好きな曲だった。

☆☆☆

ガタンと揺れた電車の振動で、オレは目を醒ました。
あまりに多くの事に遭遇して、疲れからまどろんでいたのだろう。
時計を見ると1時間ほど眠っていたようだ。
電車は郊外から既に都会のネオンの中を走っている。
窓を見ながらオレは思い出していた、
行きの列車の中で読んでいた本を
――― 善人は一生のうちに自分に返ってくる事が少ないと知りつつも、それでもなお善行為を行い、その結果が無数の過去・現在・未来に渡る、生命の繋がりの網目を伝わって、現在にも未来にも、そのことを知らない人にもたらされている。―――
彼女のオレへの思いの深さと愛情は、
時間と空間を越えて、今日のあの場所に来たのだろうか。
リアリティばかりを追求してきたオレの脳髄は、多少の混乱をきたした。
しかし、相澤さんに会ったことは、
自分の中でどう論理的に整合をつけるよりも
そのままの事実にしようと思った。
世の中には整理つけなくてもいい、そういう事柄もある。
ただ、オレは色んな紆余曲折を経ながらも、
相澤さん、いや相澤と何処かで繋がっていること、それだけが嬉しかった。

日曜のこんな時間の電車は、行きよりも更に人もまばらで冷え冷えとしていた
カタンカタンとレールのジョイントの音を
客室にリズミカルに響かせながら、電車は走っていた。

あと一時間ほどで、日付けは変わる。
ヤス坊の長かった同窓会も、終わろうとしている。

オレはあの時の、相澤の言葉を噛みしめていた。

同窓会

年代が年代ですから、こういうの共有できるかな・・?

同窓会

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-02-05

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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