太平洋、血に染めて 「エキストラにさようなら」
エピソード「13日は何曜日?!」の数日後に起こった出来事です!!
*オープニング
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渋色のくたびれたカウボーイハットにドライシガー。テレビのモニターに映るその男は、表情まで自分とそっくりだった。もちろん、演技力だって負けていない。自分ではそう思っている。だが、なにかが足りなかった。彼にあって、自分にないもの。灯の消えた真っ暗な部屋でひとり、ハリーはじっとモニターをにらみながら考えた。いったい、なにが足りない? オレと〝やつ〟のなにがちがうというのだ?
ジャリ……ジャリ……
やつがモニターの奥から近づいてくる。街の通りの向こうから、一歩一歩、ゆっくりと近づいてくる。真昼の決闘か。おもしろい。ハリーはレザージャケットの内ポケットから葉巻をとり出し、くちびるに挟んで火を点けた。
――ジャリッ
通りのまん中でやつが立ち止まった。
ハリーは葉巻の煙をふーっと吐きだし、静かにパイプ椅子から立ちあがった。口にくわえた葉巻。渋色のくたびれたカウボーイハット。スクリーン越しに、おなじ顔がにらみ合う。
『――抜け』
やつが腰の拳銃に手を伸ばした。ハリーも右の拳の人差し指と親指を開いて指鉄砲をつくり、ゆっくりとした動作で腰のよこに構えた。一筋の冷たい汗が、すーっと頬を流れ落ちる。やつも額に汗を浮かべている。しばしの間、無言でにらみ合う。やつの右手の中指がピクリと動く。反射的に、ハリーのマユもピクリと動いた。お互いの鋭く光る冷たい眼が、じっと相手の隙をうかがっている。ヒュルリと風が吹きぬけ、砂塵が舞い上がる。ころころと跳ねるように転がりながら、ふたりの間をタンブルウィードがよこぎる。一瞬の静寂。そして教会の鐘の音を合図に、やつとハリーは同時に動いた。
――バン!
「――!?」
一瞬、心臓が止まった。胸を押さえながら、勢いよく背中から倒れ込む。もちろん、これは演技などではない。演技で心臓を止めることなどできるはずがないし、それができるぐらいならとっくにハリウッドスターになっているだろう。そもそも、オレを吹き飛ばしたのは〝やつ〟が放った銃弾ではないのだ。部屋の入り口に立っている人物。そいつがオレを吹き飛ばした犯人だ。ハリーは床の上に起きあがると、肩越しにドアをふり向いた。暗い床の上にできた光の道をカウボーイハットが転がっている。ドアの外に立つ黒い影に向かって、まっすぐ転がってゆく。そして黒い影の足にぶつかり、床の上にパタリと倒れて止まった。
「……ぼうず。ドアを開けるときは、もうちょっと静かに頼むぜ」
苦笑混じりにハリーが言うと、大五郎は床の上からカウボーイハットを拾い上げ、自分のあたまに乗せてニコリと笑った。
「おじちゃん、ひるめし!!」
「はやいな。もうお昼になるのか」
「またひとりでテレビみてたの?」
「なにもやることがないからな」
そう言って自嘲すると、ハリーはよこを向いて葉巻の煙をふーっと吐きだした。テレビのモニターが視界の端に見える。床に座り込んだまま、ふと肩越しにモニターをふり返る。腰にぶらさがるホルスターのよこでクルクルと拳銃が回っている。そして拳銃がホルスターに収まったつぎの瞬間、〝やつ〟は葉巻をくわえた顔でニヤリと笑った。
「泣けるぜ」
ふてくされたように鼻を鳴らすと、ハリーはヨロヨロと床から立ち上がり、やおら部屋の隅にある小さな机に向かった。
「このテレビ、このまえのとおなじやつだね」
「ああ。このまえのつづきを観てたんだ」
「さいごまでみたの?」
「いま、ちょうど終わったところさ」
もう何百回と観ている映画だ。どのシーンだろうが、自由にあたまの中で再生できる。わざわざ観るまでもないさ。胸の中でつぶやきながら、ハリーは机の上のリモコンに手を伸ばした。
「……締まらねえ結末だぜ」
ハリーはモニターから顔を背けて電源を切ると、大五郎の待つ入り口のドアに向かって静かに歩きはじめた。
「さあ、食堂へ行こう。みんなが待っている」
「うん!」
元気よく返事をすると、大五郎は駆け足で部屋を出ていった。
ハリーはドアのまえで立ち止まり、こっそりとモニターによこ目を向けた。所詮、オレはエキストラ。セリフも役名もない、ただのエキストラ。スクリーンの中に映る、ただの背景。これがオレの実力。これが現実。
「おじちゃん、ぼうし!」
はっとしてドアに向きなおると、大五郎が頭上高くカウボーイハットを掲げながら立っていた。
「ああ、すまん」
ハリーはカウボーイハットを自分のあたまにもどすと、大五郎の明るい笑顔にうなずいた。オレには、もうこんな笑顔は一生作れないだろう。ハリーはカウボーイハットの鍔を下に引っ張り、ほほ笑みを忘れた顔をそっと隠した。
娯楽室を出て、うしろ手にドアを閉める。ふと床に目を落とし、吐息と共に口と鼻から紫煙を吐きだす。ハリーは何度か小さく首をふると、静かに艦内通路を歩きはじめた。ハリウッドスターの夢など、もう忘れよう。どうせ、生きてこの太平洋を渡れるかどうかもわからないのだ。かりに生き延びれたとしても、オレはもうスクリーンの中へ戻るつもりはない。もう、こんなみじめな生き方はまっぴらだ。もし、生きて故郷の土を踏むことができたら、小さな牧場でもはじめよう。スクリーンの中のカウボーイは、もう卒業だ。これからは、本物のカウボーイとして生きるんだ。そうだ。そのほうがいい。通路を歩きながら、ハリーは自分に言い聞かせていた。だまって大五郎のうしろを歩きながら、夢を忘れようとしていた。奥歯をぐっとかみしめ、こみ上げてくるものを抑え込みながら。ハリーは娯楽室をふり返ることなく、だまって通路を歩きつづけた。
二時間ほど昼寝をすると、大五郎はヨシオたちのいる甲板にまっすぐ向かった。
「あっ」
タラップを上がって甲板にでると、舳先にはヨシオとハリー、そして長老とコバヤシが立っていた。みんなで集まって、いったいなにを話しているのだろうか。とにもかくにも、大五郎は舳先に向かって駆けだした。
「おいらも、まざりたい!」
大五郎はヨシオとハリーの間に滑り込んだ。そして仁王立ちになって腕を組み、とりあえずヨシオとおなじ格好をしてみた。
「今日は、少し曇ってるな」
大五郎のとなりでハリーが空を見上げた。太陽は出ていないが、カウボーイハットの下で眩しそうに目を細めている。
長老も、ヨシオのとなりで灰色の空を見上げている。
「風も出てきたのう。こりゃあ、ひと雨来るかな」
肩まで伸びた白髪が、ゆらめく炎のように風でなびいている。しかし頭頂部はハゲており、アゴには白く長いひげを蓄えていた。長老は、まるで絵本に出てくる仙人のような老人だった。
「それにしても、アニキはいったい、なにを見てるんです?」
ハリー越しにヨシオに声をかけたのは赤いモヒカンあたまの男、コバヤシである。
「……」
コバヤシに返事をせず、ヨシオはだまって水平線のほうを見ている。
「相変わらずクールでやすね、アニキは」
コバヤシは黒いカーゴパンツのポケットに手をつっこんだまま肩をすくめた。
スネークの一件以来、コバヤシは別人のようにおとなしくなってしまった。彼は、ヨシオをアニキと呼び慕っているのだ。
「そういや、ダンナ」
コバヤシがハリーに声をかけた。
「アッシは以前、ダンナに会ったことがあるような気がするんですがね。いや、どこで会ったかは思い出せねえんですが、アッシはたしかにダンナの顔を見たことがあるんでさァ」
そう言って腕組みをすると、コバヤシは不思議そうに首をかしげた。
「オレを見ると、なぜかみんなおなじことを言うんだよ」
ハリーは右手で指鉄砲をつくると、コバヤシの眉間を狙うように構えて見せた。
「……あっ! ダンナは俳優の……」
「〝元〟俳優、だ」
ため息混じりに苦笑すると、ハリーはカウボーイハットの鍔で顔を隠した。
ハリーが俳優だったことは大五郎も知っていた。いつも悪役や死体役ばかりで、セリフのある役をもらったことは、いちどもなかったらしい。
「じつを言うと、アッシは西部劇のファンなんでさァ。もちろん、ダンナのこともよぉく知っておりやす。いや~、みごとなやられっぷりでやした」
コバヤシは褒めているのか貶しているのかわからない言い方をした。
「おいおい、茶化すなよ」
「茶化しちゃいやせん。ダンナはまちがいなく名脇役。主役級の脇役でさァ」
コバヤシとハリーが映画の話で盛り上がっている間、ヨシオは腕組みをしたままジッと水平線の向こうを見つめていた。カタパルトオフィサーのヘルメットにイエロージャケット。いったい、ヨシオはなぜそんな格好をしているのか。それを知る者はだれもいない。
「おや? あそこでなにか光ったようじゃ」
長老がヨシオの背中越しに右舷のほうを杖の先で示した。
大五郎はハリー越しに右舷のほうをふり向いた。空母の右舷、およそ二百メートルほどのところを、なにか銀色の物体が波間に見え隠れしながら漂っている。
「ありゃあ、飛行機の翼でやすね」
丸い黒縁メガネを押し上げながらコバヤシが言った。
飛行機の翼。大五郎は、ふとチャーリーを思い出した。あの翼は、ひょっとしてハリアーの残骸なのでは。銀色で、細長い翼。……ちがう。あの翼はハリアーのものではない。ハリアーの翼は、あんなに長くはなかったはずだ。チャーリーは、きっとどこかで生きている。大五郎はそう信じることにした。
「オレも、昔はもっていた」
波間を漂う銀色の翼を遠い眼で見ながらハリーが言った。
「いったい、なにをです?」
コバヤシが尋ねる。
「翼だよ」
ハリーは鼻と口から紫煙を吐きだすと、海に向かって葉巻を指で弾き飛ばした。
細長く伸びた白い煙が、黒い海の中へと吸い込まれてゆく。
「オレにも夢があった。夢に向かって、羽ばたいて……」
「ダンナ……」
同情するコバヤシに小さくうなずくと、ハリーはクルリと踵を返した。
「でも、もう飽きちまったぜ。夢の中で飛び回るのは、な」
陽気に冗談を言いながら、ハリーはゆっくりと右舷のタラップのほうへ去っていった。
「おじちゃん……」
陽気に笑っていたが、ハリーの背中は泣いていた。大五郎だけではない。みんなもわかっているのだ。
「ハリウッドスターの夢。やはり、捨てきれぬか」
長老はタラップを降りてゆくハリーの背中を静かに見送っていた。
「でも、アッシらは素人。演技のことなんてわかりゃしねえ。アッシらには、どうすることもできねえ」
コバヤシは己の無力さに苛立っている。もちろん、大五郎もおなじ気持ちだった。できることならハリーのちからになってやりたい。でも、大五郎には、なにもいい考えが思いつかなかった。
こういうときに頼れるのがヨシオだった。彼はスネークを倒した男。この空母の危機を救った英雄なのだ。彼なら、ハリーのちからになれるはずだ。きっと、なんとかしてくれるはずだ。だが、ヨシオはなにも言おうとしない。腕組みをしたまま、じっと黒い海を眺めている。
嵐になった。
空母の乗組員、そして難民たちは、みんな食堂に集まっていた。全員ではないが、およそ百人ぐらいはいるだろう。もちろんヨシオもいる。食堂のはしにある、小さなテーブル。そこでハリー、長老、そしてコバヤシの四人でポーカーをしているのだ。大五郎はポーカーのルールがわからないので、ただ見ているだけだ。
「なあ、ぼっちゃん」
コバヤシが声をかけてきた。
「そこのカウンターでスコッチをもらってきてほしいんだが。それと、瓶ビールを一本」
「うん!」
カウンターでスコッチのボトルと瓶ビールをもらうと、大五郎はコバヤシのところへもっていった。
「おう。すまねえな」
赤いモヒカンあたまがニタリと気色悪い笑みを向けてきた。大五郎は無視してヨシオのとなりに座った。
「ささ、アニキ。一杯どうぞ」
コバヤシが傍らのヨシオにスコッチを勧めた。
「じいさんも、一杯やれや」
コバヤシは向かいに座る長老にも勧めると、そのとなりのハリーのグラスにもスコッチを注いだ。
ハリーは掌の中に広げたカードをながめながら、ぼんやりとしている。くわえた葉巻からゆらゆらと立ちのぼる白い煙も、どこか寂しげだ。翼の話をしてから、ハリーはずっとふさぎ込んでいるのだ。
大五郎はハリーの様子を気にしつつ、ヨシオのとなりでコーラを飲んでいた。相変わらずヨシオはふだんと変わらない表情でグラスを傾けている。ヨシオ越しにコバヤシに目をやると、彼は豪快に瓶ビールをラッパ飲みしていた。
「ハラが減ったな」
ボソリとつぶやき、ハリーが席を立つ。
「ホットドッグを食ってくる」
ハリーが大五郎のよこを通りすぎてカウンターのほうへ歩いてゆく。
「おじちゃん……」
いつもとちがうハリーの様子に、大五郎はいささか戸惑った。いったい、今日のハリーはどうしたのだろうか。どこか具合でもわるいのだろうか。大五郎は、心配そうにハリーの背中を見送っていた。
「慮外者!!」
とつぜんカミナリのような大声が食堂に轟いた。
「わっ?!」
大五郎は掌を耳に当てながら叫び声にふり向いた。どうやら声の主は長老のようだ。いったい、なにが起きたというのか。
「このわしにイカサマが通用すると思うてか!!」
激昂しながら席を立ち上ると、長老はコバヤシにカードを投げつけた。
「な、なぁにィ~? イカサマだと? ふざけんなジジイ! テメーがよわいだけだろうが!」
コバヤシもテーブルを叩いて立ち上がり、長老につめ寄った。
にわかに周りがざわめきだした。食堂にいる全員が、このふたりに注目している。ハリーもホットドッグをかじりながら様子をうかがっている。ヨシオは、あいかわらず他人事のように落ち着いている。席に座ったまま、静かにグラスを傾けていた。
コバヤシが長老の胸ぐらにつかみかかった。
「それともなにかい? アッシがイカサマをやったってェ証拠でもあるのかい?」
相手の目を睨んだまま長老がテーブルの上に転がるビール瓶に手をのばす。
「くせえ息を吐くのは、それぐらいにしておけや!!」
そしてコバヤシのあたまに勢いよくふりおろした。
粉々に砕け散ったビール瓶の破片が、キラキラと床の上に降り注ぐ。
「――ラリッ!!」
まるで首ふり人形のようにあたまをフラフラさせながらよろめくコバヤシ。
「ホー……」
赤いモヒカンあたまが、まっ紅な血の花を咲かせながらエビ反る。
「……マ」
まるで伐採された大木のように、コバヤシはゆっくりと仰向けに倒れるのであった。
「ヤ……ヤロウ。マ、マジでやりやがったな~……」
ちかくのイスにつかまりながら、コバヤシがヨロヨロと立ち上がった。顔は血まみれ、目は血走っている。
「外道の最期はこんなものじゃ。いさぎよく天に帰るがよい!!」
長老は頭上で構えた杖を、まるでヘリコプターのプロペラのようにふり回すのであった。
「ほざきやがれ!!」
コバヤシがズボンのポケットから拳銃を取りだすと、食堂にみんなの悲鳴が響き渡った。
「天に帰るのはテメーのほうだ!!」
コバヤシが長老に銃口を向ける。ヨシオ。手刀。コバヤシの手から銃が落ちる。
「あっ!」
コバヤシが、慌てて銃を拾おうとする。
「ハリー!!」
そうはさせまいと、ヨシオが銃を蹴る。
床の上を回転しながら、銃が滑っていく。ハリーの足元。ホットドッグを頬張りながら、ハリーが銃を拾う。
コバヤシはヨシオから素早くはなれると、ポケットからもう一丁の銃を取りだした。
「ばかめ! 銃は一丁だけじゃねえ!」
コバヤシがハリーに銃口を向ける。
「よせ!」
ハリーもホットドッグをゆっくりと咀嚼しながら銃口を構えた。
「ダンナを撃ちたくはねえ。どうかその銃を捨てておくんなせえ」
コバヤシが銃の撃鉄を起こす。
だが、ハリーは首をよこにふる。
「よすんだ。銃を捨てろ、コバヤシ」
眩しそうに細めたハリーの眼が冷たく光る。
「たのむ、ダンナ。アッシに引き金を引かせねえでくれ」
コバヤシもハリーに銃口を向けたまま首をふった。
「銃を捨てるんだ、コバヤシ。オレは本気だぜ」
ハリーも撃鉄を起こした。
凍りついたように静かな食堂。ふたりの冷たい目が、ジッとにらみ合っている。大五郎は長老とふたりでカベ際に下がった。ヨシオも動かない。どうやらふたりの勝負に手を出すつもりはないらしい。まるで石像のように固まったまま動かない三人。ヨシオとハリーとコバヤシの位置関係を線で結ぶと、ちょうど正三角形になる。
「バミューダトライアングルじゃ」
大五郎の耳元で長老がささやいた。
なんの話か知らないが、いまはそれどころではない。大五郎は長老を無視してハリーたちの戦いに集中した。
――パリン!――
床の上でグラスが割れる音。
――パ パン!――
重なる銃声。
時間が止まったように、だれも動かない。
――ゴトリ――
床の上に、ひとつだけ銃が落ちた。
「……ダンナ……」
コバヤシがヒザから崩れ落ちる。右手で胸を押さえながら、コバヤシはゆっくりとうつ伏せに倒れこんだ。
ハリーが口の中のものをゴクリと飲み込んだ。それから何度か首をふり、ゆっくりとコバヤシのところへ歩きはじめた。銃口はコバヤシに向けたままだ。
「さ……さすがだぜ、ダン……ナ……」
薄く開いた眼でハリーを見上げると、コバヤシは血まみれの顔でニヤリと笑った。そして、静かに息を引き取った。
「……ばかやろう……」
ハリーは口の中でつぶやくと、カウボーイハットで顔を隠すようにうつむいた。銃口をコバヤシに向けたまま、ハリーはすべてを否定するように首をよこにふっていた。
「ばかやろう……」
かすれた声で、もういちどつぶやいた。
銃を下ろしても、ハリーは首をふりつづけた。怒り。後悔。悲しみ。セリフはいらない。ハリーは表情だけで、それらの感情をみごとに表現しているのであった。
パチ……パチ……パチ……
ふいに、だれかが手を鳴らした。
「素晴らしい演技だったよ、ハリー」
ヨシオである。
「演技だと?」
ハリーが不愉快そうな表情でにらみつけると、ヨシオはニヤリと皮肉な笑みを浮かべた。
「さすがだよ。まさに、アカデミー賞ものの名演技だ」
「ふざけるな」
ヨシオの態度に怒りを見せるハリー。だが、ヨシオは笑みを浮かべたままだ。
「オレは褒めてるんだぜ。もっと素直によろこんだらどうなんだ?」
ヨシオの言葉はハリーの神経を逆撫でするだけだ。
「きさま、いい加減にしろ!」
ものすごい剣幕でヨシオに詰め寄るハリー。いままで見せたことのない激しい表情だ。
ハリーがヨシオの胸ぐらにつかみかかる。
「きさまは……きさまというやつは、こんなときにまで――」
「カーット!」
ハリーをさえぎる声。
「まるで本物のハリー・キャラハンを見ているようでしたぜ、ダンナ」
ムクリと起き上がったコバヤシをハリーがふり返る。コバヤシが血まみれの顔でニタリと笑う。そしてギョッとするハリー。
「なっ……?」
ハリーは驚きと戸惑いが入り混じった表情をヨシオの顔に向けると、何が起こっているのかわからない、というように首を小さく何度かふった。だが、ヨシオは答えない。ヨシオは胸ぐらをつかまれたまま目を伏せている。なにも言わず、ただ静かに薄い笑みを浮かべているだけだった。
ハリーは、まだ状況がのみ込めない。もういちどコバヤシをふり向く。なにか言いたそうだが、うまく言葉がでてこないようだ。ハリーは戸惑った表情のまま、コバヤシに説明を求めるような目を向けていた。
「いや、ダンナをだますつもりはなかったんでやすがね」
そう言って立ち上がると、コバヤシは気まずそうにあたまをかきながらつづけた。
「あの銃は、どっちも〝空包〟だったんでさァ」
「……と、いうわけだ」
ヨシオが言い添えると、ハリーはようやく胸ぐらから手をはなした。そして両手を腰に当ててガクリと頭をたれると、緊張をほぐすように「ふーっ」と長い吐息をつき、何度か首をよこにふった。
「やれやれ。つまり、オレは一杯食わされた、ってわけか」
呆れた口ぶりで苦笑するハリー。
「それにしても、いい芝居だった。いいセンスもってるよ、おまえら。まさにアカデミー賞ものの名演技、ってやつだ」
「いやいや、おまえさんも、なかなかの演技じゃったぞ」
長老のやわらかい声。
「おまえさんには才能がある。もういちど羽ばたいてみなされ」
長老は穏やかな表情で目尻にしわをつくっていた。
「……じいさん……」
ハリーは目に涙を溜めていた。
「これでエキストラは卒業、だな」
ハリーに背を向け、ヨシオが席にもどる。
「いまの感覚を……忘れないことだ」
それだけ言って、ヨシオは静かにグラスを傾けた。
「やれやれ」
ハリーがカウボーイハットの鍔を下げて顔を隠した。
「……泣けるぜ、ちくしょう」
肩を揺らして笑っている――いや、ハリーは泣いているのだ。カウボーイハットで目は隠れているが、頬がかすかに光っている。みんなの拍手の中で、ハリーは本当に泣いていた。
「なけるぜ!」
頬を濡らしながら、大五郎もちからいっぱい手を叩くのであった。
※ラリホーマ・・・某ロールプレイングゲームに登場する魔法(催眠
効果)。
エピソード「エキストラにさようなら」
おわり
太平洋、血に染めて 「エキストラにさようなら」
次回 「紅の棺」
おたのしみに!!
< エピローグ >
海が静かになった。黒い雲は消え去り、柔らかい光が甲板の
上に降り注ぐ。ハリーの暗い心を照らすように、降り注ぐ。
ヨシオ、コバヤシ、長老、大五郎。みんなの心が、ひとつに
なった。泣けるぜ。ハリーは泣いた。みんなの優しい歌声の
中で、ハリーは泣いていた。大五郎も泣いていた。笑顔で
泣いていた。みんなも頬を濡らしながら、笑顔で歌っていた。
*エンディングテーマ「気まぐれな天使たち」
・本放送バージョン(Acoustic Version)
https://www.youtube.com/watch?v=mYzjSC1f8R0
・DVD収録バージョン
https://www.youtube.com/watch?v=U4-Rv4l6AYI
*提供クレジット(BGM)
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【映像特典】
https://www.youtube.com/watch?v=d4KnCqcTEOU
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