Stay Gold
旅館を後にすると、僕達は朝方まで居酒屋を三軒梯子した。神谷さんは行く先々の店で知らない人と仲良くなり、ハイボールと焼酎をよく呑んだ。
漬物を摘まみながら、沢山笑った。
それからは、なんの宛てもなくただひたすら海辺を歩き、くたびれたところで港に着いた。
船に乗って、ゆりかごで眠る赤児のように揺られながら、滞った空気から逃げ出すため僕達は甲板に出た。
健やかで美しい海だ。
遠くに映る工場の群れはどこか懐かしく、ふいに真樹さんを思い起こさせた。
一等綺麗なあの人は、幸福な笑顔で最愛の男といるはずだ。彼女は穢れなき存在だ。
潮風は激しく、靄がかった朝の白い空は世界を許容するように優しかった。神谷さんはショートホープの煙を美味しそうに吐き出している。
「いやあ酔ったな。めっちゃ酔ったわ。徳永、吐くなよ!」
新鮮な空気を吸い込みながら白い壁にもたれていると、神谷さんに思い切り背中を叩かれ、僕は慌てて口を覆った。
つい数時間前に胃の中に入れた、お酒や肉芽や豆腐や烏賊の塩辛なんかが口から出てきそうになって、慎重に唾を呑み込む。
「ほんま勘弁して下さい、言うてることとやってること清々しいほど真逆やないですか。吐いてまうわ。分かるでしょ」
「今さらなに言うとんねん。お前、道の往来で思いっきり吐いとったやんけ」
神谷さんはそう言うと、突然大げさにえずいてみせた。物真似にしては酷すぎるそれは、どうやら僕が十年前に神谷さんと呑んだ帰り道で吐いた時の様子を表しているらしい。
「いつの話してるんですか。しかもそれ全然似てないですからね」
「難しいけどな、似てることと似てへんことは同義やねん。同じや思うたのに、よく見たら違うことあるやろ? それの逆もある。あれと一緒や。吟味して考えて、本質を見極めてこそ漫才師やと言えんねん」
「そうですね。そうかもしれません。でも、それとこれとは別やないですか?」
「そうかもな。でもな徳永、人生いうんは、肯定していくもんやで」
そうつぶやく神谷さんの声は優しかった。
神谷さんと僕は、永遠にこのままなのだろうと思う。居酒屋で、海で、公園で、どこでだって神谷さんはあほんだらだ。僕達は漫才師だ。
初夏の青さを含んだ風に吹き飛ばされそうになっても、しっかりと踏ん張らなくてはならない。
「もうすぐ着くみたいですよ。船降りたらどこ行きますか?」
「ゆっくり決めようや。行きたいとこ行ったらええねん」
神谷さんが笑って煙を吐いた。視界が滲んで、気付けば僕の目からは温かな涙が流れていた。
僕は神谷さんの背中を追いながら、春を迎えに行く。影を背負った青春はあまりにも大きくて捌ききれないかもしれないけれど、それらはすべて優しい試練だ。
Stay Gold
又吉直樹原作・Netflix『火花』二次創作作品。
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