*星空文庫

火童子

真空中 作

 火の童子がゐる。

 朱い髪は天を衝くように逆立ち、緋色のまなこは龍の眼の如く爛々と輝いて、赤茶色の膚には鋼の輪を結んでいる、身丈三尺三寸の子供である。
 その昔、火の神が世界を駆けたとき、踏み荒らした地を炭に変え、土肌に黒々とした足跡を残していった。たいそう大きな足跡で、それからずっと、其処は不毛の地だった。
 やがて、月日が巡る。風が吹き、海満ちて、地が隆起し、太陽が万物を照らして、夜が来る。そうしてまた季節が一巡りした頃、どこからともなく運ばれてきた種が芽吹いて、ぐんぐん育ち、群れを成して、とうとう大きな森をつくった。
 鮮やかな緑の草の下に、足跡は眠っていた。永い間、木の根の奥深く、動かなかった。ずっと、そのまんまのようだった。
 けれど、ある日、太陽が上った朝。
 焦土から、ひとつ。
 命が息吹く。

 火の神の落とし子が、長い長い歳月を経て、ようやっと形を成したその場所は――みどりふかい、太古の森奥。


  ◆ ◆ ◆


 貪り喰らう。
 死んだ樹に噛み付いた。
 歯を立てた場所から、ぼっと火が灯って、みるみるうちに乾いた木肌を舐めつくしていく。
 背の高い木々の合間、僅かに零れ落ちる日の光は薄青く色帯びて、鬱蒼と茂る地面をほのり、照らしている。獣の姿は無い。遠く聞こえる鳥の声を掻き消すように、ぱちん、火花が音鳴らす。
 赤い子供が、独り、地に蹲って、黒焦げになった木片を一心不乱に貪っていた。
 辺りには折れた枝や湿って腐ったようなのが散らばっていて、子供はそれをひたすら燃して、炭にする。小さな手が触れた瞬間、焔がわっと紅く煌めくのだけれど、すぐに勢いを失って、埋み火のように、ちろちろと黒く割れた木目に揺らめくばかりとなる。そんな調子だから、山火事になる様子も無くて、深い森の静寂の中、小さく爆ぜる音がよく響いていた。


 不意に、澄んだ空気を揺るがして、そよと風が吹き抜けた。
 口の周りを真っ黒に染めた童子が、水の匂いを嗅ぎつけて、頭をもたげる。
 龍の双眼で見上げた先、悄然、白い衣を纏った者が佇んでいた。
 森のあおに溶け込んでしまいそうな果敢無い形姿は、男とも女ともつかない。
 驚きを露わにした金色の目を睨み据えると、薄く開いた相手の唇から、ほろりと言葉が零れた。

「……吃驚した」

 一言。それだけだった。
 子供はすぐに興味を無くした。手元の焼け木をがり、と齧る。無心に苦い炭を噛み砕いていると、ややあって、上から遠慮がちに声がかけられた。

「おまえ、」

 応えず、奥歯で火を孕んだ木片を削る。

「……おまえ」

 温度を持たぬ呼びかけに、一寸、空気が張り詰めた。

「……最近、ここいらに置いた木がずっと無くなっていたのだけど、それはおまえの仕業?」
 
 相手の、強張った声は真直ぐに、童子の耳を突き抜けた。
 おそるおそる振り仰げば、金色とかち合う。
 その輝きに吸い込まれるように、頷いた。
 そう、と相手は呟いた。ゆるく、ほどける。

「……そう」

 言葉が今一度、繰り返されて、安堵したような溜息が聞こえた。
 童子が眉を顰めると、質問が降ってくる。 

「おまえ、火を出すの」

 是、と子供は答える。

「なら、この子を燃やしてくれないか。弔い代わりに」

 差し出された若木は、根が腐っていて、死んだばかりのようだった。
 火の子供は、若木を受け取るや否や、躊躇いなく口に含んだ。ばきん、大きな音と共に木があっという間に黒くなる。
 煤が舞い上がって、相手の白い衣を黒く汚した。

「……食べるの」

 問いかけに、子供は黒い歯を剥き出しにしてわらう。

「木は俺の餌になる」

 そう、と声が落ちた。
 童子は、顔を木片に向けながら、金色を盗み見た。
 揺らぎもしない。弔いを乞うた木を、弄ぶように貪られても。
 そこらにあった死に木すべてを腹におさめてから、子供は言った。

「あんた、止めなかったな」

 何故、と尋ねた。
 ややあって、返ってきた声は、ひどく静かなものだった。

「おまえが喰らったその若木も、その前に燃やした木々も、わたしの友人だったよ。
 おまえにとっては食事だった。けれど、わたしにとっては、確かに、弔いなんだ」

 受け取り方次第だろう、と付け加えられた言葉の、その意味を咀嚼して、子供は何も言えなくなった。じわ、じわ、じわり――苛立たしいような、悲しいような、悔しいような思いが、胸いっぱいに広がる。も少し丁寧に燃してやればよかったかもしれぬ。一瞬、そんなことさえ思った。
 黙り込んだ火の子供を一瞥して、金色の目を持った者は白い衣を翻す。ゆるり、薄布が宙に舞った瞬間、煤が空気に溶け消えた。
 去りゆく背中を無性に引き留めたくなって、「なあ、あんた」と童子は乱暴に言葉を放る。

「あんた、いったい誰なんだ」
「……誰だろうね」

 穏やかな光を宿した金色が、肩越しに向けられる。

「いにしえの時代から、ずうっと、この森に棲んでいるものさ」

 ――かの人が、太古の森の主であると知ったのは、それから大分先のことである。


  ◆ ◆ ◆ 


 火童子は寝床を持たぬ。
 兄弟はいない。姉妹もいない。己をこの地に生み落とした親の行方は知れなかった。
 土中から這い出てやっと形をなしたとき、ただ一人、森にいた。
 この世のつくりも道理も知らぬくせ、自分の餌にだけは鼻が利いて、折れて地に転がった、燃せそうな枝を見るや否や、飛びついて喰らい尽くした。
 腹を満たして、泰然と存在する苔生した木々の合間を当てどもなく歩き、夜になれば平らな場所を探す。子供の火は、腹が空いた時以外、他のものをおかさない。赤茶けた膚を草地にさらして、大の字になって眠った。

 食う以外、することがない。ただ生きている。
 灼熱の焔を本性とする火童子に、この太古の森は、あまりにそぐわなかった。

 そんなふうに、のたりくたりと過ごしていたから――早朝、目を開けた先、視界が白一面だった子供は、ひどく驚いた。
 手を伸ばして、触れば撓む。やわい手触りに、はて何処かで見たような、と首を傾げて半身を起こしかけたところ、「被っておいで」と聞き覚えのある声がかけられた。

「雨が降っている。強い雨だ。いくら頑丈でも、おまえの膚には、毒だろうよ。その布は水を通さないから、止むまでそうしているといい」

 何故、と布越しに問う。森の主はあっけらかんと答えた。

「森に生きるものを守るのが、わたしの役目だから」

 守る? 火童子は目を瞬かせる。
 おれは、まもられる存在なのだろうか。

「……この前のこと、怒ってない?」

 おどおどと聞けば、間を置かず、怒ってないよと笑う声がする。その声音が、あんまりに優しくて、意固地になっていたことも忘れた。火童子は、妙にくすぐったくなって、白い衣に顔を埋める。――相変わらず、水の匂いがした。

 森を歩けば主に出逢う。言葉を交わす。時折、弔いにと火を燃やして、時々、白い衣で雨から守ってもらう。
 子供はまもられていた。初めて、そういうひとと出逢った。
 それが嬉しくて、笑って見せれば、たくさんの言葉と笑顔が降ってくる。

 親はいない。寝床は無い。食うこと、寝ること、それが子供の生活の全てで、――けれどそこに、森主との邂逅が、混じるようになった。


  ◆ ◆ ◆


 長い歳月がたった。
 森は変わらず悠然として、主もみどりも変わらぬまま、火童子の背丈は伸びることなく、緩慢に時が流れていた。きっと、このまま、永遠に続くのだろうと思っていた。いつものように日が昇り、夜が来て、季節が巡り、時折雨が降り――異変は突然に訪れた。

 雨の降らない年があった。
 その翌年も、翌々年も、降らなかったのである。
 妙なことだ、と呟いた森の主が、天を仰ぐも、雨滴一粒すら落ちてくる気配は無い。一年に一度、天の気まぐれのように雨が降り、それきりだ。長い干ばつにも関わらず、木々は、それでも生きていた。森の主が、生気を分け与えてまわるので。
 久方ぶりに逢った主は、今にも散りゆく花のような貌をしていた。

「おまえ、体はどうだい」

 問いかけに、火童子は首を振る。もとより水を必要としない性質であるから、干ばつなど何ともなかった。心配なのは森主の方だった。

「あんた、いまにも死にそうだ」
「死なないよ。この森の木々の、最期の一本が絶えるまでは」

 笑ってみせる顔に、血の気はない。乾いた空気の中、罅割れた唇が痛々しかった。かの人が纏っていた水の匂いは、消え失せて長い。何千、何万の命に生気を分け与え、それを何年も続けている。――決して見せはしない、けれど辛いのだろう、と子供は思う。

「本当に、雨降らす方法は無いのか」
「言ったろう、待つしかないと。天に願えば叶えられる可能性もあるが、天神に願うこということは、代償(いのち)が必要だということだ」

 それは、とても、とても大きいことだから、容易には、出来ぬ。言って、森主は目を伏せる。

「……本来、森羅万象の現象は勝手に変えて良いものではない。雨が降らないというのなら、雨が降るのを待つしかない」

 そんな気長に待っていられるか――口を開きかけて、やめた。色を無くし、己が命を削ってようやく生きる者を、詰る気にはならなかった。
 口を噤んだ火童子の頭を、細い指が、次いで大きな掌が撫でた。

「いいこだね。有難う」

 やさしい声に、ああおれはあまりにも無力なのだ、と子供は唇を噛み締める。けれど、自分より遙か大きな力を持った庇護者がいることに、心の片隅で、安堵した。この森は死なない。まだ、耐えられる。
 干ばつは、その後も続いた。今まで揺らぎもしなかった太古の森が、次第に瑞々しさを失って行ったのは、更に数年が経ってからのことだった。



 微睡みの中、嗅ぎ慣れた臭いがする。
 煙たく、鼻につく、それでいて懐かしいような、香り。
 小さく唸りながら身を捩って――かっ、と火童子は目を開く。此処は太古の森、――火の匂いがしていい場所ではない。
 身を起こせば視界は白く凝って、ぱちんぱちんと火花弾ける音が遠く聴こえた。煙の向こう、橙色の揺らめく火――火?
 山火事だ。
 こめかみの辺りがすぅと冷えていくのを感じた。火の気配、かなり、大きい、乾いた空気、――――これでは、広がってしまう。
 子供はすっくと立ち上がって、煙の波に突進していく。赤く燃え盛る炎の中に飛び込んだ。火が膚を撫でる。熱くはない。火の子供は焼けることを知らぬ。けれど――――火につよいことと、火を操ることは、全く別のことだった。
 小さな火ならいざ知らず、大火は火童子が御することのできる範囲を超えている。ひとりではどうにもならない、と首を振った子供は、炎の中から飛び出した。
 森主の姿を捜す。主なら何とかしてくれるはずだ。二日前にも逢った。降らないねえ、と能天気に笑っていた。秘策のような、最後の切り札を、期待していたのかもしれない。子供は庇護者を求めた。そして、見つけた。
 白い衣が、木の根元に広がっていた。
 火童子は足を止める。
 森の主は、いた。
 いたが、いつものように、金色の目を細めて、笑ってくれはしなかった。
 細い身体が、木に寄りかかって、力を失くしていた。
 生気を使い尽くした、抜け殻が、あった。

「……なあ、」

 近寄って、揺さぶる。返事は無い。軽い体は、火童子の方へと倒れ込む。小さな手でも、支えられた。それくらい、軽かった。

「なあ、起きてくれ」

 火は迫っている。地面を舐めつくし、いにしえの時代から生きる木々を焼いて、ごうごうと、その炎を噴き上げている。
 顔が歪んだ。

「起きなきゃ、あんたの森が死んじまう……!!」

 否、おれの森が。
 おれが、あんたと、ずっと一緒に過ごしてきた、この森が。
 目は閉ざされたままだった。火童子は愕然と座り込み――その耳に聞こえる、火の音が大きくなり始めたとき、やっと我に返った。
 このままでは森を燃やし尽くしてしまう。
 他の生命に生気を与え続けた森主は目覚めない。――もう、これから、ずっと目覚めないのかもしれない。どうやったら起きるのか、いつになったら起きるのか、火童子にはわからなかった。
 それでも、守らなければならない。
 ぐっと唇を引き結ぶ。


 主の体を何とか背負い上げ、走り出す。
 走る。走る。走る。
 火の手も、煙の匂いさえ届かない場所にその体を横たえると、大きな手を一度だけ握りしめて、再び走り出した。
 目指すは山の頂上。
 赤茶色の膚が裂ける。頑丈な体でも、傷つけば痛みがはしる。今までさんざ森を駆け回ってきた足は、言うことをきいてくれなかった。腿がだるくなって、がくがくと震える。それでも、足を止めてはならぬ。ひたすら、上を、目指す。
 そしてとうとう、辿り着いた。
 頂上の、一番背が高いだろう木に登って、色褪せた葉をかき寄せて、顔を出す。
 瑞々しさを失った太古の森が、どこまでも、どこまでも広がっていて、その中腹から、黒い煙がもくもくと立ち昇っている。 ひどいにおいだった。
 火童子は天を仰ぐ。雨を降らせてくれない。憎らしいと思っていた。
 だが、今は、縋る。
 腕を宙にのべた。
 天神に願う。
 天まで届くよう、絶叫するように、訴える。

「かしこみかしこみ申す……」

 天に御座します神よ。
 どうか大地に雨を恵みたまえ。

 唱えながら、これから先の自分を考える。代償が必要だと、言っていた。もしそれが本当なら、きっと、生きては戻れない。そうでなくとも、主の守護がない今、豪雨に打たれたら、間違いなく命潰えるだろう。
 それでも。
 
 それでも。

「おれの命を持ってって良い、どうか、どうか……!!」

 叫びが天に迸り、――数瞬のち、轟音が閃いた。


 久々の、水だった。子供は呆然と暗い灰色の空を見上げる。
 痛いくらいに、強く、雨が降る。――すべてを鎮める、恵みの雨が降る。
 どしゃぶりの雨の中、火は次第におさまり、煙だけが残って、それさえも、細く薄く消えゆく。
 子供は四方に視線を巡らせ、煙が、完全に消えたのを見届けて、ようやく、深く、深く、息を吐いた。
 森中が甦っていくようだった。生き生きとして、緑の濃さを増してゆく。
 この分なら森主もきっと大丈夫だろう、と子供は胸を撫で下ろす。
 雨受ける太古の森を、そのすべてを見渡して、

「よかった」

 火の子供は呟いた。

「よかった」

 額に握った拳を押し当てて、ささめいた。

「よかった……」

 心底、安堵したような――その最期の言葉は、雨音に掻き消された。
 雨は暫くの間、止まなかった。


  ◆ ◆ ◆


 濃くみどりの匂い立ちこめる森の奥、白い衣がひらりひらりと揺れている。
 焦げた木を跨ぎ、露滴る鮮やかな緑をかき分けて、一生懸命に、子供を捜すひとがいる。

「ねえ、おまえ、」

 静まり返った森の中、声はどこまでも響き、けれど決して、いらえは無い。

「どこに行ったの」

 歩けど歩けど、あの煌めくようなあかい、あかい輝きは、見つからなかった。
 捜して、捜して、捜して――森の果て、子供がもう、どこにもいないことを知り、森の主は喉を震わせる。

「火童子」

 たった一つの呼び名は、森のしじまに残響して、深いみどりの奥に吸い込まれていった。
 ぱら、ぱら、小雨が降る中、木々の合間に霧がまとわって、森を侵す。
 だんだんと視界が白く薄らぐ。
 それは主の姿さえも覆い尽くして――やがて、何も見えなくなった。


 粛然。
 太古の森は、何事もなかったかのように、沈黙している。

『火童子』

『火童子』 真空中 作

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2017-05-02
Copyrighted

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